初ステージから早3日。あの日の興奮が抜けきらないまま、寝られない日の夜のような毎日を過ごしている。
───だって、今でも覚えている。
あの感覚。ステージの上に立った時の高揚感。歌っている間の夢のような気持ちよさ。歌った後の達成感。観客からの歓声。したたり落ちる汗。いつもより響くホール。反響して返ってくる自分たちの音楽。3人の輝いた笑顔。
リズム、メロディー、バランス、すべてがそろって、ひとつの音楽になっていく。ひとつの曲になっていく。
【はるとうたたねヤバくね?】
【新ボーカル、女子だから舐めてたけど最高だった】
【声がいいよね】
【正直今回ダントツ】
【もう一回聴きたい】
───【はるとうたたねの新ボーカル、あやの、最高】
ライブ会場のホームページにある掲示板。一昨日から書き込みが止まらないと運営から連絡があった。覗いてみて、そう書かれたコメントがあった時、涙が出そうだった。
私の歌を聴いてくれる人がいて、
覚えていてくれる人がいて、
応援してくれている人がいて、
前の自分が今の自分を見たら、きっと信じられなくて目を瞑ってしまうようなことばかりだ。
◇
「すっごいよ、綾乃。再出場の以来が止まらないって!今までこんなことになったことない!」
この間のライブ主催者からかかってきた電話を終えると、領がケータイを片手にそう言った。
私たちはまだ、あの時の興奮がおさまらないでいるけれど。
聞いてくれていた人たちも同じ思いだと思うと、ますます心が熱くなってくる。領の目も信じられないくらいまるくなっているし。
「だってすごかった、あんな歓声あびたの初めて」
浩平がそう言えば。
「ウチも超びびったつーの。つーか、ウチらも自分自身で一番達成感あったしな」
怜もそう言う。
「私も……人生で1番、楽しかったかも」
私がそう言えば。
「俺も!ライブのたびに毎回、人生で1番を更新してくんだよ!」
領もそう言って笑う。
そういえば、領がライブの前に円陣で言っていたな。 『楽しんで』と。
ステージの上で、誰よりも1番いい景色を見させてもらった。だからこそ、楽しいという思いが強く残っていて。それをメンバーや観客に共有できたことが、何より嬉しいんだ。
そして、あのライブ以来、私達の絆はずっと深まった気がした。
「ていうかどうする? 噂を聞きつけたフェスやらライブ会場やらサークルやらから10個くらい出演の依頼があるんだけど」
「まじで? 普通はこっちから頼むもんなのにな」
「ええ、じゃあこんなに出演依頼がくるってすごいことなんじゃ……」
「すごいよ、綾乃今気づいたの」
浩平の呆れた顔に苦笑いしつつ、興奮はやっぱりおさまらない。今すぐにでももう一度あのステージに乗りたいくらいだ。
「うーんと、まあ、主がそこらへんでやってるイベントとかフェスとか学生合同ライブとかだけど……」
「けど?」
「一個信じられないのが来てるんだよねー……」
「え、何?」
怜も浩平も領に視線を向ける。もちろん私も。
その集中した視線に苦笑いしながら、領はFAXで送られてきた出演依頼の紙を私たちへと差し出した。
「b-station、地方限定だけど、学生バンドをとりあげてるテレビ番組」
そう聞いたとき、きっと私だけじゃなく、他の2人も目が点になっていたことだろう。自分の目を疑いたくなったくらいだ。鳩が豆鉄砲をくらったようになるとはまさにこのこと。
「「テ、テレビーー!?!」」
『b-station』
まだデビューしてない歌手や学生バンドなど、夢を追いかけるアーティストたちをゲストに呼んで、何曲か曲を披露できる。評判がいいとデビューまで導いてくれるんだとか。あくまで噂だけれど。
もちろん、出演したとしても素質がないと判断されたらそれで終わりだ。出たからといって全員が有名になるわけじゃない。むしろこの番組から発掘されたスターたちはほんのひと握りだ。
けれど。
───この番組からスタートした有名アーティストは、少数だけれど確かにいることも事実なのだ。
デビューまでサポートしてもらえるのは、ほんの一握り。そんなことわかっている。
1時間の番組の中で、だいたい毎回3〜5組が紹介される。その中で断トツ目立つくらいじゃないと無理だ。それも理解してる。
だけど、純粋に、本当にすごいことだって、きっとみんな自分たちを褒めてあげたいの。
「ホントすごいよね」
「信じられない」
「実はさ、あのライブの時に、いたらしいんだよね」
「いたって、誰が?」
「あの有名レコード会社の副社長、武田って奴が!」
「……武田?」
領の言葉にはてなマークを浮かべると、3人が揃ったように肩を落とした。聞いたことない名前なのに、有名人?
