12話 こうなれば直接!
「さて……第一、第二の試験をスティアートは無事に突破した。力も知識も示された。こうなれば、第三の試験は必要ないかもしれないな。ワイバーンを討伐するし、豊富な知識を持っているし、かなり優秀じゃないか」
筆記テストを終えて、ソフィアと合流した後……
アイゼンがそんな話をする。
「それじゃあ、推薦人になってくれるんですか?」
「そうだな、それで……」
「おっと。その話、待ってくれないか?」
突然、第三者の声が割り込んできた。
振り返ると、シグルド、ミラ、レクターの三人の姿が。
ソフィアが殺気を放ち、彼らを睨みつける。
「なにか用ですか? 私達は今、とても大事な話をしているのですが」
「うっ……」
一瞬、怯むシグルドだけど……
「……俺も大事な話があるんだよ。部外者が邪魔するんじゃねえ」
「へぇ……私を部外者と言いますか。その度胸だけは認めてあげてもいいですが、時に、口が災いとなり命を落とすこともあるのですよ?」
ソフィアが剣の柄に手を伸ばす。
だから、沸点が低いよ。
「落ち着いて、ソフィア」
「ですが……」
「とりあえず、シグルド達の話を聞こう。もしかしたら、大事な話かもしれない」
まあ、つまらない内容の可能性が高いと思うけどね。
それでも、無視はできない。
なにか企んでいるのなら、ここで阻止しておきたいと思うし……
つまらない内容だとしても、逃げることはしたくない。
僕は、シグルド達と……
過去に決着をつけないといけないんだ。
「シグルド達か……なんの用だ? まあ、ちょうどいい。彼を無理矢理に奴隷にしていたそうだな? そのことについて、詳しく話が聞きたい」
アイゼンが問いかけると、シグルドはヘラヘラと笑いつつ言う。
「イヤだなあ、無理矢理なんてことはしてないぜ? ソイツは金が原因で奴隷に堕ちて、俺達はそれを買っただけ。なにも問題はないさ」
「その言葉を信じるだけの証拠は?」
「ないな。でも、俺達がコイツを無理矢理に奴隷にした、っていう証拠もないだろ?」
「む……」
「いいのか? 規則を重んじるギルドマスターとあろうものが、証拠もなしに処断するつもりか? それは、ちとまずいんじゃないか?」
「お前……」
証拠がないから、シグルドはとことん強気だ。
アイゼンは怒りを覚えた様子ではあるが、それ以上はなにもできないらしく、悔しそうにしていた。
「いいですよ、僕のことなら気にしないでください」
「しかしだな……」
「今は解放されているし、強くは気にしません。ソフィアと再会できたから、それでよしとします」
「……わかった、お前がそう言うのなら」
話がまとまった……と思ったけど、それは勘違い。
シグルド達の本題は、これかららしい。
「ところで、ギルマスはソイツの力を確認したって言うが、それは本当かい?」
「ああ、間違いない。スティア―トは課題をこなすだけではなくて、ワイバーンも討伐してみせた」
「それは、俺も小耳に挟んだけどな。でも、普通に考えてありえないだろ。無能の中の無能がワイバーンを討伐するなんて、天地がひっくり返ってもありえねえ。大方、どこかで牙と爪を買って、自分で倒したように見せたんだろうさ」
「そんなことは……」
「ないって断言できるのか? 証拠は」
「む」
痛いところをつかれたという感じで、アイゼンが苦い顔に。
日頃、規則を重んじている様子なので……
こういうところをつかれると反論できないのだろう。
いいようにしてやられているというイメージもあるが……
ただ、アイゼンの知識以上に、シグルド達がとても狡猾なのだろう。
「ギルドマスター、フェイトは不正なんてしていません。私は、こっそりと後をつけていました。彼がワイバーンを倒すところを、この目で見ました」
「いや、しかし……シグルド達の言い分を無視するわけにはいかん」
「そんな!?」
「アスカルトの証言だけでは、少し弱い。幼馴染だから、ウソの証言をしているのでは? と勘ぐる者も出てくるだろう。それを抑え込むだけの、確かな証拠が欲しい」
「……石頭ですね」
「それが、ギルドマスターというものだ。悪いな」
アイゼンがシグルド達に視線をやる。
「とはいえ、スティアートが不正をしたという証拠もない。なので、試験は合格ということで話を進めようと思うが……お前達は、俺の決定に異を唱えるつもりなのか?」
「んなつもりはねえさ。ただ、判断が早いんじゃないか、っていう話だ」
「ほう」
「力があるかどうか。そこを、もう一回、しっかりと確認した方がいいんじゃねえか?」
「そーそー、シグルドの言う通りだって。冒険者は、力がないとやってけないからね」
「彼は、力があるかどうか怪しい部分がある。ならば、皆の前で誰かと模擬戦をして、それで判断をするのがいいと思いますが、いかがでしょう?」
「ふむ……」
レクターの提案に、アイゼンは考えるように顎髭を指先で撫でた。
ややあって、コクリと頷く。
「いいだろう。最後の試験を模擬戦とすることで、フェイト・スティアートを冒険者登録するか否か、決めようではないか」
「俺達の意見を聞いてくれて、感謝するぜ、ギルマス」
「ただ、後で色々と話は聞かせてもらうぞ」
「ああ、いいぜ。で……ものはついでなんだが、もう一つ、提案がある」
「聞こう」
「俺が模擬戦の相手になるぜ、どうだ?」
シグルドはそう言うと、こちらを見てニヤリと笑う。
その顔は、叩きのめしてやる、と言っているかのように歪んでいた。
なるほど……最初から、これが目的だったわけか。
たぶん、昨日、誘いを断ったことに腹を立てて……
正式に僕を叩きのめすために、模擬戦を提案して、その相手に立候補したのだろう。
なんていうか……
「あなた達、本当に、心と魂がねじ曲がっているのですね」
「なんだと!?」
ソフィアがため息をこぼすと、シグルドは声を強くした。
しかし、彼女にとって、それは子犬の遠吠えと変わらない。
まったく怯えることなく、逆に冷たい視線を送り返す。
「くだらないことを考えるのですね」
「さてな、なんのことか。俺はただ、その無能が厳しい現実に押しつぶされるよりも前に、冒険者ってものを教えてやろうとしてるだけだぜ?」
「ものは言いようですね。あなたは、ただ憂さ晴らしがしたいだけでしょう? そのようなことに、私のフェイトを何度も何度も傷つけてきて……やはり、切り刻んておくべきでしょうか? ふふっ」
「ひぃっ」
シグルドが一歩、後退する。
「ソフィア、冗談はそこまでにして」
「あら、私は本気なのですが?」
ソフィアって、怒らせると怖いんだよね。
「そりゃまあ、僕も色々と思うところはあるけど……でも、前も言ったと思うけど、シグルドは今はなにもしていないから。僕の件についても、証拠はないし……ここでなにかしたら、ソフィアが罪に問われるよ」
「そ、そうだ! それに、俺になにかあれば、コイツは永遠に冒険者になれねえぞ!」
「えっと……もしもなにかあった場合は、他の冒険者の方が模擬戦の相手になると思うのですが」
少し離れたところで話を聞いていた受付嬢が、そんなことを言う。
この世の終わりかと思うくらいに、シグルドが青くなる。
ソフィアが剣聖ということは知っているらしく、ミラとレクターも青くなる。
「えっと……とりあえず、僕にがんばらせてくれないかな? 一応、僕も男だから。ソフィアの前では、がんばりたいんだ」
「もう、フェイトは優しいですね。でも、わかりました。そういうことなら、今は、私は手を出しません」
そんなわけで、僕一人で試験を行うことになった。
よかった。
ソフィアが関わると、本気でシグルド達を斬りかねない。
彼らがどうなろうと、僕は気にしないのだけど……
それでも、決着をつけるのなら、それは僕がするべきだ。
「それで……僕はシグルドと戦って、勝てばいいんだね?」
「あぁ? 誰が呼び捨てにしていいって言った、奴隷風情が。シグルドさま、だろうが!」
シグルドの怒声に体が震えてしまいそうになる。
落ち着け、僕。
僕はもう自由だ。
彼らの道具じゃなくて、ソフィアのパーティーメンバーだ。
剣聖の彼女にふさわしい男にならないと。
「僕はもう、あなた達の奴隷じゃない。そんな言葉を使う必要性はないよ」
「なんだと!?」
シグルドが睨みつけてくるが、僕も睨み返した。
体に染み付いた痛みと恐怖のせいで、目を逸らしたくなってしまう。
でも、ソフィアが見ている。
必死に我慢をして、耐えた。
「……ちっ」
ややあって、シグルドが舌打ちして、目を逸らす。
ふう……なんとかなった、かな?
