将来結婚しようね、と約束した幼馴染が剣聖になって帰ってきた~奴隷だった少年は覚醒し最強へ至る~

「……ぅ……」

 ぽつり、ぽつり。
 なにかが頬に当たっている。

 冷たい。
 これは……

「……水……?」

 反射という感じで、ゆっくりと目を開けた。
 それと同時に全身の感覚が戻ってきて……

「あっ……ぅう!?」

 激痛に悲鳴をあげてしまう。

 痛い。
 痛い。
 痛い。

 神経を針で刺されているかのようだ。
 指先を動かすだけで、耐えられないほどの痛みが襲いかかってくる。
 うめき、涙をこぼしてしまう。

「僕、は……」

 必死に痛みを我慢しつつ、なにが起きたか思い返す。

 宿で待機して……
 ゼノアスに襲われて……
 必死になって逃げたけど、あいつの一撃を食らって……

「……そうだ、負けたんだ……」

 なにもできなかった。
 時間を稼ぐので精一杯。
 アイシャ達が逃げるのを待って……
 その後は防戦一方。

 いや……防戦にもなっていなかったと思う。
 遊ばれていただけ。

 こちらは必死になって、全てを出し切り、なんとか耐えたものの……
 ゼノアスは余裕があった。
 まだまだ力を隠し持っていた。

「……あの人は、なんであんなに強いんだろう……」

 自然とそんな疑問が口からこぼれた。

 僕はそれなりに強くなったと思う。
 うぬぼれ……ではないはず。

 いくつもの修羅場を潜ってきた。
 たくさんの強敵を相手にしてきた。

 でも、それらで得た技術や経験、知識は……無駄だった。
 ゼノアスにまったく通用しなかった。

 いったい、どれだけの研鑽を積めばあれほど強くなることができるのだろう?
 どれだけ剣を振れば、あの領域に至ることができるのだろう?

「ソフィアのところに……戻らないと……」

 きっと心配している。
 早く戻って元気……ではないけど、無事なところを見せてあげないと。

 それからレナ達と協力して、黎明の同盟に立ち向かわないと。
 そして、ゼノアスにリベンジを……

「……リベンジ?」

 もう一度、ゼノアスと戦う?
 天と地ほども差がある実力者を相手に、剣を振る?

「……嫌だ」

 自然とそんな言葉が漏れ出た。
 体が震える。

 怖い。
 怖い。
 怖い。

 あんな化け物と戦うなんて。
 もう一度、剣を交わすなんて。
 そんなことは……

「怖いよ……」

 どうしても体の震えを止めることができなくて、僕は、自分で自分を抱きしめる。
 それでも寒さも恐怖も止められず、ただただ震えていた。
「んー……こっちかな?」

 レナは時折足を止めつつ、王都をゆっくりと歩いて回る。

 フェイトを探して、そろそろ3時間が経とうとしていた。
 手がかりは見つからない。
 ただただ勘で動き回っている。

 それでもレナは焦っていない。
 むしろ余裕すらあった。

 レナは勘が鋭い。
 その勘のおかげで今まで生き延びることができて、そして、強い剣士になることできた。
 だから、なんとなくだけどこっちにフェイトがいるかも? と勘が働いているうちは焦る心配はない。

「だいぶ近づいてきた感じ?」

 そう言うレナは、王都を囲む壁の外に出ていた。

 そこはスラム街になっていた。
 他所からやってきたものの、居場所を得ることができず壁の外で暮らすしかない者。
 あるいは、犯罪を犯して街を追われた者。

 そんな者達が壁の近くに住み着いて、スラムが形成されていた。

 王都の闇が凝縮されたような場所だ。
 一歩でも踏み込めばどんな目に遭うかわからない。
 盗賊でさえ恐れて近づかない。

 そんな場所を、レナは鼻歌を歌いつつズンズンと突き進む。

 レナのような美少女がスラムに足を踏み入れれば、10分と保たず襲われるだろう。
 金目のものは全て取られ、服を奪われ、犯されて……
 そして人生が終わる。

 そのはずなのだけど……

「「「……」」」

 スラムの者達は静かだった。
 レナに襲いかかることはなくて、ただ視線をやるだけ。

 彼らは獣のように凶暴で、外から来る者に容赦しない。
 しかし、獣だからこそ危険に対して人一倍敏感だ。
 レナが只者でないことを一目で察して、ちょっかいをかける者はほとんどいない。

