父はプロファイラーだった。
今のようにテレビや小説でもてはやされる前からプロファイラーだった。
プロファイラー、ではなく分析屋、と自分のことを呼んでいた。
分析屋ってのは曖昧な名前だ。分析って言葉には宇宙ほどの広がりがある。物がある限り、人がある限り分析は存在する。何を分析するかが問題だ。
父は知る人ぞ知る有名な分析屋だった。一時期犯人像の分析屋といえば父のことだった。
犯罪者かそうでないかは紙一重だ、が父の言葉だ。
紙一重…分析屋としては詩的な表現だ。一重というところが詩的だ。
「紙」からの連想なのか「それってリトマス紙で判別できる?」私は聞いた。
すると 父にしては珍しく、興味深く私を見た。面白そうでもあった。父は、私が、というより、子供、が苦手だったので、私を珍しそうに見ることはあっても、面白そうに見ることはなかった。
「リトマス紙では判別できないな。けど、そんなのでわかったら面白いだろうな」
父はくっくっと笑った。父にしては高めの声で笑った。低い声で笑う父は笑っていても暗かったので、高めの声で父が笑ったことが嬉しかった。笑わせた自分が少しだけ誇らしかった。けれど高めの声で笑う父はいつもほど暗くはないにしても、陽気、というのにはほど遠かった。
「ここからが犯罪でここからが犯罪じゃないって区切りがあるわけじゃないんだ」
「でもどこかに境があるわけでしょ」
「それは見る側との相互作用なんだ」
「相互作用?」
「相互作用っていうより、実際にはもっといくつもの数え切れない要因がある」
「…うん…」
「難しいか…。じゃ、こういうことならわかるかな。太陽の色は国によっては黄色だったり、橙色だったり、赤だったりする。とらえ方の違いなんだ。同じ太陽という存在なのに、ある時は暖かくてありがたがられ、ある時は迷惑がられたりする。あとは時間との関わりも大きい」
「うん…」
「やっぱり難しいか…。じゃ、砂浜に真っ直ぐに線を引くことを考えてごらん。どんなに真っ直ぐに引いたつもりでも、砂粒がわずかに動いたり、風が吹いたりすればすぐ崩れる。絶対に永遠の真っ直ぐなんてない。だから、場合によっては昨日は真っ直ぐに見えたものが今日はちっとも真っ直ぐじゃないってことなんてしょっちゅうだ」
わかりそうな気もしたけれど、すっかり理解するには自分は経験も頭も足りないんだろうな、って思った。知りたくもないのかもしれない、とも思った。
「犯罪は刻々と変化するってことなの?」
父はうなづきながらも、もう私のことなど視界に入っていなかった。
父の思考はよくとんだ。実際は私にはそう思えただけで、父なりの規則性で動いていたのだろうが、私にはとても唐突に思えた。
母は父に一目惚れした。父は若い頃から、髪を切るのを面倒がるほど見なりに構わない人だった。切らなければ髪は伸びるわけだから、朝起きると目の荒い櫛で梳かし、きっちり結んでいたという。いつも何かに悩んでいるように憂いがあり…少なくとも母にはそう見えた。そして物事の光を浴びた部分だけを見る、という特性の母は、父の歩く姿もルックスもいいのに身なりにかまわないところが潔い、と感じた。
母は自分が美しくないと思っていた。けれど私はずっと母は 心をうつ美しさだと思っていた。12の時に亡くなった母。優しかった母。その存在が美しかった。
母は幸せではなかったと思う。父は利己的とか自己中心という言葉が本質を表している、というタイプの人間ではなかったとしても、結果としてその言葉がまとわりつく人だった。
器用な人ではなかっただけなのかもしれない。実際、家庭を持つべきではないほど不器用な人だった。分析屋としては一流だったにしても、仕事に関する以外のことにはほとんど興味を持たなかった。父の興味は全て仕事の周りを衛星のように回っていた。
母が亡くなったあと、父の親としての適性が問題になった。父方にも母方にも私を引き取ってくれそうな人はいなかったので、父に適性がないと判断されれば、残る選択は里親に引き取られるか施設に行くかだった。
それほど父といたかったわけではなかった。けれど、父に責任を感じた。父のことを見てあげなければと思った。母がそうしてきたように。さほど父に愛着を持っていたわけでもない。自分に興味を示さない人には愛着は持ちにくい。
考えてみれば、そのときの私には優しい共感型の母の素朴な愛情深さと父の分析屋としての頭脳の芽、両方が育ち始めていたのかもしれない。若葉に急速に光と養分を与えるがごとく、私は自分の心と頭を急速回転させ成長しようと必死だった。
私の家庭環境に懸念があるとの連絡を受けて調査に来た女性を前に、いかに父が口べたにしても愛情深く私のことを思ってくれているかを力の限り語った。そして、いかに歳の割りに常識と知能を持ち合わせていて、大人顔負けの分別と家事能力があるかを示そうとした。
調査員は迷っていた。私をこのまま実の父親のところに残して置くかどうか。
私は父の愛情溢れる行動を話す度、彼女の目が揺れるのを感じた。私は嘘がばれない範囲で作り話を続けた。感情にうったえたほうがいい、と感じた。取り乱すのではなく、適度に子供らしさを残しながらも知的にいかに父親と一緒にいたいか、引き離されたら自分の存在そのものが危うくなり、精神的につらくなるかを語った。
その結果、私は父と二人きりで暮らすことになった。
何年もの間。
