「リコリス、アイシャ。大丈夫? 巻き込まれたりしていない?」
ドクトルを拘束した後、二人のところへ。
見た感じ、怪我とかはしていないみたいだけど……
骨にヒビが入っているとか、そういう怪我は見た目だけじゃわからないから、二人にそう聞いた。
「あたしは大丈夫よ。超絶天才可憐美少女妖精のリコリスちゃんが、こんなところで怪我なんてするわけないじゃない。ちびっこも、たぶん平気よ。ね?」
「ん……」
リコリスの問いかけに、アイシャは小さく頷いた。
我慢をしているとかそういう風には見えないから、大丈夫なのだろう。
「うぅ……んっ!」
ひしっ、とアイシャが抱きついてきた。
「アイシャ?」
「んーっ」
離してたまるものか、というような感じで、俺の腰に手を回している。
どうしたのだろう?
不思議に思うのだけど、すぐに理解する。
彼女は小さく震えていた。
怪我はしていない。
でも、色々と怖い目にあって、大変な目にあって……
緊張の糸が途切れたらしく、今、とても心細いのだろう。
「うん。もう大丈夫だよ、大丈夫」
アイシャを抱き上げて、その頭をぽんぽんと撫でる。
「うぅ、うううー」
犬耳をぴょこぴょこ。
ふさふさで大きい尻尾をこちらの体に巻き付けてくる。
それだけ不安で、離れたくないっていうことかな?
これくらいならいくらでも。
そう伝えるように、アイシャの頭をぽんぽんと撫で続けた。
ついでに、ぎゅうっと抱きしめた。
「ふふっ」
「あら、意外な反応ね。ソフィアのことだから、てっきり、嫉妬するかと思ったんだけど」
「失礼なことを言わないでください。いくらなんでも、あんな小さな子に嫉妬しません」
「そうは見えないのよねー」
「まあ……否定はできませんが」
「やっぱり」
「ただ、アイシャに関しては、本当になにも思っていないのですよ? むしろ、フェイトとああしていると、とても微笑ましく感じられて……出会ったばかりですが、私もアイシャのことが好きなのでしょうね」
「ふーん……ま、その気持ちはわかるかもね。あたしも、あの子を見てると、なんかうれしくなるもの」
そんな二人の会話が聞こえてきた。
アイシャも耳にしているらしく、尻尾がぶんぶんと大きく揺れる。
照れて、喜んでいるみたいだ。
「さてと……いつまでもこんなところにいないで、外に行こうか。ソフィア、他に捕まっていた人達は逃がしたんだよね?」
「はい、そうですね。きちんと安全は確保してあるので、たぶん、クリフが保護してくれていると思います」
「よし。それじゃあ、後はドクトルだけど……」
ちらりと、倒れたままのドクトルを見る。
「あれもクリフに任せていいかな?」
「それで構わないと思いますよ。今回、私達は働きすぎましたからね。後始末くらい、きちんとやってもらいましょう」
「あはは、そうだね」
そんな話をしつつ、地下を後にして地上へ。
地上は……大混乱だった。
「くそっ、なんでこんなところに……離せっ、離しやがれ!」
「おとなしくしろ、もう逃げ場はないぞ!」
「逃がすな! 一人たりとも逃がすな!」
クリフはしっかりと突入を実行してくれたらしく、あちらこちらで散発的な戦闘が起きていた。
地上の敵はまるで排除していなかったから、苦戦しているらしい。
安全な場所を求めて地上に出たはずなのに……
これじゃあ意味がないな。
「まったく……これくらい、短時間で制圧してもらわないと困りますね。クリフは、今度、説教をしなければなりませんね」
どこか冷たい顔をしつつ、ソフィアは予備の剣を抜いた。
クリフを援護するというよりは、アイシャを危険に晒すことを嫌っているのだろう。
「フェイトは、アイシャとリコリスを頼みます。私は、すぐにこの辺りを静かにさせてきます」
「うん、がんばって。あと、一応、気をつけて」
もしかしたら、ドクトルのように魔剣を持つ人がいるかもしれない。
その可能性は限りなく低いと思うけど……
あんな予想外の事態に遭遇した以上、気をつけるに越したことはないだろう。
「はい、任せてください。アイシャも、いい子にして待っているんですよ?」
ソフィアはにっこりと笑い、アイシャの頭を撫でて……
「ん……がん、ばって?」
アイシャもまた、ソフィアに応えるかのように、小さな手でそっと手を振る。
その愛らしい仕草にハート撃ち抜かれたらしく、ソフィアがくらりとよろめいた。
「うぅ、なんてかわいらしいのでしょう……フェイト。後で、私にも抱っこをさせてください」
「えっと……アイシャ次第?」
「んっ」
「約束しましたよ? 必ず抱っこですからね!?」
アイシャがコクリと頷くと、ソフィアがものすごい勢いで詰め寄る。
アイシャがかわいいから、少し壊れてしまったみたいだ。
「さて……私の幸せのために、未だに抵抗を続ける愚かな人は、その罰を受けてもらいましょう」
ソフィアは不敵に笑い、剣を構えた。
その後……
ソフィアは鬼神のような活躍をして、敵だけじゃなくて味方からも恐れられてしまうのだけど、それはまた別の話だ。
今回の作戦、一つ懸念があった。
それは、僕がクリフの合図を待たず、突撃してしまったこと。
あんなこと、一分でも一秒でも見逃すことはできないし……
また同じような場面に遭遇したら、同じ行動を繰り返すと思う。
だから後悔はしていない。
していないのだけど……
それでも、僕のせいで作戦が失敗したとしたら、それはそれで困るというか、申しわけないと思う。
ドクトルとファルツは捕まえた。
ただ、全員を確保できたかどうか、それは怪しいところだ。
