一週間くらいが経って……
父さんの知り合いの獣人はいつ来るのかな? と思っていた、その日。
ようやく、待ち望んだ時がやってきた。
「フェイト、来たぞ」
裏庭で素振りをしていると、父さんが工房から顔を出して、そう言った。
それはつまり……
「すぐに用意する!」
家の中へ戻り、タオルで汗を拭いた。
顔を洗ってさっぱりとした後、私服に着替える。
そうやって準備を終えて、急いでリビングへ。
そして……
「姫様、よくぞご無事で……!」
「うー……?」
感涙しつつ、アイシャに向かいひざまずく獣人の女性。
そして、そんな女性にひたすらに困惑するアイシャ。
そんな光景が飛び込んできて、
「……どういうこと?」
ついつい、僕はそんなことを言うのだった。
――――――――――
「……さきほどは失礼しました」
ややあって、女性は落ち着きを取り戻して……
ひとまず、みんなで話をすることに。
まずは僕達が自己紹介をして……
そして、女性の番。
「私は、クローディア・バルネッタと申します。以後、よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
僕とソフィアは挨拶をするのだけど……
「うー……」
アイシャは僕の後ろへ隠れて、尻尾をピーンと立てている。
いきなりひざまずかれたせいか、とても警戒しているみたいだ。
ただの勘だけど……
クローディアさんは、悪い人じゃないような気がした。
見た目は、二十歳くらいだろうか?
でも、獣人はとても長く生きている人もいるみたいだから、実年齢はよくわからない。
背は高く、ソフィアよりも大きい。
手足はスラリと伸びていて、美術品みたいに綺麗だ。
そんなクローディアさんには、猫の耳と尻尾が。
獣人だけど、アイシャとは種族がちょっと違うのかな?
でも、燃えるような赤髪がとても綺麗で……
女性に対する感想じゃないんだけど、かっこいい、と思える人だった。
「エイジから聞いているかもしれませんが、私はこの店の常連でして……月に一度くらいの間隔で利用させてもらっていました」
「クローディアは武具を求めているわけじゃなくてな。包丁とか鍬とか、そういったものが欲しい、って言われてたのさ」
父さんが、そう補足してくれた。
なるほど。
父さんは一流の鍛冶職人だから、そういったものを作らせたら右に出る人はいない。
ちょっと誇らしい気分だった。
「私にはとある目的があったのですが……それが、姫様を見つける、というものでした」
「えっと……その姫様っていうのは、アイシャのこと?」
「はい、そうでございます」
とても硬い口調だ。
アイシャの従者……とか?
でも、そうなると、クローディアさんが言うように、アイシャは実はやんごとなき身分だった……?
「姫様っていうのは、どういうことなのでしょうか? 私達はアイシャちゃんと長いこと一緒にいますが、過去はよく知らず……」
アイシャと出会い、保護をして、親子になった経緯を説明した。
「そうですか! お二人が姫様を保護して……誠にありがとうございます。このクローディア、感謝の念に絶えません」
「いえ、大したことはしていませんから。それよりも、アイシャのこと、教えてくれるとうれしいです」
「はい、わかりました」
クローディアさん曰く……
アイシャは元々、獣人の里で暮らしていたらしい。
普通の獣人ではなくて、特別な存在である『巫女』。
故に、姫様と呼ばれていたらしい。
「なるほど」
アイシャが巫女という話は、以前、ブルーアイランドで聞いた通りだ。
あの時は可能性の話だったけど……今、それが確信に変わった。
「私達は穏やかに暮らしていたのですが……ある日、人間達が襲いかかってきたのです」
「それって……」
「もしかして……」
僕とソフィアは顔を見合わせる。
たぶん、同じことを考えているのだろう。
獣人の里を襲った人間。
それは……おそらく、黎明の同盟ではないだろうか?
