将来結婚しようね、と約束した幼馴染が剣聖になって帰ってきた~奴隷だった少年は覚醒し最強へ至る~

「くっ……」

 折れた木剣を突きつけられたアクセルは、悔しそうに唇を噛んで……
 ややあって、ふっと表情を柔らかくした。

 折れた木剣を手放して、そのまま両手を上げる。
 僕の名前が勝者として告げられる。

「わかった、降参だ……ったく、とんでもないヤツだな。道場一の実力者っていうわけじゃねえけどさ、俺も、それなりに腕が立つんだぜ? それなのに、こうもしてやられるなんて……あー、悔しいな」

 なんてことを言うのだけど、アクセルは、どこか晴れ晴れとした顔をしていた。
 たぶん、僕も似たような顔をしていると思う。

 剣を交わして心を交わす。
 そんなことができたのだろう。

「ぬぐぐぐ……」

 思うような展開にならず、エドワードさんは、とても悔しそうに唸っていた。
 そんな父親に対して、ソフィアは笑顔で語りかける。

「お父さま。これで、フェイトのことを認めてくれますね?」
「……」
「お父さまが指名した者に勝利をして、力を示すことができました。もちろん、不正なんてありません。それは、この場にいる者全員が証人です。フェイトは正々堂々と戦い、アクセルを打ち破り、力を示しました」
「……」
「お父さまの口から、フェイトのことを認めていただきたいのですが……どうしたのですか? 黙っていないで、早く宣言してほしいのですが。私とフェイトの交際を認める……と」
「……で」

 しばらくの沈黙の後、エドワードさんは、ぷるぷると全身を震わせつつ、小さな声でつぶやいた。

 なんだろう?
 不思議に思っていると、ゆらりとエドワードさんが立ち上がる。

 うつむいているので表情はわからない。
 ただ、ただならぬ気を発していて、威圧感がすごい。
 いくらかの門下生は、ひっ、と小さな悲鳴をあげていた。

「……できるものか」
「え?」
「そのようなふざけたこと、できるものかぁああああああああああっ!!!!!」

 落雷のような、エドワードさんのすさまじい叫び声が道場に響き渡る。

 さらに何人かの門下生が悲鳴をあげて……
 そのうちのいくらかは、エドワードさんの怒気にあてられてしまい、気絶してしまう。

「ぴゃうっ!?」

 アイシャも例外ではなくて、怯えていた。
 ただ、不幸中の幸いというべきか……
 ハードな人生を送ってきたため、多少は耐性があるらしく、涙目になる程度で済んだ。

「この儂が、そこの小僧を認める? そのようなこと、ありえぬ! 絶対にありえぬぅっ!!!」
「ですが旦那さま? スティアートくんは、見事に試験をクリアーしましたが?」
「まだ、一つ目の試験をクリアーしただけだ!」
「……一つ目?」
「そうだ、試験が一つなどと言った覚えはない! 次は、門下生、全員を一度に相手してもらおうか! 門下生達は、全員、真剣だ! 小僧は素手だ!」
「えぇ……」

 無茶苦茶を言われてしまい、思わず顔をしかめてしまう。

 そんな僕の反応が気に入らなかったらしく、エドワードさんはさらに怒りを加速させる。

「できぬのか!? ならば、貴様の力、器はその程度ということ。そのような輩に、ソフィアを任せられるものか!」
「いや、そう言われても、さすがに今のは無茶苦茶だと思うんですけど……」
「黙れいっ! 儂に歯向かうか!? 言っておくが、今のテストで終わりではないぞ? 仮にクリアーしたとしても、次は、知識や礼儀作法、ありとあらゆる科目をクリアーして……そして、最後に儂を打倒してみせよ! まずは、そこまでしてからだ!」
「えっと……」

 あまりにも無茶苦茶だ。
 こんな無茶な要求を重ねられてしまうと、認めるつもりはないのでは? と疑ってしまう。

 いや……

 実際、エドワードさんは僕を認めるつもりがないのかもしれない。
 あれこれと文句をつけて、僕が諦めることを期待しているのだろう。

 そう決めつけるのは良くないことなのだけど……
 でも、それ以外に考えられない。

 エミリアさんは、あまりの無茶っぷりに呆れているらしく、やれやれという顔でため息をこぼしていた。

「あのおっちゃん、すごいわねー。あんなわがままで、子離れできない人間、初めて見たわー」
「うん?」

 子離れできない?
 それは、どういうことなのだろう?

 リコリスに尋ねようとするのだけど……

「……お父さま?」

 ゆらりと、ただならぬオーラを発して、ソフィアが立ち上がる。
 その瞳はキランと輝いていて……
 そして、剣を抜く。

 真剣だ。
 そして、聖剣エクスカリバーだ。

「お父さまのことなので、駄々をこねることは予想していましたが……」

 あ、そこは予想していたんだ。
 妙な信頼をしているんだな。

「だからといって、周囲に当たり散らすなんて、大人のすることですか……?」
「ふんっ、この程度で怯え、泣くなど、なんて情けない。我が門下生にそのような軟弱者がいるとはな。また、一から鍛え直さなくては」

 エドワードさんは、まったく反省していないみたいだけど……
 違う、違いますよ。
 ソフィアは、門下生のことを気にかけているのではなくて……

「へぇ……そうですか。アイシャを、このような小さな女の子を泣かせておいて、そのような世迷い言を口にするのですか……」

 そうなのだ。
 ソフィアが怒っているのは、アイシャが泣いてしまったからなのだ。

 子を泣かされて怒らない母はいない。

 うん。
 こんな時だけど、ソフィアが、ちゃんと「お母さん」をやれていてうれしい。

「う……ぬ」

 今になって、アイシャが泣いていることに気がついたらしい。
 さすがのエドワードさんも、気まずい様子で口を閉じる。

 しかし……すでに手遅れ。

 ソフィアの怒りは頂点に達していた。
 僕の時よりもひどいかもしれない。

 まあ……うん、仕方ない。
 子を守る時こそ、母は本気になるものだ。

「お父さまは、少し、反省をしていただかないといけませんね……そう、物理的に反省をしていただかないと」
「そ、ソフィア……?」

 エドワードさんは、一歩、後ずさる。
 その分、ソフィアは、一歩、前に出る。

「お父さま」

 ソフィアは、にっこりと笑い……

「ちょっと殴らせてください」
「ぬぉ!?」

 ……再び、親子喧嘩が勃発するのだった。
 親子喧嘩が再発してしまったため、テストはうやむやに。

「ごめんなさいね。話をまとめてきますから、スティアートくんは、こちらで待っていてくださいね」

 そんな話をエミリアさんにされて、俺とリコリスとアイシャは客間に戻った。

 ソファーに座り、のんびりとクッキーを食べて、メイドさんが淹れてくれた紅茶をいただくのだけど……

 ドゴンッ!
 ガガガガガッ!!!
 ドガシャアアアアアーーーーッ!

