「よし、一階に出た!」

 どこからともなくドクトルの私兵が湧いてきて、なかなか面倒だったのだけど……
 なんとか、一階まで戻ることに成功した。

 そこで、気がついた。

「この音は……」

 この屋敷を中心にして、戦争が繰り広げられていた。

 雄叫びや悲鳴。
 剣と剣がぶつかる音。
 魔法が炸裂する音。

 地下にいたから気づかなかったけど、地上はひどい有様だ。
 魔物の大群に飲み込まれたかのように、屋敷は荒れ果てている。
 それだけの激戦が繰り広げられているのだろう。

「クリフの援軍だよね? よかった、ちゃんと派遣してくれたんだ」

 今までの経験のせいか、もしかしたら……と疑うところがなかったわけじゃない。
 なので、クリフがきちんと約束を守り、ドクトルの不正を暴くために行動してくれたことをうれしく思う。

 できれば、ドクトルも捕まえて貢献したいのだけど……
 でも、ごめん。
 今はアイシャの安全を優先させてもらうよ。

「アイシャ、しっかり僕に掴まっていてね?」
「ん」

 ぎゅっと、小さな手が僕の背中を掴む。

 この手を、もう二度と離したりしない。

 そう誓い、僕達は、戦場と化した屋敷を駆ける。
 廊下をまっすぐに進み、いくらかの角を曲がる。

 ほどなくして玄関ホールに出た。
 あとは、正面ドアから外に出ればいいのだけど……

「やあ、待っていましたよ」

 最後の難関として、ドクトル・ブラスバンドが待ち構えていた。

 その手に持つのは、漆黒の剣。
 その身にまとうは、漆黒の鎧。

 完全武装で僕達の前に立ちはだかる。

「いやはや、やられてしまいましたよ。キミは、これほど大胆な決断はできないと見ていたのですが……やれやれ、私の人を見る目も衰えてしまいましたかな」
「僕が、あなたのような悪人に本気で協力するとでも?」
「私が悪人ならば、キミは協力しなかったでしょう。しかし、私はそこらの盗賊のような悪人ではない」
「……どういう意味?」

 一連の悪事には、ドクトルなりの信念がある、ということだろうか?

「私のしてきたことは、確かに悪事でしょう。しかし、私腹を肥やすために悪事をしてきたわけではないのです」
「なら、なんのために?」
「もちろん、人々の幸せを守るために、です」

 そう言うドクトルは、本気で言っているかのようだった。

「なんの力を持たない人々が幸せになるには、優れた統治者が導いてやらなければなりません。私には、その統治者たる資格がある! 優れた素質がある! 故に、人々の上に立ち、導いていく義務があるのです」
「……まさか、そのために必要なものを手に入れるために、悪事に手を染めた?」
「その通りです。世の中、綺麗事ばかりではやっていけませんからね。上に登るためには、金が必要なのですよ」
「そんな無茶苦茶な……人を幸せにするために、人を苦しめるなんて……」

 なんて矛盾。

 しかし、ドクトルは己のしていることになにも疑いを抱いていないようだ。
 絶対的に自分が正しいと、信じ込んでいる。

 この人は……ダメだ。
 価値観が独善すぎる。
 魔物と同じで話がまったく通じない。

「今回のことで、けっこうな痛手を受けましたが……しかし、まだ挽回は可能。目障りな動きをするクリフを含めて、反逆者を根絶やしにすればいい。そうすれば、私に逆らう愚か者は消える。おや? そう考えると、これはこれで良い機会なのかもしれませんね」
「……」
「そこで、改めて提案するのですが……今からでも遅くはありません。私の元につきませんか?」
「そんな提案、受け入れるとでも?」
「キミには才能がある。あの剣聖を超えるような、とてつもない才能が。殺してしまうには惜しい」
「……」
「そして、その娘を利用すれば、さらなる力を手に入れることができる」
「アイシャを?」
「強くなりたくありませんか? 誰にも負けることのない、絶対の力を手に入れたくありませんか? ならば、私の手を取るのです。さあ、一緒に……」
「断るよ」

 楽しそうにペラペラと喋るドクトルの言葉を遮り、即答した。

 片手で剣を構えて、片手でアイシャをしっかりと支える。

「あなたは、なにか勘違いしているみたいだけど……僕が欲しいのは力なんかじゃないよ」
「ふむ? ならば、なにが欲しいのですか? 金ですか? 女ですか? 名声ですか?」
「あなたには絶対にわからないものだよ。だから、あなたの仲間になるなんていうことは、絶対にない」

 言い放ち、剣の切っ先をドクトルに向けた。

 ドクトルは、無言でそれを見て……
 ややあって、ため息をこぼす。

「やれやれ……私に敵対するとは、なんて愚かな。見どころがあると思いましたが、それは力だけ。心は、とことん未熟のようですね」
「これで未熟って言われるのなら、未熟でいいよ。あなたのような、卑怯で汚い大人になんてならない」
「交渉決裂ですね」

 ドクトルの顔から笑みが消えた。

「存分に殺し合いをしよう……と言いたいところですが、その前に、その娘は背中から下ろした方がいいのでは?」
「その間に、アイシャをまたさらうつもり?」
「そうしたいところですが、あいにく、私の部下は外の相手で手一杯でしてね。ここにはいませんから、安心してください。ただ単に、巻き込んでしまうと私が困るのですよ」

 どうして、ドクトルはアイシャのことを気にかけるのだろう?
 純粋に心配している、なんてことは絶対にないだろう。

 奴隷として扱われていない。
 やけに待遇が良いなど、気になるところはある。

 ただ、それらの謎の解明は後回し。
 今はドクトルという壁を乗り越えることを考えよう。

「アイシャ、部屋の端に机が見えるよね? あそこに隠れてくれないかな?」
「うぅ……で、でも」
「大丈夫、怖がることはないよ。ちょっとだけ待ってて。そうしたら、僕が外に連れ出してあげるから」
「……うん」

 涙目になりながらも、アイシャは僕の背中から降りた。
 何度も振り返りつつも、部屋の端にある机の影に隠れる。

 ひょっこりと顔を出して、こちらを見る。
 すごく心配しているみたいだけど、でも、僕の言いつけを守り、動く様子はない。

 これなら、思う存分に戦える。

「さあ、覚悟してもらうよ!」
「……くっ、ははは、あはははははっ!!!」

 ドクトルが笑う。嗤う。嘲笑う。
 おかしくて仕方ないというかのように、表情を歪ませる。

 その顔は……
 さながら、悪魔のようだった。

「才能があるとはいえ、まだ雛鳥も同然。そのような小僧が、吠えてくれますね」

 ドクトルが剣を構えた。
 瞬間、強烈な圧が吹き荒れる。

「愚かにも私に逆らったこと……煉獄にて後悔するがいいっ!!!」