第四章:こんなに楽しい夏休みがずっと続きますように。
今年も忘れてはならない八月一五日を迎えると、やがてお盆休みのシーズンが終わる。
夏休みも後半に入ったその日、朝霧光達は数年前に民営化されてリニューアルした熊本空港のターミナルに集まっていた。今日から三泊四日で湘南旅行だ、合流場所は利用する航空会社のカウンター前で既に五人集まり、あとは夏海が来るのを待つだけだ。
「みんなおはよう! 遅くなってごめんね!」
集合時刻の五分前、重いキャリーカートを引いて夏海がターミナルに入ってきた。
「おはよう風間さん……!?」
光は思わず言葉を失う。麦わら帽子に夏の空に浮かぶ雲のように白いワンピース、白のヘップサンダル姿とシンプルだが、それだけストレートかつダイレクトに光の心を虜にした。
「おはよう夏海! 随分気合い入ってるじゃない!」
最初に声をかけたのは千秋でだいぶ表情も柔らかくなり、よく笑うようになり、そして夏海を見つめる眼差しはとても優しくなっていた。
「うん……せっかく旅行に行くから」
夏海は頬を赤くしながらも誇らしい笑みで頷く。
「そうそう! 先生や大人たち、吹部の奴らの手の届かない所に行くんだから! だいぶわかってきたじゃない!」
春菜はいつもと変わらない調子で、冬花は大袈裟に瞳を輝かせながら歩み寄る。
「夏海ちゃん綺麗! なんだか夏の空から舞い降りた女神様みたい!」
「お、大袈裟だよ冬花ちゃん」
夏海は首を横に振って謙遜するが、光から見れば目が眩み、誰にも渡したくないという独占欲に突き動かされそうだった。すると望が微笑みながら横目で見つめて小声で伝える。
「光、俺は応援してるぜ」
「望もな……僕も人のこと言えないけど、お互い頑張ろう」
光は火の国まつり以来告白の機会を窺っていたが、なかなか踏み出せないままでいた。もし言葉にしてしまったら、これまで築き上げてきたものが一瞬で崩れてしまい、二度と戻らない気がすると考えると、怖いと感じる。
望と冬花が恐れてるのはこのことかもしれない。
搭乗手続きと荷物を預け、保安検査場を通ると乗る飛行機は五番搭乗口だ。
「わあっ見て、飛行機!」
冬花は瞳を輝かせて両手をガラス張りにくっつける。ガラスの向こう側、四番搭乗口に駐機されてるのは日本航空通称:HALのエアバスA350‐900だ。
光たちが乗るのは隣の五番搭乗口に駐機されてるライバル会社の極東空輸通称:FEAのボーイング787‐8だ。
二機ともライバル同士でよく似ているが、細かい所をよく見れば違いがわかる。
光は飛行機のことになると饒舌になるが喋りたいという衝動を抑え、静かに心を高ぶらせながら787を見つめると、望がわざとらしく口にする。
「そういえば光ってさ、実は飛行機に詳しいんだよ。そこのA350と787の違いとか共通点とかわかるんだよね?」
「ま、まあね……少しだけど」
光は無難にやり過ごそうとするが望はにやけてる、なにわざとらしく言ってるんだよ望! ドン引きされたらどうするんだよ! すると冬花も望に乗って煽る。
「光君ってさ、飛行機の話を始めると止まらないんだよ! 同じ飛行機でも航空会社によってエンジンのメーカーが違うとか」
「へぇ、朝霧君って飛行機好きなんだ。そこの飛行機って同じように見えるけど、見分け方とかあるの?」
春菜が質問すると、光は抑えきれずに饒舌に話す。
「うん、同じように見えるのはコンセプトが同じ双発の中型機でA350の方が少し大きい、翼端やキャノピーの形をよく見ると違いがわかるんだ。共通点を上げるならエンジンだね。同じイギリスのロールスロイス・トレントシリーズを使ってるんだ、ただ787はアメリカのゼネラル・エレクトリック・アビエーション社製のも使って選択でき――」
光はふと「ハッ」としてみんなが熱い視線を注ぎながら聞いている、ヤバイ……ドン引きされたかな? 表情が固まると、千秋は柔和な笑みで諭す。
「大丈夫よ、ここは教室なんかじゃない。ありのまま自分でいていいのよ」
「あ……ありがとう、そうだよね」
そうだ。恥ずがったり包み隠す必要はない、僕は僕だ。搭乗時刻を待つ間、自分でも引くほど飛行機のことを饒舌に、熱心にみんなに話した。
787の機内に入ると朗らかな笑顔の客室乗務員に迎えられ、穏やかなBGMが流れる。光は鞄からパイロットもかけてるサングラス――レイバンのアビエイターを取り出してかける。