「まあいい……色々と気に食わないが、ただ、俺らはプロだ。やるべきことは、きっちりとやる。おい、準備をしてくれ」
「はいはーい」
「任せてください」
いつの間にか、シグルド達が場を仕切っていた。
「大丈夫か?」
アイゼンに声をかけられる。
僕のことを心配してくれているらしく、申しわけなさそうな顔をしていた。
「本来なら俺が相手をしてもいいんだが、歳のせいか、体が鈍くてな。シグルドは問題児ではあるが、実力は確かだ。そんな彼に勝つことができたのなら、お前に文句をつけることは二度とできないだろうし、似たような連中が出てくることもない」
なるほど。
アイゼンなりに、色々と考えてくれていたみたいだ。
「ただ、相手はAランクパーティーのリーダー。無事に勝てるかどうか……」
「勝ちますよ」
強い決意を胸に、僕は剣の柄をしっかりと握りしめた。
13話 第三の試験・シグルド視点
模擬戦の準備という名目で、シグルド達は客間で打ち合わせをしていた。
そこで、ミラとレクターから、二人がした嫌がらせの内容を聞く。
そして、呆れる。
「おいおい、お前ら、情けねえな。あんなクソガキにいいようにしてやられてるんじゃねえよ」
「あたしは悪くないし……」
「申しわけありません……」
二人はひたすらに気まずそうにしている。
フェイトを落第させて涙目にしてやろうと楽しそうにしていたのだけど、見事に失敗してしまった。
シグルドに合わせる顔がない。
「だってだって、仕方ないじゃん。ワイバーンを倒すとか、ありえないっしょ」
「ばーか。あの無能がワイバーンを倒せるわけないだろ? たぶん、あの剣聖がこっそりと力を貸したんだよ。俺が言ってたことは、ほぼほぼ正解なんだよ」
「あ、そっか」
「くそっ、汚え無能だぜ。てめえに能力がないからって、他人の力を借りるとはな」
雑用全てをフェイトに任せていた者が、どんな顔をしてそんなことを言えるのか?
本人がここにいれば、そんなことを思っていただろう。
「すみません……まさか、参考書の内容を全て知っているとは思わず」
「それも、剣聖が手助けしたんだろうな。事前に内容を教えていたとか、念話が使える魔道具で答えを教えていたとかな」
「なるほど……くっ、私としたことが、そのような手を見逃してしまうなんて。くっ、なんて汚いヤツなのだ」
そもそも、自分が汚い手段に出たことも忘れ、レクターは悔しそうに言う。
「まあ、安心していいぜ。模擬戦の相手は、この俺だ。あんな無能、絶対に合格させねえからな」
「でもさー、合否の条件はどうするの?」
「剣聖が手助けをするとなると、どんな内容にしても難しいかもしれませんね……」
「大丈夫だ。ルールは、シンプルにすればいいのさ」
「と、言うと?」
「模擬戦の合格条件は、ただ一つ。俺に勝つこと。それ以外は一切認めない。シンプルであるが故に、不正がしづらくなるはずだ。お前らは、剣聖がイカサマしないように見張っててくれ」
「へー、なるほど」
「それならば……」
「問題ないだろ?」
シグルドはニヤリと笑う。
それにつられるように、ミラとレクターも意地の悪い笑みを浮かべた。
「剣聖のことは任せたぜ? だから、無能のことは俺に任せろ。あと一歩で冒険者になれるかもしれない、っていう希望をグチャグチャに叩き潰して、ついでに身の程ってもんを体に教え込んで、二度と舐めた口がきけないように俺が調教してやるよ」
「きゃー、さすがシグルド! かっこいい」
「ええ、期待していますよ。シグルドならば、万が一でも、無能に負けるなんてことはありえませんからね」
「ははっ、当たり前だろ? 俺を誰だと思っている。Aランクパーティー『フレアバード』のリーダー、シグルドさまだ! あんな無能、一撃でのしてやるよ!!!」
――――――――――
「ぐぎゃっ!!!?」
一撃で吹き飛ばされたシグルドは、地面を何度も何度も転がる。
訓練場の壁に激突して、ようやく止まり、カエルが潰れたような体勢に。
いったいなにが起きた?
なぜ、俺は倒れている?
シグルドは混乱する頭で、直前の行動を思い返す。
冒険者のために用意された訓練場に移動した後、模擬戦を行うことになった。
一対一の勝負。
合格条件は、シグルドに勝利すること。
絶対に不可能な条件にも関わらず、フェイトはそれを了承した。
努力すれば乗り越えられない壁はないというかのように、気合にあふれていた。
シグルドは内心で笑い、試合に挑んだ。
まずは、一撃を側頭部に叩き込む。
うまくいけば、その一撃で終わりだ。
ただ、そこで終わりにするつもりはない。
まだ戦えるだろうと促すなどして、戦闘は続行。
時間いっぱい、おもいきりいたぶろう。
そう決めていたはずなのに……
「くそがぁあああああ!!! なんで、どうして、俺が吹き飛ばされているんだよ!?」
痛みに耐えて、怒りに吠えて、シグルドが立ち上がる。
それを見て、フェイトが警戒の表情に。
「む、さすがに固いね。今の一撃、いいところに入ったと思ったんだけど」
「まぐれ当たりで調子に乗るなこの無能がぁあああああ!!!」
シグルドは獣のように吠えつつ、駆けた。
ゴォッ! と風を斬りつつ、木剣をフェイトに叩きつける。
手加減なしの全力の一撃だ。
元奴隷で、まともに戦ったことのないフェイトに防ぐ術はない。
ないはずなのに……
ギィンッ!
フェイトは余裕の動きで、木剣を盾のようにしてシグルドの攻撃を防いでみせた。
本来なら、剣速についていけず、対処することはできないはずなのに。
例え見えていたとしても、豪腕で振り下ろされた攻撃を受け止めることはできないはずなのに。
なぜ?
なぜ?
なぜ?
シグルドは混乱してしまい……
その隙をフェイトは見逃すことなく、木剣で巨体の脇腹を叩く。
「ひぐぅ!?」
情けない悲鳴をあげて、シグルドは床に膝をついてしまう。
「な、なんだよ、今の攻撃……Aランクの俺が、まるで見えなかったぞ……!?」
痛みよりも驚愕の方が勝る。
シグルドの頭の中は、なぜ? の二文字で占められていた。
フェイトは元奴隷で……
自分達より遥かに格下の存在で……
いいように使われるだけでそれ以外にありえないはずなのに……
それなのにどうして、今、自分は膝をついている?
フェイトを一方的に叩きのめすはずが、一方的に叩きのめされなければならない?
