春菜と千秋の問題は解決した。
あとは夏海だがどうする? 校舎内の廊下を歩きながら春菜はもどかしそうに言う。
「今からみんなで音楽室に殴り込みして夏海を連れ出す?」
「そんな手が通用するとは思えないわ、笹野派もどれくらいいるかわからないし……吹部全員を丸め込んでたなら数では勝ち目はないわ」
千秋も首を横に振って言うが、夏海が吹部に戻って欲しくないという気持ちは同じだった。冬花もこのまま終わらせたくないと焦りを見せていた。
「決めるのは夏海ちゃんよ……戻って欲しくないけど」
「あたしも、前に決めるのは夏海だって言ってたけど……今は違うわ、夏海だって戻りたくないはずよ!」
春菜もおろおろして、望も必死で策を考えてる。
「クソ! あいつら絶対に音楽室で首を縦に振らせる空気を作ってるに違いない、せめて吹部意外の奴ら――それこそここの学校のみんなが味方になってくれれば!」
全くだ! つくづく空気読めって言葉を作った奴が憎い! せめて全校生徒が味方に、音楽室どころか学校全体が夏海の味方をする空気にすれば――待てよ!
光は校舎の見取り図と音楽室の位置を頭に描き、尚且つ全校生徒の注目が集まりそうな位置を探る。
「なぁ……みんな、聞いてくれ……考えがある」
深呼吸してる暇はない、光は手短に提案を話すと千秋は驚くと同時に呆れる。
「本気なの朝霧君!? 確かにインパクトでかいけど……」
「おもしろいじゃない……やってみる価値はあるわ!」
春菜はリスクを重々承知した上で不敵な笑みを見せる。まるで絶対に勝てない対戦相手と対峙したかのように、望も開いた口が塞がらないようだ。
「マジでやるのか? しかもお前一人で?」
「やるしかないよ! 光君なら大丈夫! 私たちにも何かできることはずよ!」
冬花は迷うことなく頷く、やることは決まった。光は校舎を出て音楽室から一望できて尚且つ全校生徒の視線が集まる場所、校庭へと光は校庭のど真ん中へと走り出して吹部を含む、この学校にいる全員が見える位置へと急いだ。
授業以外で音楽室に入るのはいつ以来だろう? 風間夏海は重い扉を開けて入るとさっきまで練習していたのか、みんなそれぞれの席に座ってそれぞれの楽器を抱えていた。
「みんな、夏海を連れてきたわ。約束通り五分だけ時間をお願い……柴谷先生も」
「もちろん五分間だけ。但し、決めるのは風間さんで答えが曖昧な場合は戻らないと判断するよ」
柴谷先生は音楽室の端で腕を組んで壁に寄りかかり、判断を夏海に委ねるように見つめる。このまま五分間やり過ごすのも手かもしれない、でもそれではきっとみんな納得しないだろう。
「夏海の席、空けてるわ。みんな戻って来るの待ち望んでたんだよ」
恵美の言動はどこか空虚で、三分の一くらいの部員が「うんうん」と頷くがそれ以外は無表情だったり頷いた子を冷ややかな目で見ていた。
「さぁ夏海、早く席に着いて……用意してあるから」
恵美は少し強めに夏海の手を引く、頷いた子達の八割が同級生だったり同じクラスだ。
「夏海、もうみんなに迷惑かけないでね。ずっと待ってたんだから」「風間、また一緒に演奏しようぜ」「そうよ、みんなが風間さんを必要としてるんだから」「これでようやく元通りよ夏海」
恵美に手を引かれて通りかかるたびに頷いた子たちに声援が送られる。
断ったらきっとまた悪い影で噂を流すだろう、自分だけならまだいい。
今度は自分ばかりか、六月に自分の身を顧みず声をかけてくれた気さくで明るい春菜ちゃん、私のために涙を流して抱き締めてくれた冬花ちゃん、とても不器用だけど正義感の強い千秋ちゃん、頭良くていつも気遣ってくれた如月君、そして私を好きになってくれた光君、みんな強くて優しい人たちで私を守ってくれた。
だから今度は私が守らなくちゃ、例え自分を犠牲にしてでも。
空席となってる椅子の前には譜面台が置かれて楽譜まで用意されていた。隣には小坂先輩が座っている。
「風間……久しぶりね、元気にしてた?」
「小坂先輩……心配かけてすいません」
「気にしなくていいわ、それより……後悔はない?」
小坂先輩の眼差しは夏海の心の中は全てお見通しと言わんばかりだ。ごめんなさい小坂先輩……私、それでも戻らないといけないんです。夏海は目を逸らして「はい」とだけ頷いて振り向くと、恵美はいつの間にか楽器ケースを抱えてそれを夏海の前に出す。
「さぁ夏海……これを、またみんなにフルートを吹く姿……見せてあげて」
夏海はケースを受け取り、椅子に置いて開けると中身は入念に手入れされたフルートだ。また新しく始めるに相応しい光沢を放ち、夏海はゆっくり手を伸ばして白く細い指先が触れようとした瞬間だった。
「みんな聞けぇええええええっ!!」
天まで轟かせんばかりの叫び声。
みんな一斉に立ち上がって窓に殺到すると、柴谷先生も驚きを露にしてグラウンドを見下ろす。夏海も窓に張り付いて見ると、グラウンドのど真ん中に朝霧光が強大な敵と対峙するかのように堂々と立っていた。
