「おとーさん、おとーさん」
「どうしたの?」
「えっとね、あのね……絵本、読んでほしい」
「うん、いいよ。こっちにおいで」
「えへへ♪」
アイシャは嬉しそうに尻尾を振りつつ、僕の膝の上に座る。
彼女から絵本を受け取り、朗読を始めた。
「むかしむかし、あるところに一匹の狼がいました」
「わくわく」
……黎明の同盟のアジトを探さなければいけない。
最も怪しいのは共同墓地。
そこをエリンと一緒に調べることになったものの、それはソフィアとレナが担当することに。
ただ、僕はアイシャ達と一緒に宿で留守番だ。
アイシャとスノウは狙われている。
そんな中、二人から離れるわけにはいかない。
そこで僕が残ることになった、というわけだ。
「ねえねえ」
ふわりと、リコリスが僕の頭の上に舞い降りた。
ポリポリとクッキーを食べている。
欠片が落ちてくるから、やめてほしいんだけど……
「待っているだけなんて、退屈なんですけど」
「仕方ないよ。僕達までアイシャとスノウから離れるわけにはいかないし」
「んー……でも、ここ最近、あたしずっと留守番じゃない? ウルトラミラクルマジカルリリックハートフルワンダースペシャルホリデーライフリコリスちゃんを何度も置いていくなんて、おかしくない?」
それは、リコリスが場をかき乱すかもしれない、と思われているからでは?
……なんてことを思ったものの、それは口にしないでおいた。
「共同墓地は、もしかしたら黎明の同盟の本拠地かもしれないからね。今までとは危険度が段違いだから、仕方ないよ」
「でも、このあたしなら、どんなトラブルも乗り越えられると思わない? 悪人なんて、このリコリスちゃんパンチで滅殺よ」
言葉がとても物騒だ。
「えっと……ほら。それだけ強いリコリスだからこそ、ここを任されているんだよ」
「ん? どゆこと?」
「アイシャとスノウは狙われているでしょう? そして、二人がさらわれたら、たぶん、とんでもないことになる」
アイシャは巫女で、スノウは神獣。
その力を悪用されたら、とんでもない魔剣が生み出されるかも……いや。
魔剣なんかでは収まらない『災厄』が起きるかもしれない。
「だから、二人を守ることの方が大事なんだ。その大事な任務を果たすには……」
「あたしの力が必要、っていうわけね!?」
「そういうこと」
「ふふーん、そこまで頼りにされているのなら仕方ないわね。このスーパー……」
「おとーさん、続き!」
「オンッ!」
「あ、ごめんごめん。えっと……」
「……」
アイシャとスノウを優先したら、リコリスが涙目になっていた。
えっと……ごめん。
でも、妙な名乗りを聞くよりも、二人のお願いを聞く方が優先度は高いと思うんだ。
「続きは……っ!?」
絵本を読もうとして、不意に寒気のようなものを感じた。
背中を突き刺されるかのような、強烈なプレッシャー。
まだなにも起きていないのに、自然と手が震えてしまう。
「おとーさん?」
「オフ?」
「……アイシャ、スノウ。僕の後ろに」
「う、うん……」
アイシャとスノウは困惑しつつ、しかし、素直に僕の後ろに隠れてくれた。
その間に剣を取り、いつでも抜けるように構える。
「リコリス、これは……」
「ええ……敵ね」
リコリスは軽口を叩くことなく、汗を流していた。
これだけ余裕がないリコリスは初めて見るような気がする。
廊下の方から足音が響いてきた。
ゆっくりとした足音。
それはまっすぐこの部屋に向かってきて……
「邪魔をする」
ドアノブを強引に回して鍵を壊して、一人の男が姿を見せた。
その男は見上げるほどに背が高い。
身長は2メートルを超えているかもしれない。
筋肉もついていて、極限まで鍛え上げられている。
それでいて引き締まった体は、歴戦の戦士であることが伺えた。
背中に帯びた大剣。
彼と同じように巨大で、僕の剣が子供のおもちゃのように見えるほどだ。
なによりも特徴的なのは、彼の青い髪だ。
空のように青く、水のように澄んでいる。
思わず見惚れてしまいそうになるほど綺麗な髪だ。
「あなたは……」
アイシャ達を背中にかばいつつ、剣を抜いた。
「お前がフェイト・スティアートか」
男の声は氷のように冷たい。
ただ、敵意も殺意もない。
僕達のことをなんとも思っていない……
欠片も興味がないようだ。
「そして、そちらが巫女と神獣……ふむ、妖精もいるのか」
「あなたは……黎明の同盟の関係者ですか?」
巫女と神獣。
アイシャとスノウのことをそう呼ぶ者はとても限られている。
僕はさらに警戒度を引き上げた。
いつでも動けるように足に力を入れつつ、闘気を高める。
ただ、それでも男は反応しない。
日常の中にいるという感じで、背中の剣を抜くこともなく、プレッシャーを放つこともしない。
その静けさが逆に不気味だった。
「ああ、その通りだ」
「あっさりと認めるんですね」
「下手にごまかしても仕方ないだろう? それに、その方が話が早い」
男は丁寧にお辞儀をする。
「俺の名前は、ゼノアス。姓は捨てた」
「っ……!?」
黎明の同盟の幹部の……?
