「……姉上には感謝しています」

 少しの沈黙の後、リーンはそう言った。

「え?」
「亡き父や兄上に期待されず、酒と女とギャンブルだけの日々。そんな私に光を与えてくれたのは姉上です。」

 確かに、皇弟殿下はこれでも更生しているのだ。かつてのこの方は荒みきっていた。このメティル宮の一部が民間に貸し出されているのも、放蕩による借金を返済するためだと言われている。

「初めて観たオペラに心が打ち震えたことを、今も覚えています」
「……ハイライトで殿下は涙を流しておいででした。あくびで出たものだと言い訳なさってましたが、あの涙で私はあなた様の感性が確かなものであると確信したのですよ?」

 アルディス陛下に頼まれて、アンナは不良殿下の遊び相手となった時期があった。芸術に触れることを勧め、芝居やコンサートに連れ出し、劇団の主宰と引き合わせたりした。その頃から、リーンが付き合う人物の傾向が変わり、リーン自身の言動も明るくほがらかなものへと変わっていった。

「今でも、あの頃知り合った方々とは良き友人です。このカフェだって元は芸術談義をする場として建てたのです」
「そうだったのですか」
「兄上の改革の足が鈍る頃から、政治的な議論が増えて……見ての通り今では革命派の巣窟となってしまいましたがね」

 そう言ってリーンは苦笑する。

「姉上には本当に感謝しています。貴女が立ち上がるのであれば、私は何だってします! 先程はからかうような物言いになってしまいましたが、私はあなたのお味方です!」

 真っ直ぐ、アンナの瞳を見つめてきた。仲が悪くても兄弟なんだな、そんな事をつい考えてしまう。その眼差しは、アルディス帝にそっくりだ。つまりそれは恐らく……アンナに抱いている想いも兄君と同じなのだろう。直感的にそう確信した。

(だから違う。この方は、陛下を殺してはいない……)

 この方の兄に対する複雑な想いは到底理解できない。けど、アンナに対する想いがある。ならば自動人形のシリンダーに「処刑命令にサイン」などとは書かないはずだ。

 皇弟リーンは、容疑者リストから外れることとなった。