将来結婚しようね、と約束した幼馴染が剣聖になって帰ってきた~奴隷だった少年は覚醒し最強へ至る~

「やっほー」

 宿の表で、レナはにっこりと笑みを浮かべていた。
 その笑顔を向けている相手は、年老いた男……リケンだ。

「レナか。なぜ、ここにいる?」
「決まってるでしょ。リケンの邪魔をするためだよ」
「裏切り者め……ここまで面倒を見てやった恩を忘れたか」
「ボクを育ててくれたのはお父さんとお母さんだよ? 二人が死んだ後は、ボク、自分の力で好きに生きてきたからね。面倒なんて見てもらった覚えはないんだけど」

 そんなことを言われるなんて納得できない、とレナは唇を尖らせた。

「儂の邪魔といったな? 具体的には、どうするつもりだ?」
「わんちゃんズを連れて行くつもりなんでしょ? それを邪魔するの」
「巫女と神獣の重要性は理解しているな?」
「そだねー。二人を材料にすれば、とんでもない魔剣を作りあげることができる。そして……その魔剣を使えば、始祖の封印を完全に解くことができる。黎明の同盟の悲願を達成できるね、おめでとう。まあ、ボクが邪魔するんだけど」
「……」

 リケンはなにも言わずレナを睨みつけた。

 常人なら失神してしまうような殺気を浴びせられる。
 いや。
 失神では済まなくて、そのままショック死してしまうかもしれない。

 それでもレナはけろりとしていた。
 頭の後ろで手を組んで、ぴゅーぴゅーと口笛を吹いている。

「どけ」
「やだよ」
「なぜ、連中に味方をする? 我らの願いを忘れたか? 恨みを忘れたか?」
「うん、忘れた」

 レナはあっさりと言う。
 あまりにもあっさりと言うものだから、リケンは呆気に取られてしまう。

「まあ、気持ちはわかるよ? 酷い目に遭わされて、その事実をなかったことにされて、そうした連中は今ものうのうと生きているんだからね。ボクも昔はむかついていたよ?」

 「でも」と間を挟み、レナは言葉を続ける。
 その表情は優しくて、温かくて……
 そして、年頃の女の子のものらしい笑みを浮かべていた。

「でもさ、復讐よりも大事なことってあると思うんだ。冷たいことよりも温かいことが必要な時って、あると思うんだ」

 レナはフェイトのことを思い返した。

 彼を好きになったこと。
 敵として剣を交わしたこと。
 そして、色々な言葉をかけてもらったこと。

 そのどれもが温かい思い出だ。
 思い返す度に胸が温かくなる。
 復讐という冷たくて暗い感情は浄化されていく。

「ボク、フェイトのおかげで、本当の意味で人間になることができたような気がするんだ。それまでは『復讐』っていうものに突き動かされる殺人人形で、自分の意思を持っていなくて……でも、今は違う。ボクは、ボク。レナ・サマーフィールド。そう言うことができる。自分を持つことができた」
「……」
「『今』が好きなんだ。ボクは、本当の意味でボクらしく生きることができる。だから……」

 レナは腰に下げているティルフィングの柄に手を伸ばす。

「それを壊そうとするのなら、リケンは敵だよ」
「……残念だ」

 リケンも己の魔剣に手を伸ばした。

「儂はお主のことを買っていたのだがな。お主なら、いずれ、黎明の同盟を背負って立つことができる、と」
「買いかぶりじゃない? ボク、好き勝手していただけなんだけど」
「お主は勘がいい。だから、勘で動いていたとしても、結果的に良しとなることが多いのだよ」
「ふーん。ま、今はどうでもいいけどね」
「そうじゃな、どうでもいいことだ」

