レナの痛烈な一撃が決まる。
駆けて、駆けて、駆けて……
極限まで速度を上げてからの突撃。
速度が力を与えてくれて、ザンッ! とジャガーノートの尻尾を切り飛ばした。
「くゥッ……!?」
ダメージを受けるとは思っていなかったのだろう。
ジャガーノートは動揺して、動きを止めてしまう。
そこに矢と魔法の雨が降り注いだ。
僕とソフィアも剣撃を飛ばして遠距離攻撃を叩き込む。
「うっとうしイッ!!!」
ジャガーノートが怒りに吠えた。
尻尾が切り飛ばされた?
援軍が来た?
だからどうした。
そんなもので止まることはない。
憎しみが果てることはない。
最後の最期まで駆け抜けるだけだ。
そう体現するかのようにジャガーノートが暴れ回る。
己の体を武器として、破壊の嵐を吹き荒れさせる。
「ぎゃあ!?」
「うあああああ!!!」
騎士や冒険者達が巻き込まれ、悲鳴をあげて吹き飛んでしまう。
無数の家屋が破壊されて残骸が飛び散る。
まずい。
早く決着をつけないと被害は拡大する一方だ。
とはいえ、どうしたものか……
みんなのおかげで優勢になっているものの、決め手に欠けていた。
どうする?
どうすればいい?
「フェイト!」
「リコリス!?」
どこからともなくリコリスが飛んできて、僕の肩に止まる。
「どうしてここに!?」
「こんな状態になっているのに、あたしだけ逃げるなんてできるわけないでしょ。まったく、そこまで薄情なリコリスちゃんじゃないわよ?」
「でも……」
「でももなにもないの! スーパーミラクル美少女リコリスちゃんも力を貸してあげる。それと……」
リコリスの視線を追うと、スノウとアイシャがいた。
アイシャはスノウの背中に乗り、こちらにやってくる。
「おとーさん! おかーさん!」
「アイシャちゃん!? スノウ!?」
「危ないよ! すぐに逃げないと……」
「わたしも……がんばる! 戦う!」
「オンッ!」
二人の決意は固い。
絶対に退かない。
逃げずに戦う、という強くたくましい意思を感じた。
「貴様ァ……!」
アイシャとスノウを見て、ジャガーノートが怒りに吠える。
「ヤツの子である貴様も我を裏切るというのカ!? 我を否定するというのカ!?」
アイシャとスノウはジャガーノートの遠縁の親戚のようなものだ。
そんな二人でさえ、ジャガーノートの味方をすることはない。
敵になる。
その事実に心が蝕まれているらしく、ひどく動揺した様子だった。
怒りに吠えているものの……
でも、その瞳は悲しみと虚しさにあふれているかのようだった。
「誰も彼も我を認めズ……排除するというのカ! 世界が我を拒むのカ!?」
「拒むよ」
アイシャは静かに言う。
その姿はいつもの彼女と違うような……?
「誰もが手を取り合うことができる。でも、あなたはそれを拒否した。言葉を交わすことさえ拒否した。全てを拒絶しているから……せめて、心を開いて? そうすれば、まだ……」
「黙れ黙れ黙れぇエエエエエッ!!!」
あるいはそれは、引き返すことができる最後のチャンスだったかもしれない。
でもジャガーノートはアイシャが差し出した手を振り払い、憎しみの道を突き進むことを選択した。
なら、僕がするべきことは一つ。
決着をつけることだ。
「リコリス、力を貸してくれる?」
「もちろん!」
「ソフィア、ちょっとしたことをお願いしてもいい?」
「任せてください」
僕は、とある賭けに出ることにした。
――――――――――
「レナ、いきますよ!」
「むー、ボクの相方はソフィアか」
「不満ですか?」
「もちろん。フェイトの方がいいな」
「我慢してください」
「ちぇっ」
なんて軽口を叩きつつ、二人の乙女は災厄に挑む。
聖剣と魔剣。
対となる力を持ち、それぞれ攻撃を叩き込む。
「うっとうしイッ!!!」
ジャガーノートは防御を捨てていた。
ソフィアとレナの攻撃ならばそれなりのダメージを受けてしまうが、そんなことはもうどうでもいい。
今は、目の前にいる人間達を消すことしか考えられない。
憎い。
憎い。
憎い。
なにもかも消し飛ばしてやる!
