「……っ……」
ゆっくりと共同墓地を目指すソフィアとエリン。
途中、ソフィアがびくりと体を震わせた。
エリンが不思議そうに小首を傾げる。
「どうしたのですか?」
「いえ、なんていうか……」
ソフィアは後ろを振り返る。
その視線の先に街がある。
アイシャとスノウとリコリス。
そして、フェイトが待ってくれているはずだ。
待ってくれているはずなのだけど……
なぜか、もう二度と会えないという恐怖を感じた。
「……なんでもありません」
気のせいだろう。
敵地に近づいているから緊張して、そんなことを考えてしまうのだろう。
ソフィアはそう結論づけて、先へ進んだ。
「もうすぐアジトにつくよ」
先頭を行くレナは呑気に言う。
いつ敵と遭遇してもおかしくないのだけど、彼女はそれをまるで気にしていないみたいだ。
敵と遭遇しても、斬り捨てればいいと考えているのか。
脅威になる相手なんていないと考えているのか。
たぶん、その両方だろう。
「……」
「エリンさん?」
ふと、ソフィアはエリンの顔色が悪いことに気づいた。
綺麗に整った顔はやや青い。
わずかではあるものの、こんな寒い夜に汗もかいていた。
「どうかしたんですか? もしかして体調でも……?」
「あ、いえ……」
エリンは苦い表情に。
迷うような間。
ややあって、そっと口を開いた。
「実は……恥ずかしい話なのですが、暗闇が苦手でして」
「そう……なんですか?」
意外な話に、ソフィアは目を大きくして驚いてしまう。
エリンは特務騎士団の一員だ。
エリートの中のエリート。
そんな彼女が暗闇が苦手という。
先頭をいくレナも不思議に思ったみたいで、小首を傾げつつ問いかける。
「おばけが怖いとか? それならちょっとわかるよー。ボクも、ホラー小説とか読んだ後、一人でトイレ行けないもん」
「いえ、おばけは怖くありません。そもそも、おばけなんていません」
「ゴーストっていう魔物はいるよね」
「でも、おばけではありません。おばけなどいません」
頑なに否定するのはリアリストだからなのか。
それとも怖いからなのか。
妙に判断に迷うところだった。
「ただ……単純に、暗闇が苦手なのです」
「それは、どうしてですか?」
「……昔、テロに巻き込まれたことがあるのです」
当時を思い返しているらしく、エリンの表情は暗い。
暗いだけではなくて、わずかに恐怖の色も滲んでいた。
「昔は王都ではなくて、地方の田舎で暮らしていたのですが……そこでテロが起きました。領主に不満を持つ人々が暴れ回り、街に大きな被害が出たのです」
「そういうのって、すごく迷惑だよねー」
「あなたが言えたことではないでしょう……それで、どうなったんですか?」
「私は家にいたのですが、誰かの魔法が直撃して、家が崩れました」
エリンは自分を抱きしめる。
その手は震えていた。
「家が崩壊して、瓦礫に押しつぶされそうになって……でも、うまい具合に瓦礫が重なり、なんとか骨折程度で済みました。ただ……」
「……閉じ込められた?」
「はい。自力で脱出することはできず、そして、街が戦争のような状態にあったため助けが来ることもなくて……三日ほど閉じ込められていました」
「そう……」
つまらない同情はしてほしくないかもしれない。
それでも、ソフィアはエリンに対する同情をしてしまう。
それほどまでに辛い話だ。
「それ以来、暗いところがどうにも……情けない話です」
「そんなことは……!」
「そうそう、恥ずかしく思うことなんてないって」
意外というべきか。
レナがフォローに回る。
「人間、誰だって苦手なものがあるからねー。特務騎士だろうとなんだろうと、そういうのがあるのは仕方ないんじゃないかな? かくいうボクも、人の温もりとか苦手だからねー」
「レナ……?」
レナの両親は黎明の同盟の一員だ。
活動を通じて知り合い、仲を深めて、そして結婚。
レナが生まれることになった。
物心ついた時から黎明の同盟の知識に染まっていた。
だから、黎明の同盟が正しいと信じるのは当たり前。
その言葉を疑うことは欠片もない。
その後、なにげなく持った剣を、レナは子供ながら軽々と振るってみせた。
それを見た両親は歓喜したという。
娘には剣の才能がある。
将来、とんでもない剣士に育つだろう。
そして……
その力で黎明の同盟の使命を果たすことができるはずだ、と。