朝霧光は陽射しで熱せられたグラウンドのど真ん中で声の限り叫ぶと、校舎の窓という窓から生徒が顔を出してこちらに視線を注いでいる。よし! この分なら吹奏楽部や夏海ちゃんもきっと見ているはずだ、そう信じて迷わず叫んだ。
「俺は夏海ちゃんが、吹奏楽部に戻るなんて、絶対に認めねぇええええええっ!! 俺は今夜、夏海ちゃんと!! 手を繋いで、一緒に彗星を見上げるんだぁああああっ!!」
光はこの夏休み最後の夜とそして終わった後の、夏海やみんなと過ごす放課後を思い描きながら叫ぶ。
「夏休みが終わっても俺は、夏海ちゃんと放課後一緒に帰りたい!! 休みの日はみんなで、望と!! 冬花と!! 桜木さんと!! 花崎さんと!! 一緒に遊びたい!! 秋も!! 冬も!! 春も!! そしてまた来年の夏を!! 一緒に迎えたいんだ!!」
戻って欲しくない、離したくない、遠くに行って欲しくない、ずっと一緒にいて欲しい! なぜなら、光は気持ちを隠さずに叫ぶ。
「俺は夏海ちゃんのことが、大好きだぁああああっ!! 吹奏楽部に――いや、誰にも夏海ちゃんを渡すもんかぁああああっ!!」
喉をぶっ壊しそうなほど叫ぶ、もう既にガラガラで声を出すだけで全身から汗が吹き出るがまだ止まらない、見せないといけないものがある。
「夏海ちゃん!! 君の大切な宝物!! 見つけたぞぉおおおおおおっ!!」
光は持っていた夏海の日記帳を両手でかざした、それは校舎の陰でこっそり見守ってる望たちへの合図でもあった。
「誰あの子? 二年生?」「四組の朝霧だよ、風間と付き合ってるの本当だったんだ」「校庭のど真ん中で叫ぶってどんだけ熱い奴なんだよ」「でも、凄いよねああいう子」「俺には真似できねぇよ、すぐに動画やSNSに上げられて黒歴史確定だぜ」
ざわつく音楽室、柴谷先生はどこか懐かしそうに微笑み、風間夏海は大粒の涙を流し、口許を両手にやって嗚咽しながら何度も自分を好きになってくれた男の子の名を呼ぶ。
「光君……光君……光君……」
ごめんなさい光君、私……もう――泣きながら両膝を曲げた時、スマホの着信が鳴る。一度や二度ではなく、何度も何度も鳴り続けてる。夏海はスマホを取り出してみると、みんなからで、何枚もの写真を送ってきた。
火の国まつりで撮ったもの、熊本空港で飛行機に乗る時や降りた羽田で撮ったもの、湘南で撮ったもの、どれも心から笑ってる夏海の笑顔が写っていた。
「みんな……うっ……ううっ……」
泣き崩れる夏海に誰かが優しく肩を手に乗せた。見上げると八千代が優しく微笑みながら見つめていた。
「八千代ちゃん?」
「夏海、もう行きな」
「えっ?」
「あんたが作った居場所に、私達はもう夏海がいなくても全国行くから」
夏海はわからないまま八千代を見つめると彼女はハッキリと、だけど優しく背中を押してくれた。すると恵美は取り乱してズカズカと歩み寄る。
「ちょっと八千代! 今更なに言ってるの!? なによ朝霧君、これじゃ――」
「まだわからないの!?」
八千代の甲高い突き抜けた声が音楽室に響いた。
「あの写真見て……まだわからないの? 夏海、あんなに笑ってたのよ! 恵美は、夏海が心から安心して笑える場所を、奪って、壊して、無理矢理連れ出すつもりなの!?」
心から安心して笑える場所。その言葉は夏海の胸にも鋭く刺さったが同時に温かい気持ちになる。八千代は堪えきれなくなったのか、涙を流して更に捲し立てる。
「夏海はありのままの自分でいられる居場所を見つけたのよ! フルート奏者の夏海はもうあの夏に死んだのよ、死んだ者は生き返らない……だけど生まれ変わることができる……夏海はもう……あたしたちの知ってる夏海じゃないのよ!」
八千代が断言すると柴谷先生は頷いて夏海の所に歩み寄る。
「その通り、みなさんはいずれこの学校を卒業してそれぞれの道を歩む。風間さんは皆さんよりほんの少し早く……別の道を歩むことを決めただけなんだ」
柴谷先生の言葉で恵美は覇気を失い、俯いて呟いた。
「そう……か……ただ……夏海が変わったことを認めてしまうのが……怖かったのかもしれない……わかったわ……もう夏海に拘るのはやめる……今年はもう無理だけど、来年はコンクールの出場メンバーになるわ……そして、夏海がやめたこと……後悔させてみせるから」
音楽室が静まり返ると小坂先輩が窓の外を見ながら急かす。
「風間! こんな所でメソメソ泣いてる場合? 早く行きな!」
夏海は涙を拭いながら振り向くと三分の二ぐらいの部員が無言でそれぞれ表情や眼差しで促し、背中を押しているように感じた。
迷いを捨てて夏海は立ち上がった。
「小坂先輩……みんな、ありがとうございました! もう吹奏楽部に戻りません! だけどみんなのこと、忘れませんから!」
もう迷わない。振り向くことなく、かつての仲間に見送られて音楽室を飛び出した。目指すは校庭のど真ん中にいる朝霧光の所へ急いだ。
これで僕はまた一つ黒歴史を作った。だけど後悔なんてない、あの屋上で夏海と出会い、夏休みを共に過ごした、吹奏楽部に戻っても彼女はきっと僕の彼女でいてくれるさ。
そう思った時、校舎の昇降口から飛び出して真っ直ぐ走って来る、夏海ちゃんだ!
