将来結婚しようね、と約束した幼馴染が剣聖になって帰ってきた~奴隷だった少年は覚醒し最強へ至る~

 専任になった僕達に与えられた最初の仕事は、アイシャを探し出して、ドクトルに引き渡すこと。

 ドクトルは、友達の子供だから保護したい、と言っていたのだけど……
 まず間違いなくウソ。

 ドクトルはアイシャを『商品』として扱おうとしていた。
 聞けば、獣人の奴隷は高く取り引きされるみたいだから……
 そのために、僕達を使い、『商品』を取り戻そうとしているのだろう。

「正直なところ、今すぐに殴り倒したいね」

 あんな小さな子供まで利用しようとするなんて……
 絶対に許せない。

 証拠を得るために専任になったのだけど、でも、そんなことはなかったことにして、今すぐに殴り込みをしたい気分だ。

 ソフィアも似たようなことを考えているらしく、その表情はとても厳しい。

「フェイト、気持ちはわかりますが……」
「うん、早まったことはしないよ」

 ドクトルを殴り倒すことは簡単だ。
 でも、そうしたら僕の気が晴れるだけで、彼を追放することはできない。

 よほどのことがない限りは我慢して……
 そして、絶対に不正の証拠を掴んでみせる。

 まあ。
 アイシャが再び捕まるなどの、よほどのことが起きた場合は、その限りじゃないのだけど。

「で。これからどうするわけ? あの猫耳娘を差し出すわけにはいかないでしょ?」
「もちろん」
「でも、そうしないと依頼は失敗。ドクトルの信用を得ることはできないわ」
「そこが問題なんだよね……」
「アイシャを差し出すことは論外ですが、しかし、依頼を失敗するわけにもいきません。なかなか悩ましい問題ですね」
「どうすればいいのかしら?」

 三人で頭を悩ませる。

 ドクトルの依頼はこなしたい。
 しかし、アイシャを引き渡すわけにはいかない。

 相反する状況を打破するためには……

「んー……協会の幹部が奴隷取り引きに手を染めていたなんてことが判明すれば、一発アウトだよね?」
「もちろんです」
「なら、その決定的な証拠を、公の前で晒すことにしよう」
「でもさー、そいつはあたし達をまだ信じてないわけでしょ? 証拠から遠ざけるだろうし、なかなか難しいんじゃない?」
「証拠を探すんじゃなくて、実際の現場を押さえるんだ」
「どゆこと?」
「まずは、アイシャが見つかったという報告をする。そうだなあ……数日以内に、確実に連れて来ることができますよ、というような感じの。もちろん、ウソ。アイシャは実際に連れていかないよ?」
「なるほど……そういう感じですか」

 さすが幼馴染。
 ソフィアは僕がやろうとしていることをなんとなく察した様子で、納得顔を見せた。

 一方のリコリスは、頭の上に疑問符を浮かべている。

「言い方は悪いんだけど……商品が手に入るとわかれば、ドクトルは売買に向けて動くはず。宣伝して、客を集めて、奴隷オークションを開くはず」

 シグルド達は、僕をいいように使いたかったため、オークションに出すことはなかったのだけど……
 通常、奴隷はオークションに出されて、そこで売買される。
 元奴隷なので、そういうところは詳しい。

「オークションを開こうとすれば、それなりに大きな動きになるはず。注意深く見ていれば、必ず尻尾を出すと思うよ」
「なるほどね。そこを、ガッチリと捕まえちゃうわけね? でも、本当に動くかしら? 動くにしても、アイシャが手に入ってからじゃない?」
「他にも奴隷として捕まっている人はいるだろうから、動くための準備は今もしていると思うよ。そこに、目玉商品であるアイシャの確保の目処が立ったと聞けば、動かないはずがないと思う」
「なるほどね」
「クリフから聞きましたが、密偵を忍ばせているようです。クリフに頼んでコンタクトを取ってもらえば、いつどこでオークションが開かれるのか、情報を得ることができると思います」

 それはうれしい情報だ。

「オークションの日を調べて、その日の朝にアイシャを連れてきますね、っていう話にしておけば、しつこく催促されることはないと思うんだよね。それまでは、遠くにいるとか移動中とかで、ごまかしておけばいい」
「そして当日……アイシャを連れて行くと見せかけて、オークション会場を襲撃。そのまま証拠を確保する、ということですね?」
「うん、正解」

 これなら、アイシャをドクトルに引き渡す必要がない。
 悪事の証拠を掴むこともできる。

 不正の証拠は手に入れることはできないけど……
 奴隷オークションに関与していたとなれば、逮捕は確実。
 そこから余罪を突き詰めていけばいい。

 クリフが思い描いていたルートとはズレてしまうけど……
 まあ、それはそれ。
 これはこれ。
 現場判断ということで、僕達の策を通してもらおう。

「でもさー、いくつか不安要素はあるわよね」

 本当にオークションを開催するのか?
 他に捕まっているであろう人の安否は?
 アイシャの身柄の引き渡しをしつこく要求してきたら?

「不確定要素、っていうのは必ず起きるって考えた方がいいわよ? 思いも寄らない事態になって、慌てるかも」
「そうだね。できる限りの事態を想定して、その対処法を考えて……」
「ですが、完璧に未来を予測することは不可能です。想定外の事態に対しては、臨機応変に当たるしかありませんね」

 そこは、少しもどかしいところだ。

 アイシャの運命がかかっていると言っても過言じゃない。
 囚われているであろう人達の安否も気になる。

 完璧な作戦を立てることができたらいいのだけど……
 しかし、それは不可能。
 予想外のことは、起きる時は必ず起きる。
 百パーセント成功する、なんてことはない。

「もしも、大失敗するようなら……」
「するようなら?」
「アイシャや捕まっているであろう人達の安全を一番に考えて、もう、物理的にドクトルを成敗しちゃおう」
「え、証拠は?」
「気にしない。成敗した後、しっかりと家宅捜索をして、証拠を見つけよう。全部の悪事の証拠があるとは思えないけど、なにかしらあると思うよ。邪魔がなければ、それを見つけることは不可能じゃないと思う」
「それ、いいわけ? 人間には、法ってものがあるんじゃないの?」
「おもいきり破ることになるね」