「幸いにも、襲撃者を撃退することができました。しかし、その時の混乱で姫様は行方不明になり……」
当時を思い返している様子で、クローディアさんは悲痛な表情を浮かべた。
とても悲しく。
そして、とても悔しかったのだろう。
テーブルの上に乗せられた手に、ぎゅうっと力が込められている。
「すぐにでも姫様を探すための旅に出たかったのですが、里の被害も大きく……また、同じことが起きないように、里の移転も決定して……今の今まで、姫様を探しに行くことができませんでした。誠に申しわけございません!」
クローディアさんは、ものすごく悔しそうな顔をしつつ、アイシャに向かって頭を下げた。
突然のことに、アイシャがビクリと震えて驚く。
ただ、クローディアさんの真摯な想いは伝わったらしく、逃げるようなことはしない。
俺の後ろに隠れたままだけど、顔をそっと出して、
「……別に、気にしてないよ?」
そう、彼女を気遣う言葉を投げかけた。
「姫様……ありがたきお言葉です!」
「うぅ……」
姫様と呼ばれることに違和感があるらしく、アイシャはもじもじとした。
尻尾が不安そうに揺れていたので、頭を撫でてみる。
「えへへ」
ふにゃっとした笑顔を浮かべて、尻尾が落ち着いた。
「っと……失礼、話が逸れてしまいました」
「獣人の里はどうなったのですか?」
「移転は完了して、だいぶ落ち着きを取り戻しました」
ソフィアの質問に、クローディアさんは笑顔で答える。
「たまたま、というべきか。それとも運命だったのか、新しい里は、このスノウレイクの近くにあるのです。近くといっても、一週間は歩かないといけませんが……そのようなわけで、私は何度かこちらに足を運び、新しい里で必要な道具を揃えると同時に、姫様の手がかりを探していたのです」
「なるほど」
「そうしたら、偶然、お二人に出会い、姫様と再会することができて……やはり、これは運命なのかもしれませぬ」
僕は、それほど信心深い方じゃないけど……
それでも、クローディアさんの言うことに納得してしまう。
それくらい劇的な出会いと再会だったと思う。
「……フェイト」
そっと、ソフィアが僕だけに聞こえる声で呼びかけてきた。
「……これから、どうするんですか? アイシャちゃんは……」
「……アイシャは、僕達の娘だよ」
アイシャを知る人と出会うことができて、それは本当に良かったと思う。
でも、アイシャが僕達の娘であることに変わりはない。
アイシャが里で暮らしたいというのなら、それを止めることはできないけど……
そうでない限りは、ずっと一緒にいるつもりだ。
いつか嫁に行く?
ダメ。
そんなのは絶対にダメ。
「その……クローディアさんは、これからどうするつもりなんですか?」
「そうですね……姫様を見つけることができたのなら、すぐに里に迎え入れたいところなのですが……」
ちらりと、僕達を見た。
「それが最善なのか、迷うところではあります」
良かった。
こちらの事情を理解して、強引な手に出るつもりはないようだ。
「それに、私にはもう一つ、使命があります故」
「もう一つ?」
「はい。同じく里から消えてしまった神獣様を探すことです」
「神……」
「獣……?」
僕とソフィアは顔を見合わせた。
「人間で言う、女神様のようなものでしょうか。神獣様は、我ら獣人の神なのです。その神獣様の子供がいたのですが、やはり、先の事件で行方不明になってしまい……くっ、今どこでなにをされているのか。ああ、おいたわしや。せめて無事でいてくれれば……」
「ねえねえ」
成り行きを見守っていたリコリスが口を開いた。
ふわふわっと宙を飛んで……
少し離れたところで、おとなしく座っていたスノウの頭に着地する。
「その神獣って、この毛玉のこと?」
「は?」
そこで初めてスノウの存在に気がついたらしく、クローディアさんは目を丸くした。
「……」
硬直すること、一分くらい。
「神獣様っ!!!?」
クローディアさんは、椅子を蹴飛ばすような勢いで立ち上がり、叫ぶ。
ダダダッ! と駆けてスノウのところへ。
「ああ、神獣様! 神獣様! まさか、このようなところで見つかるなんて……これも神獣様のお導きなのですね。ありがとうございます、神獣様。おかげで神獣様を見つけることができました」
かなり混乱しているみたいだ。
でも……
「スノウって、すごい犬だったんだね」
そんな感想が思い浮かぶのだった。
アイシャは、獣人の里のお姫様。
スノウは、獣人の神様。
とんでもない事実が発覚したのだけど……
でも、僕にとってアイシャはアイシャ。スノウはスノウ。
大事な家族であることに変わりはない。
すごい存在だったからといって態度を変えることはない。
今まで通り、家族として接するつもりだ。
それは、ソフィアもリコリスも同じ。
二人は驚いた様子を見せていたものの、ほどなく落ち着きを取り戻して、いつもどおりになる。
「これからのことなのですが……」
お茶を飲み、クローディアさんは口を開いた。
「ご足労をかけてしまい申しわけないのですが、一度、我らの里に来ていただけないでしょうか?」