父と二人で暮らすこと。結果から見ると決してよかったとはいえない。けれど、暮らさなかったら、それ以上の良い人生が待っていたかもわからない。
父と暮らして父をより理解したが、愛情は12歳の時より深くなったのか…。
父は愛情の吸収下手だった。そして与えることも下手だった。私に親としての責任以上の気持ちを持ったことがあるのかもわからない。
父は私に無関心だった。無関心、は言い過ぎか。ある程度の関心、というか存在に対する認識はあったと思う。コーヒーメーカーやトースターのように。そして生身であるから、パソコンのように思い通りの結果を出したり計算ができるわけでもなかっただろうが、それにたいする忍耐力もあった。だから、怒鳴られたり、怒りをぶつられたこともない。苛々を肩のあたりに漂わせることはあったにしても…。
父は分析屋としての仕事に夢中になると私のことを忘れた。もちろん、私のことだけでなく全てのことを忘れた。そういう意味では平等だった。けれど、友達が溢れんばかりの愛情や愛情表現を受けているのを見て、ひどく不公平だと思った。ちっとも平等じゃないじゃん。父なら言ったかもしれない。それも見方によって見解は異なるだろう、砂に描いた直線のごとく、と。
母はよく言った。自分がいなくなったら、あなたは孤児になってしまう、と。優しい母がいなくなったら自分は孤児になってしまう、そのとおりだった。父がいるじゃない、もう一人親が、とは思わなかった。母はいつも私に言った。あなたは、あなたらしくていいのよ。あなたらしさを見つけなさいね。否定してはだめよ。
12歳にして父と残されたとき、父に面倒みてもらおうとは思わなかった。ただただ母の代わりに父のことをみてあげなければ、と思った。
「あなたのパパには一目惚れだったわ。今から思うと何がそんなによかったのかしらね。その頃のパパは今のように骸骨のようでもなく、髪もふさふさしていて、変人ぶりも今ほどじゃなかったわね」
母は遠くを見る目で言った。父は数年にして青年から老年に入ったように容姿が変わった。
「どこかが悪いんじゃないかって思ったわ。検査もさせたけど、健康状態は悪くなかったのよ。分析しすぎる人は脳の皺も深いっていうけど外見もそうなるのかしらね」
母は絶望的にではなく、微笑みながら言った。母は楽天的で一度決めたものの面倒は見るタイプだった。母の心の中にはどんな小さなものでも一旦愛着を持ったものには居場所があった。飼っていたペットにはそれなりの思い出の場所があり、ことあるたびに思い出して話をしてくれた。ペキペキという名のコオロギのヒゲの様子も私が絵に描けるくらい、母は生き生きと語った。母は弱いもの、劣っているもの、保護が必要なものに対して手を差し伸べる情の深さがあった。優越感からではなく、憐れみからでもなく、ほんとうに自分ができることで相手の役に立つなら、という気持ちからだった。
父のルックスがの良さに惹かれたのよ、っとおどけたように母は言ったけれど、父の人間として欠けているところをなんとか満たしてあげたかったのかもしれない。無意識のうちに。
私と父との食事の会話はもっぱら分析屋の仕事に関してだった。私の口の固さを父は信頼していたからか、固有名詞は避けたにしても、自分が扱っている事件、犯人像を話してくれた。
強盗、殺人、詐欺、ありとあらゆる事件があった。私は残酷な写真、傷や血が写っているものや、刃物の写真は苦手だったので、それは見せないで、とお願いした。そうでもなかったら、食事のテーブルの上一面事件の写真で埋め尽くされていたに違いない。
私は父の話に沿って頭の中でヴィジュアルに事件を組み立てた。言葉で聞く限り、それほどの衝撃はなかった。苦手な血は青や虹色に。刃物は鉛筆に置き換えて頭の中で想像した。少しぼやかしたり、影絵を見るように想像したこともある。
父は事件や犯罪に関しては雄弁だった。私でなく「そう、そうなの」と繰り返すオウムがいたとしても、話し続けたのかもしれない。
15歳になる頃には、時折父の気づいていない疑問点を投げかけたりして、父を驚かせた。父の驚く顔を見て私も驚いた。父はそんな顔を私に見せたことはなかったし、そんな顔をさせたのが自分自身であるというのも驚きだった。
天才か、透視者かメンタリストかもしれないな。父は言った。
自分ではちっともそんなことは思わなかった。学校ではどの科目にしても特に優れていたものはなかった。けれど授業中ほとんどデイドリームしていた割にそこそこ点が取れていたので、頭は悪い方ではなかったかもしれない。が、天才とはほど遠いと自分で思っていた。
メンタリスト、を調べてみたがどうも自分とは違ってみえた。人が何を考えているかを推測するのに優れているとは思わなかった。人の心を操る能力なんてのもあるわけない。
けれど、一つだけひょっとして、と思うことがあった。非常に困った局面にぶちあたったときや、必死で物事を解決しなければ、と思って頭と心を集中させたとき、自分でもそれまでその存在に気づかなかったエンジンが回り出すのを感じた。自分の未知の力が出番を待っている、そんな予感がした。
父と一緒に住めるかがかかっている調査員との面接もそうだった。私はまるで母が乗り移ったかのように、落ち着いて優しく、感情豊かな、それでいて12歳のくせに気持ち悪いと思われないように振る舞うことに集中し、成功した。自分でない偉大な役者になって役を演じ切った達成感があった。