 ……ほとんど、というだけで、少しはいた。
 そして、そういった愚か者は漏れなく返り討ちに遭う。
 下卑た笑みを浮かべた男がレナの前に出て、欲望をぶつけようとして……そして、瞬殺されていた。

 ばかなヤツ……と、周囲のスラムの者達は哀れみの視線を送る。

「ねえねえ、おじさん。ボク、フェイトを探しているんだけど知らない?」

 自分の二倍はあろうかという大男を軽々と制圧しつつ、レナが笑顔で尋ねる。

「ふぇ、フェイト……? な、なんのことだ?」
「知らない? ボクと同じくらいの歳の男の子。強いだけじゃなくて、めっちゃ可愛いの。抱きしめたい男の子ナンバーワン! ……知らない?」
「し、知らねえよ、そんなヤツ……ただ」
「ただ?」
「見たことのねえ大男なら見かけたことがある」
「大男?」
「背は俺と同じか、ちょい上くらいで、無骨な感じで……なんかもう、一目見てやべえ、って背中が震えるような男だった。あれはマジでやばい……鈍感な俺でも、死ぬ、って思ったからな……」
「……ゼノアスかな?」

 他に思い当たる男がいない。
 レナは少し真面目な顔をして考える。

「そいつが少し前、ここで暴れてたんだよ。俺は、それくらいしか知らねえよ」
「ほんと?」
「ほ、本当だ。だから……」
「オッケー。じゃあ、腕一本で許してあげる」
「ぎゃあ!?」

 レナは男の腕を折り、それから拘束を解いた。

「ひ、ひぃ……ど、どうしてこんな……」
「ボクを襲おうとしたのに、命は助けてあげるんだから感謝してほしいくらいなんだけど? ボクも女の子だから、キミがしようとしたこと、今までしてきたであろうことを考えると、ムカツクんだよねー……やっぱり殺そうかな?」
「ひぃやあああああ!?」

 レナの殺気を浴びせられて、男は脱兎のごとく逃げ出した。

 その背中を見送りつつ、レナは難しい顔を作る。

「たぶん、ゼノアスがここにいて……フェイトもここにいた。二人は戦って……それから? それからフェイトはどこに?」

 レナは手頃な木箱に腰掛けて、腕を組む。
 つま先で地面をリズミカルに叩きつつ、思考を広げた。

「フェイトの気配はしない。ゼノアスの気配もしない。戦いはもう終わっている。フェイトがやられた? ううん。嫌な感じはしない。なら、逆にゼノアスが倒された? ううん。あのゼノアスが簡単にやられるわけがない。なら……」

 ぶつぶつとつぶやきつつ、レナは考える。

 考えて。
 迷い。
 そして閃く。

「フェイトは……負けた。そして、ここに逃げ込んだ?」
 フェイトは強い。
 とんでもない身体能力と恐ろしい成長速度。
 いずれレナやソフィアをしのぐ剣士になるだろう。

 でも、今はまだ雛のようなもの。
 ゼノアスと激突すればタダでは済まない。
 おそらく、ほぼほぼ100パーセントの確率で負けるだろう。

 ただ、逃げに徹すれば生存の可能性はある。
 だからフェイトはスラム街に逃げ込んで、ゼノアスの目をごまかした。

「……うん。そう考えれば納得できるかな?」

 レナは考えを整理して、それから厳しい表情を作る。

 今の推理が正しいとしたら、フェイトはかなりのピンチだ。
 ゼノアスに追われているかもしれない。
 大怪我をしているかもしれない。
 身動きが取れなくなっているかもしれない。