「獣人の里に?」
「はい。姫様と神獣様が見つかったことを報告したく……それに、お礼もしたいのです」
「……アイシャちゃんもスノウも、私達の家族ですよ?」
ソフィアが牽制するように言うと、クローディアさんは慌てた様子で手を横に振る。
「里に連れ戻すとか、そのようなことは考えておりません! いえ、本当はそうされた方がいいのですが……しかし、今の姫様や神獣様を見ていると、お二人と一緒にいることが一番良いようなので」
「わたし……おとーさんとおかーさんと、一緒にいてもいいの?」
「はい。お二人が姫様の家族ならば、それを引き裂くようなことはいたしません」
アイシャの問いかけに、クローディアさんはにっこりと笑い、優しく答えてみせた。
その言葉にウソはなさそうだ。
よかった、話のわかる人で。
これで……
「アイシャは巫女だから、絶対に里に連れ帰る」
なんて言われていたら、揉めてしまうところだった。
僕もそうだけど、ソフィアは絶対にそんなことは許さないだろう。
「えっと……スノウはどうなるんですか?」
「はい、神獣様も問題ありません。ただ……」
「ただ?」
「できるのならば、里の浄化に力をお貸しいただけると幸いです」
「浄化?」
わからない単語が出てきた。
「浄化っていうのは?」
「そうですね……詳細を説明すると長くなってしまうので省きますが、簡単に言うと、結界です。神獣様の力を借りて、新しい結界を張りたいのです。今の里は、神獣様がいないせいで結界を張れていないので……」
「結界がないとまずいことに?」
「そうですね……魔物の侵入を許してしまったり、人間の襲撃を受けることも……」
なるほど。
けっこう深刻な事態に陥っているみたいだ。
「そういうことなら力になりたいけど……えっと、スノウはどうかな? 大丈夫?」
「オンッ!」
任せておけ、というような感じで、スノウは力強く鳴いた。
子供でも神獣。
頼りになる。
「はい、それも問題ありません」
「ありがとうございます! この恩、一生忘れませぬ!」
土下座しそうな勢いで頭を下げられてしまう。
感謝しすぎでは……?
「わがままを言って申しわけないのですが、できるだけ早く里へ戻りたいのですが……」
「うん、了解です。それじゃあ、今日中に準備をするから、明日、出発しましょう」
「よろしいのですか……?」
「大丈夫だよね、ソフィア?」
「はい、問題ありません」
「かたじけない!」
再び頭を下げるクローディアさんだった。
――――――――――
「また旅に出るのか?」
明日の出発に向けて準備をしていると、父さんにそう声をかけられた。
「あ、うん……」
そういえば……と、今更ながに気づく。
せっかく実家に帰ってきたのに、親孝行らしいことはまったくしていない。
新しくできた家族……妹にも、兄らしいことはなにもできていない。
僕、かなりの親不孝ものでは……?
「変なこと考えるな」
「いたっ」
こつん、と叩かれてしまう。
「俺は、別に旅に反対してるわけじゃねえ。むしろ、賛成だな。フェイトは、あちらこちら旅をして、世界を見てきた方がいい。その方が、将来、絶対役に立つからな」
「……父さん……」
「母さんも同じ考えさ。ただ、それはそれ、これはこれ。久しぶりに会えた息子がまた旅立つことを寂しく思ってるだろうからな。今日は、母さんとルーテシアといっぱい一緒にいてやれ。準備は俺がしておいてやるさ」
「……ごめんなさい。僕、なにもしてなくてあいたぁ!?」
今度は、わりと強めのげんこつをもらった。
「つまらないこと考えるな」
「でも……」
「親孝行なんて、真面目に考える必要はねえよ。どうしてもっていうのなら、孫の顔でも見せてくれれば十分だ」
「ま、孫って……」
「なんだ、その気はないのか?」
「ううん。その……い、いつかは、って思っているよ」
「やれやれ、先は長そうだな」
たぶん、僕の顔は赤くなっているだろう。
そんな僕を見て、父さんは笑い……
その声が、とても心地よかった。
「……」
工房に入ろうとしたソフィアだけど、中から聞こえてきた会話に思わず足を止めてしまう。
『親孝行なんて、真面目に考える必要はねえよ。どうしてもっていうのなら、孫の顔でも見せてくれれば十分だ』
『ま、孫って……』
『なんだ、その気はないのか?』
『ううん。その……い、いつかは、って思っているよ』
そんなやりとりが聞こえてきて……
「っっっーーー!!!?」
思わず、ソフィアは中に入るのを止めて、意味もないのに物陰に隠れてしまう。
顔を押さえると、とても熱くなっていた。
鏡を見たら、きっと真っ赤になっているだろう。
耳まで赤いに違いない。
『ううん。その……い、いつかは、って思っているよ』
フェイトの言葉が耳に焼き付いて離れない。
そのまま脳の奥にまで染み込んでくるかのようだ。
「ふぇ、フェイトは……そ、そんな風に思っていたのですね……」
もちろん、ソフィアもそういうことを考えなかったわけではない。
むしろ、ちょくちょく考えていた。
いやらしい?
