カウンター内のマスター。マスターは顔はかなり変わっていたけれど、雰囲気は輪くぐり前と同じだった。何に似てるかって言われたら狼人間ふうだけど、顔がそのまま狼ってわけじゃない。

 随分前にママとテレビで見た狼男って映画で、特撮っていうのかな、どんどん顔が狼に変化していくのがあったけど、その段階を10に分けるとしたら、マスターの顔は5段階目くらいでまだ十分に人間の顔で、笑顔もとっても素敵だ。さっきまでのきっぷがいい感じも一緒で、マスターの周りがさっぱり気持ちよくひんやりしている感じも一緒。緑のエプロンが似合ってるのも輪くぐり前と一緒。

 マスターは私に微笑んだ。口は裂けるように大きいけれど、その表情は微笑みというのがふさわしい。

 何だか不思議だなって思った。

 みんな変わっているけれど、輪くぐり前の雰囲気そのままで…。当たり前かな、同じ人たちなんだから。

 ポニーテールのおにいさんは強いていうならトカゲ人間だ。それともワニ? イグアナ?皮膚の感じや、目。それにトカゲ風のしっぽもついている。うーん、一番似てるのはなんとかっていう爬虫類…。なんて名だったかな。器用そうな長い指もどこかトカゲっぽい。背の高さは同じだ。くせ毛のポニーテールはないけれど、頭のてっぺんから首にかけてゴワゴワとした癖のある長いヒレににた質感のものがついている。

 ポニーテールのおねえさんはミロちゃんに似ていた。猫人間? 顔は小さくて耳はピンとたっていて、長いポニーテールはそのままだ。ふさふさとしている。ただ色は銀色に近い白だった。小さな手は人とさほど違わないように見えた。ただ身のこなしが一段とやわらかくなっている。しなやかだ。

 どう? 私たち、ちょっと驚きでしょ。ネコおねえさんは柔らかい声で話しかけ、ふふふって笑った。とても素敵なふふふだった。

 ダニーと私が入ったとき、トカゲおにいさんや猫おねえさんと同じように、ゆったり静かな風に吹かれるように何気なく、それでいて優しげに見てくれたあと二組の人たち。ワイシャツをきた仕事仲間のような二人のうち一人は鳥系に見えた。顔はダチョウに似てるのかな。首が細くて長くて、でも手があるから翼はないのかな。よく翼の生えた人間ってアニメとか絵に出てくるけど、あれって不思議だよね。だって翼も腕も前足の変化したものだから、どっちもあるっておかしいんだよね。そういった意味ではケンタロウスも同じだね。前足もあって手もあるんだから。

 ワイシャツのもう一人の若い男の人は熊と猪の中間の顔に見えた。目はちっちゃいんだけど、笑ってるような優しい目だ。ブラウン封筒から書類を出して説明していたのはこっちの人で、相変わらず、真剣な様子で何やら説明し、ダチョウ風の人がうなづいている。

 長年連れ添った夫婦風でゆったりとコーヒーを飲んでいた二人は、やっぱり雰囲気はそのままゆったりしていた。男の人は水をゆっくり飲んでいたけれど、その顔は北川先生に少し似ていて羊風だ。でも北川先生より肩がいかつい。似てるもの同士知り合いって可能性が高いなら、北川先生のこと知ってるのかな。北川先生、結婚して子供いたはず。奥さんも羊人間なのかな。北川先生に兄弟がいたとしたらやっぱり羊人間なのかな。子供はどうなんだろ。

 とにかくその北川先生に似た男の人は、角度によっては羊より山羊に似ても見えた。長い白い髭のせいかな。目の周りに深い皺がいくつも寄っていて角はくるんと二本ある。

 女の人の方は何に似ているんだろう。色んな動物に似ている気もする。顔中茶色の毛で覆われれて、口もとが優しい。上品につぼめるように話してる。強いていうならプレーリードッグかな。

