「陛下……」
「あらマータ。良いところに来てくれたわ」

 皇后の私室に、一人の女性が入ってきた。

「紹介します。アルディス=レクスの乳母、マータよ。もともと父の侍女だったのだけど、息子が生まれてからは彼の居館を任せているの」
「皇太子殿下の乳母、マータと申します。以後、お見知りおきを」

 女性は、うやうやしくアンナに一礼した。貴族は赤子が生まれると、すぐに近しい女性に預けて親と別々に暮らすという習わしがある。実母と離れると、高い魔力が育つと信じられているのだ。

「殿下のことでご報告があって参ったのですが」
「それでしたら後で伺いますわ。ねぇ、それよりも今から二人でそちらにいってもいいかしら? 夫人と息子を会わせてあげたいの」
「フィルヴィーユ夫人を……ですか?」

 マータも皇后陛下の提案に、さすがにとまどったようだ。どうしたら良いかわからないという顔で、アンナの方を見てくる。

「あまり彼女をいじめてあげますな。私は結構ですよ。いずれアルディス=レクス殿下とはお会いしとうございますが、またの機会……に……」

 何気なく見た乳母の右手に、視線が釘付けになった。小指の付け根に大きめのタコが出来ている。あれは……。

「夫人? どうなさりました?」

 ルコット皇后が、言葉をつまらせたアンナを見つめてきた。

「い、いえ……なんでも、ありません……」

 間違いない。「職人の手」だ。自動人形を調整するときにシリンダーがぶつかる場所に出来るタコ。それに、薄っすらと機械油の色紙が沈着して黒ずんでいる指先。監獄島で作られたアンナの手と同じものが、マータの手にもあった。

「長居してしまいました。そろそろお暇いたします」
「あら、もっとゆっくりしていけばよろしいのに」
「懐かしさが募り、宮殿(ここ)に来てしまいましたが、そろそろ監獄島に戻らないと、皇帝陛下に叱られてしまいます」

 アンナはわざとおどけるように言った。

「フフ……そうですか。今日は本当に楽しかったわ。やっぱり、あなたとは親友になれそう。ぜひまた遊んで下さい」
「ええ、是非……」