そうやって憎悪を撒き散らしつつ、捨て身の攻撃を繰り返していく。
「くっ、一気に攻勢に出てきましたね……! レナ、気をつけてください」
「わかってる、わかってる。これくらい……うわわ!?」
ジャガーノートに残った尾の一本がレナを捉える。
が、直前でゼノアスが防いだ。
「大丈夫か?」
「う、うん……ありがと。うわー、今のはやばかった」
嫌な汗を拭いつつ、レナはすぐに体勢を立て直した。
そして、再び攻撃に転じる。
「後のことは考えなくて構いません! とにかく、ありったけの矢と魔法を叩き込みなさい!」
「冒険者の意地を見せる時だよ、ここで戦わずいつ戦うっていうんだ!」
エリンとクリフも最大限の援護をした。
彼らはソフィアのような力は持っていない。
遠距離攻撃と治癒、バフをかけることが精一杯だ。
それでもできることはある。
力になっている。
そう信じて、必死に戦い続ける。
「みなさんっ、いきますよ! 私に続いてください!」
ソフィアは激を飛ばして皆をまとめる。
「ジャガーノートは、もはや災厄。その背景に同情することはあるものの、しかし、やつの放つ憎悪を受け入れるわけにはいきません。認めるわけにはいきません。なぜなら、私達には愛する人がいるから。その人達を守らないといけないから。故に、立ち上がるのです。剣を取り、立ち向かうのです。生きるために。守るために……一緒に戦いましょう!!!」
「「「おおおおおぉっ!!!」」」
人々は奮起した。
城のように巨大な獣に怯むことなく、勇気を持って立ち向かう。
――――――――――
これはどういうことだ?
圧倒的な力を持つ我がなぜ人間ごときに押されている?
劣勢を悟ったジャガーノートは混乱の極みにあった。
勝てる戦いだった。
相手が聖剣を持っていようと魔剣を持っていようと、噛み砕き、血肉に変えてやるはずだった。
それなのに、まったくうまくいかない。
気がつけばこちらが体中に傷を負い、少しずつ追い詰められていた。
その原因となる人間は二人。
一人は、聖剣を振る女だ。
そしてもう一人の男は……
「……どこに行っタ?」
フェイトの姿が見えないことに気づいて……
しかし、その時にはすでに手遅れだった。
「ふんぬぅううううう……!!!」
リコリスは美少女らしからぬ声をあげていた。
それも仕方ない。
彼女は今、僕を抱えて空高くを飛んでいる。
「だ、大丈夫……?」
「平気、よぉっ!!! これ、くらい!!! ウルトラワンダフル……あっ、マジ重い」
軽口を叩く余裕もないみたいだ。
魔法を使っているとはいえ、人一人、抱えて飛ぶのはさすがに辛いのだろう。
ここまでさせてしまって申しわけない。
でも、これくらいしないとジャガーノートは……
「リコリス、この辺りでいいよ」
すでに雲の上に出ていた。
これくらいの高さがあれば……
「だーめ、まだまだ上にいくわよ」
「でも……」
「あたしなら大丈夫よ! なんていったって、天才美少女妖精リコリスちゃんだもの!」
「……うん、お願い」
みんなが必死に足止めをしてくれている。
絶対にミスは許されない。
だから、もう少しがんばってもらうことにした。
その間、僕は呼吸を整えて、深く集中する。
お腹の下辺りで力を練る感じで、全身に気を巡らせていく。
「ぬぅりゃああああああああああっ!!!」
やはりリコリスは美少女らしからぬ声をあげて、さらに上昇。
飛んで、飛んで、飛んで……
そして、ついには周囲が暗くなるほどの高さまできた。
心なしか息苦しい。
「はぁっ、はぁっ……ここが限界よ」
「ありがとう、リコリス。これだけあれば十分だと思う」
「……ホントにやるの? これ、ダイナミックな自殺にしか思えないんだけど」
「これくらいやらないと、ジャガーノートを止めることは……ううん。倒すことはできないよ」
倒す、と言い換えた。
彼はもう止まらない。
止められない。
なら、せめて終わらせてあげることが救いだろう。
そう信じる。
「じゃあ……ほい」
リコリスの手で、光の鱗粉のようなものが僕の体を包み込む。