そんなことは知らない。
自分も一人の女の子。
年頃の乙女なのだ。
好きな人と結ばれたい、というのは当たり前の感情。
だから、そういうことを妄想したり想像したりしても、当たり前。
うん、問題ない。
そんな感じで、ソフィアは自分の感情を正当化して……
それから、久しぶりにそういう想像やら妄想をして……
ぼんっ、と顔を再び赤くした。
「ソフィアって、けっこうむっつりよね」
「ーーーっ!!!?」
突然、耳元から聞こえてきた声に、ソフィアは悲鳴をあげそうになる。
でも、気合と根性でなんとか我慢した。
慌てて振り返ると、にんまりと笑うリコリスの姿が。
「にひひ」
「……聞いていたのですか? 見ていたのですか?」
「バッチリ」
リコリスのニヤニヤ笑顔が止まらない。
それを見たソフィアは……
「斬ります」
「ちょ!?」
剣の柄に手を伸ばす。
ただの剣ではなくて、聖剣エクスカリバーだ。
「は、はやまらないで!? こんなにかわいいリコリスちゃんを斬っちゃうなんて、人類の損失よ!? 世界が泣くわ! 泣いて大洪水が起きるわ!」
「冗談ですよ」
ソフィアはにっこりと笑いつつ、剣の柄から手を離す。
「あ、あはは……」
もーやだなー、ソフィアの意地悪。
そんな感じでリコリスは笑うものの……
(ウソだ。あれ、絶対斬るつもりだったわ……)
ソフィアの本気を感じたリコリスは、内心でガタガタと震えていた。
ちょっと際どいネタでからかうのはやめておこう。
そう誓うリコリスだった。
まあ……
忘れっぽいところがあるリコリスなので、再びやらかすかもしれないが。
それはまた別の話だ。
「でも、そんなに恥ずかしがることないんじゃない?」
「そ、そのようなことを言われても……! だってだって、フェイトと、その……え、えっちなことをするなんて……」
「だから、別に恥ずかしいことじゃないでしょ」
「……えっちなことなのに?」
「そのえっちなことをすることで、人間も動物も子供を産むことができるんじゃない。子孫繁栄のための唯一の方法なのよ。恥ずかしがる必要はないと思うけどねー」
「むう」
そんな簡単に割り切れないと、ソフィアは複雑な表情に。
それから、ふと思いついた様子でリコリスに尋ねる。
「リコリスは、そういう経験はあるんですか?」
「えっ」
一瞬の硬直。
でも、すぐに回復して、リコリスは得意そうに胸を張る。
「ま、まーね! ミラクルかわいいリコリスちゃんなら、引く手あまただもん。ノノカと一緒にいる前は、あちらこちらの妖精から誘われて大変だったわ」
「わぁ」
「そのテクニックで、男連中はメロメロ。骨砕き! 魔性のリコリスちゃんって呼ばれていたわ!」
「すごいです!」
完全に信じ込んでいる様子で、ソフィアは子供のように目をキラキラさせた。
こういうことに関しては、ぽんこつになるソフィアだった。
「ぜひ、話を聞かせていただけませんか!?」
「え、ええ。いいわよ、リコリスちゃんのピンク色の話、してあげる!」
「お願いします!」
リコリスがありもしない話を盛大に撒き散らして……
ソフィアが真に受けて、思い込んでしまい……
初めての日、色々とやらかすことになるのだけど、それもまた別の話だ。
「えっと……野営道具は元からあるし、水と食料も買った。予備の武器もある。虫除け、魔物除けの結界も大丈夫。あとは……あ、そうだ。お菓子とドッグフードを買っておかないと」
買い物リストを確認しつつ、街中を歩く。
雪に覆われた街、スノウレイク。
十年以上離れていたため、とても懐かしい。
こうして歩いているだけで、なんだか不思議と優しい気持ちになることができた。
「あ」
「おや?」
ふと、クローディアさんと遭遇した。
向こうも買い物をしていたらしく、片手に荷物袋を下げている。
「買い物ですか?」
「ええ。里にはないものをここで購入しています故」
「なるほど。離れたところにあると、そういうところは不便ですね」
「はい。ただ、あまり近くに里を作るのも……まあ、色々とありまして」
言葉を濁すクローディアさん。
その言葉の奥を悟り、微妙な気持ちになってしまう。
獣人が人里離れたところで暮らしているのは、僕達、人間のせいだ。
アイシャがそうだったように、奴隷にしたり……
ひどいことを繰り返しているからだ。
「……ごめんなさい」
「え? どうして謝るのですか?」
「僕達人間のせいで、クローディアさん達に迷惑をかけているから……」
そう言うと、クローディアさんは優しい顔に。
「フェイトさんは優しいのですね」
「そんなことは……」
「いいえ、優しいですよ。本気で私達のことを想い、気遣ってくれている。それは、なかなかできることではありませぬ」
「でも、ただの同情かも……」
「同情が悪いなんてこと、私は思いませんよ。相手の立場になってものを考えるということですから」
「そう言ってもらえると助かります」
そのまま並んで話をする。
他愛のない日常会話だけど、でも、楽しい。
不思議な人だ。
一緒にいると安心できるというか、落ち着くことができる。
クローディアさんの優しい雰囲気がそうさせているのかな?
