「あのさ」

 翠は、一階に下りて中庭へ出た舞衣の背中に声をかけた。

「別に、あの男のこと何とも思ってないから。好きでもないやつに勝手なこと言われても、どうでもいいから」

 舞衣は翠のほうを振り向いて、つぶやいた。

「嘘ばっかり」

 彼女の目は真剣だった。

「他人の言葉が一番怖いくせに」

 翠は、ぐっと黙った。舞衣の甘い声が一段低くなって、重いトーンになった。

「本当は、恋しいんでしょ? あのデイケア組が」

 舞衣は文庫本を抱えて、再び翠に背を向け、日の当たる場所に出た。

「私には虚勢はらないでよ」
「虚勢なんかじゃない」

 意識せずに出た声は、情けないほどかすれていた。

「強くなりたかったんだ。できる人間だって思いたかった」

 俯いて、地面に生えている芝生を見つめる。人工的に植えた草。人の手で作り出された草。

「あそこは、ぬるま湯みたいで、気持ち悪かった。だから出て行きたかった。逃げたいわけじゃなくて、先に進みたかった」

 その進んだ先に何があるのか、考えもしないで。