 二人の闘気が高まる。
 剣に手を伸ばして、睨み合う。
 ただそれだけなのに、すでに死闘を繰り広げているかのような緊張感があった。

 いくらかの人がレナ達に気がついて、危ういものを感じたらしく、慌てて逃げていく。
 なにが起きるのだろう? と眺める者もいるが、十分に距離をとっている。

「やる?」
「ああ、そうしよう」
「じゃあ、これを合図にしようか」

 レナは銅貨を取り出した。
 リケンから視線を外すことなくて、パチンと弾いて宙に放る。

 銅貨はくるくると回転しつつ舞い上がり……
 一定の高さまで来たところで止まり、落下を始める。

「……」
「……」

 二人の視線の間を銅貨が落ちていき、

「「はぁっ!!!」」

 チャリン、と銅貨が地面に落ちると同時にレナとリケンは剣を抜いた。
 ふっと、レナとリケンの姿が消えた。

 いや。
 消えたのではなくて、超高速で動いたのだ。

 風よりも速く。
 音に近い速度で駆けて、それぞれ剣を振る。

 ギィンッ!

 レナの魔剣とリケンの魔剣が激突する。
 どちらかが勝るということはなくて、ほぼほぼ互角。
 競り合う形になり、レナとリケンは剣を持つ手に力を込める。

「やるね」
「ふん、貴様もな」
「でも……」

 レナはニヤリと笑う。

 さらに力を込めて、地面を足で蹴る。
 ガンッ! とリケンの剣を弾き上げた。
 リケンは剣を手放すことはないが、体勢が崩れ、数歩、下がってしまう。

 レナは体勢を低くしつつ、リケンの真横に回り込んだ。
 ぐんっと体を跳ね上げるようにしつつ、刃を下から上に放つ。

「くっ」

 首を狙った一撃は、しかし、ギリギリのところで避けられた。
 リケンは状態を逸らすようにして回避。
 ただ反撃に出る余裕はなくて、仕切り直すために後ろへ跳んで距離を取る。

「うーん、リケンってこの程度? ボク、まだ本気出してないんだけど」
「小娘が、生意気な」
「だって、ちょっとがっかりしちゃうくらいだし? まあ……」

 レナは、改めて剣を構えた。

「元々、ボクの方が強いから仕方ないか」
「……そうだな」
「おろ?」

 意外というべきか、リケンはあっさりとレナの言葉を認めた。

「確かに、剣の腕は儂よりもレナの方が上だ。それは認めよう」
「なに、降参してくれるの?」
「まさか」

 リケンは笑う。
 レナを嘲笑う。

「剣の腕は上かもしれぬが、しかし、それが強さに直結するわけではない。吠えるなよ、小娘が。儂の方が強い」
「……っ……」

 リケンが不敵に笑う。
 その不気味な笑みに、レナは嫌な感覚を覚えて、追撃をためらった。

 有利なのはまちがいなく自分だ。
 しかし、今のリケンは不気味だ。
 下手に踏み込めば返り討ちに遭う。

 そう考えたレナは様子を見る。
 そして……

「え」

 ふっと、リケンの姿が消えた。

 なんの前触れもなく。
 突然、幻だったかのように消えた。

 レナは目を白黒させて……
 ぞくりと背中に悪寒が走る。

 反射で前に跳ぶ。
 ただ、少し遅かった。

「ぐっ」

 背中に走る衝撃。
 すぐに痛みがやってきて、レナは奥歯を噛んだ。

 痛みは無視。
 強引に体を動かして振り返ると、いつの間に回り込んだのかリケンの姿があった。

「……今の、なに?」
「さてな。敵に素直に答えを教えるとでも?」
「いいじゃん。ボクとリケンの仲なんだし」
「今は敵だ。そして、敵は殺す」

 リケンはそう言い放つと、ニヤリと笑い……
 そして、再びその姿が消えた。
 どこだ?
 どこに消えた?