あれだけの騒ぎを起こしたから、それに紛れて逃げた可能性もあるし……
だとしたら、クリフが望む結果にはならないだろう。
クリフは、ドクトルとファルツを含め、全員を捕らえることを目標としていたはず。
という感じで、作戦の成否が気になっていたのだけど……
「ありがとう。スティアート君とアスカルトさんのおかげで、作戦は大成功だよ」
冒険者ギルドの客間。
そこに呼ばれた僕は、クリフにそんなことを言われた。
ちなみに、ソフィアはいない。
また同じようなことが起きないとも限らないし、リコリスと一緒にアイシャの傍にいてもらっている。
「大成功……っていうことは、なにも問題なかった?」
「そうだね、なにも問題はないよ。ドクトルとファルツは、スティアート君とアスカルトさんが拘束してくれた。その他の部下や関係者も、一人も逃がすことなく捕まえることができた。これ以上ない成果だよ」
「そっか……よかった」
「突撃したせいで作戦が乱れて、思うような成果を得ることができなかったのでは? ……なんていうことを考えていたのかな?」
「あー……うん」
隠していても仕方ないと思い、素直に頷いた。
そんな僕を見て、クリフは苦笑する。
「まあ、本音を言うと、ちょっと焦ったけどね」
「やっぱり……?」
「でも、色々と無茶を言い、最前線を押しつけてきたのは僕の方だからね。現場の判断を無視して、一方的に責めるなんてことはしないさ。僕は指揮をとっていたけど……そういう立場だと、どうしても判断が遅れたりすることがあるからね。基本、現場を優先させるよ」
「そっか……ありがとう。そう言ってくれるとうれしいかも」
怒られるか……あるいは、苦言の一つや二つは覚悟していたのだけど、でも、そんなことはない。
その逆で、好きにした結果を、よくやったと褒めてくれた。
僕のことを認められたような気がして……
素直にうれしい。
こんな気持ち、久しぶりだ。
いつ以来だろう?
「作戦は無事に成功。とはいえ、これからが本番のようなものだけどね」
「というと?」
「ギルドの上層部の一部を、ごっそりと削り取ったからね。混乱は避けられない。もしかしたら、残りの幹部が口を出してくるかもしれないし……あるいは、野心を持つ者が後釜に座ろうとするかもしれない」
「なるほど……」
「そういうことに対処をしていかないといけないからね。はあ……まったく、今から頭が痛いよ。まあ、やらないという選択肢はないんだけどね」
そう言うクリフは、不敵な笑みを浮かべていた。
これからの展開を考えると頭が痛い、なんてことを言っているのだけど、そんな台詞とは裏腹に、とても挑戦的な顔だ。
たぶん、ずっとずっとこの展開を望んでいたのだろう。
自分の手で冒険者ギルドの腐敗を取り除くことを、夢見ていたのだろう。
そして今、その機会が訪れた。
確かに、とんでもなく大変なのだろうけど……
それ以上にやりがいを感じて、燃えているのだろう。
「スティアート君達は、これからどうするんだい?」
「そう、ですね……」
どうしよう?
この街でやれることは全部やったような気がする。
今後は、冒険者として本格的に活動していくことになると思うんだけど……
その場合は、どこを拠点にするか? という問題が。
この街を拠点にするか?
あるいは、別の街にするか?
それとも、拠点を持たず、あちらこちらを旅するか。
「まだ、なんとも。後で、ソフィアと相談してみようかな、って」
「なるほど……なら、一つ忠告だ」
一転して、クリフが真面目な顔になる。
「あの獣人の子は気をつけた方がいいよ」
「それは、どういう?」
「あの子がどうこう、っていうことはないんだ。悪い子じゃないと思う。ただ、あの子自身に、なにかしらの秘密が隠されているような気がしてね」
「秘密?」
「話を聞けば、ドクトルは彼女にやたらこだわっていた。他の人達と違い、奴隷として売るわけじゃなくて、もっと別の目的があったように思えるんだ」
「確かに……」
最初は、アイシャも奴隷として売られるのではないかと思っていたのだけど……
でも、ドクトルはアイシャを奴隷として扱っていなかった。
けっこう丁寧に接していて……
それでいて、絶対に逃がしてたまるものかという執念を感じた。
ドクトルがなにを考えていたのか、それはわからない。
わからないのだけど……
ドクトルの性格からして、ろくでもないことというのは想像ができる。
「もしかしたら、アイシャには、僕らが想像できないような秘密が隠されているかもしれない?」
「そうだね。僕としては、その可能性が高いと思っているよ。それをハッキリとさせるためにも、あの子に関しての調査をしたいんだけど……」
「ごめん、それは断るよ」
ドクトルに捕まっていた影響で、アイシャは他の人を怖がるようになっていた。
僕とソフィアとリコリスは例外だけど……
僕ら以外の人に対しては、声をかけられたら悲鳴をあげてしまうほど。
平常時は、いつも僕らの後ろに隠れている。
調査をした方がいいというのはわかるんだけど、でも、アイシャに大きな負担をかけてしまうので、それはできない。
「そうだね、仕方ないか。ただ、彼女が落ち着いたら改めて調査をした方がいいと思うよ。その時は、協力を惜しまないから連絡してほしい」
「うん、ありがとう」
僕とクリフは笑顔で握手を交わした。
ドクトルの事件について、あれこれと事後処理があって……
一週間後、ようやく落ち着きを取り戻すことができた。
ドクトルを始めとした、冒険者協会の幹部の数人が逮捕。
代わりに、クリフとその他数人が幹部へ。
これからどうなるか?
