途端、隣に座っていた老人が若菜の方を向いて笑って言った。
低い声ではあるものの、見た目の年齢にしては随分若い声をしていた。驚いて目をぱちくりしている若菜に老人はゴホン、とわざとらしい咳を一つ。そして彼女を見て今度はしゃがれた声で言う。
「おや、随分怖い目に遭ったんだねぇ。手の平と右足の脛と……ああ、髪も少し切られてるじゃないか。きれいなセミロングがもったいない」
「え!? ど、どうして……!?」
若菜はずっと、手の平を見せないように袖をギリギリまで伸ばしていた。両手の平には絆創膏が三枚程横並びで貼られている。それだけではない。老人の言った通り、フレアスカートの下に履いている黒タイツで隠した右足の脛の擦り傷も、髪も左頬あたりまで切られていることもすべて言い当てられてしまった。
老人は得意げに笑うと、更に続ける。
「手の平に絆創膏……大体転んだ時に擦りむいたか、包丁で指切ったときくらいしか見かけんからなぁ。あと店に入ってくるときに若干右足を引きずっとったな。左右の足に厚みの差はないから包帯を巻くほどのものではない。でも大股で歩く刑事の後を追うので精一杯。小走りは難しいと見た。風呂も染みるだろうに……ああ、考えただけでも痛い痛い」
「あ、あの……なんで髪が切られているのまでわかるんですか……?」
「む? 左右対称にした努力は認めるが、僅かながら三ミリほど自分で切った右側が短いなぁ。気にならない程度じゃ。ふぉっふぉっ」
若菜は思わず身震いした。確かに逃げている最中に転んで手の平や右足の脛に擦り傷を負い、ナイフで左側の頬をかすめて髪だけ切られてしまった。服装で隠せても、流石に中途半端に切られた髪だけはどうにもならない。幸か不幸か、頬に傷はなかったため、反対側の髪を切ってそろえる以外、隠す方法がなかったのだ。
刑事である早瀬でさえも気付かなかったのに、と目の前の老人の観察眼に驚きを隠せずにいた。
「あの、あなたは一体……」
「ふぉっふぉっ……どこでもいるジジイだよ、お嬢さん」
「そんなサンタクロースみたいな笑い方するご老人は君くらいだよ、シグマ」
隣から呆れた声が聞こえると、先程の店員らしくない男性がそこにいた。先程とは打って変わって、眉間に皺を寄せた顔で老人の前に立つと、突然強引に老人の頬を引っ張り始めた。
「いっだ!? 痛いって! マサキ、やるならもっと優しくゆっくり! カステラの底に張り付いている紙を剥がすよう丁寧に!」
「悪いが俺は剥がした紙に生地がべったり残っていても気にしないタイプだ。……ったく、相変わらず頑丈だなコレ」
「な、なにしてるんですか!?」
突然の男性の行動に、若菜は慌てて席から立ち上がって止めに入ろうとする。傍から見ればただの暴力店員にカツアゲされている老人にしか見えない。しかし、一番最初に止めに入るべきであろう警察官の早瀬は、見向きもせず優雅に紅茶を楽しんでいた。
「早瀬さん! どうして止めないんですか!」
「大丈夫ですよ。彼らにとってはいつものことですから」
「なに呑気なことを言って……」
「見ていればわかりますよ」
「あーだだだっ!!」
ベリベリッ、と音が聞こえると同時に若菜が振り向けば、そこには老人ではなく、白髪の青年が立っていた。どこか幼げな顔つきだが、釣り上がった目がぎろりと若菜の方へ向けられると、その気迫に思わず恐怖を覚えた。猫背で座っていたこともあって気付かなかったが、立ち上がればサイズが合わない服越しからでもわかる、線が細いながらもしっかりとした筋肉が備わっていた。言葉遣いはともあれ、老人の姿で黙っていれば、ただの客にしか思わなかっただろう。
言葉も出ない若菜に、青年はしてやったりと笑みを浮かべた。
「どーも。アンタが疑ってた探偵のシグマくんでーす……なんつって」