「なんという……これほどとはな」
「ふふっ、フェイトの実力を知りましたか?」
「ああ、すさまじいな、これは。それなりにやるだろうと思っていたが、まさか、これほどとは。俺の予想以上だ。シグルドを子供扱いするとは」
ソフィアとアイゼンの会話が聞こえてきて、シグルドは、頭の血管が一本か二本、切れたかのように怒る。
「くそっ、がぁあああああ!!!」
痛みは気合で乗り越えた。
動揺は無理矢理に抑え込んだ。
そんなことができるあたり、さすがAランク冒険者というべきだろう。
しかし、悲しいかな。
今、対峙しているフェイトは、SSSランク並の身体能力を持つ。
剣聖であるソフィアが、なにもしなくてもSランク並と認めている。
シグルドが勝利できる可能性は……ゼロだ。
「おおおおおぉっ、このクソ野郎が!!! てめえのような無能の奴隷が、俺に逆らうんじゃねえ!」
「僕は、もうあんたの奴隷なんかじゃない!」
フェイトは過去の因縁を断ち切るように力強く言い、木剣を薙いだ。
剣筋はデタラメではあるものの、高い身体能力によって繰り出された一撃は、抜群の威力だ。
瞬間移動したかのように、木剣がシグルドの目の前に現れて、
「がぁ!?」
再び、シグルドの巨体が吹き飛ぶのだった。
14話 第三のテスト・フェイト視点
「はぁ……はぁ……はぁ……」
軽く息が乱れてきた。
因縁の相手と戦うということで、緊張しているのかもしれない。
少しずつ体が重くなっていくのを感じる。
「すぅ……」
このままじゃダメだ。
僕は深呼吸をして、心を落ち着けた。
うん、まだまだやれる。
疲労はすぅっと引いていき、心も晴れやかに。
視界がクリアーになり、五感も冴え渡る。
「この俺が……こんな、無能なんか……にっ……くそ、くそがっ!!!」
ボロボロになったシグルドが、悪霊のような顔をしてうめいていた。
僕と戦い、こんな結果になるなんて、想像もしていなかったのだろう。
まあ、それは僕も同じではあるのだけど。
第三のテストはシグルドと戦い、勝利を収めること。
そんなことは難しいと緊張していたのだけど……
ソフィアは、僕なら簡単にできる、もっと自分を信じてください、と言った。
色々なことがあったのだけど、でも、僕はつい先日まで奴隷で、役に立たない存在で……
そんな自分を、いきなり信じるなんていうことは難しい。
でも、ソフィアの言葉を信じることはできる。
彼女が信じてくれる僕を信じる。
そして、全力で挑み……
このような結果になっている、というわけだ。
僕がここまでできるなんて、信じられない。
このままなら、問題なく冒険者になることが……
って、ダメだダメ。
油断は禁物。
シグルドは奥の手を隠しているかもしれないし、ひょっとしたら、こちらを油断させるためにわざと攻撃を食らっているのかもしれない。
最後まで慎重に、確実に勝利を取りに行かないと。
「このガキぃいいいいいっ!!!」
「ふっ!」
シグルドの攻撃はとても単調で、とても遅い。
こんなものなのだろうか? と拍子抜けしてしまう。
簡単に剣筋を読むことができて、動きもとても遅いものだから、避けることは楽勝だ。
うーん、これがAランクの実力?
実はCランクと言われても、納得してしまいそうなのだけど。
「誰がCランクだてめぇえええええっ!!!」
「あっ、僕、口に出していた!?」
「ふざけるなっ、ちくしょうちくしょう! ブチ殺してやる!!!」
泡を吹くような勢いで怒りながら、シグルドが木剣をブンブンと振り回す。
でも、やっぱりその攻撃は遅い。
なんで、僕程度が見切ることができるのだろう?
ああ、そうか。
彼は今、怒りに飲み込まれている。
だから攻撃が単調になり、僕でも、攻撃を見切ることができているのだろう。
そうに違いない。
よし、勝機は今だ。
「はぁっ!」
「ぐあ!?」
シグルドの攻撃は、かすることすらない。
逆に、僕はカウンターを叩き込む。
「こんな、ことで……俺が、無能なんか、にぃ……!!!」
「その無能に負けるんだよ、あなたは」
「くそ、がっ……」
体力と精神が限界に達したらしく、シグルドは悪態を吐いて、倒れた。
完全に気絶しているらしく、立ち上がる気配はない。
「そ、そんな……シグルドがやられるなんて、ありえないし! ちょっと、起きてよ、シグルド! そんな無能なんかにやられないでよっ」
「くっ、このようなことが起きるなんて……! これは、そう、イカサマです! イカサマに違いありません、あの無能は、なにか仕組んでいたに違いありません!!!」
ミラとレクターが騒ぐものの、そんな二人をソフィアが睨みつけて黙らせる。
「フェイトがイカサマをしていないことは、剣聖である私、ソフィア・アスカルトが保証します。彼が倒されたのは、単に弱いだけなのでは? ふふっ」
「ぐっ……」
「そ、それは……」
ソフィアの強烈な口撃に、ミラとレクターはものすごく苦い顔をした。
その様子を見た僕は苦笑をして……次いで、勝ったよ、とソフィアに笑みを向けるのだった。
15話 1+1は所詮2
「ギルドマスター、このような結果はありえません!」
ソフィアが相手では分が悪いと思ったらしく、レクターはアイゼンに訴える。
「Aランクのシグルドが、奴隷の無能に負けるわけがありません! イカサマをしていたに違いありません!」
「そうよ、そうに決まっているわ! なんて卑怯なのかしら! 信じられないんですけど」
二人は揃って僕のイカサマだと主張する。
それに対して、ギルドマスターの反応は……
「なら、お前達が戦うといい」
「ちょ!?」
とんでもないことを言い出した!?
「ほう……それは、模擬戦をもう一度やる、ということでよろしいのですか?」
「ああ、そういうことになるな。なんなら、二人でスティアートを相手にしてもいいぞ」
「いやいやいや!」
アイゼンは、なにを勝手に決めているの?
僕の問題なのだから、僕抜きで話を進めないでほしい。
「ギルドマスター……なにを勝手なことを言っているのでしょうか?」
ソフィアが怖い笑顔で問いかけた。
その手は、半分くらい剣の柄に伸びている。
それを見たアイゼンは慌てつつ、言い訳のような感じで言う。
「ま、まてまて。俺なりの考えがあってのことだ」
「考えですか?」
「二人共、聞いてくれ」
アイゼンは、レクターとミラに聞こえないように、小さな声で言う。
「……連中は、諦めが悪いからな。ここで放置したら、色々と面倒なことになりそうだ」
「……具体的には?」
「……スティアートがイカサマしたとか、俺がえこひいきをしたとか、そういうことを周囲に話すだろうな。スティアートは、冒険者の知り合いはいないだろう? 知らないヤツの悪い噂をそのまま信じてしまうヤツもいるかもしれない。そうなると」
「……確かに面倒ですね」
「……だから、ここで、たくさんの冒険者を集めて、公開模擬試験、という形にする。たくさんの目撃者がいれば、連中の言い分を信じるヤツなんていなくなるさ。あと、面子もまる潰れで、下手なことも言えないだろうな」
「……最初から、そうすればよかったのではないのですか?」
「……模擬戦が突発的に決まったことだからな。本当は、今、裏で密かに手配をして、証人となる冒険者を集めているところだ。そいつらを途中で観戦させようとしたが……思っていた以上に、早く模擬戦が終わってしまったからな。今度は、最初から観戦させるさ」
「……理由はわかったけど、僕が二人を同時に相手をする理由は?」