 レナは剣を構えつつ、素早く周囲に視線を走らせた。
 感覚を研ぎ澄ませて気配も探る。

 しかし、リケンを見つけることはできない。

「っ!?」

 再び悪寒が走る。
 レナは体勢が崩れるのも気にしないで、思い切り前に跳んだ。

 その直後……
 さきほどまで立っていた場所を刃が駆け抜ける。

 どのような技を使ったのか?
 斜め後ろに回り込んでいたリケンが剣を振るっていた。

「ふむ、二度も外すか……さすがだな」
「なにそれ? まったく見えないんだけど……」
「当たり前だ。これが、儂の真の力。十数年しか生きていない小娘に見破れるようなものではない」

 リケンが使っているものは、暗殺剣だ。

 剣の腕を磨くのではなくて。
 対象を殺すことだけに特化した殺人剣。

 視線、体捌き、足運び……などなど。
 ありとあらゆる要素を使い、組み合わせることで、相手の視覚情報を乱す。
 結果、姿を消すことができる。

 極限まで高められた技術は魔法と変わらない。
 それを体現してみせた技だ。

「そんな技、初めて見るんだけど?」
「見せていないからな」
「ボクのこと、疑ってたわけ?」
「いいや。見せる価値もないと侮っていただけだ」
「言ってくれるね……!」

 レナは体勢を立て直して、改めて剣を構えた。
 リケンも剣を構える。

 そして……
 再びリケンの姿が消えた。

「くっ」

 レナは初めて焦りの表情を見せた。

 どれだけ目を凝らしても。
 どれだけ集中しても。
 リケンを見つけることができない。
 完全に索敵から逃れていて、捉えることができないでいた。

 いつ攻撃が来るのか?
 どこから来るのか?
 それは、果たして致命傷になりえるのか?

 色々なことを考えて、悪い想像もしてしまう。
 相手が見えないからこそ、余計に悪い想像も膨らんでしまう。
 とても厄介な相手だった。

「見えないなら……」

 ふと、レナは閃いた。
 試してみる価値はあると、体を低くして、剣を鞘に戻す。

「まとめて薙ぎ払えばいいよね! ……裏之二、鳳凰!」

 超高速で抜剣。
 それと同時に回転して、刃と衝撃波を周囲に散らす。
 全方位を攻撃できる奥義だ。

 しかし……

「甘いな」
「あぐっ!?」

 リケンはレナの背後を取り、その背中を斬りつけた。
 今度はまともに受けてしまい、深い傷ができる。

 レナは慌てて距離を取る。

 痛みは無視できる。
 しかし、流れる血はどうしようもない。
 体温と共に体力が失われていく。

「今の、どうやって避けたのさ……?」
「教える必要はないな」
「ケチ」
「それよりも……チャンスをやろう」
「え?」
「戻ってこい」

 そう言って、リケンはレナに手を差し出した。
「どういうつもり?」
「考え直せ、と言っている」

 リケンは手を差し出したまま、静かに言う。
 そんな彼の思惑がわからなくて、レナは混乱してしまう。

 リケンは同盟の幹部の中で一番合理的な考えをする。
 必要なものは大事にして、必要でないものはあっさりと切り捨てる。

 今、レナは必要ないものだろう。
 同盟を裏切り、敵対までした。

 やっぱりやめた、なんて言っても失った信頼は元に戻らない。
 また裏切るのでは? という疑念も消えない。

 そんな相手を同盟に連れ戻す意味なんてない。
 利益もない。
 それなのに、どうしてリケンは自分を連れ戻そうとするのか?

 リケンらしからぬ言動に混乱して、レナはどうしていいかわからず、動きを止めてしまう。

「儂の言葉を疑うか?」
「そりゃね。罠って考えた方がしっくりくるよ」
「確かに」

 疑われても仕方ないという自覚はあるらしく、リケンは苦笑した。

「しかし、嘘は吐いていない。なによりも罠を仕掛ける意味がないだろう?」
「それは……」

 現状、リケンは圧倒的に優勢だ。
 わざわざ罠を張る意味がない。

 レナを同盟に連れ戻して、改めて処分する。
 そして魔剣を奪う。
 ……なんて可能性をレナは考えたけれど、しかし、それはそれで手間がかかりすぎて意味がないと判断した。

 だとしたら本当に?
 裏切りを帳消しにしてしまうくらい、自分を必要としている?

