3話 現状からの脱却と再会

「どういうことだ、この無能がっ!!!」
「ぐあ!?」

 シグルドの怒声がぶつけられて、さらに殴られてしまう。
 僕は吹き飛ばされて、床の上に転がる。

 ここは宿屋兼食堂なので、他に客はいる。
 しかし、シグルドは乱暴な冒険者として悪い意味でも有名で、誰も関わろうとしない。
 当然、僕のことも見て見ぬ振りだ。

 もっとも……

 奴隷という身分なので、善意ある誰かが立ち上がってくれたとしても、僕を助けることはできない。
 奴隷をどのように扱うかは、全て主に委ねられているのだから。
 人権なんてものはない。

「せっかくの戦利品を落としていた、だぁ? おいおいおい、お前、なにしてくれてんだ? 今日の稼ぎ、いったいどれだけ減ったと思っているんだ?」
「すみま、せん……あぐっ!?」

 腹部をおもいきり蹴り上げられた。
 そのまま体が宙に浮いてしまうほどに強烈な一撃だ。

 痛い。

 僕は体をくの字にして、ごほごほと咳き込む。
 そんな僕の頭を、ミラが踏む。

「いやー、びっくりだわ。無能だと思ってたけど、まさか、ここまでなにもできない無能だなんて。ううん、無能以下? だって、マイナス効果しかもたらさないんだもの」
「うぅ……」
「ねえ、聞いてるの? 聞いてるの? 無能ごときが、あたしの話を無視していいと思ってるの?」
「ちゃんと……聞いて、います……」
「なら、なんで戦利品を落としたのよ! このグズがっ」
「うぐっ!?」

 ガシガシと何度も何度も頭を踏みつけられる。
 たぶん、全力だろう。

 反撃なんて、できるわけがないし……
 避けたりすれば、それはそれで、さらなる怒りを買うハメになる。
 できることといえば、亀のように身を丸くして耐えるだけだ。

「どうして、戦利品を落としたのですか?」

 今度はレクターに胸ぐらを掴まれた。

「荷物袋に、穴が……開いていて……それで、気がついた時には、もう……」
「なぜ、穴が開いていることに気づかなかったのですか?」
「気づいて、いました……買い換える必要があると、申告も……でも、みなさんがいらない、って……」
「言い訳はしないでほしいですね」
「ぐあっ!?」

 床に叩きつけられる。
 さらに、腹部をおもいきり踏みつけられた。

「まったく……ここまで使えない無能だとは、思ってもいませんでしたよ。私の計算を、悪い意味で裏切ってくれますね、あなたは」
「とりま、罰を考えよっか。二度と失敗しないような、キツーイ罰を与えないとダメね」
「だな。自分の立場ってもんを、しっかりとわらかせてやらねーと」

 ミラとシグルドも僕の体を踏みつける。
 そこらのゴミと同じように、遠慮なく容赦なく慈悲なく、踏みつける。

 痛い。
 苦しい。
 辛い。

 体と心が悲鳴をあげる。

 それでも。
 だけど僕は、こんな連中に屈したくない。

 どうすることができないとしても、心まで売り渡したくない。
 魂まで捧げたくない。

 精一杯の抵抗として、三人を睨みつけた。

「その目……むかつくなあ、おい。やっぱり、自分の立場がまだわかってないみたいだな。いいか? てめえは奴隷で、どうしようもない無能なんだ。誰にも必要とされていないんだよ!!!」
「……なら、彼をもらってもいい?」

 ふと、凛とした声が響いた。

 宿屋兼食堂の扉が開いて、一人の女の子が姿を見せる。

 歳は僕と同じくらい……十八だろうか?
 若干、幼さが残る顔立ち。
 しかしそれは、彼女のかわいらしさを引き立てることになり、結果、天使のような愛らしさを作っている。

 髪は銀色。
 シルクのようにサラサラで、朝日を集めたかのように輝いている。
 腰に届くほどに長く、大きめのリボンをつけている。
 子供らしいかもしれないが、良い具合に彼女の魅力を引き立てていると思う。

