そして翌日。皇帝アルディス3世の帝都凱旋まで、あと6日。
昨日と同じく、飛竜で帝都近郊まで近づく。手頃な森に着陸し、木々の間に竜を潜ませると、アンナは帝都から少し離れた郊外を目指した。
オルシュード宮殿は、先帝が建設した世界最大規模の宮殿だ。その総面積は、昨日訪れたメティル宮とは比較にならない。鹿狩りが可能なほど広大な森林庭園と、その各所に建つ無数の城館。その中の一つが、王妃の住む邸宅だ。
「よし、通れ」
宮殿内に通じる検問。事前にマルムゼがかけてくれた变化と幻惑の術で、アンナの姿は役人や兵士からは、食品納入業者に見えているはずだ。この辺りの区画は、警備の目もそこまで厳しくはない。まずは第一関門突破だ。
周囲の目を盗み、食品商人に化けたアンナは馬車の影に隠れた。すぐに術が解ける。事前の手はず通り、マルムゼがかけた術は宮殿敷地内に入った所で解けた。
(さて、次は第二関門ね)
アンナは、監獄内で働く女性型自動人形の服を拝借し、身につけていた。幸いにもその服は、宮殿内の侍女のものと色やデザインが似ている。遠目には区別がつかないだろう。ただし、近くで見れば明らかに違う。
だからアンナはまず、洗濯工場へと向かった。宮殿の使用人の制服はすべて支給品であり、この工場内で洗濯されている。その中の一枚を盗み出し、誰かに見つかる前に着替えるのだ。それが成功したら、いよいよ第三段階となる。
(よし、アンナ。ここからが勝負よ……)
首尾よく、侍女の制服を入手したアンナは、いよいよ王妃の居館へと足を向ける。森の中にある、自分の住まいだった居館を訪れたい気持ちもあったが、そんな時間はない。馬も使わずあそこまで行こうとすれば、それだけで日が暮れてしまう。それほどこの宮殿は広いのだ。皇后の居館に忍び込み、皇帝暗殺に関わる手がかりを探すことに集中しなくてはならない。
(大丈夫。あの頃と同じようにやれば、誰にも怪しまれない)
心の中でつぶやく。もともとアンナは侍女としてこの宮殿で働いていたのだ。アルディス陛下に見初められ、職人の娘が皇帝の寵姫となったあの夜まで。皇妃の館に出入りした事もある。侍女たちの仕事は一通り心得ているし、彼女たちが休息を取る時間帯、気を抜く場所、各部屋の誰もいなくなるタイミング、すべて覚えている。彼女たちに怪しまれずに調べ回ることが出来る自信はある。
木々の間から赤い屋根が見えてきた。あれが皇后の居館だ。そこに近づくごとに、魔術的な警備が厳しくなっているのがわかった。警備用の自動人形が歩き回り、各所に飾られた彫刻には、幻惑を解除する「破幻の魔術」が施されている。どちらもクロイス公爵家が用意したものだろう。やはり、マルムゼの術だけでここまで来なくてよかった。
「まぁ! 嫌ですわ伯爵夫人。ふふふっ」
軽やかな笑い声が、風に乗って流れてきた。アンナは足を止める。館の前庭にテーブルが広げられている。そこに十数人の貴婦人たちが座って談笑していた。中心にいるブロンドの女性……間違いない。ルコット皇后陛下だ。
「…………」
知った声を聞いたことで、このまま歩みを進めて良いのか、迷いが生じた。館の中に入るには前庭を通らねばならない。
(ううん、大丈夫よ)
言うなれば、正妻と愛人の関係である。彼女と直に話したことは一度もない。宮廷の公式行事でも、離れた席に座っていた。大丈夫。彼女たちは私の顔なんて殆ど覚えていないはずだ。それに宮殿いいるなんて思いもしないだろう。今の私は宮殿の侍女。貴族や皇族は、侍女の顔なんて一人覚えているわけがない。
そうだ。大丈夫だ。覚悟を決めて、庭に足を踏み入れる。
「あら、フィルヴィーユ侯爵夫人? そのような姿で何をしていますの?」
心臓が止まりかける。皇后は庭に入ってきた侍女を見て、まっ先に尋ねてきた。
