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「はー、久々のおじいちゃんの変装、楽しかったー」

 先程の老人が着ていた服から赤のパーカーと黒のスキニー、登山用らしき安全靴に着替え、缶バッチをつけた紺色のニット帽を被った青年――改め、シグマが店の奥から戻ってきた。
 どうやら喫茶店の三階に事務所兼自宅があるようで、食事はほぼ店で済ませているらしい。喫茶店を指定してきた理由は、事務所の掃除が間に合っていないからだという。

「すみません、早瀬さん。依頼人に疑われているって聞いて、シグマが調子乗ってしまって……」
「いえいえ、俺も傍観してたし、さっさと止めればよかったな」
「そーだそーだ!」
「君のことだぞ!」
「……あの」

 男三人で仲良く話が盛り上がっている中、水を差すように若菜が恐る恐る声をかける。それにいち早く気付いたのは、店に入ってすぐ案内してくれた男性だった。

「驚かせてしまってすみません。俺は真崎(しんざき)大翔(ひろと)といいます。写真の真に宮崎県の崎で、「しんざき」と読みます。一応、探偵事務所の下っ端で」
「マサキは俺の助手兼相棒。名刺は俺達持ってないから作るまで待ってて」

 シグマは先程座っていたソファー席に戻ると、若菜と対面してじっくり見つめた。まるで考えていることを見抜こうとしているようで気味が悪い。思わず目を逸らすと、彼は途端ににっこりと笑みを浮かべた。

「ああ、気にしないで。これは俺が勝手にしていることだから。ルーティンワークってやつ?」
「安心してください。何かしでかしたら、すぐにこの変態野郎に手錠をかけられますから」
「相変わらずマサキは冗談キツイなぁ。もっと俺に優しくして」
「冗談に聞こえてる君の耳が羨ましいよ」

 一体自分は何しにここに来たのだろうと考えてしまうくらい、若菜は呆気にとられる。シグマのポジティブさと真崎の毒舌に愛想笑いをしていると、次第に緊張が解けていくのがわかった。この状況に慣れてきたところで、早瀬からあの件について二人に伝える。
 話を聞き終えたシグマは、「ふーん」と興味なさげに唸った。

「走って逃げている最中に落とした可能性も捨てきれないな。それにしても、怖い思いしながらよく家から出てこれたな。仕事とかどうしてたの?」
「シグマ、その言い方は失礼だぞ」
「ほぼ休みましたが、仕事はパソコンと図面さえあれば自宅でもできます」
「図面……もしかしてお仕事は建築関係ですか?」
「はい、建設会社で内装のデザインを。まだ見習いですけど」