本物なのか?
……本物なんだろうな。
そうでなければ、この圧はないだろう。
なにもしていないのに息苦しさを感じるほどだ。
猛獣を目の前にしているかのように、一瞬たりとも気を抜くことができない。
「巫女と神獣をもらいうけにきた」
やっぱり、そういう話になるよね。
できれば違う展開を希望したのだけど、そんな甘くはないみたいだ。
「……リコリス」
小声で呼んだ。
「……二人を連れて逃げて」
「……えっ、ちょ……フェイトはどうするのよ?」
「……なんとか時間稼ぎをする」
「……それならあたしも」
「……ダメ。今は、なによりもアイシャとスノウの安全が一番で……それに、自分のことだけを考えて戦わないと、たぶん、すぐにやられる」
ゼノアスが戦うところを見たわけじゃない。
まだ彼は剣すら抜いていない。
それでも、とんでもない強敵ということは理解できた。
本能が危機を感じて、頭の中で警笛が鳴りっぱなしだ。
背中も震える。
正直、逃げてしまいたいくらいなのだけど……でも。
「アイシャとスノウは僕が守る」
改めて剣を構えて、ゼノアスを睨みつけた。
「良い気迫だ」
表情は変わらないものの、そう言うゼノアスは少し優しい雰囲気を見せた。
しかし、それも一瞬。
背中の大剣に手を伸ばすと、ビリビリと空気が震えた。
「お前を敵と認めよう」
「……」
「いざ参る」
「このっ!」
瞬間、リコリスが魔法を唱えた。
部屋が閃光に包まれて……
視界が戻った後、アイシャとスノウとリコリスの三人は消えていた。
窓が開いていて、雨戸がキィキィと揺れている。
よかった。
うまく逃げることができたみたいだ。
ただ……
「……」
ゼノアスは大剣を構えたまま微動だにしない。
「終わりか?」
「……もしかして、三人を見逃してくれた?」
「見逃すつもりはない。しかし、戦士を無視することはできん」
「ありがとう、って言うべきなのかな?」
まだ剣を交わしていないけど、相当な強敵ということを感じた。
そんな相手に戦士と認められた。
素直に嬉しい。
まあ……
喜んでいる余裕なんて、すぐになくなるだろうけど。
「……」
「……」
もう言葉はいらない。
そう言うかのように互いに剣を構えて、にらみ合う。
永遠のような時間。
しかし、一瞬の時間。
「「はぁっ!!!」」
僕とゼノアスは同時に前に踏み込んだ。
攻撃は……僕の方が速い。
体格と剣の違いだろう。
ゼノアスの肩を狙い、剣を斜めに走らせる。
速度、角度、間合い……どれも申し分のない一撃だ。
ソフィアの特訓のおかげで、自分でも満足できる攻撃を繰り出すことができた。
しかし……
「むぅんっ!」
ゼノアスは大剣を盾のようにして、僕の一撃を防いだ。
攻撃を諦めて、すぐ防御に転じる。
その判断力は相当なものだ。
「なっ!?」
ゼノアスは大剣を盾のように構えつつ、その状態で突撃してきた。
剣士なのに剣を使わない。
突拍子のない攻撃に驚いてしまい、一瞬、反応が遅れてしまう。
「うぐっ」
直撃は避けたものの、それでも大きく吹き飛ばされてしまう。
壁に叩きつけられて、衝撃が全身に広がる。
でも、痛みに泣いているヒマなんてない。
唇を噛んで別の痛みでごまかしつつ、無理矢理体を動かした。
直後……
ザンッ!!!