昨日と同じく、飛竜で帝都近郊まで近づく。手頃な森に着陸し、木々の間に竜を潜ませると、アンナは帝都から少し離れた郊外を目指した。
オルシュード宮殿は、先帝が建設した世界最大規模の宮殿だ。その総面積は、昨日訪れたメティル宮とは比較にならない。鹿狩りが可能なほど広大な森林庭園と、その各所に建つ無数の城館。その中の一つが、王妃の住む邸宅だ。
「よし、通れ」
宮殿内に通じる検問。事前にマルムゼがかけてくれた变化と幻惑の術で、アンナの姿は役人や兵士からは、食品納入業者に見えているはずだ。この辺りの区画は、警備の目もそこまで厳しくはない。まずは第一関門突破だ。
周囲の目を盗み、食品商人に化けたアンナは馬車の影に隠れた。すぐに術が解ける。事前の手はず通り、マルムゼがかけた術は宮殿敷地内に入った所で解けた。
(さて、次は第二関門ね)
アンナは、監獄内で働く女性型自動人形の服を拝借し、身につけていた。幸いにもその服は、宮殿内の侍女のものと色やデザインが似ている。遠目には区別がつかないだろう。ただし、近くで見れば明らかに違う。
だからアンナはまず、洗濯工場へと向かった。宮殿の使用人の制服はすべて支給品であり、この工場内で洗濯されている。その中の一枚を盗み出し、誰かに見つかる前に着替えるのだ。それが成功したら、いよいよ第三段階となる。
(よし、アンナ。ここからが勝負よ……)
首尾よく、侍女の制服を入手したアンナは、いよいよ王妃の居館へと足を向ける。森の中にある、自分の住まいだった居館を訪れたい気持ちもあったが、そんな時間はない。馬も使わずあそこまで行こうとすれば、それだけで日が暮れてしまう。それほどこの宮殿は広いのだ。皇后の居館に忍び込み、皇帝暗殺に関わる手がかりを探すことに集中しなくてはならない。
(大丈夫。あの頃と同じようにやれば、誰にも怪しまれない)
心の中でつぶやく。もともとアンナは侍女としてこの宮殿で働いていたのだ。アルディス陛下に見初められ、職人の娘が皇帝の寵姫となったあの夜まで。皇妃の館に出入りした事もある。侍女たちの仕事は一通り心得ているし、彼女たちが休息を取る時間帯、気を抜く場所、各部屋の誰もいなくなるタイミング、すべて覚えている。彼女たちに怪しまれずに調べ回ることが出来る自信はある。
木々の間から赤い屋根が見えてきた。あれが皇后の居館だ。そこに近づくごとに、魔術的な警備が厳しくなっているのがわかった。警備用の自動人形が歩き回り、各所に飾られた彫刻には、幻惑を解除する「破幻の魔術」が施されている。どちらもクロイス公爵家が用意したものだろう。やはり、マルムゼの術だけでここまで来なくてよかった。
「まぁ! 嫌ですわ伯爵夫人。ふふふっ」
軽やかな笑い声が、風に乗って流れてきた。アンナは足を止める。館の前庭にテーブルが広げられている。そこに十数人の貴婦人たちが座って談笑していた。中心にいるブロンドの女性……間違いない。ルコット皇后陛下だ。
「…………」
知った声を聞いたことで、このまま歩みを進めて良いのか、迷いが生じた。館の中に入るには前庭を通らねばならない。
(ううん、大丈夫よ)
言うなれば、正妻と愛人の関係である。彼女と直に話したことは一度もない。宮廷の公式行事でも、離れた席に座っていた。大丈夫。彼女たちは私の顔なんて殆ど覚えていないはずだ。それに宮殿いいるなんて思いもしないだろう。今の私は宮殿の侍女。貴族や皇族は、侍女の顔なんて一人覚えているわけがない。
そうだ。大丈夫だ。覚悟を決めて、庭に足を踏み入れる。
「あら、フィルヴィーユ侯爵夫人? そのような姿で何をしていますの?」
心臓が止まりかける。皇后は庭に入ってきた侍女を見て、まっ先に尋ねてきた。