光たちを乗せたボーイング787は一時間半で羽田空港のA滑走路の34Lから着陸。
 第二ターミナルの駐機場に到着すると飛行機を降りて預けていた手荷物を受け取り、京浜急行に乗って横浜駅で仲良く迷子になり、重い荷物を抱え、引き摺りながら駅にある百貨店のレストランで昼食を食べた。
 一休みしてJR東海道線に乗り、藤沢駅で江ノ島電鉄――通称:江ノ電に乗り換えると地元住民よりも観光客の方が多い、しかも一二分に一回しか来ない電車に、乗り切れないだろ! と思うほど人が多かった。
 七里ヶ浜駅で降りて登り坂を歩くと、やっと望の親族が経営するホテルに到着した。
 
 オーナーである親戚のおじさんに挨拶を済ませ、割り当てられた部屋に入ると一気に疲労が押し寄せ、汗だくになった光はベッドにバタンキューと倒れそうになる。
「やっとついた……江ノ電人多過ぎ、地元住民の足なのにあれじゃもう観光列車だよ」
 部屋の割り当ては光と望の二人で、隣にそれぞれ冬花と夏海、春菜と千秋だ。
「おじさん、僕たちのために一番いい部屋を取ってくれたんだよ」
 望は誇らしげな笑みでカーテンを一気に開けると、窓の外には入道雲を背景に江ノ島が浮かぶ湘南の美しい景色が広がっていた。
「ああ……確かに、この景色……いいよな」
 光は広縁の椅子に座ってスポーツドリンクと溶けて柔らかくなったチョコを口にする、この景色を風間さんと一緒に見たい。
「さあ明日は江ノ島で明後日は海水浴でその夜は花火大会……三泊四日の旅はあっという間だ! ここには五月蝿い先生も親も邪魔してくる吹部もいないから!」
「うん、まだ明るいし外に出てみようか!」
 望の言う通りだ。荷物を下ろして軽くなったからか、少し休むといつの間にか旅の疲れも取れて到着から一時間足らずでホテルの外に出ると、冬花が提案する。
「みんな、あの踏切に行こうよ! ここからだと歩いて行けそうじゃない?」
 確かにスマホの地図アプリで見ると歩いて行けそうな距離で、真っ先に春菜が気付いて興奮する。
「もしかしてあの高校前駅の踏切!? 行きたい行きたい!!」
「江ノ電の高校前駅……そうか! あの踏切のことね! 行こう!」
 千秋も気付いて快く頷くと夏海は首を傾げる、光はそれを見逃さず説明する。
「風間さん、あの踏切だよ……アニメや映画のロケ地にもなるあの踏切!」
「う~んちょっとわかんないな……ずっとテレビとか映画とか見る暇なかったから」
 夏海は困ったように微笑むと光の胸にチクリとした。そうだ、去年までずっと吹部の練習で流行とか楽しいことを知らず、辞めてからも怯える日々が続いてたから……。
 光は静かに息を深く吸って堂々と言った。
「じゃあこれからたくさん、僕たちと一緒に知っていこう!」
「……うん!」
 困り顔だった夏海は嬉しそうに微笑んで頷いた。
「みんな……テンション上がるのはわかってるけど、過度な期待しない方がいいよ」
 前向きな望にして珍しく後ろ向きな発言で冬花はなんとなく察して、光を含めて他のみんなは首を傾げていた。
 地図を辿って江ノ電の高校前駅手前にある踏切があり、国道134号線を挟んですぐ七里ヶ浜の海岸だ。遠くには伊豆大島が薄っすらと見え、美しい湘南の海を背景にクラシックな電車が踏切を通過するシーンはあまりにも有名だ。
 一二分おきに通過するクラシックな電車だが、そのノスタルジックな光景に冬花と望はなんとも言えない表情で、千秋は蔑む目で見つめ、春菜は口元を引き攣らせ、夏海は苦笑し、光はようやく望の言ってた意味がわかった。
 千秋は一生懸命スマホやカメラを構えてる人達に白けたような低い声になる。
「なにこれ……人群がり過ぎ」
「うん、なんかここの踏切凄くいいけど、有名になり過ぎた故の弊害ね」
 春菜は頷く。そう踏切としてはあまりにも有名になり過ぎて夕暮れ時なのに観光客が多く集まり、実際マナーの悪い観光客も問題になってるらしい。
「人間考えることって案外同じかもね」
 光も藤沢方面に向かう電車が通過する動画を撮ろうと近づく、観光客の中には外国人も多く、明らかに英語ではない言葉で喋ってる人も多くいた。