「ところで……今更の話ですが、私も買い物にご一緒しても?」
「はい、もちろんです」
「ありがとうございます。もう少し買いたいものがあって……ただ、どこに目的の店があるのかわからず、困っていたところなのです」
「なにを買いたいんですか?」
「ペット用品です」
「はい?」
聞き間違えかな?
そんなことを思うものの、クローディアさんは真面目な顔をして言う。
「この街に、ペット用品を扱うお店はございませんか?」
「えっと……一軒、そういう店はありますけど」
「よかった。お手数をおかけしてしまい恐縮ですが、案内していただけると幸いです」
「どうしてそんなところに……って、もしかして、スノウのため?」
「はい、もちろんです!」
食い気味に肯定された。
「スノウ様にご不便ご迷惑をおかけするわけにはまいりません。快適な旅を。そして、里でもなに一つ問題なく過ごしていただくために、必要なものを買い揃えないといけません!」
瞳に使命の炎をメラメラと燃やして、クローディアさんは強く語る。
ちょっと圧倒されてしまうのだけど……
クローディアさん獣人にとって、それだけスノウは大事な存在なんだろう。
そんなスノウが僕達と一緒にいていいのかな?
なんて、そんなことをチラリと考えてしまうのだけど……
「まあ、いいかな?」
肝心のスノウがアイシャと一緒にいることを望んでいる。
僕達にも懐いてくれている。
なら、問題はないだろう。
決めるのは、スノウ当人なのだから。
「でも、ペット用品でいいんですか? もっとこう、高級なものにするとか」
「……」
クローディアさんは気まずい顔をして、
「……神獣様は、なんだかんだで犬と同じなので」
そんな身も蓋もないことを言ってしまうのだった。
――――――――――
「ふう、こんなところですね」
買い物を無事に終える。
ただ、思った以上に時間がかかってしまい、空は赤くなり始めていた。
「お手伝いいただき、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそありがとうございます。クローディアさんと色々な話ができて、うれしかったです」
また一つ、獣人のことを知ることができた。
少しだけど理解することができた。
アイシャのこともあるし、もっともっと理解していきたいと思う。
そうしていけば……
たぶん、僕達は本当の意味でわかりあえるはずだから。
「じゃあ、帰りましょうか」
「はい」
翌日。
いよいよ獣人の里へ向かう日が訪れた。
少し緊張しているのか、いつもより目が早く覚めてしまう。
時間的には、もう一眠りくらいできそうだけど……
「起きようかな」
二度寝して寝坊したら大変なので、少し眠いけど、もう起きることにした。
「あっ! おとーさん、おはよう!」
リビングに移動すると、アイシャとスノウがいた。
二人共、尻尾をぶんぶんと振りつつ、抱きついてくる。
「うわっ……ととと」
「あう……おとーさん、大丈夫?」
「くぅん」
「うん、大丈夫だよ」
尻もちをついてしまい、二人が悲しそうな顔に。
なんてことはないというように、僕はにっこりと笑う。
それから、二人の頭を撫でた。
「おはよう、アイシャ。スノウ」
「おはよー、おとーさん!」
「オンッ!」
朝の挨拶をして、立ち上がる。
それからキッチンを覗く。
「父さんと母さんは……まだ寝ているのかな?」
早いから仕方ないか。
「そういえば、アイシャとスノウは早起きだね」
「スノウのお散歩をしていたの」
「オフゥ」
そういえば、スノウはどことなくごきげんだ。
朝から散歩ができてうれしいのだろう。
「そっか。アイシャは偉いね」
「わたし、えらい?」
「うん。きちんとスノウの面倒を見てて、優しくしているから。すごく良いことだと思うよ」
「えへへ、お父さんに褒められちゃった」
アイシャの尻尾が、さらにブンブンと横に振れた。
パシンパシンと尻尾の先がスノウに当たっているが、特に気にしていない様子だ。
と、その時。
クキュルルルー。
なんともかわいらしい音が響いた。
アイシャが眉を垂れ下げて、お腹に手をやる。
「あぅ……お腹減った」
「くぅーん」
スノウも空腹らしく、つぶらな瞳をこちらに向ける。
「なら、すぐにごはんを作るよ。ちょっと待っててね」
「おとーさん、ごはん、作れるの?」
「うん、大丈夫。それなりに自信はあるよ」
奴隷時代、食事当番も担当していた。
失敗すると拳が飛んでくるため、それなりに上達したと思う。
「えっと……」
キッチンに立ち、さっそく朝食の準備を始めた。
――――――――――
「はい、どうぞ」
「わぁ♪」
「オンッ!」
はちみつたっぷりのパンケーキと、レモンを効かせた特製サラダ。
それと、お腹に優しいコーンスープと牛乳。
わりと上手くできた方だと思う。
その証拠に……
「はむはむはむっ、あむ!」
「ガツガツガツ!」
アイシャとスノウは夢中になってパンケーキを食べていた。
尻尾がはち切れんばかりに振られている。
うん。
うまくいったみたいだ。
「おはようございます」
「おふぁよー……ふぁあああ」
シャッキリした様子のソフィアと、まだ眠そうなリコリスがやってきた。
「あら? そのごはん……フェイトが作ったんですか?」
「うん。ソフィア達の分も用意してあるよ」
「……ありがとうございます」
なぜかソフィアは複雑そうな顔だ。
パンケーキ、嫌いなのかな?
