「げっ、なんであんなヤツがここに!?」

 とにかくも魔物から距離を取っていると、リコリスが盛大に顔を引きつらせた。

「知っているの? 僕は知らない魔物なんだけど……」
「ラフレシアの上位個体で、SSランクのゼフィランサスよ。全てにおいてラフレシア以上の力を持っているわ。いわゆる、希少種っていうヤツね」
「なるほど」

 ラフレシアに似ているものの……
 巨大な花から人型の体が生えている。
 目はないが、鼻と口がある。
 キィイイイとガラスが擦れるような鳴き声を発していて……
 髪の代わりに無数の蔦が生えていて、不気味にうごめいている。

 これが希少種。
 SSランクの魔物、ゼフィランサスか……

 圧がすごい。
 ソフィアほどじゃないけど、彼女に近い闘気を感じる。
 それだけの相手ということか。

「やばいって、マジでやばい……なんで、こんな災害みたいなヤツを相手にしないといけないわけ? ラフレシアじゃなかったの?」
「そんなにやばいの?」
「当たり前じゃない! Sランクが単体で街を滅ぼすのなら、SSランクは単体で小さな国を滅ぼす、って言われているの。それだけの戦闘力を持っているのよ!?」
「つまり……正真正銘の怪物、っていうなんだ」
「正直に言っていい?」
「なに?」
「勝ち目はゼロパーセントよ」
「……」
「あたし達はここで終わり。象にアリは立ち向かうことはできないの」
「……それでも」

 なにもしないで諦めたくない。

「正直、こんなヤツを相手にするなんて、思っていなかったんだけど……でも、やれるだけはやってみるよ」
「ちょっと、無茶言うんじゃないわよ。相手は、SSランクなのよ? 小さな国なら、たったの一体で滅ぼしてしまう力を持っていて、討伐には数百人単位の冒険者が必要、って言われているような相手よ? 敵うわけないじゃない!」
「でも、逃げられないんでしょ?」
「それは……」
「なら、あがくだけあがいておきたいな。倒すまではいかなくても、粘れば、ソフィアが駆けつけてくれるかもしれない」
「あ……そ、それもそうね。あの剣聖なら、ゼフィランサスも敵じゃないかも……よし! フェイト、がんばって時間を稼ぎなさい!」
「途端に元気になったね」
「カラ元気よ。ほんとは、めっちゃ怖いんですけど」

 リコリスは小さく震えていた。

「フェイトがやられたら、あたしもやられちゃうんだからね。がんばりなさいよ」
「大丈夫。リコリスが逃げるまでは、やられないでみせるから」
「……ちょっと、なによ。あんた、あたしを逃がすために犠牲になるつもり?」
「うーん……できれば、そんなことはしたくないんだけど」

 でも、相手はSSランク。
 僕にとって未知の領域だ。

 この前、フェンリルを倒すことができたけど……
 だけど、ゼフィランサスはさらにその上のランク。
 ランクが一つ上がるだけで、かなりのレベル差がある。

 勝つのは、たぶん難しい。
 時間を稼ぐつもりだけど、長く保つかどうか。
 それならば、今のうちにリコリスには安全なところに……

「バカにするんじゃないわよ」
「いててっ」

 頬をおもいきりつねられた。

 リコリスは小さいから、あまり力はないのだけど……
 ぐりぐりと回転するようにつねっていて、けっこう痛い。

「あたしは、フェイトの仲間。仲間を見捨てるようなことはしないわ」
「……リコリス……」
「想定外の格上が相手だろうと、死ぬかもしれなくても、一緒にいてあげる。っていうか、あたしのサポートがないと厳しいでしょ」
「それは、まあ……でも、いいの?」
「二度言わせるんじゃないわよ」
「……うん、ありがとう」

 この小さな友達は、なにがあっても絶対に守ろう。
 そう決意して、雪水晶の剣の柄を強く握りしめる。

「よし、いこうか!」



――――――――――



「フェイト、大丈夫でしょうか……?」

 迎撃準備を整える中、ソフィアは彼方の空を見た。

 フェイトは今、女王の元へ向かっている。
 彼は規格外の力を持っているため、ラフレシアが相手なら心配する必要はないのだけど……
 それでも、ソフィアは心配になってしまう。

 怪我をしていないだろうか?
 毒を受けていないだろうか?

 問題ないとわかっていても、それでも心配をしてしまう。
 それが乙女心というものだ。

「危なくなった時は、すぐに撤退するようにと言っておきましたが……フェイトのことだから、無理をするかもしれませんね」

 気になる。
 心配だ。

 とはいえ、すでに行動を開始した以上、どうすることもできない。
 今はフェイトを信じて、自分の役割をしっかりと果たすこと。
 それもまた、良い女というものだ。

「やあやあ、調子はどうだい?」

 クリフが声をかけてきた。
 決戦の前だというのに、いつもと調子が変わらない。

 ギルドマスターともなれば、常に心に余裕を持っているのだろうか?
 あるいは、ただ単に能天気なだけで、大したことはないのか?

