じっとしていることはできないと、セイルは偵察に出たらしい。
 ソフィアがフェンリルの対処をするといっても、その間に、他の魔物に襲われる可能性がある。
 その可能性を危惧して、偵察に出たのだけど……

 ……砦から少し離れたところで、もう一匹のフェンリルを見つけたという。
 幸いにも見つかることはなくて、命からがら砦に戻ってきた……というわけだ。

「本当に、もう一匹のフェンリルが? 最初に襲ってきたヤツと間違えている、っていうことはないのかな?」
「いや……あれは、別の個体だ。最初に襲ってきたヤツは雌で、俺が見つけたヤツは雄だった」
「見ただけで区別が?」
「雄は雌よりも大きいからな。十五メートルほどはあったから、間違えようがない」
「その雄のフェンリルは、今どこに?」
「……ゆっくりとだけど、この砦に向かっている」

 ソフィアがいない時に、こんなことになるなんて。

「どうしたんだ?」
「なにを慌てているの?」

 セイルの様子が気になったらしく、ゲイルとラクシャが姿を見せた。
 そんな二人に事情を説明する。

「マジかよ……フェンリルがもう一匹、いるなんて……」
「フェンリルは賢いって聞くし、苦しまないように殺してくれって頼んだら、聞いてくれるかしら……?」

 ゲイルとラクシャは絶望に表情を歪めた。
 セイルも似たような顔だ。

 その気持ちは、わからないでもない。
 Sランクの魔物から逃げ切ることは難しいだろうし、かといって、砦も限界だ。
 次の襲撃に耐えることはできず、陥落して、そのままフェンリルの餌となるだろう。

 待ち受けているのは絶望の未来。

 でも……
 それが確定したというわけじゃない。
 死ぬと決まったわけじゃない。

「僕が戦うよ」
「なっ……!?」

 僕は剣を握る。
 その手は……正直に言うと、震えていた。

 相手はSランクの魔物だ。
 ソフィアは、僕がすでにSランク並と言ってくれているのだけど……
 でも、まだまだ色々と足りていないと思う。
 フェンリルなんかに立ち向かえば、どうなることか。

 でも、逃げることはできない。
 無様に死ぬつもりもない。

 可能性が低いとしても、戦って戦って戦って……
 最後まで抗い抜いてみせる。

 自慢じゃないけど、僕は、今までに一度も諦めたことがない。
 奴隷にされていた時、何度も何度も絶望したけれど……
 でも、いつかソフィアと再会できると信じて、諦めて全てを投げ出すようなことはしていない。

 生きている限り、道はある。

 そう信じて、前に進み続けてきた。
 だから、今も前に突き進むだけだ。

「お前、なにをバカなことを言っているんだ!? 相手は、フェンリル。敵うわけがないだろう!?」
「そうよ! 私達は剣聖じゃないのだから、戦ったとしても、一分保つかどうか……犬死よ!」
「でも、一分は保つかもしれない」
「「……」」
「僕がなんとかしてみせるから、その間に、ソフィアを呼んできてくれないかな? たぶん、ソフィアを連れてくることが、一番の解決方法だと思うから」
「でも、あんたは……」
「大丈夫」

 力強く言う。
 不安なんて表に出さないで、秘策があるという感じで、自信たっぷりな顔をする。

「僕を信じて」
「……わかった。俺、すぐにアスカルトさんを呼んでくるから!」
「俺はトラップを設置することにしよう」
「わ、私も……! どうにかして砦の守りを固めてみる。一分一秒でも長く持ちこたえてみせる。だから……
「「「絶対に死ぬな!!」」」
「了解」

 三人の大きな声援を受けて、僕は砦の外に出た。

 歩いて十分ほど。
 今のところ、それらしい気配はない。
 Sランクの魔物だから、離れていても悪寒とか肌を刺すような気配がするものかと思っていたけど、そうでもないみたいだ。

 いや。

 そもそも、Sランクの魔物ならば、意味もなく殺気をばらまいたりしないか。
 獲物に不必要な警戒を与えないために、普段はおとなしくしているに違いない。
 そして、狩りの時に最大限の力を発揮するのだろう。

「うん、そうに違いない」

 一人納得したところで、僕はさらに森の奥に進む。
 剣をいつでも抜けるように柄に手を伸ばしつつ、ゆっくりと前進。

「うーん……おかしいな? それらしい気配がまったくしないし、姿を見せることもないし。もしかして、別のところに?」

 そんな楽観的な考えを抱いた時、

「グルァアアアアアッ!!!」

 天まで響くような、凶悪な咆哮が響き渡る。
 大地を鳴らし、木々をなぎ倒し。
 その体を見せつけるかのようにしつつ、巨体が目の前に跳んできた。

「コイツがフェンリル……なのかな?」
「グルァッ!!!」

 巨大な獣が咆哮を響かせる。
 ビリビリと空気が震えた。

 視界の端で、動物や他の魔物が一斉に逃げていくのが見えた。
 小さな家以上に大きな魔物が現れたのだから、当然の反応だろう。

 ただ……

「うーん……なんか、フェンリルじゃないような?」

 体はでかい。
 十五メートル以上はあると思う。
 牙も鋭いし、爪も槍のようだ。
 その特徴は聞いていた特徴と一致するし、僕の中の知識とも一致する。

 ただ……威圧感というものが皆無だ。

 コイツは怖くない。
 僕ならなんとかできる。

 そういう感覚が湧いてきて、恐怖というものをまるで感じないのだ。
 そんな存在が、本当にフェンリルなのか? 本当にSランクなのか?
 かなり疑わしい。

「似た個体なのかな?」
「ぐ、グル……?」

 一切、僕が恐怖していないことを怪訝に思ったのだろう。
 大きな魔物は不思議そうに鳴く。

 ああ、なるほど。
 理解したぞ。

 コイツは、はったりをかますのが得意な魔物なんだ。
 大きい体で相手を威圧して、恐怖などで動けなくする。
 そうして、相手を食らってしまう。

 あるいは、擬態が得意としているのか……
 とにかくも、そのようなタイプの魔物なのだろう。

 でも残念。
 僕は、ソフィアという本物の強者を知っている。
 故に、ただ体がでかいだけの魔物に惑わされることはない。
 必要以上の恐怖を覚えることはない。

 ただ……

 ここでコイツを放置してたら、面倒なことになるかもしれない。
 砦はボロボロで、コイツを相手にしても陥落してしまうかもしれない。
 それに、ソフィアがフェンリルと戦う間に、コイツが現れたら面倒だろう。

「悪いけど、ここで倒させてもらうよ」

 僕は剣を抜いて、正眼に構えた。