「あっ、ごめん。
ずっと引っ張ったまま歩いてしまって
つい夢中になって……」
そのとき。
松尾はハッとしたように。
握っている私の手から手を離した。
そのすぐ後。
松尾は私の方に振り向いた。
松尾の顔が。
はっきりと見える。
外は。
だいぶ暗くなってきている。
けれど。
街中に存在する灯り。
それらの光に包まれているから。
きっと。
見えている。
私の顔も。
松尾に。
そう思うと。
なんだか。
恥ずかしい。
だから。
早く。
逸らしたい。
松尾の顔から。
それなのに。
なぜだろう。
そう思えば思うほど。
逸らすことができない。
まるで。
見えない力に引き寄せられているみたいに。
「十五年ぶりに遥稀と会えたから
連れ出したくなった」
そんなとき。
松尾が恥ずかしくなるようなことを言ったから。
どうすればいいのかわからなくなった。
……って。
あれ……?
そういえば……。
松尾……。
なんで。
合コンに参加していたの?
「確かこの辺りにおしゃれな店があったはず。
遥稀と一緒に行きたい」
松尾……。
なんで。
なんで、そんなこと……。
だって。
だって、松尾は……。
「……奥さんは……
知ってるの……?」
「え……?」
「……松尾が合コンに参加したということ」
「……?」
「……だって、松尾……
……結婚……してるんでしょ」
それなのに。
『連れ出したくなった』
『一緒に行きたい』
どうして。
そんなことを言うの……?
私の言葉に。
少しだけ驚いた様子をみせた、松尾。
「……離婚した。
二年前」
けれど。
すぐに真剣な表情になった。
松尾が……。
離婚……?
松尾の言葉を聞いて。
驚きなのか、なんなのか。
よくわからないものが。
頭の中や心の中でグルグルと回っていた。
「今日はまだ大丈夫なんだろ?」
「……うん……」
「じゃあ、行こう」
松尾の話の切り替えが早過ぎて。
つられるように『うん』と返事をしてしまった。
そして松尾が歩く方へ、ついていくように歩いて。
松尾が言っていた店に着いた。
そこは、おしゃれで落ち着いた感じのバー。
こういう店には、ほとんど来たことがない。
……だからかな。
なんだか。
緊張する。
カウンター席に。
松尾と並んで座る。
……隣にいる。
松尾が……。
そのことが。
なんだか……。
不思議。
十五年前までの私は。
松尾と接することが恥ずかしくて。
素直になることができなかった。
でも。
今は。
素直とまではいかないけれど。
なんとか松尾と接することができている。
十五年――。
この年月が。
変えてくれたのだろうか。
「遥稀は?」
美しく透き通ったグリーンのカクテル。
それを一口飲んだ、松尾。
その後、私に何かを問いかける。
そのとき私は。
美しく透き通ったピンク色のカクテルを一口飲んだところだった。
「……してるの?」
……?
「……結婚……」
えっ……⁉
松尾、何でそんなこと訊くの⁉
結婚していたら合コンなんて参加していないよ⁉
って。
そっかぁ。
そうだよね。
結婚していないから。
参加したんだよね。
松尾も。
「してないよ」
そう思いながら返答した。
「そっかぁ。
……じゃあ……」
……?
じゃあ……?
「……彼氏……は?」
……松尾……?