 高校前駅から鎌倉行きの電車に乗り、長谷駅で降りると由比ヶ浜海水浴場まで歩く。砂浜に出ると海の家が立ち並び、既に遊泳時間は終了して夕暮れ時だがそれでもそれなりに人はいた。
 犬を連れて散歩する人、家族連れの人、カップルで二人の時間を過ごしてる人、光達のように友達と遊んでる人と様々で、冬花はみんなの前に出てクルリと振り返る。
「ねぇみんな! ここってさ、今の気持ちとか言いたいことを叫んでみると気持ち良さそうじゃない? 特に夏海ちゃん!」
「えっ? ええっと……うん、確かに良さそうね」
 夏海が戸惑ってると春菜が波打ち際まで走り、大きく息を吸い込んでブラウスのボタンが弾けるくらいに胸を張って大声で叫んだ。

「大神いい加減に諦めろぉぉぉおおおおっ!! もう練習漬けの日々は嫌だぁあああああ!!」

 光が呆気に取られてると春菜は爽やかな汗を夕陽に反射させながら笑顔で振り向いた。
「こんな感じ?」
「うん! それそれ!」
 冬花は嬉しそうに頷くと千秋もゆっくり波打ち際まで歩き、春菜に負けないくらい程の大声で叫んだ。

「夏休みくらい好きに過ごさせろぉおおおおおっ!! 宿題とか夏期講習とか部活とかうざいんだよぉおおおおおっ!!」
「そうだそうだ!! 今年の夏休みは二度と来ないんだぁああああああ!! 邪魔をするなぁああああっ!!」

 冬花も便乗して叫ぶと千秋と他愛ない笑みを交わす。
「それなら僕も」
 望も冬花の隣に立ち、気持ちを包み隠さず叫ぶ。

「俺もだぁああああああっ!! この時は今しかないんだぁあああああっ!! 俺たちの夏休みは、俺たちのものだぁあああああああああっ!!」

 見ているこっちが恥ずかしいと苦笑するが、今の叫びたい気持ちは……と思ってると春菜がニカッと白い歯を見せて手招きする。
「夏海も叫んでみなよ、恥ずかしいけど気持ちいいぜ!」
「えっ!? わ、私は……その――ううん、じゃあ」
 一瞬耳まで赤くして動揺したがすぐに首を横に振った。躊躇いを振り払ったのだろう、恐る恐る春菜の隣に立つと深呼吸して落ち着かせ、顔を真っ赤にしながら裏返った声で叫んだ。

「こんなに楽しい夏休み!! 初めてぇえええええええっ!!」

 他のみんなに比べて控えめだったがそれでも光は同感だった。
 今までこんなに楽しい夏休みはおそらくないだろう。出来ることなら来年も――いや、今は考えるのはやめよう、今を精一杯楽しむんだ。
 あとは光だけで案の定、望が期待の眼差しで言う。
「光もなんか叫びなよ!」
「そ……それじゃあみんな……飛びっきり恥ずかしいこと、みんながドン引きするくらい叫ぶから」
 そう言うと何を叫ぶかはもう心に決めて夏海の隣に立つ、みんなに視線をやると望と冬花は期待した眼差しで、千秋は気付いたのか「あっ」と微かに察した表情になったが、次の瞬間にはゆっくり背中を押すかのように強く頷くと、春菜は興味津々の眼差しだ。
「ねぇねぇ何を叫ぶの? 何を叫ぶの?」
「春菜、急かさない!」
 千秋は以前吹部に啖呵を切った時のように凛とした声で黙らせる。
「……はいはい」
 春菜も気持ちを汲んだのか急かすのをやめる。光は夏海と一瞬目を合わせると怖がらせたのか、静かに驚いた様子で視線を逸らす。怖がらせてしまったか、でももう引き返せない、覚悟を決めて息を深く吸い込んで水平線の彼方に向かって光は叫んだ。