「自分より料理が上手だから、女として複雑に思ってるのよ」
「あっ、こらリコリス! バラさないでください」
ソフィアとリコリスが追いかけっこを始めて……
「おっ、朝食はフェイトが作ってくれたのか。うまそうじゃないか」
「ありがとう。お母さん、ついつい寝過ごしちゃって……」
「あーうー」
父さん、母さん、ルーテシアもやってきた。
ルーテシアは、パンケーキに興味津々らしく、じっと見つめている。
よだれもちょっと垂れていた。
とはいえ、赤ちゃんにはちみつはダメだ。
ルーテシア用に作り直さないと。
「おはようございます」
クローディアさんも起きてきた。
みんなが揃い……
あれこれと他愛のない話をして、笑顔が広がる。
「……こんな日がいつまでも続けばいいな」
そんなことを思う、穏やかな朝だった。
準備を終えて家を出る。
僕とソフィアとクローディアさんは、背中に大きなリュックを背負い……
そして、アイシャとスノウは小さなリュックを背負う。
それぞれ旅に必要なもの。
それと、獣人の里へ持っていくものが詰め込まれていた。
本当は僕達だけで荷物を運ぶつもりだったんだけど……
自分達もお手伝いする、とアイシャとスノウが言って聞かなかったので、ちょっとだけ手伝ってもらうことにした。
リコリス?
まあ……なにもしていない。
うん。
彼女はいつも自由だ。
「じゃあ、行ってくるね」
父さんと母さんと、ルーテシアに出発の挨拶をする。
「おう、がんばってこいよ」
「体に気をつけてね」
父さんと母さんは笑顔で送り出してくれて、
「あー……うー?」
ルーテシアはよくわかっていない様子で、小さな手をこちらに伸ばしてきた。
その手を握ると、妹も僕の手を握る。
「行ってくるね」
「うあー」
にっこりとルーテシアが笑う。
がんばれ、と言ってくれているみたいで、すごくやる気が出てきた。
――――――――――
スノウレイクを出て、半日ほどが経った。
まずは街道沿いに歩いて……
特に何事もなく時間が経過して、日が暮れ始める。
先頭を歩くクローディアさんが足を止めた。
「みなさん。日も暮れてきたので、今日はこの辺りで野営にしましょう」
「あ、待ってください」
荷物を下ろそうとするクローディアさんにストップをかけた。
「どうしたんですか?」
「この辺りはやめておいた方がいいと思います」
「え?」
「魔物の気配はないですけど、そういうところって、逆に獣が寄ってくることが多いので。だから、適度に魔物の気配があるところの方がいいです。それでいて、見晴らしの良いところ。そこがベストです」
「……」
クローディアさんは目を丸くして固まる。
「どうしたんですか?」
「いえ、その……獣人である私よりも野営に詳しいので、びっくりしてしまいました。その知識は、いったいどこで?」
「えっと……色々とあって」
奴隷にされていた頃に学びました。
……なんて言うと引かれてしまうかもしれないので、笑ってごまかしておいた。
なにはともあれ、少し進んだ場所でテントを設置して、焚き火を起こして、魔物よけの簡易結界を作り……
野営の準備を終えた。
「ソフィア、リコリスとアイシャとスノウと一緒に荷物番をお願いできる?」
「それは構いませんが、どうして私なんですか?」
「えっと……」
「ソフィアに近寄る命知らずの魔物とか獣、いるわけないじゃん。向こうからしたら化け物がいるようなもんだし。最適の魔物、獣除けね! あはははいだだだだだぁ!!!?」
「リコリス、口は災いのもと、という言葉を知っていますか?」
調子に乗ったリコリスが、こめかみをグリグリとやられていた。
あれは痛い……
「じゃ、じゃあ、行ってくるね」
「気をつけてくださいね」
ソフィアに見送られつつ、クローディアさんと一緒に川の水を汲みにいく。
食料は色々と用意しておいたけど……
水は重いため、たくさんは用意していない。
だから、こうして現地調達が基本だ。
「……フェイトさん」
水を汲みつつ、クローディアさんが小さな声で言う。
「はい?」
「フェイトさんは、姫様のことをどう思っているのですか?」
「どう、というのは?」
「娘として迎えられたということは理解しております。それを引き裂くつもりはありません。ただ……たまに、不安になってしまうのです。フェイトさんに心変わりが起きて、姫様が悲しむようなことになったら……と。とても失礼な考えなのですが」