まだ子供のレナは、本当の意味でなにが正しいかわからない。
両親の言葉は絶対で、そして、黎明の同盟の意思も絶対だ。
言われるまま剣の修業を始めた。
レナに才能があったのは本当だった。
みるみるうちに上達する。
常人が一日に1を覚えるとしたら、レナは一日に10を覚えることができた。
ほどなくして、黎明の同盟の幹部であるゼノアスが彼女の剣の師匠になった。
そうするだけの価値があると認められたのだ。
両親はさらに喜んで、レナにがんばるように言った。
そしてレナは……両親の期待に応えようと、さらに剣の稽古に力を入れるようになった。
物心ついた時から黎明の同盟の思想に染まり。
そして、剣を学ぶことだけを考えるようになって。
……他に、なにもない。
友達はいない。
子供らしく遊んだことなんてない。
親の愛情も知らない。
小さい頃のレナは、それこそ人形のように動いていた。
自分の意思なんてない。
決定権なんて持っていない。
周囲に言われるまま、望まれるまま剣を学んでいた。
本人はそれを疑問に思うことはないし、周囲に正すような者もいない。
このまま育てば、冷酷な殺人人形ができあがるだろう。
……そんなある日のことだ。
なぜか、両親にピクニックに誘われた。
母がお弁当を作り、父はたくさんのレジャー用品を手にして、近くの山へ登る。
なぜ、そんな無意味なことをするのか?
レナは不思議に思ったものの、しかし、両親の言うことは絶対だ。
言われるままピクニックに同行した。
実は……
この日、レナの五歳の誕生日だった。
ピクニックに行こうと言い出したのは両親。
日々、剣の稽古で疲れているだろうから、今日はゆっくり休ませたい。
そして、日頃の努力を労いたい。
そう思っていたのだ。
黎明の同盟の思想に染まり、娘に戦う未来を選ばせようとしていても。
それでも、両親はレナを愛していたのだ。
しかし、土砂崩れに巻き込まれてしまうという悲劇が起きた。
レナは死を覚悟したが……死ぬことはない。
両親が己の身を呈して守ってくれたのだ。
父と母はレナを抱きしめて、自分の体を盾として土砂から守った。
おかげでレナは一命をとりとめたものの……
両親は帰らぬ人となった。
レナは、救助が来るまでずっと両親に抱きしめられたままだった。
そして、その温もりがゆっくりと失われていくことを感じていた。
その時になって、ようやくレナは両親の愛情を知った。
自分は愛されていたんだ、と理解することができた。
でも、もう遅い。
両親は……いない。
――――――――――
「っていうことがあったから、どうにもこうにも、誰かの温もりって苦手なんだ。お父さんとお母さんを思い出しちゃうからねー」
「あなたは……」
壮絶な過去を聞いて、ソフィアはどんな言葉をかけていいかわからなくなってしまう。
エリンも同じ様子で言葉が出てこないらしい。
そんな二人を見て、レナがにへらと笑う。
「そんな顔しないでってば。当時は悲しかったけど、今は、あれはあれでいいかな、とか思っているし」
「どういうことですか?」
「あの事件がなかったら、ボク、お父さんとお母さんに愛されていたなんてわからなかったから。二人が死んじゃったのは悲しいけど……でも、愛されていることがわかったから、それはそれでいいのかな、って」
親の愛を知らない。
しかし、親の死をきっかけに愛を知る。
なんとも皮肉な話だ。
「だから……なのかな」
ふと、レナは真面目な顔になる。
「ボク達黎明の同盟は、先祖の恨みを晴らすために戦ってきた。でも、そのために方法を選ばなくて、誰かの大事な人を奪ってきた。そのことをフェイトが教えてくれたから……ボクは、もうやめよう、って思ったんだ」
「……それが儂らを裏切る理由か?」
ふと、しわがれた声が響いた。
墓石の影から老人が姿を見せる。
ソフィアは、その老人に見覚えがあった。
過去、事件が起きたところで何度か目撃している。
黎明の同盟の幹部の一人。
リケンだ。
「やっほー、リケン」
リケンは険しい表情をしているけれど、レナは対称的に笑顔を見せていた。
きさくな様子で挨拶をする。
「こんなところで会うなんて偶然だね?」
「なにが偶然なものか。こうなることは、ある程度、予想していたのじゃろう?」
「まあねー。本拠地に行くのなら、ある程度の立場の人か……もしくは、幹部クラスと遭遇してもおかしくないなー、とは思っていたよ」