まだ不明なところはあるけど……
でも、クリフなら、今まで以上に組織を良くしてくれると思う。
そう思わせてくれるだけの力と熱意を感じられた。
そして、久しぶりの平穏を取り戻した僕達は……
――――――――――
「うぅ……」
街へ出ると、アイシャが僕の後ろにぴたりとくっついた。
落ち着きなく尻尾を揺らして、あちらこちらに視線を飛ばしている。
「どうしたの、アイシャ?」
「……」
「ピタリとくっつかれると、ちょっと歩きづらいというか……」
「……」
「うーん?」
アイシャの犬耳は垂れ下がり、尻尾も落ち着きがない。
「フェイトってば、ちょっと女心がわかってないわねー」
「女心は、少し違うと思いますが」
ソフィアと、その頭の上にいるリコリスがそんなことを言う。
察しが悪い、ということだろうか?
うーん?
そんなことを言われても……
あ、もしかして。
「人混みが怖いのかな?」
アイシャはひどい目に遭ってきた。
人間不信に陥っていていてもおかしくはないし……
だから、外が怖いのかもしれない。
でも、こういう時はどうすれば?
えっと……
「アイシャ、手を出してごらん」
「?」
「ほら」
ちょっと強引だけど、アイシャの手を握る。
「どうかな? こうして、誰かと手を繋いでいると安心できると思うんだけど」
「あ……」
「じゃあ、私は反対側の手をいただきますね」
そう言って、ソフィアもアイシャと手を繋ぐ。
さらに、リコリスはアイシャの肩に移動する。
「あたしは、さすがに手を繋ぐとか無理だから、こうして近くにいてあげる」
「どうかな?」
「……ん」
ぎゅっと、繋いだ手に力が込められる。
それから、
「あり……がとう」
アイシャは、にっこりと天使のように笑った。
――――――――――
今日、街へ出たのは、アイシャの服を買うためだ。
今はソフィアの服を着せているものの、サイズが合っていないからぶかぶかだ。
それに、アイシャは獣人だから、スカートなどに尻尾用の穴を開けてもらわないといけない。
そんなわけで街の服屋にやってきたのだけど……
「どう……かな?」
「はぁあああ、か、かわいいです! すごくかわいいです! ものすごくかわいいです!」
「あり……がと」
「アイシャちゃん、アイシャちゃん。次は、こちらの服を着てみてくれませんか? こちらは、このアクセサリーとセットで。その後は、このリボンとセットにした服を……」
ソフィアが目をハートマークにして、暴走していた。
そう……アイシャはかわいい。
庇護欲をそそられるというか、天使が降臨したというか……
とにかく、人の心を捉えて離さない。
剣聖であろうと、ソフィアに対抗する術はない。
一瞬でアイシャの虜になったらしく、あれこれと服を着せている。
「えっと……ソフィア? あれこれと選んでも、後で大変になると思うんだけど」
「問題ありません! 全部、買えばいいんです」
「え、全部買うの?」
「もちろんです!」
「……まあ、いいか」
先の事件を解決したことで、それなりにお金に余裕はある。
それに……
アイシャは、今までおしゃれをすることができなかった。
その分、今、たくさん楽しんでもいいと思う。
「じゃあ、僕もアイシャに似合いそうな服を探そうかな?」
「はい、そうしましょう」
「え、と……」
アイシャが困ったような感じでリコリスを見るのだけど、
「諦めなさい。この二人、似た者同士だから、こうなったら止まらないわ」
リコリスは、どこか呆れたような感じで、そう言うのだった。
「それにしても……」
アイシャのための服をソフィアと一緒に選んでいると、ふと、リコリスの声が聞こえてきた。
「こうしていると、まるで家族みたいね」
「家族?」
「ええ。フェイトが父親で、ソフィアが母親。で、アイシャが娘」
「それは……」
アイシャには本当の家族がどこかにいるはずだ。
リコリスの感想は悪いものなのかもしれない。
……でも。
「そう見えたのなら、うれしいな」
僕とソフィアとアイシャ。
その三人が家族に見えると言われて、僕は、素直にうれしいと感じていた。
ドクトルの事件から二週間が経った。
クリフは後始末に追われてひいひいと悲鳴をあげているみたいだけど、僕達はそんなことはなくて、穏やかな日々を過ごしていた。
時間が経つにつれて、少しずつ心が癒えてきたのか、アイシャは笑顔を見せるように。
そのことはなによりもうれしいのだけど……
その笑顔を見ていると、これからのことを考えないといけない。
アイシャをどうするか、だ。
もちろん、僕としては、このままアイシャを引き取りたいと思う。
駆け出しの冒険者で、大した稼ぎもないのだけど……
それでも、このままアイシャとさようなら、なんてことは絶対にしたくない。
義務とか人情的なものもあるのだけど……
でも、それ以上に、アイシャのことが好きだ。
一緒にいたいと思う。
それはソフィアも同じで……
まだ話はしていないけど、義理の娘として引き取りたいと言えば、大歓迎してくれるだろう。
ただ、アイシャの気持ちはどうだろうか?