「いない、よ」
今日の松尾、どうしたのだろう。
そう思いながら返答した。
確かに。
彼氏がいるのに合コンに参加したら、あまり印象は良くない、よね。
「……松尾は……?」
だから。
「……彼女……いるの……?」
私も。
松尾にそう訊いてみた。
今日の私。
本当にどうしたのだろう。
十五年前の私は松尾にそういう質問はできなかった。
「いないよ」
なんでだろう。
「そうなんだ」
今。
ほっとしている自分がいる。
「あっ、そうだ。
遥稀、連絡先教えて」
「うん」
高校生の頃。
私と松尾はお互いの連絡先を知らなかった。
教え合う機会もなかったから。
そして十五年が経ち。
こうして松尾と連絡先を教え合っている。
「ありがとう、遥稀」
「こちらこそ、ありがとう」
十五年前の私には想像がつかない。
そんなことが今、行われている。
なんだか不思議。
「遥稀は今何してるの? 仕事とか」
「両親が経営しているカフェで働いてる」
「そっか、
確か遥稀のご両親、カフェ経営してたよな。
後継いでるんだ」
「後を継ぐ、そこまでいくかどうかはわからないけど」
話せている。
「松尾は?」
松尾と。
普通に。
「俺はイラスト描いてる」
そのことが。
「松尾、絵を描くこと好きだもんね」
なんだか。
「ああ」
少しだけ。
ううん。
すごく……嬉しい……みたい。
「今度、遥稀の店に行く」
「なんだか少し恥ずかしい」
「なんで」
「なんでだろう」
本当は。
わかっている。
照れるから。
松尾が店に来ること。
「なんだよ、それ」
そう言いながらも。
笑顔の松尾。
そんな松尾に。
私も笑顔。
十五年前のときも。
こんなふうに松尾と接することができたのなら。
もっともっと楽しい高校生活だったのだろう。
高校生の頃だけじゃない。
小学生の頃も。
中学生の頃も。
今みたいだったら。
悔いが無く過ごすことができたのだろう。
今そう思っても仕方がないのだけど。
だから。
あの頃できなかった分。
今。
思いきり笑おう。
そう思いながら松尾との会話を楽しんだ。
合コンで松尾に再会した翌日。
今は閉店後の後片付け中。
「店長」
そのとき。
一緒に後片付けをしている政輝くんが声をかけた。
「昨日、彼氏と一緒にいたんですか」
「……⁉
えっ⁉」
かっ……彼氏っ⁉
政輝くんが驚くことを言ったから。
それ以上、言葉が出てこない。
「あっ、突然すみません。
昨日、店長が男の人と一緒にいるところを見たので」
見られていたんだ。
政輝くんに。
「同級生だよ。
たまたま、ばったり会って」
なんとなく。
言えなかった。
合コンで偶然再会した同級生とは。
「そうだったんですね。
あの、話は変わるんですけど、
次の休みって俺と同じ日でしたよね」
「そうだと思うけど」
どうしたのだろう。
休みの日の話をして。
「その日は予定とかあるんですか?」
……?
「まだ何も決まってないけど……」
「それなら店長の時間を俺にくれませんか」
「え……?」
「その日、俺と一緒にカフェ巡りしません?」
「カフェ巡り?」
「はい。
ライバル店の偵察も兼ねて」
「……偵察……って……」
「ダメ……ですか……?」
「ダメとか、そういう……」
なんて返事をすればいいのか。
「……いない、んですよね……?」
いない……?
いないって何が?
「……彼氏……」
いない。
彼氏。
そうなんだけど……。
政輝くん。
なんか、いつもと違う……?
「……うん……」
そう思いながら返事をした。
「それならいいじゃないですか。
一緒にカフェ巡りしましょ」
無邪気な。
政輝くんの笑顔。
「うん」
その笑顔を見たら。
誘導されるように頷いてしまった。
「じゃあ、決まりですね。
楽しみにしています」
カフェ巡り。
とは言っても。
偵察、なんだよね?