光が安堵したその瞬間、夏海は勢いよく光の懐に飛び込んだ。
「光君!」
光はしっかりと抱き止め、そして抱き合うと彼女は光の目を真っ直ぐ見つめる。
「やっと……ちゃんと伝えることできたよ!」
「うん……よかった。はい、夏海ちゃんの大切な宝物」
光は日記帳を返すと、夏海は嬉しそうに微笑んで見つめて受け取った。
「ありがとう、光君……みんなにも言わなきゃ」
夏海はようやく澄み切った爽やかな笑顔で微笑む、ヒマワリでもアサガオでもない夏に咲く綺麗な花のようだった。そして、夏海の後にゆっくりと四人が歩み寄ってきた。
「まさか本当にやるなんて、さすがだよ光、本当に凄いよ」
望は惜しみない称賛すると、春菜も胸をキュンキュンさせた表情で言う。
「やっぱスゲェよ朝霧君、漫画で見たようなこと本当にやるなんて……まさに――」
「青春。って言いたいんでしょ春菜、目論みは成功ね冬花」
「ちょっと! 人が言おうとしたこと先に言わないでよ!」
春菜は千秋に文句言うが、そんなのどこ吹く風と言わんばかりに冬花と笑みを交わす。
「うん! 大成功だね! 夏海ちゃん、光君にちゃんとお礼しようね」
冬花は光が校庭に出る直前で画像を送ろうと提案したが、上手くいってよかった。
だけどお礼ってどうするんだろう? これからまた楽しい日々が始まる。それだけで十分なのに、夏海も同じことを考えてるのか人差し指を唇に当てて考えてる。
周囲を見ると出てきた望達に便乗したのか、生徒達が次々と昇降口から出て来て光と夏海の周りに集まったり、校舎の窓から身を乗り出してる生徒もいた。
「ねぇあの子って一組の風間さんと四組の朝霧君じゃない?」「あの大人しそうな二人、付き合ってるんだ」「彼氏君の方、大胆よね。今年の夏は最後まで熱いね」「くぅううう羨ましいぜ!」「いいなぁ私もあんな彼氏が欲しい」
ざわつく生徒達にさすがの光も視線を気にして見回す、竹岡も見てるだろうな。
「あっ、そうだ」
夏海は思いついたらしい。何を思い付いたんだろう? 夏海は頬を赤らめながら周囲を見回すと、上目遣いになって悪戯っぽく微笑んだ瞬間。
「ん……!」
光は目を見開いた。唇には果実のように柔らかい桃色の唇、世界が一瞬だけ時間を止め、そして動き出す瞬間、大規模噴火する火山のごとく大歓声が上がった。
ある者は声の限り声援を送り、ある者は景気づけと言わんばかりに指笛を派手に鳴らし、ある者は羨望と嫉妬が入り交じった罵声と冷やかしを飛ばし、ある者は喉がはち切れんばかりに叫んだ。
大歓声の中、光は顔が蕩けてしまいそうなほど赤熱させて夏海と見つめ合う。夏海も生涯で一番恥ずかしそうだったが、それさえも楽しんでるようで、湘南の時に見せたはにかんだ笑みになる。
「いつかのお返し! えへへへ……」
「う……うん!」
光はもう一度夏海と唇を重ねようとした時、冬花が叫んだ。
「二人とも逃げて! 玲子先生が来る!」
「ぐぅおおおおおるぅうううううぁあああああああっ!! 白昼堂々校庭のど真ん中で不純異性交遊してんじゃねぇえええぞ!! このアオハルテロリストどもぉおおおおっ!!」
玲子先生は陸上部の短距離選手も真っ青なスピードで、両目を嫉妬の青白い炎で燃やしながら突っ走ってきて、光はすぐに夏海の手を握って走った。
「逃げるよ夏海ちゃん!」
「うん、離さないでね光君!」
夏海は澄み切った笑顔で光と走る。周囲は笑い声と声援、そして玲子先生にブーイングする者もいた。さぁ、楽しもう! この奇跡の八月三一日、彗星の夜を! 青空の下で光と夏海は声援を送られながら玲子先生との追いかけっこを楽しんだ。
夕方になるとみんなでバーベキューパーティーだ。
外で肉や野菜を焼き、家庭科室で大量にお米を炊き、料理研究部が握ったおにぎりを食べる。
夏海は今日、朝ご飯を食べず、昼もソーメン少しだったせいかおにぎり五個、大きな肉と野菜の串焼きを一〇本と少食の冬花だったら胃もたれ起こしそうな量を幸せそうに食べる。
「ん~美味しい! もう幸せ!」
口の周りにはソースや米粒がついて幸せに満ちた表情を見せ、夏海以上にドカ食いしてる春菜はニヤケながらからかう。
「夏海! そんなに食べたら幸せ太りしちゃうぞ!」
「もう! 春菜ちゃんだって沢山食べてるじゃない!」
夏海は照れ笑いしながら言い返す。光はすっかりいい顔するようになったと口許を緩めたが、それを竹岡が見ていたようで恨めしそうに声をかける。
「お前、こんな風に笑うんだな朝霧」
「ああ、竹岡君……ちょっとやり過ぎたかも」
「やり過ぎってレベルじゃねぇよ! リア充どころか全力で青春しやがって倉田に申し訳ないと思わないのか?」