父が放火事件を扱っていたとき、父の与えた情報から一つの情景が浮かんできた。仮説をたて、父に話した。その数日後、真犯人が逮捕された。
私が真の力を出すためには、心を追い立てる何か切迫つまったものが必要だった。動機が必要だった。数学の問題を解くのに喜びを見出す天才少年のような常習性は私には皆無だった。いつもはスイッチオフ。それが普通の状態だった。切羽詰まった状況でスイッチオンされると、何かが頭で心で起こり始めた。
ただ、それによって問題が解決されたとしても、ひどくひどく疲れた。全身全霊をつかって寿命を削っている、磨耗される、体も、心も、頭も。
だから、父が相談相手として事件を真剣に話すようになっても、私はスイッチオンにはならなかった。ハーフスイッチにもならなかった。スイッチオフの状態でもときどき閃いた。それを父に言うと父は驚いた。父に認められて嬉しいのかは、自分でもわからなかった。
父と暮らしながら、違った暮らしをディドリーミングした。
光に満ち、木洩れ陽のように輝いていて、自分で作らなくてもキッチンは作りかけのクッキーやシチューの匂いで満ちていて、思いっきり子供らしく遊んでくたくたになって帰っても、優しい笑顔と洗濯されたシーツのベッドが待っている…。
家庭…。家族…。
犯罪現場の話も写真もなく、犯罪にとりつかれた父とテーブルで向かい合うこともなく…。
じゃあ、あの調査員に真実を言えばよかったじゃない、父は親として何もできない、と。それどころか、自分が面倒を見てあげなければならないと。
やはりそれはできなかった…。父は自分の血であり、歴史。私にはペキペキでさえ可愛がった母の血も流れている。父を突き放すことはできなかった。母の後を継いで分析屋の父の面倒を見る、それが 自分の宿命だと思った。
恋もした。好きになる相手は決まったように皆、陰のない笑顔と笑い声に満ちていた。彼らといると自分も 陰でなく、陽になれる気がした。もちろん、私は自分の気持ちを隠し、単なる友達として接した。
私はそれふうなことがしたかった。映画館でポップコーンを食べながら手を握ったり、野草の花が揺れる草原で追いかけっこをしたり…。たわいない恋がしたかった。
けれどそんなのは夢物語だった。
友達は家には連れてこないようにした。家にはなにかしら不気味なものがあり…写真にしても普通の人が見たらひくだろうものがそこらじゅうにあった。
そして家は暗かった。できるだけ、明るい色彩で明るい雰囲気のものを置こうとしたが、住人の思考からでる得体の知れないもの…が冷気のように家を浸していた。
その得体の知れないものは私にも影響を与えていた。 少しでも親しくなった者たちは、私に何か普通じゃない雰囲気を感じたのか、はっきりした理由も告げず去っていった。
彼らを責めれなかった。確かに私の育ちは普通じゃない。そして私自身が普通じゃない。気づかぬうちに私は不穏な空気を纏っている…。
私が恋愛感情を抱いた男たちは決まったように、私がカルト宗教の信者でもあるかのように敬遠しはじめた。
私は寂しかった。死にたいほど寂しかった。なのに涙は出ない。父は私のそんな感情の起伏など全く気づかず、来る日も来る日もプロファイリングをし続けた。いい歳をして就職もしない私を人はどう見ていただろう。私はその頃、頑健で無表情だったと思う。
長いようで短い、短いようで長い20代が過ぎていく。私は人生を諦めかけた。父の世話と仕事の手助けのみをしてこれからも暮らすのだろうか。
父に恨みをもつわけではなかった。特に愛してもいなかったと思うが、憎んでもいなかった。自分がした決断なのだ。12歳のときの決断。
今12歳に戻れたら、どうしただろう、時々思った。犯罪とはまったく関係のない明るい笑い声に満ちた家庭の養子になっていたら。そうしたら、父はどうなったのだろう。一人でも暮らしていけただろう。ただ食べるものにも無頓着だし、長く健康でいられる可能性は低い。父は多くの点であまりに偏りすぎていた。
どうして父がこれほど犯罪に没頭するのかわからなかった。正義感からか、と思ったがそうではなかったと思う。つまり…父は犯罪が好きだったのだ。数学を解くのが大好きな少年が問題が難しければ難しいほどやりがいを感じるように、父は犯罪者をプロファイルするのが大好きだったのだ。
しかしそれも私が二十歳を過ぎる頃までだった。父の脳はとみにバランスを欠き始め…医者にも行ったしMRIも撮ったが、原因はわからないまま、行動に異常も出始めた。意味のないことをつぶやくようにもなった。転びやすくもなった。
それまでも聞き役として、否応無しに父のプロファイルの仕事に関わってきていたが、その頃になると、 父はほとんど機能しなくなっていた。プロファイラーとしては。
父は身を削って、自分の生きる時間と引き換えにプロファイルをしてきた。父は50代にして80代の外見になっていた。
そして老衰に似た症状で56の時、亡くなった。
父の亡骸を見ながら、心で問った。
どうしてそんなに犯罪に魅了されたの? 自分が極端な人格なのに、周りの人の心も読めなかったのに、どうして犯罪者のプロファイリングをしようと思ったの。お父さんって誰だったの。どんな人だったの。親子なのに犯罪の話しかしたことないよね。