 ちょくちょく、轟音が響いてくる。
 その度に、地震が起きたかのように床が揺れていた。

 剣聖と道場師範の喧嘩なので、すさまじい。
 でも、二度目ということもあり、もう慣れてしまった。
 アイシャも怯えることはなくて、笑顔でクッキーを食べている。

「アイシャ、クッキーの欠片がこぼれているよ」
「えっと……?」
「じっとしてて……うん、これでよし。綺麗になった」
「ありがと、おとーさん」
「どういたしまして」
「あんたら、こんな時なのに、ホント平常運転ねぇ……」

 そう言うリコリスも、両手でクッキーを持って、ハムスターのようにカリカリと食べているから、人のことは言えないと思う。

「ところでリコリス、さっきのはどういう意味なの?」
「さっき?」
「ほら、エドワードさんのことを、子離れできない、って言っていたじゃない」
「ああ、そのこと。それがどうかしたの?」
「どういう意味なのかな、って」
「どうもこうも、そのままの意味よ。あのおっちゃん、ぜんぜん、子離れができていないじゃない」
「そう……なのかな?」

 エドワードさんのことを思い返す。
 領主……そして、道場主にふさわしい威厳を備えていた。

 そんなエドワードさんが子離れできていないと言われても、なかなか納得することができない。

「あのおっちゃんがフェイトを認めなくて、あれこれと難癖をつけているのは、ソフィアを取られたくないからよ。だから、子離れできない、って言ったの」
「そういう意味で、僕に文句をつけていたのかな……? 僕は、そんな風には見えなかったんだけど」
「甘い、甘いわね。このスーパーリコリスちゃんアイをもってすれば、人間の考えていることなんてお見通しよ!」

 スーパーリコリスちゃんアイって、なんだろう?

「っていうか、あのおっちゃんは、すっごいわかりやすいと思うわ。怒ってごまかしてるけど、娘がかわいくてかわいくて仕方ない、っていう感じよ」
「そう、なのかな……?」
「そうよ。このリコリスちゃんが言うんだから、間違いないわ。っていうか、それくらいも見抜けないから、フェイトは昔、騙されたりしたんでしょ」
「うぐ」

 そこを突かれると弱い。

「しかし……そうなんだ。うん、それならよかった」
「あんた、認められないっていうのに、なんで笑っているのよ?」
「もしかしたら、親子仲が悪いのかな? って不安に思っていたんだ。でも、少なくともエドワードさんはソフィアのことを大事に思っているわけで……そういうことなら良かったなあ、って思ったんだ」
「お人好しねえ……ま、それがフェイトらしいか」

 カリカリと、リコリスはクッキーを食べる。
 それから、妖精サイズのカップで紅茶を飲み、話を続ける。

「そんな心配をしてるなら、安心していいわよ。なんだかんだで、あの親子、仲が良いと思うわ」
「なら、よかった」
「で、フェイトはどうするわけ?」
「どうする、っていうのは?」
「あのおっちゃん、ソフィアを手放したくないから、絶対にフェイトのことを認めないと思うわよ? あれこれと文句をつけて、交際を認めるなんてこと、ないと思うわ」
「それは困るなあ……」

 あれ?
 ふと、疑問に思う。

「でも、手紙だと、ソフィアの婚約者を決めた、ってあったけど……」

 それが本当なら、自分からソフィアのことを手放していないだろうか?

 そんな疑問を口にしてみると、リコリスはチッチッチと指を横に振る。

「甘い、甘いわね! パンケーキに練乳とはちみつと砂糖をかけたくらい甘い考えだわ!」
「おいしそう……」

 なぜか、アイシャが反応していた。
 ちょっとよだれが垂れている。
 うん。今度、パンケーキを作ってあげよう。

「おっちゃんが決めたのは、あくまでも婚約者でしょう? 娘を嫁に出すとは言っていない」
「つまり……?」
「あれは、ソフィアを呼び戻すための餌ね。ああいうことを書けば、絶対にソフィアが戻ってくるって思っていたんでしょうね。で、戻ってきた後で、やっぱり婚約はなし、ってことにすればいいのよ。自分でセッティングしたんだから、それくらいできるでしょ」
「なるほど」

 リコリスの言うことが正しいなら……
 僕がエドワードさんに認められる可能性は、限りなく低いだろう。
 ゼロと言ってもいいかもしれない。

「どうするの? おっちゃんがあんな感じなら、あたしは、ここにいるだけ無駄だと思うけど」
「かもしれないね」
「その顔……諦めるつもりはないみたいね」
「うん、そうだね」

 認められる可能性はゼロに近い。
 それでも、僕は退きたくない。

「ここで、ソフィアを連れてどこかへ行く、っていう選択もあると思うよ。でも、そうなると、エドワードさんとの間に決定的な溝ができちゃうと思うんだ。それは、寂しいよ。親子なんだから、やっぱり仲良くしないと」
「そのために、がんばる、っていうの?」
「そうだね。がんばろうと思う」

 どうにかして、エドワードさんに認めてもらい……
 そして、ソフィアはエドワードさんと仲直りをする。
 また、仲の良い親子に戻る。

 それがベストだ。

「あれもこれも欲しいなんて言っていると、全部、取りこぼしちゃうわよ?」
「そうならないように、がんばるよ」
「成功する根拠は?」
「ないけど、がんばるよ」
「はぁ……」

 やれやれと、リコリスはため息をこぼした。

 でも、すぐに、ニヤリと笑う。

「ふふーん、面白いじゃない」
「なにが?」
「そこらの人間だと、困難にぶつかった時、大抵、妥協しちゃうわ。こうするしかない、全部を拾うのは無理だから諦めないと……っていう感じでね」
「それは、仕方ない流れだと思うけどね」
「でも、フェイトは違うじゃない。あくまでも、強欲に全部掴み取ろうとしている……うん、面白いわ! そんな人間、見たことない。よし! このスーパー天災ミラクル美少女探偵リコリスちゃんの頭脳を貸してあげる。一緒にがんばりましょう」
「ありがとう、リコリス」

 でも、今、天才のところが別の不吉な文字になっていたような気が……?

