その日は、そのまま屋敷に泊まることになった。
アルベルトの客人として、滞在許可が降りたのだ。
僕達に与えられた客室は一つ。
でも、とても広く、ベッドも四つあった。
「あー、ふかふかのベッド、素敵だわー」
リコリスはさっそくベッドにダイブするものの、僕達はそんなことはしない。
部屋の中を見て回り、間取りを確認して……
それと、とあるものを探す。
「フェイト、どうでしたか?」
「大丈夫だと思うよ」
「私の方も、問題ありませんでした」
「おとーさん、おかーさん。なにをしているの?」
アイシャが不思議そうに小首を傾げた。
「えっと……盗み聞きをしている悪い人がいないか、調べていたんだ」
「おー」
「アイシャちゃんも、誰かに見られたりしたら嫌でしょう? だから、色々と確認をしていたんですよ」
正直なところ、アルベルトのことは信用していない。
話に矛盾はなかったけど……
でも、それだけで出会ったばかりの人間を信用することはできない。
それは向こうも同じのはず。
だから、客室に盗聴の魔道具を仕掛けるなどすると思っていたんだけど……
それらしいものを見つけることはできなかった。
アルベルトは僕達のことを信用している……なんて、そんな甘い話はないと思う。
盗聴の魔道具などを設置して、見つけられてしまった時は立場が悪くなる。
だから、あえてなにもしない……そんなところだと思う。
「これなら、一応、気兼ねなく色々な話をすることができるね」
「どうでしょうか……私達が盗聴の魔道具を見つけられなかった、という可能性もあります。あるいは、そういったものに頼らず、相手の動向を探ることができる方法を持っているかもしれません。そういうことを考えると、なかなか……」
「いいんじゃないかな?」
「え?」
「その時は、その時だよ。アルベルトが妙な行動に出たら、それはそれでわかりやすいよ。敵、って判断できる」
「……」
「なにも仕掛けられていないなら、それはそれでよし。少しだけ彼を信用することができる。どっちに転んでも損はないんじゃないかな?」
「……フェイトは、いつの間にか大きくなっていたのですね」
「え? え?」
ぎゅうっと、抱きしめられてしまう。
なんで?
というか、その、当たって……
「ふふ、気持ちいいですか?」
「な、なんのことかな!?」
慌ててソフィアから離れた。
「そ、それよりも、これからのことを決めないと」
「ごまかしましたね?」
「おとーさん、ごまかしたー」
「アイシャまで!?」
「子は親のことを真似るものよ」
リコリスが苦笑して、そう締めくくる。
「まあ、冗談はここまでにして……フェイトの言う通り、今後のことを話し合いましょう」
「アルベルトに協力するか、しないか……だね」
彼がやろうとしていることは、とても過激なことだ。
例えるなら……
足が病気になった時、普通は、病気の原因を特定して治療しようとする。
しかしアルベルトの場合は、他に病気が転移しないうちに、足を切り落としてしまう、というものだ。
とても過激な方法だけど、でも、一概に否定することもできない。
時と場合によっては、それが正しいこともある。
「もうどうしようもないほど領主が腐っているとしたら、彼のすることは正しいですね」
「うん……時間をかければかけるほど、街がダメージを受けてしまう。たくさんの人が苦しむことになる。だから、そうなる前に一気に決着をつける。悪いことじゃないと思う」
「ですが……彼の話が正しい、という前提があってのことですが」
そこだ。
アルベルトの話を聞いただけで、他に情報を持っていない。
彼が正しいのか。
それとも、実は領主が正しいのか。
それを判断することができない。
「まずは情報を集めないといけないね」
「しかし、私達の外出が許されるかどうか……」
「なら、このウルトラミラクルウルトラ妖精リコリスちゃんに任せなさい!」
今、ウルトラって二回言ったよね?
「あたしなら、すいすいっと抜け出して情報を集めてくることができるわ」
「「……」」
「二人揃って疑いの眼差し!?」
「だって……」
「ねえ?」
普段のリコリスの言動を知ると、どうにもこうにも不安になってしまう。
大丈夫だろうか?
なにかやらかしたりしないだろうか?
不用意にトラブルを持ってきたりしないだろうか?