嫌われていないという自信はあるのだけど……
僕達の義理の娘になりたいと思うほど好かれているか、それは少し自信がない。
そこまではちょっと……
なんてことを言われたら、ショックでどうにかなってしまいそうだ。
とはいえ、いつまでも先延ばしにしていいものじゃない。
近いうちに、これからどうしたいのかをアイシャに尋ねないと。
……なんて思っていたのだけど、思わぬところで、いつの間にか答えが出ることになった。
――――――――――
「うー……」
「はい、じっとしててくださいね」
宿の浴場にソフィアとアイシャの姿があった。
背中を向けるアイシャの頭をソフィアが洗っている。
その隣に小さな桶が置かれ、即席の小さな湯船が作られて、リコリスがのんびりとくつろいでいた。
「あー……生き返るわー、お風呂、最高だわー」
「リコリスは、ちょっとおじさんっぽいですね」
「ちょっと。こんな可憐な美少女におじさんっぽいとか、どういうことよ?」
「……わかる」
「アイシャまで!?」
リコリスがショックを受ける中、ソフィアは丁寧にアイシャの髪を洗う。
小さいとはいえ、アイシャも女の子。
髪のケアはきちんとしないといけない。
それに、髪の毛の間から犬耳が生えているため、注意しないといけない。
水が入ってしまうと大変なことになるし、シャンプーの泡なんてもっての他。
事故が起きないように丁寧、そして優しく洗う。
ただアイシャは、そもそもお風呂が苦手らしく、落ち着かない様子だった。
犬はお風呂が好きなことが多いのだけど、違うのだろうか?
こう見えて猫寄りなのだろうか?
そんなことを考えつつ、ソフィアはアイシャの柔らかい髪を洗う。
「大丈夫ですよ、怖いことなんてありませんからね」
「あう……」
「アイシャちゃんはかわいい女の子なんですから、しっかりと、綺麗にしておかないと」
「……フェイトも、喜ぶ?」
「そ、そうですね」
この子、もしかしてフェイトのことを!?
十歳くらい違う子供に、思わず嫉妬してしまうソフィア。
とはいえ、本気でそんなことをしたら剣聖の名前が泣く。
すぐに自制心を働かせて、落ち着きを取り戻す。
「そうですね、フェイトも喜んでくれると思いますよ」
「なら……がんばる」
「アイシャちゃんは、フェイトのことが好きなのですか?」
「よくわかないけど……一緒にいたい。ぽかぽかするから」
「なるほど、よくわかります」
フェイトは太陽のように温かく、大きな人だ。
彼の隣にいると、心が幸せで満たされる。
ソフィアはアイシャの言葉に共感して、優しい顔になる。
「ソフィアとも……一緒にいたい」
「私ですか?」
「こんなに優しくしてくれて……うれしいから」
アイシャは少し照れた様子で、頬を染めつつ軽く振り返り、チラチラとソフィアを見る。
その愛らしい姿に、ソフィアの心は即ノックアウト。
反射的に後ろから抱きしめようとして……
しかしすぐに我に返り、なんとか自制した。
「ありがとうございます。私も、アイシャちゃんのことが好きですよ」
「……えへへ」
「あれ? ねえ、ちょっと。あたしは?」
「リコリスも、好き」
「うんうん、あんた、わかってるじゃない。えらくなるわよ?」
単純なリコリスだった。
「フェイトもソフィアもリコリスも、みんな優しい……」
「誰にでも、というわけではありませんよ? アイシャちゃんだから、みんな優しいのです。アイシャちゃんが好きだから、にっこりと笑顔になるのですよ」
「そうなんだ……でも私、なにもしていない……」
「そんなこと気にしないでいいんですよ。一緒にいてくれるだけで、私達はうれしいんですよから」
「そうなんだ……」
アイシャは考えるような間をはさみ、
「……ずっと一緒にいたいな」
ぽつりと、そうこぼした。
それは紛れもないアイシャの本心。
ついついこぼれ出てしまった、本当の願い。
それを受けて、ソフィアはたまらなくアイシャのことが愛しくなる。
絶対に守らなければという、庇護欲にかられる。
「ウチの子になりませんか?」
気がついたら、そんな言葉が飛び出していた。
「え?」
「アイシャちゃん、これから行く宛は?」
「……ない」
「なら、私達の子供になりませんか? 養子になれば、ずっと一緒にいることができますよ」
「でも……」
いいの? というような感じで、アイシャが振り返りソフィアを見る。
そんなアイシャを、ソフィアはぎゅうっと抱きしめた。
「私も、アイシャちゃんとずっと一緒にいたいです。この場にはいませんが、きっと、フェイトも同じことを言うはずです。だから……どうですか?」
「……私も」
そっと、アイシャはソフィアを抱きしめ返す。
「一緒にいたい……」
「はい、決まりですね」
「……うん」
アイシャの瞳から涙がこぼれる。
しかし、それは悲しみによるものではなくて、喜びによるものだった。
「……というわけで、今日から、アイシャちゃんは私達の娘です!」
突然、ソフィア達が僕の部屋にやってきて……
そんなことを言う。
ぼーっとする僕を見て、ソフィアが不安そうな顔に。