「ちょうど時間もあることだから、対策を考えましょう」
「うん、三人で色々とアイディアを出してみようか」
「ふえ……わたしも?」
「お願いできないかな? アイシャだからこそ、思い浮かぶアイディアがあると思うんだ」
「うん。おとーさんとおかーさんのために、わたし、がんばる!」

 娘がかわいすぎて、どうにかなってしまいそうだ。

 でも……そうか。
 エドワードさんは、こんな気持ちなのかな?
 もしも、アイシャが嫁に行くとしたら、僕はなにがなんでも反対してしまうかもしれない。

 ちょっとだけ、エドワードさんの気持ちがわかるのだった。
 リーフランドの郊外にある、小さな一軒家。
 その中に、二人の人影があった。

 一人は、年老いた男性だ。
 白髪は肩の辺りまで伸びていて、綺麗に揃えられていた。
 髭も長く伸びていたが、丁寧に手入れされているからか、落ち着いた雰囲気を与える結果となっている。

 八十近いと思われる外見なのだけど、しかし、肉体の衰えは感じられない。
 背はまっすぐと伸びていて、筋肉こそないものの、その体は鋼鉄のような力強い印象を受ける。
 今こそが全盛期なのだと、そう肉体が主張していた。

 もう一人は、十五歳くらいの少女だ。
 十五ならば成人はしているのだけど、幼さが残る顔立ちのせいか、大人には見えない。
 大人と主張したら、うそだ、と多数の人に言われてしまうだろう。

 外見に引っ張られるかのように、体つきも幼い。
 でなければいけないところは引っ込んでいて、背は低く、体も小さい。
 愛らしさはあるものの、女性としての魅力には欠けているだろう。

 ただ、その顔は宝石のように綺麗に整っていた。
 優しく、甘く、綺麗な顔。
 まぎれもない美少女だ。

「ドクトルが敗れたようだ」

 老いた男が、静かにそう言った。
 それを聞いて、少女が目を大きくする。

「えっ、本当に? 今日、なんで呼ばれたかわからなかったんだけど……もしかして、そのこと?」
「うむ。レナには教えておいた方がいいと思い、こうして呼び出したわけだ。忙しいところ、すまないな」

 レナと呼ばれた少女は、気にしないでと手を横に振る。

「ううん、いいよ。それに、忙しいっていうなら、リケンの方が忙しいよね? ボクなんかより、色々なことをしているからね」
「まあ、色々と言えば色々ではあるが……誰かがやらねばならぬこと。ならば、大した力を持たない儂がやるべきであって、レナが気にすることではない」
「そういうものかな?」
「そういうものだ」
「って、話が逸れちゃったね。ドクトルが負けたっていうのは、本当のことなの? 確か、ドクトルにはティルフィングを与えたと思うんだけど……なにも能力を持たない低ランクの魔剣とはいえ、そこらの人が勝てるわけないのに」
「相手がまずかった」
「相手? もしかして、剣王とか魔法王が出てきたとか?」
「剣聖らしい」
「わぉ」

 リケンと呼ばれている老人の言葉に、レナはやや大げさに驚いてみせた。

「ちなみに、誰かわかる?」
「最年少で剣聖の座に辿り着いた天才……ソフィア・スティアートだ」
「あー……なるほど。会ったことはないけど、色々と常識外れの噂は聞いているよ。山を斬ったとか、一万の魔物の大群を薙ぎ払ったとか。それらの噂、誇張されているわけじゃなくて、むしろ、控えめに表現されているっぽいんだよね。あー、そっか。あの剣聖が相手なら、ドクトル程度じゃあ、魔剣を手にしても歯が立たないか」

 なるほど、とレナは納得した。

 しかし、すぐに不思議そうに小首を傾げる。

「あれ? でも、ドクトルは素材を手に入れていたんだよね? それなら、ティルフィングの真の力を引き出すこともできたと思うんだけど……もしかして、それでも負けたの?」
「いや。どうやら、力を引き出すことには失敗したらしい。儀式を行うよりも前に襲撃を受けたようだ」
「なるほど。それじゃあ、剣聖の相手なんて務まらないか。ティルフィングは?」
「戦闘で破壊されたらしい」
「あー……ちょっと惜しいことをしたね。下級の魔剣とはいえ、素材さえあれば、中級くらいにはなっていただろうから。ドクトルにあげたのは失敗だったかな?」
「仕方あるまい。あれは、金は持っていた。金がなければ、我々も活動できないからな」
「世知辛いねー」
「それに、ドクトルも剣の腕が悪いというわけではない。今回は、相手が悪すぎた」
「最年少の剣聖、ソフィア・アスカルト……か。どんな子なのかな?」

 そう語るレナは、幼い子供のような顔をしていた。
 おもちゃを与えられたような感じで、とてもわくわくした様子だ。

「どれくらい強いのかな? 想像の上をいったりするのかな? うーん、戦いたい!」

 レナはバトルマニアだった。
 戦いの中でこそ、もっとも輝くことができて、自分の価値を見出すことができる。
 命を賭けた真剣勝負なら、なお良い。

「ねえねえ、リケン。ボクを呼んだのは、ドクトルのことを教えるだけ? それだけ?」
「まったく……勘が鋭いな」
「えへへー。褒め言葉として受け取っておくよ」
「今、この街……リーフランドに剣聖ソフィア・アスカルトがいるらしい」
「え、なんで?」
「さてな。家の問題と聞いているが、詳細は知らぬ」
「っていうことは、ビッグチャンス?」

 ソフィアと戦えるかもしれないと、レナはニヤリと笑う。

「この街で進めている計画は知っているな?」
「アレを使って、魔剣の増産。それと、改良でしょ?」
「うむ。剣聖が街に来たのは偶然と思いたいが……もしかしたら、という可能性もある。計画をかぎつけられては厄介だし、敵対されても厄介だ」
「そうなる前に潰せ、っていうこと?」
「焦るな。まずは、様子見だ。敵になると決めつけて下手に動けば、逆に気取られてしまうかもしれぬ。レナは、剣聖の動きを探ってほしい。儂は、できる限り、計画を前倒ししておこう」
「オッケー」

 レナは気軽に頷いてみせた。

 これで話は終わり。
 リケンは外に出ようとして……
 途中で足を止めて、思い出したように言う。

「そうそう、言い忘れていた。気にし過ぎかもしれないが、もう一人、気をつけた方がいいかもしれない者がいる」
「うん? 誰、それ?」
「フェイト・スティアートという少年だ」
 リーフランドは緑の多い街だ。
 公園がいくつもあるだけではなくて、街の至るところに木や花が生えていた。

 個人の家にも、花壇などがたくさん飾られていて……
 街全体が緑に包まれていると言っても過言ではない。

 心地良い自然の匂い。
 虫の鳴き声に、花の香り。
 それらを感じていると、とても心が安らぐ。

 街を散歩して三十分くらい……
 僕は、すぐにこの街が好きになった。

 とはいえ……

「のんびり散歩なんていてていいのかな?」

 ソフィアは、絶賛、エドワードさんと喧嘩中だ。
 夜まで終わらないだろうとエミリヤさんに言われ、散歩を勧められたのだ。

 ソフィアはおしとやかに見えるのだけど、本気で怒ると手がつけられない。
 僕でも、彼女を止めることはできない。

 そのことをよく知っているため、屋敷に残っても仕方ないと、アイシャとリコリスを連れて散歩に出たのだけど……
 でも、気になる。
 ソフィア、無茶をしていないかな?