「これで数回だけ、フェイトも風の魔法が使えるわ。軌道調整に使って」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、いくわよ? 準備はいい?」
「いつでも」
即答だ。
この作戦を思いついた時から、すでに覚悟は決まっている。
「じゃあ……」
リコリスは、ぱっと僕を離した。
それだけじゃなくて……
「美少女妖精リコリスちゃん必殺奥義、ミラクルフェイト……あたぁぁぁぁぁっく!!!」
ばんっ! という音と共にリコリスの魔法が炸裂した。
瞬間的に業風を生み出す魔法で、そして……
「くっ!」
僕の体は真下に飛ばされた。
落ちる、落ちる、落ちる。
加速、加速、加速。
空が遠く、どんどん地面が近づいてきた。
重力で加速して、空高くからの一撃を叩き込む。
それが僕が思いついた策なのだけど……
「さすがに、怖い……かも!? うわわわわわっ!?」
雲が見えてきた。
あそこを抜ければ地面は……ジャガーノートはすぐそこだ。
リコリスにもらった魔法を使い軌道を調整する。
「これくらい……なんてこと、ないっ!!!」
超々高度から落下する。
とんでもない恐怖だけど……
でも、ジャガーノートに大事なものを奪われてしまう恐怖の方が勝る。
それに比べたら、これくらいなんてことはない。
頭を下にして、体をまっすぐに。
そして剣を構えた。
落ちる。
加速。
落ちる。
加速。
空気がぶつかり痛い。
目をまともに開けることが難しい。
本能的な恐怖に失神してしまいそう。
それでも。
全てを我慢して、軌道を調整しつつ、ジャガーノートに向けて落ちていく。
「見えた!」
雲を突き抜けて、戦場となる王都が見えた。
あちらこちらで火の手が広がり、煙が上がっている。
中心部にジャガーノートが。
その巨体を暴れ回らせている。
「これ以上、好きにさせない!」
さらに数回、軌道を調整して……
最後に後ろに向けて風の魔法を使い、加速する。
「お願い、力を貸して」
流星の剣。
リコリスの友達の剣が生まれ変わったもので……
頼りになる僕の相棒。
その輝きは星のよう。
刃は光のように鋭く。
そうやって空を駆けて……
「いっけえええええぇえええええっ!!!」
「ナッ!?」
遥か上……直上からの一撃。
これはさすがに予想できなかったらしく、ジャガーノートは動揺の声をこぼす。
そんなヤツの頭部にめがけて、僕は、僕自身を流星と化して着弾した。
ゴガァッ!!!
特大の一撃を叩き込んだ。
同時に、凄まじい衝撃が僕を襲う。
視界が上下左右に暴れて、全身をバラバラにするような痛みが走り……
なにが起きているかわからず、吹き飛ばされてしまう。
それでも剣は離さない。
相棒をしっかりと握りつつ、僕は浮遊感に身を任せて……
「フェイト!」
がしっと、ソフィアに抱きとめられた。
「えっと……ソフィア?」
「大丈夫ですか!? 怪我はしていませんか? 痛いところは? かゆいところは?」
「最後、どうでもいいよね……」
苦笑しつつ地面に降りる。
ちょっとふらふらするけど、なんとか自力で立つことができた。
「ああもう、ちゃんと説明は聞いていましたが、こうして実際に目にすると、とんでもない荒業ですね……」
「あれくらいしないとダメだと思うから」
超々高度からの一撃。
不意を突くだけじゃなくて、ありったけの威力を叩き込むことができる。
問題は、僕も死ぬかもしれないということ。
でも、こうしてちゃんと生き残ることができた。
「あまり心配させないでくださいね?」
「大丈夫。僕の帰るところはソフィアの隣だから。ソフィアがいれば、いつでもどこでも、絶対に帰ってくるよ」
「は、はい」
ソフィアはちょっと照れていた。
こんな時だけど、やっぱり可愛いな、って思ってしまうのだった。
「ジャガーノートは……!?」
着弾時に発生した土煙が少しずつ晴れてきた。
確かな手応えはあった。
でも、倒したと断言することはできない。
僕達は油断なく剣を構えて……
ほどなくして土煙が晴れる。
「ぐゥ……うアアア……お、おのレ、人間メ……」
ジャガーノートは生きていた。
頭部に大きな穴を開けて。
大量の血を流して。
それでもなお、生きていた。
普通の生き物なら死んでいるはずだ。
これが魔獣の力……?