そういえば倉田君は中学時代の友達と彗星を見るらしい、光はスマホを取り出して倉田君にLINEメッセージを送るとすぐに返信が来た。
『話は竹岡から聞いた。お前この夏休みを骨の髄まで楽しみ尽くしてるな』
『うん、僕だけ彼女作っちゃって少し悪いと思ってる……ごめんね』
光が送信すると、スマホの画面を覗いていた竹岡は全身から怨念を放ちながら言う。
「悪いと思うなら彼女なんか作るな」
顔中に青筋立てていて、そのうち脳味噌の血管が切れて脳内出血で病院送りになりそうだった。すぐに返信が来ると、画面に注目する。
『気にするな、実はな――』
メッセージの次に画像が送られてきた。
『――俺中学の頃から彼女いるんだ』
倉田と一緒に写ってるのは三つ編みお下げの黒髪にそばかす顔、丸眼鏡をかけて地味だがとても優しそうな愛らしい女の子で、セーラー服姿はまるでかつて昭和と呼ばれた時代からやって来たような子だった。
「なぜだ……あのやらない夫に彼女が……あいつは俺と出会う前から裏切ってたのか、ぬぅあずぅうえだぁあああああああっ!!」
竹岡は天に向かって慟哭した、それを見て冬花は面白がって見ている。
「やっぱり面白いねやる夫君」
「竹岡君だよ、頼むから本名で呼んで覚えてあげて」
光は苦笑すると、ペットボトルのお茶を持って沈み行く夕日を眺めてながら柴谷先生と談笑してる望の所へと歩いて声をかけようとすると、柴谷先生の方から笑顔で声をかけてきた。
「やぁ朝霧君、さっきのパフォーマンス素晴らしかったよ」
「あれは夢中でやっただけですよ、さっきはありがとうございました……柴谷先生がいなかったら今頃夏海ちゃんと生徒指導室で反省文書かされてましたよ」
夏海と逃げて玲子先生に追いかけられて捕まった後、反省文書かされそうになった所を柴谷先生が間に入り、擁護してくれたのだ。
「俺と冬花も火の国祭りの時に助けられたんだ、ジョージ・オーウェルの『1984年』も勧めてくれたしね。思い出もたくさん……いや、これからも冬花や光、みんなとたくさん作っていきたい」
望の言う通り思い出がぼんやりと、そして徐々に鮮明に脳裏に浮かぶ――火の国まつり、今思えばあれが夏海ちゃんとの初デートだった、あの日々がずいぶん遠く感じてると柴谷先生は言う。
「まだ懐かしむには早いよ朝霧君、彗星を見上げて家に帰って……そして二学期を迎えて初めて夏休みは終わりなんだから、思い出はこれからも作っていけばいい」
「また……見たいな夏海ちゃんの……薄雪草の浴衣姿」
光は湘南で一緒に花火を見上げた時のことを何気なく思い出して呟くと、柴谷先生は少し驚いた表情になるが、やがてに過ぎ去った日々を懐かしむように穏やかな微笑みに変わる。
「薄雪草……風間さんにピッタリの花の名前だね」
「薄雪草って夏に咲く高山植物のことですか?」
望が言うと柴谷先生は穏やかな笑みで頷いた。
「そう、ヨーロッパでは『高貴な白』という意味でエーデルワイスと呼ばれてる。花言葉は勇気、忍耐、そして尊い……あるいは大切な思い出だ」
それでようやくわかった。夏海はアサガオでもヒマワリでもなく花に例えるならエーデルワイスだ。
吹部をやめて心ない誹謗中傷や噂、陰口を桜木さんと耐え凌ぎ、勇気を出して花崎さんに手を差し伸べたり、冬花の背中を押して、そして僕と結ばれてみんなで尊い、大切な思い出を作った。
柴谷先生の言う通り、夏海ちゃんに相応しい花の名前だ。
日が暮れて辺りが暗くなると校庭で生徒のみんなは花火で遊んだり、キャンプファイヤーで囲んでフォークダンスして過ごしている頃だ。学校から一歩出た所で柴谷太一は穏やかな表情で過ぎ去った――四人で駆け抜けた青春時代の思い出に浸りながらペットボトルの紅茶を飲んでいた。
「あの頃に戻りたいとでも思ってるの? 柴谷君」
思い出に耽ってると同僚の玲子先生が同僚としてではなく、同級生だった頃の言葉で声をかけてきた。
「綾瀬さんは空っぽの青春時代のまま大人になってコンプレックスに苦しむのと、思い出に溢れた青春時代に戻りたいと苦しむの、どっちがいいと思う?」
「柴谷君は後者だと思うわ。あたしも戻れるなら戻りたい、そしてちゃんと青春してちゃんと恋がしたい」
玲子は上着のポケットからイギリスの銘柄の煙草――奇しくも太一の愛読書であるジョージ・オーウェルの小説「1984年」に登場するヴィクトリー・シガレットを取り出した所で太一は止める。
「辞めておけ、また悪用されるかもしれないぞ」
「いいじゃない敷地の外だし喫煙者としてのマナーも守ってるし」