けれどふと思った。案外…案外…父は人の心も十分に読んでいたのかもしれないと。人の心が読めないものにプロファイリングはできない。父は読めても、自分の表情、行動が変えられなかっただけなのかもしれない。心の動きと脳の活動、それに対応して行動に表せるか、それはまた別ものなのだ。
父に鍛えられたからだろうか、私は父の亡骸を見ながら、父のプロファイリングをしていた。
ジョウくんと会ったのは父の葬式だった。
「お悔やみを申し上げます。お父様には随分お世話になりました。お父様のお陰で、この世は確実により平和になっています」
ジョウくんは誠実な目をしていた。
その目を見ていると泣きそうになり、私は下を向いた。
父が亡くなったということでは泣けなかったが、ジョウくんの目を見て泣きそうになった。
思えばいつから私は泣いたことがなかったんだろう。
「今は何をしていらっしゃるんですか?」
ジョウくんは聞いた。
「特に何も…。これまでは父の身の回りの世話をしたり、家で翻訳の仕事をしたりしていました」
父の代わりにプロファイルしていました、が正しいところだが、そう言うわけにもいかなかった。
ジョウくんは優しかった。そして何より明るかった。ジョウくんの世界は混みいってない、陽だまりのように温かい。ジョウくんを見ると純粋に嬉しかった。
けれど思った。これまでの人たちがそうであったように、ジョウくんもいずれ私の異様さに気づき去って行くだろうだろうと。私がまとっているどこか暗い影に気づいて。
先のことは考えず別れの日までは楽しんだらいいじゃない。親しい友人になれたらそれだけで嬉しいじゃないの。ともすれば悲観的になる自分に言い聞かせた。
不思議なことに6ヶ月経ってもジョウくんは去っていかなかった。それどころか、私と一緒に住みたいと言い出した。
「何を言うの?」私は不思議な目をしていたと思う。
「そんなに不思議なこと?」 ジョウくんはふざけたように私の頬をつまんだ。
「私…と一緒にいたい人がいるの?」
「いるよ。ここに」
ジョウくんは微笑んだ。僕はね、ノンバイナリーなんだ。自分のことを男でも女でもないと思ってる。好きになるのも男性のこともあれば、女性のこともある。
そうなんだ…。
私は身長182センチ。体重74キロ。明…アキラという名前だ。けれど、自分では心の中で、メイと呼んていた。生まれたのか五月だったので、メイだ。明もメイと読める。私の心は女性だった。
私は小さな声でアキラではなく、メイと呼んでほしいと言った。
「レジェンドさん、あ…メイさんのお父さん、伝説の人だから、レジェンドさんって呼ばれてたんだけど、しょっちゅうメイさんの自慢をしていたよ」
「 私の自慢を?」
わけがわからなかった。父が私のことを人に話す? 父が私にそんなに関心を持っていたはずはない。
「あの子には自分のせいで辛い思いをさせてる、って。あの子から子供時代を奪ってしまったって」
えっ…
めまいがした。父がそんなことを言うはずはない。そんなはずは…。
ジョウくんの愛嬌のある丸い目が優しく揺れていた。
その目に私は父のことは全て忘れて幸せになりたかった。心から、影のない女になりたかった。
ジョウくんは離れていかなかった。私は幸せだった。幸せになれるかも、初めてそんな予感がした。陰のないジョウくんと幸せになって、まとわりつく陰を薄くする…。そんなことさえできる気さえした。
私たちは南に面したベージュの壁の小さな家を借りた。ソファ、テーブル、カップボード、ドレッサー、ベッド…買い揃えていくのが楽しかった。小さな庭には野草が咲いていた。黄色とオレンジとピンクと紫。小さいけれど、勢いのある素直な花々。
私は人生のシンプルさを欲していた。シンプリシティはそれだけで美しい。
小さな幸せ。小さくて大きな幸せ。自分には起こりうるはずがないと思っていた幸せ。窓から入り込む陽射しを感じ、今までで天国に一番近い場所だと思った。海辺のリゾートでなくても湖に面したログハウスでなくても私にとって天国に一番近い場所。
ジョウくんは優しくて、存在が柔らかかった。
そしてジョウくんのママ。笑い声が大きく冗談好きで、寛大だった。初対面のときほとんどピリピリ震えている私を両手を広げて抱きしめてくれた。あなたはジョウが今まで付き合った人の中で一番素敵よ。あの子が一緒に住みたいって言ったのはあなたが最初なの。
ジョウくんのパパは郵便局に勤めていた。寡黙だがその目には茶目っ気があり、時々肩をすくめて私に微笑んでくれた。
たわいない小さな置物がいっぱいのジョウくんの実家。ジョウくんのママと肩を並べて作る夕食。味見をしにくるジョウくんのパパ。
犯罪現場や被害者の写真に溢れたテーブルでプロファイリングに取り憑かれた父と食べる夕食。私が作る誰もおいしいと言ってくれない食事。その日々の方が現実で、今が夢。過去は後退しそうになかったが、少しずつ自分自身が過去に向き合いながら後退していけたらと思った。そうすれば夢が現実になっていく。
ジョウくんといて、一緒に笑い、雄弁にすらなれた。気分が高揚することすらあった。
思えば今まで高揚したことなどなかった。プロファイリングで犯人がわかった時も父のように高揚できなかった。犯人が見つかる…それ自体はよかったと思った。けれど、高揚はしなかった。安堵もしなかった。論理的には犯人逮捕に貢献できるのだから、とてもよいことに違いなかった。けれど、闇に接すると自分も闇に包まれる…。笑顔が遠のいていく…。
そんな私にこんな幸せが訪れるなんて。私の心は心は落ち着い た。