大地を割るかのようなとんでもなく重く速い斬撃が落ちてきた。
斬るというよりも叩き潰す。
かろうじて避けたものの、衝撃で再び吹き飛ばされてしまう。
「はぁっ、はぁっ……!」
「今、捉えたと思ったが……避けるか。やるな」
「あなたこそ、とんでもないね」
この人は……なんて、とんでもない人なのだろう。
平然な顔をして巨大な剣を振り回している。
それも驚くべきことだけど……
それ以上に驚愕するべきことは、これだけの戦闘を繰り広げていながら、一切の殺気を放っていないことだ。
内職をするような感じで、淡々と剣を振っている。
まるで人形だ。
だからこそ、どこをどう攻めていいかわからない。
今まで戦ってきた強敵とは違うベクトルで厄介な相手だ。
どうする?
どうやって戦う?
「……」
体勢を立て直して、再び剣を構える。
ゼノアスも大剣を構えて、僕との距離を測る。
最大限に彼の挙動に注意を払いつつ、急いで頭の中で作戦を組み立てていく。
大剣を軽々と振り回す膂力。
大柄な体に似合わない超速。
臨機応変に対応できる判断力。
全ての能力が突出していて、弱点らしい弱点が見当たらない。
完璧な剣士だ。
レナが脅威に感じていた理由が嫌というほど理解できた。
どうする?
……ゼノアスは筋肉で武装しているかのようだ。
その力で大剣を自由自在に操っているのだろう。
でも、己の背丈ほどもある大剣を、さすがに片手一本で操ることはできないだろう。
そこで戦闘不能になることはないだろうけど、戦闘力は半減するはず。
つまり、どうにかして片腕を使えなくすれば勝機は見えてくるはず。
狙うはゼノアスの腕。
ある程度の傷をつけること。
僕の方が速さは上だから、そこを活かすことができれば不可能じゃないはず。
「……」
「……」
再びにらみ合う。
空気が震えているかのようだ。
ビリビリとした圧迫感さえ覚えている。
集中。
さらに集中して、深く深く意識を研ぎ澄ませていく。
そして……
「ふっ!!!」
吐息を吐き出すと同時に、一気に前に出た。
弓を引くかのように、剣は後ろへ。
左手を前にしつつ突撃。
参之太刀、紅だ。
完全にマスターしたわけじゃないけど……
でも、今はこれしかない。
「ぬぅんっ!」
対するゼノアスは迎撃を選んだ。
その場で回転しつつ、大剣を斜め下から斜め上に薙ぐ。
僕の剣を弾き飛ばして……
同時に、体を両断するつもりなのだろう。
僕は前屈姿勢になったまま駆けて、ゼノアスの一撃を避けた。
そのまま横を通り抜けて、後ろに回り込み……
同時に剣を振る。
肉を断つ感触。
骨までは無理だったものの、それなりの一撃を与えることができた。
ゼノアスほどの強者なら痛みも我慢できるだろうけど……
でも、完全に無視することはできないはず。
大剣を完璧に操ることは難しくなっただろう。
これで勝機が少しは……
「見事だ」
己の右腕から流れる血を見て、ゼノアスは静かに言う。
表情はまったく変わっていないのだけど、心なしか、喜んでいるような雰囲気だ。
「この俺が血を流すとは、いつ以来か……認めよう。お前は強敵だ」
「ありがとう」
「礼を言うか?」
「あなたほどの人にそう言われるのは、敵だとしても嬉しいので」
「ふっ……俺とお前は似ているのかもしれないな」
ゼノアスは笑い……
そして、今まで以上の闘気を発する。
それは、予想を遥かに超えたプレッシャー。
この場にいるだけで失神してしまいそうだ。
「こ、これは……」
「詫びよう。俺は、お前を侮っていた。今のままで勝てると、そう間違った判断をしていた」
「なん……だって?」
「故に……本気で戦おう」
ゼノアスの大剣が不気味な光を発する。
そう、そうだ……!