「僕は君がその銘柄を高校の頃から愛用してるのを知ってる」
太一は遠回しに脅迫まがいな警告すると玲子は渋々ヴィクトリー・シガレットをポケットに戻す。
「はいはい、その代わりに訊きたいことがあるの。どうしてあの子たちを庇ったの? 吹奏楽部辞めたのに、復帰させなくてよかったの?」
「ああ、部活や勉強ばかりが青春じゃない。それにあの子たちはあの頃の僕たちと同じ、居場所を学校の外に見出だしたんだ……教室に居場所が無ければ教室の外に、学校に居場所が無ければ学校の外にと、より広い場所に本当の居場所があるんだと、あの子たちは改めて教えてくれた」
「まっ、私は結局学校にしか居場所がなかったからこうして一番嫌ってた仕事に就いたけどね」
玲子は苦笑しながら溜息吐き、かつての同級生と八月最後の夕暮れの空を見上げると、女子生徒が急いだ様子で走ってきた。
「柴谷先生!」
吹奏楽部一年生の栢原さんが普段の練習や昼休みには絶対に見せない輝かしく、愛らしい笑顔で大きく手を振りながら走り寄ってきて、手を取る。
「やっと見つけましたよ先生! 一緒に踊りましょう!」
栢原さんは大胆にもウィンクして腕に太一に胸を押し付けてきた。
「あの……僕、家内がいるんだけど」
太一は苦笑するが彼女は左手の薬指に光るものに目を向けると唇を噛んで、声を震えさせて絞り出すように言う。
「わかってます……でも私、今夜は柴谷先生と一緒に彗星を見上げたいんです」
「モテモテね柴谷先生、奥さんや保護者に見られたら大変よ」
玲子はニヤけながらスマホを出して構えると、栢原さんはキッとした表情になって玲子先生の前に立ち塞がり、スマホを構えて練習の時でも見せない凛とした眼差しと声を響かせる。
「撮るんですか? 撮って柴谷先生の弱みを握ろうなんてそうはさせません!」
「あらあら栢原さん、大人に盾突くつもり?」
玲子は高校の先生ではなく意地汚い大人の笑みを見せるが、栢原さんは一歩も引く様子はない。
「ええ、綾瀬先生……高校の頃、優等生でしたけど裏で喫煙してたって高森先生に言いますよ!」
「えっ? な、何で知ってるの?」
玲子は一瞬で青褪めて固まり、全身から脂汗が吹き出す。攻めるのは得意が攻められるのは弱いのは相変わらずか、仕方ないから白状しよう。
「Big brother is watching you.(ビッグ・ブラザーがあなたを見ている)」
「ぐぬぬぬぬぬ……覚えてなさいよ!」
太一は遠回しに白状すると玲子は悔しそうにスマホをポケットに押し込む、栢原さんはクルリと一八〇度回って悪戯っ子のようにウィンクして少しだけ舌を出した。
「さぁ、行きましょう柴谷先生!」
太一の手を取って走り出した教え子の将来が心配だ。
そしていよいよその時がやってきた。
彗星がよく見えるように学校の電気は一部を除いて全て消し、校庭や校舎の窓、屋上から見上げる。
朝霧光達が見上げる場所は既に決まっていた。ネットでは多くの動画サイトやSNSで実況生放送したり、世界各地で写真に上げたりしてインターネット回線がパンクするほどだった。
光はそんなこと気にも止めず屋上に上がると、何人かのグループで見上げてる生徒たちも多くいて、周囲の建物も彗星がよく見えるようになのか、電気を消してる所が目立つ。
屋上の塔屋を出て見上げながら足を止めると、光は目を見開き、口も開いて言葉を失った。
隣で見ている夏海は月明かりのように表情を輝かせる。
「凄い……彗星があんなに綺麗だなんて」
彗星は満月の夜空に魔法をかけるかのように、太く、長く、美しい尾を引いて夜空を虹色のオーロラのように輝かせていた。
冬花の提案で六人は屋上の床に仰向けになって輪を作り、頭を内側にしてお互いに手を繋ぐ。彗星の夜空見上げる光の右手から夏海、春菜、千秋、冬花、望と繋ぎ合うと、冬花は思い出を口にする。
「望君、幼稚園の頃以来だね……こうやって夜空を見上げるの」
「うん、よく覚えてるよ……冬花、あの時の約束……ちゃんと覚えてるから!」
望は懐かしそうな眼差しで告げると、冬花は少し間を置き、嬉しさのあまりに涙を流しそうな笑顔で「うん!」と頷き、春菜が興味津々で訊く。
「ええっ? どんなこと約束したの?」
「私と望君の、ひ・み・つ!」
冬花は「ニヒヒ」と笑うと望も知らないふりすると、春菜もそれ以上は詮索しなかった。
雪水冬花はみんなが抱いてるだろう、ありのままの気持ちを口にする。
「綺麗、こんな夜空をみんなで見られたの……奇跡だよ!」
一人では怖いけど、みんなと一緒なら勇気を出し、一歩ずつ足を動かせば奇跡だって起こせる! この駆け抜けた夏休みの思い出が勇気の証だ!