レナがニヤリと笑う。
「でも、リケンがここにいるっていうことは、墓地が当たり、ってことでいいみたいだね」
リケンは苦々しい顔をした。
その表情がレナの言葉の裏付けになっていた。
本来なら表に顔を出すべきではないのだけど……
地下の存在を知っているレナなら、すぐに入り口を見つけてしまう。
そして、墓地が本拠地であることを突き止めるだろう。
先にバレるか後でバレるか。
その違いでしかないので、リケンは表に出るという選択をとった。
「くだらぬ感情で儂らを……黎明の同盟を裏切るとは」
「んー、くだらないとか言ってほしくないな? これでもボク、真面目にちゃんと考えたんだよ?」
「それをくだらないと言うのだ」
リケンは剣を抜いた。
刀身は黒に染まり、禍々しいオーラをまとっている。
魔剣だ。
それも適当に作られたものではなくて、大量の生贄を使い、何日もかけて錬成されたもの。
レナの持つティルフィングと同等の一振りだ。
「儂らは、過去に全てを奪われた。なればこそ、今を生きる者から全てを奪い返す。その権利がある。価値がある。そうするべきだろう?」
「……わからないでもないんだけどね」
レナは苦笑する。
「そう考えることが正しいって、そう思っていたよ? 心の底から共感していたよ? でも……」
レナは自分の胸元に手を当てた。
その奥にある気持ちを確認するかのように、優しく微笑む。
「でも、それだけじゃダメなんだ。復讐だけを考えて、正当化して……でも、実際は、ボク達が昔されたことを自分達の手で繰り返していて……そのことを教えてくれた人がいるんだ」
「……あの小僧か」
「ボク達は変わらないとダメなんだよ。過去に囚われてばかりなんて、生きている、とは言えないでしょ? もっと前を……未来を見ないと」
「ボクが言えたことじゃないけどね」と付け足しつつ、レナはリケンの説得を試みた。
しかし、リケンは表情を変えない。
レナの言葉は届かない。
「……残念だな」
「む?」
「儂は、お主のことを買っていたのだが……それが、こんなにも腑抜けだったとは」
リケンの体から殺気が放たれた。
それは質量すら伴い、周囲の草木を揺らす。
ビリビリと空気が震えて、小動物達が慌てて逃げ出す。
「せめてもの情けだ。儂が終わりを教えてやる」
「んー、それは困るな」
レナはあくまでも飄々とした態度で……
合間、チラッとソフィアとエリンを見る。
それだけでレナの意図を察した二人は、小さく頷いてみせた。
それを確認した後、レナも剣を抜く。
「まあ……そういうことなら、やろうか?」
「潔いな」
「でも、こっちは三人だよ? 勝てると思うの?」
「お主に全てを見せてきたと思うな。儂の本当の力を見せてやろう」
「それは楽しみ」
レナはにっこりと笑い、
「ていっ」
おもむろに剣を地面に突き立てた。
「裏之一、獅子戦吼!」
「なっ!?」
極限まで高められた力を一点に収束して、全てを叩き斬る。
神王竜剣術の破山と似た技を地面に向けて繰り出して……
結果、ガッ! という爆音と共に土煙が舞い上がる。
「今! 逃げるよ!」
「はい!」
「ええ!」
「貴様!?」
「本拠地の場所が特定できればそれでいいんだよねー、あははは!」
レナは小悪魔のように笑いつつ、その場を逃走するのだった。
ソフィアは、圧倒的な身体能力を持つ剣聖で……
レナとエリンも、彼女に匹敵する力を持つ。
そんな三人が本気になって逃走すれば、誰も追いつくことはできない。
見事にリケンを撒くことに成功した。
「うん、ばっちり。完全に撒いたよ」
「ふぅ……さすがに疲れましたね」
「王都を横断するようなコースでした。街の人々を驚かせていないといいのですが……」
「騎士さんは真面目だねー」
「あなたが適当すぎるのです」
エリンはレナを睨みつけるが、適当にスルーされてしまう。
「ところで」
ちょうどいい機会だ。
そんな感じでソフィアはレナに尋ねる。
「あなたが使う剣術ですが、あれはどういうことですか?」
「どういうことって?」
「神王竜に別の流派があるなんて、聞いたことがないのですが」
「あー……ま、そうかもね。普通は知らないよね」
どうしようかなー、とレナは少し迷った後、口を開く。
「ま、いいか。リケンにああした以上、もう完全に敵対しちゃったからね」
「その言い方……もしかして、黎明の同盟と関係が?」