「こら!」
「いた」

 僕の頭の上に乗るリコリスが、ぱかん、と頭を叩いてきた。

「なにするのさ?」
「子供の前でそんな顔するんじゃないわよ。親なんでしょ? なら、どんな時もどっしりと構えていないと、アイシャが不安になるわ」
「あ……」

 まさにその通りだ。
 僕の不安が伝わってしまったらしく、アイシャは落ち着かない様子で、こちらを何度も何度も見上げていた。

「アイシャ」

 僕は優しく笑い、彼女の頭を撫でる。
 気持ちよかったらしく、尻尾がぴょこぴょことうれしそうに揺れた。

「ごめんね、心配かけちゃった」
「おかーさん……大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。だって、ソフィアは世界で一番強いからね」
「……うん」
「それよりも、お腹は空かない?」

 そう問いかけた時、きゅるるる、というかわいらしい音が響いた。
 アイシャの顔が赤くなり、お腹を押さえる。

「あう……」
「お菓子だけじゃ、ちょっと足りないよね。まだ、お昼も食べていないし……ソフィアには悪いけど、ごはんにしようか?」
「うん!」
「あたし、肉が食べたいわ! 肉! 脂たっぷりのジューシーな肉がいいわ!」
「リコリスは妖精なのに、ものすごくガツガツとしているんだね」

 苦笑しつつ、適当な店を探す。

 ほどなくして、店頭にたくさんの花を飾る飲食店を発見した。
 店の中から、食欲を誘う香ばしい匂いが漂ってくる。

 昼のピークは過ぎているものの、それでも、それなりの人がいる。
 たぶん、この街の人気店なのだろう。

「ここにしようか?」
「うん」
「肉があたしを呼んでいるわ!」

 二人が賛成してくれたので、店の中へ。
 席に移動すると、店員が子供用のイスを持ってきてくれた。
 さらに、妖精用の小さなコップも用意してくれる。

 サービス満点だ。
 こういう店は、きっと料理もおいしいに違いない。
 期待を膨らませつつ、メニューを見る。

「えっと……僕は、レモンソースのステーキのセットと、オムレツにしようかな。二人は決まった?」
「あたしは、ステーキ特盛よ!」
「えっと、えっと……お魚おいしそう。でも、ハンバーグもおいしそう」
「迷っているなら、アイシャがお魚を頼んで、僕もハンバーグを頼もうか? それで、はんぶんこにする?」
「うん!」

 決まりだ。
 オーダーをして、料理ができあがるのを待つ。

「んー」

 アイシャがソワソワしていた。
 料理が楽しみらしい。

「きっと、おいしいと思うよ。匂いだけでお腹が空いてきちゃうくらいだからね」
「おとーさんも、お腹が、ぐーってなっちゃう?」

 ぐう、とリコリスのお腹が鳴る。

「……あたしで悪かったわね!」

 恥ずかしそうにするリコリスを見て、僕とアイシャはくすくすと笑った。

「なあ、いいだろ? この後、一緒に来いよ」

 食事を楽しみにしていた時……
 ふと、ねちっこい声が聞こえてきた。

 振り返ると、大柄な男が、僕と同じかちょっと下くらいの女の子に絡んでいるのが見えた。
 大柄な男は酔っているらしく、頬が赤い。
 馴れ馴れしく女の子の肩に手を回し、酒臭い息を吐きつつ、彼女を誘う。

「絶対に後悔はさせないぜ? 最高に気持ちよくしてやるよ。女に生まれた悦び、ってのを俺が教えてやるよ」
「お客さま、当店でそのような行為は……」
「うるせえ! 俺の邪魔をする気か、あぁん? 俺は、Aランク冒険者のギルさまだぞ!? 痛い目に遭いたくなければ、引っ込んでろ!」

 大柄な男……ギルの言葉にウソはないのだろう。
 Aランク冒険者と呼べるだけの威圧感を放っていた。

 ただの店員では、どうすることもできない。
 店員は、一度、店の奥に引き下がる。
 このままにしておくことは考えられないから、騎士団に訴えに行ったのだろう。

 でも、騎士が駆けつけてくるまでに時間がある。
 その間に、女の子は……

「……あーもう、この店の料理おいしいって評判だから、楽しみにしていたのに」

 ポツリと、女の子がつぶやいた。
 瞬間、ゾクリと背中が震えた。

 なんだ?
 今、なにが起きた?

 女の子から、すさまじい殺気が放たれたような気がしたのだけど……
 でも、今はなんともない。
 気のせいだろうか……?

 って、呑気に見ている場合じゃないか。

「そこまでに……」
「そこまでよ、このろくでなし!」

 僕が割り込むよりも先に、リコリスがビシリと言い放った。
「ここは飲食店でしょ! ナンパがしたいなら、そういう店に行ってくれる? あ、でも、あんたみたいな顔じゃあ、無理か。お金でしか相手してくれないものね。かわいそう……あ、ダメ、泣けてきちゃう。でも、同情はしてあげないわ! 顔がダメだとしても、それはそれでいいの。私、内面を重視するタイプだから。でも、あんたはダメダメのダメ。心がとんでもないブサイクよ! だから、とっとと家に帰りなさい!」

 リコリスの怒涛の攻撃。

 というか……
 そこまで言うの? と、僕もちょっと引いてしまう。
 あと、アイシャの教育に悪いから、少し控えてほしい。

「……」

 大柄な男はポカンとして、

「なんだとてめえ!?」

 やや遅れて、ものすごい勢いで罵倒されたことを理解したらしく、激怒した。

 リコリスは、ササッと僕の後ろに隠れる。

「さあ、やっちゃいなさい、フェイト! 正義の裁きを与えるのよ!」
「なんかもう、色々と台無しだよ……」

 煽るだけ煽っておいて、最後は僕に頼るなんて。
 プライドはないのだろうか?

 まあ、リコリスなら……

「プライド? そんなもので飯が食えるのなら苦労はしないわ!」

 なんて、言いそうだけど。

「このチビをかばう気か? なら、まずはてめえからだ!」
「うわわわ」

 いきなり殴りかかってきた。
 なんて気が短い。

 アイシャがいるため、避けることはできない。
 男の拳を手の平で受け止める。

「な、なに!? 俺の拳を受け止めただと?」
「あのー……今のはリコリスも悪いと思うから、お互いさま、っていうことで手打ちにしませんか? ほら、こんなところで騒ぐわけにも……」
「うるせえ! バカにされたまま、黙っていられるかよ!」
「……仕方のない人だな」

 お酒を飲むなとは言わないけど、飲まれないでほしい。

「がっ!?」

 足を払い、倒れたところに拳を叩き込む。
 一応、手加減はしておいた。

 男は苦しそうな声をこぼして……
 そのまま気絶する。

 すると店内から、よくやった、いいぞ、なんていう歓声が湧き上がる。
 どうやら、みんな、この男の行いに辟易としていたらしい。

 店の人にも感謝されてしまい、僕達に対してはお咎めなし。
 一方、男は、店員が通報してやってきた騎士によって連行されていった。

「ふう……これで、ゆっくりとごはんを食べられるかな」
「お腹、減った……」

 のんびりと、アイシャがそんなことを言う。
 この子、意外と大物になるのかもしれない。

「ねえねえ」

 ふと、男に絡まれていた女の子に声をかけられた。
 女の子は興味津々という様子で、キラキラとした顔をしている。

「助けてくれて、ありがとう」
「ううん、大したことはしていないよ。それに……」
「それに?」
「キミなら、僕の助けなんていらなかったんじゃないかな、なんて」
「へえ」