いや、違う。
これは執念だ。
過去に受けた酷い仕打ちを忘れることができず、絶対に復讐を果たすという暗い執念。
それがヤツに力を与えている。
絶対に終わってたまるものか、という怒りと憎しみが体を動かしている。
「まずいですね……」
「うん、やばいね……」
ソフィアとレナが難しい顔に。
なんのことか不思議に思っていると、リコリスが僕の肩に戻ってきて、説明してくれる。
「あいつ、下手したらゾンビ化するわよ」
「えっ」
「ゾンビっていうのは、生に強い執着を持ったヤツがなったりするから。このままだと……」
「それ、最悪の事態じゃないか!」
ジャガーノートがゾンビ化して、不死性を獲得したら、もう手に負えない。
絶対に倒せないとまでは言わないけど、さらに被害が拡大することは確実だ。
そんなことにならないように、今、ここで倒しておかないと……!
でも、これだけのダメージを与えてもジャガーノートは沈まない。
怒りと憎しみを支えに、生にしがみついている。
いったい、どうすれば……
「もう……やめよ?」
「キューン」
ふと、アイシャとスノウが前に出た。
「アイシャ!?」
「アイシャちゃん!?」
ソフィアと一緒に急いで追いかけるものの、それよりも先に、二人はジャガーノートの前に移動してしまう。
「巫女と我の子孫カ……くくく、いいゾ。その身を捧げロ。そうすれば、我はさらに力を得ることガ……」
「オンッ、オンッ! キューン……」
「我を咎めるカ……? 我の子孫ならバ、我の血肉になることを光栄ニ……」
「ちがう」
「なニ?」
「スノウは怒ってないよ。もう止めて、って泣いているの」
「なにヲ……なにを言っていル……?」
まったく怯まないアイシャに、ジャガーノートは戸惑いを覚えている様子だった。
僕達も戸惑いを抱いて、ついつい様子を見てしまう。
というか……
今、アイシャとスノウの邪魔をしてはいけない。
なぜかわからないけど、そう、強く感じたんだ。
「もうやめよう? 怒ってばかりだと悲しいよ。寂しいよ」
「なにを言うカ……! この小娘ガ!!!」
ジャガノートが怒りに吠えた。
「我は奪われたのダ! 仲間を、子を、愛しい者を……尊厳だけではなくて、心も魂も、全てを奪われたのダ!!! そのようなことを許せると思うカ? 思わヌ! なればこそ奪い返してやるのが道理というものダ!」
「でも、それじゃあいつまで経っても終わらないよ」
「なんだト?」
「ずっと終わらないよ。悪いこと、ずっと続いちゃう。だから、終わらせないと」
「我に我慢しろというのカ!? この怒りと憎しみを捨てろというのカ!?」
「そんなものいらない」
質量すら伴うような怒りと憎しみを叩きつけられて。
それでもアイシャは怯まない。
むしろ、真正面からきっぱりと言い返してみせた。
「ぽかぽかがあればいいの。むー、って顔になっちゃうようなものはいらないの」
「小娘、貴様……」
「わたし、おとーさんとおかーさんに会って、にっこり笑えるようになったの。心がぽかぽかになったの。その方がいいよ、絶対にいいよ。だって、楽しいから」
「……」
「だから、あなたも……一緒に笑お?」
アイシャはにっこりと笑い、ジャガーノートに手を差し出した。
スノウもその隣に並んで、じっとジャガーノートを見つめる。
誰もがジャガーノートを倒すべき敵と位置づけていたけれど、アイシャとスノウは違った。
二人は、まず最初に対話を試みた。
話をしたい、気持ちを知りたい……そう思った。
そこにあるのは純粋な、真っ白な心。
全てを浄化するような優しさ。
それは、アイシャとスノウだからできたことだ。
僕達には、とてもじゃないけど思いつかなかった。
そして……
しばらくの間、ジャガーノートはアイシャとスノウを睨みつけていたけど……
「……やめダ」
不意に殺気を消した。
つまらなそうに鼻を鳴らして、その場に伏せる。
「興が削がれタ」
「えっと……」
それはつまり、戦いを止めるっていうこと?