低い声ではあるものの、見た目の年齢にしては随分若い声をしていた。驚いて目をぱちくりしている若菜に老人はゴホン、とわざとらしい咳を一つ。そして彼女を見て今度はしゃがれた声で言う。
「おや、随分怖い目に遭ったんだねぇ。手の平と右足の脛と……ああ、髪も少し切られてるじゃないか。きれいなセミロングがもったいない」
「え!? ど、どうして……!?」
若菜はずっと、手の平を見せないように袖をギリギリまで伸ばしていた。両手の平には絆創膏が三枚程横並びで貼られている。それだけではない。老人の言った通り、フレアスカートの下に履いている黒タイツで隠した右足の脛の擦り傷も、髪も左頬あたりまで切られていることもすべて言い当てられてしまった。
老人は得意げに笑うと、更に続ける。
「手の平に絆創膏……大体転んだ時に擦りむいたか、包丁で指切ったときくらいしか見かけんからなぁ。あと店に入ってくるときに若干右足を引きずっとったな。左右の足に厚みの差はないから包帯を巻くほどのものではない。でも大股で歩く刑事の後を追うので精一杯。小走りは難しいと見た。風呂も染みるだろうに……ああ、考えただけでも痛い痛い」
「あ、あの……なんで髪が切られているのまでわかるんですか……?」
「む? 左右対称にした努力は認めるが、僅かながら三ミリほど自分で切った右側が短いなぁ。気にならない程度じゃ。ふぉっふぉっ」
若菜は思わず身震いした。確かに逃げている最中に転んで手の平や右足の脛に擦り傷を負い、ナイフで左側の頬をかすめて髪だけ切られてしまった。服装で隠せても、流石に中途半端に切られた髪だけはどうにもならない。幸か不幸か、頬に傷はなかったため、反対側の髪を切ってそろえる以外、隠す方法がなかったのだ。
刑事である早瀬でさえも気付かなかったのに、と目の前の老人の観察眼に驚きを隠せずにいた。
「あの、あなたは一体……」
「ふぉっふぉっ……どこでもいるジジイだよ、お嬢さん」
「そんなサンタクロースみたいな笑い方するご老人は君くらいだよ、シグマ」
隣から呆れた声が聞こえると、先程の店員らしくない男性がそこにいた。先程とは打って変わって、眉間に皺を寄せた顔で老人の前に立つと、突然強引に老人の頬を引っ張り始めた。
「いっだ!? 痛いって! マサキ、やるならもっと優しくゆっくり! カステラの底に張り付いている紙を剥がすよう丁寧に!」
「悪いが俺は剥がした紙に生地がべったり残っていても気にしないタイプだ。……ったく、相変わらず頑丈だなコレ」
「な、なにしてるんですか!?」
突然の男性の行動に、若菜は慌てて席から立ち上がって止めに入ろうとする。傍から見ればただの暴力店員にカツアゲされている老人にしか見えない。しかし、一番最初に止めに入るべきであろう警察官の早瀬は、見向きもせず優雅に紅茶を楽しんでいた。
「早瀬さん! どうして止めないんですか!」
「大丈夫ですよ。彼らにとってはいつものことですから」
「なに呑気なことを言って……」
「見ていればわかりますよ」
「あーだだだっ!!」
ベリベリッ、と音が聞こえると同時に若菜が振り向けば、そこには老人ではなく、白髪の青年が立っていた。どこか幼げな顔つきだが、釣り上がった目がぎろりと若菜の方へ向けられると、その気迫に思わず恐怖を覚えた。猫背で座っていたこともあって気付かなかったが、立ち上がればサイズが合わない服越しからでもわかる、線が細いながらもしっかりとした筋肉が備わっていた。言葉遣いはともあれ、老人の姿で黙っていれば、ただの客にしか思わなかっただろう。
言葉も出ない若菜に、青年はしてやったりと笑みを浮かべた。
「どーも。アンタが疑ってた探偵のシグマくんでーす……なんつって」