「お迎えに上がりました姉上!」
マルムゼが立ち去って数時間後、第六兵団の飛竜部隊が監獄島を襲撃した。四方が海で、囚人に脱獄される危険が少ないこの島には、兵力らしい兵力が殆どない。防衛用の自動人形数体が破壊されると、監獄島はまたたく間に陥落した。
リュディスの短剣を携え、「帝国軍臨時元帥」という即席の役職を名乗った皇弟リーンが、アンナの部屋を訪れた。
「ご苦労さまでした、大公殿下。あなたが動いたということは、やはり……?」
「はい。実に残念ではありますが……宮殿を捜索し、クロイス公爵の目論見はすべて明るみに出ました。彼ら貴族派の、帝室に対する叛逆は明白です」
クロイス公爵家は皇族の最重要人物を自動人形にすり替え、傀儡としていた。その事実はごく一部の人間にのみ知らされ、そのもの達によって帝室と国家は私物化されようとしていた。
「……念の為に伺います。その重要人物とは?」
「皇太子殿下です」
やはりそうか。アンナは目をつぶる。我が子、アルディス=レクスの話を嬉しそうに語るルコット皇后の顔が浮かび上がった。
恐らくは……アルディス=レクス皇太子は、病気などで早世したのだろう。しかしクロイス公爵は、皇太子の祖父という立場を失うことを恐れた。だからその事実を隠し、自動人形の影武者を立てた。
あの乳母の指に作られたタコは皇太子の偽物を世話するときに付いたのだろう。ヴルフニア皇族とクロイス公爵家では自動人形の術式にも差異が出る。その差異は、アンナと乳母のタコの位置という形で現れたのだ。
「これより我が軍は、東方の国境に駐留中の第2、第5兵団と合流し、帰還中の親征軍に対処します」
「内戦となりますか?」
「もし指導部が、クロイス家に殉ずる道を選ぶのなら……」
やむを得ない。国が生まれ変わるときに無傷でいられるはずはない。すべて私が引き起こしたことだ。その罪は、背負わねばならないだろう。
「皇后陛下はどうしています?」
「近衛部隊からの連絡では、半狂乱状泣き叫ぶばかりのため尋問のしようもないと……。いずれ死罪になるかと思いますが、それまではどこかに幽閉しておくことに……」
「なりません!」
アンナは強い口調で、リーンの言葉を遮った。ルコットは何も知らないだろう。我が子が機械じかけの人形と入れ替わっていること知りつつ平然としていられるほど、彼女は無恥でも愚かでもない。彼女の預かり知らぬ所で、全てが進んでいたに違いなかった。そしてつい先程、残酷な真実を知ったのだ。泣き叫ぶ彼女を誰が責められる?
「もはや対抗勢力も、クロイス家の者を旗印には出来ないでしょう。皇后としてのすべての特権を停止し、どこか辺境の館に隠遁させれば、それで十分です」
「それは、確かにそうですが……。いえ、わかりました。姉上がそう仰るのでしたら……」
「ありがとう」
アンナは微笑んでうなずいた。最愛の息子を失ったのだ。彼女はこれ以上不幸になってはならない人間だった。
「さてと、それでは私は参ります。飛竜を一匹、貸して下さい」
「え……? 姉上、どちらへ? これから共に帝都へ戻るのでは?」
「いいえ、私は全てを終わらせに参ります」
「一緒に来てはいただけないのですか!?」
リーンは大きく瞳を見開いた。
「貴女が立つと聞いたから、私はこうして……」
「私に出来るのはここまでです。ここから先は、皇族であるあなたが主役となるべきよ」
「そんな……姉上! 私は……私はあなたを!!」
「それ以上言わないで!」
アンナはリーンを拒絶する。帝国軍臨時元帥は泣き出しそうな顔で、アンナを見つめてきた。
「ひどい女なのは自覚しています。あなたの想いを知りながら、私の目的を達成するために利用してしまった。恨んでもいいです」
「そんな……恨むだなんて」
「でも、ごめんなさい。私が愛すべき方は一人だけなの」
皇帝アルディス3世。彼こそが、アンナの生きる理由だった。だから、この一週間あまり動き続けたのだ。
「さようなら。公式記録には、私は今回の革命に巻き込まれて死亡したと、そう書いて下さい」