「……完膚なきまでに叩き潰すといい。その方が、色々とわかりやすいからな。あと、他の冒険者連中も、スティアートの力をハッキリと認めるだろう」
「……でも、二人を相手にするなんて」
「……大丈夫です。フェイトなら、なにも問題はないかと。あの二人は、そこそこ優秀みたいですが、シグルドよりは格下な様子。シグルドを圧倒したフェイトなら、二人であろうと敵ではありません」
「……うん、了解。ソフィアがそこまで言ってくれているのなら、男して、がんばらないわけにはいかないよね。やってみせるよ」
「……はい、応援していますね」
「……こんな時までイチャつくな」
アイゼンは、どこか呆れた様子で言うのだった。
――――――――――
一時間後。
訓練場に、三十名くらいの冒険者が集まり、準備が整う。
観客がいることに、レクターやミラがごねるのではないかという懸念もあったのだけど……
「ふふっ、これだけの観客がいるのなら、イカサマはできないでしょう。小細工をしてシグルドの名誉を傷つけたこと、後悔させてあげますよ」
「簡単には終わらせてあげないし。いたぶっていたぶっていたぶって、泣いてごめんなさいって土下座しても許してやらないんだから」
むしろ、やる気たっぷりだった。
みんなの前で俺に恥をかかせることができると、そんなことを思っているのだろう。
二対一。
少し不安だけど……
でも、ソフィアのことを信じて、がんばることにしよう。
「三人共、準備はいいか?」
「はい」
「ええ、問題ありません」
「きゃははっ、秒で終わらせてやるわ」
僕は木剣を構えた。
レクターとミラも構える。
「では……始め!」
――――――――――
「ば、バカな……このようなことは、ありえません、ありえないです……これは夢、悪い夢に決まっています」
「うそ、うそうそうそ……あたしが、こんな無能に負けるなんて……マジ、ありえないんですけど……うそだぁ」
レクターとミラが倒れていた。
共に立ち上がれない様子で、苦痛に顔を歪めている。
秒で終わったのは、レクターのミラの方だった。
まず最初に動いたのはレクター。
両手に木の短剣を持ち、片方を投擲。
同時に駆けて、突いてきた。
一本を避けている間に、もう一本で攻撃をするという戦法だ。
でも、それは完全に予測していた。
おまけに、やたら遅い。
攻撃を回避した後、レクターの脇腹に木剣を叩き込む。
苦痛によろめいたところを、もう一撃。
レクターが倒れたところで、すぐに横を駆け抜けて、ミラを狙う。
ミラは広範囲を攻撃する魔法を使ってきた。
それで足を止めた後、強力な大規模魔法でトドメを刺す。
彼女は詠唱速度が速いため、そんな戦法が可能なのだ。
でも、その戦法も完全に読んでいた。
広範囲魔法を使われたものの、威力は大したことないので、足を止めることなくそのまま突撃。
え!? と動揺するミラに木剣を叩き込み、地面に沈めた。
……というのが、主な流れだ。
模擬戦開始から、わずか十秒の出来事だ。
「な、なぜ私達が……」
「まるで、心を読まれてるみたいに……くううう」
読まれているもなにも……
レクターとミラは、今まで、僕の前で、さんざんその戦法を使ってきたじゃないか。
五年も一緒にいたのだから、戦法はほとんど覚えているし、戦い方の癖も把握している。
そのことに気づけなかったことが、二人の敗因だろう。
「おいおい、アイツらの方が秒で終わったぞ。見事なまでのフリだったな」
「アイツら、本当に『フレアバード』か? ここまで体を張るなんて、実は芸人じゃないのか?」
「ははっ、ありえるな。だとしたら、けっこう笑わせてもらったよ。笑いの才能はあるかもしれないな」
「ぐぐぐ……」
周囲で観戦していた冒険者達の声を聞いて、レクターが耳まで真っ赤になった。
「無効です!!!」
突然、叫ぶ。
「この試合は無効です! また、コイツがイカサマをしたに違いありません! でなければ、私達が負けるはずが……そうです、このようなことはありえません!!!」
「……と、レクターは言うが、お前達はどう思う?」
審判を務めるアイゼンが、あえて自分で判決をくださずに、周囲に問いかけた。
くすくすと笑ってた冒険者達は、途端に真面目な顔になる。
「イカサマなんてしていないな。事前にチェックもしたと聞いているし、模擬戦中も、おかしなことはなかった。俺の冒険者人生を賭けてもいいぜ」
「というか、イカサマをする必要はないだろう。そこの彼……えっと、スティアートと言ったか? とんでもない実力じゃないか。剣筋がまったく見えなかった」
「これだけの実力差があるんだ。イカサマをする意味がない。単純に、実力の差だな」
「ば、ばかな……」
レクターが愕然とした様子で、がくりとうなだれた。
しかし、ミラは諦めていない様子で、怒りの炎を瞳に宿す。
「でもでも、こんなことありえないし! あたし達は二人なのに、それなのに負けるなんて……おかしいでしょ!?」
「いいえ、それが真理ですよ」
ソフィアが前に出る。
「フェイトの力は、数値にするなら百。しかし、あなた達は一でしかない。二人集まったとしても、合計は二。フェイトを相手にするには、圧倒的に足りません」
「うっ……そ、それは……」
「く……こんなことに、なるなんて……」
これ以上は反論できない様子で、レクターとミラがうなだれた。
「ギルドマスター、そろそろ判定を」
「そうだな」
アイゼンは僕の手を取り、高く掲げた。
「勝者、フェイト・スティアート!」
16話 冒険者、フェイト誕生
「フェイト・スティアートさん。ギルドマスターとソフィア・アスカルトさんの推薦を集めたため、冒険者登録を受け付けます。おめでとうございます」
「おめでとうございます、フェイト。絶対に合格すると信じていました」
ソフィアが笑顔で祝福してくれる。
受付嬢も一緒に祝福してくれる。
僕の手には、冒険者のライセンスカード。
これで、正式な冒険者になることができた。
魔物を討伐して、素材を採取して、未開の地を探索する……冒険をすることができる。
そう思うと、とてもワクワクした。
奴隷だった頃にはない感情で、体がふわふわして、そのまま飛んでいってしまいそう。
それくらいに、僕の心は喜びと興奮で踊っていた。
ちなみに、アイゼンも祝福してくれたのだけど……
ギルドマスターは忙しいらしく、すぐにどこかへ行ってしまった。
あの後、シグルド達が姿を消したらしく……
彼らを追うことにして、色々と忙しくなったらしい。
推薦人になってくれたお礼を言いたかったのだけど、残念だ。
「すみません。一つ聞きたいのですが、フェイトのランクはFなのですか?」
隣から僕のライセンスカードを見たソフィアが、そんなことを尋ねた。
というか、顔がちょっと近い。
「えっと……はい、そうなりますね」
「Aランクのシグルド達と模擬戦をして、全員に勝ったのに?」
「う……」
「ワイバーンの討伐もしたのに?」
「うぅ……」
受付嬢がものすごく困った顔になる。
「申しわけありません……私としても、スティアートさんは、最低でもCランク以上にするべきだと、ギルドマスタ―に提言したのですが……」
「規則だから、と断られたのですか?」
「はい……」
「まったく、本当に融通の効かないギルドマスターでしたね。フェイトに関することも、なかなか動いてくれませんでしたし……まるで、フェイトが冒険者になると困るみたいではないですか」
「そ、そのようなことは……」
否定してみせるものの、受付嬢は心当たりでもあるのか、最後まで言葉を続けることができない。
本当に、そんなことが?
うーん?