心配の種は尽きない。
「大丈夫よ! このあたしが、見事、大きな情報を持ち帰ってみせるわ!」
「あっ、リコリス!?」
止める間もなく、窓の隙間からリコリスが飛び出してしまった。
領主の屋敷を出たリコリスは、ふわふわと街の上を飛んでいた。
妖精は希少種だ。
フェイトとソフィアがいない状態で人前に出たら、捕まってしまうかもしれない。
それくらいの危険を考える頭も、リコリスには一応あった。
「さーて、領主の情報、どこかに落ちてないかしら?」
いちいち聞き込みなんてしていられない。
そんなことをしても、正解の情報を持つ人にたどり着くのに、どれだけの時間がかかることか。
それよりは人々の話を盗み聞きした方が早い。
領主に関する噂を収集できるし……
それだけじゃなくて、こっそりと真実を話している者もいるかもしれない。
そういう時もあるため、わりと有効な手だ。
「ふふん、リコリスちゃんイヤーは、どんな会話も聞き取るのよ!」
一人なのに、リコリスはドヤ顔を決める。
調子に乗らないと生きていけない種族なのかもしれない。
「んー……」
魔法で聴覚を増幅。
さらに、必要な情報と不要な情報を選別。
そうして、街の上空で人々の会話を盗み聞きして……
「カーッ! カーッ!」
「ぴゃあ!? び、びっくりさせるんじゃないわよ!?」
カラスに襲われて、リコリスは慌てて魔法を使って追い払った。
餌と勘違いされたのだろう。
「まったく、失礼なカラスね。こんなにかわいいリコリスちゃんを見て、餌と勘違いするなんて。ううん。もしかしたら、妻にしようと思ったのかしら? 異種族も魅了するあたし……ふっ、罪な女ね」
ツッコミ役が不在のため、誰もリコリスを止められない。
「さてと、続き続き、っと」
リコリスは再び盗み聞きを始めた。
今日の天気。
子供がなかなか言うことを聞いてくれない。
景気が悪く、儲けることが難しい。
色々な会話が聞こえてくるものの、領主に関する情報は乏しい。
「んー、もうちょっと確定的な情報がほしいわね。もっと選別しないとダメね」
リコリスは、追加で魔法を発動させた。
望む会話だけを届けて、他は切り捨てるという条件を追加したものだ。
そんな魔法、妖精であっても普通は使えないのだけど……
リコリスは特別だった。
実のところ、彼女はかなり優秀だ。
魔法に関していえば、世界でトップクラスの腕を持つ。
……日頃の言動で、威厳などは皆無になってしまっているが。
「おっ、これなんてよさそうね」
とある会話が聞こえてきて、リコリスは機嫌良さそうな顔に。
詳細な場所はわからないが、街の北部……
住宅街から聞こえてきた。
複数の人の声。
なにやら議論をしているらしいが、ヒートアップしているらしく、その声量は大きい。
手遅れになる前に……
このままでは街の経済は崩壊してしまう……
あの人は自分のことしか考えていない……
最悪、武装蜂起も視野に入れて今後の活動を……
「ふんふん……なにやら、面白そうなことを話しているじゃない」
リコリスはニヤリと笑い、北の住宅街に飛んでいった。
「ってなことがあったわ!」
しばらくしてリコリスが戻ってきて……
とんでもない話を聞かされた。
「領主に対する不満を持つ人が集まって、武装蜂起を企んでいる……?」
「そんな話、冗談であってほしいのですが……さすがに、そんなつまらない冗談を口にする大人はいないでしょうね」
さすがに、今日明日でクーデターが起きることはないと思う。
まだ計画段階ということなら、入念な準備が必要なはずだ。
今日決断されたとしても、一ヶ月以上の猶予はあると思う。
ただ……
事態は逼迫している、ということが問題だ。
クーデターを企むなんて相当な覚悟がないと無理だ。
そんな覚悟をしてしまうほどの環境が形成されているとなると……
アルベルトの言っていることは、正しいのかもしれない。
「ソフィアはどう思う?」
「そうですね……巧妙な罠という可能性もありますが、ただ、そういうことを考えていたらキリがないですね」
「うん。ついでに言うと、僕達とアルベルトが出会ったのは、本当に偶然だと思うんだ。それなのに、これだけの規模の罠を用意しておくなんて不可能だと思う」
「と、なると……」
「ひとまず、アルベルトは嘘を吐いていない、って判断してもいいんじゃないかな」
もちろん、全てを信じることはできない。
実は秘めた野望があって、僕達を利用しようと企んでいるかもしれない。
でも、ソフィアが言ったように、そういう可能性を考えたらキリがないから……
ひとまず、もっとも可能性の高い方向で話を進めたいと思う。
「で……結局のところ、あたしらはどうするの?」
リコリスが根本的な問いかけを投げてきた。
「うーん、悩ましいところだよね……」