「俺は、風間さんのことが好きだぁあああああっ!!」

 一瞬世界が波の音だけになり、砂浜にいる人の視線が光に集中して夏海は「えっ?」と目を丸くし、次の瞬間には顔を赤熱させて裏返った声で動揺する。
「ええええっ!?」
 夏海は恥ずかしさのあまり両手を口元に当てるが、光は構わず叫ぶ。

「好きだ好きだ好きだ! 大っ好きだぁああああっ!! 六月のあの日、一目見たときから、俺は風間さんのことが好きだぁあああっ!! 俺は、この夏を、風間さんと一緒に駆け抜けたいっ!!」

 叫びたいことは叫んだ、全身から汗が噴き出してくる。喉がガラガラだ、みんなの反応はというと望は「あーあやっちまった」と言いたげで、冬花は夜空に輝く星のように瞳を輝かせ、千秋は「よくやった」と精悍な笑みで頷く、逆に春菜は飲み込めず開いた口が塞がらない様子だ。
「風間さん! これが、俺の気持ち!」
 光は真っ直ぐ夏海の瞳を貫かんばかりに見つめる。
 夏海は顔を真っ赤にして口許を両手に当てたままだ。辺りは沈黙して波のせせらぎだけになり、ほんの数秒程度とも数分とも言える時間が流れる。
 夏海はゆっくりと花弁のような唇をゆっくり動かした。
「……知ってた、朝霧君……たまに僕じゃなくて……俺になるよね?」
「うん! 一目惚れだったんだ!」
 光は頷くと頬を赤らめていた夏海は「ぷっ!」と噴き出して無邪気に笑う。
「ふふふふふふっ……朝霧君単純過ぎ! 聞いてるこっちが恥ずかしいよ!」
 夏海の言う通り単純かつ盛大な恥ずかしい告白をして、たった今したことを思い返せば思い返すほど恥ずかしい黒歴史がまた一つできてしまった。
 恥ずかしすぎて目の前の海に入水(じゅすい)自殺したくなるほどだ。
 すると夏海は息を大きく深呼吸したと思った瞬間。

「私も、朝霧君に好きって言ってくれて、嬉しいいいいぃいいいいいいっ!!」

 夏海は大海原に向かって叫ぶ、確かに見てるこっちが恥ずかしくて光は赤くなり心臓の鼓動が速まる。

「私も、朝霧君のことが、好きになりましたぁああああ!!」

 夏海の叫び声が海の向こう、水平線の彼方に消えていく。
 一目惚れした女の子に好きと叫ばれて光は嬉しさのあまり、溢れてくるものが抑えきれず大粒の涙が温かく頬を伝い、思わず両手を口許に当てて望はツッコミを入れる。
「っておい! 泣くなよ光! お前は女の子か!」
「お前に言われたくないよ……ぐずっ……だって……嬉し過ぎて」
 光は拭っても拭っても溢れ続ける涙を流し、冬花はまるで長年疑問に思ってたことの答えを見つけたかのように、静かに首を縦に降る。
「そうか、嬉しすぎて泣いちゃうこと……あるもんね」
 春菜は貰い泣きしていた。
「わかる! わかるよ!」
 千秋は苦笑しながらハンカチを春菜に差し出す。
「あんたは感受性強すぎ、まぁ……それもいいところだけどね。夏海、早く拭ってあげて」
「うん、朝霧君……笑って」
 夏海は鞄からハンカチを取り出して優しく涙を拭き、キスできそうなほど顔が近くなる。
 内向的だけど、本当はとても優しくて芯の強い女の子――風間夏海。
「ありがとう風間さん……あの時、出会えてよかった」
「私も、あの時見つけてくれて……お祭りの時に一緒に逃げてくれて、好きになってくれてありがとう」
 光に向けた夏海の笑顔に、笑顔で頷くと改めて伝えた。
「風間さん、僕は一目見た時から君のことが好きです。付き合って下さい」
「はい、よろしくお願いします!」
 夏海は照れながらも嬉しそうに頷き、晴れて恋人同士となった。
 誰の手にも届かない、遠い湘南の海で。
 そして僕は望に目で望に伝えた。望、今度は君が勇気を見せる番だと、気付いたのか望は複雑な表情を見せた。