「南方の植民地より、良い葉巻が届きました。一緒にどうです?」
「いえ、お構いなく」
「では珈琲をお出ししましょう。これも南方産の素晴らしい豆があります」

 アンナは2階にある特別席に通された。そこはリーン大公の専用席のようで、階下の議論の様子を眺めることができる作りになっている。

「しかし驚きました。まさか姉上がこのような場所に足をお運びとは……」

 リーン大公は、以前よりアンナの事を「姉」と呼んでいる。アルディス3世とアンナは男女の仲ではあるものの、妻ではない。だからリーンのこの呼び方も適当ではなかった。

「またそのような呼び方を。本当の姉君に失礼ですよ?」
「ルコット皇后ですか? なに、構うことはありませんよ。もう何年も会っておりませんが、相変わらずつまらない女性だと聞きます」

 皇弟は平然とそう言ってのけた。さらに放言は続く。

「彼女には、貴女(あなた)のような聡明さがない。毎日飽きもせず宮殿の庭でお茶会ばかり。兄上がなぜ貴女ではなく彼女を選んだのか、理解に苦しむ」
「やめて下さい殿下。それ以上のお言葉は、色々な方を傷つけます」
「傷つける? 傷つけられたのは貴女でしょう? 皇太子が生まれた途端、兄は貴女を監獄島に閉じ込めた。 実に身勝手だ!」

 リーンの声に怒気が混じる。

「殿下、違います。私が陛下のお怒りを買っただけ。皇太子様や皇后陛下の事は一切関係ありません」
「どうでしょう? 貴女は、クロイス公爵家の分家による物資横流しを追及した。大臣として当然の行いです。本来なら讃えられるべきなのに、兄は真逆の事をやった」

 アンナの顔が曇る。今でも、間違った事はしていないと思っている。貧民のための福祉物資が、貴族の懐に入り国外へ転売されていた。その摘発を命じたらクロイス公爵が動き、アンナが投獄される事となった。

『君は正しい事をしたが時期と相手が良くない。クロイス家と波風が立てば、できる改革もできなくなってしまう。しばらく頭を冷やして欲しい』

 監獄島へ送られる前日、陛下はアンナの部屋を訪れ、そう言った。それが彼の声を聞いた最後の日となった。

「と……申し訳ない。私は何も貴女を困らせたくてこんな話をしてるのではありません。お許しを」

 アンナが目を伏せたことに気づき、リーンが慌てて釈明をする。アンナはだまって首を縦に振った。

「それで……なぜ帝都にいるのです、姉上? 兄が貴女を許したという話は聞いておりませんが……」
仔細(しさい)あって、陛下のご意向とは別の行動をとっています。お気にかかるなら、どうぞご通報を」
「とんでもない!むしろ御大望を果たすための拠点として、この店を好きにお使いくだされ」
「大望?」
「兄やクロイス公を排除して、帝国の実権を握るのでしょう? 官僚派の巻き返しだ!」

 アンナは背筋をこわばらせた。マルムゼと似たような事を言う。この方も、私が立ち上がることを期待しているのか!? では、マルムゼの背後にいるのは……

「そんな、考えもつかないことです。私が実権を握るなど……」

 ダメだ、相手のペースに乗ってはいけない。距離感をもって接し、私が知りたい情報だけを引き出せ!

「そうかなぁ? 私はふさわしいと思いますよ」

 リーンはテーブルに頬杖を付き、からかうような視線をアンナに向けてきた。どこまで本気かわからない。

「1階をご覧ください。表にこそ噴出してないが、今の帝都にはこういう声が渦巻いている。誰かがそれをすくい取らねば」
「……感心しませんね。皇弟ともあろう方が、革命思想に入れ込んでいるとは」

 階下のテーブルでは議論が白熱している。彼らの話に耳を傾ければ、やはり物騒な言葉が多数混じっていた。中には皇族をひとり残らず追放してしまえ、なんて声もある。

「あなたの脱獄に目をつむる代わりに見逃してください。彼らの国を思う情熱は本物です。その芽を積みたくはない。」
「それが帝国を滅ぼすとしても?」
「いえ、そうはなりません。私がさせません。」

 そう答えるリーンの声は力強かった。

「あなたがさせない……? では政界への進出をお考えで?」
「まさか。兄上が私を認めていないのはご存知でしょう? 政治に携わるなんて、生涯不可能ですよ」

 リーンは力なく笑う。アンナの事を話すときの飄々とした雰囲気から打って変わり、自嘲のこもった笑みだった。

「だからせめて、この声と情熱を、国中に届けたい。それが私の望みです」