「もしかして、フェイトは反対ですか……?」
「いや、そんなことはないんだけど……」
あまりに突然のことだから、ちょっと驚いているだけ。
とりあえず情報を整理した後、アイシャを見る。
かがんで目線を合わせる。
「アイシャは、僕達の子供になりたいの?」
「……うん」
アイシャは迷うことなく、コクリと頷いた。
どこかすがるように、こちらを見る。
「……一緒にいたい……」
庇護欲がそそられるというか。
同じく、一緒にいたいと思うというか。
ダメだ。
無条件でアイシャの言うことを聞いてしまいそうになる。
でも、その前に確かめておかないと。
「答えにくいことを聞くよ? アイシャの……本当のお父さんとお母さんは?」
「……」
アイシャは無言で首を横に振る。
「そっか……僕は、アイシャの里を探して送り届けようと思っていたんだけど、里は?」
「……」
再び、無言で首を横に振る。
今のアイシャは、なにもない……ということか。
「うぅ……かわいそうです……」
「苦労してきたのね……」
後ろの方で、ソフィアとリコリスが泣いていた。
気持ちはわかるけど、雰囲気が台無しというか、大事な話をするのだからというか……うーん。
でも、僕達はこんな感じでいいのかも。
相手のことを考えて、心に寄り添い、同じ想いを抱く。
そうやって一緒にいることは、たぶん、とても大切なことだと思うから。
「ごめんね、辛いことを思い出させて」
「……ううん」
「でも、そういうことなら僕は歓迎するよ」
「あ……!」
ぱあっ、とアイシャの顔が明るくなる。
「ただ、僕の方が不安というか……アイシャは、僕なんかが親でいいの?」
「うん」
またの即答。
ちょっとうれしい。
「そっか。じゃあ……おいで」
「んっ!」
両手を広げると、アイシャが勢いよく飛び込んできた。
甘えるつもりだったのだろうけど、加減がよくわからないのだろう。
少し押されてしまうのだけど……
でも、これくらいで倒れてしまうほど弱くはない。
日頃からソフィアに鍛えてもらっているし……
なによりも、倒れたらアイシャを怪我させてしまうかもしれない。
腕の中のアイシャを抱きしめて、次いで、頭を撫でる。
アイシャは気持ちよさそうに目を細めて、犬耳をひょこひょこと動かして、尻尾をぶんぶんと左右に振る。
「じゃあ、今日から、アイシャは僕達の娘だ」
「うん」
「よろしくね、アイシャ」
「うん!」
アイシャの満面の笑み。
それを見ると、なんだか不思議な気持ちに。
心が温かくなるというか、際限なく幸せになるというか。
自然と笑顔になる。
「えっと、えっと……」
「どうしたの?」
「……おとーさん」
「うぐっ」
上目遣いに、アイシャがそんなことを言う。
ものすごくかわいい。
かわいすぎて、なんかもう、心臓がどうにかなってしまいそうだ。
「おかーさん」
続いて、アイシャはソフィアを見て、そう言い……
「はうっ!?」
ソフィアは失神しそうになっていた。
剣聖を失神させかけるなんて……
アイシャは、実はとんでもない子じゃないか?
「えっと……」
アイシャは、リコリスを見て迷っていた。
お父さんは俺。
お母さんはソフィア。
なら、リコリスは?
「あたしのことは、リコリスお姉ちゃんと呼びなさい!」
「リコリス……お姉ちゃん」
「ふぎゃ!?」
胸の辺りに手をやり、リコリスがふらふらとなり、そのまま墜落した。
アイシャのかわいさは、妖精にも通用したらしい。
「ど、どうしたの……?」
俺達の様子を見て、アイシャが慌てる。
それはそうだ。
呼んだだけで次々と倒されていくのだから、不安にもなるだろう。
「大丈夫……うん、大丈夫。ただちょっと、アイシャがかわいすぎるだけだから」
「そうですよ、問題ありません。むしろ、これから、こんなにかわいいアイシャちゃんにおかーさんと呼んでもられるなんて、幸せしかありません」
「ふっ、うふふふ……お姉ちゃん、リコリスお姉ちゃん……くふっ」
「ふぁ……?」
傍から見ていれば、かなりよくわからない光景になっていたのだろうけど……
とにもかくも、僕達は、この日家族になった。
わたしは、とある里の獣人。
犬の耳と尻尾がついている種族。
普通の人間とは違う。
だからなのか、街から離れた山奥の里で暮らしていた。
わりと不便。
火は自力で起こすしかない。
水は、毎日川まで組みに行かないといけない。
毎日大変。
でも、不幸と思ったことはない。
たくましいお父さんがいた。
優しいお母さんがいた。
それだけじゃなくて、おいじいちゃんがいて、おばあちゃんがいて、仲間がいて……
みんながいた。
だから、毎日笑顔で過ごすことができた。
全部全部、満たされていた。
だけど……ある日、全部が終わった。
人間が攻めてきた。
里がどうなったのか……わたしは知らない。
お父さんとお母さんが逃してくれた。
絶対に捕まるな、と言われた。
わたしは泣きながら逃げた。
走って、走って、走って……
でも、捕まった。
わたしを捕まえた人間は……
ううん、あれは人間なのだろうか?