彼はただの剣士じゃない。
魔剣使いなんだ!!!
その力を、今の今まで使っていなかった。
単純に、自力で戦っていた。
そこに魔剣の力が加わるとなると……
「さあ、いくぞ……吠えろ、グラム」
「っ!?」
圧倒的なプレッシャーが僕を飲み込んだ。
「……っ……」
ゆっくりと共同墓地を目指すソフィアとエリン。
途中、ソフィアがびくりと体を震わせた。
エリンが不思議そうに小首を傾げる。
「どうしたのですか?」
「いえ、なんていうか……」
ソフィアは後ろを振り返る。
その視線の先に街がある。
アイシャとスノウとリコリス。
そして、フェイトが待ってくれているはずだ。
待ってくれているはずなのだけど……
なぜか、もう二度と会えないという恐怖を感じた。
「……なんでもありません」
気のせいだろう。
敵地に近づいているから緊張して、そんなことを考えてしまうのだろう。
ソフィアはそう結論づけて、先へ進んだ。
「もうすぐアジトにつくよ」
先頭を行くレナは呑気に言う。
いつ敵と遭遇してもおかしくないのだけど、彼女はそれをまるで気にしていないみたいだ。
敵と遭遇しても、斬り捨てればいいと考えているのか。
脅威になる相手なんていないと考えているのか。
たぶん、その両方だろう。
「……」
「エリンさん?」
ふと、ソフィアはエリンの顔色が悪いことに気づいた。
綺麗に整った顔はやや青い。
わずかではあるものの、こんな寒い夜に汗もかいていた。
「どうかしたんですか? もしかして体調でも……?」
「あ、いえ……」
エリンは苦い表情に。
迷うような間。
ややあって、そっと口を開いた。
「実は……恥ずかしい話なのですが、暗闇が苦手でして」
「そう……なんですか?」
意外な話に、ソフィアは目を大きくして驚いてしまう。
エリンは特務騎士団の一員だ。
エリートの中のエリート。
そんな彼女が暗闇が苦手という。
先頭をいくレナも不思議に思ったみたいで、小首を傾げつつ問いかける。
「おばけが怖いとか? それならちょっとわかるよー。ボクも、ホラー小説とか読んだ後、一人でトイレ行けないもん」
「いえ、おばけは怖くありません。そもそも、おばけなんていません」
「ゴーストっていう魔物はいるよね」
「でも、おばけではありません。おばけなどいません」
頑なに否定するのはリアリストだからなのか。
それとも怖いからなのか。
妙に判断に迷うところだった。
「ただ……単純に、暗闇が苦手なのです」
「それは、どうしてですか?」
「……昔、テロに巻き込まれたことがあるのです」
当時を思い返しているらしく、エリンの表情は暗い。
暗いだけではなくて、わずかに恐怖の色も滲んでいた。
「昔は王都ではなくて、地方の田舎で暮らしていたのですが……そこでテロが起きました。領主に不満を持つ人々が暴れ回り、街に大きな被害が出たのです」
「そういうのって、すごく迷惑だよねー」
「あなたが言えたことではないでしょう……それで、どうなったんですか?」
「私は家にいたのですが、誰かの魔法が直撃して、家が崩れました」
エリンは自分を抱きしめる。
その手は震えていた。
「家が崩壊して、瓦礫に押しつぶされそうになって……でも、うまい具合に瓦礫が重なり、なんとか骨折程度で済みました。ただ……」
「……閉じ込められた?」
「はい。自力で脱出することはできず、そして、街が戦争のような状態にあったため助けが来ることもなくて……三日ほど閉じ込められていました」
「そう……」
つまらない同情はしてほしくないかもしれない。
それでも、ソフィアはエリンに対する同情をしてしまう。
それほどまでに辛い話だ。
「それ以来、暗いところがどうにも……情けない話です」
「そんなことは……!」
「そうそう、恥ずかしく思うことなんてないって」
意外というべきか。
レナがフォローに回る。
