私のいない世界で、君に生きてと願うこと


 だから、人を好きになることを避けていたんだ。
 傷つく前に、自分まで嫌わないように。
 


 それなのに、君は僕を好きになった。


 愛を知ってしまった。





 この夢が醒めないように、僕は今夜も夢を見る。
 君に会える、それだけを頼りに。





 

 「私、(ひかる)くんのこと、好きだよ。」

 焦げ茶色、胸元辺りまでの長髪を揺らしながら、彼女は僕にそう告げた。
 驚くよりも先に、僕はなぜか泣いていた。
 その涙に対して驚いていたのは、彼女のほうだった。

 「もしかして、私、振られた?」

 まだ何も返事していないのに、彼女はだんだんと焦りを募らせているようで、落ち着きのなさが垣間見えた。

 言えない。言いたくない。
 僕も彼女が好きだ、ということを。

 「僕もだよ。」とか、「好きだ。」それくらいの言葉が、喉元でつっかかって出てこない。
 咳き込んでみても、声が出てこない。

 僕は情けなさのあまり、涙を流したまま、その場にしゃがみ込んだ。

 「ごめんごめんごめん!傷つけてごめん!」

 違う、違う、違う…。
 君は何も悪くないんだ。

 時間が経てば経つほど、彼女に対する罪悪感が波のように襲ってくる。
 自分がその波に飲まれてしまいそうで、怖かった。

 これだから、「好き」は苦手なんだ。
 伝えることも、伝えられることも、ましてやそれを感じることも。 

 すべて。

 現に彼女は、僕の不甲斐なさのせいで迷惑な思いをしているだろう。
 

 周りに誰もいないこと、それだけが心の頼りだった。
 光くん。それが僕の名前。
 彼女は僕のことを「冴田(さえだ)」という僕の苗字では呼んでくれない。
 100人前後いる同級生のうち、僕のことを下の名前で呼ぶ、それも嬉しそうに呼ぶのは彼女……いや、夜野(よるの)(しずく)、ただ一人だ。

 「光くん、どうして泣いているの……?」

 僕の顔を覗き込みながら、夜野が聞いてきた。

 この日、この時が初めてではない告白。
 それを受け取るたびに、僕は泣いてきた。
 泣きたいわけではないはずなのに、自然と目から雫が溢れ、頬を伝っていた。

 そして、夜野を毎回困らせている。

 「君は、どうして僕に……好きだなんて言えるんだ。」

 夜野は少し困ったような顔をしたけれど、すぐに向日葵のような明るい笑顔に戻った。

 「光くんと一緒に同じ空間に居られる、今この時間がね、」

 夜野はさらにこちらへ近づいて、僕の手を取った。

 「私にとって……凄く大切な時間なの。」

 純粋無垢とでも言い表せそうなその言葉の裏に、僕はどこか、夜野が1人で抱える寂しさのようなものを感じ取ってしまった。

 それは、僕の心の中にあった寂しさを、彼女に写している、いわば投影かもしれない。
 もしも、投影であるとすれば、僕は純白な夜野に黒い影を落とし込み、こちら側の世界へ誘ってしまっているようなものだ。

 「夜野…君は、」

 「なぁに?」

 「ごめん、やっぱなんでもない。残りの本を片付けて,帰ろう。暗くなる前に帰らないと。」

 「……分かった。光くんのご両親を心配させてしまうし、早く終わらせて早く帰ろうね!」

 夜野、君はやっぱり、優しすぎだ。
 
 立ち上がって背中を向け、図書室のカウンターに向かって歩いて行った夜野の背中を見て、心が締め付けられるような感覚に陥った。

 いつまでも、僕はここから歩き出せないままだ。


 「ただいまー。」

 リビングにバッグを置き、ソファに身を任せた。

 「おかえり。夕飯用意してあるから食べちゃいなさいね。」

 お母さんの声と共に、美味しそうな夕飯の香りが部屋を包んでいた。
 夕飯が並べられたところで、家族みんなで夕飯を共にし、食後、僕は部屋に戻った。


 「僕と居られる瞬間が、夜野にとって大切な時間、か。」

 ベッドに仰向けになりながら、夜野に言われたセリフを要約して何度も唱えた。
 いくら唱えても、理解できない。

 言葉としては理解できる。
 ただ、僕は17歳だ。そもそも、様々な経験に乏しい。
 だから、夜野の言葉に対して、心を躍らせているのか、はたまた、どこかに抱えている寂しさに胸を締め付けられているのか、全くわからない。
 夜野の言葉について、僕はどのように考えを張り巡らせば、【夜野雫】という人間を誤解せずに理解できるのだろうか。


 夜野とは、高2でクラスメイトになってから仲良く…同じ委員会に入ったことで言葉を交わす仲になった。
 初めの頃は、一方的に夜野が意味のわからない話をしてきて、僕がそれに対して適当に相槌を打つ、そんな毎日当たり前だった。
 いつの日か、僕は夜野の話を聴くことが日課になり、夜野はさらに話を充実させていっているようだった。

 夜野が目の前に存在していること、それが僕にとっての日常となった。

 でも、夜野の話は必ずどこかでストッパーが作動する。
 夜野は"これ以上話してはいけない"、と僕に非言語で伝え、僕はそれに応答する。

 もしも、これがペアのダンスとかだったら、互いの足を踏んで、互いに怪我をするだろう。
 まさに、そんな状態が、今の僕ら2人の関係性なのだ。

 目的地は同じでも、辿り着くまでの道が別々。
 どこかに転がっていそうな簡単な"何か"。
 僕はそれを探している。

 夜野も同じように、大切な"何か"を探しているように思える。

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