夕方、アンナが乗った飛竜はクラナハの村に到着した。数日前に皇帝暗殺未遂事件が起きた場所だ。上空から見下ろすと、村の郊外には大規模な軍隊が野営した痕跡が、まだはっきりと残っている。第六兵団から借りた飛竜を村の後ろにそびえる丘の頂上へと降下させた。
「もう待っていらっしゃるのね」
丘の上には既にもう一匹の飛竜がいた。あの黒鱗種の子だった。そこに並べるように自分の竜を着地させ、アンナは草原の上に降り立った。
「……綺麗」
思わずつぶやいた。丘から西の方角を眺めると、落ちかけた太陽が空を茜色に灼いていた。そして村の近くにある大小いくつもの湖が、夕日に照らされて黄金色に輝いている。
アンナはこの丘から眺める夕焼けが大好きだった。あの頃とちっとも変わらない美しい光景だ。
「ひとつ、朗報です」
夕焼けに見とれていると、背後から声をかけられた。振り返ると、マルムゼが立っていた。
「ここに来る前に、親征軍の様子を見てきました。彼らは戦わずに降伏するようです。近日中に皇帝の死と、皇弟リーンの即位が発表されるでしょう」
「そうですか」
「まったく。思惑が完全に狂わされました。さすがはフィルヴィーユ伯爵夫人だ」
塔の上での動揺しきった表情は落ち着きを取り戻し、いつもの感情を見せない顔がよみがえっていた。しかし、私が話をしたいのはこの男ではない。
「もう良いでしょう。正体をお見せ下さい、陛下」
「……ふ。そうですね」
マルムゼの身体が、白く光る。その光の中で、男の顔が、身体が、ぐにゃぐにゃと歪み始めた。変化の術が解かれる。黒い長髪の青年の顔は消え去り、太陽のような赤毛を持つ男性が正体を表した。ヴルフニア帝国皇帝アルディス3世、その人である。
「いつから分かっていた、アンナ?」
「確信したのは、かなり後になってからです。けど、今にして思えば、最初からヒントがございました」
「ああ。例えばこの丘のことかな?」
アンナはうなずいた。
「ここは陛下と最初に二人だけで訪れた場所です。あの日も、今日みたいな燃えるような夕焼けでした」
「君がシリンダーの内容を疑うことは目に見えていた。だから、わざと引っかる場所を作り、君に確認させようと思ったんだ。この村の名を刻んでいれば、すぐに目に留まると信じていたよ」
「そしてその場で暗殺未遂の狂言事件を起こし、ご自分の姿をした自動人形に大立ち回りをさせた。その様子を記者に書かせて、私にあなたの不在を確信させた。私はまんまとあなたの筋書きに踊らされました」
アンナは、この地で起きた事件の記事を読み、うろたえたことを思い出して苦笑した。
「思えばおかしいことばかりでした。あのシリンダーは皇族が使う自動人形のもの。そしてマルムゼ殿は高度な変身魔法を使っていた。陛下の狂言と言っているようなものではないですか」
「はは……今思えば、少しずさんだった気もするな。何しろ時間がなかった。もう少し上手くやれていれば、君を革命政府の代表にすることが出来たのに……」
「実は、4人の容疑者の他に、もうひとり疑わしい人物がいたんです。あなたが化けていたマルムゼ殿にも話していませんでしたが」
「ほう。誰だいそれは?」
黙って目の前にいる最愛の人を指差す。
「あなたが死を目前
私が目を覚ましたのは、生まれたばかりの我が子、アルディス=レクスの死を悟ったときだ。侍女からの報告書に矛盾を見つけ、自ら調査した。周りの誰も信じられなかったからね。变化のと幻惑の術を駆使して、息子の寝室を訪れてみれば、そこが自動人形の工房と化してていた。あのときは心臓が止まりかけたよ。
ルコットは何も知らぬ様子だった。隣にあるアルディス=レクスのための居館では、乳母マータに愛されてすくすくと育っている。そう信じ切っていた。
そのとき私はクロイス公爵の真意を理解した。彼にとって、帝室とはクロイス家という名の宿り木が寄生するための、宿主に過ぎなかったんだ。自らの栄華のために、私達皇族や帝国そのものを利用していたのだ。
だが、それに気づいた所で、私にはどうすることも出きなかった。周りには貴族派の顔ばかりが並び、常に監視されていった。私が貴族派の近臣を排除しようとすれば即座に殺され、いもしない息子レクスが、アルディス四世として即位するだけだ。