 死んでいるかも、という可能性もあったのだけど……
 最悪の想像だけは避けておいた。
 想像だけでもフェイトが死んでいるなんて考えたくない。

「急がないと、だね!」

 レナは気を引き締めてスラムを駆けた。

 最大限、周囲に気を配りつつ……
 あちらこちらに視線をやり、フェイトを探す。
 あるいは手がかりを探す。

 ただ、見つかったのは意外な相手だった。

「妙な気配がしたと思えば、お前か。レナ」
「げっ!? ゼノアス……!」

 フェイトではなくて、フェイトを倒したであろうゼノアスと遭遇することになった。

 レナは反射的に、腰に下げたティルフィングの柄に手を伸ばす。
 ただ、ゼノアスはなにもしない。
 臨戦態勢に入ったレナを前にしても、背中の剣を取ることはない。

 仲間だから、という意識は彼にない。
 レナが斬りかかってきたとしても、即座に対応できる自信を持っているのだ。

「くぅ……その余裕、ムカつく」
「なんの話だ?」
「いいよ、別に。それよりも……フェイトはどこ?」
「フェイト? ……ああ、あの少年か。久しぶりに戦う価値のある相手だった。強いな」
「やっぱり、もう……」
「惜しむべきことは、最後まで決着をつけていないことか。俺も探しているのだが、知らないか?」
「知ってたとしても教えるわけないじゃん」

 べーと、レナは舌を出した。

 それと同時に、内心で安堵する。
 ゼノアスの口ぶりからすると、フェイトはまだ殺されていないみたいだ。

 そして、ゼノアスからは戦意がほとんど感じられない。
 探しているといったが、ついでのようなもの。
 おそらく、もう本拠地に帰るのだろう。

「そういえば、レナは同盟を抜けたらしいな」
「耳が早いね?」
「リケンから聞かされた。レナは裏切り者だから、見つけたら斬るように、ともな」
「っ……!!!」

 レナは前かがみになり、いつでも抜剣できるように体勢を整えた。
 ゼノアスの一挙一動を見て、最適な答えを導き出せるように思考を加速させる。

 しかし……

 ゼノアスが剣を抜くことはない。
 それどころかレナに背を向けた。
 これがリケンなら不意打ちや油断を誘う罠を疑うが、ゼノアスはそのようなことはしない。
 戦闘狂ではあるものの、戦闘狂だからこそ戦いは真正面から純粋に楽しむタイプなのだ。

 レナは拍子抜けしてしまい、戸惑い気味に問いかける。

「えっと……ボクを斬らないの?」
「アジトに攻めてきたのなら別だが、たまたま会っただけだからな」
「それ、後でリケンに怒られない?」
「知らん。俺は俺のやりたいようにやる。誰であろうと、俺に口出しはさせない」

 黎明の同盟の最強の剣士だからこそ、そんなことを口にできる。
 もしもレナが似たようなことを口にしたら、即刻、粛清されていただろう。

「それに……」

 ゼノアスは一度、レナを振り返る。
 その目には優しさがあった。

「迷惑かもしれないが、レナのことは妹のように思っていた」
「……ゼノアス……」
「できることなら、俺に妹を斬らせるな」

 そう言い、ゼノアスはスラムから立ち去った。
 ゼノアスはレナの剣の師匠だ。
 リケンなど、他の幹部も彼女に稽古をつけていたが、一緒に過ごした時間はゼノアスが誰よりも長い。

 剣に愛された天才。

 それがレナに抱いた感想だ。
 それくらいにレナは剣の扱いに長けていて、砂が水を吸うようにありとあらゆる技を会得していった。

 いつものゼノアスならば、いつかレナと戦ってみたいと思うのだけど……
 しかし、不思議とそんな感情は湧いてこない。
 レナの成長を楽しみにしていて、どのような剣士に育つかこの目で見届けたいと思うようになっていた。

 そして……

 レナは剣士として一つの完成形に到達した。
 魔剣も自由自在に操ることができるようになった。

 レナが強くなったことは喜ばしい。
 自分のことのように嬉しい。

 ただ、ゼノアスは不安を抱いた。

 彼女をこのままにしていいのだろうか?
 血に濡れた人生を歩ませていいのだろうか?
 黎明の同盟の一員ではなくて、一人の女の子として歩ませた方がいいのではないか?