確かに、見た目は人間だ。
でも、中身はまるで別物というか……
すごく怖い、と思った。
その人間に捕まって、わたしは奴隷に落ちた。
痛くて。
悲しくて。
寂しくて。
苦しくて。
……そんな毎日。
私の心はからっぽになった。
世界を見るから苦しい。
なら、なにも見なければいい。
そんな感じで、なにも考えないようにして……
でもそんなある日、フェイトとソフィアが助けてくれた。
お父さんとお母さんのような人だった。
強くて、優しい。
フェイトは太陽のような人。
強いだけじゃなくて、心に光を当ててくれて、導いてくれる。
ソフィアは月のような人。
優しく静かに、みんなを見守ってくれている。
そんな印象を抱いて……
それと、お父さんとお母さんのように見えた。
フェイトとソフィアはお父さんとお母さんじゃない。
まったく別の人間。
それなのに同じに見たら失礼。
不愉快に思われるかもしれない。
だから、一緒にいたらいけないと思っていたんだけど……
そんなことはなかった。
フェイトとソフィアは、わたしと一緒にいたいと言ってくれた。
そんな二人の笑顔は、今でもハッキリと思い出すことができる。
ぽかぽか。
温かいおひさまのよう。
わたしは……もう無理だった。
二人の優しさに甘えずにはいられなくて……
新しいお父さんとお母さんになってほしいと、そうお願いをして……
わたしは幸せ。
全部、失ったと思ったけど、でもそんなことはなくて……
また新しく、大事なものを手に入れることができた。
心が温かくて、ぽかぽか。
おとーさんとおかーさんの匂いを感じて、わたしはにっこりと笑う。
「あむっ」
アイシャは小さな口をいっぱいにあけて、ハンバーグを食べる。
一口食べるごとに幸せそうな笑みを浮かべて、
「はぁあああ……私の娘、すごくすごくかわいいです……」
ソフィアはとろけるような感じで、親としての幸せに浸っていた。
アイシャを養子に迎えて、早一ヶ月。
僕達は、順調に家族としての絆を育んでいた。
アイシャは僕達にとてもよく懐いてくれて……
そして僕達も、アイシャのことが、以前よりもすごく好きになった。
ソフィアなんて、ものすごい。
こう言うとなんだけど、完全な親ばかだ。
毎日毎日、アイシャを甘やかして、とても幸せそうな笑みを浮かべている。
でも、気持ちはわかる。
よくわかる。
すごいわかる。
だって、アイシャはかわいい。
それに健気で、いつも一生懸命で、真面目で優しくて……
うん、僕も親ばかなのかもしれない。
血は繋がっていない。
本当の娘じゃないって、そう言われることもあるかもしれない。
でも、僕とソフィアはそんなことは気にしない。
アイシャは僕達の娘だ。
そう思っている。
そんな感じで、穏やかで幸せな時間を過ごしていたのだけど……
ずっと続いて欲しいと思う時間は、なかなか長続きしないものだった。
――――――――――
「ソフィアー、あんたに手紙よ」
いつものように冒険を終えて、宿に戻り、家族で一緒にごはんを食べる。
そんな時、リコリスが手紙を手に戻ってきた。
「私に手紙ですか?」
ちょうど食後のデザートを食べ終わったソフィアは、リコリスから手紙を受け取る。
「……っ!」
差出人の名前を見て、険しい顔に。
「どうしたの、ソフィア?」
「おかーさん……怖い顔」
「えっと、その……すみません。予想外の相手からだったので、つい」
「予想外の相手、って? なんか良い感じじゃなさそうだけど、なになに、元カノとか?」
「私は、ずっとフェイト一筋ですよ?」
「ひぃ!?」
リコリスが軽口を叩いて、ソフィアはニッコリと笑う。
ただし、目はまったく笑っていない。
「それで、誰からなの?」
「……お父さまからです」
「ソフィアの?」
それなら、なんで苦い顔をしているのだろう?
不思議に思っていると、ソフィアが事情を説明してくれる。
「お父さまは悪い人ではないのですが、どうも、子離れができないというか束縛が強いというか……私のすることなすこと、全部、反対してくるのです。剣を学ぶと言った時も、どれだけ反対されたか」
「そういえば」
記憶の中にあるおじさんは優しそうな人ではあるのだけど、あれこれとソフィアに注意をしていた覚えがある。
日が暮れる前に帰ること、手は洗うこと、遠くへ行かないこと……などなど。
おとなしそうに見えて、でも活発なソフィアのことだ。
あれこれと束縛されるのは嫌なのだろう。
「今回も、よくないことを押しつけてくるかもしれません」
「うーん」
ソフィアの懸念は理解できるのだけど、でも、その反応はダメだ。
そっと耳打ちする。
「……ソフィア、気持ちはわからないでもないけど、落ち着いて」
「……フェイトは、お父さまの味方なのですか?」
「……違うよ。僕は、ずっとソフィアの味方」
「……はぅ」
「……でも、アイシャの前でそんな態度をしたらダメだよ」
アイシャは本当の両親を失っている。
それなのにソフィアが父親を嫌うような態度を見せたら?
「あ……」
僕の言いたいことを理解してくれたらしく、ソフィアは小さな声をこぼす。
それから軽く深呼吸して、心を落ち着けた。
「ありがとうございます、フェイト」
「ううん、どういたしまして」
よかった。
これで、落ち着いて手紙を読んでくれそうだ。
……なんて思っていたのだけど。
「……はい?」
手紙を開けて、数分。
ソフィアの表情が再び険しくなる。
さきほどの比じゃない。
ハッキリとした怒りが浮かび上がり、手紙を握る手がブルブルと震えている。
殺気に近い怒気があふれだして、近くにいた冒険者が失神していた。
それでもアイシャにその気をぶつけないことは、さすがというべきか。
「えっと……ソフィア?」
これだけ怒るソフィアなんて、久しぶりに見たかもしれない。
シグルド達の事件の後……
話があるからと、どこかへ出かけた時は相当に怒っていた。
あの時に匹敵するくらいの怒りだ。
「おかーさん? どうしたの?」
「……なんでもないですよ。ええ、なんでも」
「?」
どうにかこうにか怒りを我慢して、ソフィアはアイシャの頭を撫でた。
あちらこちらに放出されていた怒気も少しずつ収まる。
「ちょっと、どうしたのよ? そこらの人間が失神してるけど」
「あぁ……やってしまいました。どうしようもなく、果てしなく、限りなくろくでもない内容だったため、つい……」
「ソフィアのお父さんからの手紙なんだよね? それなのにろくでもないって、どういうこと?」
「……先に言っておきたいのですが、私は、フェイト一筋ですからね? 他の男性に惹かれたことなんて一度もないし、ずっとずっと、フェイトだけを想っていましたからね!?」
「う、うん? ありがとう?」
「そのことを念頭に、聞いてほしいのですが……」
ソフィアは深いため息をこぼす。
それから、心底うんざいした様子で言う。
「……手紙の内容は、お父さまが私の婚約者を決めた、というものでした」
「婚約……」
「者……?」
僕とリコリスがぽかんとした。
「こん……やく?」
アイシャは意味がわかっていない様子で、小首を傾げた。
「……」
ソフィアに婚約者。
なるほど……納得だ。
ソフィアは剣聖。
それだけではなくて、こんなにも綺麗で、性格は女神のよう。
男は放っておかないだろう。
でも……婚約?