「いえ、その心配は当たり前のものだと思います」
結局のところ……
人間と獣人の間にある溝は大きい。
仲良くできたと思っても、表面上だけという場合もある。
クローディアさんは、僕達を信じてくれているみたいだけど……
でも、完全に信頼することは難しいのだろう。
それも当然だ。
出会ったばかりなのだから仕方ない。
だから……
「僕達のことを見ててくれますか?」
「え」
「これからの行動で、そんなことは絶対にないって証明してみせますから……だから、近くで見ててほしいです」
「……」
「絶対に裏切りません。今は、言葉だけしか並べることはできませんけど……でも、何度だって、いつでも言えることができます」
「……はい」
クローディアさんは、どこかスッキリとした顔でこちらを見る。
「ありがとうございます」
そして、にっこりと笑った。
大きなトラブルはなくて、旅は順調に進んだ。
そして、予定よりも一日早く獣人の里に到着する。
森の奥の奥。
陽が欠片も差し込まないような最深部に獣人の里はあった。
それまでは上も左右も草木に覆われていたのに、一気に視界が開ける。
巨大な森の中に開けた広場。
そこに木材で作られた建物が数多く並んでいる。
それと、村を囲う塀と門。
見張り台が四方に設置されていて、弓矢を手にした獣人が見える。
「ここが……」
「はい、私達の里です」
森の奥に隠された秘境。
そんな言葉がぴったりの場所だ。
「何者だ!?」
門番の獣人がこちらに気づいて、剣を抜いた。
見張り台の獣人達も反応して、こちらに弓矢を向けてくる。
そんな彼らの誤解を解くために、クローディアさんが前に出る。
「私です」
「クローディア? なぜ人間なんかと一緒に……」
「いや、待て! その方は……」
「姫様!? それに、神獣様も!?」
わーっと、たくさんの獣人が押し寄せてきた。
その目的はアイシャとスノウ。
とても興奮した様子で二人に駆け寄ろうとして……
ザンッ!
なにから走り、彼らの前の地面が切り裂かれた。
巨人が刃を振るったかのような跡ができていて、ピタリと獣人達の動きが止まる。
「驚き、興奮する気持ちはわからないでもありませんが……」
見ると、ソフィアがいつの間にか抜いた剣を鞘に収めていた。
「アイシャちゃんもスノウも、まだ子供です。そのように興奮しては、怯えさせてしまうことになります」
「「「……」」」
「二人の保護者として、故意ではなくても、害を与えるようなら実力で排除いたしますが……さて、どうしますか?」
「「「すみませんでした」」」
たくさんの獣人が平服した!?
なんていうか……
ソフィアがビーストテイマーに見えてしまうのだった。
――――――――――
その後……
クローディアさんが間を取り持ってくれたおかげで、僕達は変な誤解を受けることもなく、獣人の里へ入ることができた。
そのまま長老の家に案内された。
長老の家は、他の家の三倍くらい大きい。
しかも吹き抜けになっているから解放感がすごい。
長老となると、これくらいの家を持たないといけないのかな?
なんてことを考えつつ、客間へ。
案内された席に座り、長方形のテーブルを挟んで長老とクローディアさんと向かい合う。
「姫様と神獣様を保護していただき、誠にありがとうございます」
長老とクローディアさんが、揃って頭を下げた。
腰を90度に曲げるほど頭を下げていて……
そこまでされてしまうと、こちらが恐縮してしまう。
「い、いえ。そこまで大したことは……」
「いえ! お三方に保護していただかなかったら、どうなっていたか……聞けば、姫様は奴隷商に捕まっていたとか。本当に、本当に感謝いたします!」
今度はテーブルに頭をつけられてしまった……
「あはは……」
ソフィアは苦笑して、
「ふふーん!」
リコリスはドヤ顔をきめていた。
それぞれ、性格が出るなあ……
「さっそく宴を開きましょう。姫様と神獣様の帰還を盛大に祝わなくては。それと、恩人方に感謝も」
「それはうれしいんですけど……」
クローディアさんは、アイシャとスノウが一緒にいることは問題ないと言っていた。
でも、他の獣人はどうなのか?