花崎千秋は六人で見上げることができた喜びを噛み締め、目を閉じると夏海に手を差し伸べられて友達になったあの日から、今日までの思い出が鮮明に甦る。
「奇跡……そう! 沢山の偶然と奇跡が重なって、こうしてみんなで一緒に見上げることができた……私にとって……それが一番の奇跡よ!」
そう、大好きなかけがえのない友達とみんなで見上げる。
当たり前のように思えるけど当たり前じゃない奇跡。
桜木春菜は感慨深そうに今の千秋の言葉に頷く。
「うん、みんなで泣いたり、笑ったり、喧嘩したり、怒ったり、馬鹿やったり、こうして彗星の夜を迎えられた……これがあたしたちの青春ね」
そう、あたしたちは今、青春真っ只中にいる嬉しさを噛み締めていた。
如月望は夜空に輝く彗星と、これからも続いていく幼馴染みやみんなとの物語に心を踊らせる。
「ああ、でもまだまだ終わらない――いいや、終わらせない! これからも光や夏海、春菜に千秋、そして冬花と一緒に楽しいことをやっていきたい!」
女子メンバー全員を名前で読んだが、みんな寧ろ少し嬉しそうに頷いてくれた。
風間夏海は隣で手を繋いでる優しくて、太陽の心を持った男の子の手の感触を精一杯噛み締め、嬉しさに満ちた笑みで目頭を熱くさせながら、奇跡を呼んだ彗星を目に焼き付ける。
「私、やっとわかった気がする……居場所というのは誰かに与えられるんじゃなくて、自分で探して作るものだって」
この終わりゆく夏休み前に居場所を作ろうと、手を差し伸べて恋心を寄せてくれた男の子を見つめる。
そう、あの夏の始まりの日、朝霧光は一目惚れした女の子を一緒に作ろうと声高に言った。
それからみんなでいろんな所に出かけたり、逃げたり、笑ったり、一緒に友達を励まして背中を押した。いつだって大好きな夏海ちゃんと一緒だった。
「うん、そして僕達は恋をして、こうして手を繋いでる」
光は夏海と見つめ合い、無邪気な笑みを交わす。
ふと、光は屋上で出会った塔屋からはどんな景色が見えるんだろう? 光はすぐに行動に移す。
「ねぇ、夏海ちゃん……もっと近くで彗星を見ようか」
「えっ? どうやって?」
夏海は上体起こして訊くと、光も上体起こして視線を塔屋に向ける。
「あそこ、僕たちが出会った場所だよ」
そう、六月の晴れたあの日に僕たちが出会った場所だ。左で仰いでる望は賛成する。
「名案! さっすが光だよ! いいよ二人で行ってこい!」
「うふふふふ……光君、夏海ちゃん、先越される前に行っておいで!」
冬花も胸をキュンキュンさせてるのか、満面の笑みで背中を押すと千秋も珍しく悪戯っぽく、そして仄かに赤らめながら微笑んでからかう。
「いいね。但し朝霧君、夏海……星空の下でエッチしちゃ駄目だよ!」
光はドキッとして夏海も頬を赤くしてオドオドすると、それ以上に春菜は超新星爆発寸前の恒星のように顔を真っ赤にし、両手で顔を覆って裏返った声になる。
「な、なんてこと言うのよ! 千秋の馬鹿ぁっ!!」
それでみんなが笑う、桜木さん実は凄い純情だったんだ。
幸い塔屋の上に先客はおらず、光はしゃがんで手を差し伸べて夏海の手を握って引き上げると、登校日前日のデート以来ようやく光は夏海と二人っきりになれた気がした。
「やっと……二人になれたね」
「うん、みんなのおかげでね」
夏海は下で見上げてる四人に視線を向けながら頷く、真上にはオーロラのように輝く虹色の巨大彗星。なんて美しい夜空なんだろうと見上げながら腰を下ろす、無言のままゆっくりと時間は流れる。
交わす言葉は必要なく、ただお互いの手を握り合い、同じ気持ちで彗星の夜空を見上げていた。
どれくらいの時間が経ったかわからない、夏海をゆっくりと囁くように言った。
「ねぇ光君」
「うん」
光は隣を見ると、夏海は彗星を見上げたまま訊いた。
「光君は……夏休み――ううん、夏は……好き?」
台詞の前半は躊躇いがちだった、光は勿論だと頷いた。
「うん、大好き……でも今年はもっと大好きになったよ。夏海ちゃんと出会って、みんながいてくれたから、夏海ちゃんまだ夏は嫌い?」
あの六月の晴れの日、ここで夏海は大嫌いだと大声で叫んでいた。
少しの沈黙の後、夏海は光に顔を向けて真夏の太陽のように晴れやかな笑顔で言った。
「ううん……もう一度、大好きになれたよ……光君のおかげで」
すると夏海は立ち上がり、夜空の彗星に向かって大声で叫んだ。
「私、大好きだった夏が大嫌いなっちゃったけど!! 今はもう、また夏が、夏休みが大好きになれて嬉しいいいいいいい!!」