 そんな迷い。

 レナは黎明の同盟から大きな期待をかけられて……
 本人もそれに応えるかのように、剣を振る。
 数多もの敵と戦い、強敵を倒してきた。

 その度に仲間から褒められて、レナはこれくらい当然だと自慢そうに笑い、そして……
 どこか嬉しそうに、満たされたような顔をする。

 ただ、時折つまらなそうな顔をしているのをゼノアスは見逃さなかった。

 レナは、本当の意味で満たされていない。
 仲間から求められているから戦っているものの、ゼノアスと違い、戦いが好きというわけではない。
 必要に応じて剣を振るだけで、望んで血を浴びているわけではないのだ。

 それを察した時、ゼノアスはレナを同盟から遠ざけることを決めた。
 いつになるかわからない。
 実現できるかどうかわからない。

 ただ、彼女はここにいるべきではないと感じた。

 そして……

 ある日、レナに相談された。
 黎明の同盟を抜けようと思うんだけど、どうしたらいいかな? ……と。

 同盟の掟に従うのならば、裏切り者は粛清あるのみだ。
 それ以前に、レナのような貴重な剣士を手放してはならない。
 なんとしても考え直させるのが当たり前のこと。

 でも、ゼノアスはそれを良しとしない。

 戦うことしか興味のないゼノアスではあったけれど、今はもう一つ、大事にしたいものができた。
 大事なもの……レナの意思を尊重したい。

 だから、好きにしたらいいと伝えた。
 止めることはしない。
 積極的に応援もしない。
 ただ、彼女の自由意志に任せた。

 そして、レナは黎明の同盟を抜けた。

 もう二度と会うことはないかもしれない。
 これが最後で、記憶からも消えてしまうかもしれない。
 それでもいい。
 レナが幸せになれるのならば、後はどうでもいい。

 そう思っていたのだけど……

「まさか、敵として戻ってくるとはな」

 ゼノアスはさきほどの邂逅を思い返して苦い顔をした。

 どこか遠くで幸せに暮らしていてほしいと願っていた。
 剣を握ることなく、子供を抱くような日々を過ごしてほしいと思っていた。

 ただ、それは叶わないもので……
 再びゼノアスの前に現れた。
 今度は敵として。

「……レナ。お前がその道を選んだのなら、俺は、容赦することはできない」

 妹のように思い、大事にしてきたつもりだ。

 それでも。
 敵となるのならば……斬る。
「各員、準備はいいですか?」

 エリン率いる特務騎士団は墓地の前に集結した。

 ここまできたら正面決戦しかない。
 物陰に隠れるということはせず、堂々と姿を晒していた。

 他にも通常の騎士も作戦に参加していた。
 いざという時に備えて、戦場になるであろう墓地を隔離して……
 討ち漏らすことがないように完璧な包囲網を敷く。

 冒険者も集結していた。

 黎明の同盟の最終的な目的は不明ではあるが、それが達成された場合、王都は大きな打撃を受けるだろう。
 ホームグラウンドである王都が壊滅すれば仕事どころではない。
 なによりも大事な人の笑顔が消えてしまう。