あれだけの怒りを抱えて。
あれだけの憎しみを抱えて。
人間との戦いを誰よりも望んでいたはずなのに、でも、終わりにする?
信じられない。
騙し討ちを企んでいると考えるのが自然だ。
でも……
怒りと憎しみに吠えていたジャガーノートは、今はとてもおとなしい。
それと、いつの間にか黒い感情は消えていた。
水面が凪ぐように。
とてもとても静かで、落ち着いていた。
それを成し遂げたのはアイシャとスノウだ。
戦うことだけを考えていた僕達と違い。
二人は対話を試みて。
そして、見事に成功させた。
「小娘……名前ハ?」
「アイシャ。この子は、スノウ」
「アイシャ、スノウ……そうカ。悪くない名だナ」
気のせいかもしれないけど……
今、ジャガーノートが小さく笑ったような気がした。
「昔、お前達のようなものがいれバ、あるいは我ハ……いヤ、考えても仕方ないことカ」
ジャガーノートの体がゆっくりと崩れていく。
尾の先から。
手足の先から。
細かい塵になって、サラサラと風に飛ばされていく。
「あっ……!?」
「キューン……」
「小娘と我の子孫ヨ、我に同情するカ?」
アイシャはなにも言わない。
ただただ、寂しそうに悲しそうにして、耳をぺたんと垂れていた。
「眠るの……?」
「そうだナ……我は眠ル。もウ……疲れタ」
それはジャガーノートの本心に聞こえた。
怒りをまとい。
憎しみで突き進み。
しかし、その果てに残るものはなにもない。
長い時間を過ごしてきたけど、結局、心は満たされない。
疲れ果てて。
心と魂が削れる。
ここにいるのは聖獣でも魔獣でもなくて、ただの孤独者だ。
「~♪」
ふと、アイシャが歌を歌い始めた。
ちょっと拙いけれど、一生懸命に歌う。
スノウもそれに合わせて鳴いた。
それは子守唄。
ソフィアがよく歌っていたものだ。
母から子に。
アイシャは、受け継がれたものをジャガーノートに捧げる。
鎮魂歌。
「……あァ……」
ジャガーノートの体の崩壊は止まらない。
ほぼほぼ全身が崩れ、頭部にまで及ぶ。
それでも、ジャガーノートは絶望しない。
むしろ、安らかな表情を見せていた。
「お前の歌ハ……温かいナ。我が失イ、そしテ、忘れていたものダ……こんなにも温かいものだったのだナ……」
ジャガーノートの瞳から、涙が一粒、こぼれ落ちた。
アイシャは微笑む。
「おやすみなさい」
そして……
ジャガーノートは完全に消滅した。
ただ、その眠りはとても穏やかなものだっただろう。
彼の魂は、今度こそ、安らかに眠れる。
ずっと。
事件から3日が経った。
黎明の同盟による破壊工作。
そして、ジャガーノートの出現。
それらの被害は甚大で、国の今年度の予算の半分が吹き飛んだとか。
復興作業が始められたものの、まだまだ。
王都が元の姿を取り戻すのは半年近くかかるらしい。
物流もほぼほぼストップしてしまった。
道路が塞がれているせいもあるけど……
『王都にとんでもない化け物が現れた』という話があっという間に広がり、商人が避けてしまうようになったんだ。
誰もが王都を避けてしまっている。
被害は甚大。
これから大変な時間が続いていく。
でも……
それでも、僕達は勝つことができた。
ここで道が途絶えることはない。
これからも前に歩いていくことができる。
それを終わりにしないために。
ずっと続いていけるように。
みんなでがんばろう。
――――――――――
「ありがとうございました」
「いやー、思っていたよりも大変なことになったね」
エリンが頭を下げて、その隣にいるクリフはいつものように呑気に笑う。
二人は事件の後片付けに奔走していたみたいだけど……
ようやく時間がとれて、わざわざ挨拶に来てくれたんだ。
「あなた達のおかげで被害は最小限に食い止められました」
「最小限……なのかな?」
「最小限ですよ。あのままジャガーノートが暴れていたら、王都は地図から消えていたと思いますから」
ソフィアの言う通り、本当にそうなっていた可能性もある。
それを考えるとゾッとした。
「フェイト殿、ソフィア殿……あなた達は英雄です。本当にありがとうございます」