「風間さん……窓側に座っていいよ、僕が真ん中に座るから」
「えっ? いいの?」
「うん、窓側は外の景色を楽しめるし、通路側はトイレに言ったりCAさんに頼み事する時に何かと便利だ。それに比べて真ん中ってトイレに行く時に大変だし窓の外も楽しめない、これをミドルマンの悲劇っていうんだ」
航空券では光は窓側、夏海は真ん中、春菜は通路側席だ。
「おおっ! 光君やっさしーい!」
「う……うるさいよ桜木さん」
光は照れ隠しに春菜に尖った口調で目を背け、慣れた手付きでシートベルトを締めた。
『皆様、ステラアライアンス・メンバー、FEA東京行き六四三便を御利用いただきましてありがとうございます。この飛行機はFEAとステラアライアンス・パートナーとのコードシェア便でございます。機長は堀川、チーフパーサーは永谷でございます、御用がありましたら遠慮なく客室乗務員にお知らせください――』
扉が閉まって787がプッシュバックすると天井からモニターが下向きに開き、離陸前の機内安全ビデオが流れる。光は安全のしおりを確認しながら万が一の場合に備えての説明を聞いた。
光たちを乗せた787は誘導路を経て滑走路のランウェイ07から入ると、ポーンポーンとベルト着用サインが点滅してCAの声が機内に柔らかく響く。
『皆様離陸いたします、シートベルトをもう一度お確かめ下さい』
いよいよ離陸だ! 787が滑走路に進入すると一時停止。スタンディング・テイクオフだなと光は静かに確信する。
やがてロールスロイス・トレント1000エンジンが低く唸り、出力が上がって吼える。
全長五六・七メートル、全幅六〇・一メートルの巨体が押し出され、徐々に加速すると後ろに引っ張られる感覚になる。人によっては座席に押し込まれるような、普段は味わえないGを感じながら機体は滑走路を駆け抜けてスピードに乗る。
離陸決心速度――これを超えるともうブレーキをかけても止まれず、何があっても離陸しなければならない。
機首上げ――機首が空に向き、やがて地上を離れてどんどん高度を上げる。
上昇開始――空に向かって上昇すると地上の景色が更に離れていく、平成二八年の熊本地震直後、空からはブルーシートで覆われた屋根がたくさん見えたという。
787は旋回しながら高度を上げて阿蘇山上空を通過する。夏海は窓の外を夢中で眺めてる、どんな表情だろう? もう風間さんは僕たちと一緒に誰の手にも届かない所にいる。
やがて雲海の上空で水平飛行に入ると、ポーンポーンという電子音とともにベルト着用サインが消える。
隣に座ってる夏海は待っていたかのように前の座席下に置いてある鞄から、あの時拾った水色の日記帳とボールペンを取り出し、テーブルを開いてページを開いて書き始めた。
光の視線を意識してるのか、夏海は恥ずかしそうに頬を赤らめて目線を逸らしながら言う。
「あ……朝霧くん、ちょっと……見ないでね。記憶が鮮明なうちに書き残したいから」
「風間さんて……スマホの日記アプリとかで書かないの?」
「うん、春菜ちゃんが奨めてくれたの……スマホってデータが消える時は簡単に消えちゃうから、それに手書きだとね」
夏海は前の日のページを開いて書かれた文章にそっと白い手を置き、目を閉じる。
「書いた時の気持ちや、その日の光景や思い出が鮮明に甦ってくるの……この前のお祭りの時、先生や久保田君達に追いかけられた時は怖かったけど……朝霧君に手を引っ張られてドキドキして……今思えば……とても楽しかったって!」
夏海の眩しくも温かい笑みは心を開き、近づこうとしてると強く感じた。ならば僕も、心を伝えないといけない、光は微笑んで頷く。
「うん、そうだよね! 桜木さんの言う青春だよね!」
光は通路側に座ってる春菜の方を向くと、今にも派手に吹き出しそうな顔を真っ赤にして堪えていた。
「うぷぷぷぷぷぷ……夏海、確かに朝霧君の言う通りだけど……スッゲェ眩しい笑顔で言うから……クサイ」
「もう春菜ちゃん酷い! 春菜ちゃんだって人のこと言えないでしょ!」
夏海は頬を赤らめて言うと、ついに堪えきれずに腹を抱える。
「ぷーふふふふふっ……ごめんごめん……でもさ、凄くいい顔してたよ夏海」
春菜は爽やかな笑顔でサムズアップすると、夏海は恥ずかしそうに閉口した。