アルベルトの言っていることが正しいとしても、彼に協力するかどうかは別の話だ。
僕達と関係ない、っていう話じゃなくて……
問題は、アルベルトがやろうとしていることにある。
現状、領主が悪政を敷いている可能性は高いと思う。
それをなんとかしたい、っていう気持ちはわかるんだけど……
「簒奪なんて……いいのかな?」
正しいことを成すために正しくないことをする。
アルベルトがやろうとしていることは、つまり、そういうことで……
そんな彼に力を貸していいのか、迷って悩んでしまう。
「私は……」
「うん」
「……協力しても良いと思いました」
ちょっと意外な答えだった。
「どうして?」
「世の中、正しいことが全てではありません。時に非情な手段を取ることが必要になります」
「それは……」
「この街に残された時間は少ないです。まっすぐな手段で正そうとしても、時間がかかり、その分被害が大きくなります。それに、時間をかけてしまうとクーデターが起きて、さらに混乱が大きくなるでしょう。そうなる前に……というのは、わからない話ではありませんから」
「うん……そうだね」
正しいことだけを成そうとしてもうまくいかない。
そのことは、奴隷だった経験がある僕にはよくわかる。
だから、アルベルトのやろうとしていることも理解できた。
できたんだけど……
「……」
なんか、しっくりとこない。
もやもやした感じが残る。
僕は、そこまで潔癖なつもりじゃなかったんだけど……
やっぱり、簒奪っていう強引な方法が許せないのかな?
「フェイトは、やはり反対ですか?」
「えっと……」
「私はフェイトに従います。彼に協力しても良いですし、王都への旅を優先しても構いません。まったく別の、第三の道を探すというのでも大丈夫ですよ」
どんな選択肢も受け入れる、というような感じで、ソフィアがにっこりと笑う。
そんな彼女の笑顔を見ていたら、不思議ともやもやが消えていった。
「……うん、アルベルトに協力しよう」
「いいんですか?」
「思うところはあるけど……大丈夫。それに、こんな状況を知ったのに知らなかったフリをするなんて、そんなことはしたくないから」
「ふふ、それでこそ、私の大好きなフェイトです」
ソフィアが嬉しそうに笑い、
「いい、アイシャ? あれがドバカップル、っていうヤツよ」
「ド?」
「バカップルを超越した、さらに進化したバカップルね。周囲の目なんか気にしない。いつでもどこでも二人きりの世界を作り、イチャイチャすることができる」
「おー」
「アイシャに変なことを教えないでください!」
そして、いつものようにリコリスが変なことを言ってソフィアに怒られる、というパターンが形成されるのだった。
協力する旨を伝えると、アルベルトはものすごく喜んでくれた。
作戦の詳細は後日ということで、今は休んでほしいと、ベッドがある別の部屋に案内された。
素直に好意に甘えることにして、僕達は体を休めることに。
おいしいごはんをたくさん食べて、お風呂でゆっくりくつろいで……
それからベッドに入る。
「……」
ベッドに入ったけど、なんだか眠くならなくて、僕は部屋に備えつけられていたテラスに出た。
夜空を見上げると、三日月が輝いていた。
「なにしてんの?」
振り返ると、リコリスがふわふわと浮いていた。
普段の服じゃなくて、パジャマ姿だ。
おまけに、ナイトキャップをかぶっている。
当然、リコリスに合わせたミニマムサイズだけど、どこで調達したんだろう?
「なんだか眠れなくて」
「ふーん」
「リコリスは? もしかして、起こしちゃった?」
「いいわよ、気にしないで。年上のお姉さんとして、悩める青少年の話に付き合うのも美少女妖精の務めだもの」
長いこと一緒にいるけど、そんな務め、初めて聞いた。
「最近、ずっと考え事してる感じだけど、どうしたのよ? ほら、話してみなさい」
「悩みを強制的に聞き出すって、なかなか斬新だね」
でも、今の僕にはちょうどいいのかもしれない。
リコリスに感謝しつつ、胸のもやもやを言葉にする。
「アルベルトに協力することだけど……うん。そのこと事態は良いんだ。そうした方が良いって判断して、それに後悔はなくて……なんとかしたいと思うから」
「それで?」
「でも……なんか、もやもやするんだ。あと、なんかアルベルトと一緒にいたくないというか……」
たぶん、悪い人じゃないと思う。
簒奪という過激な方法を選んでいるけど、それは、現状に苦しむ民を思えばこそだ。
一刻も早く圧政から民を解放して……
それと同時にクーデターを防いで、たくさんの血が流れることを阻止する。
そのために行動しているアルベルトは、たぶん、良い人なんだと思う。
思うのに、もやもやしてしまう。
彼と一緒にいたくないと思ってしまう。
これ、なんだろう?
