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今でこそあんなにも壊れてしまっているうちの家族だけれど、最初から関係が悪かったわけじゃない。むしろ、昔は本当にごく普通の仲のいい3人家族だった。

 優しいお母さんと、仕事熱心なお父さん。平日はお母さんが作る美味しい食卓を家族3人で囲んで、休みの日には一緒に遊びにも出かけたし、美味しいものをたくさん食べに出かけたりした。

 動物園や遊園地、水族館に映画館。家族でいろんなところに行った。お父さんもお母さんも優しくて、ずっとずっと笑っていた。笑うことが当たり前だった。


 それだけじゃない。今でこそいつも一人でいる私だけれど、あの頃は仲のいい友達もたくさんいた。小学生の頃の私は、どちらかというと高城領みたいに常に周りに人がいるタイプの人間だったと思う。

 昔から頭の良かった私は、先生にも親にも褒められ、可愛がられ、周りに好かれながら、何不自由ない生活をしていた。


 世界は、私だけで輝いていた。



 そんな私に、周りは大きな期待を抱いていた。

 小学校のテストはほぼ100点しか取ったことがなかったし、入学試験が難しいと噂の有名な塾には一発合格で通っていた。

クラスメイトたちはわからない問題があれば私に聞きに来たし、先生たちは何を聞いても答える私を授業中嬉しそうに何度もあてた。

 確か学級委員も何度もやらされた気がする。その時の私はそれすら当たり前のことだと思っていた。だって、クラスで1番しっかりしているのはこの私だって自分で知っていたから。


 そんな順風満帆な小学校時代を過ごした私にとって、失敗や挫折なんていう言葉それ自体が無知だったのだ。

 周りの人間たちは、私に期待を抱いていた分、期待はずれだった時のショックが大きかったんだろう。



 私は、中学受験の失敗をした。



 それが、私の人生初の挫折だった。有名な難関私立中学の受験。親も、先生も、クラスメイトたちも、私だって、合格を信じて疑わなかった。絶対に受かると思ってたんだ。完全に己惚れていた。

 受験票に載った自分の番号が、合格者一覧の数字から抜け落ちているのを発見した時、『こんなことがあるのか』と本気で思った。それくらいに自信があったし、落ちるはずがないと思っていたんだ。今考えれば、随分と自分を驕った考えだとは思うけれど。

 そうして中学受験に失敗した私は、みんなが行く公立の中学へと進学することになった。それが何故だかとても惨めで、惨めで、仕方なかった。


 だって、あんなにも私を囃(はや)し立てた周りの人間たちは、いとも簡単に私から離れていったのだ。



 中学へ入学後、私から友好関係という言葉は一切消えた。

偉そうに学級委員までやっていた私が、簡単に受験に失敗したのがそんなに面白かったのか、周りは私のことを笑い者にしていた。特に、クラスで1番派手なグループの子たちが。


『先生のお気に入りだったのにね』『あんなになんでも出来ます!ってオーラだしといて、落ちたんだって』『でも片桐サンってちょっとウザかったよねー』『それ、私も思ってた!』『何様?って感じー?』

キャハハハ。聞こえるように言うのが彼女たちのポリシーだったみたい。笑い声が耳に響いて、もうこんな耳いらないとまで思った。

 友達がいないどころか、しゃべる相手すらいなかった。

 そりゃあそうだ。入学早々から1番派手なグループに目をつけられた私に構ってくれる心優しいニンゲンなんて、星の数ほどいる中のほんの少数なんだから。私の場合、その少数派は1人たりともいなかったけれど。

 でも、その時はまだお母さんもお父さんも私に希望を持ってくれていた。家に居場所があった。


「次があるわよ」
「高校受験を頑張ればいい」
「最終学歴で勝てればいいのよ」
「綾乃は頭がいい、自信を持つんだ」


そんな言葉を浴びせられたら、私は勉強するしかなかった。悔しくて、悔しくて、辛くて、苦しかった。

 その時から、勉強は私の唯一の逃げ道になった。「1」の文字が、私を助けてくれていたんだ。

 耐え抜いた中学時代。楽しかったことなんてもうあまり思い出せない。ていうかそもそも、楽しかった思い出なんて存在しないのかもしれないけれど。

 やがてやってくる高校受験に、私は県内イチの進学校への受験を選んだ。中学受験のあの悔しさを、どうしても払いたかった。でも。


 私はまさかの、高校受験も失敗した。



 私なりに頑張ったつもりだった。中学3年間、トップ3を逃したことはなかった。通知表は常に5が並んだ。評価を得るために、苦手な美術や体育の実技もコソコソと練習した。


 勉強して勉強して。


 勉強しかすることがなかったから。毎日そればかりだった。受験日当日、やっと私の努力が報われると思った。やっと、この苦痛から抜け出せると思った。


 けど神様は、それすら許さなかった。


自分の受験番号がのっていなかったのを確認した時、私は思ったんだ。


「終わった」


って。これでもう、私の人生は終わったと、本気でそう思った。だって目の前が真っ暗で、この先どうしていいのかすらわからなかった。


 それから、お母さんの視線が冷たくなって、2人の間に喧嘩が増えた。まあ元々、中3に上がる頃にはもうほとんどこの状態だったところに、私がトドメを刺したのだ。お父さんはあまり家に帰ってこなくなった。


───全部、私のせいだ。中学受験と高校受験に失敗したのも、周りから人が消えたのも、家族が壊れていったのも、お父さんが帰ってこなくなったのも。


 全部全部、私のせいなんだ。

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「それから、もう全部ダメで。人付き合いとか、家族関係とか、……この学校に来てからはほとんど諦めた。私には、勉強しかないんだ。」