 レナはリケンの真意を確かめるべく、言葉を重ねる。

「どうしてそこまでボクのことを?」
「貴重な人材だ。すぐに切り捨ててしまうのは惜しい」
「……どういう意味で貴重なの?」
「才能だな」
「才能?」
「魔剣は誰にでも扱えるものではない。国で一番の強者だとしても、適性がなければ魔剣を扱うことはできぬ。その点、お主は別格じゃ」

 適性の話はレナも知っていた。

 魔剣は呪いの剣。
 過去に虐げられた聖獣の憎悪が元になっている。
 故に、普通の者が手にすれば蝕まれ、発狂してしまうだろう。

 あるいは力に酔い、我を失って暴走するか……
 どちらにしてもロクな結末にならない。

 しかし、適性がある者は別だ。
 魔剣をリスクなしに扱えるだけではなくて、その力を100パーセント発揮することができる。

 レナは、リケンもゼノアスも制御することができなかったティルフィングの適合者になった。
 ティルフィングの力に飲み込まれることはなくて、きちんと制御してみせて。
 いや。
 完全にコントロールして、支配下において、120パーセントを出すことに成功した。

 それは彼女の血が為せる技だ。
 レナの両親は、共に同盟に所属していて……
 そして、祖父母もその親も、またその親も……
 遥か昔から続く血の継承者なのだ。
 始まりの者の血を引いている。
 だからこその力、適合力なのだ。

「その力、ここで刈り取るのは惜しい」
「……」
「儂らがするべきことを思い出せ。使命を心に刻み込め」
「……」
「虐げられた我らが主の無念を晴らすのだ。そのための剣となる……それこそが、儂らのするべきことだろう?」
「そっか」

 リケンの話を聞いて、レナは悟る。
 やはり、自分の居場所は同盟ではない……と。

 リケンは語る。
 レナの力が必要だと。
 その力をもって復讐を果たせ、と。

 しかし、フェイトはまったく別のことを語った。
 力とかどうでもいい。
 それよりも友達になってほしい、と。

「これ……比べるまでもない問題だよね」

 レナは笑い、立ち上がる。
 血は流れているが、でも、痛みはもう感じなかった。
「……」

 レナは無言で剣を構えた。
 その切っ先はリケンに向けられている。

 リケンの瞳に失望の色が宿る。

「愚かな。ここまで説いて、しかし、自分がなすべきことを理解できないとは」
「うるさいなあ。なすべきこととか、勝手に決めないでくれる? それ、ボクが決めることなんだけど」
「同盟に属する人斬りが普通の生活を送れるとでも?」

