「聖ちゃん?」

「あっ、ごめん、なんでもない」

千里くんが不思議そうに小首を傾げたのを見て、慌てて笑みをつくる。
最悪だ。
私、今、彼の決心を踏みにじるようなことを考えていた。
彼が離れていってしまうことを、寂しいと思ってしまうなんて。
口の奥に苦味が広がるような不快感を覚え、押し流すようにグラスに残っていたワインを呷る。
同じものをもう一杯注文し、それもまた勢いよく飲み込めば、目の前の千里くんが心配そうに眉根を寄せた。

「聖ちゃんこそ、そんなに飲んで大丈夫なの?」

「へ、へーきへーき。仕事の疲れをアルコールで飛ばしたい気分だったから」

動揺を悟られないようにへらへらとした声で答えたものの、千里くんはなおもジッと私を見つめた。

「やっぱり大変なんだね」

「取材も執筆依頼もかなり増えたからね。でも睡眠時間はきちんと取れてるから」

「それならいいけど、本当に大丈夫? 何か困ってることとかはない?」

「うーん……あっ、えっと――」

先日のとある出来事を思い出して、私はつい思わせぶりに話を切ってしまった。
そのせいで、千里くんの目が動揺したように強張る。
わざわざ彼に話して心配をかけるつもりはなかったのだけれど、ここまできて押し黙るわけにもいかず、私はしぶしぶ口を開いた。

「……実は一昨日、マンションのポストに変な手紙が入れられてたの」

「変な手紙?」

「内容はファンレターなんだけど、切手も消印もない手紙だったんだ。だから直接ポストに入れられたみたいで」

「なにそれ、ストーカーかもしれないってこと? 警察には通報した?」

「うん。パトロールを増やしてくれるって話だけど、怖いから引っ越すつもり。でも忙しくてそんな時間も取れなさそうでさ……」

そこまで言うと、千里くんは顔を顰めて口を閉ざしてしまった。
やはり心配をかけてしまったのだと分かり、居心地が悪くなる。
こんな私のために、彼が心を砕く必要なんてないのに。

「しばらくホテル住まいをするし、それにマンションのセキュリティーはしっかりしてるから、そんなに心配しないで」

「何言ってるの。心配するに決まってるでしょ」

不安を軽くできるかと思って発した言葉は、どうやら逆効果だったらしい。
真剣な千里くんの表情に、申し訳なくて胸が痛くなる。

「何かあったら些細なことでもすぐに連絡して。俺でよければ力になりたいから」

「うん、ありがとう」

「約束だよ?」

念を押すように言われ、ゆるゆると頷く。
けれど心の中で、私は千里くんに頼ることを躊躇っていた。
これ以上私が千里くんに近づくのは、きっと彼のためによくない。
幼かったころの自分の身代わりに彼の傷を舐めていた自覚はあったけれど、あまりに過ぎれば、もはやこれは依存ではないだろうか。
私は己の傷を癒すために彼を利用しているのだ。
彼はもう、私が手を出さずとも前を向いて歩いていけるはずなのに。
あんなにも苦しめられた母からの身勝手な愛と同じものを、今度は私が千里くんに向けようとしている。