 それを守るために、冒険者達も協力することになった。
 その先頭にクリフがいる。

「大変なことになったねえ」
「……このような時に、なぜそんなにも呑気なのですか?」

 あくまでもマイペースを貫くクリフに、エリンは少しイラッとした様子で言う。

 それでも尚、クリフは笑ってみせた。

「適度に肩の力を抜かないと。リラックス、リラックス。ドーナツ食べるかい?」
「いりません」
「おいしいのに」

 どこからともなくドーナツを取り出して、クリフはぱくりと食べた。

「いいですか? これは王都の存亡を賭けた戦いと言っても過言ではありません。あなたはもっと真面目に……」
「わかっているよ」

 エリンのジト目を受けて、クリフは少しだけ表情を真面目にする。

「……もう二度と、あんな悲劇は繰り返したくないからね」
「あなたは……」

 そう言うクリフが思い浮かべているものは、故郷だ。

 なにもないけれど、穏やかな時間を過ごすことができた優しい場所。
 たくさんの笑顔にあふれていたところ。
 大事な友達がいた地。

 でも……今はもうない。
 魔物の襲撃を受けて壊滅した。

 その時のことは、今も昨日のことのようにはっきりと覚えている。
 悲しみと怒りを胸に抱えている。

 だから……

「なんとしても、食い止めないとね」
「……それを理解しているのなら構いません」
「おいしいドーナツを食べるためにも、またがんばらないと」
「結局、それですか」

 今度はエリンは怒ることはなくて、苦笑した。
 なんだかんだ、ほどよくリラックスできたらしい。

「では……」

 すっと、エリンの表情が切り替わる。
 抜き身の刃のような鋭い目。

 剣をゆっくりと抜いて、高く掲げる。
 そして……一気に振り下ろしつつ、鋭く叫ぶ。

「突入!!!」



――――――――――



 街の外れ……墓地の方が騒がしくなった。
 詳細を知らされていない街の人は不安そうにしつつ、騎士達に言われるまま自宅に引き返している。
 戒厳令が敷かれ、家で待機することが命じられたのだ。

「……」

 その様子を宿の窓から眺めていたソフィアは、部屋の中に視線を戻した。

「すぅ、すぅ……」
「……オフゥ……」
「すかー……すぴかー……」

 アイシャとスノウが折り重なるように寝て、その上でリコリスが寝息を立てている。

「……今は、大事なものを守ることだけを考えないと」

 そう自分に言い聞かせて、ソフィアは部屋の外に出た。
 宿の裏手に出ると暗闇が広がっていた。
 表通りならともかく、裏通りにまで明かりは広がっていない。

 月明かりだけが頼りだ。
 ただ、今夜は曇り。
 曇の隙間からわずかに月明かりが差し込むだけで、わずかに地面が照らされている。

「良い夜ですね。月は隠れているものの、風は穏やかで過ごしやすいです。そう思いませんか?」
「そうだな」

 暗闇の中から現れたのは、大柄な男だ。
 その身にふさわしい大剣を背負っている。

 黎明の同盟の幹部の一人、ゼノアスだ。

「あなたは?」
「ただの剣士だ……黎明の同盟に所属しているけどな」
「なるほど。では、敵ですね」
「お前は、噂の剣聖か?」
「どの噂なのかわかりませんが……ソフィア・アスカルトです」
「間違いないようだ」

 ゼノアスは背中の剣に手を伸ばした。
 その切っ先をソフィアに向ける。

 ソフィアもまた、剣を手にする。
 聖剣エクスカリバー。
 初手から最強の切り札を使うことにした。
 そうでなければいけない。
 手加減も様子見もできる相手じゃない。

 それを理解しているからこそ、ソフィアは全力を出すことにした。

 ただ、問題はアイシャ達のことだ。
 ゼノアス以外の敵がいたとしたら対処できない。

「安心しろ」

 ソフィアの胸中を読んだかのように、ゼノアスが淡々と告げる。

「ここに来たのは俺だけだ。部下も仲間も連れてきていない。また、俺の独断なので、他の連中が勝手をすることもない」
「……ずいぶんと親切ですね?」
「他のことに気をとられ、全力を出せないなんてもったいないことはしてほしくない。やるからには、全力の剣聖を叩き潰す……それだけだ」
「なるほど。確かにあなたは『剣士』ですね」

