こんなぐちゃぐちゃとした、お世辞にも美しいとは言えない感情が?
いや、そんな、まさか。
「聖ちゃん」
「へっ!?」
そのときだった。
突然背後から千里くんの声が聞こえ、私の心臓は大げさに跳ねた。
今まさに考えていた人の声に空耳を疑ったが、振り返ればやはりそこには千里くんがいて、しかしなぜだか彼も驚いた顔をしている。
「ごめんっ、どなたかとご一緒だとは知らなくて……! 向こうから君の姿だけが見えたから」
「大丈夫だよ! よかったらこっちに座って」
踵を返して立ち去ろうとする千里くんを、私は咄嗟に呼び止めた。
今日は日曜日だから、彼はきっと休日をこの喫茶店で過ごすために訪れたのだろう。
元々この喫茶店は彼の行きつけなのだから、偶然会ってもおかしくはない。
入り口の方からは柱の影になって東雲さんの姿が見えなかったらしく、千里くんは声をかけたことを申し訳なさそうにしながらも、隣のイスに座ってくれた。
「紹介するね。こちらは私の担当編集者さん」
「初めまして、東雲と申します」
「こちらこそ初めまして。彼方といいます。そうですか、編集者さんでしたか」
東雲さんが名乗ると、千里くんはあからさまにホッとした様子で笑みをこぼした。
彼の目には、この編集者が悪徳な詐欺師か、もしくはインテリヤクザにでも見えていたのだろうか。
いつもと同じく不自然なまでににっこりとした笑みを浮かべる東雲さんに、見慣れた私でも圧倒され、辟易としてしまう。
「彼方さんというと、もしかしてよく日下部にファンレターをくださる方でしょうか?」
「は、はい、その彼方です」
「ご愛読ありがとうございます。なるほど、あなたが……」
そんな東雲さんは、どうやら彼方という名字の読み方を知っていたらしい。
彼のインテリぶりは見掛け倒しではないのだと改めて感心していると、その眼鏡越しの視線が意味深に私へと向いた。
……本当に、恐ろしく勘の鋭い人だ。
それからしばらくすると、彼は私と千里くんを残し、そそくさと喫茶店を出て行ってしまった。
あれは気を利かせたというより、どちらかと言うと面白半分での行動だろう。
「東雲さん、かっこいい方だね」
「うーん、まあ厳しいけど、仕事はできる人だしね」
千里くんの褒め言葉に、多少の違和感を抱きつつも同意する。
東雲さんはデビュー当時から二人三脚でやってきた、かけがえのないパートナーだった。
考えてみれば、ただの中学生と駆け出しの編集者という二人から始まって、よく10年もやってこれたものだ。
「あの人は昔から私を子供だと侮ったりしないで、一人の人間として対等に接してくれるの」
おかげで扱うテーマや話の方向性について意見が食い違うたび、本気でぶつかり合わざるを得なかったけれど。
シニカルで厳しくて掴みどころがない、それでも作品に対しては真摯で愛に溢れた東雲さんに出会えて、私は本当によかったと思っていた。
「信頼してるんだ」
「一応ね」
そう言って苦笑すると、千里くんは「そっか」と小さく相槌を打って俯いた。
微笑んでいるはずなのに、その表情はなぜかとても寂しげで、瞳には言い知れない熱のようなものを感じる。
穏やかな彼には似つかわしくない、まるで燃え盛る炎のような鮮烈な熱だ。
そんな熱を、彼は一体今までどこに隠し持っていたのだろう。
それにどうしてその熱で、私の心はかき乱されているのだろうか。
――あなた恋をしてますよね
東雲さんの声が、意識の奥で鳴っている。
その言葉をどこか遠くに置き去りにしたまま、私は彼の瞳に宿った炎を、ずっと見つめていたいような心地に駆られていた。
いや、そんな、まさか。
「聖ちゃん」
「へっ!?」
そのときだった。
突然背後から千里くんの声が聞こえ、私の心臓は大げさに跳ねた。
今まさに考えていた人の声に空耳を疑ったが、振り返ればやはりそこには千里くんがいて、しかしなぜだか彼も驚いた顔をしている。
「ごめんっ、どなたかとご一緒だとは知らなくて……! 向こうから君の姿だけが見えたから」
「大丈夫だよ! よかったらこっちに座って」
踵を返して立ち去ろうとする千里くんを、私は咄嗟に呼び止めた。
今日は日曜日だから、彼はきっと休日をこの喫茶店で過ごすために訪れたのだろう。
元々この喫茶店は彼の行きつけなのだから、偶然会ってもおかしくはない。
入り口の方からは柱の影になって東雲さんの姿が見えなかったらしく、千里くんは声をかけたことを申し訳なさそうにしながらも、隣のイスに座ってくれた。
「紹介するね。こちらは私の担当編集者さん」
「初めまして、東雲と申します」
「こちらこそ初めまして。彼方といいます。そうですか、編集者さんでしたか」
東雲さんが名乗ると、千里くんはあからさまにホッとした様子で笑みをこぼした。
彼の目には、この編集者が悪徳な詐欺師か、もしくはインテリヤクザにでも見えていたのだろうか。
いつもと同じく不自然なまでににっこりとした笑みを浮かべる東雲さんに、見慣れた私でも圧倒され、辟易としてしまう。
「彼方さんというと、もしかしてよく日下部にファンレターをくださる方でしょうか?」
「は、はい、その彼方です」
「ご愛読ありがとうございます。なるほど、あなたが……」
そんな東雲さんは、どうやら彼方という名字の読み方を知っていたらしい。
彼のインテリぶりは見掛け倒しではないのだと改めて感心していると、その眼鏡越しの視線が意味深に私へと向いた。
……本当に、恐ろしく勘の鋭い人だ。
それからしばらくすると、彼は私と千里くんを残し、そそくさと喫茶店を出て行ってしまった。
あれは気を利かせたというより、どちらかと言うと面白半分での行動だろう。
「東雲さん、かっこいい方だね」
「うーん、まあ厳しいけど、仕事はできる人だしね」
千里くんの褒め言葉に、多少の違和感を抱きつつも同意する。
東雲さんはデビュー当時から二人三脚でやってきた、かけがえのないパートナーだった。
考えてみれば、ただの中学生と駆け出しの編集者という二人から始まって、よく10年もやってこれたものだ。
「あの人は昔から私を子供だと侮ったりしないで、一人の人間として対等に接してくれるの」
おかげで扱うテーマや話の方向性について意見が食い違うたび、本気でぶつかり合わざるを得なかったけれど。
シニカルで厳しくて掴みどころがない、それでも作品に対しては真摯で愛に溢れた東雲さんに出会えて、私は本当によかったと思っていた。
「信頼してるんだ」
「一応ね」
そう言って苦笑すると、千里くんは「そっか」と小さく相槌を打って俯いた。
微笑んでいるはずなのに、その表情はなぜかとても寂しげで、瞳には言い知れない熱のようなものを感じる。
穏やかな彼には似つかわしくない、まるで燃え盛る炎のような鮮烈な熱だ。
そんな熱を、彼は一体今までどこに隠し持っていたのだろう。
それにどうしてその熱で、私の心はかき乱されているのだろうか。
――あなた恋をしてますよね
東雲さんの声が、意識の奥で鳴っている。
その言葉をどこか遠くに置き去りにしたまま、私は彼の瞳に宿った炎を、ずっと見つめていたいような心地に駆られていた。