今年も忘れてはならない八月一五日を迎えると、やがてお盆休みのシーズンが終わる。
夏休みも後半に入ったその日、朝霧光達は数年前に民営化されてリニューアルした熊本空港のターミナルに集まっていた。今日から三泊四日で湘南旅行だ、合流場所は利用する航空会社のカウンター前で既に五人集まり、あとは夏海が来るのを待つだけだ。
「みんなおはよう! 遅くなってごめんね!」
集合時刻の五分前、重いキャリーカートを引いて夏海がターミナルに入ってきた。
「おはよう風間さん……!?」
光は思わず言葉を失う。麦わら帽子に夏の空に浮かぶ雲のように白いワンピース、白のヘップサンダル姿とシンプルだが、それだけストレートかつダイレクトに光の心を虜にした。
「おはよう夏海! 随分気合い入ってるじゃない!」
最初に声をかけたのは千秋でだいぶ表情も柔らかくなり、よく笑うようになり、そして夏海を見つめる眼差しはとても優しくなっていた。
「うん……せっかく旅行に行くから」
夏海は頬を赤くしながらも誇らしい笑みで頷く。
「そうそう! 先生や大人たち、吹部の奴らの手の届かない所に行くんだから! だいぶわかってきたじゃない!」
春菜はいつもと変わらない調子で、冬花は大袈裟に瞳を輝かせながら歩み寄る。
「夏海ちゃん綺麗! なんだか夏の空から舞い降りた女神様みたい!」
「お、大袈裟だよ冬花ちゃん」
夏海は首を横に振って謙遜するが、光から見れば目が眩み、誰にも渡したくないという独占欲に突き動かされそうだった。すると望が微笑みながら横目で見つめて小声で伝える。
「光、俺は応援してるぜ」
「望もな……僕も人のこと言えないけど、お互い頑張ろう」
光は火の国まつり以来告白の機会を窺っていたが、なかなか踏み出せないままでいた。もし言葉にしてしまったら、これまで築き上げてきたものが一瞬で崩れてしまい、二度と戻らない気がすると考えると、怖いと感じる。
望と冬花が恐れてるのはこのことかもしれない。
搭乗手続きと荷物を預け、保安検査場を通ると乗る飛行機は五番搭乗口だ。
「わあっ見て、飛行機!」
冬花は瞳を輝かせて両手をガラス張りにくっつける。ガラスの向こう側、四番搭乗口に駐機されてるのは日本航空通称:HALのエアバスA350‐900だ。
光たちが乗るのは隣の五番搭乗口に駐機されてるライバル会社の極東空輸通称:FEAのボーイング787‐8だ。
二機ともライバル同士でよく似ているが、細かい所をよく見れば違いがわかる。
光は飛行機のことになると饒舌になるが喋りたいという衝動を抑え、静かに心を高ぶらせながら787を見つめると、望がわざとらしく口にする。
「そういえば光ってさ、実は飛行機に詳しいんだよ。そこのA350と787の違いとか共通点とかわかるんだよね?」
「ま、まあね……少しだけど」
光は無難にやり過ごそうとするが望はにやけてる、なにわざとらしく言ってるんだよ望! ドン引きされたらどうするんだよ! すると冬花も望に乗って煽る。
「光君ってさ、飛行機の話を始めると止まらないんだよ! 同じ飛行機でも航空会社によってエンジンのメーカーが違うとか」
「へぇ、朝霧君って飛行機好きなんだ。そこの飛行機って同じように見えるけど、見分け方とかあるの?」
春菜が質問すると、光は抑えきれずに饒舌に話す。
「うん、同じように見えるのはコンセプトが同じ双発の中型機でA350の方が少し大きい、翼端やキャノピーの形をよく見ると違いがわかるんだ。共通点を上げるならエンジンだね。同じイギリスのロールスロイス・トレントシリーズを使ってるんだ、ただ787はアメリカのゼネラル・エレクトリック・アビエーション社製のも使って選択でき――」
光はふと「ハッ」としてみんなが熱い視線を注ぎながら聞いている、ヤバイ……ドン引きされたかな? 表情が固まると、千秋は柔和な笑みで諭す。
「大丈夫よ、ここは教室なんかじゃない。ありのまま自分でいていいのよ」
「あ……ありがとう、そうだよね」
そうだ。恥ずがったり包み隠す必要はない、僕は僕だ。搭乗時刻を待つ間、自分でも引くほど飛行機のことを饒舌に、熱心にみんなに話した。
787の機内に入ると朗らかな笑顔の客室乗務員に迎えられ、穏やかなBGMが流れる。光は鞄からパイロットもかけてるサングラス――レイバンのアビエイターを取り出してかける。