アイゼンは、確かに融通の効かないところはあるものの……
でも、親切だったけどなあ。
悪い人ではないように見えた。
って、シグルド達に騙された僕が言っても説得力はないか。
「ソフィア。ランクのことなら、僕は気にしていないよ」
「気にするべきです! ランクが低いと、ギルドから得られる恩恵は少ないのですよ? Cランク以上になれば、毎月、活動費がもらえるだけではなくて、宿や武具の助成金なども出るのですよ」
「それはおいしい話だけど……でも、僕は一番下のFランクからがんばることにするよ」
「しかし……」
「Cランクなら便利かもしれないけど、でも、Fランクにしかできないこともあると思うんだ。なんていえばいいのかな……一番下から始めるからこそ、色々と知ることができると思うし、その機会も増えると思うんだ。ようは、経験だよ。色々な経験をするためにも、まずはFランクから始めたいんだ」
「もう……わかりました。フェイトがそう言うのならば、止めません」
「ありがとう、ソフィア」
一から冒険者として歩む。
それは大変かもしれないが、でも、それ以上に楽しいことがあると思う。
わくわくするようなことが起きると思う。
ソフィアと一緒なら、なおさらだ。
「でも……もしかしたら、ソフィアに迷惑をかけちゃうのかな? そう考えると、ちょっと迷うかも」
「いいえ、フェイト。迷惑になるなんてことは、絶対にありえませんよ」
「どうして?」
「私は、フェイトと一緒に冒険をすることを子供の頃から、ずっとずっと楽しみにしていたのですから。フェイトがランクを気にしないというのなら、それで構いません。なにか起きたとしても、私が……いいえ。二人で一緒に切り抜けましょう。私達なら、それができるはずです」
「ソフィア……うん、そうだね。二人で一緒にがんばっていこう」
「はい!」
僕とソフィアは手を取り、互いに笑顔を浮かべて、
「あの……ここはギルドなので、イチャイチャされると困るというか……」
受付嬢の指摘に恥ずかしくなり、共に赤くなるのだった。
「こほんっ。それでは最後に、スティアートさんの適性を調べることができますが、どうされますか?」
「それは、どういうこと?」
「簡単なものですが、その人に向いているものを調べることができます。例えば、魔法。例えば、支援職。アスカルトさんなら、剣……というように、適正を占うことができるんですよ。冒険者になったばかりの方は、どのような道を進むか迷う場合が多く……そんな方々の手助けをするために、ギルドが開発した技術です」
「ちなみに私は、剣でしたよ」
「なるほど」
二人の説明で理解することができた。
僕にどんな才能があるか、という話か。
知ることができるのなら知っておきたい。
「じゃあ、お願いします」
「はい、かしこまりました。少々おまちください」
数分後。
受付嬢は、奥から水晶のような透明な板を持ってきた。
「こちらに手を乗せてください。そうすれば、上の部分に適性が表示されますよ」
「こうかな?」
言われるまま、透明な板に手を乗せる。
そして……一分。
なにも変化が起きない。
「これ、時間がかかるの?」
「い、いえ。そんなことはありません。長くても、三十秒くらいで出てくるはずなんですけど……」
そんな話をしている間に、三分くらいが経つのだけど、やはり変化はない。
適性が表示されるという部分は、空白のままだ。
イヤな考えが浮かぶ。
「もしかして……僕は、なんの才能もない?」
「そ、そのようなことは……でも、他に可能性は……」
「……いえ、もう一つの可能性がありますよ」
ソフィアは、若干、顔をこわばらせていた。
信じられないものを見た、というような感じで、とても驚いているみたいだ。
「昔、旅をする途中で聞いたことがあります。なにも適性が表示されないのは、才能がないからではなくて……逆です」
「逆?」
「なんでもできる」
受付嬢が、ごくりと息を飲んだ。
「剣でも魔法でも支援職でも、なんでもできる。なので、適性が表示されない……そんな話を聞いたことがあります。ですから、もしかしたらフェイトは……」
「万能?」
「包丁みたいに、気楽に言いますね……はい。でも、そういうことです。どんなこともできるという、天賦の才を持っているのかもしれません」
「うーん?」
そんなことを言われても、ピンと来ない。
僕は、元奴隷だからなあ……
才能がないからなにも映らない、と言われた方が納得できる。
「才能があるのかないのか、どちらなのか、判断することは難しいですね……このような展開は初めてなので、当ギルドとしましても、どうしたらいいか」
「気にしないでいいよ」
「え? ですが……」
「あくまでも参考程度の話なんだよね? なら、結果に深く囚われるようなことは、よくないと思うんだ。気にはするけど、それくらい。自由にやるよ。冒険者っていうのは、そういうものだよね?」
「……ふふっ、フェイトらしい答えですね。本当に、小さい頃からなにも変わっていないのですね」
「そうかな?」
「はい。私が好きなフェイトのままです」
少し照れた。
「なにはともあれ……スティアートさんは、これで今日から冒険者となります。厳しい職業ではありますが、どうか、あなたの冒険に幸があらんことを」
受付嬢がにっこりと笑い……
この日、僕は念願の冒険者になることができたのだった。
17話 デート
ようやく冒険者になることができた。
僕の心は、これまでないほどに踊り、わくわくしている。
さっそく依頼を請けて、冒険者として、記念すべき第一歩を踏み出すことにしよう。
……そう思っていたのだけど。
「明日、ちょっとした用事があります。昼、街の中央にある噴水の前で待っています。遅刻は厳禁ですよ?」
そんなことをソフィアに言われてしまい、冒険は中止。
ちょっと残念だけど……
でも、ソフィアの用事の方が大事だ。
いったい、なんだろう?
もしかして、稽古の続きかな?
あるいは、冒険者の心構えを教えてくれるとか。
不思議に思いつつ、待ち合わせ場所の噴水へ。
「えっと……あ、いたいた。ソフィア」
「フェイト、こんにちは」
昼の太陽に負けないくらい、ソフィアの笑顔は輝いていた。
とてもうれしそうで、気分もよさそうだけど、どうしたのだろう?
「というか、なんで待ち合わせ? 僕達、同じ宿に泊まっているんだから、宿で合流すればいいと思うんだけど」
「それでは情緒が足りないではありませんか。せっかくのデートなので、待ち合わせがしたいのです」
「……デート?」
「はい、デートです」
僕は首を傾げた。
「デート?」
混乱しているらしく、また同じ言葉を繰り返してしまう。
「えっと……ちょっと待って。それは、どういうこと?」
「そのままの意味ですが」
「聞いていないよ?」
「サプライズデートです♪」
そんな風にかわいく言われたら、咎めることなんてできるわけない。
女の子のかわいいは、女の子の涙に匹敵するくらい強力な武器なのだ。
時に、その威力は伝説の聖剣を上回るだろう。
そういえば、ソフィアはその聖剣を持っているんだっけ。
なら、完璧だね。
「って、いけないいけない」
おもいきり混乱しているぞ、僕。
「せっかくフェイトと再会できたのですから、冒険者だけではなくて、一緒に遊びたいと思いまして。その……もしかして、迷惑でしたか?」
「ううん、そんなことはないよ。冒険者稼業もやりたいけど、でも、ソフィアと遊びたいとも思うよ」
「そう言っていただけるとうれしいです」
「でも……」
自分の格好を見る。
いつもと変わらない、ごくごく普通の服だ。
対するソフィアは、いつもと違う服を着てオシャレをしている。
「ごめん。デートって知っていたら、もうちょっとまともな格好を……いや、他の服も大したことはないから、難しいか」
「気にしないでください。フェイトが一緒にいれば、それでいいのですから」
「うーん、でも……」
「なら、今日は、私のわがままを一つ聞いてくれませんか? それでよし、ということで」
「うん、了解。なんでも言ってね」
「そんなことを言うと、無茶を言ってしまいますよ?」
「いいよ。ソフィアのためなら、なんでもどんなことでもするつもりだから」
「……」
「ソフィア?」
「そういう台詞は反則です……胸に響いたじゃないですか」
赤い顔で、そんなことを言う。
反則というのは、なんで?