 レナは、今までたくさんの人を殺してきた。
 黎明の同盟のために、その手を血で汚してきた。

 たくさんの恨みを買っているだろう。
 いつか復讐者が現れるかもしれない。

 でも……

「知らないよ、そんなこと」

 普通の生活を送れるかどうか。
 これからのことなんてわからない。

 わからないからこそ、今を一生懸命に生きるのだ。
 後悔のない道を選んで、前に進んでいくのだ。

「ボクは、ボクにやれることをするだけ。今、正しいと思う選択を取るだけ……それだけだよ」

 レナが思うことは、ただ一つ。

 黎明の同盟を止めるとか。
 好き勝手してくれたリケンに復讐するとか。
 そういうことはどうでもいい。

 ただ、フェイトのことだけを考える。

 初めて好きになった人。
 心の全てを奪われた人。
 その人の力になりたい。

 だから……

「ボクは戦うよ」

 乙女は恋のために戦う。

「もういい」

 リケンは失望のため息をこぼしつつ、ゆらりと動いた。
 暗殺剣を発動させるモーションだ。

「お前は失敗作だ。もういらぬ……死ね」

 ふっと、リケンの姿が消えた。
 レナの感覚を惑わして、魔法を使ったかのように視覚外へ移動する。

 レナは完全にリケンを見失った。
 彼の言う技術は頭では理解したものの、感覚ではまだ理解していない。

 その姿を追いかけることはできず。
 気配を捉えることもできない。

 こうなると、もはやレナにできることはない。
 罠にかかった獲物のようなものだ。
 リケンに好きに調理されてしまうだけ。
 数秒後には彼の刃に倒れているだろう。

 ……そうなるはずだった。

「よし、そこ!」
「なっ……!?」

 レナはくるっと回転した。
 その勢いを乗せて刃を振る。

 そして……
 背後に回り込んでいたリケンの腹部を裂いた。

 確かな手応え。
 リケンは剣を落として、腹部の傷を手で押さえつつ、地面に片膝をつく。

「バカな……どうして儂の居場所が……」
「見えてなかったよ? 気配も感じなかったよ?」
「ならば、どうして……」
「癖なんだよねー」
「なん、だと?」
「リケンって、ここぞっていう時は相手の背後を取るよね? いつもいつもいつも、背後から奇襲をしかけるよね? だから、後ろから来ることはわかっていたんだ。ボクを確実に仕留めるため、リケンが一番慣れた方法で……背後からの奇襲をしかけるだろう、って。というか、そうなるように誘導していた自信があるよ。背後からの攻撃は、わざと食らうようにしていたからね。あ、見失ったフリも同じ」
「な……」
「あとはタイミングの問題だけど、これも簡単。いくら姿が見えなくて気配が感じられないとしても、人が動けば空気も動く。全方位、遠くまで空気の動きを察知するなんて無理だけど、背後限定なら、集中していれば問題ないんだよね。で、リケンはボクの狙い通りに背後にやってきて……というわけ」

 しばらくの間、レナはリケンと一緒にいた。
 だからこそ、彼の弱点とも呼べる癖に気づくことができた。

 レナを未熟者と侮り、慢心を抱いたリケンの負けだ。

「そんなわけで……」
「ま、待て!? 儂はこのようなところで……」
「ボクの勝ち♪」

 レナはにっこりと笑い、剣を振り下ろした。
 ギィンッ!!!

 鋼と鋼が激突する音が響いた。

 ソフィアの聖剣とゼノアスの魔剣。
 真正面から激突したそれは、周囲に衝撃波を飛ばすほどの威力を放つ。

「くっ」
「むぅ」

 剣と剣を交差させて競り合う。
 互いに全力。
 一片たりとも出し惜しみはしていない。

 それでも……

「ちっ」

 わずかにソフィアが押され始めた。

 ゼノアスの巨体から繰り出される力はソフィアの上をいく。
 さらに巨大な魔剣から生まれる力も聖剣の上をいく。

 力比べをしていたら勝てない。
 そう判断したソフィアは、全身を使って剣を押し込んで……
 途中、ふっと力を抜いた。

「むっ」

 ゼノアスが魔剣を振り抜いた。
 しかし、ソフィアはすでに安全圏に退避している。
 一歩間違えばそのまま両断されていたけれど、そこは剣聖というべきか。
 並外れた動体視力、身体能力でゼノアスの攻撃を回避してみせた。

「破山!」

 真横に回り込み、全力の一撃を叩きつける。
 巨大な岩を断つ剣技。
 人に向ければ跡形も残らないだろうが……

「……あなたは化け物ですか」

 ソフィアの技を食らい、ゼノアスは吹き飛んだ。
 近くの木に激突して、幹をへし折る。

 しかし、それだけ。
 体が粉々になるということはなくて、わずかに切り傷ができただけ。
 ゼノアスはゆっくりと立ち上がる。

「狙いは読めたからな。脇腹に気を集中させて防いだだけだ」
「あの一瞬でそんなこと、普通できるわけがないんですけど……まったく、非常識ですね」
「俺の剣をあのような方法で避けたお前に言われたくない」