 でも。

「悪人を野放しにしておくよりはマシだから」
「……」
「後々、確実に面倒なことになるんだけど……でも、それで悪人をどうにかすることができるなら、そうしたいと思う。ほったらかしにして、なにも見なかったことにして、この街を逃げる、っていう手もあるんだけど、それはしたくないかな」

 街を救うとか。
 冒険者ギルドを正すとか。
 そんな大層なことは言えない。

 でも、おいしいごはんを作ってくれる宿の人とか。
 気持ちのいい笑顔で挨拶をしてくれる街の人とか。

 そういう人達が困っていて、僕にどうにかできる力があるのなら、なんとかしたいって思う。

「ホント、呆れるほどのお人好しなのね」
「呆れた?」
「いいえ」

 リコリスはニヤリと笑う。

「嫌いじゃないわ」
「ありがとう」
「ふふっ、リコリスもフェイトの魅力にやられてしまいましたか? しかし、フェイトは私のものですよ?」

 お願いだから、笑顔で殺気を放ちつつ、牽制しないでほしい。

「フェイトに興味はあるけど、恋愛感情は欠片もないわよ。あたし達妖精は、おもしろいことが大好きなの。フェイトと一緒にいれば、そのおもしろいことがたくさん起きそう。だから、興味があるの。今回も期待させてもらうわね。そのためなら、あたしも、いくらでも力を貸してあげる」
「うん、よろしくね。ソフィアも、一緒にがんばろう」
「はい。私は、フェイトのためなら、なんでもできますよ」

 こうして、ドクトルを追い込むために、僕達は本格的に動き始めることにした。
 翌日。
 さっそく、僕達は行動に移ることにした。

 まずは、アイシャを探すフリをして、外へ。
 一日二日で見つけたとなると、さすがに不自然なので、一週間ほどの時間を空けることにした。

 その間、ドクトルに関する情報をありったけ仕入れる。
 クリフが苦戦しているだけあって、黒い噂が流れてくる程度で、確たるものはない。

 ただ、それでも十分。
 なにが今後に繋がるかわからないし、思わぬ収穫が出てくる可能性もある。
 なので、手当たり次第に情報収集をした。

 ついでに……

 ファルツ・ルッツベインについても調査を進めた。
 ドクトルと同じく、冒険者ギルドの幹部の一人。

 ドクトルの方が立場は上のようだけど……
 コイツはコイツで、放っておくことはできない。

 クリフの話によると、スタンピードを引き起こしたのはファルツだ。
 その動機は、クリフに嫌がらせをしたいという、くだらないもの。
 こんなヤツを放っておいたら、今後、どれだけの被害が生まれることか。

 ドクトルと同じく、絶対に追放してやる。

 そんな決意を胸に燃やしつつ、情報収集を進めて……
 同時に、作戦の準備も進めて……

 そして、一週間が経過した。



――――――――――



「なにっ、アイシャを見つけたのですか!?」

 準備が整ったところで、僕達は、アイシャを見つけたという報告をドクトルにした。

 思っていた通り。
 ものすごい勢いで食いついてきた。

「それは本当ですか!?」
「はい。十歳くらいの、犬耳の獣人族ですよね?」
「うむ、うむ。その子に間違いないありません」
「色々な調査を重ねた結果、先日、彼女についての情報を得ることができて……」
「それで、実際に確認したところ、アイシャちゃんで間違いないという結論に達しました」

 ソフィアが、笑顔で補足してくれる。
 声のトーンはいつも通りで、ウソをついているなんて、とても思えない。

 女の子はウソが上手なのかな?
 ちょっと怖い、なんてことを思ってしまう僕だった。

「一週間で見つけてしまうなんて、素晴らしい成果ですね。お二人を専任にしたのは、間違いではありませんでした。ありがとうございます」
「いえ、お役に立てたのならなによりです」

 ドクトルは、孫との再会を待ちわびる好々爺のような顔をするのだけど、

「それで、アイシャは今、どちらに?」

 そう問いかけた時、一瞬ではあるけれど、獲物を狙う猛禽類のような鋭い目をした。
 これがドクトルの本性なのだろう。

 やっぱり、この人は危険だ。
 絶対に作戦を成功させて、冒険者ギルドから追放しなければ。

「別の街で見つかりまして」
「今、この街に来る馬車を手配したところです。おそらく、数日中には到着するかと」
「なるほど、なるほど。会えることをとても楽しみにしています。あぁ、今日はなんて素晴らしい日だ」

 今、ドクトルは頭の中でなにを考えているのか?
 どうせロクでもないことなんだろうな……

 そんなことを思いつつ、適当な愛想笑いを浮かべる。

「……」

 ソフィアは愛想笑いが引きつりかけていた。
 ドクトルのイヤな気配を感じ取り、それに嫌悪感を示しているみたいで、今すぐにでも剣を抜いてしまいそうだ。

 ダメ。
 さすがに我慢して!



――――――――――



「危ないところでした……あのゴミ、もとい、腐りきったダメ人間を反射的に斬り捨ててしまいそうになりました……」

 調査を続けるという名目で屋敷を離れた後、ソフィアがげんなりとした様子で言う。
 僕が考えているよりも危うい状況だったらしい。

 危ない。
 そのまま斬り捨てていたら、とんでもないことになっていたところだ。

「ま、ソフィアの短気はともかく、今のところ、作戦は順調ね」

 僕の頭の上で、リコリスが上機嫌で言う。
 僕の頭の上、気に入ったのかな?