 女の子は感心したような顔に。
 そんな反応をするということは、やっぱり、助けは不要だったのだろう。

「ボクが強いってこと、知っていたの?」
「いや、なにも。キミのことは初めて見るし……ただ、一瞬だけど、ものすごい圧を放つから、強いのかな、って」
「ふーん……お兄さん、鋭いんだね。ねね、ボクも一緒していいかな?」
「えっと……」

 リコリスとアイシャを見ると、問題ないというように頷いた。

 アイシャは、少し人見知りをしてしまっているのだけど……
 でも、いつまでもそのままというわけにはいかない。
 ついでという感じで悪いのだけど、この子で練習をしてもらおう。

「うん、いいよ。一緒に食べようか」
「ありがと♪ あ、店員さん。ボク、こっちの席に移るから、注文したヤツもこっちにお願いね」

 女の子は、こちらのテーブルに移動して、

「あ、自己紹介を忘れていたね。ボクは、レナ。レナ・サマーフィールド。よろしくね」
「僕は、フェイト・スティアート。こっちはリコリス、そして、アイシャだよ」
「ふふん、よろしくしてあげるわ!」
「よろ、しく……お願いします」
「うんうん。みんな、よろしくねー!」

 レナは、とても人懐っこい性格をしているみたいだ。
 会ったばかりなのに、長年の友達のような感じで接している。

 でも、不快な感じはしない。
 むしろ、その距離感が心地いいとさえ感じてしまう。
 これは彼女の才能なのかもしれないな。

「フェイトって、すごく強いんだね」
「そんなことないよ」
「えー、謙遜は良くないと思うな。だって、あんな大男を、一発で倒しちゃったじゃん」
「うーん……そこそこ鍛えているとは思うけど」

 今でも、毎日、ソフィアに訓練をつけてもらっている。
 だから、それなりの自信はついてきた。

 でも、まだまだだ。
 ドクトルのような強敵もいるし、世界には、僕の知らないとんでもない相手がゴロゴロしているに違いない。

「強い、って言えるような自信は、まだないかな」
「そうなの?」
「僕よりも強い相手なんて、それこそ星の数ほどいるだろうし……」

 なにより、一番身近にいる存在……ソフィアが、とんでもなく強いからね。

「ただ、いつか、胸を張って僕は強いんだぞ、って言えるようになりたいから、そのための努力は欠かさないよ」
「おー……なんか、かっこいいね」
「そ、そうかな?」
「うん、すごくかっこいいと思うよ。そんな風に言える男って、なかなかいないと思う。ほら、さっきのヤツみたいに、男って妙にプライドが高かったりするじゃない?」

 同じ男として、耳が痛い。

「でも、フェイトはそんなことないからね。自分がまだまだ、っていうことをきちんと認めた上で、さらに高みを目指している。そういうところは、すごくかっこいいと思うよ」
「あ、ありがとう」

 ここまで褒められるなんて、ソフィア以外で初めてだ。
 ついつい、顔を熱くして照れてしまう。

「うーん」

 レナは、じっと僕の顔を見つめる。

「……うん、決めた!」
「どうしたの?」
「フェイト、ボクの彼氏にならない?」
「……今、なんて?」

 僕の聞き間違いじゃなければ、レナは……

「ボクと付き合ってよ」

 聞き間違いじゃなかった。

「えっと、いや、えっと……えぇ!?」
「あはは、驚きすぎだよー」
「そ、そう言われても……」

 女の子から告白されるなんて、十数年ぶり。
 というか、ソフィア以来だ。
 驚いて、慌ててしまうのも仕方ない。

「うわ……フェイトってば、ソフィアがいるのに、他の子にモーションかけていたわけ? サイテー」
「おとーさん、サイテー?」
「そうよ。あんたのパパは、やっちゃいけないことをしたの」
「待って待って待って!」

 お願いだから、誤解をしないでほしい。
 あと、アイシャにとんでもないことを吹き込まないでほしい。

「僕はなにもしていないよ! そもそも、レナとは会ったばかりなんだから」
「本当に? 実は以前に、っていう展開はない?」
「ないよ!」
「即答ね……ま、信じてあげますか」
「ほ……」

 リコリスが信じてくれて、安堵の吐息がこぼれた。

 彼女のことだから、おもしろおかしく囃し立てるかと思ったのだけど……
 アイシャのことを考えてくれているらしく、それはしないみたいだ。
 助かる。

「というか……君は」
「レナ、って呼んで♪」
「……サマーフィールドさんは」
「レナ♪」
「……レナさんは」
「呼び捨てで♪ でないと、あることないこと言いふらすぞ」

 この子は、悪魔だろうか?

「レナは、本気なの?」
「もちろん、本気だよ。ボク、フェイトのことを気に入っちゃった」
「だからって、いきなり告白なんて……普通は、もっとこう、色々と段階を踏んでいくものじゃないかな?」
「フェイトってば、価値観が古いなー。でも、そういうところもいいね」

 にっこりとレナが笑う。
 無邪気な笑顔で、ウソを吐くような子には見えない。
 だから、告白も本当なのだろう。

 でも、なんで僕?
 物語に出てくるような英雄ではないし、二枚目でもない。
 どこにでもいるような、普通の男なんだけど……

「一目惚れ、に近い感じかな? フェイトと一緒にいたら、すごく楽しそうだからね! だから、ボクと付き合おう?」
「そんなことを言われても……」
「ボク、こう見えて、けっこう尽くすタイプだよ? フェイトのためなら、毎日、おいしいごはんを作るし、お掃除もするし、ペットを飼うなら世話もするよ。あと……夜も、いっぱいご奉仕してあ・げ・る」

 レナは、艷やかな顔をして妖しく微笑む。
 悪魔じゃなくて、サキュバスかな?