 空を見ながら話す私の言葉を、高城領は時々頷きながらちゃんと聞いてくれていた。その横顔に、何故だか目頭が熱くなる。

 だってこの世界に、まだ私の話を聞いてくれる人がいたんだなあって。

 気づけば、もう授業も学校も終わる時刻だった。青かった空が、段々と暖かい色へと変化してきている。それくらい長い間話をしていたらしい。自分では一瞬のことのように感じたのに。

 授業をサボっただなんて、お母さんが知ったら大変なことだ。そして、これまでの私からして絶対にありえないことをしてしまった。


「ごめんね。こんな話、聞かせちゃって」


 苦笑いを浮かべて立ち上がる。高城領に何故こんなことを話したのかわからない。久しぶりに人と関わったから、私はどこか浮かれていたのかも。

 誰だって、こんな話を聞いていい思いなんてしない。むしろ迷惑に決まってる。申し訳ない気持ちを含んだ言葉を選んだのに、高城領は私を引き留めた。


「待って」


 歩き出した足を止めて振り返ると、高城領領が真剣な目で私を見ていた。

 あまりにもまっすぐなその瞳に。吸い込まれてしまうんじゃないかって思うほど、彼の目は綺麗な色をしていた。


「なあ、綾乃」




 すっと、高城領が息を吸い込んだ音が聞こえた。他人の呼吸音。言葉を吐き出すための空気。


「歌にしようよ、綾乃の気持ち。」


 高城領の目が光る。キラキラした目だなあと思う。まっすぐで、曇りのない、キレイな目だ。……けれど、その言葉は私には響かない。


「……ばっかじゃないの」


 こればっかりには、私も腹が立った。

 真剣に聞いてくれていたと思えば、話が逆戻りだ。結局私にそのボーカルとかなんとかいうヤツをやらせたいだけじゃない。ここまで来ると腹立たしいのも通り越して呆れてきた。


「話した私が馬鹿だった。帰る」


 じゃあ、と言って高城領に背を向ける。


「まってまって、違くて。あの、だからさ!綾乃、いつも思ってること隠すクセあるだろ?俺にいま話したみたいに、本当はいろんなこと思ってるのに、押し殺してるじゃん」

「……」

「なあ、だからさ、それ全部、曲にして歌っちゃえばいいよ。伝えたい気持ち、あるんじゃないの? 周りにも、親にも。」

「……結局、私に貴方のバンドに入ってもらいたくて聞きたくも無い話をわざわざ聞いてくれたんでしょ?」


 嫌味たっぷりだ。私の言葉には棘がありすぎる。でも、しょうがないじゃない。本音なんて、言えない。


「ホラ、綾乃。そういう風に、思ったこと口にすればいいんだよ」



「……は?」

「思ったよりも簡単に、ニンゲンって殻を破れるってことだよ」


 何それ。高城領の目は真剣だ。意味わからないよ。聞きたくない。私は止めていた足を動かした。


「なあ、綾乃!」


 私が屋上から下へおりる階段の扉に手をかけたとき、高城領は私の名前を強く呼んだ。引き止められる経験があまりないからか、私の手はピタリと止まる。

〝思ったよりもカンタンに、ニンゲンは殻を破れる。〟

 聞きたくない?高城領の言葉が意味わからない?———本当に?


「音が、曲が、音楽が……誰かの心に伝える事だって、できると思うんだ!」


 サッと風が吹いた気がした。映画のワンシーンみたいに時が止まったんじゃないかと思う。だって、全身が震えるのを感じた。彼の真剣な目が、私を捉えて離さないから。

 高城領の言葉がリピートされる。———音が、曲が、音楽が。誰かの心に伝える事ができる。


「俺は、俺のために綾乃を誘ってるわけじゃない。綾乃のために、誘ってるんだよ。なあ、綾乃。」


音が、曲が、音楽が。誰かの心に訴える。響く、届く、伝える。

背を向けていた高城領のほうに振りかえる。

なによ、どうして。

どうして高城領が、そんなに泣きそうな顔をするの? あなたはいつも、笑っているはずじゃない。



「音楽の素晴らしさ、おれが教えてやる」


 あまりにも真剣なまなざしに、私は不覚にも、感動してしまったりして。彼を見ていたら、私まで泣きそうになってしまう。

 自分でも本当に単純だと思う。今までこんなこと一度だってなかったのに、どうして彼の言葉はこんなにもすんなりと私の中に入り込んできてしまうのだろうかと不思議に思う。

 けれどほんの少しだけ。彼を、高城領を、信じてみたくなったんだ。



「……わかった」



 気づけば落ち葉が地面に落ちてゆくみたいにポロリと口から言葉が落ちていた。高城領が大きな目をさらにまんまるにして私を見る。


「そのかわり、高城領が言う音楽の素晴らしさ、見せてもらおうじゃない……!」


 高城領が、いつもの笑顔を作った。「上等だ!」って声を張り上げて。


───音が、曲が、音楽が。
誰かの心に伝えることだってできる。


高城領の言葉は不思議だ。何故かすんなりと、私の心に響いてくる。信じたくなる。

ねえ、夕日って、こんなに赤かったんだね。青空と同じくらい、とっても綺麗だ。

私、たぶん昨日とは違う今日をスタートさせた。私の世界が変わっていくのかもしれないし、変わらないのかもしれない。そんなこと、まだわからないけれど。

今日という日を変えてくれたのは、紛れもなく高城領だ。