「人間、誰だって苦手なものがあるからねー。特務騎士だろうとなんだろうと、そういうのがあるのは仕方ないんじゃないかな? かくいうボクも、人の温もりとか苦手だからねー」
「レナ……?」
レナの両親は黎明の同盟の一員だ。
活動を通じて知り合い、仲を深めて、そして結婚。
レナが生まれることになった。
物心ついた時から黎明の同盟の知識に染まっていた。
だから、黎明の同盟が正しいと信じるのは当たり前。
その言葉を疑うことは欠片もない。
その後、なにげなく持った剣を、レナは子供ながら軽々と振るってみせた。
それを見た両親は歓喜したという。
娘には剣の才能がある。
将来、とんでもない剣士に育つだろう。
そして……
その力で黎明の同盟の使命を果たすことができるはずだ、と。
まだ子供のレナは、本当の意味でなにが正しいかわからない。
両親の言葉は絶対で、そして、黎明の同盟の意思も絶対だ。
言われるまま剣の修業を始めた。
レナに才能があったのは本当だった。
みるみるうちに上達する。
常人が一日に1を覚えるとしたら、レナは一日に10を覚えることができた。
ほどなくして、黎明の同盟の幹部であるゼノアスが彼女の剣の師匠になった。
そうするだけの価値があると認められたのだ。
両親はさらに喜んで、レナにがんばるように言った。
そしてレナは……両親の期待に応えようと、さらに剣の稽古に力を入れるようになった。
物心ついた時から黎明の同盟の思想に染まり。
そして、剣を学ぶことだけを考えるようになって。
……他に、なにもない。
友達はいない。
子供らしく遊んだことなんてない。
親の愛情も知らない。
小さい頃のレナは、それこそ人形のように動いていた。
自分の意思なんてない。
決定権なんて持っていない。
周囲に言われるまま、望まれるまま剣を学んでいた。
本人はそれを疑問に思うことはないし、周囲に正すような者もいない。
このまま育てば、冷酷な殺人人形ができあがるだろう。
……そんなある日のことだ。
なぜか、両親にピクニックに誘われた。
母がお弁当を作り、父はたくさんのレジャー用品を手にして、近くの山へ登る。
なぜ、そんな無意味なことをするのか?
レナは不思議に思ったものの、しかし、両親の言うことは絶対だ。
言われるままピクニックに同行した。
実は……
この日、レナの五歳の誕生日だった。
ピクニックに行こうと言い出したのは両親。
日々、剣の稽古で疲れているだろうから、今日はゆっくり休ませたい。
そして、日頃の努力を労いたい。
そう思っていたのだ。
黎明の同盟の思想に染まり、娘に戦う未来を選ばせようとしていても。
それでも、両親はレナを愛していたのだ。
しかし、土砂崩れに巻き込まれてしまうという悲劇が起きた。
レナは死を覚悟したが……死ぬことはない。
両親が己の身を呈して守ってくれたのだ。
父と母はレナを抱きしめて、自分の体を盾として土砂から守った。
おかげでレナは一命をとりとめたものの……
両親は帰らぬ人となった。
レナは、救助が来るまでずっと両親に抱きしめられたままだった。
そして、その温もりがゆっくりと失われていくことを感じていた。
その時になって、ようやくレナは両親の愛情を知った。
自分は愛されていたんだ、と理解することができた。
でも、もう遅い。
両親は……いない。
――――――――――
「っていうことがあったから、どうにもこうにも、誰かの温もりって苦手なんだ。お父さんとお母さんを思い出しちゃうからねー」
「あなたは……」
壮絶な過去を聞いて、ソフィアはどんな言葉をかけていいかわからなくなってしまう。
エリンも同じ様子で言葉が出てこないらしい。
そんな二人を見て、レナがにへらと笑う。
「そんな顔しないでってば。当時は悲しかったけど、今は、あれはあれでいいかな、とか思っているし」
「どういうことですか?」
