私の知らないあいだに、彼は可笑しくなってしまったのではないだろうか。
そんなことを本気で疑って、その目を凝視する。

「……千里くんは変だよ。普通、ここは軽蔑するところなのに」

「俺を傷つけてしまうのが怖いと言う子のことを? まさか。むしろそこまで想ってもらえていたなんて嬉しいな」

「いつか本当に傷つけられるかもしれないよ?」

「聖ちゃんが俺から離れていくことの方がずっと堪えると思う」

「私にはそんなふうに、あなたに気にしてもらえる価値なんてない」

「俺が誰を気にするかは俺が決めるし、少なくともその俺は、世界中の誰よりも聖ちゃんのことを大切にしたいよ」

「へ……変なの。本当に、変だよ……」

いくら言い負かそうとしても、立て板に水のようにさらりと返され、私はついに音を上げてしまった。
頬を流れていた涙がさらに溢れてきて、押さえた手や腕までをも濡らしていく。

「聖ちゃん。怖いことなんて何もないよ。だから俺を頼って? それが俺の望みでもあるんだ」

千里くんの言葉に、私の中で必死に律してきたはずの何かが、音を立てて崩れた気がした。
拒むように、逃げるように、ゆるゆると首を横に振る。

「それでも、怖いよ」

「そっか」

「一人も怖い」

「そうだね」

「お母さんみたいになりたくないの」

「うん」

「私は本当に、迂闊で、弱くて、不甲斐なくて」

「聖ちゃん」

「だけど」

そこまで言って、私は子供のようにしゃくり上げた。
こんなふうに本音を口にしたことなど、人生で一度たりともない。
自分の恐怖や痛みは自分だけのもので、ほかの誰かに分かってほしいとは思わなかったから。
それなのに、どうして彼に伝えてしまったのだろう。
どうして今さら、助けてほしいだなんて、願ってしまったのだろう。

「……そばに、いて」

最後に呟いた声は、聞き取れないほどに小さくか細かった。
けれど千里くんはすべてを弁えたかのように頷き、「もちろん」と応えてくれた。