「馬鹿な! 何を言うのです?」

 初めてマルムゼの声色が変わった。その顔には一瞬だけ、焦りの感情が浮かび上がった。

「マルムゼ殿、約束します。真相にたどり着いた時、自分がこの国の覇者にふさわしいと思ったら、私は喜んで叛逆者(はんぎゃくしゃ)となりましょう」
「そんな時間はございません。すぐにでも第六兵団と合流せねば」
「いえ、1週間以上あります。兵団の掌握と行軍にかかる時間を考慮しても、4日……いえ3日は猶予があるはずです!」

 男の目をまっすぐ見据える。アンナの視線に射抜かれ、ほのかに紫がかった黒い瞳がひるんだ。

「これ以上言っても……お聞きいただけないでしょうね」

 マルムゼは首を振った。

「承知しました。3日です。その時が来たら強引にでも連れていきます」
「ありがとう」

 アンナは頭を下げる。3日。その間に、陰謀の主犯を必ずや……!

「今の状況を整理したいです。少し、一人にさせて下さい。」
「は……」

 マルムゼは一礼し、部屋を出ていく。静寂が部屋に戻ってきた。


「陛下……アルディスさま……」


 目を閉じると、一人の男の顔が浮かび上がった。若くしてヴルフニアの皇帝となり、国内の様々な問題を解決する一方で周辺諸国を武力で圧倒してきた皇帝の顔ではない。
 そんな激務の合間を縫って、アンナの部屋を訪れ彼女に甘え、夜を共にし、同じベッドで眠った男の子供のような寝顔だ。

「あなた様はもう、この世にいらっしゃらないのですか……?」

 恐らくはそうだろう。何者かが陛下のお命を害し、自分の言いなりとなる自動人形にすり替えた。自らが帝国の支配者となるために。
 その何者かは、陛下の姿を使い私まで殺そうとしている。陛下の愛を知り、彼を支えるために大臣にまでなった女。黒幕にとってはさぞかし邪魔なのだろう。

 帝国には、新たな支配者となりうる勢力が、いくつか存在する。皇帝暗殺犯がいるとすれば、そのいずれかだ。

「まずはリーン殿下……」

 陛下の実弟、エルージア大公リーン。皇帝に次ぐ権威の持ち主だ。
 不品行の目立つ不良殿下として有名で、陛下とは仲が悪い。最近では、彼の邸宅が帝室転覆をもくろむ革命派のアジトと化しているという噂もある。もし政変が起きれば、国内の多くの人間が真っ先に彼を主犯だと疑うだろう。

「それに、クロイス公爵……」

 権威の上でのナンバー2が皇弟リーンだとすれば、実力のナンバー2はクロイス公爵だ。アルディスの正室、ルコット皇后の父親で、自他共に認める貴族派の盟主である。
 その老人は、表向きは帝室に忠を尽くす大貴族の鑑というべき人間だった。しかし平民の地位向上を目指す陛下とは、制度改革をめぐり何度か衝突している。

「さっき名前が出てきたボルフ伯爵も……かしら?」

 ボルフ伯爵は、皇帝とも貴族派とも距離を置いている。それは単に政治に興味がないからだと思っていた。しかし、マルムゼが彼の息子を即位させろと言っている以上、容疑者リストに入れないわけにはいかない。

「クロイス公爵を疑う以上、官僚派も疑うべきよね……」

 陛下は、改革を行うにあたり下級貴族や平民出身の人材を抜擢し、若手官僚の専門集団を作っていた。彼らは貴族派に対して、官僚派と呼ばれていた。
 アンナ自身、寵姫という身分ではあるものの、元は職人の娘であり、政治にも参加しているため官僚派の一人といえる。本来は陛下の味方だが、社会の革新をめざすため一部の官僚が、革命派と手を取った可能性もある。

「こうして見ると……」

 あまりにも厄介な実情だ。貴族派と官僚派が対立しており、皇族も一枚岩ではない。もし陛下の死が明らかになれば、その後の権力争いは激しいものとなり、長引けば帝国そのものを衰退させかねない。

「なぜ私なの?」

 マルムゼや彼のバックにいる人物は、その中でアンナが権力の座にふさわしいと考えたのか? いい迷惑だ。誰もそんなの望んでいない。私は、最愛の人の死の真相を知りたいだけだ。しかしそれは、醜悪な権力争いを回避し、帝国を救うことにも繋がる。アンナはそう考えた。