 ゼノアスは小さく笑う。

「だが、悪くない」

 改めて剣を構えた。

「その力、素晴らしい。さすが剣聖と呼ばれているだけのことはあるな。斬る甲斐がある」
「……一つ聞きたいんですけど、いいですか?」
「なんだ?」
「あなたは、どうして戦うんですか?」
「己の存在を証明するために」

 その意味がわからず、ソフィアは眉をひそめた。

「俺は戦うことしか知らない。他の生き方はできない」
「なるほど……だから、戦うことが己の存在意義になると? そうすることで、自分がいたことの証明になると?」
「そうだ。戦うことしかできない男だからな」
「それで、いいんですか?」
「構わない」

 そう答えたゼノアスに迷いはない。
 まっすぐソフィアを見て、静かな闘気を放つ。

「いつまでも戦い続けて、そして、いつか倒れる。それこそが俺の望みであり願いだ」
「なんて厄介な夢を……できれば、私達を巻き込まないでほしいんですけど」
「無理な相談だな。お前が強者である以上、避けては通れない道だ」
「やれやれ」

 ソフィアは呆れるような吐息をこぼした。
 それから、改めて剣を構える。

「なら、戦うしかないですね」
「そうだな」
「……いきます」
「楽しもう」

 そして……最強と最強が再び激突する。
 物心ついた時、ゼノアスは薄汚れた格好で汚い路地にいた。
 持ち物は剣が一つ。
 それだけで他になにもない。

 親の顔は知らない。
 友もいない。
 一人だけ。

 スラムは戦場と変わらない。
 気を抜けば死ぬ。
 心を許せば死ぬ。
 油断すれば死ぬ。

 常に死と隣合わせの生活だ。
 ちょっとしたことで血が流れて、暴力は日常茶飯事で、笑顔があふれたことなんて一度もない。
 毎日毎日血が流れて怒号が飛んでいる。
 昨日は見かけた顔が消えているなんて当たり前だ。

 そんな中で子供が生きていくことは難しい。
 生きるために他人の支配を受け入れて、駒となるしかない。

 それはそれで、人を人と思わない扱い。
 地獄のような日々が待っていて、生きているだけ、という状態になってしまう。

 ただ、ゼノアスは違った。
 他人の傘下に入ることはない。
 支配を受け入れることはない。
 剣を手に、力で道を切り開いた。

 斬る。
 斬る。
 斬る。

 邪魔になる者は全て切り捨てた。
 それだけの力を持っていた。

 こうして、ゼノアスは生を手に入れた。
 他者に食いつぶされることなく、理不尽に押しつぶされることもなく。
 己のしたいように道を歩いて、生きていくことができた。

 その際、黎明の同盟から声をかけられた。
 並外れた力を持つために目をつけられて、しかし、敵対する道ではなくて仲間になってほしいと言われた。

 ここは地獄。
 スラムを抜け出せるのなら断る理由はない。
 ゼノアスは誘いを受けて、黎明の同盟の一員となった。

 ただ、彼の生きる道は変わらない。
 今度は黎明の同盟のために人を斬ることになった。
 スラムにいた時と比べると色々な面が改善されたものの、結局、剣を振ることは変わらない。

 ただ、それに不満を覚えているわけではない。
 むしろ望んでいた。
 ゼノアスは剣を振り、戦い続けることを願っていた。

 なぜなら、そうして生きてきたから。
 剣を振り、戦う。
 そうし続けてきたからこそ、今更、他の道を歩むことはできない。
 それは己の今までの生を否定するようなものだ。