「えええええぇっ!!!?」
ようやくその事実を飲み込むことができて、僕は、ついつい驚きの声をあげてしまう。
アイシャがビクッと震えてしまうものの、どうすることもできない。
「えっ、いや、えっ? ソフィア、結婚するの……?」
「ち、違います! 違いますからね!? フェイト、そういう勘違いはやめてください!」
「でも、その手紙には……」
「これは、あくまでもお父さまが勝手に決めたことです。私は、このようなふざけた話に同意なんてしていませんし、そもそも、今初めて知ったことです!!!」
あたふたとソフィアが言う。
ものすごく慌てているところを見ると、その言葉は真実なのだろう。
というか、ちょっと涙目になっていた。
その原因は……僕だよね?
僕がソフィアを疑ったから。
だから、彼女は傷ついて……
うん、落ち着くことができた。
というか、逆にひどく申しわけない気持ちになってきた。
「ごめんね、ソフィア……突然のことで慌てて、ソフィアを疑ったりなんかして」
「いえ……わかっていただければ、それで」
ひとまず話を整理することに。
ソフィアの知らないところで、勝手に婚約者が決められていた。
ある程度話が進んだから、そろそろ家に帰ってこい、とのこと。
ソフィアは僕達のことは知らせていないらしく……
というか、それほど日が経っていないのでそんな機会はなくて、彼女の両親は僕達のことを知らない。
だから、勝手に話が進められているのだろう、とのこと。
「そういえば……」
おぼろげな記憶なのだけど。
ソフィアのお父さんは、わりと強引な人だった。
こうすることが教育に良い、と信じて、ソフィアに色々な無茶振りをしていたっけ。
彼女が剣を習うことになったのも、ソフィアのお父さんの影響だ。
そんな人だから、今回の件は不思議なことじゃない。
「なるほどねー、納得。ソフィアのパパって、頑固者なのね」
「まあ、そのような感じです」
「おかーさんのおとーさん……おじーちゃん?」
「そうですね、おじいさまになりますね。ただ……」
ソフィアがとても苦い顔に。
これからどうするのか、考えているのだろう。
「そうですね……うん。お父さまの勝手な妄言に付き合う必要はありませんね。行き先を告げていたため、今は私の居場所を知っているようですが、それもここまで。別の街へ移動してしまえば、後を追うことは難しくなるでしょう。誰かよこされても面倒ですし、さっそくこの街を出て……」
「それはどうかな、って思うよ」
「フェイト?」
ダメ出しすると、ソフィアがなんで? というような顔に。
別に、意地悪をしているわけじゃない。
ソフィアと離れ離れになることを了承したわけでもない。
ただ……
「そんなことをしたら、ソフィアは、二度とお父さんとお母さんに会えなくなるんじゃないかな?」
「それは……」
「別に、二人を嫌っているわけじゃないでしょ? 今回のことがなければ、ソフィアは、時々里帰りをするつもりでいたでしょ?」
「そう、ですけど……」
「なら、きちんと話をしないと。なにもしないうちから距離をとるなんて、ちょっと賛成できないかな」
そう言ってから、僕は、チラリとアイシャを見る。
その仕草、意図はソフィアにも伝わったらしく、唇を噛む。
アイシャは、もう家族がいない。
どれだけ会いたいと思っていても、決して会うことはできない。
それなのに、無茶を言われただけで距離をとってしまうなんて、ダメだと思うんだ。
アイシャのおとーさんとおかーさんである僕らだからこそ、そんな選択を取るわけにはいかない。
「……すみません。私が間違っていました」
「ううん、気にしないで。今の話はダメっていうだけで、きちんと話をするなら、僕達にできることはなんでも協力するから」
「あれ? あたしがいつの間にか数に加わってる?」
「協力してくれないの?」
「まあ、いいけどねー」
気ままなリコリスだった。
「おかーさん」
アイシャがソフィアをじっと見る。
「わたしも、がんばる。だから、おかーさんもがんばって」
「うぅ、アイシャちゃん……!」
「ふぎゅ」
感極まった様子で、ソフィアはアイシャを抱きしめた。
そのまま頭を撫でて撫でて撫で回す。
「ああもうっ、なんてかわいいんでしょうか! そして、なんて優しいんでしょうか! アイシャちゃん、天使です! 女神さまです!」
「あーうー」
「えっと……ソフィア? アイシャが困っているから、その辺に」
力いっぱい抱きしめる、なんてことはしていないのだけど……
どうしていいのかわからない様子で、アイシャはひたすらに困惑していた。
「あっ……ご、ごめんなさい、アイシャちゃん」
「んーん。おかーさんにぎゅっとしてもらえて、うれしかった」
「はうっ」
アイシャの無垢な笑顔にやられた様子で、ソフィアは胸元に手をやる。
そのまま倒れてしまいそうな勢いだけど……
なんとか我慢して、話を元に戻す。
「と、とにかく……別の街へ移動して行方をくらませる、という方法はなしにします」
「うん、それがいいと思うよ」
「なので……直接、お父さまと話をして、今回の件を撤回してもらいます」
「直接、ってことはソフィアの故郷に行くわけ? そういえば、ソフィアの故郷ってどこなの?」
リコリスが小首を傾げた。
次いで、アイシャも小首を傾げた。
「私の故郷は、この中央大陸の南……山脈を超えた先にある、リーフランドです」
草と花の街、リーフランド。
そこがソフィアの故郷だ。
リーフランドに向かうには、南の山脈を超えないといけない。
ただ、山越えなんて無謀。
今は春だから、冬ほど厳しくはないのだけど……
それでもかなりの体力を奪われてしまう。
それに山に慣れていないと迷うことが多い。
最悪、滑落などで命を失うこともある。
でも、リーフランドに行く分には問題はない。
今から十年以上前に、トンネルの建設計画が立ち上がり……
一年ほど前に開通したからだ。
このトンネルのおかげで、ソフィアと再会することができたといっても過言ではない。
感謝だ。
そして今日。
そのトンネルを使い、山を超える。
「おー」
「どうしたのですか、フェイト?」
「トンネルなんて初めてだから、なんか、すごいね」
馬車が二台並走できるだけの横幅があり。
高さは、五メートルくらいだろうか?
