寝室からリビングに移り、ダイニングテーブルに置いたままのパソコンを起動してから、腹ごしらえのために食パンを焼きつつ、ケトルでお湯を沸かす。
今朝はコーヒーにするか紅茶にするか、どちらにしろ、砂糖とミルクをどっさりと入れてやりたい。
そんなことを考えながら、大きな皿にレタスとプチトマトを盛り、タンパク質として余っていたおつまみ用の煮卵も添える。
焼き上がったパンにバターを伸ばして皿に乗せれば、超手抜きな朝食プレートが完成した。
飲み物はインスタントコーヒーに決め、砂糖とミルクを加えてから、両手で皿とカップを持ってダイニングテーブルへと向かう。
準備万端でデスクトップ画面を映し出すパソコンの前に座って、私はいつものように執筆用の文書作成ソフトを開いた。
とりあえずネタをまとめてから、プロットでも作ってみようか。
そう思い、イスの背もたれにかけたカバンから手帳を取り出す。
開いたページには、昨日インタビューをした彼方さんの回答が、私の走り書きの字で連なっていた。
それを目で追って、文字にしても滲んでくる彼の誠実さに笑みをこぼす。
本当に、今どき珍しいくらいの好青年だった。
少し影のあるところなんかはクリエイターの想像力をかき立ててくれるし、なんなら彼をモデルにした作品を書いてみたいくらいだ。
たとえばそれこそ、恋愛ものなんていいのではないのだろうか。
彼方さんのような男性を主人公の相手役に置いたら、読者の心を掴んでくれるに違いない。
……うん、そうだ、きっとそう。
彼方さんをモデルに小説を書いてみたら、上手くいく気がする。

いいアイディアが浮かんだと、私は急いでソフトの中に保存してある、キャラクターシートのフォーマットを開いた。
主に登場人物の人となりを掘り下げるためのそれを使い、20代半ばの男性、黒髪の痩せ型、温和で誠実な性格で暗い過去か、もしくはトラウマがあり――といった調子で、相手役のプロフィールを作っていく。

「うーん……」

しかしおおよそのプロフィールが出来上がっても、肝心なストーリーの方はまったくと言っていいほど思いつかなかった。
彼方さんのような男性に合うのは、彼と同じく心優しい女性だろうか。
ううん、むしろ真逆の悪女がいいかもしれない。
それならジャンルは純愛? ラブコメ? 禁断? シリアス?
頭の中であらゆる可能性を探ってみるものの、やはり話を組み立てることはできず、私は頭を抱えた。
もういっそ、私自身を主人公にしてみようか。
折れそうになる気持ちでそんなことを考えながら、齧ったパンをインスタントコーヒーで流し込む。
初めてファンレターをくださった方と、街中で偶然出会ったのだ。
我ながらドラマチックな経験をしたと思うし、十分小説のネタになり得ると思う。
しかしもしそんな小説が出版されたら、さすがに彼方さんをドン引きさせてしまうだろう。
それに彼の人間性に好感は持つけれど、だからと言って恋とは結びつかないし、それ以上の展開も思いつかない。

振り出しに戻ってしまったとため息を吐き、諦めてパソコンをシャットダウンする。
冷めてしまった朝食を平らげながら、私はふとリビングに視線を向けた。
一人で住むには少し広めの1LDKは、物が極端に少なく、この上ないくらい殺風景な空間だ。
以前、数少ない作家仲間の友人を泊めたとき、北欧のおしゃれな刑務所のようだと言われ、そのあまりにも的確な比喩に笑ってしまったのを覚えている。
趣味も仕事も創作活動である私は、確保できるすべての時間を執筆に捧げていて、ほかのことにはまるで興味がないのだ。
そんな生活を象徴するかのようにがらんどうなこの部屋は、まるで私自身をも表しているようだった。

私には作家という肩書以外は何もない。
それなのに、このまま小説まで書けなくなかったら、一体どうなってしまうのだろう。
先行きの暗さを悲観していると、寝室に置いたままのスマートフォンから、滅多に鳴ることのない通知音が聞こえた。
おそらく送信者は東雲さんである可能性が高いが、彼がこんな朝早くに連絡を寄越すことなどまずない。