 故に、ゼノアスは戦い続ける。

 戦いことが己の生。
 剣を振り、力を示すことが存在意義となる。
 そうすることで、今ここにいる、と世界に叫ぶことができる。

 不器用で。
 歪んでいて。
 でも、他に生きる道を知らないのだ。
 そうするしか知らないのだ。

 だからこそ、ゼノアスは強敵を求める。
 戦うことで己を証明して、存在意義を求めて、生を実感することができる。
 なれば、弱者を相手にしても仕方ない。意味がない。
 己と渡り合うことができる強者でなくてはいけない。

 命を賭けた戦いをして……
 そこで初めて、生と死の両方を感じることができる。
 そうして命を覚えることができる。

 悪意はない。
 もちろん善意もない。
 あるのは生を求める渇望と、その意味を問いかける願いだけ。

 剣を取り。
 剣を振り。
 今までそうしてきたように、これからもずっと同じことを続ける。
 過去を振り返ることなく、前だけを見る。突き進んでいく。

 いつか倒れるその日まで。

「俺は……戦う」

「あぁああああああああああ!!!」
「おぉおおおおおおおおおお!!!」

 ソフィアとゼノアスが激突した。
 己の持つ力を全力で相手にぶつける。

 剣と剣が交差して……

「くっ!」

 わずかにソフィアが押された。

 力で負けている。
 その事実を即座に感じ取ったソフィアは、力比べを避けてすぐ後ろに跳ぶ。

 逃さないとゼノアスが追撃してくるが、彼が剣を振り下ろすよりも先に、ソフィアはさらに別の場所に移動していた。
 そこからさらにステップを踏んで移動を繰り返す。
 一秒と同じ場所に留まらない。

 ゼノアスを中心に円を描くように駆ける。
 途中、ソフィアは踏み込みつつ剣を振る。

 大きなダメージは期待しない。
 あくまでも牽制の一撃だ。

 ただ、それを何十、何百と繰り返せば驚異となる。
 剣の嵐だ。
 それに襲われたゼノアスは自然と足を止めてしまい、防戦に追い込まれていく。

「……やはり」

 力はゼノアスが上。
 しかし、速度はソフィアが上だ。
 こうして翻弄を続ければ負けることはない。

 ただ、勝つこともない。

「厳しいですね……」

 攻撃と移動を繰り返しつつ、ソフィアは苦い顔をした。

 速度はソフィアの方が上。
 ゼノアスも彼女を追いきれない様子で、防御に撤していた。

 固い。
 なんて固い鉄壁の防御なのだろう。
 まるで砦相手にしているかのようだ。
 何度攻撃を繰り返しても崩すことはできない。

 ゼノアスは防御に徹しているため、大きく動くことはない。
 しかしソフィアは足を使っているため、体力の消耗が激しい。
 この状態が長く続けば、いずれ体力が尽きてしまうだろう。
 剣聖とて体力は無限ではない。

「ならば!」

 ソフィアはさらに速度を上げた。
 同時に攻撃の頻度も上げた。

 攻撃が届かないのなら、さらに加速すればいい。
 ゼノアスが反応しきれないほどの超高速の攻撃を叩き込めばいい。

 わりと脳筋な考えではあるが、この場は正しい。
 攻撃が届かない、防御を崩せないからといって力で勝負をしたら、ソフィアはあっさりと負けていただろう。
 得意分野を捨てて相手の舞台で戦うようなことをすれば不利になるだけ。
 そのことをきちんと理解していたからこそ、ソフィアは己の武器……速度をさらに上げるという選択を取った。

「やるな」

 防御に徹するゼノアスは小さく笑う。
 その笑みはとても満足そうなものだ。

 ソフィアの攻撃は苛烈で、一瞬でも気を抜けば切り刻まれてしまいだろう。
 しかし、そうやって生と死の狭間に立つことで、今までにないほど充実しているのだろう。
 己の存在意義を見つけることができているのだろう。