よくわからないので、正直、どうすればいいかわからない。
「えっと……とりあえず、街をふらふらしてみようか」
「はい、そうですね」
こうして、僕とソフィアのデートがスタートした。
とはいえ、ここはそれほど大きな街ではないから、デートスポットと呼べるようなところはない。
劇場はないし、市場もない。
芸人もいないし、サーカスもない。
あるものといえば、個人経営の商店と公園くらい。
ただ……
「ふふっ、楽しいですね」
「うん、そうだね」
ソフィアと一緒なら、なにをしても楽しい。
公園を散歩するだけでも、世界が輝いているかのように、とても気分が踊る。
そうしてデートをしていると、自然と昔のことを思い出した。
そう、確かあれは……
「……ねえ、ソフィア。昔のことを覚えている」
「はい、全部覚えていますよ」
「全部なんだ……」
すごい。
ソフィアとの思い出はどれも大事なものだけど、さすがに、僕は断片的に忘れてしまっていることがある。
「なら、公園で遊んでいた時、迷子になっちゃったことは覚えている?」
「う……は、はい。もちろん、覚えていますよ」
ソフィアにとっては黒歴史らしく、軽くたじろいでいた。
事の成り行きはこうだ。
一緒に公園で遊んでいたのだけど、ソフィアは、途中で綺麗な蝶を見つけて、ふらふらとどこかへ消えた。
昔の彼女は、目を離すと、ちょくちょく迷子になっていたんだよね。
で、慌てた僕はあちらこちらを探して……
日が暮れる頃になって、ようやくソフィアを見つけることができたのだ。
ソフィアは街を少し出たところにある小さな森にいて、帰り方がわからず、一人で泣いていた。
そんな彼女をおんぶして、僕達は街へ戻ったのだ。
「公園でソフィアと一緒にいると、あの時のことを思い出すね。もう、蝶についていったりしないでね?」
「意地悪を言わないでください……というか、あの頃は子供だったため、仕方ないのです。今は、そのようなことはしません」
「本当かな? ソフィアって、しっかりしているようで抜けているところがあるから、ちょっと心配かな?」
「もう……今日のフェイトは意地悪ですね」
ソフィアは頬を膨らませて……
でも、すぐに笑顔になって、子供のように無邪気に笑う。
「ふふっ、とても懐かしい思い出ですね」
「公園に来たら、ふと思い出したんだ。ああ、そういえばこんなことがあったなあ……って」
「忘れていたのですか?」
「ごめん。さすがに、全部は覚えてなくて……」
「謝らないでください。全部を覚えているなんて、難しいことは理解していますから。ちょっと寂しいですけどね」
ソフィアの顔が若干ではあるけれど曇ってしまう。
でも、そんな顔は見たくないから……
「ちゃんと覚えていることもあるよ」
「それは、どんなことですか?」
「将来、結婚しようね」
「あ……」
「あの約束だけは、なにがあっても忘れたことはなかったよ。毎日、考えていて……辛い時は、約束を想うことで耐えることができたんだ。だから、ありがとう」
「……再会したばかりで、フェイトは冒険者になったばかり。なので、すぐにとは言いませんが……いつか、約束を守ってくれますか? 願いを叶えてくれますか?」
「もちろん」
温かい日差しが降り注ぐ公園で、僕とソフィアは、改めて二人の絆を確認するのだった。
18話 初めての依頼
「そのようなわけで、初めての依頼ですよ」
無事に冒険者登録が終わり、意外な事実が判明しつつも、僕は冒険者になることができた。
その後、デートをするという寄り道をしたものの……
翌日、さっそく依頼を請けてみることに。
ただ、僕は右も左もなにもわからない、冒険者初心者。
シグルド達と一緒にいたため、そこそこの知識はあるのだけど、冒険者の在り方やうまく活動する方法などはさっぱりわらかない。
なので、最初の依頼はソフィアに任せることにした。
「えっと……東の平原のスライム退治?」
「はい。東の平原で、スライムが大量発生しているみたいです。その数は、百を超えるとか」
「それはまた……すごいね」
最低ランクのスライムといえど、それだけの数になればかなりの脅威だ。
囲まれて一気に襲われたらたまらないだろうし、なかなか大変な依頼かも。
「その依頼の難易度は?」
「Eですね」
「それでEなんだ……」
「厄介ではありますが、ただ倒すだけですからね。罠をしかけたり大規模魔法で薙ぎ払うなり、簡単に終わらせる方法はいくつもありますよ」
「なるほど」
「動く的としてはちょうどいいですし、この依頼にしました。良い稽古になると思います。この依頼で、ひとまずの冒険者感覚を身につけてもらえれば、と。安心してください。いざという時は私がなんとかするので、フェイトは思うがまま戦ってください」
「うん、頼りにしているよ」
「たぶん、私の出番は必要ないと思いますけどね」
「そうかな? そんなことはないと思うよ」
「どうでしょうか。とりあえず、行きましょうか」
「了解」
最初の依頼ということで、僕はうきうき気分で東の平原に向かった。
――――――――――
「ピキー!」
大量のスライムが、まとめて飛びかかってきた。
一匹一匹、対処している時間はない。
なので、まとめて斬る。
「はっ!」
右から左に剣を払い……
間髪いれず、左から右へ戻す。
さらに斜め下に振り下ろして、そこから、縦に跳ね上げる。
とびかかってきたスライムの群れは、それぞれ体を両断されて、ただの液体と化した。
「ふう、うまくいってよかった」
「……」
「どうしたの、ソフィア? ぼーっとして」
「いえ、なんといいますか……今の、一秒以内に行われた、瞬間的な四連撃はなんですか?」
「さっき、ソフィアがやっていたから、それを見て僕もできないかなー、って。うまくいってよかったよ。これ、簡単な技なんだよね?」
「そんなわけありませんからね!?」
「うわっ」
いきなりソフィアが大きな声を出す。
「瞬間的に四連撃を繰り出すなんて、剣の初心者にできることではありません。絶対に無理です! 私だって、習得するのに数ヶ月はかかったというのに……それなのにフェイトときたら、一度見ただけで覚えてしまうなんて……いったい、どういう才能を持っているのですか? デタラメです」
「えっと……ごめん?」
悪いことはしていないはずなのだけど、なんだか申しわけない気分に。
「すみません、取り乱しました」
「気にしないで」
「フェイトなのですから、これくらいは当たり前なのかもしれませんね。常識という固定観念を捨てて、フェイトの規格外の新しい常識を受け入れないと」
「そんな風に納得されるのは、ちょっと」
「ひとまず、依頼の方は……」
ソフィアの背後からスライムが飛びかかるものの、
「これで終わりですね」
彼女は振り返ることもなく、剣を一閃させた……と思う。
剣筋がまったく見えないので、断言できないのだ。
スライムは、一拍遅れて真っ二つになり、そのまま絶命する。
「すごいなあ。やっぱり、ソフィアは強いね。さすが剣聖」
「それ、フェイトが言うと、ちょっとした嫌味に聞こえてしまうのですが」
「え、なんで?」
「いまいち自分のことを理解していないところが、フェイトの難点ですね……やれやれ」
「?」
なぜか、今度は呆れられてしまう。
なぜだ?