「いえ、そんな……」
「私達だけで成し遂げたことじゃありませんから」
僕の言いたいことをソフィアが言ってくれた。
リコリスが、アイシャが、スノウが。
レナが、ゼノアスが。
そして、他にたくさんの人が……
みんなの力があって乗り越えたことだ。
僕とソフィアだけが英雄なんてことはない。
みんなが英雄だと思う。
ちなみに、他のみんなは宿にいる。
リコリス達は眠いから、という単純な理由で。
レナとゼノアスは、まあ……元黎明の同盟なので、色々とあって表には出ていない。
「相変わらず、スティアート君は謙虚だねえ。せっかくの機会なんだから、騎士団からたっぷりと報酬をもらっておけばいいのに」
「いえ、そんなことは……」
「なにを言っているのですか、あなたは? もちろん、差し上げるに決まっているでしょう」
「「え」」
意外な展開になってきた。
「私達、騎士から協力を依頼しておいて、なにもないなんて恩知らずな真似、できるわけがないでしょう」
「おや。最近の騎士団は、わりとまともになっていたみたいだね。以前は、腐敗の象徴として聞いていたが……うんうん、なによりだ」
「それはギルドも同じでしょうに」
「さて、なんのことやら」
エリンはクリフを睨みつけて、クリフはエリンに笑って見せる。
水面下で視線が激突してバチバチと火花が散っているかのようだ。
「報酬については、また今度。今は、感謝の言葉を伝えさせていただければ。本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
おかげで、ジャガーノートを眠らせることができた。
倒す、のではなくて。
眠らせる。
最善の結果に辿り着くことができたと思う。
昔から続いていた憎しみの連鎖。
それをようやく断ち切ることができたのだから。
「スティアート君は、これから大変なことになるだろうけど、がんばってね」
「え、なんでですか?」
「これだけの偉業を成し遂げたんだよ? 冒険者の期待の星として、大注目されることになるよ。もしかしたら、『剣王』の称号が授けられるかもしれない」
「えぇっ!?」
それって、剣聖に継ぐ称号じゃないか。
「そんなもの、僕には……」
「ふさわしくない、なんて言わないでほしいな。君はそれだけのことを成し遂げた。だから、誇ってほしい」
「えっと……はい」
なにやら、思わぬ方向に話が進んでいる。
驚きしかない。
でも……
「うん、がんばろう」
全部受け止めて、前に進んでいこう。
そうすることが、今、生きている僕達の役目だから。
エリンとクリフとの話を終えて、宿に戻る。
すると、宿の前にレナとゼノアスがいた。
レナは普段着でなにも持っていないけど、ゼノアスはフル装備で大きな荷物を背中に抱えていた。
「あれ? どうしたんですか?」
「そろそろ王都を発とうと思ってな」
「え」
思わぬ返事に驚いて……
でも、よくよく考えてみれば当たり前の流れかもしれない。
ゼノアスは、黎明の同盟の幹部だ。
ジャガーノート戦では協力してもらったものの、それで今までに犯した罪が帳消しになるわけじゃない。
騎士団や冒険者に見つかれば捕らえられるかもしれない。
「俺は、俺の生きる目的を叶えた。最強の相手と最高の戦いをする。フェイト・スティアート……お前のおかげだ」
好敵手と呼ばれ、嬉しい。
でも、できるのならもっと別のことで競いたかった。
穏やかで、笑えるような内容がいい。
「本来なら、このまま捕まっても構わないのだが……」
「だーかーらー、それはダメって言ってるじゃん」
レナが膨れっ面で言う。
「やりたいことやったから満足。あとはなんでもいいや、とかさ、無責任すぎるでしょ? 周りのこと、ちゃんと見て。まったくもう……これだから男は」
「すまん」
要するに……
ゼノアスは今後のことはどうなろうと気にしていない。
罪を受け止めなければいけないのなら、きちんと受け止めるつもりでいた。
ただ、レナがそれをよしとしない。
ゼノアスにはちゃんと生きていてほしいと願ったみたいだ。
そして、それにゼノアスが負けた。
こんな感じかな?