 ソフィアが奮戦すればするほど、ゼノアスの戦意は高まっていく。
 士気が高揚する。
 皮肉な話だ。

「いい加減、倒れてくれても構いませんよ?」
「そのようなつまらないことはしない。もっとこの時間を楽しもう」
「私は楽しくなんてありません!」

 ソフィアは吐き捨てるように言い、さらに足に力を込めた。

 加速。
 加速。
 加速。

 いい加減に届け!
 半ば祈りつつソフィアは剣を繰り出して……

「そこだ」
「っ!?」

 しかし、その祈りは砕かれた。
 最悪のタイミングでゼノアスの剣が振られ、ソフィアが吹き飛んだ。
「かはっ!?」

 重力が横になったかのように、ソフィアの体が飛ぶ。

 木の幹に激突して……
 しかし、それでも止まらない。
 木の幹を折り、さらに吹き飛んで、家の塀に叩きつけられた。

 ビシリと蜘蛛の巣状に塀にヒビが走る。
 ようやくそこでソフィアの体が止まるものの、全身を激しく打ち付けていた。

「うっ……ぐ……」

 意識は消えていない。
 手足の感覚は残っている。

 鈍い痛み。
 鋭い痛み。
 その両方が同時に襲ってきた。

 ただ、それは良いことだ。
 痛みがあるということは、まだ体が壊れていない証拠。
 戦うことができると、ソフィアは立ち上がる。

「はぁっ、はぁっ……なかなか、やりますね……」

 どうにかこうにか再び剣を構えることができた。
 ただ、切っ先が揺れてしまっている。

 肺がやられてしまったのかもしれない。
 口から血があふれ、その度に体力が失われていく。

 ゼノアスはゆっくりと歩み寄り、剣の切っ先をソフィアに向ける。

「終わりだな」
「いいえ、まだです」
「いや、終わりだ。確かに、まだ戦えるかもしれないが……その様子では、俺を相手に一秒と保たないだろう」

 万全の状態で拮抗していた。
 しかし今のソフィアは3割ほどの力しか出せない。
 おまけに即座に治療が必要なレベルの怪我を負っている。

 詰んでいた。

「お前は強い。男とか女とか関係なく、最強に並ぶ剣士と呼べるだろう」
「それ、皮肉ですか?」
「本心だ。一歩間違えれば、運が悪ければ、そうなっていたのは俺の方だっただろう」

 それもまた事実だ。

 ソフィアとゼノアスの力は互角だった。
 ソフィアは速度。
 ゼノアスは力。
 それぞれ特化したところはあるものの、総合力は互角で、どちらが勝つかわからない戦いだった。
 今回はたまたまゼノアスに勝敗が傾いただけ。
 またやれば、次はソフィアが勝つかもしれない。

 ただ……
 『また』は訪れないだろう。

「お前のおかげで、俺はまた一つ、生を感じることができた。己の存在意義を確かめることができた礼を言おう」
「……」
「せめてもの情けだ。苦しまないように一撃で終わらせてやる」
「……勘違いしないでもらえませんか?」
「なに?」
「まだ、終わってなんていませんよ」

 ソフィアはゼノアスを睨みつけた。

 手足に力が入らない。
 剣をまっすぐ構えることができない。
 それでも、戦う意思は消さない。
 むしろ、今まで以上に闘志を燃やす。

「勝敗はついた。そのことがわからないほどバカではないだろう?」
「そうですね。このまま戦っても、私は負けるかもしれません。でも、勝てるかもしれません」
「なにをバカな……」
「私は……負けるわけにはいかないのです」

 ここで負ければ、アイシャ達が危険に晒されてしまう。
 それはダメだ。
 絶対にダメだ。

 故に、ソフィアは戦う。
 母として子を守るために戦うのだ。

「……ならば、最後まで全力でいかせてもらおう」

 ゼノアスは剣士としてソフィアに最大限の敬意を払う。
 おそらく生涯名前を忘れることはないだろう。

 そして……

 ゼノアスは地面を蹴り、超速で駆けて、剣を振り下ろした。

将来結婚しようね、と約束した幼馴染が剣聖になって帰ってきた~奴隷だった少年は覚醒し最強へ至る~

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