誰かが見て聞いてる――いや、きっと望達も微笑んで聞いてるだろう。光も立ち上がって夜空に輝く彗星に向かって叫ぶ。
「俺も!! この夏が、夏休みが、そして夏海ちゃんが!! 大好きだぁぁあああああっ!!」
恥ずかしいけど凄く気持ちいい、夏海と微笑みを交わして見つめ合って光は夏海の腰に腕を回すと、少し恥ずかしそうに甘く囁いた。
「光君……また、キス……しようか」
同い年の女の子とは思えない官能的な響き、少女から女性になろうとしてる夏海の顔を見つめると、ゆっくり目閉じて光はそっと唇を近づけ、彗星が見守る夜空の下で唇を重ねた。
ほんの数秒間だったが、彗星の夜空の下で一生忘れないの思い出と柔らかい感触を胸に刻んで離すと、おでこをコツンとくっつけた。
「光君……あの時、私を見つけてくれて……好きになってくれて本当にありがとう」
「夏海ちゃんも……来年の夏も――いや、ずっと一緒に歩いていこう」
光は見つめて言うと、夏海ははにかんだ笑みで頷いて抱き合ったまま、いつまでも彗星の夜空を見上げていた。
エピローグ
彗星がもたらした奇跡の夏休みが終わり、まだ暑さが残る九月のある金曜日の昼休み。
風間夏海は八千代に久し振りに一緒にお昼食べようと誘われた。
音楽準備室に入ると眼鏡をかけた一年生のトロンボーンの栢原美織、フルートの小坂先輩、驚いたのは冬花も来ていた。
「冬花ちゃん? どうしてここに?」
「えへへへ……柴谷先生の淹れる紅茶、凄く美味しいんだよ」
柴谷先生によれば冬花は時々やってきて夏海の近況を話してるらしい。
お昼を食べて柴谷先生が熱い紅茶を淹れ、一年生の美織ちゃんは恋する乙女の眼差しで柴谷先生を見つめながら言う。
「彗星の夜、ロマンチックでしたね。あたしも、大好きな柴谷先生の隣で一緒に見られて、今でも鮮明に残っています」
「あははははは……家内にこんなこと聞かれたら大変だよ」
柴谷先生は苦笑しながら慣れた手つきで人数分のカップに紅茶を淹れる。
左手の薬指には指輪が光っているが、八千代によればこの一年生の女の子は叶わぬ恋だと知りながらも、健気にトロンボーンを吹いてるという。
夏海は早速淹れてくれた紅茶を飲むと、確かに美味しい。紅茶の喫茶店で働いてもやっていけるんじゃないかと思うくらいだった。すると八千代は改まった口調で訊く。
「夏海! コンクール……全国大会の前に一つだけ訊きたいことがあるの!」
「なになに?」
冬花は好奇心に満ちた眼差しで八千代を見つめる。どんなことを訊くんだろう? 夏海は身構えると、八千代は真剣な眼差しで、だけど思わず口許が緩んでしまう質問を投げ掛けた。
「夏海はどうして朝霧君のこと好きになったの?」
夏海は六月のあの日、好きになってくれた男の子の顔を思い浮かべると、美織ちゃんや小坂先輩も同調した。
「……あの、よろしかったら聞かせてもらえますか?」
「あたしも聞きたい聞きたい!」
夏海は紅茶のカップに視線を落とし、光のあの優しげな笑みを脳裏に浮かべる。
「光君はね……私の真っ暗で曇った心を温かく、優しく照らしてくれて……だけど本当は心が激しく燃えちゃうほど熱くて……まるで太陽みたいな子なの」
夏海はまだ熱い太陽が照らす外に目を向けて微笑み、惚気話を始めた。
二年四組の教室にいる朝霧光は弁当を食べ終えると航空雑誌を開き、パイロットを養成してる大学の募集ページを開いて目を通す。進路希望調査が始まったら迷わず民間航空機パイロットを希望するつもりだ。すると一緒に食べた倉田が優しげに微笑む。
「パイロットになるの……本気だったんだな」
「うん、自分の手で飛行機を操縦して、世界を見て回りたいんだ」
パイロットを養成してる大学を卒業したら、海外の航空会社に行くことも視野に入れてる。その時は夏海ちゃんと遠距離恋愛になるかもしれないが、彼女は応援するって迷わず言ってくれた。
「朝霧、いいのか? パイロットコースの大学なんて限られてるから風間さんと遠距離――」
なにか言おうとした竹岡に倉田は凛々しい顔で首を締め上げながら、心強い眼差しで言う。
「朝霧! この根暗な陰キャは置き去りして、お前は迷わず突き進め! あの夏休みの時のようにな!」
「あ、ありがとう……」
光は苦笑しながら礼を言うと教室の窓の外――遥か遠くの空を見つめる。
そうだ! 光はスマホを取り出して「ジェネシス彗星 現在」と検索すると、ニュースサイトにアクセスして動画を見る。