「それは嫉妬ね」
僕の話を聞いたリコリスは、さほど迷うことなく、そう断じた。
「嫉妬?」
「意味はわかるわよね?」
「そりゃあ、もちろん。でも……」
「単純な話よ。アルベルトは、ソフィアに告白したでしょ? そのことについて、フェイトは嫉妬しているのよ」
「……」
まったく予想外の結論を突きつけられて、キョトンとしてしまう。
僕がアルベルトに嫉妬?
彼がソフィアに告白したから?
そんなまさか、と思うのだけど……
でも、リコリスの推測を否定する材料は見つからない。
というか、冷静になって考えると、その通り、と思うような心当たりが多すぎる。
自覚もたくさん出てきた。
「そっか……僕、アルベルトに嫉妬していたのか……」
「それと、ライバルに思えるから気を許していない、っていうのもあると思うわよ。ほら。フェイトってば、大抵、初対面の人はさんづけで呼ぶのに、アルベルトだけアルベルトじゃない? つまり、そういうことよ」
「それは……まったく自覚していなかったかも」
ほぼほぼ無意識でアルベルトのことを呼び捨てにしていた。
それも、彼を特別に意識しているせいなんだろう。
色々な事実を知り、なんていうか……
「……恥ずかしい」
「なんでよ、恥ずかしがる必要なんてないじゃない」
「だって、嫉妬とかライバル心とか、僕が一人で勝手に思っているだけなんだよ? 向こうはなにも気にしていないと思うし、ソフィアだって……それなのに僕は……はぁ」
「いいんじゃない? 嫉妬もライバル心もアリよ」
「そう……かな?」
「まったく、フェイトは女心がわかってないわね。こういう時、なにも感じていない方が嫌なのよ。嫉妬されたり、ライバル心を持ったり……そういう方が嬉しいの。この人は私のためにがんばってくれているわー……って、満たされるのよ」
わかるような、わからないような。
でも……
もしかしたら、僕は気にし過ぎだったのかもしれない。
気持ちの整理は簡単にはできないけど、だけど、もっと前向きな気持ちでいないとダメだよね。
少しだけど、そうやって前向きになることができた。
リコリスのおかげだ。
「ありがとう、リコリス」
「ふふん、お礼は甘くてミルクたっぷりのクッキーでいいわ!」
「あはは。うん、今度買ってくるよ」
僕とリコリスは一緒に笑い……
その上で、月が静かに輝いていた。
「まずは、感謝を述べさせてもらいたい」
翌日。
僕達はアルベルトに呼ばれて、大きい客間に集まった。
「ソフィア・アスカルト殿。フェイト・スティアート殿。リコリス殿。アイシャ殿。スノウ殿。私の無茶な要請に応えていただき、深く感謝したい。ありがとう」
アルベルトは一人一人の顔をしっかりと見て、最後に頭を下げた。
貴族は民の上に立つ者だ。
そうそう簡単に頭を下げてはいけないし……
プライドが高く、そんなことができない者も多い。
でも、アルベルトは違う。
彼は真摯に僕達に向き合ってくれている。
……なんか、彼に嫉妬していた自分がひどく小さな存在に思えてきた。
「現在、この街は父の……いや、グルド・ヒルディスの圧政で悲鳴をあげている。民は苦しみ、財は溶けて、人々は他の街へ逃げている。このような状況を放置したら、どれだけの涙が流れることか……それを止めるため、あえて、私は罪を犯そうと思う」
革命とか、救世とか。
そんな良い言葉を使わないで、あえて悪い言葉を使う。
そこにアルベルトの性格が現れているような気がした。
それに比べたら僕は……
って、ダメだダメだ!