「大体、あたし達が考えていた通りに動いているんじゃない?」
「うん、そうだね。今のところ、問題ないと思う」
「でも、油断は禁物ですよ? 今は順調だとしても、なにが起きるかわかりませんからね。気を引き締めて、一つのミスもしないつもりで挑みましょう」
「うん、わかっているよ」

 そんな話をしつつ、冒険者ギルドへ。

 ここでアイシャの情報を探る……
 フリをして、逆に、ドクトルとファルツの調査を進める。

 今日は、クリフが信頼する諜報員と面会をして、情報をもらう予定だ。
 その予定なのだけど……

「……遅いですね?」

 客間に案内されて、待つこと三十分。
 未だに諜報員は現れない。
 クリフも現れない。

 なにかあったのかな?

「……またせたね」

 クリフが姿を見せたのは、さらに三十分経ってからだった。

 なにかあったんだろうと、一目見てわかるほど苦い顔をしている。
 トラブル発生、という感じかな?

 できれば、軽いトラブルであってほしいんだけど……
 そんな僕の願いは、簡単に裏切られることになる。

「どうかしたの?」
「すまない!」

 クリフは頭を下げて、

「獣人族の子だけど、ドクトルに捕まってしまったかもしれない」

 とびきりの爆弾発言をするのだった。
「それはどういうこと!?」

 アイシャを見つけた、というウソの報告はしたものの……
 本当にアイシャがドクトルに捕まってしまうなんて。

 さすがに、この展開は予想していなかった。

 驚きと焦燥と……そして、疑念。
 思わずクリフを睨みつけてしまう。

 僕だけじゃなくて、ソフィアとリコリスもクリフに厳しい目を向けている。

「すまない……連中がこれほどまでのバカだなんて思わなかった」
「それは、どういう意味なのですか? なにが起きたのか、詳細に説明してください」
「うん、もちろんだ。説明をする責任があるし……それと、あの子を助ける義務もある。その話もさせてほしい」

 申しわけない、ともう一度頭を下げた後、クリフは事の経緯を説明してくれた。

 クリフは、アイシャを絶対に信頼できる相手に預けていたらしい。
 右腕といえるような存在で、仕事の能力も戦闘能力もどちらも長けていて、また、長年の親友であるとか。

 クリフは表に立って色々と動かないといけないため、アイシャの保護は難しい。
 しかし、親友ならば……と思い、彼にアイシャの保護を依頼したらしい。

 ただ、ここで問題が起きた。

 ドクトルの仲間、ファルツ・ルッツベインが動いたのだ。
 聞くところによると、ファルツは、ここ最近は失敗続き。
 なんとか汚名返上しようと焦っていたらしく、起死回生の策を考えていたという。

 そして……

 クリフの右腕である親友を襲撃するという、無謀でメチャクチャな計画を思いついた。
 親友を失えばクリフの力は大きく削がれるだろう、と考えてのことだろうが……
 そんなことを理由なくすれば、いくら冒険者協会の幹部とはいえ罰は免れない。

 ただ、ファルツはそんなことも考えられないほどの愚か者らしく、計画を実行に移してしまった。
 結果、親友は大怪我を負い、アイシャはさらわれてしまった……とのことだった。

「本当にすまない! あの子のことは、しっかりと保護すると約束したというのに……謝って済むことじゃないのはわかっているんだけど、それでも、本当にすまないっ!!!」
「それは……うん。クリフのせいじゃないよ」
「私も同意です。話を聞く限り、クリフは万全の体勢を敷いていたみたいですし……」
「バカがバカすぎたから、バカを予想できなくても仕方ないんじゃない? っていうか、そこまでバカの行動を読めたとしたら、その方がおかしいわよ」

 リコリスの言う通りだ。
 そこまで後先考えない行動に出るなんて、普通は考えない。
 逆に、そこまでの可能性を考えて警戒している方が、ちょっとおかしいと思う。

 だから、クリフに非はないと思うんだけど……

「とにかくも、誰に責任があるとか、そういう話は後にしよう。今は、アイシャのことを考えないと」
「そうですね。このままだと、アイシャは奴隷として売られてしまいます。それだけは、防がないといけません」
「うん。それは絶対にダメだよ……そんなこと、許せるわけがない!」

 自分の境遇と重ねているのかもしれない。
 だから、アイシャのことが気になる、放っておけない。

 クリフが顎に手をやり、考える仕草をとる。

「僕が言えるようなことじゃないが、のんびりはしていられないね。すぐに準備をして、それからドクトルの屋敷に突入した方がいいかもしれない」
「そんなことをして、大丈夫なのですか?」
「……よくはないね」

 クリフは苦い顔をするが、言葉は止めない。

「突入しても、すぐに制圧できるわけじゃない。ドクトルは証拠を処分、あるいは隠すだろうし……最悪、逃げられるね。そして、後で反撃される」
「そうなると、クリフ的にはまずいんじゃないの? ドクトルってヤツを叩きのめすのが目的なのに、まったく正反対の結果になっちゃうじゃない」
「そうだね。望ましくはない。だから、確実にドクトルを叩き潰せる時まで待ってほしい」
「それは、いつ?」
「オークションが開催される日だね。現場を抑えることができれば、これ以上ないほどの証拠になる。それ以前に叩いたとしても、証拠不十分だったりトカゲのしっぽ切りで、ドクトルの完全失脚までは狙えない。また力をつけて、再びアイシャを狙うかもしれない」
「……」

 クリフの言うことは正論なのだけど……

「でも、その間にアイシャは酷い目に遭うかもしれない」
「……」
「別のルートで売られないとも限らない。そのことを考えると、時間はあげられないよ。今すぐに助けに行く」

 それが僕の結論だ。
 ドクトルが再び狙ってきたとしても、今度は、僕達が守る。

「いや、待ってくれないかな? アイシャの安全については問題ない」
「それは、どういう?」
「密偵からの報告で、アイシャは奴隷とは思えない好待遇を受けているみたいなんだ。なにかしら暴力を受けている、という報告もない」
「それは……」
「どういう……?」
「普通、奴隷にそんなことしないわよね?」

