アイシャはなにかを恐れている様子で、ソフィアに抱きついた。
 娘の異常を察したソフィアは、アイシャを抱き上げて、怖くないよ、というように背中をぽんぽんと叩く。

「大丈夫ですよ、アイシャ。私がいますからね」
「うん……」

 少し落ち着いたらしく、アイシャの震えが止まる。
 ただ、完全に恐怖が消えたわけではなくて、尻尾がくるっと丸まっていた。

「アイシャってば、どうしたのかしら? 変なものでも食べた?」
「あのね、リコリスじゃないんだから……でも」

 アイシャは獣人族だ。
 僕達にはわからない、なにかを感じ取っているのかもしれない。

「ねえ、アイシャ。あっちの方で怖い感じがするって言っていたけど、それは、どんな感じなのかな?」
「えっと……怒ったような声とか、そういうのが聞こえてくるの。あと、剣の音……」
「ソフィア」
「はい」

 僕達は聞こえないのだけど……
 でも、獣人族のアイシャの聴覚はとても優れている。
 そんな彼女が言うのなら、間違いはないだろう。

「ソフィアは、アイシャと一緒にここにいて。僕は、リコリスと一緒に様子を見に行くよ」
「えっ、あたしも!?」
「リコリスは偵察能力に優れているから、力を貸してほしいんだ」
「へ、へぇー、そこまであたしを買ってくれているのね。ふふんっ、まあ、当然ね。この完璧超人パーフェクト美少女妖精リコリスちゃんにできないことはなにもふぎゅ!?」
「いいから、早くフェイトの力になってください」

 あれこれと言うリコリスを、ソフィアが僕の頭の上に強引に乗せた。
 リコリス、潰れていないよね……?

「でも……フェイトとリコリスだけで大丈夫ですか? 私も一緒に……」
「ううん。万が一のことも考えて、アイシャは離れていた方がいいし……ソフィアが一緒にいてくれないと」
「それはそうですが……」
「安心して」

 僕は、にっこりと笑う。

「僕は、いつまでもソフィアに助けられてばかりじゃないよ。僕も一人でできる、っていうことを証明してみせないと。でないと、エドワードさんに認めてもらえないと思うし……いつまで経っても、ソフィアに追いつくことができないからね」
「フェイト……もう、もう。かっこよすぎです、私のフェイトは、どこまでかっこよくなって、私のハートを鷲掴みにすれば気が済むのでしょうか? もう、たらしです」
「この剣聖、こういうところがなければいいんだけどねー……ま、いいわ。こうなったら、とことん付き合ってあげる。いくわよ、フェイト!」
「うん」

 ソフィアとアイシャに気をつけるように言い残して、僕とリコリスは裏路地に駆けた。

 リーフランドは綺麗な街で、とても栄えている。
 それでも裏路地というものは存在するし、そこは日当たりが悪く、犯罪が起きやすい。

 ……現に、犯罪が起きていた。

 人が倒れていた。
 身なりからすると、たぶん、冒険者だろう。

 彼は恐怖の感情を顔に貼り付けていて……
 そして、大量の血を流して、すでに事切れていた。

「……」

 そんな彼の近くに立つのは、黒尽くめの男。
 血に濡れた漆黒の剣を左手に持っている。

「依頼を請けたばかりで、まさか、こんなにも早く犯人と対峙するなんて……」
「チャンスよ、フェイト! やっちゃいなさい!」
「いや、これは……」

 雪水晶の剣を抜いて、両手で構えた。
 しかし、体は動かない。
 動かすことができない。

 直感が告げていた。
 下手に動いたら……死ぬ。

「……」
「……」

 黒尽くめの男も剣を構えた。
 ピリピリと緊張感が増して、空気が張り詰めていく。

「っ!?」

 最初に動いたのは、黒尽くめの男だった。

 ふっ、と姿が消えたかと思うと……
 いつの間にか横に回り込んできて、漆黒の剣を叩きつけてくる。

 片足を軸に、四十五度回転。
 剣の腹を盾にして、かろうじて防ぐことに成功。
 ソフィアに稽古をつけてもらっていなかったら、対応できず、斬られていた。
 そのことを考えると、ゾッとする。

「りゃあああっ!!!」

 後手に回っていたら勝てない。
 そう判断した僕は、裂帛の気合と共に剣を振る。

 黒尽くめの男の動きは早く、僕の剣をあっさりと受け止めてみせた。
 その後も、何度か叩き込むものの、やはり防がれてしまう。

 この男、強い!
 ソフィアほどではないけど、その技量は、今の僕よりは圧倒的に上だ。

 剣と剣を交わして、力比べをして……
 ギィンッ! と刃を弾いて、互いに距離を取る。

「ちょ、ちょっとフェイト、大丈夫なの? なんか、劣勢に見えるんだけど……」
「……正直なところ、ちょっと厳しいかな」

 本当は、ちょっとどころではなくて、かなり厳しいのだけど……
 男としてのつまらないプライドが、そんな台詞を僕に言わせた。

「……」
「……」

 剣を構えて睨み合う。
 隙は見当たらない。
 逆に、僕が斬られる未来しか見えない。

 まずい。
 様子を見に行ったら、まさか、こんな化け物が待ち構えているなんて。
 予想外もいいところだ。

 男として情けないのだけど、ソフィアに助けを求めたい。
 ただ、それを許してくれるかどうか……

「フェイト!」

 少し離れたところに、ソフィアの姿が見えた。
 アイシャを誰かに預けて、応援に来てくれたのだろう。

「……あ」

 ふと、黒尽くめの男から闘気が消えた。
 ソフィアまで相手にするのはまずいと思ったのだろう。
 黒尽くめの男は僕に背を向けて、そのままどこかへ駆けていった。

「……ふう」

 助かった。
 あのまま戦闘を続けていたら、間違いなく、僕が斬られていた。

 あの男は……

「あれが……漆黒の剣鬼、だよね?」
「だと思うわ。このリコリスちゃんを怖がらせるなんて、な、なかなかやるじゃない。ふ、ふふふ」

 頭の上で、リコリスはガタガタと震えていた。
 彼女も怖がらせてしまったみたいだ。
 申しわけなくて、あと……自分の力のなさが不甲斐ない。

「僕は……」

 己の手の平を見て……そして、ぎゅうっと拳を作った。