 スラリと伸びた手足。
 起伏のある体。
 男の目を集めるだけではなくて、羨みや嫉妬で同性の目も集めるだろう。

「そんな……まさか……」

 シグルド達に踏みつけられたままではあるが……
 僕は、そんな自分の状況を忘れて、彼女に視線を奪われていた。
 心も魂も奪われていた。

 その姿も。
 その声も。
 不敵な笑顔も。

 なにもかも、全てに見覚えがある。
 忘れるはずがない。
 彼女は……

「……ソフィア?」

 僕の幼馴染、ソフィア・アスカルトだ。

「なんだ、お前は?」

 シグルドは不思議そうに、ソフィアに声をかけて……
 次いで、ニヤリとゲスな笑顔になる。

「どこの誰か知らないが……なんだ、コイツがほしいのか?」
「うぐっ」

 コイツ、の部分で顔を強く踏みつけられて、苦悶の声がこぼれてしまう。

 ソフィアの眉がピクリと跳ね上がる。

「俺の聞き間違いじゃなければ、コイツが欲しいって言ったよな? この無能のクズが欲しい、って」
「……はい、そうですね。それで間違っていませんよ」
「こんなクズを欲しがるなんて、物好きなヤツもいるんだな。そう思わないか? ミラ、レクター」
「うんうん、めっちゃ不思議。こいつ、無能中の無能だし。こんなのが欲しいなんて、あんた、めっちゃくちゃ変わった趣味してるのね」
「一応、説明してさしあげますが……反抗的でろくな力もなくて、簡単な雑用も満足にこなせない。このクズは、どうしようもない無能ですよ?」

 再び、ソフィアの眉がピクリと動いた。

 そのことに気がつくことなく、シグルドは話を進める。

「まあ、コイツが普通のパーティーメンバーっていうのなら、どこに行こうと勝手なんだけどな。でも、コイツは俺達の奴隷なんだよ」
「奴隷? それは本当に?」
「本当だぜ。ほら、コイツの首を見ろよ」

 無理矢理立たされる。

 ソフィアは、僕の首につけられた奴隷の証……契約の首輪を見て、さらに眉をピクリと動かした。

「ってなわけで、コイツの所有権は俺らにあるわけだ」
「そう……なるほど、理解しました。ええ、理解しましたよ」
「まあ、まったく使えない無能だ。欲しいって言うのなら譲ってやってもいいが……」

 シグルドは欲望に満ちた目でソフィアを見る。

「それ相応の誠意、ってものを見せてくれないか? なあに、一晩付き合うだけでいいぜ。もっとも、俺のテクに魅了されて、そのまま一緒にいることになるかもしれないけどな」
「やっだー、シグルドってば鬼畜ぅ♪」
「やれやれ、悪い癖が出ましたね」

 ミラとレクターは、基本的にシグルドの好きにさせるみたいだ。
 俺がどうなると、もう興味はないらしい。

「どうだ? 悪い話じゃないだろう?」
「そうね……どうしましょうか?」
「他に選択肢はないぜ? この首輪がある限り、コイツは奴隷のまま。俺達の所有物なんだからな」
「ですね。なら……その首輪をなんとかしてしまいましょう」

 ソフィアはにっこりと笑う。

 そして……

「え?」

 いつの間にか、腰に下げた剣を抜いていた。

「え?」

 なにが起きたかわからない様子で、シグルド達も唖然とした。

 そんな中、俺の首輪に亀裂が入り……
 首輪だけが縦に両断されて、ゴトリと床に落ちた。

 それを見たシグルドが慌てる。

「な!? 契約の首輪が……い、いったいなにが起きた!?」
「慌てないでください。私が斬りました。ただ、それだけのことですよ?」
「契約の首輪を斬った……だと?」
「え、うっそ……そんなこと、ありえないんだけど。コイツの体に傷一つつけないで、首輪だけを斬り落とすなんて……そんなこと、Sランクの冒険者でもできるかどうか……」
「そ、そもそも、契約の首輪は剣で斬れるような代物ではありません! 百万を超える値段の剣でも、傷をつけることは難しく……それこそ、伝説に出てくるような聖剣や神剣でなければ……」

 シグルド達が慌てる中、ソフィアはニッコリと笑い、言う。

「これで、彼は奴隷でもなんでもありません。自由。なら、私がもらっても問題ないですよね? ふふっ」

 小悪魔を思わせる笑み。
 それに対してシグルドは、

「ふ、ふざけるな! こんなことをされて、俺達が黙っていると思うなよ! このクソアマがぁあああああっ!!!」

 激高したシグルドがソフィアに殴りかかる。

 それを見て、ソフィアから笑顔が消えて……

「あら、怒っているのですね。ですが……あなただけが怒っていると思わないでくださいね。私のフェイトにこんなことをしたあなた達は、絶対に許しませんよ」
「ひっ!?」

 瞬間、絶対零度の殺意が吹き荒れた。
 質量すら持つ圧倒的な殺意がソフィアから放たれる。
 それを叩きつけられたシグルド達は、恐怖に動けなくなり、全身を汗で濡らす。

「それと……私、あなたのような下品な人は大嫌いなのです。相手をするなんて、絶対にごめんですね。生まれ変わって出直してきてください」
「がはぁあああああっ!!!?」

 ソフィアの拳が炸裂して、Aランクの実力者であるはずのシグルドは、一撃で白目を剥いて昏倒した。