 普通の男なら、レナの魅力に一瞬で虜になっていたのかもしれない。
 ただ、あいにくだけど、僕にはソフィアがいる。
 レナも魅力的だけど……
 でも、それ以上に、ソフィアの方が魅力的だ。

「悪いけど、僕にはもう……」
「……フェイト、なにをしているのですか?」
「っ!?」

 ゾクリと背中が震えた。
 極寒地帯に放り込まれたかのように、とんでもない寒気がする。

 恐る恐る振り返ると……にっこりと、すごく良い笑顔を浮かべるソフィアの姿が。

「そ、ソフィア!? どうして、ここに……」
「お父さまへのお仕置きが終わったので、私も合流しようと。そうしたら……あらあらあら。そこの泥棒猫は誰なのでしょうか? 私にも紹介していただけませんか?」

 ものすごいプレッシャーだ。
 怒気と殺気が撒き散らされている。

 アイシャとリコリスにはぶつけないという、器用な真似をしているものの……
 他の客や店員はまともに浴びてしまい、ガクガクと震えている。

 レナも、当然、そのオーラを浴びているのだけど……
 しかし、彼女は平然としていた。

「ねえねえ、フェイト。この女、誰?」
「え?」
「それは私の台詞ですよ、フェイト。この女は、誰ですか?」
「え?」

 なんで、二人共、僕に聞くの?
 相手に尋ねるということはしないの?

「ボク、フェイトと楽しくおしゃべりしているんだけど、邪魔しないでくれる?」
「あなたこそ、私とフェイトの間に割り込もうとしないでくれませんか?」
「なにさ。キミ、誰? フェイトのなんなの?」
「私は、ソフィア・アスカルトです。フェイトの幼馴染であり、将来を誓い合った仲ですよ」

 そう言うソフィアは、ちょっと得意げだ。
 あなたなんか敵じゃない。
 そんな声が聞こえてきそう。

 でも、レナはまったくへこたれない。
 むしろ、不敵な笑みを浮かべる。

「っていうことは、まだ結婚はしていないんだ? なら、ボクにも十分チャンスはあるよね」
「なっ……」
「ボク、ここまで興味を持った男の人って、フェイトが初めてなんだよね。だから、絶対に逃さない。ボクのものにするよ。フェイトも、ボクのこと、全部好きにしていいからね?」
「え? いや、それは……」
「フェイト! なにをデレデレしているのですか!?」
「してないよ!?」
「そ、そんなにえっちなことがしたいのなら、その……わ、私がいるではありませんか! 私なら、なんでもしてあげますし、どのような性癖も受け止めてみせますし、どこまでも尽くしてみせます!」
「こんなところでなにを言っているの!?」
「リコリス、せーへき、ってなに?」
「アイシャにはまだ早いわ」

 ほら、アイシャが興味を持っちゃったじゃないか。

「まあ……あまり目立ちたくないし、今は退いてあげようかな」

 いつの間にか、レナは自分の料理を食べ終えていた。
 テーブルの上に代金を置いて、席を立つ。

「じゃあ、またね。フェイト、今度会ったら、デートしようね。約束だよ?」
「すぐに消えなさい!」
「怖い怖い。じゃあねー!」

 レナは手を振り、元気よく立ち去った。

 嵐のような女の子だったな……
 僕のことが気になると言うのだけど、あれは、本当なのだろうか?

「フェイト」

 氷点下のように冷たいソフィアの声。

「詳しく、詳しく、詳しくぅううう話を聞かせてもらいますよ?」
「ハイ」

 詳細は省くのだけど……
 とにかく、ソフィアが恐ろしかった。
 リーフランドの領主は、上から任命されるのではなくて、選挙によって選ばれる。

 珍しい形式ではあるのだけど……
 以前、国が任命した領主が、権力を盾に悪逆の限りを尽くして、治安は悪化。
 あわや、反乱一歩手前という事態になった……という汚点がある。

 その反省を活かして、領主は民衆の投票で選ばれることになった。

 たとえ、それで愚かな領主が誕生したとしても、投票したのはあなた達だよね? と、上層部は言い訳ができるわけだ。
 それに、市民達もバカではない。
 自分達の生活に関わってくるのだから、領主は慎重に選ぶ。

 事実、前回の選挙で当選したエドワード・アスカルトは、善政を敷いていた。
 きっちりと法を守り、当たり前のことをする。
 たったそれだけのことではあるが、人として、なによりも大事な部分だ。

 そういった部分が評価されて……
 エドワードは、次の選挙で再当選するだろうと言われていた。
 それだけの信頼を市民から得ていた。

 そんな彼を疎ましく思うのは、政敵のアイス・ニードルだ。

 彼は、前回の選挙でエドワードに大差で敗れた。
 その時の屈辱を思い返す度に、激しい怒りがこみ上げてきて、夜も眠れなくなってしまう。

 次の選挙は、半年後。
 雪辱戦に備えて、着々と準備を進めているものの……
 手応えは薄い。
 市民達の心はエドワードにガッチリと掴まれていて、誰もアイスのことを見ない。

「くそっ」

 自宅の執務室で、アイスは酒を飲み、悪態をこぼしていた。

 エドワード、エドワード、エドワード……
 街のどこへ行っても、彼の話を聞く。

 彼ならば、さらにこの街を発展させてくれるはずだ。
 次の選挙も、必ずエドワードに投票しよう。

 アイス?
 誰、それ?

 街の声を耳にして、アイスはひたすらに腹立たしくなる。
 前回の雪辱戦として、立候補を誰よりも早く表明したものの……
 誰もアイスに期待していない。

「この俺こそが、この街の領主にふさわしいというのに……くそっ、なぜだ! なぜ、誰も俺のことを見ない!?」

 街を治めるための学問を専攻して、首席になったことがある。
 知識を詰め込むだけではなくて、実際に仕事に携わり、実務経験を十年、積んできた。
 斬新なアイディアを打ち出して、学者達を驚かせたこともある。

 それなのに、どうして自分が選ばれない?
 なぜ、誰も自分を見ようとしない?

 この街は、より優れた者が統治するべきなのだ。
 堅実だけが取り柄のエドワードになんて任せておけない。
 自分こそが、真にふさわしい統治者になることができる。

 ……とまあ、アイスはそんなことを真面目に考えていた。
 その独善的な思考のせいで、市民の心は離れているのだけど、そのことに彼が気がつくことはない。
 基本、このような独裁者のようなタイプは、己を省みるということをしないものだ。

「失礼する」

 扉が開いて、初老の男……リケンが現れた。
 彼は、馴染みの店に足を運ぶような感覚でソファーに座り、勝手に紅茶を淹れる。

「なにやら、話があると聞いたが?」
「……貴様らの力を借りたい」

 アイスがリケンと知り合ったのは、少し前のことだ。

 どこからともなくリケンが現れて、自分の腕を買わないか? と、取引を持ちかけてきたのだ。
 当然、信じるわけがない。
 うさんくさい冒険者崩れだろうと判断して、追い返そうとしたのだけど……
 彼は、一瞬で警備兵を叩きのめしてみせた。
 なにをしたか、まったく見えなかった。

 普通なら、とんでもない問題行動なのだけど……
 性格に問題を抱えているのはアイスも同じ。
 リケンの腕を買い、懐に招き入れることにした。

「ふむ、儂らの力を借りたい……と?」
「今まで、まともな仕事は与えていなかったからな。ここらで、きちんと役に立ってもらうことにしよう」
「構わないが、なにをすればいい?」
「エドワード・アスカルトを知っているな? ヤツを……殺せ」