「なるほど……お兄ちゃんは妹には勝てませんからね」
「ソフィア? それ、どういう意味?」
「後で話しますよ」
にっこりと笑い、ごまかされてしまう。
「レナ……元気でやれ」
「大丈夫。ボクはいつもどんな時でも元気だからねー。ゼノアスもね?」
「ああ。また、どこかで会おう」
「うんうん。あ、その時はボクとフェイトの子供を見せてあげるね?」
「そんなものはできません!!!」
ソフィアがものすごい目でレナを睨みつけた。
殺気すら出ているけど、レナはまったく堪えた様子がない。
お願いだから、いきなり切り合いを始めたりしないでね?
戦いが終わったばかりなのに、別の戦いを止めるとか勘弁してね?
「なになに、ソフィアってば妬いているの? ボクにフェイトを取られそうだから?」
「そのような妄想は頭の中だけにとどめてくださいね? でないと、うっかり剣を抜いてしまいそうです」
「ふーん、ボクは構わないけどね。ティルフィングも暴れ足りないみたいだし」
「私のエクスカリバーも、泥棒猫の血を吸わせろ、って言っていますよ」
それじゃあ魔剣みたいだからね?
「……ふっ」
ゼノアスが小さく笑う。
思えば、彼の穏やかな笑顔を見たのは初めてかもしれない。
「楽しい?」
「そうだな……楽しいと思っている」
「剣だけに生きてきたみたいだけど、でも、他にも楽しいことはいっぱいあるよ。これから先、そういうものをたくさん見つけられると思うんだ。僕がそうだったみたいに、運命の出会いとかあるかも」
「……俺に、そんなものがあるだろうか?」
「あるよ」
未来はなにも決まっていない。
真っ白だ。
そこをどんな色に染めるか、その人次第なのだから。
「だから、がんばって生きていこう」
手を差し出した。
ゼノアスは少し驚いた様子でこちらを見て……
ややあって、苦笑して僕の手を取る。
「そうだな、一生懸命に生きていこう」
「うん」
僕とゼノアスはしっかりと握手を交わした。
それは、あるいは約束だったのかもしれない。
また会おう。
ただ、剣を交わすためじゃなくて、笑顔で話をするために。
楽しい、って思える時間を過ごすために。
ゼノアスと別れた後、僕達は宿に戻った。
「おとーさん! おかーさん!」
部屋に戻ると、留守番をしていたアイシャが駆けて、抱きついてきた。
しっかりと受け止めて頭を撫でると、尻尾がぶんぶんと振られる。
「オンッ!」
スノウも駆け寄ってきて、ソフィアに頭を擦りつける。
同じく尻尾が激しく振られていた。
「おかえりー。挨拶は終わったの?」
リコリスもふわふわと飛んできた。
「うん、終わったよ」
「挨拶だけ?」
「あはは……お礼はまた今度、だって」
「ちぇ」
ジャガーノートを倒して、黎明の同盟を壊滅させることができた。
その件で、騎士団と冒険者ギルド、両方から報酬がもらえるらしい。
そんなものはいらない。
そもそも、みんなで成し遂げたこと。
そう断ろうとしたんだけど、
「あなた達がいなければ王都は壊滅していたかもしれない。それを防ぐことができたのは、間違いなくあなた達のおかげです。それだけのことを成し遂げたのですから、どうか、受け取ってください」
「ここで断られたりしたら、冒険者ギルドの面子が……ねえ。ほら、依頼にはきちんと報酬を支払っているだろう? それがなしとなると、色々と困るんだよ。正式な依頼じゃなくても、あれだけの偉業を成し遂げたんだから」