「あの事件がなかったら、ボク、お父さんとお母さんに愛されていたなんてわからなかったから。二人が死んじゃったのは悲しいけど……でも、愛されていることがわかったから、それはそれでいいのかな、って」
親の愛を知らない。
しかし、親の死をきっかけに愛を知る。
なんとも皮肉な話だ。
「だから……なのかな」
ふと、レナは真面目な顔になる。
「ボク達黎明の同盟は、先祖の恨みを晴らすために戦ってきた。でも、そのために方法を選ばなくて、誰かの大事な人を奪ってきた。そのことをフェイトが教えてくれたから……ボクは、もうやめよう、って思ったんだ」
「……それが儂らを裏切る理由か?」
ふと、しわがれた声が響いた。
墓石の影から老人が姿を見せる。
ソフィアは、その老人に見覚えがあった。
過去、事件が起きたところで何度か目撃している。
黎明の同盟の幹部の一人。
リケンだ。
「やっほー、リケン」
リケンは険しい表情をしているけれど、レナは対称的に笑顔を見せていた。
きさくな様子で挨拶をする。
「こんなところで会うなんて偶然だね?」
「なにが偶然なものか。こうなることは、ある程度、予想していたのじゃろう?」
「まあねー。本拠地に行くのなら、ある程度の立場の人か……もしくは、幹部クラスと遭遇してもおかしくないなー、とは思っていたよ」
レナがニヤリと笑う。
「でも、リケンがここにいるっていうことは、墓地が当たり、ってことでいいみたいだね」
リケンは苦々しい顔をした。
その表情がレナの言葉の裏付けになっていた。
本来なら表に顔を出すべきではないのだけど……
地下の存在を知っているレナなら、すぐに入り口を見つけてしまう。
そして、墓地が本拠地であることを突き止めるだろう。
先にバレるか後でバレるか。
その違いでしかないので、リケンは表に出るという選択をとった。
「くだらぬ感情で儂らを……黎明の同盟を裏切るとは」
「んー、くだらないとか言ってほしくないな? これでもボク、真面目にちゃんと考えたんだよ?」
「それをくだらないと言うのだ」
リケンは剣を抜いた。
刀身は黒に染まり、禍々しいオーラをまとっている。
魔剣だ。
それも適当に作られたものではなくて、大量の生贄を使い、何日もかけて錬成されたもの。
レナの持つティルフィングと同等の一振りだ。
「儂らは、過去に全てを奪われた。なればこそ、今を生きる者から全てを奪い返す。その権利がある。価値がある。そうするべきだろう?」
「……わからないでもないんだけどね」
レナは苦笑する。
「そう考えることが正しいって、そう思っていたよ? 心の底から共感していたよ? でも……」
レナは自分の胸元に手を当てた。
その奥にある気持ちを確認するかのように、優しく微笑む。
「でも、それだけじゃダメなんだ。復讐だけを考えて、正当化して……でも、実際は、ボク達が昔されたことを自分達の手で繰り返していて……そのことを教えてくれた人がいるんだ」
「……あの小僧か」
「ボク達は変わらないとダメなんだよ。過去に囚われてばかりなんて、生きている、とは言えないでしょ? もっと前を……未来を見ないと」
「ボクが言えたことじゃないけどね」と付け足しつつ、レナはリケンの説得を試みた。
しかし、リケンは表情を変えない。
レナの言葉は届かない。
「……残念だな」
「む?」
「儂は、お主のことを買っていたのだが……それが、こんなにも腑抜けだったとは」
リケンの体から殺気が放たれた。
それは質量すら伴い、周囲の草木を揺らす。
ビリビリと空気が震えて、小動物達が慌てて逃げ出す。
「せめてもの情けだ。儂が終わりを教えてやる」
「んー、それは困るな」
レナはあくまでも飄々とした態度で……
合間、チラッとソフィアとエリンを見る。
それだけでレナの意図を察した二人は、小さく頷いてみせた。
それを確認した後、レナも剣を抜く。