「そゆこと。神王竜は、元々、神獣に授けられた剣技なの」
「なっ……!?」
思いもしなかったことを聞かされて、ソフィアはついつい大きな声をあげてしまう。
「遥か昔、神獣は人間のために剣を授けた。まあ、詳細はちょっと違うけど、そんな感じで……それが聖剣。でも、それを扱うだけの技術がないと、宝の持ち腐れだよね?」
「……だから、扱う術も授けた?」
「そそ。それが、神王竜の始まりなんだよね。で、ボクが使う真王竜は『裏』になるの。復讐を果たすことを目的として、殺傷能力を極限まで高めた剣術」
「なるほど……色々と納得です」
元々は同じ神王竜。
対立によって二つの流派に別れ、それぞれ成長を続けていくものの……
元が同じなので、根本的な技は似ている。
疑問の一つが解けて、ソフィアは少しスッキリした。
「ということは、黎明の同盟は……その、真王竜とやらを使うのでしょうか?」
話を聞いていたエリンが、そう質問をした。
「そだね。ボクを含めて、全員、真王竜の使い手だよん」
「それはまた……」
「厄介ですね……」
エリンとソフィアがしかめっ面に。
神王竜は国内最強の流派と言われている。
それに匹敵、あるいは凌駕する剣術を敵が使うとなると、厳しい戦いになるだろう。
対するレナは、あくまでも気楽な様子だ。
「ま、そこまで深刻にならなくていいんじゃない? 厄介なのはゼノアスだけで、リケンはボクよりちょっと下かな? だから、ボクとフェイトと剣聖……それと、特務騎士団いっぱいでかかれば、なんとかなると思うよ」
「だといいんですけど……」
「というか……フェイトがいれば、大抵のことはなんとかなるかも」
「どういう意味ですか?」
フェイトは強い。
地力がとんでもないだけではなくて、剣の才能もあって、驚異的な速度で成長している。
しかし、まだソフィアやレナには及ばない。
身体能力はほぼ互角ではあるが、技術は一朝一夕というわけにはいかず、まだまだ。
そんなフェイトが鍵をにぎるとは、どういうことなのか?
「んー……ボクも確信があるわけじゃないんだけどね。フェイトが持っている剣って、なんか特別な気がするんだ」
「流星の剣が?」
「前に戦った時、なんかこう……魔剣の力が削がれるというか、そんな感じがしたの。もしかしたら、魔剣の天敵なのかも」
「そんなことが……」
「だから、フェイトがいれば、最終的になんとかなると思うんだよねー。逆に、フェイトになにかあったらやばいけど、あっはっは」
「縁起でもないことを言わないでください」
ソフィアが睨みつけるものの、レナは飄々とした顔だ。
フェイトになにかあるなんて欠片も思っていないのだろう。
実際、フェイトは数々の修羅場を潜り抜けてきた。
たくさんの強敵と戦ってきた。
それらの全てを乗り越えて、そして、大きく成長している。
ただ……
「ソフィアっ!!!」
「おかーさん!!!」
「オンッ!」
運悪く、という事態はいつでもありえるのだ。
「リコリス!? アイシャちゃん!? スノウ!?」
王都の小さな広場で話をしていると、頭の上にリコリスを乗せたアイシャと、そんな二人を背中に乗せたスノウが現れた。
涙を流していて、靴を履いていない。
リコリスも顔を青くしている。
ただ事ではないと、ソフィアは慌てて二人のところに駆け寄った。
「どうしたんですか、こんな……!?」
「おとーさんが、おとーさんが!」
「フェイトが?」
ものすごく嫌な予感がした。
ソフィアの心臓がどくんと跳ねる。
「あうあう……」
アイシャは泣いていて、なにを言いたいのかよくわからない。
ただ、耳をぺたんと垂れて尻尾を内股に挟んでいるところを見ると、よほど怖い目に遭ったのだろう。
それを見て、ソフィアはだいたいのことを察した。
「もしかして……襲撃された?」
「そうよ。なんか、でかいヤツがいきなりやってきて……」
リコリスが疲れた様子で言う。
彼女もまた、大きな恐怖と戦っていたのだろう。
「襲撃者……黎明の同盟の者でしょうか? みなさん、急いで戻りましょう!」
「んー? でも、フェイトはめっちゃ強いから、そんなに慌てなくても平気だと思うよ? 多少の差はあるけど、ボクとほぼほぼ変わらないし」
「なら、尚更まずいわ」
リコリスが真面目な顔をして言う。
普段、おちゃらけた態度が多いだけに、その真剣な態度に誰もがごくりと息を飲んでしまう。