「風間さん……窓側に座っていいよ、僕が真ん中に座るから」
「えっ? いいの?」
「うん、窓側は外の景色を楽しめるし、通路側はトイレに言ったりCAさんに頼み事する時に何かと便利だ。それに比べて真ん中ってトイレに行く時に大変だし窓の外も楽しめない、これをミドルマンの悲劇っていうんだ」
航空券では光は窓側、夏海は真ん中、春菜は通路側席だ。
「おおっ! 光君やっさしーい!」
「う……うるさいよ桜木さん」
光は照れ隠しに春菜に尖った口調で目を背け、慣れた手付きでシートベルトを締めた。
『皆様、ステラアライアンス・メンバー、FEA東京行き六四三便を御利用いただきましてありがとうございます。この飛行機はFEAとステラアライアンス・パートナーとのコードシェア便でございます。機長は堀川、チーフパーサーは永谷でございます、御用がありましたら遠慮なく客室乗務員にお知らせください――』
扉が閉まって787がプッシュバックすると天井からモニターが下向きに開き、離陸前の機内安全ビデオが流れる。光は安全のしおりを確認しながら万が一の場合に備えての説明を聞いた。
光たちを乗せた787は誘導路を経て滑走路のランウェイ07から入ると、ポーンポーンとベルト着用サインが点滅してCAの声が機内に柔らかく響く。
『皆様離陸いたします、シートベルトをもう一度お確かめ下さい』
いよいよ離陸だ! 787が滑走路に進入すると一時停止。スタンディング・テイクオフだなと光は静かに確信する。
やがてロールスロイス・トレント1000エンジンが低く唸り、出力が上がって吼える。
全長五六・七メートル、全幅六〇・一メートルの巨体が押し出され、徐々に加速すると後ろに引っ張られる感覚になる。人によっては座席に押し込まれるような、普段は味わえないGを感じながら機体は滑走路を駆け抜けてスピードに乗る。
離陸決心速度――これを超えるともうブレーキをかけても止まれず、何があっても離陸しなければならない。
機首上げ――機首が空に向き、やがて地上を離れてどんどん高度を上げる。
上昇開始――空に向かって上昇すると地上の景色が更に離れていく、平成二八年の熊本地震直後、空からはブルーシートで覆われた屋根がたくさん見えたという。
787は旋回しながら高度を上げて阿蘇山上空を通過する。夏海は窓の外を夢中で眺めてる、どんな表情だろう? もう風間さんは僕たちと一緒に誰の手にも届かない所にいる。
やがて雲海の上空で水平飛行に入ると、ポーンポーンという電子音とともにベルト着用サインが消える。
隣に座ってる夏海は待っていたかのように前の座席下に置いてある鞄から、あの時拾った水色の日記帳とボールペンを取り出し、テーブルを開いてページを開いて書き始めた。
光の視線を意識してるのか、夏海は恥ずかしそうに頬を赤らめて目線を逸らしながら言う。
「あ……朝霧くん、ちょっと……見ないでね。記憶が鮮明なうちに書き残したいから」
「風間さんて……スマホの日記アプリとかで書かないの?」
「うん、春菜ちゃんが奨めてくれたの……スマホってデータが消える時は簡単に消えちゃうから、それに手書きだとね」
夏海は前の日のページを開いて書かれた文章にそっと白い手を置き、目を閉じる。
「書いた時の気持ちや、その日の光景や思い出が鮮明に甦ってくるの……この前のお祭りの時、先生や久保田君達に追いかけられた時は怖かったけど……朝霧君に手を引っ張られてドキドキして……今思えば……とても楽しかったって!」
夏海の眩しくも温かい笑みは心を開き、近づこうとしてると強く感じた。ならば僕も、心を伝えないといけない、光は微笑んで頷く。
「うん、そうだよね! 桜木さんの言う青春だよね!」
光は通路側に座ってる春菜の方を向くと、今にも派手に吹き出しそうな顔を真っ赤にして堪えていた。
「うぷぷぷぷぷぷ……夏海、確かに朝霧君の言う通りだけど……スッゲェ眩しい笑顔で言うから……クサイ」
「もう春菜ちゃん酷い! 春菜ちゃんだって人のこと言えないでしょ!」
夏海は頬を赤らめて言うと、ついに堪えきれずに腹を抱える。
「ぷーふふふふふっ……ごめんごめん……でもさ、凄くいい顔してたよ夏海」
春菜は爽やかな笑顔でサムズアップすると、夏海は恥ずかしそうに閉口した。