「まあ……そういうことなら、やろうか?」
「潔いな」
「でも、こっちは三人だよ? 勝てると思うの?」
「お主に全てを見せてきたと思うな。儂の本当の力を見せてやろう」
「それは楽しみ」
レナはにっこりと笑い、
「ていっ」
おもむろに剣を地面に突き立てた。
「裏之一、獅子戦吼!」
「なっ!?」
極限まで高められた力を一点に収束して、全てを叩き斬る。
神王竜剣術の破山と似た技を地面に向けて繰り出して……
結果、ガッ! という爆音と共に土煙が舞い上がる。
「今! 逃げるよ!」
「はい!」
「ええ!」
「貴様!?」
「本拠地の場所が特定できればそれでいいんだよねー、あははは!」
レナは小悪魔のように笑いつつ、その場を逃走するのだった。
ソフィアは、圧倒的な身体能力を持つ剣聖で……
レナとエリンも、彼女に匹敵する力を持つ。
そんな三人が本気になって逃走すれば、誰も追いつくことはできない。
見事にリケンを撒くことに成功した。
「うん、ばっちり。完全に撒いたよ」
「ふぅ……さすがに疲れましたね」
「王都を横断するようなコースでした。街の人々を驚かせていないといいのですが……」
「騎士さんは真面目だねー」
「あなたが適当すぎるのです」
エリンはレナを睨みつけるが、適当にスルーされてしまう。
「ところで」
ちょうどいい機会だ。
そんな感じでソフィアはレナに尋ねる。
「あなたが使う剣術ですが、あれはどういうことですか?」
「どういうことって?」
「神王竜に別の流派があるなんて、聞いたことがないのですが」
「あー……ま、そうかもね。普通は知らないよね」
どうしようかなー、とレナは少し迷った後、口を開く。
「ま、いいか。リケンにああした以上、もう完全に敵対しちゃったからね」
「その言い方……もしかして、黎明の同盟と関係が?」
「そゆこと。神王竜は、元々、神獣に授けられた剣技なの」
「なっ……!?」
思いもしなかったことを聞かされて、ソフィアはついつい大きな声をあげてしまう。
「遥か昔、神獣は人間のために剣を授けた。まあ、詳細はちょっと違うけど、そんな感じで……それが聖剣。でも、それを扱うだけの技術がないと、宝の持ち腐れだよね?」
「……だから、扱う術も授けた?」
「そそ。それが、神王竜の始まりなんだよね。で、ボクが使う真王竜は『裏』になるの。復讐を果たすことを目的として、殺傷能力を極限まで高めた剣術」
「なるほど……色々と納得です」
元々は同じ神王竜。
対立によって二つの流派に別れ、それぞれ成長を続けていくものの……
元が同じなので、根本的な技は似ている。
疑問の一つが解けて、ソフィアは少しスッキリした。
「ということは、黎明の同盟は……その、真王竜とやらを使うのでしょうか?」
話を聞いていたエリンが、そう質問をした。
「そだね。ボクを含めて、全員、真王竜の使い手だよん」
「それはまた……」
「厄介ですね……」
エリンとソフィアがしかめっ面に。
神王竜は国内最強の流派と言われている。
それに匹敵、あるいは凌駕する剣術を敵が使うとなると、厳しい戦いになるだろう。
対するレナは、あくまでも気楽な様子だ。
「ま、そこまで深刻にならなくていいんじゃない? 厄介なのはゼノアスだけで、リケンはボクよりちょっと下かな? だから、ボクとフェイトと剣聖……それと、特務騎士団いっぱいでかかれば、なんとかなると思うよ」
「だといいんですけど……」
「というか……フェイトがいれば、大抵のことはなんとかなるかも」
「どういう意味ですか?」
フェイトは強い。
地力がとんでもないだけではなくて、剣の才能もあって、驚異的な速度で成長している。
しかし、まだソフィアやレナには及ばない。
身体能力はほぼ互角ではあるが、技術は一朝一夕というわけにはいかず、まだまだ。
そんなフェイトが鍵をにぎるとは、どういうことなのか?