 ソフィアは苦笑した。
 そして、わずかにだけどゼノアスに共感を覚えた。

 剣を扱う者として、二人には通じる者がある。
 剣を振る目的はまったく違うものの、力に対する姿勢はとてもよく似ていた。

「ただ、勝手をしている以上、それなりの成果は出さないといけないからな。俺が勝った場合、巫女と神獣はいただく」
「させるとでも?」
「さてな。どうなるか、俺もわからん。答えは剣が知るだけだ」

 ゼノアスの闘気が高まる。
 空気がビリビリと震えて、近くの小動物達が慌てて逃げ出していく。

 ソフィアもまた、静かに力を溜めていく。
 ゼノアスが荒ぶる高波なら、ソフィアは静かに打ち寄せてくるさざ波だ。

 普段は穏やかに、ただただ静かに。
 しかし、時に岩を砕くほどの力を発揮する。

「……」
「……」

 互いに視線を交わして、

「あ、そうです」

 ふと、思い出したようにソフィアが尋ねる。

「フェイトのこと、知りませんか?」
「フェイト? ……あの小僧か」
「知っているようですね。少し前から行方不明なのですが……なにかしましたか?」
「一戦、交えただけだ」
「結果は?」
「ついていないな。途中で逃げられた」
「そうですか……」

 つまり、フェイトが逃げると判断してしまうほどに追い詰められた。
 その後の行方が心配ではあるが、ゼノアスの口ぶりからしてまだ生きてはいるのだろう。

 そう判断したソフィアは改めて剣を構える。

「失礼しました。もう聞きたいことはなにもありません」
「そうか。では……」

 ゼノアスも剣を構える。
 闘気と闘気が激突して、ビシビシと空気が悲鳴をあげる。

「「死合おう」」
「やっほー」

 宿の表で、レナはにっこりと笑みを浮かべていた。
 その笑顔を向けている相手は、年老いた男……リケンだ。

「レナか。なぜ、ここにいる?」
「決まってるでしょ。リケンの邪魔をするためだよ」
「裏切り者め……ここまで面倒を見てやった恩を忘れたか」
「ボクを育ててくれたのはお父さんとお母さんだよ? 二人が死んだ後は、ボク、自分の力で好きに生きてきたからね。面倒なんて見てもらった覚えはないんだけど」

 そんなことを言われるなんて納得できない、とレナは唇を尖らせた。

「儂の邪魔といったな? 具体的には、どうするつもりだ?」
「わんちゃんズを連れて行くつもりなんでしょ? それを邪魔するの」
「巫女と神獣の重要性は理解しているな?」
「そだねー。二人を材料にすれば、とんでもない魔剣を作りあげることができる。そして……その魔剣を使えば、始祖の封印を完全に解くことができる。黎明の同盟の悲願を達成できるね、おめでとう。まあ、ボクが邪魔するんだけど」
「……」

 リケンはなにも言わずレナを睨みつけた。

 常人なら失神してしまうような殺気を浴びせられる。
 いや。
 失神では済まなくて、そのままショック死してしまうかもしれない。

 それでもレナはけろりとしていた。
 頭の後ろで手を組んで、ぴゅーぴゅーと口笛を吹いている。

「どけ」
「やだよ」
「なぜ、連中に味方をする? 我らの願いを忘れたか? 恨みを忘れたか?」
「うん、忘れた」

 レナはあっさりと言う。
 あまりにもあっさりと言うものだから、リケンは呆気に取られてしまう。

「まあ、気持ちはわかるよ? 酷い目に遭わされて、その事実をなかったことにされて、そうした連中は今ものうのうと生きているんだからね。ボクも昔はむかついていたよ?」

 「でも」と間を挟み、レナは言葉を続ける。
 その表情は優しくて、温かくて……
 そして、年頃の女の子のものらしい笑みを浮かべていた。

「でもさ、復讐よりも大事なことってあると思うんだ。冷たいことよりも温かいことが必要な時って、あると思うんだ」

 レナはフェイトのことを思い返した。

 彼を好きになったこと。
 敵として剣を交わしたこと。
 そして、色々な言葉をかけてもらったこと。

 そのどれもが温かい思い出だ。
 思い返す度に胸が温かくなる。
 復讐という冷たくて暗い感情は浄化されていく。

「ボク、フェイトのおかげで、本当の意味で人間になることができたような気がするんだ。それまでは『復讐』っていうものに突き動かされる殺人人形で、自分の意思を持っていなくて……でも、今は違う。ボクは、ボク。レナ・サマーフィールド。そう言うことができる。自分を持つことができた」
「……」
「『今』が好きなんだ。ボクは、本当の意味でボクらしく生きることができる。だから……」