長老は素直に許可してくれるのか?
もしかして、揉めることも……
「なに、心配なされるな」
こちらの懸念を察した様子で、長老が朗らかに笑いつつ、言う。
「聞けば、姫様と神獣様は、お三方の家族という。家族を無理矢理引き離すなんていうこと、儂らは決していたしませぬ」
「えっと……そう言ってくれるのはうれしいんですけど、いいんですか?」
「ええ。ただ……クローディアから聞いているかもしれませぬが、浄化と結界の構築に力を貸していただけると……」
「はい。そういう協力は惜しむつもりはありません」
「でしたら、なにも問題はありませんな」
ものすごく話がわかる人だった。
騙されている? と考えなくもないけど……
でも、長老からは悪意を感じない。
クローディアさんも同じ。
たぶん、信じてもいいと思う。
もしかしたら騙されるかもしれないけど……
その時は、アイシャとスノウを守るだけ。
それに、疑うよりは信じる方がいい。
「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ感謝いたします。では、さっそく宴の準備を……」
「長老っ、大変だ!」
バンと扉を吹き飛ばすような勢いで、若い獣人の男性がやってきた。
「どうしたのだ、騒々しい。客人の前だぞ」
「す、すまない長老。でも一大事なんだ!」
若い獣人はとても焦っているみたいだ。
ここまで全力疾走してきたらしく、息が切れている。
「ま、魔物が現れた!」
「なんじゃと!?」
「かなりの数だ! 今、みんなで防いでいるものの避難が間に合っていない!」
「くっ、なんという……」
魔物に襲われたことがないのだろうか?
長老の苦い顔を見る限り、かなりのピンチなのだろう。
だとしたら、僕達のすることは決まっている。
「ソフィア」
「はい」
ソフィアも同じ気持ちだ。
「リコリス、アイシャとスノウをお願い。ここにいてね」
「はーいはい、あたしに任せておいて」
「うん、頼りにしているよ」
「フェイト、行きましょう」
「お二人共、なにを……?」
戸惑う長老に、ボクとソフィアは同時に言う。
「「魔物を倒します!」」
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魔物が現れたという、村の最南端へ向かう。
すると、そこは戦場になっていた。
「怯むなっ、押し返せ!」
「し、しかし、あまりにも数が多く……」
「グルァ!」
「ぎゃあああ!?」
たくさんの獣人が戦い。
たくさんの血が流れて。
そして……彼らに迫る魔物の群れ。
「このっ!!!」
血が沸騰するかのような怒り。
それを魔物にぶつける。
剣を縦に振り下ろして。
それから横に薙いで。
最後に下から上に跳ね上げる。
狼のような魔物を三匹、まとめて退けることに成功した。
牽制のために刃を魔物に向けつつ、怪我をしている獣人を背中にかばう。
「大丈夫ですか?」
「あんたは……」
「援軍です! 今は後退を」
「わ、わかった、助かる!」
信じてくれるかどうか不安だったけど、助けたからか、なんとか信頼を得られたようだ。
怪我をした獣人は素直に後方へ下がる。
よし。
この間に、どうにかして戦線を押し返して……
「神王竜剣術、仇之太刀……」
ソフィアが前に出る。
「閃っ!!!」
ソフィアが大上段に構えた剣を一気に振り下ろした。
極大の斬撃。
そして、圧倒的な闘気。
それらがまとめて解き放たれて、魔物の群れを百単位でまとめて吹き飛ばす。
魔物は抗う術を持たない。
一瞬でその命を刈り取られ、体を塵と化す。
彼らの運命は、ソフィアがここにやってきた時点で決していた。
「……やっぱり、すごいなあ」
僕の幼馴染は剣聖だ。
剣を極めていて、見ての通り、とんでもない力を持っている。
その隣に並んで、対等になるまで何年かかるだろう?
というか……どれだけの時間をかけたとしても、対等になれるかどうか。
そんな迷い、悩みを抱いてしまう時がある。
でも。
「僕もがんばらないと」
手が届かないと、諦めたくない。
無理だと決めて、足を止めたくない。
やっぱり……
僕は、ソフィアのことが好きだから。
彼女と、ずっとずっと一緒にいたいから。
だから、なにがあろうと。
どんなことがあろうと、がんばり続けるだけ。
「よし!」
というか……
今は僕のことよりも、ここにいる獣人の力にならないと。
改めて気合を入れ直して、僕は魔物の群れに立ち向かう。