 非常に短絡的な手段だ。
 しかし、焦りと苛立ちで平常心を奪われているアイスは、その方法がまずいものであることを理解していなかった。

 エドワードを消したい。
 ただ、その一心で動いていた。

「相手は、リーフランドの領主……か。そして、神王竜剣術の師範でもある」
「できないのか?」
「できる」

 リケンは即答した。
 虚勢ではなくて、確かな自信を感じ取ることができた。

「が、やめておいた方がいいな」
「なんだと?」
「非常に短絡的な考えだ。儂は捕まらない自信はあるが、お主はどうだろうか? 下手をしたら、全てを失うぞ?」
「ぐっ……」

 リケンのもっともな指摘に、アイスは少しだけ冷静さを取り戻して、うめいた。

「ただ……お主が領主を疎ましく思っているのなら、儂に力になれることがある。どうだ、聞くか?」
「聞こう」
 リーフランドの住宅街にある広場。
 緑が多く景色も良い場所で、普段は住民達の憩の場となっている。

 お茶やお菓子を持ち寄り、おしゃべりをしたり。
 子供たちがボールを手に遊んだり。

 いつも和やかな光景が広がる場所なのだけど……
 今朝、その光景は一変した。

 慌ただしい様子を見せる騎士達。
 遠巻きに広場を見る住民達は、一様に不安の表情を浮かべている。

 そして……
 広場の中心には、事切れた遺体があった。



――――――――――



「殺人事件?」

 エドワードが執事よりその報告を受けたのは、事件発生から数時間が経過した、午後のことだった。

 ソフィアに家に戻るように言い、しかし断られて……
 昨日と同じく、壮絶な親子喧嘩を繰り返しそうになりつつも、仕事をしなければいけないためなんとか我慢して……

 簡単な昼食を済ませて、いくらかの書類に目を通している最中に、その報告がもたらされた。

「今朝、住宅街の広場で、明らかな他殺と思われる死体が発見されました。散歩をしていた住民が発見、騎士団に通報。現在は、現場検証が行われています」
「明らかな、ということは、切り傷でもあったのか?」
「はい。詳細は、後ほど騎士団から改めて報告が上がってくると思いますが……目撃者の話によると、事故などでは起きないような、酷い切り傷ができていた、と」
「それは、どういうものなのだ?」
「剣で斬りつけたようなものでありながら、ノコギリを使ったかのように、傷口はズタズタになっていた、と聞いております」
「それは、獣や魔物の類とは違うのか?」
「一応、傷は剣の形となっていたので、人為的な犯行で間違いはないかと」
「ふむ」

 ソフィアを相手にすると、威厳をどこかに捨ててしまうエドワードではあるが、領主としては有能だ。
 キリッとした顔で、事件について考える。

 が、いかんせん情報が少ない。
 現段階では、なんとも言えない。

「騎士団には、念入りに捜査するように伝えろ。それと、街の警備の警戒度を、一段回引き上げるように」
「また事件が起きると考えているのですか?」
「なんとも言えないが、その可能性も考えて行動しておいた方がいいだろう。無論、そうならないことを祈るが」

 エドワードは憂い顔で、窓の外を見上げた。
 空は曇り、今にも雨が降り出しそうだった。



――――――――――



「むう」

 宿の一室。
 紅茶を飲みつつ、しかし心は晴れないらしく、ソフィアは膨れ顔だ。

 エドワードさんに挨拶をしてから、数日。
 未だ僕達の仲は認められていない。

 当然、諦めるつもりはないし、何度でも話をするつもりだ。
 ただ、今は忙しいらしく、面会の機会をもらえないでいた。

 状況が進展しないことに苛立っている様子で、ソフィアの機嫌は悪い。

「おかーさん、元気ない……?」

 そう勘違いしたアイシャが、心配そうにソフィアを見る。

 こんな小さな子に心配をかけてしまった。
 ソフィアは慌てて笑顔を浮かべて、アイシャを抱き寄せて、抱っこする。

「大丈夫ですよ。心配してくれて、ありがとうございます。ふふ、アイシャは優しい子ですね」
「あうー」

 頬をスリスリされて、アイシャはくすぐったそうな顔に。
 でも、とても喜んでいるみたいで、犬尻尾がフリフリと揺れていた。

 いいな。
 僕も、アイシャとスキンシップをしたい。

 でも、アイシャは女の子だから、嫌がるかもしれない。

「おとーさん」

 あれこれ考えていると、今度は、アイシャが僕のところに。
 そして、膝の上に乗り、なにかおねだりするようにこちらを見た。

「……よしよし」
「えへへ」

 正解だったみたいだ。
 頭を撫でると、アイシャは尻尾をブンブンと横に振る。

 そんな僕達を、ソフィアが優しい顔をして見て……
 うん、よかった。
 どうやら、機嫌は直ったみたいだ。

「あんたら、呑気ねー」
「でも、エドワードさんは忙しいみたいだから、今はなにもできないし」
「本当に忙しいのか、疑わしいですけどね。私達の話を聞きたくないために、忙しいとウソを吐いている可能性がありますよ」
「うーん、それはないと思うんだけど」

 ちょっと詩情が混じるところがあるみたいだけど……
 基本、エドワードさんはピシリとした立派な人に見えた。
 仕事を言い訳にするようには思えない。

「ま、それなら他の方法を探しておいた方がいいんじゃない?」
「他の方法?」
「認めてもらうのは、話をするだけじゃないでしょ? なんか、こう……大きな手柄を立てるとか。そうしたら、あのおっちゃんも、少しはフェイトのことを認めるんじゃない」
「おー、なるほど」
「リコリスの口から、そんな知的な案が出るなんて、驚きですね」
「ソフィアは、あたしにケンカを売っているの……?」

 リコリスのジト目を無視しつつ、ソフィアが張り切り出す。

「よし! がんばりましょうね、フェイト! まずは街に出て、手柄を立てるための話がないか、情報収集をしましょう」
「うん。ソフィアのため、アイシャとリコリスのため、がんばるよ」
「それでこそ、私の大好きなフェイトです♪」

 ソフィアは頬を染めつつ、にっこりと笑うのだった。
 エドワードさんに認めてもらうため、まずは、大きな手柄を立てることを考えた。
 そのために、リーフランドの冒険者ギルドを訪ねる。

「うわぁ」

 リーフランドの冒険者ギルドは、他のところと違い、たくさんの自然にあふれていた。
 至るところに観葉植物が飾られていて、とてもおしゃれだ。
 冒険者ギルドの看板がなければ、カフェかなにかと勘違いしていたかもしれない。

「ふーん、なかなか良いところじゃない。あたしの別荘にしてあげてもいいわ」
「ここは冒険者ギルドで、家ではありませんよ」
「お花……良い匂いだね」
「はい、そうですね。アイシャに似て、とてもかわいいお花ですね」
「ソフィア、あんた……あたしとアイシャで、扱いの差が激しすぎない……?」