 みんなで首を傾げる。

「正直なところ、僕もよくわからないんだよね。アイシャは、てっきり、高値がつく獣人族だから狙われているんだと思っていたんだけど……もしかしたら、それだけじゃないのかもしれない。ドクトルは、彼女を奴隷として売るためじゃなくて、別の目的で探していたのかもしれない」
「その理由は?」
「それはわからないかな。ただ、ドクトルはアイシャに危害を加えるつもりはないよ。売り飛ばすこともないと思う。その点については、今度こそ絶対の絶対だね」
「……」

 どう思う? とソフィアを見る。

 考えるような間の後、信じてみてもいいのでは? という感じで頷いた。

「……うん、わかったよ。クリフを信じる」
「ありがとう」
「ただ、アイシャに関する情報は毎日提供して。それで、少しでも彼女に危害が及びそうなら、その時は、即座に動くから」
「わかった、それで構わないよ。元々、無理を言っているのはこちらだからね。その時は、僕も全力で支援すると約束しよう」



――――――――――



 作戦会議を終えた後……
 クリフは下準備をするため、別のところへ。

 僕達はドクトルの屋敷へ戻った。
 そして、彼の執務室を訪ねる。

「戻りました」
「あぁ、キミ達ですか」

 僕達の姿を確認したドクトルは、一瞬、鋭い目になる。

 ファルツからアイシャを確保したと連絡を受けているのだろう。
 僕達の説明と若干、食い違う点が気になり、怪しんでいるのだと思う。

 なので、決定的に怪しまれる前に手を打つ。

「アイシャのことで、少し報告しておきたいことがあるんですが……」
「うん? どういうことですか?」
「どうも、僕達が想定していたよりも早く街についてきたみたいで。迷子になり、冒険者ギルドを訪ねたみたいですが、その後の行動がわからず……」
「ふむ、なるほど……そういうことなら、心配はいりませんよ。私の友人が、さきほど、アイシャを見つけてくれたので」
「そうなんですか? それならよかった」
「どちらにしても、お二人がいなければアイシャを迎えることはできませんでした。深く感謝します」

 ドクトルは笑顔でそう言う。

 僕達に小さな疑いは抱いたけど、でも、それはまだ決定的なものじゃない。
 どうとでもごまかせる範囲……そう感じた。

 これなら、まだなんとかなるかもしれないな。

「なら、依頼完了ということで。次の仕事はありますか?」

 ここで、オークション関係の仕事を頼まれるのがベスト。
 別の仕事なら、適当にこなすフリをしつつ、オークションの情報を探る。
 仕事がないなら、やはり情報を探る。

「そうですね……実は、数日後に少し大きな仕事が控えていまして。ただ、私が掴んだ情報によると、その仕事を邪魔しようとする不届きな輩がいるらしいのです」

 その不届きな輩というのは、クリフのことだ。
 クリフが動いていますよ、とあえて情報を流してもらい、ドクトルの警戒心を煽る。
 そして……

「なので、仕事を手伝っていただけませんか? 主に警備ですね」

 僕達に仕事が回ってくるようにする。
 それが目的だ。

 クリフは、Sランク以上の力を持つ。
 そんな敵を作るとしたら、きっと、ソフィアを頼りにするだろうと踏んでのことだ。

「わかりました」
「私達でよければ」

 今のところ、作戦は順調だ。

 アイシャ……すぐに助けるから、待ってて。
 会場の警備を任されたものの、ドクトルも僕達を完全に信用はしていないだろう。

 クリフと協力していると、疑っているとは思わないのだけど……
 ただ、自分の暗部を見せていい者かどうか、測りかねているところはあると思う。
 会場の警備を、と言われたものの、周辺を担当することになるかもしれない。
 それは問題だ。

 なので、警備を任されるまでの間、クリフの手のものを撃退するなどの成果を示してみせた。
 これにより、僕達はクリフじゃなくてあなたに味方するよ? というアピールをすることができて、信頼もゲット。
 無事、オークション会場の内部の警備を任されることに。

 何度も何度も打ち合わせを重ねて……
 当日のドクトルの動きも、可能な限りシミュレートして……

 これ以上の作戦はない、という完璧な準備ができたところで、オークション当日が訪れた。



――――――――――



 オークション会場は、郊外にある寂れた屋敷だ。

 一見するとお化け屋敷のように見えるのだけど、それは外観だけ。
 中はきちんと整備されていて、綺麗、なおかつ豪華だ。

 それだけじゃなくて、要塞のような堅牢な作りになっている。
 いざという時に備えて、このような作りにしたのだろう。

 僕とソフィアはホールの担当だ。
 来場者を全員把握することができるし、いつでもどこへでも駆けつけやすいから、とても助かる配置だ。

「やあ」

 ドクトルが現れた。
 ファルツも一緒だ。

 ただ、護衛が見当たらない。
 ここは絶対安心、ということなのかな?

「調子はどうですか?」
「はい、問題ありません」
「なにかしら問題が起きても、私とフェイトですぐに解決いたしましょう」
「そうですか、そうですか。とても頼もしい。前にも言いましたが、今日はとても大事な取り引きがあるため、しっかりと頼みますよ」
「「はい」」

 ドクトルは機嫌よさそうに笑い、

「……ふん」

 ファルツは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 ドクトルからの信頼は、ある程度、得ることができたみたいだけど、ファルツはそうでもないみたいだ。
 ファルツも重要なターゲットなのだけど、優先順位はドクトルの方が上。

 今になって急に信頼を得ることはできないし、放置しておくしかないんだけど……うーん?
 ちょっとイヤな感じがするな。
 この予感、外れてくれるといいんだけど……

「フェイト」

 二人が去った後で、ソフィアがそっと声をかけてきた。

「もう一度、今日の手順を確認しておきましょう」
「うん、そうだね」

 まずは、すでに内部に潜入している僕達が動く。
 見回りと称して屋敷内を探索。
 事前に屋敷の設計図を入手してチェックしておいたので、オークションの会場となる場所は大体の予想がついている。
 そして、オークションの現場を確認したところで、魔道具を使い、クリフに合図を送る。