 レナは腰に下げているティルフィングの柄に手を伸ばす。

「それを壊そうとするのなら、リケンは敵だよ」
「……残念だ」

 リケンも己の魔剣に手を伸ばした。

「儂はお主のことを買っていたのだがな。お主なら、いずれ、黎明の同盟を背負って立つことができる、と」
「買いかぶりじゃない? ボク、好き勝手していただけなんだけど」
「お主は勘がいい。だから、勘で動いていたとしても、結果的に良しとなることが多いのだよ」
「ふーん。ま、今はどうでもいいけどね」
「そうじゃな、どうでもいいことだ」

 二人の闘気が高まる。
 剣に手を伸ばして、睨み合う。
 ただそれだけなのに、すでに死闘を繰り広げているかのような緊張感があった。

 いくらかの人がレナ達に気がついて、危ういものを感じたらしく、慌てて逃げていく。
 なにが起きるのだろう? と眺める者もいるが、十分に距離をとっている。

「やる?」
「ああ、そうしよう」
「じゃあ、これを合図にしようか」

 レナは銅貨を取り出した。
 リケンから視線を外すことなくて、パチンと弾いて宙に放る。

 銅貨はくるくると回転しつつ舞い上がり……
 一定の高さまで来たところで止まり、落下を始める。

「……」
「……」

 二人の視線の間を銅貨が落ちていき、

「「はぁっ!!!」」

 チャリン、と銅貨が地面に落ちると同時にレナとリケンは剣を抜いた。
 ふっと、レナとリケンの姿が消えた。

 いや。
 消えたのではなくて、超高速で動いたのだ。

 風よりも速く。
 音に近い速度で駆けて、それぞれ剣を振る。

 ギィンッ!

 レナの魔剣とリケンの魔剣が激突する。
 どちらかが勝るということはなくて、ほぼほぼ互角。
 競り合う形になり、レナとリケンは剣を持つ手に力を込める。

「やるね」
「ふん、貴様もな」
「でも……」

 レナはニヤリと笑う。

 さらに力を込めて、地面を足で蹴る。
 ガンッ! とリケンの剣を弾き上げた。
 リケンは剣を手放すことはないが、体勢が崩れ、数歩、下がってしまう。

 レナは体勢を低くしつつ、リケンの真横に回り込んだ。
 ぐんっと体を跳ね上げるようにしつつ、刃を下から上に放つ。

「くっ」

 首を狙った一撃は、しかし、ギリギリのところで避けられた。
 リケンは状態を逸らすようにして回避。
 ただ反撃に出る余裕はなくて、仕切り直すために後ろへ跳んで距離を取る。