なにもしていないはずなのに……
「あとは、スライムの死体を焼けば完了だね」
スライムを素材として欲しいという人はいるけれど、こんなに大量のスライムを持ち帰ることはできない。
大半はここに残していくことになるけど……
そのままにしたら、他の魔物を呼び寄せてしまうことになるし、大地も腐らせてしまう。
なので、基本的に魔物の死体は、素材を剥ぎ取り、いらない分は焼くのだ。
「スライムの死体を適当に集めて、焼いて……完了!」
これで依頼達成だ。
「……」
「どうしたのですか、フェイト?」
「あ、うん……なんていうか、ちょっと感動してた」
「感動? どうしてですか?」
「元奴隷の僕が、ソフィアのおかげで、ちゃんと冒険者をやれているんだなあ……って」
「……フェイト……」
「今までの生活が全部ひっくり返ったような、好転したような……なんか、人生まるごと変わったような感じで、なにもかも新鮮なんだ。今、すごく楽しいよ」
「ふふっ、まだまだですよ」
「え?」
ソフィアは優しく微笑み、僕の手を取る。
彼女の手はとても温かい。
その熱が心に染み渡るみたいで、胸がぽかぽかする。
「これから先、もっともっと胸が踊るような出来事がたくさん待っていますからね」
「これ以上に?」
「これ以上に、です」
まるで想像できない。
でも、とてもわくわくした。
ソフィアと一緒なら、どこまでも飛んでいくことができそうだ。
「私も一緒なんですか?」
「ダメかな……?」
「いいえ」
ソフィアは、太陽のような極上の笑顔をみせてくれる。
「いつまでも、どこまでも、ご一緒しますよ」
「ありがとう、ソフィア」
「ふふっ」
よし。
気分は絶好調。
このまま、もう一つくらい依頼を……
「た、助けてくれぇっ!」
突然、悲鳴が割り込んできた。
19話 救援要請
三十くらいの冒険者らしき男が、巨大な魔物に追いかけられていた。
山のように巨大な亀型の魔物だ。
その姿のわりに、かなり俊敏で、じわじわと距離をつめている。
「あれは、Aランクの魔物、グランドタートル!? なぜ、このようなところに……」
「助けないと!」
「はい、もちろんです」
あのままだと、あと数分もしないうちに追いつかれてしまうだろう。
迷っているヒマはないし、応援を呼ぶ時間もない。
「フェイトは周囲の警戒をお願いします!」
「了解!」
僕も、なんてことは言わない。
あの魔物は見たことがないし、かなりの強敵に見えた。
手伝えることはあるかもしれないが……
今は人命がかかっている。
余計なことはしないで、確実に彼を助けられる方法を選ぼう。
ソフィアに任せておけば、なにも問題はない。
そうやって無条件に信頼できるほど、彼女は強い。
規格外、想像外、予測外の強さなのだ。
それが、剣聖というもの。
「神王竜剣術・弐之太刀……疾風!」
ソフィアは男と魔物の間に割り込んで、抜剣。
気がついた時には、剣を振り抜いていた。
超高速の抜剣は、強烈な衝撃波を生み出す。
「……」
魔物は縦に両断。
断末魔の悲鳴をあげることもできず、そのまま倒れた。
あんな巨大な魔物を一撃だなんて……
思わず彼女の剣に見惚れてしまいそうになるけれど、自分の仕事はしっかりとやらないと。
増援が現れないか、周囲を警戒。
数分ほど様子を見るのだけど、魔物は今ので打ち止めのようだ。
剣を鞘に収める。
ソフィアも同じ判断をしたらしく、剣をしまう。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……助かったよ。ありがとう」
手を引かれ、男は立ち上がる。
「俺は、この先の砦の警備を担当している冒険者だ。ゲイル、っていうんだ」
魔物を近づけないために、街から少し離れたところに砦が建築されていることが多い。
対魔物の拠点となるだけではなくて、旅人の宿代わりになったりすることもある。
「僕は、フェイト・スティアート。冒険者だよ」
「私は、ソフィア・アスカルトです。同じく冒険者です」
「ソフィア・アスカルト!? もしかして、剣聖の……?」
「あ、はい。そうですね」
「ああ、こんなところで剣聖と出会えるなんて、女神の導きに違いない……頼む! 助けてくれないか!?」
――――――――――
ゲイルの話によると、砦が凶暴な魔物に襲われたらしい。
なんとか追い返すことに成功したものの、守備隊に甚大な被害が出てしまう。
また、魔物を倒したわけではないので、再襲撃が予想される。
次に襲われたら、守り切ることはできず、陥落してしまうだろう。
自分達ではどうすることもできない、外部へ救助を求めるしかない。
しかし、再襲撃されるかもしれない、魔物は他にもいるため、刺激されて活発化している今、砦の外に出るのは自殺行為。
ただ、そのリスクを覚悟で、ゲイルは外部に助けを求めることに。
その途中で僕達に出会い……というわけだ。
もちろん、そんな話を聞いて、放っておくことはできない。
僕とソフィアは、ゲイルの案内で砦に移動した。
幸い、魔物に襲われることはなかった。
「おーい、みんな!」
「あっ……ゲイルが帰ってきたぞ!」
「よかった、無事だったのね!」
砦に到着すると、門が開いて、二人の男女が出てきた。
どちらも冒険者らしい格好だ。
たぶん、ゲイルの仲間なのだろう。
「セイル、ラクシャ、もう安心していいぞ。援軍を連れてきた」
「援軍っていうのは、そちらの二人か? 俺は、セイル。こっちは、仲間のラクシャだ」
「フェイト・スティアートです」
「ソフィア・アスカルトです」
自己紹介をしつつ、軽く頭を下げる。
「えっ、もしかして、剣聖の……!?」
「剣の戦乙女と言われている、ソフィア・アスカルト!?」
二人の視線がソフィアに集中した。
とても有名人だ。
そんな幼馴染を持つことができて、僕も誇らしい。
「よかった……これで助かる」
「もうダメだって、本気で思っていたから……ありがとう、助けに来てくれて」
「いえ。同じ冒険者として、当たり前のことをしただけですから。それにまだ、砦を襲う魔物を討伐したわけではありませんし……ひとまず、詳しい状況を教えてもらえますか?」
「ああ。ひとまず、中で話をしよう。ゲイルは、ゆっくり休んでほしい。疲れただろう?」
「そうさせてもらうよ……正直、もう限界だ」
「大丈夫、ゲイル? 私が医務室まで連れて行ってあげる。あなたが一番怪我が軽いとはいえ、それでも、本来なら動いていいような傷じゃないんだから」
ラクシャに付き添われて、ゲイルが奥に消えた。
「では、二人はこちらへ」
俺達は会議室に案内された。
そして、セイルと呼ばれた冒険者が厳しい顔を見せる。
「現状についてですが……正直、かなりひどい」
「どれくらいの被害が?」
「冒険者が二十人いて、砦に常駐する憲兵隊が三十人いた。ただ、冒険者はほぼほぼ壊滅。まともに動けるのは俺とゲイルとラクシャの三人だけ。憲兵隊にいたっては、もっとひどい。全員が重軽傷で、まともに動けるのは一割くらいだろうか」
「そうですか……」
悲惨な現状を告げられて、僕とソフィアは厳しい顔に。
冒険者は全てが自己責任だ。
財宝を見つけて一財産を築くこともあれば、セイルから聞いたように、命を落としてしまうこともある。
重傷を負い、二度と治らない後遺症を負うこともある。
物語にあるように、華やかな世界ではない。
そのことを痛感する僕だった。
憲兵も大変な仕事だ。
人々を守り、秩序を維持することを目的とされている。
そのために己の体を盾とする場面も求められてしまい……
怪我をする人は絶えないと聞く。
「魔物について教えてくれませんか?」
「断定はできないが……たぶん、ウルフ系の魔物だと思う。見た目は巨大な狼で、ただ、サイズがデタラメに大きい。十メートルはあった」
「十メートルのウルフ系の魔物……それは、もしかして……」
「フェンリルかもしれないね」
思いついたまま口を挟むと、ソフィアが驚いた顔に。
「フェイトは、フェンリルを知っているのですか?」
「うん、知っているよ。ウルフ系の魔物の、いくつかいるうちの最上位の一つ。青と白の毛並みが特徴的で、大人になると十メートルを超える個体に成長する。その毛は鋼のように固く、爪は槍のように鋭く、牙は貫けないものがないとか」
「はい、その通りです。付け加えるのならば、Sランクの魔物ですね。Sランクの魔物が出没することは滅多にないため、その知識なんて持っていないのですが……どうして、フェイトは知っているのですか?」
「え? これは常識じゃないの?」
「非常識ですよ……例えるなら、子供が高ランク魔法の構造を知っているようなものです」
「そうなんだ……奴隷だった頃、役立たず、って罵られたり殴られたりすることがイヤで、色々なことを勉強していたんだけど……その中で覚えたことなんだ」
「あいかわらず、覚えた経緯が……ますます、あの連中に殺意が。ですが、すごいですね。並の冒険者以上に、フェンリルについて詳しいですし……弱点なども覚えていますか?」
「うーん、そこら辺はよくわからないかも。でも強いてあげるなら、夜行性っていうことかな? 昼は動きが多少は鈍くなるらしいよ。まあ、あくまでも多少だから、過度な期待は禁物かな」
「それで十分です」
ソフィアは剣を手に席を立つ。
「砦の損耗具合からして、次の襲撃には耐えられないでしょう。受けに回っていたら、さらなる犠牲者が出るかもしれません。ちょうどいいことに、今は昼間。こちらから討って出ます」
「本当か? 助かるよ……ヤツの襲撃があるかもしれないと思うと、怪我人を搬送することもできなくて。ゲイルが救助を呼んでこれたのも、奇跡に近い。できるだけ早く倒してくれるのなら助かる」
「はい、任せてください」
ソフィアは自信たっぷりに、力強く頷いてみせた。
それから僕を見る。
「すみませんが、フェイトは……」
「うん、ここで待っているよ」
「……私の言いたいことをすぐに察してくれることは助かるのですが、フェイトは、それで問題はありませんか? 一緒に来るという選択肢も……」
「ううん、それはやめておくよ。僕は、まだまだだから足手まといになるだろうし……今は、一刻を争う事態だからね。本気のソフィアについていくことは難しいから、ここで待つよ」
「フェイトなら、あるいは可能かもしれませんが……」
「そんなことないよ」
「そのようなことはあると思うのですが……ただ、それでも今回は待っていてもらえたらと。Sランクの魔物が相手になると、なにが起きるかわからないので……すみません」
「謝らないで。不確定要素があると心配っていうのはわかるし、あと、僕のことも心配してくれているんだよね? ソフィアの気持ちはうれしいよ」
「そう言っていただけると……」
「いつか、僕も隣に並んで、一緒に剣を振ることができるようにがんばるから」
誓うように、僕はそう言うのだった。
フェンリルを討伐するため、ソフィアはすぐに砦を出発した。
残った僕は、医務室へ。
なにかできることはないかと思い、怪我人の手当を手伝うことにしたのだ。
「うぅ……いてぇ、いてぇよぉ……」
「もうダメだ、俺はもうここで……ちくしょう、ちくしょう、こんなところで……」
「誰か助けてくれ……イヤだ、まだ死にたくない、助けてくれ……」
医務室は戦場だった。
三十あるベッドは全て埋まり……
それでも足りず、床の上に寝かされている負傷者もいる。
まるで戦場だ。
奥にゲイルとラクシャが見えた。
ゆっくり休んでいるらしい。
彼のような軽傷者もいるが、それは少数。
大半が重傷者だ。
「あっ、あああぁ!?」
突然、ベッドに寝る負傷者が大きな声をあげた。
ビクビクと痙攣を繰り返す。
「な、なんだ!? おい、どうしたっ、大丈夫か!?」
「あああっ、あああああ!!!」
負傷者達の様子を見ていた男が慌てて声をかける。
しかし、痙攣を繰り返すだけでまともな返事が返ってくることはない。
たぶん、怪我で体力や神経が削られて、ショック状態に陥っているのだろう。
このまま放っておいたら、まずいことになるかもしれない。
「くそっ、いったいなにが……ど、どうすれば……」
この人、医者じゃないのか?