色々と思うところはあるけど、でも今は、目の前のことに集中しないと。
協力するって決めたんだから、迷惑をかけないようにがんばろう。
やるべきことはやる。
「それ、具体的にどうするのです?」
ソフィアがそんな質問を投げかけた。
アルベルトは、前々から今回の計画を考えていたみたいだ。
でも、詳細を知らされていない僕達は、自分の役割を知らない。
「グルドが悪事に手を染めていることは間違いない。その証拠を掴むことができれば、領主の座を蹴落とすことも可能だろうが……それはしない」
「時間がかかるから、ですね?」
「ああ、その通りだ」
まっとうな手段を取れば、必ず領主を追い落とすことはできる。
それだけの悪事を積み重ねている、と聞く。
ただ、それでは遅い。
どうしても時間がかかってしまうから、その間に、どれだけの人が苦しむか……
それを許せないからこそ、アルベルトは簒奪という最終手段に出ることにした。
「取るべき方法は一つ。そして、とても単純なもの……クーデターだよ」
「……」
とても物騒な話に、自然とこちらの気持ちが引き締まる。
ちなみに、アイシャとスノウには聞かせられない話なので、最初の挨拶を終えた後、二人は部屋の後ろでリコリスと遊んでもらっている。
「物理的にグルドを拘束して、私が領主の座につく。その後、不正の証拠を見つけることで、国に正当性を主張する」
「それ……けっこう、危うい作戦では?」
物理的に領主を排除するなら、なんとかなると思う。
ソフィアがいるから、こちらの戦力は十分だ。
もちろん、僕も全力で戦う。
ただ……
その後の正当性を主張する、というのはうまくいくのかな?
下手をしたら、簒奪を正当化するため証拠をでっちあげた、と判断されるかもしれない。
あるいは、不正の証拠を見つける前に国が動いてしまうとか……こちらは、色々な不安要素があって、それを完全に拭い取ることができていない。
「うむ、スティアート殿の言いたいことはよくわかる」
「なら……」
もっと慎重に作戦を考えた方がいいのでは?
そう言うよりも先に、アルベルトが言葉を続ける。
「私が領主の座につけなかったら、その時はその時だ」
「え?」
「一番の目的は、グルドを領主の座から排除することだ。そうすれば、レノグレイドの状況は大きく改善される。もちろん、私が領主となって正しい方向へ導いていきたいが……それが叶わなくても、グルドを排斥できれば、まずはそれでいい。結果、私が反逆者として処罰されようが構わない」
「……」
僕は、アルベルトのことを小さく考えていたのかもしれない。
街のために自分が犠牲になって構わない。
そうすることが務め。
まさか、ここまで強い決意と覚悟を持っていたなんて……
いつの間にか、アルベルトに対する嫉妬は消えていた。
代わりに、憧れに近い感情が生まれる。
彼のように……
強い決意と覚悟を持つ、そんな人になりたい。
そうやって強く大きく成長したい。
そう思うようになっていた。
「わかりました」
「フェイト?」
「僕は、ソフィアみたいな力はないけど……でも、全力であなたのサポートをしたいと思います」
「ありがとう。スティアート殿を頼もしく思うよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします。アルベルトさん」
アルベルトさんが手を差し出して……
僕は笑みを浮かべつつ、その手を握る。
「……」
「……」
言葉は必要ない。
そんな感じで、しっかりと握手をした。
「む? なにやら私の知らないところで二人の仲が……なんだか、ジェラシーですね」
一人、ソフィアが妙な方向で拗ねてしまうのだった。
夜。
「……」
ソフィアは庭に出て、月夜を見上げていた。
その横顔は無表情で、なにを考えているか察することは難しいだろう。
ザッ、という草を踏む音。
それでもソフィアは振り返らない。
ただ、月夜を眺める。
「綺麗ですね」
姿を見せたのはアルベルトだった。
ソフィアの隣に並んで、同じく月を見上げる。
「眠れないのですか?」
「それ、私のセリフですよ」
「はは……いや、情けない話ですが、緊張していまして。いよいよ明日と思うと、なかなか眠ることができず」
明日、レノグレイドの領主グルドは、鉱山を視察することになっていた。
採掘量が若干落ち込んでいるため、その調査に同行するためだ。
場所が場所だけに、大人数で行くことはできない。
また、街の中ということで護衛は最小限。
グルドを討つ絶好の機会であり……
いくらかの検討が重ねられた結果、作戦を実行することとなった。
急といえば急な話だ。
しかし、こういう機会は突然巡ってくるもの。
このチャンスを逃せば、次はいつになるかわからない。
その間、民は苦しみ続ける。
大規模な武装蜂起が発生するかもしれない。
それらのことを考えると、この機会を逃すわけにはいかない、という結論になったのだ。
「少し意外ですね」
「おや、なにがでしょうか?」
「これだけのことを考える人なので、とっくに覚悟は決めていると思いました」
「覚悟なら決めていますよ」
アルベルトは即答した。
その顔に迷いの感情はない。
怯えの色もない。
ただ、まっすぐに前を向いていた。
「なにがあろうと、父を……グルドを討つ。そして、街を救う。そう決意をしております」
「それなら……」
「ですが、私も人間ですからね。感情を完全に制御することはできない。覚悟は決めましたが、それでも、時折、感情が揺らいでしまうのですよ」
「……そうですか」
ソフィアはアルベルトの感情に理解を示した。
なぜなら、ソフィアも緊張しているからだ。
力を貸すと決めたものの……
失敗したら、とんでもないリスクを負うことになる。
死ぬかもしれないし、そうでなくても、指名手配などをされて一生が終わるかもしれない。
自分一人だけなら問題ないのだけど……
フェイトやアイシャも関わってくると、さすがに緊張せずにはいられない。
リコリス?