「どう思う?」

 トカゲおにいさんは声はそのままで小石が転がるような不思議に優しい声で聞いた。トカゲおにいさんと猫おねえさんはどちらも私を見つめ、その不思議な光を放っていた瞳は一段と輝きに満ちている。

「なんだか素敵だなって。こういうの多彩っていうのかなって。ママが世界はもっと多彩なのよって言ってましたけど、『世界』を『輪くぐりすると』に変えると、ほんとに多彩なんだなって。あ、すごくいい意味でなんですけど」

 「見てごらん」 マスターに言われて見てみると、金魚鉢全体が輝いて見えた。晴れた日、家に差し込んだ日の光にガラスの置物とかが反射して眩しいほど光っていることがあるけど、金魚鉢は眩しいほどではなかったけど、繊細かつ神秘的に光っていた。

 さっきまでとは違って今見るポポは何らかの魚には違いなかったけど、今まで見たこともない魚だった。少なくとももう全くリュウキンには見えなかった。紫のビロードのようなヒレが体の真ん中辺りからたっぷりと広がっている。同じなのは目だった。目の表情は同じだった。目が合ったポポの口元が今度ははっきりと微笑んでいるのがわかった。

 その口がゆっくり動き、お役に立てて嬉しいわ、って言った。声は聞こえなかったけど、私の頭にその言葉が広がった。

 ありがとう、ポポ。

 ポポは水中から頭を出し、軽く頭でうなづいた。

「マスター。ポポさんの声が聞こえたんです」

「どんな声だった。男? 女?」

「え? 女。ちょっとママの声に似てました。私の考えてることもわかるみたい。これってテレパシー?」

「まあ、その一種かな。でも聞こえる声とか言い方とか、たまには内容まで聞いてる人間の影響を受ける。フェルル度が低ければ低いほど、正確さも欠くんだ」

 そうなのか…。じゃ、ママの声に似て聞こえるのは私だけで、ほかの人にはポポの声は違って聞こえるのかな。

「コミュニュケーションってね、どうしても自分の思いが相手の答えに重なって色合いを変えていくんだよ。わかるかな」

 うん…。私はうなづいた。

 ポポさんって人間と同じくらい頭もいいんですよね。ポポに心で問うと、ヒレを大振りに動かした。

 わたしは思わず笑った。

 トカゲおにいさんとネコおねえさんも顔を見合わせて笑ってる。

 でも、こんな小さい金魚鉢にいて狭っ苦しくありませんか?

 すると、やっぱりテレパシーもどきでわたしの心を読めたんだろう、トカゲおにいさんが教えれくれた。

「心配ないよ。今だけマスターに呼ばれてロコちゃんのために助っ人にきたんだよ。ほらここの裏側に川が通ってるだろ。カウンターの裏の床を開けると川につながる通路があってね、たまにやってくるんだ。今日は輪くぐりしたいロコちゃんのためにポポちゃんに来てもらったんだ」

 ポポはどんなものよってかんじで垂直になりくるりと回ってみせた。フィギュアスケーターのスカートがふんわりするみたいで、素敵だった。

「最初は驚きの連続よね」

 ネコおねえさんが言った。ゆったりした動作の中で目だけがよく動く。やっぱりミロちゃんに似てる。ミロちゃんもここにいたらいいのに…。

「私の友達におねえさんによく似た人がいるんです。ミロちゃんって」

「ミロちゃんねえ。話したことはないと思うわ。出会ったりはしてるかも。でもどこが似てる?」

「あの…ちょっと猫みたいな雰囲気があるところとか…」

「ねえ、あたしやそのミロちゃんのこと、ゲゲゲの鬼太郎の中の猫娘みたいなもんだと思ってない?」

「あ、いいえ。猫娘ってあたし、あまり知りませんし。ママは好きなんですけど、ゲゲゲの鬼太郎の再放送見たりして。猫娘って妖怪なんでよね。ミロちゃんは人間だし…あ、でもあたしよりはずっと能力あると思いますけど。とにかく、ミロちゃん、動物の中では猫に似てますけど…」