今のようにテレビや小説でもてはやされる前からプロファイラーだった。
プロファイラー、ではなく分析屋、と自分のことを呼んでいた。
分析屋ってのは曖昧な名前だ。分析って言葉には宇宙ほどの広がりがある。物がある限り、人がある限り分析は存在する。何を分析するかが問題だ。
父は知る人ぞ知る有名な分析屋だった。一時期犯人像の分析屋といえば父のことだった。
犯罪者かそうでないかは紙一重だ、が父の言葉だ。
紙一重…分析屋としては詩的な表現だ。一重というところが詩的だ。
「紙」からの連想なのか「それってリトマス紙で判別できる?」私は聞いた。
すると 父にしては珍しく、興味深く私を見た。面白そうでもあった。父は、私が、というより、子供、が苦手だったので、私を珍しそうに見ることはあっても、面白そうに見ることはなかった。
「リトマス紙では判別できないな。けど、そんなのでわかったら面白いだろうな」
父はくっくっと笑った。父にしては高めの声で笑った。低い声で笑う父は笑っていても暗かったので、高めの声で父が笑ったことが嬉しかった。笑わせた自分が少しだけ誇らしかった。けれど高めの声で笑う父はいつもほど暗くはないにしても、陽気、というのにはほど遠かった。
「ここからが犯罪でここからが犯罪じゃないって区切りがあるわけじゃないんだ」
「でもどこかに境があるわけでしょ」
「それは見る側との相互作用なんだ」
「相互作用?」
「相互作用っていうより、実際にはもっといくつもの数え切れない要因がある」
「…うん…」
「難しいか…。じゃ、こういうことならわかるかな。太陽の色は国によっては黄色だったり、橙色だったり、赤だったりする。とらえ方の違いなんだ。同じ太陽という存在なのに、ある時は暖かくてありがたがられ、ある時は迷惑がられたりする。あとは時間との関わりも大きい」
「うん…」
「やっぱり難しいか…。じゃ、砂浜に真っ直ぐに線を引くことを考えてごらん。どんなに真っ直ぐに引いたつもりでも、砂粒がわずかに動いたり、風が吹いたりすればすぐ崩れる。絶対に永遠の真っ直ぐなんてない。だから、場合によっては昨日は真っ直ぐに見えたものが今日はちっとも真っ直ぐじゃないってことなんてしょっちゅうだ」
わかりそうな気もしたけれど、すっかり理解するには自分は経験も頭も足りないんだろうな、って思った。知りたくもないのかもしれない、とも思った。
「犯罪は刻々と変化するってことなの?」
父はうなづきながらも、もう私のことなど視界に入っていなかった。
父の思考はよくとんだ。実際は私にはそう思えただけで、父なりの規則性で動いていたのだろうが、私にはとても唐突に思えた。
母は父に一目惚れした。父は若い頃から、髪を切るのを面倒がるほど見なりに構わない人だった。切らなければ髪は伸びるわけだから、朝起きると目の荒い櫛で梳かし、きっちり結んでいたという。いつも何かに悩んでいるように憂いがあり…少なくとも母にはそう見えた。そして物事の光を浴びた部分だけを見る、という特性の母は、父の歩く姿もルックスもいいのに身なりにかまわないところが潔い、と感じた。
母は自分が美しくないと思っていた。けれど私はずっと母は 心をうつ美しさだと思っていた。12の時に亡くなった母。優しかった母。その存在が美しかった。
母は幸せではなかったと思う。父は利己的とか自己中心という言葉が本質を表している、というタイプの人間ではなかったとしても、結果としてその言葉がまとわりつく人だった。
器用な人ではなかっただけなのかもしれない。実際、家庭を持つべきではないほど不器用な人だった。分析屋としては一流だったにしても、仕事に関する以外のことにはほとんど興味を持たなかった。父の興味は全て仕事の周りを衛星のように回っていた。
母が亡くなったあと、父の親としての適性が問題になった。父方にも母方にも私を引き取ってくれそうな人はいなかったので、父に適性がないと判断されれば、残る選択は里親に引き取られるか施設に行くかだった。
それほど父といたかったわけではなかった。けれど、父に責任を感じた。父のことを見てあげなければと思った。母がそうしてきたように。さほど父に愛着を持っていたわけでもない。自分に興味を示さない人には愛着は持ちにくい。
考えてみれば、そのときの私には優しい共感型の母の素朴な愛情深さと父の分析屋としての頭脳の芽、両方が育ち始めていたのかもしれない。若葉に急速に光と養分を与えるがごとく、私は自分の心と頭を急速回転させ成長しようと必死だった。
私の家庭環境に懸念があるとの連絡を受けて調査に来た女性を前に、いかに父が口べたにしても愛情深く私のことを思ってくれているかを力の限り語った。そして、いかに歳の割りに常識と知能を持ち合わせていて、大人顔負けの分別と家事能力があるかを示そうとした。
調査員は迷っていた。私をこのまま実の父親のところに残して置くかどうか。
私は父の愛情溢れる行動を話す度、彼女の目が揺れるのを感じた。私は嘘がばれない範囲で作り話を続けた。感情にうったえたほうがいい、と感じた。取り乱すのではなく、適度に子供らしさを残しながらも知的にいかに父親と一緒にいたいか、引き離されたら自分の存在そのものが危うくなり、精神的につらくなるかを語った。
その結果、私は父と二人きりで暮らすことになった。
何年もの間。