 リコリスが唖然とする中、カウンターへ。

「ようこそ、冒険者ギルドへ。依頼でしょうか? それとも、冒険者の方でしょうか?」
「冒険者だよ。ここで活動をしたいから、その登録をしたいと思って」
「かしこまりました、登録ですね? では、冒険者カードをお願いします」

 新しい街で活動をする時は、そこの冒険者ギルドで登録をしないといけない。
 事前に登録を求めることで、問題行動のある冒険者を排除できる。
 さらに、後々で問題が起きた時、スムーズに解決することができるし……

 そのような感じで、登録が義務づけられているのだ。

 ちなみに、ソフィアのような、限られた人しか与えられていない称号を持つ人は、登録は免除されている。
 有名すぎるから、そのようなことをしなくても問題はないだろう、という判断らしい。

「……はい、登録が完了しました。フェイト・スティアートさんですね? しばらくは、リーフランドで活動を?」
「うん、そのつもりだよ」
「なるほど。スティアートさんの活躍、お祈りしています。そして、パーティーメンバーは……そ、ソフィア・アスカルトさん!?」

 さすが、剣聖。
 ソフィアのことは知っているらしく、受付嬢は目を大きくして驚いていた。

「アスカルトさん、リーフランドに戻ってきていたのですね」
「まあ、色々とありまして」
「……本当に色々とありそうですね」

 受付嬢の目が、チラリとアイシャとリコリスに向いた。
 ただ、深くは突っ込まないでくれて、次の話に移る。

「今日から活動を開始されますか?」
「うん。ちょっと理由があって、できるだけ大きな手柄を立てたいんだけど、なにか良い依頼はないかな?」
「そうですね……それなら、連続殺人事件の調査なんていかがでしょう?」

 既視感を覚える依頼だ。

 以前は、シグルド達が逆恨みで起こした事件だったのだけど……
 リーフランドでも、似たようなことが起きているのかな?

 ひとまず、疑問はそのままにして、話を聞くことに。

「最近、リーフランドで殺人事件が多発しています。検死の結果、魔物などによる被害ではなくて、人の犯行によるものだということがわかりました。目撃情報もいくらかあり、全身黒尽くめの者が、同じく黒い剣を手に、街の裏路地に消えていくところを見た……という人がいます」
「今度は目撃者がいるんだね」
「今度は?」
「あ、ごめん。こっちの話だから、気にしないで」
「続きを聞かせてくれませんか?」
「はい。騎士団は、捜査本部を設置。犯人を、『漆黒の剣鬼』と名付けて、捜査を開始したのですが……なかなか尻尾を掴むことができません。そのうち、犠牲者は三人に。このままでは、被害は拡大するばかり。管轄にこだわっている場合ではないと、冒険者ギルドに依頼が回ってきた……ということになります」
「なるほど」

 以前と状況が似ているのだけど……
 さすがに、シグルド達は関与していないだろう。

「漆黒の剣鬼を捕まえればいいのですか?」
「はい。場合によっては、斬り捨てても構いません」
「それはまた、過激だね……」
「すでに、犠牲者は五人。犯人の人権なんて、尊重していられる状況ではありませんからね」

 犠牲者が五人も出ているのなら、納得だ。

 犯人の命と、これから出るかもしれない犠牲者の命。
 どちらを選ぶのかと言われれば、間違いなく後者を選ぶ。

「ただ、漆黒の剣鬼の正体は未だわからず、神出鬼没。その目的も不明でして……なので、漆黒の剣鬼に関する情報提供も求めています。逮捕、もしくは討伐に繋がる有力な情報があれば、そちらも高価で買い取りますよ」
「そんなに困っているの? もしかして、漆黒の剣鬼は、情報を掴ませないような特殊な能力を持っているとか?」
「いえ、そのような話は、まだ聞いていないのですが……まあ、判明していないだけかもしれませんけどね。ただ、恐ろしく腕が立つみたいです」
「恐ろしく……」
「被害者の中には、Bランクの冒険者もいまして……しかも、ほとんど抵抗できずにやられてしまったらしく」
「それが本当なら、確かに恐ろしい話ですね」

 仮に、ソフィアがBランクの冒険者と戦ったとしよう。
 圧倒的な力の差があるから、勝負はすぐに終わるだろうけど……
 Bランクにもなれば、少しは粘ることができるはずだ。

 それすらもできないなんて、漆黒の剣鬼はよほどの力があるに違いない。

「フェイト、どうしますか?」
「うーん」

 迷う。
 危険度の高い依頼ではあるものの、解決できたのなら、その手柄は大きい。
 もしかしたら、エドワードさんに認めてもらえるかもしれない。

 いや。
 この際、手柄とかどうでもいいや。
 エドワードさんのことも、ひとまず保留。

 五人も犠牲者が出ている。
 一人は、同じ冒険者仲間。
 会ったこともないのだけど……でも、とても悔しかっただろうな、って思う。

 その無念を晴らしてあげたい。

「僕は、請けたいと思う。僕にとって、リーフランドは関係ない街じゃない。ソフィアの故郷だから、そこが荒らされているとなると、なんとかしたいよ」
「フェイト……ふふ、ありがとうございます」

 ソフィアの笑顔があれば、やる気百倍だ。

「というわけで、この依頼、請けるよ」
「はい、わかりました。すでに、いくらかの冒険者がこの依頼を請けており、漆黒の剣鬼が討伐された場合は、早いものがちになりますが……よろしいですか?」
「うん、いいよ」
「では、こちらをどうぞ」

 受付嬢からファイルを渡された。

「こちら、事件の情報をまとめたものになります。全ての情報が載っているわけではありませんが、なにかしら役に立つのではないかと」
「ありがとう」
「では、健闘をお祈りしています。そして、このリーフランドに平和を取り戻してくれることを期待しております」

 受付嬢に見送られて、僕達は冒険者ギルドを後にした。

「良いタイミングで依頼がありましたね。この依頼を解決できれば、きっと、お父さまもフェイトのことを認めてくれるでしょう」
「うん……そうだね」
「どうしたのですか? 暗い顔をしていますが……」
「依頼があったことはうれしんだけど、でも、犠牲者がたくさん出ているから、それは喜べないかな……って」
「フェイトは優しいですね……その優しさは、犠牲のためにとっておいて、そして、怒りは犯人にぶつけてやりましょう」
「うん、そうだね! がんばらないと」

 リコリスが、「またイチャついてるし……」とぼやくのが聞こえたけど、聞こえないフリをしておいた。

「さてと、それじゃあ、まずはこのファイルを読んでみて……」
「おとーさん、おかーさん」

 アイシャが、僕とソフィアの服の端を掴んだ。

 どうしたのだろう?
 不思議に思って視線を落とすと、耳をぺたんと沈めて、怯えた様子のアイシャが。

「あっちの方で……怖い感じがするの」