 合図と共に、クリフを始めとする冒険者達が屋敷へ突入。
 もちろん、誰一人逃さないように万全の包囲網を敷く。

 僕とソフィアの第一目標は、アイシャの救出。
 そして余裕があれば、ドクトルとファルツの確保。

「……とまあ、こんなところだよね?」
「はい、そうですね。補足するなら、第三の目的として、隠し通路などがないかの調査。あるとしたら、それを潰しておくことでしょうか」
「あ、そっか。それもあったね」
「ですが、さすがにそこまでの余裕はないと思うので……私達は、アイシャの救出に専念しましょう。ドクトルとファルツは、クリフがなんとかすると言っていますし」
「そう、だね……」
「どうかしましたか?」
「うーん、なんて言えばいいのか……ちょっとイヤな予感がして」
「イヤな予感ですか……」
「ごめんね、根拠のない話で」
「いえ、問題ありません。フェイトがそう言うのなら、私も、最大限に警戒することにします。なにしろ、世界で一番大事で、一番信頼できる人の言葉ですからね」
「ありがとう、ソフィア」
「……あのさー」

 僕の頭の上に乗るリコリスが、呆れたような感じで言う。

「あたしのこと忘れて、イチャつかないでくれる? っていうか、あんたら、イチャつかないと生きていけないの? とある魚なの? あたし、砂糖を食べさせられているみたいで、胸焼けしてきたんだけど」
「「ごめんなさい」」

 リコリスに陳謝する僕とソフィアだった。

 その後……

 一時間ほど経過したところで、屋敷内の巡回と称して探索を始めた。
 これは事前に話をしているため、怪しまれることはない。

 一階、二階、三階を見て回るものの、オークション会場はない。
 となると、地下室だろうか?
 事前に入手した設計図で、この屋敷に広い地下室があることは確認済みだ。

「オッケー。今はあんた達が巡回してるってことで、途中に見張りはいないわ」

 先行偵察をしてくれたリコリスから、そんな報告を受け取る。

「ただ、ちょっとでかい扉があって、その先は確認できなかったから、そこはどうなってるかわからないわ」
「とりあえず、行ってみるしかないね」
「設計図も、この屋敷が建てられた当時のものなので、改築などされているかもしれませんし……見落としがないよう、注意していきましょう」

 こうして、僕達は地下へ。

 地下は暗く狭くおどろどろしい……なんていうことはなくで、地上階と同じように綺麗で清潔だ。
 しかも広い。
 さらに言うと、多方面に通路が伸びている。

 設計図にこんな情報は載っていない。
 改築されていることは確定かな。

「ここがその扉か……」

 五分ほど歩いたところで、リコリスが言う扉に行き着いた。
 鍵は……かかっていない。
 見張りもいない。

 大丈夫かな?

 警戒はしつつ、扉を開ける。
 そこで見たものは……

「さあ、おまたせいたしました。続いての商品は、金髪碧眼の美女です! 見ての通り、スタイルは抜群。夜の相手をさせるのならば、文句はないでしょう。それだけではなくて、コレは、ある程度の戦闘能力も有しています。性奴隷だけではなくて、戦闘奴隷としても使用できるという優れもの。さあさあ、いかがでしょう? まずは、一万からスタートです!!!」

 おぞましいほどの欲望が行き交うオークションの現場だった。
 広い部屋の奥に壇が設けられていて、そこに明かりが集中していた。

 照らされているのは、ボロ布だけを着せられた女性や幼い子供達。
 首輪と手枷、足枷をつけられた状態で並ばされている。

 その手前に、椅子に座り、ニヤニヤと笑う人達が。
 いずれも宝石などを身に着けていて、自分はお金をたくさん持っているぞ、とアピールしているかのようだ。

「二万!」
「二万五千!」
「いや、私は五万だ!」

 ここがオークション会場で間違いないだろう。
 歪な熱気に包まれていて、欲望が渦巻いていて……
 吐き気を催すほどにおぞましい、と感じる。

 壇上にいる人は、僕達と同じ人間なのに……
 それなのに、物のように扱い、踏みにじろうとする。
 かつての自分の境遇を思い出して、胸の奥から熱いなにかがこみ上げてくる。

「っ……!!!」

 奴隷らしき女性の人は、声を出すことなく静かに泣いていた。
 子供達は怯えて、涙目になっていた。

 それを見た時、僕の中でなにかがキレた。

「……ソフィア、リコリス」
「はい」
「クリフへの連絡は?」
「もうしておきました」
「確か、準備があるから、突入まで三十分くらいかかるのよね?}
「そうですね、そう聞いています」

 事前の打ち合わせでは……
 クリフ達の突入に合わせて、僕達も内部から攻撃を開始。
 アイシャや他の人達の安全を確保しつつ、ドクトルやファルツの確保、という流れだった。

 そういう計画になっていたのだけど……

「……ごめん。僕は、三十分も我慢できないかも」

 こんな光景を見せつけられて、じっと耐えることなんてできない。
 一分でも一秒でも早く、あの人達を助けたい。
 自由にしなければならない。

 そんな使命感と……
 こんなものを企画するドクトル達と、参加する客達に対する怒りと……

 色々な『熱』がこみ上げてきて、心を強く突き動かす。

 雪水晶の剣の柄に手をかける。

「僕は、今すぐにあの人達を助けるよ」
「それでいいの?」

 リコリスが厳しい顔をして問いかけてきた。

「計画を乱すようなことをしたら、ドクトルに逃げられちゃうかもしれないわよ? そうしたら、また同じことが別の場所で起きるかもしれない。それなのに、いいの?」
「……リコリスの言うことは正しいよ」

 考えて考えて考えて……
 それから、答えを出す。

 僕の答えは、やはり変わらない。

「でも、女性が泣いているんだ。子供が泣いているんだ。それを見過ごすことはできない。大義のためだから、もう少し苦しい思いをしてほしい、我慢してほしいなんて、そんなこと言えるわけがないよ」
「……ふふんっ」