だから一計を案じた。殺される前に死んだ。影武者として使用していた自動人形を調整し、変化の術の応用で偽装した。
そしてそれを君に見破らせ、君に国を継いでもらおうと思ったんだ。私の理想を誰よりも理解しているのが君だったと、遅まきながら気がついたから。
だから私は名前と姿を偽り、マルムゼという名の陰謀家として君に近づいた。そして、この国の実権を握る手助けをしようとしたのだが……結局、失敗してしまったな。最後に君を出し抜くことだけが出来なかった。
パシン……と、乾いた音が夕日の丘の上で鳴った。
「アンナ……?」
「ふざけ……ないで下さい!」
最愛の人の頬を叩いた右手を握りしめながら、アンナは大粒の涙を流した。
「私に帝国を継がせるですって? どうしてそんな馬鹿げたことをお考えになったのです!?」
「馬鹿げたことだって? これでも本気で考えたんだ。この国の将来を託せる、真に信頼できる者は誰かって」
「それが……私だというのですか!?」
「他に誰がいる? 今も言った通り、私の理想を最も理解しているのは君だった!」
「もし本当にそう思っているのだとしたら、あなたは私のことを何一つ理解してません!!」
悲痛な叫びを撒き散らすアンナ。涙は止まること無く流れつづけ、顔は火照って紅潮していた。
「今、あなたは私が職務に忠実だったと言いましたね。違うんですよ……全く違います。私が忠実なのは陛下、あなたにのみです。あなたの愛と誠実さこそが私の全てなのです。それを失って、どうして国家の運営など出来ます!?」
アンナはその場に崩れるようにうずくまった。顔を隠し、嗚咽と鼻をすする音だけが彼女の想いを伝える。
「しかし……」
アルディスは応える。
「君以上にふさわしい国主はいない。それはまぎれもなき事実なんだ……」
アンナは首を横に振ると、再び立ち上がった。
「ご心配なく、リーン殿下は王とししての資質をお持ちです」
感情の高ぶりで充血した目を、まっすぐアルディスに向ける。
「リーンが?」
「はい。あなたとは器の性質が異なるため、お認めになれなかったのでしょう。けど、あの方もヴルフニア皇族の血が流れています。立派に勤めを果たすでしょう」
現に、民の心を掴み、実に鮮やかに政変を成功させたではないか。アルディス3世の身代わり人形が率いる、親征軍との衝突も避けられた。
アンナがカフェで垣間見たリーンの情熱は本物だ。民の声を聞き、それをすくい取り、世の中に向けて発信していく。そういう形で彼は名君となっていくだろう。
「ねえ、陛下……いえ、アルディス。あなたのお気持ちをお聞かせ下さい」
「気持ち?」
「ええ。あなたがもう皇帝ではないと言うなら、国のことなんて考えないで。職人の娘に言い寄られている一人の男としてのお気持ちを、聞かせて欲しいの」
アンナはすっと静かに息を吸い。そして、その言葉を発した。
「アルティス、私の居場所はどこですか?」
「……アン……ナ」
アルディスの両手が大きく伸び、アンナの身体を掴んだ。そのまま強く引き寄せられ、彼女の身体は男の腕の中に収まった。
「ここだアンナ! すまなかった。私の隣りにいてくれ!!」
「はい……わかりました」
アンナはアルディスの胸に顔を埋めた。先程まで、空を灼いていた西日は、稜線の向こうに姿を消し、夜の闇が二人の姿を消していった。
その3日後。エリージア大公リーンは、ヴルフニア帝国の新皇帝に即位。旧官僚派の人材を多く登用し、より民主的な帝政へと移行していくことを全臣民に約束した。同日、先帝アルディス3世、皇太子アルディス=レクス、そして先帝の寵姫フィルヴィーユ侯爵夫人アンナの死が発表された。
一方、先帝の皇后ルコットは、その生命を保証された。彼女は山あいの小さな館に隠遁することとなった。
そんなルコットは館に二人の使用人を招き入れ、晩年まで三人で暮らしていたという。その使用人たちの名はアルディスとアンナ。どちらも帝国では珍しくない名前なのだが、この二人の出身地や経歴について、ルコットは何一つ記録を残していない。
公爵夫人と自動人形 -完-