「んー……ボクも確信があるわけじゃないんだけどね。フェイトが持っている剣って、なんか特別な気がするんだ」
「流星の剣が?」
「前に戦った時、なんかこう……魔剣の力が削がれるというか、そんな感じがしたの。もしかしたら、魔剣の天敵なのかも」
「そんなことが……」
「だから、フェイトがいれば、最終的になんとかなると思うんだよねー。逆に、フェイトになにかあったらやばいけど、あっはっは」
「縁起でもないことを言わないでください」
ソフィアが睨みつけるものの、レナは飄々とした顔だ。
フェイトになにかあるなんて欠片も思っていないのだろう。
実際、フェイトは数々の修羅場を潜り抜けてきた。
たくさんの強敵と戦ってきた。
それらの全てを乗り越えて、そして、大きく成長している。
ただ……
「ソフィアっ!!!」
「おかーさん!!!」
「オンッ!」
運悪く、という事態はいつでもありえるのだ。
「リコリス!? アイシャちゃん!? スノウ!?」
王都の小さな広場で話をしていると、頭の上にリコリスを乗せたアイシャと、そんな二人を背中に乗せたスノウが現れた。
涙を流していて、靴を履いていない。
リコリスも顔を青くしている。
ただ事ではないと、ソフィアは慌てて二人のところに駆け寄った。
「どうしたんですか、こんな……!?」
「おとーさんが、おとーさんが!」
「フェイトが?」
ものすごく嫌な予感がした。
ソフィアの心臓がどくんと跳ねる。
「あうあう……」
アイシャは泣いていて、なにを言いたいのかよくわからない。
ただ、耳をぺたんと垂れて尻尾を内股に挟んでいるところを見ると、よほど怖い目に遭ったのだろう。
それを見て、ソフィアはだいたいのことを察した。
「もしかして……襲撃された?」
「そうよ。なんか、でかいヤツがいきなりやってきて……」
リコリスが疲れた様子で言う。
彼女もまた、大きな恐怖と戦っていたのだろう。
「襲撃者……黎明の同盟の者でしょうか? みなさん、急いで戻りましょう!」
「んー? でも、フェイトはめっちゃ強いから、そんなに慌てなくても平気だと思うよ? 多少の差はあるけど、ボクとほぼほぼ変わらないし」
「なら、尚更まずいわ」
リコリスが真面目な顔をして言う。
普段、おちゃらけた態度が多いだけに、その真剣な態度に誰もがごくりと息を飲んでしまう。
「レナのことは強いって思うし、とんでもないと思うけど……でも、まだ人間って思えるもの」
「どういう意味?」
「あいつは……人間じゃなくて化け物よ」
「化け物……?」
「あたし、震えて逃げることしかできなかった……」
そのことを後悔しているかのように、リコリスは自分の体を抱きしめる。
そうすることで震えを止めようとしているかのようだった。
「化け物、化け物……って、まさか……」
レナの顔色が変わる。
「ちょっとまって!? そいつ、二メートル近い大男で、めっちゃでかい大剣を使っていた!?」
「そ、そうだけど……」
「……ゼノアスだ……」
顔を青くして。
小さく震えつつ。
レナは、絶望的な表情を浮かべる。
「やばいやばいやばい……まさか、ゼノアスがこんなところで出てくるなんて……しかも、フェイトを狙うなんて……」
「ゼノアス……ですか?」
「確か、黎明の同盟の幹部ですね? でも、どうしてそんなに慌てているのですか?」
ソフィアとエリンが不思議そうな顔をした。
そんな二人に、レナは顔を青くしたまま説明する。
「正直、ゼノアスのことはよく知らないんだよ。なにを考えているかとか、過去になにがあったのか、とか。そういうの、まったく語らない人だったから。ただ……」
「ただ?」
「……剣の腕だけは抜群。というか、ボクでも測ることができないほどの実力者。何度か模擬戦をしたことがあるんだけど、ボクの全敗」
「それは……」
「ムキになって、魔剣を使って本気で挑もうとしたんだけど……でも、できなかった。ものすごい悪寒がして……そんなことをしたら殺される、って本能的に理解したんだと思う。まず間違いなく、ゼノアスは黎明の同盟の最大戦力だよ。いくらフェイトでも……」
レナの声が震える。
それが伝染するかのように、ソフィアも声を震わせる。
「それじゃあ、今頃……」
「急いど戻らないと!」
「でも……」
ソフィアは迷う。
本当は、一秒でも早くフェイトのところへ駆けつけたい。
ただ、アイシャとリコリスとスノウのことがあった。
ここに残していくわけにはいかない。
もしかしたらリケンが追いついてくるかもしれない。
誰か一人残り?
しかし、レナの話が本当だとしたら、戦力を削るようなことはしたくない。
それに一人残ったとしても、もしもリケンに追いつかれたらとても厳しいことになる。
迷い、焦る。
どうする? どうすればいい?
そんな時……
「おや? こんなところでどうしたのかな?」
のんびりとした声。
振り返ると、クリフがいた。