 その答えを待っていたと言うかのように、リコリスがニヤリと笑う。

「良い返事ね。そういうの、あたしは嫌いじゃないわ」
「それじゃあ……」
「あたしはフェイトに賛成。協力してあげる。人間のことは、まあ、どうでもいいんだけど……この光景は、さすがのあたしもムカつくわ」
「ソフィアは……」
「私の答えなんて、最初から決まっていますよ」

 ソフィアも剣の柄に手を伸ばした。

「私は、フェイトが望むことに力を貸して、全部を叶えます。それが、私がやりたいことですから。使命と言ってもいいですね。それに……」

 ソフィアの目尻が吊り上がり、殺気をまとう。

「このような非人道的な行為、断じて見逃すことはできません。即座に叩き潰さないといけません。全員、叩き切りたいです」
「お、落ち着きなさいよ? 許せないのはあたしも同じだけど、皆殺しはさすがに……」

 ソフィアが放つ殺気に、リコリスがちょっと引いていた。

「冗談です。証言なども必要でしょうから、殺しはしません」
「ほ……」
「半年、入院コースですね」
「それはそれで、どうなのかしら……?」

 バイオレンスな幼馴染だった。

 まあ、気持ちはわかるというか、同じなのでなにも言わない。
 止めることもしない。
 むしろ、やっちゃえ、という気持ちだ。

「リコリスは僕と一緒に。あの人達を助けた後、保護することはできる?」
「んー……たぶん、平気よ。あたしは、なんでもできる万能ミラクルアイドルリコリスちゃんだもの。結界を張ることもできるわ。ただ、フェイトやソフィアみたいなのが出てきたら、さすがに持ちこたえられないけど」
「そちらは、私に任せてください。警護や用心棒など、全て斬ります」
「……さっきも言ったけど、手加減はしなさいよ?」
「気が向けば」

 ソフィアの機嫌が少しでも良くなることを祈ろう。

「まずは、すぐにこの場を制圧。それから、アイシャの救出。余裕があれば、ドクトルとファルツの確保。それでいいかな?」
「はい」
「いいわ」
「よし、それじゃあ……」

 アイコンタクトを交わす。
 それから、心の中でカウントダウンスタート。

 3……
 2……
 1……

「今っ!」

 合図を口にしつつ、僕は間の通路を一気に駆け抜けて、壇上に乱入した。
「おや? あなたは……」

 司会者が僕に気づいて、不思議そうな顔に。
 たぶん、ドクトルから話は聞いているのだろう。
 味方だと思っているらしく、不思議そうにしてはいるものの、慌ててはいない。

 好都合。
 隙だらけなので、遠慮なくやらせてもらうよ。

「ぐぁ!? な、なにが……」

 足を斬りつけて、ついでに腕も斬る。
 切断したわけじゃないから、ひどい出血じゃないし、死ぬことはないだろう。

 でも、すぐに動くことはできないはずだ。

「あ……うわあああああっ!?」
「きゃあああっ、な、なに!? なにが起きているの!?」

 突然の事件に、客達が騒ぎ始めた。
 中には、判断が早い者もいて、出口に向かい逃げ出そうとしている。

 しかし、無駄。
 一人も逃さないように、出口はリコリスの魔法で施錠しておいた。
 なにも能力を持たない一般人なら、逃げることは不可能だ。

 今のうちに、やるべきことをやる。

「あ、あなたは……」
「助けに来ました。じっとしててください」

 捕まっていた人達も驚いて、怯えていた。
 敵じゃないことを証明するために、なるべく優しい声でそう語りかけて、それぞれを縛る枷を切り落としていく。

 奴隷の首輪だとしたら、僕じゃあ切ることはできないんだけど……
 まだ奴隷として売られる前なので、契約は完了していない。
 彼女達を縛るものは普通の鉄製のものなので、順次、切断して自由にしていく。

「あ……ほ、本当に、私達を助けてくれるんですか……?」
「わたし、おうちに帰れるの……?」
「はい。もう大丈夫です」
「あ、あああぁ……! ありがとうございますっ、ありがとうございますっ」

 女性は涙を流して喜び、子供達もつられて泣き出してしまう。
 それだけ怯え、苦しみ、傷ついていたのだろう。

 改めて、こんなことを企むドクトルとファルツに強い怒りを覚える。

「リコリス、この人達を」
「りょーかい、任せておきなさい!」

 リコリスはふわりと飛び上がると、ぶつぶつとなにかつぶやいた。

 すると、捕まっていた人達を包み込むかのように、光のカーテンが現れる。
 これが結界なのだろう。
 軽く触れてみると、強い抵抗力を感じた。
 水の中にいるかのように、思うように手を進めることができない。
 しまいにはぴたりと止まり、それ以上は進めなくなる。

「この結界、すごいね。前に進むことができないよ」
「ふふーん、でしょ? そうでしょ? すごいでしょ? まっ、天才美少女キューティービューティー妖精リコリスちゃんの特製結界だもの。そんじょそこらのヤツじゃ突破することはできないわ」

 これなら安心だ。
 次は、アイシャだけど……

「てめえ、裏切るつもりか!?」
「台無しにしやがって……ぶっ殺す!」

 激怒するドクトルの私兵達が現れた。
 それぞれに武器を持ち、突撃してくるのだけど……

「私を忘れないでくださいね?」

 一陣の風が吹いた。

「ぎゃあああ!?」
「ぐあ!?」
「げはぁっ!?」

 ソフィアが一瞬で三人を迎撃して、地に叩き伏せた。
 うめき声をこぼしているところを見ると、一応、手加減はしたみたいだ。

 ただ、手足が変な方向に曲がっていて……
 たぶん、荒事に関わることは二度とできないだろうな。

「さあ、私が相手をしてあげます。どこからでも、いつでもかかってきなさい。ただし……」

 ソフィアは剣を構える。
 そして、鋭く睨みつけた。

「今の私はだいぶ不機嫌なので、相応の怪我を覚悟してくださいね?」

 凍てつくような殺気に、私兵達は顔を青ざめさせた。

 あの様子なら問題はないかな?
 やりすぎてしまわないか、という心配はあるのだけど……
 まあ、そうなったら、それはそれでいいか。
 こんな連中に同情する要素はゼロだ。