彼女は……まあ、なんとでもなる。
「ただ、明日になる前にアスカルト殿に会えたのは幸いでした」
「なにか私に話でも?」
「はい」
困った……と、ソフィアは内心で眉をたわめた。
おそらく、妻になってほしいとか、そういう話だろう。
アルベルトのことは嫌いではない。
誠実な人であるし、能力も高い。
ただ、すでにフェイトがいる。
自分は彼のものだ。
他の誰かのものになるなんて、欠片も想像することができない。
「一つ、お願いがあります」
アルベルトは、そんなソフィアの内心を察したのか、直接的な話はしない。
「今回の件がうまく解決したら……その時は、こうして、また二人で話をする機会をいただけませんか?」
「それは構いませんけど……今じゃなくていいんですか?」
「今はやめておきましょう。そうしてしまうと、気が緩んでしまいそうなので。ですから、話は事件が解決した後に」
「……それ、フラグになりません?」
「なるかもしれませんね」
アルベルトは笑う。
「ですが、そのようなフラグ、へし折ってやりましょう」
「あら」
「そして、またアスカルト殿に話をする機会をいただきたいと思います」
思っていた以上に強い人だ。
ソフィアは、心の中でアルベルトに対する評価を上方修正した。
もっとも、それでもなお、フェイトに届くことは絶対にないのだけど。
「わかりました、約束します」
「ありがとう」
よほど嬉しいらしく、アルベルトは子供のように笑う。
「それと、もう一つ。わがままを言ってもいいですか?」
「なんですか?」
「もう少しだけ、一緒に月を眺めていてもよろしいでしょうか?」
「……いいですよ」
ソフィアとアルベルトは、それ以上は言葉を交わすことなく、静かに月を見上げるのだった。
日が変わり、いよいよ作戦決行の日になった。
僕達は、あらかじめ鉱山に先回りした。
他にもアルベルトが用意した人達がいる。
物陰に潜み、領主がやってくるのを待つ。
「いよいよですね。フェイトは緊張していませんか?」
「うん、大丈夫」
これでも、それなりの修羅場はくぐり抜けてきたつもりだ。
だからなのか、自分でも驚くくらい落ち着いていた。
「……アイシャとスノウは大丈夫かな?」
「リコリスが一緒なので、問題は……いえ、一緒だからこそ問題なのでしょうか?」
「あはは、ひどいね」
アイシャ達は、街の宿で待ってもらっている。
巻き込まれたら大変なので、さすがに一緒に連れて行くわけにはいかない。
一応、リコリスが護衛についてくれているんだけど……
うーん、心配だ。
「……あのさ」
「はい、なんですか?」
「甘い、って言われるかもしれないけど……できれば、あまり相手を傷つけたくなくて」
領主を守る人はたくさんいる。
お金で雇われていたり、領主に忠誠を誓っていたり。
「悪い人もいるかもしれないけど、でも、今回の敵は同じ人間で……できるなら、あまり……」
「甘いですね」
「うっ」
バッサリと言われてしまう。
「気持ちはわからないでもないですが、そのような甘い感情を持っていると、いざという時、命取りになりますよ」
「それは……」
「敵は、敵。非情にならなければ、こちらがやられてしまうかもしれません」
「そう……だよね」
「ですが」
ソフィアがにっこりと笑う。
「私は、そんなフェイトが好きですよ」
「……ソフィア……」
「わかりました。傷つけないというのは無理ですが、なるべく命はとらないようにしましょう。フェイトは、そのために全力を尽くしてください。私がサポートします」
とても頼もしいけど、でも……
「いいの、かな? 僕は、ソフィアを無理に危険に晒しているかもしれなくて……」
「これくらい、危険なんてことはありませんよ」
ソフィアはドヤ顔で言う。
「なにしろ、私は剣聖ですからね」
「……」
「それくらい、なにも問題ありません。ちょちょいとやってみせましょう」
「……」
「ど、どうして黙ってしまうのですか?」
「ううん、なんでもないよ……うん。ありがとう、ソフィア」
僕のパートナーは、とても頼りになる。
そして、とても優しい人だ。
なんだかんだ言って、ソフィアも僕と同じ気持ちでいてくれているんだと思う。
「がんばろうね」
「はい」
よし、気合が入ってきた。