「うーん、リケンってこの程度? ボク、まだ本気出してないんだけど」
「小娘が、生意気な」
「だって、ちょっとがっかりしちゃうくらいだし? まあ……」

 レナは、改めて剣を構えた。

「元々、ボクの方が強いから仕方ないか」
「……そうだな」
「おろ?」

 意外というべきか、リケンはあっさりとレナの言葉を認めた。

「確かに、剣の腕は儂よりもレナの方が上だ。それは認めよう」
「なに、降参してくれるの?」
「まさか」

 リケンは笑う。
 レナを嘲笑う。

「剣の腕は上かもしれぬが、しかし、それが強さに直結するわけではない。吠えるなよ、小娘が。儂の方が強い」
「……っ……」

 リケンが不敵に笑う。
 その不気味な笑みに、レナは嫌な感覚を覚えて、追撃をためらった。

 有利なのはまちがいなく自分だ。
 しかし、今のリケンは不気味だ。
 下手に踏み込めば返り討ちに遭う。

 そう考えたレナは様子を見る。
 そして……

「え」

 ふっと、リケンの姿が消えた。

 なんの前触れもなく。
 突然、幻だったかのように消えた。

 レナは目を白黒させて……
 ぞくりと背中に悪寒が走る。

 反射で前に跳ぶ。
 ただ、少し遅かった。

「ぐっ」

 背中に走る衝撃。
 すぐに痛みがやってきて、レナは奥歯を噛んだ。

 痛みは無視。
 強引に体を動かして振り返ると、いつの間に回り込んだのかリケンの姿があった。

「……今の、なに?」
「さてな。敵に素直に答えを教えるとでも?」
「いいじゃん。ボクとリケンの仲なんだし」
「今は敵だ。そして、敵は殺す」

 リケンはそう言い放つと、ニヤリと笑い……
 そして、再びその姿が消えた。
 どこだ?
 どこに消えた?

 レナは剣を構えつつ、素早く周囲に視線を走らせた。
 感覚を研ぎ澄ませて気配も探る。

 しかし、リケンを見つけることはできない。

「っ!?」

 再び悪寒が走る。
 レナは体勢が崩れるのも気にしないで、思い切り前に跳んだ。

 その直後……
 さきほどまで立っていた場所を刃が駆け抜ける。

 どのような技を使ったのか?
 斜め後ろに回り込んでいたリケンが剣を振るっていた。

「ふむ、二度も外すか……さすがだな」
「なにそれ? まったく見えないんだけど……」
「当たり前だ。これが、儂の真の力。十数年しか生きていない小娘に見破れるようなものではない」

 リケンが使っているものは、暗殺剣だ。

 剣の腕を磨くのではなくて。
 対象を殺すことだけに特化した殺人剣。

 視線、体捌き、足運び……などなど。
 ありとあらゆる要素を使い、組み合わせることで、相手の視覚情報を乱す。
 結果、姿を消すことができる。

 極限まで高められた技術は魔法と変わらない。
 それを体現してみせた技だ。

「そんな技、初めて見るんだけど?」
「見せていないからな」
「ボクのこと、疑ってたわけ?」
「いいや。見せる価値もないと侮っていただけだ」
「言ってくれるね……!」

 レナは体勢を立て直して、改めて剣を構えた。
 リケンも剣を構える。

 そして……
 再びリケンの姿が消えた。

「くっ」

 レナは初めて焦りの表情を見せた。

 どれだけ目を凝らしても。
 どれだけ集中しても。
 リケンを見つけることができない。
 完全に索敵から逃れていて、捉えることができないでいた。

 いつ攻撃が来るのか?
 どこから来るのか?
 それは、果たして致命傷になりえるのか?

 色々なことを考えて、悪い想像もしてしまう。
 相手が見えないからこそ、余計に悪い想像も膨らんでしまう。
 とても厄介な相手だった。

「見えないなら……」

 ふと、レナは閃いた。
 試してみる価値はあると、体を低くして、剣を鞘に戻す。

「まとめて薙ぎ払えばいいよね! ……裏之二、鳳凰!」

 超高速で抜剣。
 それと同時に回転して、刃と衝撃波を周囲に散らす。
 全方位を攻撃できる奥義だ。

 しかし……

「甘いな」
「あぐっ!?」

 リケンはレナの背後を取り、その背中を斬りつけた。
 今度はまともに受けてしまい、深い傷ができる。

 レナは慌てて距離を取る。

 痛みは無視できる。
 しかし、流れる血はどうしようもない。
 体温と共に体力が失われていく。

「今の、どうやって避けたのさ……?」
「教える必要はないな」
「ケチ」
「それよりも……チャンスをやろう」
「え?」
「戻ってこい」

 そう言って、リケンはレナに手を差し出した。