父と二人で暮らすこと。結果から見ると決してよかったとはいえない。けれど、暮らさなかったら、それ以上の良い人生が待っていたかもわからない。
父と暮らして父をより理解したが、愛情は12歳の時より深くなったのか…。
父は愛情の吸収下手だった。そして与えることも下手だった。私に親としての責任以上の気持ちを持ったことがあるのかもわからない。
父は私に無関心だった。無関心、は言い過ぎか。ある程度の関心、というか存在に対する認識はあったと思う。コーヒーメーカーやトースターのように。そして生身であるから、パソコンのように思い通りの結果を出したり計算ができるわけでもなかっただろうが、それにたいする忍耐力もあった。だから、怒鳴られたり、怒りをぶつられたこともない。苛々を肩のあたりに漂わせることはあったにしても…。
父は分析屋としての仕事に夢中になると私のことを忘れた。もちろん、私のことだけでなく全てのことを忘れた。そういう意味では平等だった。けれど、友達が溢れんばかりの愛情や愛情表現を受けているのを見て、ひどく不公平だと思った。ちっとも平等じゃないじゃん。父なら言ったかもしれない。それも見方によって見解は異なるだろう、砂に描いた直線のごとく、と。
母はよく言った。自分がいなくなったら、あなたは孤児になってしまう、と。優しい母がいなくなったら自分は孤児になってしまう、そのとおりだった。父がいるじゃない、もう一人親が、とは思わなかった。母はいつも私に言った。あなたは、あなたらしくていいのよ。あなたらしさを見つけなさいね。否定してはだめよ。
12歳にして父と残されたとき、父に面倒みてもらおうとは思わなかった。ただただ母の代わりに父のことをみてあげなければ、と思った。
「あなたのパパには一目惚れだったわ。今から思うと何がそんなによかったのかしらね。その頃のパパは今のように骸骨のようでもなく、髪もふさふさしていて、変人ぶりも今ほどじゃなかったわね」
母は遠くを見る目で言った。父は数年にして青年から老年に入ったように容姿が変わった。
「どこかが悪いんじゃないかって思ったわ。検査もさせたけど、健康状態は悪くなかったのよ。分析しすぎる人は脳の皺も深いっていうけど外見もそうなるのかしらね」
母は絶望的にではなく、微笑みながら言った。母は楽天的で一度決めたものの面倒は見るタイプだった。母の心の中にはどんな小さなものでも一旦愛着を持ったものには居場所があった。飼っていたペットにはそれなりの思い出の場所があり、ことあるたびに思い出して話をしてくれた。ペキペキという名のコオロギのヒゲの様子も私が絵に描けるくらい、母は生き生きと語った。母は弱いもの、劣っているもの、保護が必要なものに対して手を差し伸べる情の深さがあった。優越感からではなく、憐れみからでもなく、ほんとうに自分ができることで相手の役に立つなら、という気持ちからだった。
父のルックスがの良さに惹かれたのよ、っとおどけたように母は言ったけれど、父の人間として欠けているところをなんとか満たしてあげたかったのかもしれない。無意識のうちに。
私と父との食事の会話はもっぱら分析屋の仕事に関してだった。私の口の固さを父は信頼していたからか、固有名詞は避けたにしても、自分が扱っている事件、犯人像を話してくれた。
強盗、殺人、詐欺、ありとあらゆる事件があった。私は残酷な写真、傷や血が写っているものや、刃物の写真は苦手だったので、それは見せないで、とお願いした。そうでもなかったら、食事のテーブルの上一面事件の写真で埋め尽くされていたに違いない。
私は父の話に沿って頭の中でヴィジュアルに事件を組み立てた。言葉で聞く限り、それほどの衝撃はなかった。苦手な血は青や虹色に。刃物は鉛筆に置き換えて頭の中で想像した。少しぼやかしたり、影絵を見るように想像したこともある。
父は事件や犯罪に関しては雄弁だった。私でなく「そう、そうなの」と繰り返すオウムがいたとしても、話し続けたのかもしれない。
15歳になる頃には、時折父の気づいていない疑問点を投げかけたりして、父を驚かせた。父の驚く顔を見て私も驚いた。父はそんな顔を私に見せたことはなかったし、そんな顔をさせたのが自分自身であるというのも驚きだった。
天才か、透視者かメンタリストかもしれないな。父は言った。
自分ではちっともそんなことは思わなかった。学校ではどの科目にしても特に優れていたものはなかった。けれど授業中ほとんどデイドリームしていた割にそこそこ点が取れていたので、頭は悪い方ではなかったかもしれない。が、天才とはほど遠いと自分で思っていた。
メンタリスト、を調べてみたがどうも自分とは違ってみえた。人が何を考えているかを推測するのに優れているとは思わなかった。人の心を操る能力なんてのもあるわけない。
けれど、一つだけひょっとして、と思うことがあった。非常に困った局面にぶちあたったときや、必死で物事を解決しなければ、と思って頭と心を集中させたとき、自分でもそれまでその存在に気づかなかったエンジンが回り出すのを感じた。自分の未知の力が出番を待っている、そんな予感がした。
父と一緒に住めるかがかかっている調査員との面接もそうだった。私はまるで母が乗り移ったかのように、落ち着いて優しく、感情豊かな、それでいて12歳のくせに気持ち悪いと思われないように振る舞うことに集中し、成功した。自分でない偉大な役者になって役を演じ切った達成感があった。
