「こんにちは」
「こん……にちは」
「おー、いらっしゃい、お二人さん」

 ライラの家を訪ねると、笑顔で迎えられた。
 ただ、アイシャは若干人見知りが発動しているらしく、ちょっと挨拶がぎこちない。

 母としては、もっと明るく元気に育ってほしいと思うが……
 アイシャの過去を考えると、無理はさせられない。
 強引なことはしないで、しっかりとサポートをすればいい。

「んー、人見知りするアイシャちゃんもかわいいわね。どう? ちょっと採血を……いえウソですごめんなさい」

 途中でソフィアに睨まれて、ライラは慌てて頭を下げた。

「もう、ちょっとした冗談なのに、そこまで反応しなくてもいいじゃないのさ」
「冗談だったのですか? 本当に?」
「……半分くらいは本気だったかも」
「まったく……」

 やれやれと、ソフィアはため息をこぼした。

 ライラはとても困った人ではあるが……
 でも、嫌いではない。
 知識欲が暴走することはあるものの、それ以外は優しく、誠実な人なのだ。

 ソフィアはそのことを知っているため、注意程度で済ませる。
 彼女が本気でアイシャの血を狙っていたとしたら、容赦なく殴り飛ばしていただろう。

「今、お茶を淹れるねー」
「ありがとうございます」
「ありがと」
「ふふ、アイシャちゃんはかわいいねー。よし、クッキーもおまけしよう!」
「わぁ」

 クッキーと聞いて、アイシャが笑顔に。
 うれしそうに尻尾がぶんぶんと横に揺れる。

 それを見て、ソフィアは思う。

 出会った頃に比べると、アイシャはだいぶ感情が豊かになってきた。
 子供らしく笑い、子供らしく泣く。

 それはとても喜ばしいことなのだけど……
 お菓子一つでここまで喜ぶなんて、ちょっと心配だ。
 悪人に、お菓子で誘われて誘拐されたりしないだろうか?

「あれから、アイシャちゃんについてわかったことはありますか?」
「んー」

 本題に入ると、ライラはなんとも言えない表情に。

 あると言えば、ある。
 ないと言えば、ない。
 そんな感じだ。

「私も、一応学者だからね。根拠のない話はしたくないんだよね」
「この前、していたではありませんか」
「や。あれは、私なりの根拠があったんだよ。証拠はないのだけど、でも、色々な情報をまとめると他の答えはない。だから、確信に近いものはあった」
「なるほど」
「ただ、これからする話は、根拠なんてなにもないんだ。おとぎ話みたいなもの。だから、私としては変な情報を与えない方がいいんじゃないか? って迷うんだよねー」
「それでも、教えてください」

 獣人は強い力を持っている。
 人間を敵視して、姿を消した。

 現状、判明したのはそれくらいだ。
 もっと深い情報を得ないと、アイシャが狙われる理由がわからない。
 そして、その理由を突き止めないと、原因を排除することも難しい。

 なればこそ、不確定なものであれ情報を欲する。

 その真偽はさておき……
 今はどんな話でも拾っておきたい。
 情報の精査は後ですればいい。

「ふう……仕方ないなあ。まあ、アイシャちゃんのおかげで私の研究が進んだところもあるし。話すよ」
「ありがとうございます」
「ただ、根拠がないってことは理解してね? ほんと、おとぎ話みたいな内容だから」

 重ねて、そう前置きをしてライラが話を紡ぐ。

「以前も話したと思うけど、獣人はとても強い力を持っている。そんな獣人の中で、特別な存在がいるらしいんだよね。それが……巫女」
「巫女……?」

 聞いたことのない単語に、ソフィアは小首を傾げた。
 その隣で、アイシャはクッキーを両手で持ち、ぱくぱくと食べている。

「女神さまは知っているよね?」
「この世界を作ったと言われる神さまですよね? で、人間はその女神さまから魔法を盗んだ」
「へえ、よく知っているね。そんな感じで、人間は女神さまから嫌われているんだけど、獣人は好かれているっぽいんだ。強い力を持ちながらも、純粋で愚かな真似はしない。女神さまはそんな獣人を気に入り、己の使徒として迎え入れたとか」
「使徒というのは?」
「まあ、部下みたいなものかな。女神さま専属の騎士みたいなものさ」
「ふむ」
「で……その使徒は強い力をもらい、女神さまのために働いた。なにをしたのか、そこはわからないんだよね。それから役目を終えた使徒は、仲間の元に戻った。使徒は妻を迎えて、子供を作り、家族を手に入れた」
「……もしかして、その子供が巫女なのですか?」
「正解。使徒の血を引いて生まれた子供は、特別な力を持っていたらしい。故に、他の獣人達から巫女と崇められていたとか」

 おしまい、という感じでライラは唇を閉じた。
 以前と同じなら、ここからさらに話が続いて、解説や独自の見解が挟まるのだけど、そんなことはない。

 事前に言っていた通り、この話は根拠が薄いのだろう。
 だから補足することもなく、ここで話が終わる。

「なるほど……大変興味深い話でした」
「私が言うのもなんだけど、信じるのかい? 根拠なんてほとんどない、おとぎ話のようなものだよ? 学会で発表したら、爆笑されるか蹴り出されるか、そんな内容だ」
「そうかもしれませんが、ですが、私はしっくりと来ました」

 アイシャは普通の獣人ではなくて、強い魔力を持っている。

 巫女だから、特別なのでは?
 巫女だから、狙われているのでは?

 そう考えると、色々なことに説明がつく。

 とはいえ、この後のことを考えると、なかなか困りものだ。
 アイシャが巫女と仮定して……
 これから先、どうすればいいか、それがわからない。

 巫女について、ライラはこれ以上の情報を持っていない。
 自分で調べるしかないのだけど、情報源はゼロ。
 振り出しに戻ってしまった。

 一歩進んだものの、一歩下がった。
 そんな感じで、有効な対策を考えることができず、悩みは残ったまま。
 頭が痛い。

「……とはいえ」
「おかーさん?」

 ソフィアは優しい母の顔をして、クッキーを食べている娘を抱きしめた。

 なにがあろうと、守ってみせますからね。
 心の中でそうつぶやいて、ソフィアはアイシャの額にそっとキスをした。