私はしどろもどろになった。

「大丈夫よ。そんな真剣に答えなくても。猫に似てるの重々承知よ。あたしたちみたいなの、レイヤー族っていってね、ロコちゃんが入ってきたこのレイヤーだと本来の姿になれるの。でも人間なのよ、立派な。だけど、普通の人間にないパワーを持ってるものも多いわね」

私はうなづいた。

「コモン族は、あ、コモン族って一般人ってことなんだけど、コモン族は普通私たちのレイヤーが見えない。私たちは輪から出ない限り、つまりこのレイヤーにいる限り、私たちの真の姿でいられるし、そう見てもらえるの。レイヤー族はロコちゃんたちからしたら、あたしみたいに猫っぽかったり、トカゲっぽかったり、狼っぽかったりするかもしれないけど、必ずその動物に対応した特性や能力があるわけじゃないのよ」

 えっ?

「ほら、人間でも外見や性格が違う二人の親から生まれるわけだから、あ、ここは父親似だとか、あ、ここは母親そっくりとか、ここは母方のひいおばあちゃんに似てるとかあったりするでしょ。それにちょっと似てるかな。私も外見で一番近い動物って言われたら猫だけど、能力的にはより犬に近い。あと、渡り鳥にも」

 え…。

 なんだか混乱してきた。

「似てるってのは今までの知識の中で似通ったものにつなげて考えてしまうからなの。私が猫っぽく見えるとこって、耳と目が主だよね」

 そう言われれば。

「ちょっと動きも猫っぽいかな。それも認めるわね」

 猫おねえさんは困った様子の私を見て柔らかく微笑んだ。

「覚えといてほしいのはね、レイヤー族は似て見える動物との半人間じゃないってこと。ダブル人間って呼ぼうって動きもあるけど、これもほんとはおかしいと思うの。半分でもダブルでもなく、個性ある一人の人間ってことだよね。いろんな要素が混ざってるだけ。ただ外見だけ見ると目立つ特徴が何かの動物に似てる場合が多いってことなの」

 そばでマスターはお皿を拭きながら、トカゲおにいさんはしっぽで時折音をたてながら、ネコおねえさんの話を聞いていたが、「あ、そういえばね、見かけはレイヤー内でもほとんどコモン族と変わらないレイヤー族もいるんだよ」マスターが言った。

「どこでレイヤー族かコモン族かを区別するんですか?」

「まずは常にこのレイヤーにいるかどうか。でもコモン族でもフェルルになるとかなりここにとどまれちゃうものもいる。コモン族かレイヤー族かを分けるのはね…」

はい?

「宿題にしとこうかな。考えてみて」

 え? 教えてくれないんだ…。

「ねえ、おねえさんのお母さんもレイヤー族なんですか?」

「うん。でも見かけは猫っぽくないよ。コモン族がみたら、熊と馬の間みたいって言うかも」

「お父さんは?」

「コモン族だよ」

「えっ?そうなんですか」

「ちっとも驚くことじゃないわよ。親も子もレイヤー族って方がうんと珍しい。結婚だってレイヤー族とコモン族同士がずっと多いよ。あたしはママがレイヤー族でラッキーだった。疑問にすぐ答えてくれたから」

「親がどっちもコモン族だった場合はどうするんですか?」

 私は人種の違った子を養子にした時、文化、外見などでいろいろ慎重に考えなければいけないってドキュメンタリーを見たことを思い出した。

「その場合はしばらく疑問を抱えて生きるかも。でもたいていコミュニティの誰かがメンターになってくれる。不思議なんだけどね、レイヤー族って、コモン族には決して自分たちの違いを口にしないの。親であろうとね。これって長い歴史で遺伝子に刻まれてきたことなのかもしれないけど、あたしが自分の小さい頃を思い出してみると、言わないほうがずっとナチュラルなんだったのよね。相手がレイヤー族で安心できるってわかるまでは」

 おねえさんはカウンターに置いてあるお皿からアーモンドを二つつまみ、口に入れ、カシュッカシュッって噛んだ。

「厄介なのはね」おねえさんはいたずらっぽく笑った。「ダニーやロコちゃんみたいな子かな」

 え?