父が放火事件を扱っていたとき、父の与えた情報から一つの情景が浮かんできた。仮説をたて、父に話した。その数日後、真犯人が逮捕された。
私が真の力を出すためには、心を追い立てる何か切迫つまったものが必要だった。動機が必要だった。数学の問題を解くのに喜びを見出す天才少年のような常習性は私には皆無だった。いつもはスイッチオフ。それが普通の状態だった。切羽詰まった状況でスイッチオンされると、何かが頭で心で起こり始めた。
ただ、それによって問題が解決されたとしても、ひどくひどく疲れた。全身全霊をつかって寿命を削っている、磨耗される、体も、心も、頭も。
だから、父が相談相手として事件を真剣に話すようになっても、私はスイッチオンにはならなかった。ハーフスイッチにもならなかった。スイッチオフの状態でもときどき閃いた。それを父に言うと父は驚いた。父に認められて嬉しいのかは、自分でもわからなかった。
父と暮らしながら、違った暮らしをディドリーミングした。
光に満ち、木洩れ陽のように輝いていて、自分で作らなくてもキッチンは作りかけのクッキーやシチューの匂いで満ちていて、思いっきり子供らしく遊んでくたくたになって帰っても、優しい笑顔と洗濯されたシーツのベッドが待っている…。
家庭…。家族…。
犯罪現場の話も写真もなく、犯罪にとりつかれた父とテーブルで向かい合うこともなく…。
じゃあ、あの調査員に真実を言えばよかったじゃない、父は親として何もできない、と。それどころか、自分が面倒を見てあげなければならないと。
やはりそれはできなかった…。父は自分の血であり、歴史。私にはペキペキでさえ可愛がった母の血も流れている。父を突き放すことはできなかった。母の後を継いで分析屋の父の面倒を見る、それが 自分の宿命だと思った。
恋もした。好きになる相手は決まったように皆、陰のない笑顔と笑い声に満ちていた。彼らといると自分も 陰でなく、陽になれる気がした。もちろん、私は自分の気持ちを隠し、単なる友達として接した。
私はそれふうなことがしたかった。映画館でポップコーンを食べながら手を握ったり、野草の花が揺れる草原で追いかけっこをしたり…。たわいない恋がしたかった。
けれどそんなのは夢物語だった。
友達は家には連れてこないようにした。家にはなにかしら不気味なものがあり…写真にしても普通の人が見たらひくだろうものがそこらじゅうにあった。
そして家は暗かった。できるだけ、明るい色彩で明るい雰囲気のものを置こうとしたが、住人の思考からでる得体の知れないもの…が冷気のように家を浸していた。
その得体の知れないものは私にも影響を与えていた。 少しでも親しくなった者たちは、私に何か普通じゃない雰囲気を感じたのか、はっきりした理由も告げず去っていった。
彼らを責めれなかった。確かに私の育ちは普通じゃない。そして私自身が普通じゃない。気づかぬうちに私は不穏な空気を纏っている…。
私が恋愛感情を抱いた男たちは決まったように、私がカルト宗教の信者でもあるかのように敬遠しはじめた。
私は寂しかった。死にたいほど寂しかった。なのに涙は出ない。父は私のそんな感情の起伏など全く気づかず、来る日も来る日もプロファイリングをし続けた。いい歳をして就職もしない私を人はどう見ていただろう。私はその頃、頑健で無表情だったと思う。
長いようで短い、短いようで長い20代が過ぎていく。私は人生を諦めかけた。父の世話と仕事の手助けのみをしてこれからも暮らすのだろうか。
父に恨みをもつわけではなかった。特に愛してもいなかったと思うが、憎んでもいなかった。自分がした決断なのだ。12歳のときの決断。
今12歳に戻れたら、どうしただろう、時々思った。犯罪とはまったく関係のない明るい笑い声に満ちた家庭の養子になっていたら。そうしたら、父はどうなったのだろう。一人でも暮らしていけただろう。ただ食べるものにも無頓着だし、長く健康でいられる可能性は低い。父は多くの点であまりに偏りすぎていた。
どうして父がこれほど犯罪に没頭するのかわからなかった。正義感からか、と思ったがそうではなかったと思う。つまり…父は犯罪が好きだったのだ。数学を解くのが大好きな少年が問題が難しければ難しいほどやりがいを感じるように、父は犯罪者をプロファイルするのが大好きだったのだ。
しかしそれも私が二十歳を過ぎる頃までだった。父の脳はとみにバランスを欠き始め…医者にも行ったしMRIも撮ったが、原因はわからないまま、行動に異常も出始めた。意味のないことをつぶやくようにもなった。転びやすくもなった。
それまでも聞き役として、否応無しに父のプロファイルの仕事に関わってきていたが、その頃になると、 父はほとんど機能しなくなっていた。プロファイラーとしては。
父は身を削って、自分の生きる時間と引き換えにプロファイルをしてきた。父は50代にして80代の外見になっていた。
そして老衰に似た症状で56の時、亡くなった。
父の亡骸を見ながら、心で問った。
どうしてそんなに犯罪に魅了されたの? 自分が極端な人格なのに、周りの人の心も読めなかったのに、どうして犯罪者のプロファイリングをしようと思ったの。お父さんって誰だったの。どんな人だったの。親子なのに犯罪の話しかしたことないよね。