入ってきたんだけど……
「合図、遅いね?」
時計で時間を確認する。
領主が鉱山にやってきたら、アルベルトが合図を送ってくれるはずなんだけど……
その合図が一向にない。
予定時間を過ぎているのに。
「トラブルでしょうか?」
「そうやって言葉にすると、本当にそうなりそうな気が……」
「大変です!」
若い男性がこちらに駆けてきた。
アルベルトの執事の一人で、連絡係を務めている人だ。
汗をたくさん流すような勢いで、ものすごく慌てている。
「どうしたんですか?」
「それが、その……! アルベルトさまとは別の者がクーデターを起こしてしまい、街が戦場に……!!!」
……とんでもないトラブルが起きていた。
急いで鉱山を出ると、
「これは……」
街のあちらこちらで火の手があがっていた。
風に乗って人々の怒声と悲鳴が聞こえてくる。
「ひどい……」
「どうして、こんなことに……」
「アスカルト殿! スティアート殿!」
振り返ると、アルベルトが駆けてきた。
普段の冷静な姿はどこへやら、大粒の汗を流して、焦りの表情を浮かべている。
「よかった! 二人共無事だったか」
「いったい、なにが起きているんですか?」
「……いいようにやられてしまった」
アルベルトは苦い顔をして語る。
グルドは、アルベルトの簒奪計画を見抜いていたらしい。
圧政を敷く愚者だとしても、悪知恵は働くようだ。
「父は……グルドは、この機会に私を含めて、反乱分子をまとめて潰すことを計画した」
「と、いうと……まさか」
とある可能性に思い至り、顔を青くした。
アルベルトは、その通りというように頷く。
「グルドは、巧みに情報を操作して、私達とは別の革命軍を動かしたのだよ。本来なら、まだ猶予があるはずなのに……うまいこと動かされてしまったのだろう」
「そうやって反乱分子を煽り出して……それだけじゃなくて、僕達の行動を阻害するために、ぶつける?」
「ああ、その通りだ。おかげで、私達の計画は大きく狂ってしまった。そして……」
とても苦い顔をして、アルベルトは街を見た。
火の手はどんどん大きくなる。
怒声と悲鳴も、それに合わせて大きくなる。
「ひどい……」
「グルドは愚かな為政者ではあるが、まさか、平然と守るべきはずの民を巻き込むなんて……」
人の心がないのか。
そんな怒りの感情を宿して、アルベルトは拳を強く握っていた。
「……街の状況はわかりますか?」
一人、努めて冷静を貫いているソフィアは、静かにそう尋ねた。
「もう一つの革命軍が、街のあちらこちらでデタラメに暴れている。彼らはグルドを探し出して処刑するつもりのようですが……残念ながら、ヤツの方が上手です。うまい具合に誘導されて、このままだと各個撃破されてしまうでしょう」
「被害状況は?」
「……見ての通りですよ。街全体に及んでいる」
この事態を止められなかった責任を感じているらしく、アルベルトはとても悔しそうだ。
でも、今は後悔している時じゃない。
この事態を止めることだけを考えないと。
「このような事態を招いてしまい、巻き込んでしまい、申しわけない……ただ、これ以上悪化させるわけにはいきません。お二人共、どうか力を貸してください!」
「すみませんが、私は無理です」
「えっ」
断られるとは思っていなかったのか、アルベルトは呆気にとられた表情に。
ただ、僕はソフィアの考えていることを理解した。
というか、ほぼほぼ同じことを考えている。
「私は、アイシャちゃんとスノウとリコリスを守らないといけません。彼女達のところへ向かいます」
「し、しかし、この惨事を止めなければいつまでも……」
「そちらはフェイトに任せます」
「うん」
ソフィアなら、そう言うと思っていた。
だから、すぐに頷くことができた。
ソフィアは家族を守る。
そして僕は、家族に害を成す根源を断つ。
適材適所だ。
「グルドの居場所に心当たりは?」
「……あります」
「では、フェイトと一緒に……お願いします。私は、大事な家族を守らなければいけないので、動くことはできません」
「しかし……いや、うむ。わかりました。彼と一緒に、必ずこの事態を収拾してみせましょう」
僕は剣聖ではなくて、ただの冒険者。
信じられるのかどうか、アルベルトは迷っていた様子だけど……