「結構大きくなってからフェルルの現象が出てくる人」

「もっと小さい頃からこっちに入れちゃうコモン族は、結構フィーリングがレイヤー族に似てるのよ。レイヤー族に共通してるのはね」おねえさんはもう一つアーモンドを口に入れた。

「静かな熟考型が多いってことかな。あたし、よく思うんだ、レイヤー族だけなら、世の中戦争ってないだろうなって」

 そういうおねえさんはちょっと悲しげだった。そんなおねえさんを見てトカゲおにいさんが肩をポンポンと優しく叩いた。

 二人って恋人なのかな?

「じゃ、マスター。また来ます」

 トカゲおにいさんが言った。

「マモルくん、卒業いつだっけ?」

「来年です。今OB訪問で結構忙しいんですよ」

「建築だっけ、専門」

「はい。ほんとは世界の建造物見て一年くらい回りたいんですけどね。ま、とりあえず就職して親を安心させなくっちゃって。月並みですかね」

「いや、いいと思うよ」

 マスターはうんうんとうなづいた。

「キョウコ、行こう」

 おにいさんはネコおねえさんの重たそうなバッグを持った。

 ネコおねえさんの名はキョウコ、トカゲおにいさんの名はマモルなんだ。

 キョウコおねえさんはマモルおにいさんに腕を組み、二人は出ていった

「大学生なんですね」

「うん、キョウコちゃんは医学生でね」

「お医者さんになるんですか?」

「研究者になるか臨床するか…つまり患者さんを診る医者になるかはまだ決めてないらしいよ」

「そうなんですね」

 お医者さんってレイヤー族の? コモン族の? それともどっちも診るのかな。

 思っていることがわかったのかマスターが言った。

「ロコちゃんも疑問が多いよね。そのうち徐々に分かってくるから焦らないことだね。ここにいたお客さん、今日はみなレイヤー族だったけど、レイヤー族ってのは結構割合が少なくてね。100人に一人もいないと思うよ。でもうちに来るのはレイヤー族がほとんど。何も知らずに入ってくるコモン族もいるけど、めったに常連さんにはならないな。ダニーやロコちゃんみたいなフェルルも来るよ。レイヤー族もフェルルもうちが特別だって入る前からわかるからね」

「どうやって?」

「そうか。ロコちゃんはフェルルとフェルルじゃない人間の見分け方とか、レイヤー族の気配とかまだはっきりしてない?」

「はい…」

「焦らなくていいよ。そのうちわかるようになるよ」

 ゆったりコーヒーを飲んでた夫婦が立ち上がった。奥さんの方はやっぱり立ち姿もどことなくプレーリードッグに似て愛嬌のある微笑みを浮かべている。旦那さんは北川先生に似てはいるけれど、北川先生より頑固そうだった。角も大きい。「じゃ、マスター、また!」という声に弾力がある。

「またお会いできるかもね」 私を黄金に近い丸っこい薄茶色の目で見つめ、プレーリードッグ風奥さんが言った。

「最近フェルルさんたちに出会う確率がぐっと減った気がしてたの。さすがマスターの店ね、今日は可愛いフェルルさん二人に会えてよかったわ。ダニーくんは前から知ってるけど、あなたは初めてね。あ、私たち山田っていいます。よろしくね」

 山田さんは優しく私の手を握ってくれた。「はい!」私は少し緊張しながら、感じのいい微笑みってのをやってみた。なぜか山田さんに本当に性格のいい子だって思われたかったんだ。

 山田っていうごくごく普通の名字の二人の後ろ姿をしばらく見ながら、私はぽかんとしてしまった。大柄なご主人に小柄な奥さん、どこにでもいる夫婦と言えなくもないけれど…やっぱりどうにも不思議な外見で、でもやっぱりちょっと素敵だなって思ったんだ。