その割には。
政輝くん。
なんだか楽しそうにしているように見える。
気のせい、かな。
政輝くんとカフェ巡りをする日。
政輝くんとは約束通りカフェ巡りをした。
それから政輝くんが観てみたい映画があるということで映画館にも行き。
気付いたら十八時を回っていた。
「遥稀さん、そろそろ夕飯食べに行きません?」
「そうだね」
亜南くんは。
休みの日……プライベートのときは『遥稀さん』と呼んでもいいですかと言った。
そして亜南くんのことも。
『政輝じゃなくて亜南と呼んでほしいです』と言った。
いつも『店長』・『政輝くん』と呼び合っているから。
下の名前で呼び合うということが。
なんだか照れてしまう。
夕飯を食べ終え。
亜南くんが食後の運動も兼ねて夜の散歩がしたいということで。
公園の中を歩いている。
五月の下旬。
初夏の香りを含む風が。
やさしく包み込んでいる。
その香りも感触も。
とても心地良い。
「遥稀さん」
その心地良さに癒されているとき。
ふわっと包み込むような亜南くんのやさしい声が流れてきた。
「今日は楽しかったです。
ありがとうございました」
亜南くん。
笑顔もふわっとしている。
「こちらこそ、ありがとう。
偵察という目的を忘れるくらい、すごく楽しくて。
私としては普通にカフェでお茶してた感じ。
映画も楽しかった」
こんなにも楽しめたことが。
本当に久しぶりで。
「でも、店長としては失格だよね。
本来の目的を忘れてしまうなんて」
どこのカフェも美味しくて。
感動しちゃったし。
「……ありませんよ、初めから」
「え……?」
「目的……なんて」
……?
「亜南くん……?」
「あるにはありますけど……
それは偵察ではありません」
そうだったの?
それなら……。
「偵察が目的じゃないのなら……?」
本当の目的は……?
「……遥稀さん」
え……⁉
「……私……?」
「はい」
私のことを見つめる亜南くんの瞳は。
真剣そのもので。
「偵察なんていうのは口実で、
本当は遥稀さんと一緒に出掛けたかったんです」
「……⁉」
なんて。
なんて言えばいいのか。
私と一緒に出掛けたかった……?
それは。
どういうことだろう。
たぶん。
深い意味はない。
亜南くんの言葉に。
だけど……。
「……俺……
もう自分の気持ちを隠すことはできません」
……?
気持ちを隠す……?
「だから……」
亜南くん……?
「……立候補します」
「……立候補……?」
って。
何の……?
「……遥稀さんの……恋人……の……」
「え……」
私の……恋人……?
「……好き……です……」
うそ……。
「俺は遥稀さんのことが好きです」
うそ、みたい……。
亜南くんが。
私のことを……。
だけど。
どうして……?
私と亜南くんは……。
「……亜南くん……」
「まだ返事は言わないでください。
急がないので。
ゆっくりでいいので考えてくれると嬉しいです、俺のこと」
亜南くんに訊ねようとしたとき。
亜南くんの言葉が重なった。
だから。
「……どうして……」
もう一度。
「私のことを……」
呼吸を整えて。
「私と亜南くんは……」
亜南くんに想いを伝えられたとき。
「年齢が一回りも違うのに……」
すぐに感じたことを。
「それって」
え……。
「問題あります?」
亜南くん……。
「俺と遥稀さんの年齢が一回り違っていても。
そんなこと、全く問題ありません」
亜南くん……。
そう言ってくれているけれど……。
「……気に……なるよ」
「遥稀さん?」
「……私は……
年齢が一回りも違うこと」
「なんでですか。
そんなこと気にする必要なんて全くないじゃないですか」
「亜南くんはそう言ってくれるけど、
私が二十歳のとき亜南くんは八歳だったんだよ。
一回り違うって、そういうことだよ」
「俺、今は八歳じゃありませんよ」
「それはそうなんだけど―――」
……‼
「見てほしいです」
亜南くん……。
「俺のこと……
一人の男として……」
私のことを見つめる亜南くんの瞳が。
とても色気を含んでいて。
一緒に仕事をしているときの亜南くんとは違っているから。
戸惑ってしまって。
……それから……。
少しだけ。
ドキッとも……。
そのせいか。
全身が固まって言葉も出ない。
「あっ、仕事のときは今まで通りの接し方で。
変に意識はしないでもらえたら」
どうすればいいのか。
頭と心の中が騒がしくなっているとき。
亜南くんがサラッとそう言った。
「これからもよろしくお願いします」
笑顔の亜南くん。
「こちらこそ、よろしくね」
その笑顔が。
あまりにも爽やかだから。
目を離すことができなかった。