「じゃあ、あとはお願い。僕は、アイシャを探しに行くよ」
「はい、ここは任せてください」
「しっかりやりなさいよ」

 二人のエールを受けて、力を分けてもらったような気分だ。
 今ならなんでもできそう。

「くっ……こ、このようなことをして、タダで済むと思っているのですか……!?」

 司会者が体を起こして、こちらを睨みつけてきた。
 しぶとい。

 いっそのこと、バッサリと……
 なんて乱暴な考えが浮かんでしまうものの、それは我慢。
 無抵抗の相手をというのは、さすがにやったらダメだ。

「ドクトルさまに逆らうなんて愚かなことを……! 断言しましょう、あなた達は、アリのように踏み潰されるでしょう!」
「……タダで済むと思うのか、っていう台詞だけど、それは僕の台詞だよ」

 放っておけばいいのだけど、でも、そこだけは見逃すことができず、睨みつける。

「たくさんの人にひどいことをして、アイシャにもひどいことをして……そうやって好き勝手して、タダで済むと思わないでくれるかな? 絶対に、落とし前はつけさせる!」
「っ……!?」

 司会者がビクリと震えて、押し黙る。

「はー……フェイトってば、怒ると怖いのね」

 なにやらリコリスのそんな台詞が聞こえてきたけど、気にしないことにする。

 それよりも、今はアイシャだ。
 早く助けて、安心させてあげないと!
「はぁっ!」

 こちらに向かう私兵を薙ぎ払う。

 剣を棍棒のように使うという荒業。
 一応、ここにいる全員は捕まえて、きちんとした裁きを受けさせなければならない。
 なので、できる限りは命はとらないようにしていた。

 身体能力はともかく、僕の剣の技術はまだまだ拙い。
 そんな僕が、大勢を相手に手加減をできるというのはリコリスのおかげだ。

「フェイト、次、五秒後に部屋から出てくるわ!」
「了解!」

 妖精だけが使える魔法で、リコリスは、いつどのタイミングで敵がやってくるかわかるらしい。
 いわば、ナビだ。

 そのおかげで、奇襲を受けることはないし、逆に奇襲をしかけることができる。
 本当に頼もしい。

 敵を打ち倒して。
 障害を排除して。
 ぐんぐんと突き進む。

 そして……

「ここ……かな?」

 地下の最奥の部屋。
 そこに、一際厳重な扉が見えた。
 一部、扉に窓がついていて、中の様子を確認できるようになっている。

 そこから中を覗いてみると……

「アイシャ!」
「……ふぇ?」

 ベッドで膝を抱えるアイシャの姿が見えた。

 窓一つない部屋。
 ただ、ひどい扱いは受けていないみたいで、傷はないように見える。

「ふぇい……と?」

 アイシャは信じられないものを見るような顔に。

 たぶん、僕に見捨てられたと思っているのだろう。
 そして、今更なんでここに? と疑問を抱いているのだろう。

 胸がズキリと痛む。
 幼い彼女の信頼を裏切るようなことをしてしまうなんて……

 もう二度と、そんなことはしない。
 誰にも踏みにじらせない。
 固く誓った。

「アイシャ、危ないから扉から離れて」
「え……?」
「大丈夫、怖いことはなにもないから」
「えと……う、うん」

 アイシャは戸惑った様子を見せつつも、部屋の奥に移動してくれた。

 よし。
 これで、遠慮なくおもいきりやれる。

「神王竜剣術・壱之太刀……破山っ!!!」

 何者も寄せつけないような頑丈な扉だけど……
 ソフィアが教えてくれた剣術に敵うことはなくて、一気に吹き飛んだ。

 ゴォッ! という轟音。
 埃が舞い上がる。

「アイシャ、おまたせ」
「おま……たせ?」

 部屋に入り、奥にいるアイシャの前へ移動する。
 やはり、彼女は不思議そうにしていた。

「なんの、こと……?」
「ごめんね、こんなことになって。信じてもらえないかもしれないけど、僕達はアイシャを見捨てたわけじゃなくて……いや、これは言い訳だね。とにかく、ごめん。怖い思いをしたよね?」
「ふぇ……」
「でも、今度こそ大丈夫だから」

 アイシャの小さな手をそっと握る。

「もう、絶対に離さないから」
「……」

 アイシャのつぶらな瞳が僕に向いた。
 次いで、繋いだ手を見る。

「……一緒に、いてくれる?」

 恐る恐るという感じで、小さな声で問いかけてきた。

「わたし、一人ぼっちで……イヤ、だから……一緒にいてほしいの」
「もちろん」
「……っ……」
「今度こそ約束するよ。一緒にいるから。絶対にこの手を離さないよ」
「ホント……?」
「本当」