等間隔で照明の魔道具が設置されている。
さらに、壁と地面はしっかりと舗装されていて、歩きやすい。
「これ、もしかしたら外の街道よりもしっかりとしているんじゃない?」
「あ、それ、あたしも同じこと思ったわ」
「歩きやすい……ね」
リコリスとアイシャもトンネルは初めてらしく、ちょっと楽しそうにしていた。
僕も子供に戻ったかのように、一緒になってはしゃぐ。
「まったくもう……油断してはいけませんよ?」
やれやれとばかりに、ソフィアがそう言う。
ただ、その口元には笑みが。
なんだかんだで、僕達が一緒にはしゃいでいることを微笑ましく思っているみたいだ。
「ところで、油断っていうのは?」
「トンネルはダンジョンと似たようなものですからね。魔物に気をつけないといけません」
「え、魔物が出るの?」
「はい。雨風をしのぐことができて、休憩所なんてものもあります。定期的に駆除は行われていますが、たまに完全に駆除することができず、魔物と鉢合わせることがありますよ」
「そうだったんだ」
これだけしっかりしているから、魔物なんて出てこないと思っていた。
でも……そっか。
入り口に門が作られているわけじゃないから、魔物が入りこむことはあるのか。
「なら、気をつけないといけないね」
「はい。ですが、魔物と遭遇するケースは稀です。冒険者が数日ごとに見回りをしていますから、襲われるという事件はなかなかありませんね」
「それなら……」
安全だね。
そう言おうとしたところで、トンネルの先から悲鳴が聞こえてきた。
「え? なになに? 今の悲鳴よね?」
「ソフィアは、アイシャとリコリスをお願い!」
「はい! フェイトも、気をつけてください!」
「うんっ」
放っておくわけにはいかない。
すぐに体が動いて、雪水晶の剣を手に駆け出した。
一分ほど走ったところで、馬車が見えた。
荷台にたくさんの荷物が積まれているところを見ると、たぶん、商人のものだろう。
馬車を取り囲むウルフの群れ。
低ランクの魔物だけど、その数は数えるのが面倒になるほどで、決して油断はできない。
護衛の冒険者らしき人が二人、必死に戦っている。
しかし、数の暴力に押され、けっこう危ない感じだ。
「くっ、こいつら……!」
「アクセル、焦らないで! しっかりと対処すれば問題のない相手だから」
「リナの言う通りだけどよ……くそっ! だからって、数が多すぎるだろ! こんな……」
「アクセル、危ない!!!」
女性の冒険者が叫ぶ。
一匹のウルフが、男性の冒険者の喉に食らいつこうとしていた。
男性の冒険者は防ごうとするが、気づくのが遅かったせいで、間に合わない。
ウルフの牙がそのまま……
「このっ!」
男性の冒険者の喉元に食らいつくよりも先に、全力で踏み込んで、ウルフの頭を斬る。
頭部を失ったウルフは絶命して、そのまま地面に倒れた。
「あんたは……」
「助太刀します!」
「おうっ、感謝するぜ!」
「ああもう、アクセルったら。どこの誰かわからないのに、簡単に受け入れて……」
「この状況で文句なんて言えるわけねえだろうが!」
「そうかもしれないけど……わかったわよ、やればいいんでしょ!」
どうやら、男性の冒険者がアクセル。
女性がリナというらしい。
アクセルは斧を武器とする前衛。
リナは杖を使い、魔法を操る後衛……というところかな?
今までは、敵の数が多すぎてリナも攻撃にさらされて、陣形が崩壊していたみたいだけど……
僕が参戦したことで、前衛がきっちりと安定した。
後衛であるリナのところまでウルフを行かせることはなくて。
しっかりと迎撃。
そして、リナが魔法を使い、まとめてウルフを葬り去る。
一度安定すれば問題はまったくなしで……
五分ほどでウルフの群れを殲滅することに成功した。
「ふう……これで終わりか?」
「みたいね……うん、大丈夫よ。周囲に魔物の気配はないわ」
魔法を使ったらしく、リナが確信めいた様子で言う。
それを聞いて、僕とアクセルは、それぞれ武器を収めた。
「助太刀、助かったぜ! サンキューな!」
「ううん、どういたしまして」
アクセルの握手に応じて、互いに笑みを浮かべる。
「俺は、アクセル・ライナー。冒険者だ、よろしくな!」
「私は、リナ・インテグラル。同じく冒険者よ、よろしくね」
初めて会うんだけど……
なんていうか、気持ちのいい人だ。
なにかしら縁があれば、良い友だちになれるような気がした。
「僕は、フェイト・スティアート。それと、連れがいて……」
「フェイトー!」
ソフィア達のことを話そうとしたところで、ちょうど、彼女達の姿が見えた。
ソフィアの頭にリコリスが座り、アイシャは抱っこされている。
「大丈夫ですか?」
「うん。今さっき、片付いたところ。あ、そうそう。アクセル、リナ、紹介するよ。この子は……」
「「ソフィアお嬢さま!?」」
紹介しようとしたところで、アクセルとリナがそんなことを言い、驚くのだった。