もしかして、ただの素人で、ここに医者はいない……?
どちらにしろ、放っておくことはできない。
「どいてください!」
「な、なんだ、あんたは……」
「ここに置いてある薬は!?」
「そんことを聞いてどうするつもりだ? 大体、あんたは医者なのか? 冒険者のように見えるが、勝手に薬を使うなんて……」
「いいから答えて! この人を助けたくないんですか!?」
「っ!? え、えっと……こ、これが全部だ。しかし、これじゃあどうすることも……」
大きく怒鳴りつけると、その迫力に負けた様子で、男は薬の入った箱を差し出してきた。
「えっと……うん、これなら大丈夫です」
薬箱を確認して、大丈夫だろう、と希望を抱いた。
二つの瓶を取り、別の小瓶を使い合成。
それをガーゼに染み込ませて、痙攣を繰り返す人の鼻に当てる。
最初の十秒はさらに激しく暴れるものの……
一分が経つ頃には落ち着いて、穏やかな呼吸を取り戻す。
「ふぅ……うまくいってよかった」
「あ、あんた、なにをしたんだ……?」
「この人、怪我のせいでショック症状を起こしていたんですよ。だから、それを鎮めるための薬を作ったんですよ」
「ショック症状だったのか……しかし、ショック症状を抑える薬なんてなかったはずだが」
「合成して、即興で作りました。これとこの薬を調合することで、代替品になるんですよ」
「そんなことが……なるほど、深い知識を持っているんだな」
勉強になる、というような顔をしていた。
「これくらいは、当たり前の知識だと思うのだけど……もしかして、違う?」
「いやいやいや、当たり前なんてこと、あるわけがないだろう!? 薬の知識なんて、普通の人は知らない。冒険者でも知らない。キミは何者なんだ?」
「何者、と言われても……普通の冒険者だけど?」
「普通の定義がおかしいからな、絶対に!」
そんな風に、ツッコミを入れられつつも……
僕は、他の人の治療を行う。
なぜそんな知識があるのかというと、これもまた、奴隷時代に得た知識だ。
毎日、怪我が絶えないため、治療方法を自力で学び、習得したのだ。
薬の知識も、その時に得たもの。
奴隷の僕が身につけられるものだから、大したことはないと思っていたのだけど……
そうか、割と普通じゃないことなのか。
うん。
また一つ、賢くなった。
「ところで、あんたは?」
「あ、すみません。名乗り遅れました。僕は、フェイト・スティアート。援軍に来た一人です」
「援軍が来たのか!?」
「はい。もう一人は、ソフィア・アスカルトといって……」
「もしかして、あの剣聖!?」
有名だなあ」
「はい、その剣聖です。今は、彼女がフェンリルの討伐に向かいました」
「よ、よかった……絶望しかないと思っていたが、まだ、なんとかなるかもしれないんだな」
「僕は砦に残ることになったので、怪我人の手当を手伝おうと思って」
「そうか、助かるよ。あんたは、俺よりも知識が深いようだ。他の怪我人も診てくれないか?」
「わかりました」
拒む理由なんてないので、快諾した。
薬箱を手に、怪我人を診て回る。
重傷者が多く、手持ちのキットだけではかなり難しいところもあったのだけど……
「よし、これで、なんとか大丈夫」
二時間ほどかけて、なんとか全員の治療を終えた。
完治というわけにはいかないけど、死の危険は、全員脱したと思う。
「ありがとう、あんたはみんなの命の恩人だ!」
「いえ、僕にできることをしただけなので」
「こんなこと、なかなかできることじゃないさ。あんたがいなかったら、俺の仲間は全員、死んでいたかもしれない。剣聖だけが来ていたら意味はなかった。十分に誇っていいことさ」
「そう……なのかな?」
元奴隷の僕が……
なんの価値もないと思っていた僕だけど……
誰かの役に立つことができた?
命を救うことができた?
それは、とてもうれしいことだった。
「ありがとうございます」
「ははっ、なんであんたが礼を言うんだよ。こっちが言わないといけないのに」
「えっと……なんとなく?」
「それと、もっと気楽な口調にしてくれないか? 恩人にそんな口調でいられたら、落ち着かない」
「それじゃあ……うん、そうさせてもらおうかな」
彼は笑顔で手を差し出してきた。
僕も笑顔で握手に応じる。
温かい手の温もり。
ソフィアだけじゃなくて……
人って、温かいんだな。
長い奴隷生活で、僕は、そんなことも忘れていたみたいだ。
「た、大変だ!」
青い顔をしてセイルが駆け込んできた。
男は思わずという様子で顔をしかめる。
「おい、ここは負傷者がたくさんいるんだ。ようやく寝た人もいるんだから、もう少し声を……」
「それどころじゃないっ、やばいやばいやばい、もう終わりだ!」
「ゲイルの言う通りよ、もうダメ。今度こそおしまいよ……
二人は尋常ではないほど慌てていた。
まるで、この世の終わりを告げられたかのようだ。
「……ひとまず外へ」
どのような内容であれ、ここでする話ではないと判断して、セイルを外に連れ出した。
それから、会議室へ移動する。
「相当に慌てているみたいだけど、いったい、なにが?」
「やばいんだよ! 今すぐにここから逃げないと!」
「無茶を言わないで。動けない人がたくさんいるんだ。そんなことをしたら、半分くらいの負傷者は、せっかく閉じた傷が開いて、出血で死んでしまう」
「それでも全滅するよりマシだ! 一途の希望に賭けた方がいい!」
「そうよ、今すぐにここを離れないと!」
全滅するよりもマシ?
気になる台詞に、僕は眉をひそめた。
ここにいると全滅してしまう。
その可能性は……フェンリルだろうか?
ヤツの襲来が?
でも、フェンリルの対処はソフィアがあたっている。
砦への襲撃を許すわけがないし、逃がすことも絶対にないはずだ。
「詳しく聞かせて。いったい、なにが起きているの?」
「フェンリルが……フェンリルが……」
が絶望に満ちた声で言う。
「もう一匹現れたんだよ!!!」