 じっと見つめられる。
 僕の言葉の真偽を確かめようとしているかのようだ。

 じーっと見つめて……
 それから、おもむろに顔を近づけてきた。
 すんすんと匂いを嗅ぐ。

「アイシャ……?」
「本当の匂い……それに、落ち着くの」

 アイシャは元の位置に戻ると、

「……でも、やっぱりわたしは」

 アイシャは、

「幸せになったらいけないの……」

 今にも泣き出しそうな顔をしつつ、そんなことを言うのだった。
・アイシャ視点

 私は、特になんてことのない獣人族の娘。
 大好きなお父さんとお母さんと一緒に、穏やかな時間を過ごしていた。

 お父さんのゴツゴツした手が好き。
 大きくて力強くて、頭を撫でてもらうと、とても落ち着くことができる。

 お母さんの細い手が好き。
 白くて綺麗で、その手で作る料理はとてもおいしい。
 何度もおかわりをして、お腹いっぱいになっちゃうことは何度もあった。

 朝は、お父さんとお母さんと一緒にごはんを食べる。
 今日はこんなことがしたいな、っていう私のわがままを、お父さんとお母さんは笑顔で受け止めてくれる。

 ごはんを食べた後は、お父さんはお仕事に。
 お母さんは家のお仕事をする。

 私はお母さんのお手伝いだ。
 最近、洗濯物をたたむのが上手ね、って褒められた。
 えへん。

 お昼ごはんを食べた後は、お母さんと一緒の時間。
 最近のお気に入りは、お母さんに膝枕をしてもらうこと。
 温かくて気持ちよくて、毎日してもらっている。

 夜は、お母さんと一緒にお父さんのお迎え。
 お仕事おつかれさま、って言うと、お父さんはうれしそうに笑う。

 朝と同じようにみんなでごはんを食べて、色々なお話をして……
 そして、夜は一緒に寝る。

 そんな普通の日々。
 でも、私にとっては、なによりも大切な時間。

 私は幸せだった。

 でも……

 ある日、幸せは崩れた。

 私達の里が襲われたのだ。
 相手はわからない。
 人間がいて……
 でも、それだけじゃなくて魔物もいた。

 人間と魔物が一緒になって、私達の里を襲ってきた。

 村は炎に包まれた。
 あちらこちらから悲鳴が聞こえてきて……
 私は、この世の終わりがやってきたんだ、って思った。

 私はお父さんとお母さんに連れられて逃げた。
 獣人族だから走るのは得意。
 お父さんとお母さんと一緒に、必死に走った。

 走って……
 走って……
 走って……

 でも、なにか怖いものが後ろから近づいてきた。
 なんとか逃げようとするんだけど、でも、逃げられなくて、引き離すことができなくて……
 少しずつ距離が近づいて、追いつかれそうになっていた。

 お父さんとお母さんは……足を止めた。

 先に逃げろ。
 そう言って、お父さんとお母さんは、逃げてきた道を戻った。

 一人で逃げるなんていやだ。
 そんなことできない。

 できないのに……
 そんなことをしたらいけないのに……

 私は逃げた。
 怖くて、怖くて、怖くて……
 寒気にも似た感情に突き動かされるまま、無我夢中で走り続けた。

 お父さんを置いて。
 お母さんを置いて。
 私は……一人で逃げた。

 だから、罰が当たったんだと思う。
 里を襲った怖いものから逃げることはできたけど……
 でも、それだけ。

 幸運……って言っていいのかわからないけど、それはおしまい。
 行く宛のない私は、フラフラと森の中をさまよい……
 そして、盗賊に捕まった。

 これは罰だ。
 お父さんとお母さんを見捨てた、罪深い私に対する罰。

 私は一人。
 ずっと一人。
 幸せになれないし、なったらいけない……

 ずっと。
「アイシャ?」
「……」

 アイシャはうつむいてしまい、こちらの手を取ろうとしない。
 怖かったはずなのに。
 寂しかったはずなのに。

 それなのに、なぜか我慢をしていて……
 震えながらも、一人で耐えようとしてしまう。

「わたしは……悪い子だから。こんなわたし……助ける価値なんて、ないの……」

 アイシャは、どんな想いでその台詞を口にしたのか?
 どんな背景があって、そんな台詞を口にするに至ったのか?

 彼女の気持ちがわかるなんてこと、簡単には言えない。
 わからない。
 わからないのだけど……

 それでも。
 確かに言えることが一つ、ある。

「大丈夫だよ」
「あ……」

 アイシャをそっと抱きしめた。

 幸せになったらいけない、とか。
 助ける価値がない、とか。

 そんなことはないんだよ、と伝えるように抱きしめる。
 頭を撫でる。

「僕は、そんな風に思わないから」
「でも、わたし……」
「アイシャがなにを考えているのか、わからないよ。でも、それが絶対、っていうことはないと思うんだ。勘違いしているかもしれないし、思い込んでいるだけかもしれない。だって……そうじゃないと、寂しすぎるよ」
「で、でも……」

 アイシャは、まだ迷いを振り切れないらしく、僕から離れてしまう。
 それも仕方ないと思う。
 この子は、僕が思っている以上に、重いなにかを抱えているんだと思う。

 僕にできることは、一緒に背負うか……
 支えて、楽にしてあげること。

「すぐに気持ちを切り替えるなんて、そんな無茶は言わないよ。ただ、覚えておいてほしいんだ」
「なに……を?」
「僕がいるよ」
「……あ……」
「僕だけじゃなくて、ソフィアもいる。リコリスもいる。アイシャが辛い時、悲しい時、隣に寄り添い、支えるよ。それくらいのことはできるし、させてほしい」
「……うぅ……」
「だから、おいで?」

 手を差し出した。

 アイシャは僕の手を見て……それから、自分の手を見る。
 迷っているみたいだ。

 でも、拒絶から迷いまで進むことができたのだから、あと一歩かもしれない。
 その一歩を、無理矢理に誘うことはできない。
 こればかりは、アイシャが決めるしかない。

 そうでないと、きっと、どこかで心にしこりが残る。
 やがて、それは大きくなり、後々の問題に発展すると思う。

 だから……

 アイシャ、僕の手を取って。
 心の中で強く祈り、願う。

「……っ!」

 五分ほどの迷いの後、アイシャは、そっと手を伸ばしてきた。
 恐る恐るという感じで、すごくゆっくりだ。
 でも、急かすようなことはしない。
 心の中で応援しつつ、彼女の勇気を見守る。

 そして……

 そっと、アイシャの手が僕の手に触れた。
 迎え入れるように、小さな手を優しく握る。

「がんばったね」
「……よく、わからないの。でも……」

 アイシャは、泣いているような笑っているような、そんな顔で僕を見る。

「フェイトの手……温かいね」

将来結婚しようね、と約束した幼馴染が剣聖になって帰ってきた~奴隷だった少年は覚醒し最強へ至る~

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