けれどふと思った。案外…案外…父は人の心も十分に読んでいたのかもしれないと。人の心が読めないものにプロファイリングはできない。父は読めても、自分の表情、行動が変えられなかっただけなのかもしれない。心の動きと脳の活動、それに対応して行動に表せるか、それはまた別ものなのだ。
父に鍛えられたからだろうか、私は父の亡骸を見ながら、父のプロファイリングをしていた。
ジョウくんと会ったのは父の葬式だった。
「お悔やみを申し上げます。お父様には随分お世話になりました。お父様のお陰で、この世は確実により平和になっています」
ジョウくんは誠実な目をしていた。
その目を見ていると泣きそうになり、私は下を向いた。
父が亡くなったということでは泣けなかったが、ジョウくんの目を見て泣きそうになった。
思えばいつから私は泣いたことがなかったんだろう。
「今は何をしていらっしゃるんですか?」
ジョウくんは聞いた。
「特に何も…。これまでは父の身の回りの世話をしたり、家で翻訳の仕事をしたりしていました」
父の代わりにプロファイルしていました、が正しいところだが、そう言うわけにもいかなかった。
ジョウくんは優しかった。そして何より明るかった。ジョウくんの世界は混みいってない、陽だまりのように温かい。ジョウくんを見ると純粋に嬉しかった。
けれど思った。これまでの人たちがそうであったように、ジョウくんもいずれ私の異様さに気づき去って行くだろうだろうと。私がまとっているどこか暗い影に気づいて。
先のことは考えず別れの日までは楽しんだらいいじゃない。親しい友人になれたらそれだけで嬉しいじゃないの。ともすれば悲観的になる自分に言い聞かせた。
不思議なことに6ヶ月経ってもジョウくんは去っていかなかった。それどころか、私と一緒に住みたいと言い出した。
「何を言うの?」私は不思議な目をしていたと思う。
「そんなに不思議なこと?」 ジョウくんはふざけたように私の頬をつまんだ。
「私…と一緒にいたい人がいるの?」
「いるよ。ここに」
ジョウくんは微笑んだ。僕はね、ノンバイナリーなんだ。自分のことを男でも女でもないと思ってる。好きになるのも男性のこともあれば、女性のこともある。
そうなんだ…。
私は身長182センチ。体重74キロ。明…アキラという名前だ。けれど、自分では心の中で、メイと呼んていた。生まれたのか五月だったので、メイだ。明もメイと読める。私の心は女性だった。
私は小さな声でアキラではなく、メイと呼んでほしいと言った。
「レジェンドさん、あ…メイさんのお父さん、伝説の人だから、レジェンドさんって呼ばれてたんだけど、しょっちゅうメイさんの自慢をしていたよ」
「 私の自慢を?」
わけがわからなかった。父が私のことを人に話す? 父が私にそんなに関心を持っていたはずはない。
「あの子には自分のせいで辛い思いをさせてる、って。あの子から子供時代を奪ってしまったって」
えっ…
めまいがした。父がそんなことを言うはずはない。そんなはずは…。
ジョウくんの愛嬌のある丸い目が優しく揺れていた。
その目に私は父のことは全て忘れて幸せになりたかった。心から、影のない女になりたかった。
ジョウくんは離れていかなかった。私は幸せだった。幸せになれるかも、初めてそんな予感がした。陰のないジョウくんと幸せになって、まとわりつく陰を薄くする…。そんなことさえできる気さえした。
私たちは南に面したベージュの壁の小さな家を借りた。ソファ、テーブル、カップボード、ドレッサー、ベッド…買い揃えていくのが楽しかった。小さな庭には野草が咲いていた。黄色とオレンジとピンクと紫。小さいけれど、勢いのある素直な花々。
私は人生のシンプルさを欲していた。シンプリシティはそれだけで美しい。
小さな幸せ。小さくて大きな幸せ。自分には起こりうるはずがないと思っていた幸せ。窓から入り込む陽射しを感じ、今までで天国に一番近い場所だと思った。海辺のリゾートでなくても湖に面したログハウスでなくても私にとって天国に一番近い場所。
ジョウくんは優しくて、存在が柔らかかった。
そしてジョウくんのママ。笑い声が大きく冗談好きで、寛大だった。初対面のときほとんどピリピリ震えている私を両手を広げて抱きしめてくれた。あなたはジョウが今まで付き合った人の中で一番素敵よ。あの子が一緒に住みたいって言ったのはあなたが最初なの。
ジョウくんのパパは郵便局に勤めていた。寡黙だがその目には茶目っ気があり、時々肩をすくめて私に微笑んでくれた。
たわいない小さな置物がいっぱいのジョウくんの実家。ジョウくんのママと肩を並べて作る夕食。味見をしにくるジョウくんのパパ。
犯罪現場や被害者の写真に溢れたテーブルでプロファイリングに取り憑かれた父と食べる夕食。私が作る誰もおいしいと言ってくれない食事。その日々の方が現実で、今が夢。過去は後退しそうになかったが、少しずつ自分自身が過去に向き合いながら後退していけたらと思った。そうすれば夢が現実になっていく。
ジョウくんといて、一緒に笑い、雄弁にすらなれた。気分が高揚することすらあった。
思えば今まで高揚したことなどなかった。プロファイリングで犯人がわかった時も父のように高揚できなかった。犯人が見つかる…それ自体はよかったと思った。けれど、高揚はしなかった。安堵もしなかった。論理的には犯人逮捕に貢献できるのだから、とてもよいことに違いなかった。けれど、闇に接すると自分も闇に包まれる…。笑顔が遠のいていく…。
そんな私にこんな幸せが訪れるなんて。私の心は心は落ち着い た。