「レナのことは強いって思うし、とんでもないと思うけど……でも、まだ人間って思えるもの」
「どういう意味?」
「あいつは……人間じゃなくて化け物よ」
「化け物……?」
「あたし、震えて逃げることしかできなかった……」
そのことを後悔しているかのように、リコリスは自分の体を抱きしめる。
そうすることで震えを止めようとしているかのようだった。
「化け物、化け物……って、まさか……」
レナの顔色が変わる。
「ちょっとまって!? そいつ、二メートル近い大男で、めっちゃでかい大剣を使っていた!?」
「そ、そうだけど……」
「……ゼノアスだ……」
顔を青くして。
小さく震えつつ。
レナは、絶望的な表情を浮かべる。
「やばいやばいやばい……まさか、ゼノアスがこんなところで出てくるなんて……しかも、フェイトを狙うなんて……」
「ゼノアス……ですか?」
「確か、黎明の同盟の幹部ですね? でも、どうしてそんなに慌てているのですか?」
ソフィアとエリンが不思議そうな顔をした。
そんな二人に、レナは顔を青くしたまま説明する。
「正直、ゼノアスのことはよく知らないんだよ。なにを考えているかとか、過去になにがあったのか、とか。そういうの、まったく語らない人だったから。ただ……」
「ただ?」
「……剣の腕だけは抜群。というか、ボクでも測ることができないほどの実力者。何度か模擬戦をしたことがあるんだけど、ボクの全敗」
「それは……」
「ムキになって、魔剣を使って本気で挑もうとしたんだけど……でも、できなかった。ものすごい悪寒がして……そんなことをしたら殺される、って本能的に理解したんだと思う。まず間違いなく、ゼノアスは黎明の同盟の最大戦力だよ。いくらフェイトでも……」
レナの声が震える。
それが伝染するかのように、ソフィアも声を震わせる。
「それじゃあ、今頃……」
「急いど戻らないと!」
「でも……」
ソフィアは迷う。
本当は、一秒でも早くフェイトのところへ駆けつけたい。
ただ、アイシャとリコリスとスノウのことがあった。
ここに残していくわけにはいかない。
もしかしたらリケンが追いついてくるかもしれない。
誰か一人残り?
しかし、レナの話が本当だとしたら、戦力を削るようなことはしたくない。
それに一人残ったとしても、もしもリケンに追いつかれたらとても厳しいことになる。
迷い、焦る。
どうする? どうすればいい?
そんな時……
「おや? こんなところでどうしたのかな?」
のんびりとした声。
振り返ると、クリフがいた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
ぽつぽつと雨が降ってきた。
それはほどなくして土砂降りに変わり、一気に服が濡れてしまう。
でも、そんなことは気にしていられない。
それよりも周囲の気配を探り、敵の位置を見つけないといけない。
それができないと……死だ。
「まさか、あんなに強いなんて……」
ゼノアスのことを考える。
巨大な大剣を己の体の一部のように扱う。
隙はゼロ。
苛烈な攻撃を連続で繰り出してきて、その動きは大胆かつ繊細。
避けることも防ぐことも難しい。
「うっ……ぐぅ」
走り続けていると、脇腹の辺りに激痛が走り、よろめいてしまう。
体の内側に響くような鋭い痛み。
存在感を主張するかのように、痛みがどんどん強くなる。
たぶん、肋骨のどれかが折れたか、あるいはヒビが入ったんだろう。
奴隷だった頃、何度か骨折をしていたから覚えがある。
「我慢……しないと!」
ものすごく痛い。
ともすれば気絶してしまいそうだ。
でも、ここで足を止めるわけにはいかない。
この状況でゼノアスに追いつかれたら、そこで終わりだ。
「こんなこと……情けないな……」
短時間だけど、レナと互角に渡り合うことができた。
神を騙る魔物を倒した。
暴走する領主と決闘をして、打ち勝つことができた。
僕は強くなった。
奴隷だった頃の弱い僕じゃない。
そう思っていたのに……
「僕は……なんて弱いんだろう……」
ゼノアスに手も足も出なかった。
攻撃を防ぐのが精一杯。
まともな一撃を与えることができず、こうして敗走するだけ。
なによりも情けないのが……
「……怖い……」
手が震えていた。
どうにか止めようとするものの、止まらない。
ゼノアスと戦った時、彼に勝てるイメージを持つことができなかった。
負ける未来しか想像できない。