……と言われ、断りきることができなかった。
後日、落ち着いた時に報酬をもらうことになっている。
「なら、おめでとうパーティーはまた今度かしら? ちぇ、今夜のつもりだったのに」
「リコリスは元気だね」
「そう、あたしが元気になることで、みんなも元気にしているの! さしずめ、ミラクルワンダー妖精リコリスちゃんね!」
意味がわからない。
この子、ちょくちょく勢いで喋るからなあ……
「ところで」
ソフィアがレナに視線を向ける。
「どうして、あなたが一緒にいるんですか?」
「ん? なにが?」
「今更、あなたを捕まえようとは思いませんが……ほら。ゼノアスと同じように、好きなところへ行っていいんですよ。しっしっ」
「猫みたいな扱い!?」
レナが、ガーンというような顔に。
「ボクも一緒にいるよ? パーティーに入れてよ、ねえねえ」
「却下です」
「即答!?」
「泥棒猫を懐に招き入れる人なんていません。さあ、出口はあちらですよ」
「ひど!? ジャガーノートを相手に、一緒に死闘を繰り広げた仲なのに!」
「そんなことありましたっけ?」
「忘れるの早!?」
「また会いましょうね」
「良いこと言っている風でごまかすなー!? ってか、ボクはフェイトと一緒にいるんだー、これからボクも一緒に旅をするんだー、やーだー!」
レナは床の上に転がり、ジタバタとわがままを言う。
子供か。
「えっと……ソフィア? あまり意地悪をしなくても……」
「フェイトは賛成なのですか? もしかして、この泥棒猫の誘惑に屈したとか」
「な、ないから。僕は、ソフィアのことが好きなんだから」
「そ、そうですか」
「あのー……ボクの前でイチャつかないで? 泣くよ?」
レナがジト目を向けてくるけど、気にしない。
「どうして、フェイトはそこまでレナに甘いんですか? やっぱり、好意を持たれているから……」
「そこはあまり関係ないよ。どちらかというと、親近感があるから……かな」
「親近感?」
昔、僕は奴隷だった。
未来に希望が持てず、なにもすることができない。
一方で、レナは黎明の同盟に縛られていた。
黎明の同盟の命令を聞くことしかできず、他にはなにも持っていない。
そういう意味で親近感を覚えたのだ。
これから、彼女はどうするのか?
完全な自由を得て、なにをするのか?
それを手伝い、見届けたいという気持ちがある。
「……はぁ」
自分の気持ちを伝えると、ソフィアはやれやれとため息をこぼす。
「まったく、本当にフェイトは甘いんですから」
「ご、ごめん……」
「でも、だからこそフェイトなんですね。そういうフェイトは好きですよ」
「あ、ありがとう」
今度は照れた。
ソフィアはレナに向き直る。
「……いいですか? 妙な真似をしたら、すぐに叩き出しますよ」
「ってことは……」
「仕方なく、本当に仕方なくですけど、ついてきてもいいですよ」
「やったー! ありがとう、フェイト♪」
「うわっ」
「そこで、どうしてフェイトに抱きつくんですか!? お礼を言うなら私でしょう! 斬る、やっぱり斬ります!!!」
その後、どたばた騒ぎがしばらく続いたけど……
なんやかんやあって、レナがパーティーに加わるのだった。