フェンリルを討伐するため、ソフィアはすぐに砦を出発した。

 残った僕は、医務室へ。
 なにかできることはないかと思い、怪我人の手当を手伝うことにしたのだ。

「うぅ……いてぇ、いてぇよぉ……」
「もうダメだ、俺はもうここで……ちくしょう、ちくしょう、こんなところで……」
「誰か助けてくれ……イヤだ、まだ死にたくない、助けてくれ……」

 医務室は戦場だった。
 三十あるベッドは全て埋まり……
 それでも足りず、床の上に寝かされている負傷者もいる。
 まるで戦場だ。

 奥にゲイルとラクシャが見えた。
 ゆっくり休んでいるらしい。

 彼のような軽傷者もいるが、それは少数。
 大半が重傷者だ。

「あっ、あああぁ!?」

 突然、ベッドに寝る負傷者が大きな声をあげた。
 ビクビクと痙攣を繰り返す。

「な、なんだ!? おい、どうしたっ、大丈夫か!?」
「あああっ、あああああ!!!」

 負傷者達の様子を見ていた男が慌てて声をかける。
 しかし、痙攣を繰り返すだけでまともな返事が返ってくることはない。

 たぶん、怪我で体力や神経が削られて、ショック状態に陥っているのだろう。
 このまま放っておいたら、まずいことになるかもしれない。

「くそっ、いったいなにが……ど、どうすれば……」

 この人、医者じゃないのか?
 もしかして、ただの素人で、ここに医者はいない……?

 どちらにしろ、放っておくことはできない。

「どいてください!」
「な、なんだ、あんたは……」
「ここに置いてある薬は!?」
「そんことを聞いてどうするつもりだ? 大体、あんたは医者なのか? 冒険者のように見えるが、勝手に薬を使うなんて……」
「いいから答えて! この人を助けたくないんですか!?」
「っ!? え、えっと……こ、これが全部だ。しかし、これじゃあどうすることも……」

 大きく怒鳴りつけると、その迫力に負けた様子で、男は薬の入った箱を差し出してきた。

「えっと……うん、これなら大丈夫です」

 薬箱を確認して、大丈夫だろう、と希望を抱いた。
 二つの瓶を取り、別の小瓶を使い合成。
 それをガーゼに染み込ませて、痙攣を繰り返す人の鼻に当てる。

 最初の十秒はさらに激しく暴れるものの……
 一分が経つ頃には落ち着いて、穏やかな呼吸を取り戻す。

「ふぅ……うまくいってよかった」
「あ、あんた、なにをしたんだ……?」
「この人、怪我のせいでショック症状を起こしていたんですよ。だから、それを鎮めるための薬を作ったんですよ」
「ショック症状だったのか……しかし、ショック症状を抑える薬なんてなかったはずだが」
「合成して、即興で作りました。これとこの薬を調合することで、代替品になるんですよ」
「そんなことが……なるほど、深い知識を持っているんだな」

 勉強になる、というような顔をしていた。

「これくらいは、当たり前の知識だと思うのだけど……もしかして、違う?」
「いやいやいや、当たり前なんてこと、あるわけがないだろう!? 薬の知識なんて、普通の人は知らない。冒険者でも知らない。キミは何者なんだ?」
「何者、と言われても……普通の冒険者だけど?」
「普通の定義がおかしいからな、絶対に!」

 そんな風に、ツッコミを入れられつつも……
 僕は、他の人の治療を行う。

 なぜそんな知識があるのかというと、これもまた、奴隷時代に得た知識だ。
 毎日、怪我が絶えないため、治療方法を自力で学び、習得したのだ。
 薬の知識も、その時に得たもの。

 奴隷の僕が身につけられるものだから、大したことはないと思っていたのだけど……
 そうか、割と普通じゃないことなのか。

 うん。
 また一つ、賢くなった。

「ところで、あんたは?」
「あ、すみません。名乗り遅れました。僕は、フェイト・スティアート。援軍に来た一人です」
「援軍が来たのか!?」
「はい。もう一人は、ソフィア・アスカルトといって……」
「もしかして、あの剣聖!?」

 有名だなあ」

「はい、その剣聖です。今は、彼女がフェンリルの討伐に向かいました」
「よ、よかった……絶望しかないと思っていたが、まだ、なんとかなるかもしれないんだな」
「僕は砦に残ることになったので、怪我人の手当を手伝おうと思って」
「そうか、助かるよ。あんたは、俺よりも知識が深いようだ。他の怪我人も診てくれないか?」
「わかりました」

 拒む理由なんてないので、快諾した。
 薬箱を手に、怪我人を診て回る。
 重傷者が多く、手持ちのキットだけではかなり難しいところもあったのだけど……

「よし、これで、なんとか大丈夫」

 二時間ほどかけて、なんとか全員の治療を終えた。
 完治というわけにはいかないけど、死の危険は、全員脱したと思う。

「ありがとう、あんたはみんなの命の恩人だ!」
「いえ、僕にできることをしただけなので」
「こんなこと、なかなかできることじゃないさ。あんたがいなかったら、俺の仲間は全員、死んでいたかもしれない。剣聖だけが来ていたら意味はなかった。十分に誇っていいことさ」
「そう……なのかな?」

 元奴隷の僕が……
 なんの価値もないと思っていた僕だけど……
 誰かの役に立つことができた?
 命を救うことができた?

 それは、とてもうれしいことだった。

「ありがとうございます」
「ははっ、なんであんたが礼を言うんだよ。こっちが言わないといけないのに」
「えっと……なんとなく?」
「それと、もっと気楽な口調にしてくれないか? 恩人にそんな口調でいられたら、落ち着かない」
「それじゃあ……うん、そうさせてもらおうかな」

 彼は笑顔で手を差し出してきた。
 僕も笑顔で握手に応じる。

 温かい手の温もり。
 ソフィアだけじゃなくて……
 人って、温かいんだな。

 長い奴隷生活で、僕は、そんなことも忘れていたみたいだ。

「た、大変だ!」

 青い顔をしてセイルが駆け込んできた。

 男は思わずという様子で顔をしかめる。

「おい、ここは負傷者がたくさんいるんだ。ようやく寝た人もいるんだから、もう少し声を……」
「それどころじゃないっ、やばいやばいやばい、もう終わりだ!」
「ゲイルの言う通りよ、もうダメ。今度こそおしまいよ……

 二人は尋常ではないほど慌てていた。
 まるで、この世の終わりを告げられたかのようだ。

「……ひとまず外へ」

 どのような内容であれ、ここでする話ではないと判断して、セイルを外に連れ出した。
 それから、会議室へ移動する。

「相当に慌てているみたいだけど、いったい、なにが?」
「やばいんだよ! 今すぐにここから逃げないと!」
「無茶を言わないで。動けない人がたくさんいるんだ。そんなことをしたら、半分くらいの負傷者は、せっかく閉じた傷が開いて、出血で死んでしまう」
「それでも全滅するよりマシだ! 一途の希望に賭けた方がいい!」
「そうよ、今すぐにここを離れないと!」

 全滅するよりもマシ?
 気になる台詞に、僕は眉をひそめた。

 ここにいると全滅してしまう。
 その可能性は……フェンリルだろうか?

 ヤツの襲来が?
 でも、フェンリルの対処はソフィアがあたっている。
 砦への襲撃を許すわけがないし、逃がすことも絶対にないはずだ。

「詳しく聞かせて。いったい、なにが起きているの?」
「フェンリルが……フェンリルが……」

 が絶望に満ちた声で言う。

「もう一匹現れたんだよ!!!」