吹き飛ばされる。
踏み潰される。
両断される。
そんな死のイメージばかりで、なに一つ、前に進むことができない。
怖い。
怖い。
怖い。
情けないことに、僕の心は恐怖に支配されてしまっていた。
「早く……早く、逃げないと……!」
少しでも遠くへ。
ふらふらになりつつも、痛む体を前に動かして……
「見つけたぞ」
「っ!?」
恐る恐る振り返ると……
出会った時と変わらない、無表情のゼノアスがそこにいた。
「さあ、続きをやろう」
「う……く……」
「……」
震える僕を見て、ゼノアスから途端に闘気が消えた。
失望を瞳に宿して、ため息をこぼす。
「貴様ならば、と思ったが……どうやら見込み違いだったようだな」
「う、あああ……」
「ここで散れ」
ゼノアスは死神のように冷たく告げて、大剣を振り上げた。
翌日。
ソフィア達は別の宿を取り、そちらへ移動した。
尾行には細心の注意を払い、誰にもつけられていないことは確認済みだ。
一階の食堂で食事を食べようとするのだけど……
「……」
ソフィアは注文した料理に一切手をつけず、険しい表情をしていた。
そんな母を見て、アイシャはとても不安そうにする。
耳をぺたんと沈めて、尻尾をしゅんと落としてしまう。
「ごめんなさい、アイシャちゃん」
「……おかーさん……」
「ダメですね。心配をかけてはいけないのに、でも……」
ソフィアはすぐに険しい表情に戻ってしまう。
昨日、慌てて宿に戻ったものの……
結局、フェイトは見つからなかった。
爆弾でも爆発したのかと思うほどに荒れた部屋と、いくらかの血痕。
それだけが残されていた。
それから夜を徹してフェイトを探したものの、手がかりを得ることはできない。
ずっと探し続けることは体力的にも不可能。
それに、リケンに見つかるかもしれない。
仕方なく別の宿に移動して……そして、今に至る。
「……フェイト……」
ソフィアはフェイトのことで頭がいっぱいの様子だった。
なにも考えることができず、まともに食事をとることもできない。
ただただ、最愛の人のことで頭が占められている。
そんな彼女を見て、レナはため息をこぼす。
「もう……心配なのはわかるけどさ、心配だけしててもしょうがないじゃん? これからのことを考えないと」
「……その態度、あなたは、フェイトのことを心配していないですか?」
「もちろん、しているよ。フェイトなら大丈夫……って思いたいけど、状況的にやばいのは理解しているよ。ゼノアスのことを知っているから、ボクは、尚更絶望感が強いね」
「なら……!」
「でも、泣いてても仕方ないでしょ? フェイトがどうなっているのか、それはわからないよ。けろっと顔をだすかもしれないし……酷い怪我をしているかもしれない。なら、尚更ボク達ががんばらないと。そうでしょ?」
「……そうですね」
ソフィアはため息をこぼす。
それから、自分の情けなさを思い知り、もう一度ため息をこぼした。
レナの圧倒的な正論。
それに打ちのめされてしまいそうだけど、我慢だ。
それに、レナも辛いわけじゃない。
なんだかんだ、彼女はフェイトのことが好きなのだ。
好きな人が行方不明……その心はソフィアと同じだろう。
「なら、今後のことを考えないといけないね。あむ」
そうやって、ドーナツを食べつつのんびり言うのはクリフだった。
「ところで、どうしてあなたがこんなところに?」
「いや、先日会ったじゃないか」
「そうじゃなくて、タイミングが良すぎると思うのですが」
「スティアート君達の話を聞いて、僕もなにかしないといけないと思ってね。ギルドの方で、色々と調整をしていたんだ。で、調整に必要な資料を作成するため、街を歩き回って調査をしていたんだけど……」
「そこで私達と?」
「うん、そういうこと」
ソフィアは、じっとクリフを見る。
嘘を吐いている様子はなさそうだ、と判断した。
そもそも、以前、ちょっとした事件で協力したことがある。
今更、クリフが黎明の同盟に属していることはないだろうと、警戒を解いた。
色々とあって疑心暗鬼に陥っていたらしい。
反省しないといけない、とソフィアは己を戒める。
「スティアートさんのことはとても心配ですが……彼の言う通り、これからのことを考えましょう。そうすることで、スティアートさんを見つけることもできると思います」
エリンが場を仕切り直すように言う。