 ソフィアは、ひとまず後者だと考えることにした。
 前任者のせいで、基本的に、彼女はギルドマスターを……ギルドというものを信じていない。

「なにも問題はありませんよ。万全の状態で、魔物を迎え撃つことができます」
「なるほど。さすが、その歳で剣聖の域に達するだけのことはあるね。頼もしいよ」
「ギルドが頼りになりませんからね。自然と、力を身につけることになりましたから」
「あー……それについては、ホントに申しわけない。僕もなんとかしたいと思っているんだけど、こう、なかなかうまくいかなくてねぇ。やっぱり、急な改革はどこかで歪みを生むのだけど、でも、時に大胆な改革も……って、ごめんごめん。よくわからない話になったね」
「はぁ……」

 よくわからない男ではあるが、もしかしたら、悪人ではないのかもしれない。
 ソフィアはそう判断して、少しだけ警戒度を下げた。

「それで、なんの用ですか? ただ単に、様子を見に来ただけではないのでしょう?」
「鋭いね。実は、頼みたいことがあるんだ。他の冒険者達を激励してくれないかな?」
「激励ですか?」
「ベテラン勢がちょっと少なくてね。スタンピードを経験したことのない者が大半なんだ。残念ながら、腰が引けている者が多い。そんな彼らに……」
「剣聖である私が激を入れてほしい、と?」
「そういうこと。頼めるかな?」
「はぁ……仕方ありませんね」

 見世物扱いは勘弁ではあるが、しかし、上に立つ者がやるべきことをソフィアは理解している。
 時に導いて、先頭に立たなければいけない。

 ぶっちゃけてしまうと、ソフィアはフェイト以外のことはどうでもいいが……
 それでも、同じ冒険者である仲間を見捨てるほど冷たくはない。

「みなさん、聞いてください」

 ソフィアは集まった冒険者達の前に移動して、呼びかける。
 特に大きな声ではないのだけど、凛として透き通るような音色に、誰もが話を止めて彼女の方を見た。

「これから私達は、数え切れないほどの魔物を相手にします。その数は、おおよそ五千。ここに集まった冒険者、憲兵は全部で二百人ほどですから、一人で二十五匹の魔物を斬る計算になりますね」
「……」

 静かに言うソフィアではあるが、その絶望的な数字に、冒険者、憲兵達は顔を曇らせた。
 たった一人で二十五の魔物を斬るなんてこと、普通はできない。
 ベテランであったとしても、数の暴力に対抗することは難しい。
 それに疲労も蓄積するだろうし、魔物の血で剣の切れ味も鈍る。

 これから立ち向かわなくてはいけない絶望的な状況を思い知らされて、誰もが言葉をなくす。

 しかし、それに構うことなく、ソフィアは話を続ける。

「こう思いませんか? なんて、簡単な仕事なのだろう……と」
「なっ……」

 それは暴論だ。
 剣聖であるソフィアならば、確かに簡単な仕事だろう。
 しかし、自分を平均に語られても困る。

 他者をまったく顧みていない発言に、冒険者や憲兵は反発を募らせるが……
 ソフィアの次の言葉で、それは一瞬で消える。

「私達が二十五匹の魔物を斬るだけで、大事な人を守ることができるのです」
「あ……」
「家族。あるいは、仲間。あるいは、友達。あるいは、恋人。この街に住む人……家、動物、自然……それらを守ることができるのです」
「……」
「たった二十五匹の魔物を斬るだけ。それだけでいいのです。実に簡単なことだと思いませんか?」

 ソフィアは皆の前で剣を抜いて、掲げてみせた。

「私の剣は、金も名声も地位も欲してしません。必要なのは、大事な人のみ。この手で、それを守りたいと思います。みなさんはどうですか? なんのために戦うのか、スタンピードという災害に立ち向かうのか、今一度、考えてみてください」
「……」
「そして、戦う理由を再認識したのならば、剣を取りましょう。この街を蹂躙しようとする魔物の群れに、私達がここにいるぞ、と教えてやりましょう。敵は暴力しか知らない獣。心を知る私達が負ける道理はありません。さあ……」

 強く、強く叫ぶ。

「私と一緒に、魔物を蹴散らしましょう!!!」
「「「おぉおおおおおおおぉっ!!!!!」」」

 冒険者と憲兵達の勇ましい声が響き渡る。
 戦意は最高潮に達して、誰一人、怯える者はいなくなった。

 そんな彼らを見て、ソフィアは安心した。
 これなら十の力を発揮することができて、思う存分に戦うことができるだろう。
 スタンピードを乗り越えることができる。

 ……この時は、そう思っていた。