それも少しで、すぐに納得してくれた。
こういうところ、彼は本当にすごいと思う。
疑問は色々とあるだろうけど、それらを全て飲み込んで、今できることをやる。
最善の手を打つ。
なるほど。
アルベルトの方が、よっぽど領主にふさわしい。
「スティアート殿、行きましょう!」
「はい!」
駆け出そうとして、
「フェイト」
声をかけられて、ソフィアの方を見る。
彼女は心配そうにしつつ、でも、微笑んでいた。
「がんばってくださいね」
「うん!」
ソフィアの応援があれば百人力だ。
僕は気合を入れて、今度こそ、アルベルトと一緒に駆け出した。
「どうやら、思っていたよりも紳士な方みたいですね」
フェイトとアルベルトを見送り、ソフィアはぽつりと呟いた。
自分が前線に立たないと言えば、アルベルトは難色を示すだろう。
フェイトではなくて、自分に協力してほしいと言うだろう。
そんな予想をしていたソフィアだけど……
それは外れることに。
アルベルトは必要以上にソフィアを求めることはなくて、わりとスムーズにフェイトを受け入れた。
フェイトを信じることにした、というだけではなくて……
戦争のような状況なので、女性であるソフィアを前線に立たせたくない、という想いが働いたのだろう。
「気を使っていただけるのは、嬉しいですけどね。でも」
やれやれ、とソフィアはため息をこぼす。
女性として扱ってもらい、優しくしてくれることは素直に嬉しい。
でも、それでは不満なのだ。
男女関係なく、好きな人の力になりたい。
隣に立ちたい、と思う。
フェイトは無自覚にそれを理解しているのか、ソフィアを必要以上に縛ることはしない。
アイシャ達を守る役目も危険だけど、ソフィアなら大丈夫と信じて任せていた。
そうやって、互いに互いを支え合う。
それが、ソフィアが求める理想的な関係だ。
「だから、私はフェイトが大好きなのですよ」
――――――――――
ソフィアは風のように……
いや。
それ以上の速度で駆けて、アルベルトが所有するセーフハウスの一つに向かう。
彼のような立場になると、街に複数の避難場所を持つ。
そのうちの一つにアイシャ達がいる。
ソフィアは、大事な家族達の無事を確かめようとして……
「あーもうっ、うっとうしいわね!」
セーフハウスに近づいたところで、聞き覚えのある声が響いてきた。
そちらに視線をやると、素早く空を飛ぶリコリスと、それを追いかける暴漢達の姿があった。
「こっちに来るんじゃないわよ!」
リコリスは高速で飛びつつ、自分を追いかけてくる暴漢に手の平を向ける。
すると、地面が盛り上がり植物の蔦が飛び出してきた。
それらは意思を持っているかのように、暴漢達に絡みついて、その動きを封じる。
「ふふん、見たか! これが、絶対無敵万能超越最強完璧美少女妖精、リコリスちゃんの力よ!」
ドヤ顔を決めるリコリスだけど……
「ふん、これくらいで止められると思うな!」
「甘いんだよ!」
「ぴゃあ!?」
暴漢達は力任せに拘束を解いて、再びリコリスを追いかける。
「うーっ、あたしは戦闘は得意じゃないの! 補助がメインなのよ!」
リコリスは、なぜか空へ逃げようとしない。
暴漢達の手が届くギリギリのところを飛行して、あちらこちらを逃げていた。
ただ、それも限界だ。
魔法を連発したことで魔力が少なくなり、体力も減ってきた。
だんだんと速度が落ちて、暴漢達の手に落ちる。
「ぎゃー!? 離しなさい、離しなさいよ!?」
「うるせえ、黙れ!」
「思い切り邪魔をしてくれたな? この報いはしっかりと……」
「……リコリスになにをしているのですか?」
ザンッ!
建物の壁を蹴り急降下したソフィアは、その勢いのまま、リコリスを捕らえる男の腕を切り飛ばした。
たぶん、彼は革命軍なのだろう。
街の現状を憂い、立ち上がった勇気ある者なのだろう。
普段は善良な人なのかもしれないが……
そんなことはどうでもいい。
まるで関係ない。
この男は、リコリスに手を出そうとした。
ならば敵だ。
一切容赦することなく、まるで迷うことなく、男の腕を切り落とした。
「大丈夫ですか、リコリス?」
「そ……そびぃわぁあああああ……」
さすがのリコリスも怖かったらしく、滂沱の涙を流しつつソフィアにしがみつくのだった。