ニュースを見るとジェネシス彗星は地球に最接近した後、太陽系を離れるコースを取り、最近発見されたばかりで四〇光年先――それも生命が存在できるハビタブルゾーン内に、地球にそっくりな太陽系外惑星が複数見つかった恒星系に向かってるという。
光は感慨深そうに呟く。
「結局ジェネシス彗星はどこから来てどこに行くんだろう?」
「それは誰にもわからねぇ。ただ一つ言えるのは……あれは地球に住む俺たちに奇跡を届けに来て、そして次の星に奇跡を届る旅に出たんだ」
ロマンチックな台詞を言う倉田は案外詩人や哲学者にでもなれそうだ。一方捻くれた竹岡は不快感を露にする。
「けっ、なんで朝霧と倉田に届いて俺には届けなかったんだよ……そのまま永遠に宇宙を彷徨えってんだ」
「お前がそう捻くれたことを言うから奇跡は届かなかったんだ」
倉田はそう言うとスマホの着信音が鳴る、画面を見ると優しげな笑みで操作して光はもしかしてと訊いてみる。
「この前見せてくれた倉田君の彼女さん?」
「ああ、自慢の彼女だ」
倉田は誇らしげに言うと、竹岡は捻くれた意地悪な笑みで言う。
「あの三つ編み丸眼鏡の地味でブスな彼女かい?」
「ふっ……残念だが、あれは六月のでこの夏休みにイメチェンしたんだ」
倉田は鼻で笑ってスマホを見せると、竹岡はあんぐりと空いた口が塞がらなくなった。
光も試しに見るとそばかす顔なのは相変わらずだが、元々整った顔立ちで眼鏡は外して髪型もシンプルな黒髪ロングにして素朴で可愛らしい見た目に変わっていた。
「……ぬぅあずぅえだぁあああああああっ!!」
教室のど真ん中で竹岡は血の涙を流しながら慟哭した。
放課後になると光は鞄を取って三組にいる望と冬花と合流する。
「お待たせ光!」
「ねぇ! 今日もみんなで街に寄り道して行こう!」
二学期始まってからは時々六人で放課後、繁華街を寄り道するのが日課になっていた。
「お待たせ! 一組ももう終わりそうだよ!」
二組の教室から出てきた春菜は今を存分に楽しんでるようだ。
一組の教室前に来ると、たった今ホームルームが終わったようで一学期の時から見ると表情が柔和になった千秋と、一緒に前を向いて歩き始めた夏海が出てくる。
意外にも駒崎さんとも一緒に喋りながらで、駒崎さんは光を見るなりニヤニヤしながらからかう。
「おっ! 夏海、愛しの彼氏君が迎えに来たわよ!」
「もう! 八千代ちゃんからかわないで」
夏海は頬を赤くしながら言うと、少し離れた場所にいた守屋さんが光の所に歩み寄ってジッと見つめる。
「朝霧君……一言だけいい?」
「な……何?」
光は身構えるとハッキリ言った。
「夏海こと……泣かしたら、絶対に許さないから」
沈黙が数秒、守屋さんは今でも夏海のことをまだ心のどこかで友達だと思いたいらしい、沈黙を破ったのは千秋だった。
「そんな心配しなくていいわ、そんなことがあったら……私が引っ叩くから」
「ふっ……それもそうね」
守屋さんは苦笑して光に背を向けると駒崎さんもニヤけながら右手で拳銃の形を作り、光に向けてポーズを決める。
「大変だよ夏海の彼氏は……まっ、あんたなら大丈夫だと信じてるわ」
そう言って駒崎さんも守屋さんと音楽室の方へ行く、これから全国大会に向けて練習だろう。夏海はどこか名残惜しいのか、二人を呼び止めた。
「八千代ちゃん! 恵美ちゃん!」
駒崎さんは足を止めて首を傾げながら振り向き、守屋さんは背を向けたままだ。
「全国大会……頑張ってね!」
夏海は精一杯の言葉を送ると守屋さんは背を向けたまま首を縦に振り、駒崎さんはニカッと笑って言い放った。
「勿論! 夏海がやめたこと、絶っ対に後悔させてやるから! じゃあね!」
そして二人は音楽室へと歩いて行くと、夏海も晴れやかな表情で光たちの方を向いた。
「私たちも行こうか!」
「うん!」
光が頷くとみんなも頷いて駒崎さんたちとは別の方向、昇降口で履き替えて放課後の街へと歩き始める。
今日はどこへ行こうかと駄弁り、そういえばあの食玩、紫電改もあったから買って帰ろうと思いながら学校を出ると、光はさりげなく夏海と手を繋いで他愛ない微笑みを交わした。
彗星がもたらした奇跡の夏休みが終わり、やがて夏も終わりを迎えようとしていた。
だけど、あの日大好きな女の子と出会い、恋に落ち、勇気を出し、幼馴染みの二人の背中を押し、大切な友達と過ごし、居場所を作り、彗星を見上げた夏休みの思い出は僕たちの胸に刻まれ、それを糧にこれからも歩み続ける。
僕たちの青春物語はこれからも続いていくのだから。