「黎明の同盟の本拠地については、上層部に報告済みです。国が全力をあげて、というのは難しいですが、特務騎士団の全てを動かしてくれることを約束してくれました。ただ、いくらか準備が……数日かかってしまうのですが、それはどうでしょう?」
「逃げられるかもしれない、っていう心配? それは気にしなくていいと思うよ。あっちはあっちでなにか企んでいるみたいだから、そんな簡単に本拠地を捨てるなんて無理だと思うんだよね。一ヶ月とか放置されたら微妙だけど、数日くらいなら問題ないよ」
「安心しました。ギルドは動いてくれますか?」
「もちろん。ただ……」
クリフは微妙な顔に。
「今回の件で、ギルドのトップが直接話をしたい、って」
「ギルドの……? その方は……」
「アルマリア・ユーグレット。聖女、って呼ばれている人さ」
そう言うクリフは、どことなく自慢そうな口調だった。
ソフィアろレナは、クリフと一緒に冒険者ギルドを尋ねた。
エリンとアイシャとリコリスとスノウはいない。
フェイトの件があるため、宿に残ることに。
レナが用意した簡易結界があるため、黎明の同盟に探知されることはないだろう、とのことだけど……
それでも心配なものは心配で、ソフィアはなかなか落ち着くことができなかった。
ただ、いつまでもそんな体たらくではいけないと、気を引き締め直してアルマリアとの面会に挑む。
「失礼します」
「ようこそ」
客間に入ると、一人の女性が迎えてくれた。
歳は二十代後半だろう。
芸術品のような美を持ち、異性だけではなくて同性も目を奪われてしまうほどだ。
静かな笑みを浮かべているからだろうか?
その身にまとう雰囲気は柔らかく、全てを受け止めるかのように優しい。
アルマリア・ユーグレット。
聖女と呼ばれている、冒険者ギルドの幹部の一人だ。
「ユーグレット様。この方達が……」
「ええ」
アルマリアは一つ頷いて、ソフィア達に視線をやる。
「あなたが、剣聖ソフィア・アスカルト様ですね? はじめまして。アルマリア・ユーグレットと申します」
「ソフィア・アスカルトです。よろしくお願いします」
二人は握手を交わす。
ソフィアは、多少は警戒していた様子だけど……
アルマリアのまったく邪気のない笑顔にやられたらしく、いくらか警戒心を解いていた。
出会ったばかりの人の心を解きほぐす。
彼女が聖女と呼ばれている所以だ。
「そちらは……」
「あたしは、激ミラクル美少女妖精、スーパースターのリコリスちゃんよ!」
「アイシャ……です。この子はスノウ」
「オンッ!」
リコリスはいつもの様子で。
アイシャは人見知りを発揮しつつ、ソフィアの影に隠れつつ。
そして、スノウは元気よく吠えた。
「リコリスさん、アイシャさん、スノウさん、よろしくお願いします」
「……うん」
アルマリアの優しい笑顔に、アイシャもいくらか警戒心を解いた。
小さく笑い返す。
「そして……」
アルマリアの視線がレナに向けられた。
この時ばかりは、さすがに緊張感が漂う。
「ボクは、レナ。レナ・サマーフィールド。黎明の同盟の元幹部だよ」
「話を聞いてまさか、とは思いましたが……嘘ではないみたいですね。それに、特務騎士団の方も一緒とは……」
「エリンと申します」
「……レナさんが味方についてくれた、というのは信じざるをえませんね」
アルマリアの表情から険が消えた。
さきほどまでピリピリと空気が震えていたのだけど、それもなくなる。
「どうぞ」
アルマリアに勧められるまま、ソフィア達はソファーに座る。
ソフィアは紅茶を一口。
リコリスとアイシャとスノウは、クッキーをぱくぱくと食べる。
こういったものが用意されているところを見ると、色々と気遣いができるのだろう。
「報告はクリフから受けていましたが、なにやら、今はさらに状況が変わっている様子。改めて、事態の説明をお願いしてもいいですか?」
「ええ」
ソフィアは頷いて、現状を説明した。
黎明の同盟の本拠地を突き止めたこと。
目的はわからないものの、なにかしら企んでいること。
色々な情報を得て……
しかし、仲間であるフェイトが行方不明になったこと。
全てを聞いたアルマリアは難しい顔に。
「なるほど、そのようなことに……」
「レナは協力を約束してくれました。特務騎士団も同じです。なので……冒険者ギルドも協力してくれませんか?」
「……メリットは?」
「メリット、デメリットの話をする段階はとっくに過ぎています。ここで黎明の同盟を止めないと、とんでもないことになる……それこそ、王都が壊滅するかもしれません」
「そのようなことは……」
「言い過ぎ、なんて私は思いませんよ? 連中は、それだけの力を持っていますからね。事実、いくつかの街は壊滅の危機に遭いました」
「……」
「協力してください」
「……私は」
しばらく考えた後、アルマリアはゆっくりと口を開いた。
「条件があります」
「条件?」
ソフィアが小首を傾げる中、アルマリアは話を続ける。
「今回の事件、公にすることは避けてください」
「それは……」
「事件の詳細、黎明の同盟の細部が公になれば大きな混乱が生まれるでしょう。下手をしたら、第二の黎明の同盟が生まれるかもしれません。それだけは絶対に避けなくてはいけません」
アルマリアの言うことはもっともだ。
これから起きるかもしれない事件を回避する。
混乱を避けたい。
そう思うのは自然のこと。
しかし、ソフィアはすぐに納得できないでいた。
そもそもの話、根本的な原因を辿ると、人間の愚かな所業が原因なのだ。
それを隠して都合よくしてしまうなんて、アリなのだろうか?
それは臭いものに蓋をしているだけではないか?
全ての事実を公にする。
その上で、これからのことを真摯に考えていく。
そうしなければ、いつかまた同じ過ちを繰り返すかもしれない。
「アスカルトさんの懸念は理解できます」
ソフィアが難しい顔をしていると、アルマリアがそれを察して言う。
「ただ、誰も彼もあなたのように考えることはできません。自分の都合のいいように物事を解釈したり、都合の悪いことは耳にしなかったり、そういう人はたくさんいます」
「それは……そうですね」
そういう人種にソフィアも心当たりがある。
フェイトを奴隷にしていたフレアバードのメンバー。
アイシャを利用しようとしたドクトル。
他、何人もの顔が思い浮かぶ。
いずれもアルマリアが懸念するような人物だ。
「そういう人達に今回の件を利用される可能性もあります。そうなれば、どれだけの被害になるか……」
「そう、ですね……」
「もちろん、永遠に事件を葬るつもりはありません。少しずつ地盤を固めていき、機会を見て問題を投げかけたいと思います。ただ今は……」
「時期尚早、ということですね?」
「はい」
「……わかりました。そういうことなら約束します」
納得できないところはある。
でも、問題を解決するためには仕方ないと、ソフィアは大人の選択をした。
(こういう時、フェイトならどうしたでしょうね……?)
フェイトなら大人の選択をしないかもしれない。
どこまでもまっすぐに問題に取り組んでいたかもしれない。
そう思うと、少し寂しくなった。
「では、冒険者ギルドも協力していただけると?」
成り行きを見守っていたエリンが静かに問いかけた。
「はい、条件を守っていただけるのなら問題ありません。それに……この問題を放置したら、それこそ王都がなくなってしまうかもしれませんからね」
アルマリアは冗談めかして言うものの、誰一人笑わない。
それが現実のものになってしまう可能性があると知っているからだ。
「んー、味方が増えたのはいいけど、結局、これからどうするの?」
レナが問いかける。
その瞳にはちょっとした不満の色があった。
フェイトの安否がおざなりにされているからだろう。
「敵の本拠地は判明しました。すぐに準備を整えて、攻撃をするべきかと」
エリンの堅実的な案に、アルマリアが賛成するように頷いた。
「攻撃については私も賛成ですが……」
「は?」
ソフィアも賛成を示して、レナが険を含んだ表情になる。
「ただ、私はアイシャちゃんとスノウを守らないといけません」
「あれ、あたしは?」
「だから、私は参加できません」
「ちょっと、フェイトはどうするの? まさか、見捨てるつもり? そんなのボクが……」
「レナ、あなたにお願いしてもいいですか?」
「へ」
思わぬ話を聞いたという感じで、レナが目を大きくして驚いた。
「私は……悔しいですが、今は動くことはできません。フェイトがどうなったか、調べることができるのはレナだけです。だから……どうか、フェイトをお願いします」
「……まったく、仕方ないなあ。そういうことならボクに任せておいてよ!」
レナはため息をこぼして、小さな笑みを浮かべるのだった。