「あんね、うちらの世界では武田ってチョー有名人なの」
「そ、そうなの?」
「日本でいちばんでかいレコード会社の副社長。副社長とは名ばかりで、実権を握ってるのは全部武田ってやつなんだとか」
「社長は高齢らしくてね」
「武田にプロデュースしてもらったアーティストはもれなく全員ミリオン達成のスターに成長する。コネや圧力もあるかもしれないけど、何より武田の音楽センスとプロデュース力、それからスターを見つける目は群を抜いてるって」
「そんなにすごい人なんだ……」
怜の説明にごクリと唾を飲み込む。あの会場にそんな人がいたなんて……タイミングも含めて実力というけれど、今回ばかりは出来すぎている。運が良かった。
「それでさ、実は……」
「なに?領、まだなんかあんの?」
「あのライブの日、廊下で知らないおじさんに話しかけられてさ。深く帽子被ってて、マスクもしてたから顔はよくわからなかったんだけど、」
2人の唾を飲み込む音が聞こえた。私も釣られてごくりと音を立てる。
「『スターになる気はあるか?』、って、ただそう一言聞かれて。おれ、『気があるんじゃなくて、なりますよ』って、興奮抜けきらないまま強気に言っちゃってさ……」
怜も浩平もポカンと口をあけてそのまま固まっていた。わたしは言葉が見つからない。
「え、それって……」
「.うん、たぶん、あの時はわからなかったけど……」
「まさか、」
「───声、かけられたんだ、武田に」
また、2人が目を丸くして固まる。嫌でもそれがすごいことなんだとわかってしまう。音楽をしている人たちにとって、夢のようなことなんだろう。
「目、つけられたってこと?」
「そうかも、しれない」
「ウソだろ……」
「まって、ウチほんとに信じらんない」
「それがマジなんだよ、こんな嘘つかないよ、おれ」
「いや、領が嘘なんてつかないのはわかってんだけど、頭が追いついてねーんだよ!」
「俺も怜に同感……」
話のついていけない私は、とりあえず一人で正座。きっと、他の3人には、すごくて嬉しいことなんだろうな。夢、なのかもしれない。音楽で生きていくこと、好きなことを追い続けていくこと。
「でも、b-stationのプロデューサーとか主催とか企画とか、関わってる人間の名前色々調べたけど、武田の名前はなかった」
「なんだよ、」
「だけど、武田と繋がりがあるって言われてる奴が運営にいるらしい、」
「え、まじか」
「掲示板で見たんだけど、コネでb-stationに出演させて、素質があると思ったら武田に拾われていくんだって。つまり、試してる」
「もしかしたら武田が俺らを見つけて、この番組に出るよう仕向けたのかも」
「てことは、お手並み拝見ってこと?」
番組の中で評価を得るには、運営からの指示もそうだけれど、視聴者の声ももちろん大事だ。わたしたちがテレビに出演して、世間の目にどう映るのか。
武田さんはもしかしなくても、領の言うとおり私たちを試しているのかもしれない。
「てかさ、この番組って参加者募集して、その中から出演者が選ばれるんじゃなかった?主催者から呼ばれるなんてことあんの?」
「それが呼ばれてるんだよ、すごいことだよ」
「すご……」
ここまできて、私もやっと話に追いつけたような気がした。武田さんは、有名レコード会社のすごい人で。そんな人がたまたまあのライブ会場にいて、私たちに目を付けて、テレビの出演依頼を送ってきた。
なるほど、考えてみたらすごいことだ。
だってそれは、私たち「はるとうたたね」が、もしかすると芸能人になるかもしれない、ってことだ。
◇
『b-station』の出演依頼日程は幸いにも文化祭の次の日だった。日付が1日ずれていたら文化祭には出られないところだったかもしれない。
この依頼を受ければ、全国とはいかなくても確実にこの地域のテレビでは放送されるだろう。いつも何気なく見ている箱の中に一瞬でも自分が映るかもしれない、と思うとなんだか急に怖くなる。
「はるとうたたね」が有名になる───かも、しれない。
3人が心の底から喜んでいて、私も嬉しい。うれしいけれど……。
正直、迷いもある。というか、実のところは全然、私は覚悟を持っていないのかもしれない。
領に「バンドやらない?」と言われた日、「文化祭でお母さんに歌っている所を見せる」と決めたけれど。
それがゴール、じゃないのかもしれない。それは、3人とバンド練習をするようになって頭をよぎって、この間ステージに立った時には確信にかわっていた。私は「はるとうたたね」のボーカルとして、やっていきたいって。
けれど──どこまで?
領や怜は元々音楽が好きで、将来もそれで食べていこうと思っている人たちだ。浩平は医者になるという家庭の事情があると言っていたけれど、音楽で見返してやりたいとも思っているみたいだ。みんなそれぞれ、覚悟をもってる。
───じゃあ、私は?
◇
夏休みが終わるまであと一週間。
たくさんの出演依頼をもらった私たちは、夏休みということもありイベントやライブ会場にたくさん出させてもらった。回数を重ねる度に、見たことのある顔が増えていく。リピーター、即ちファンができているんだ。
「綾乃ーコレで全部だっけ?」
「うん、これで大丈夫かな」
「よし! じゃー帰ろっか!」
今日も今日とて、領の家で朝から練習。途中、休憩時間に小腹がすいたのをいいことに、夕方からみんなで鍋パーティーをすることになったのだった。
じゃんけんで負けた私と領が買い出し係。近くのショッピングモール地下食材売り場へ。
メモに書いてきた必要食材はすべてそろったので、お会計を済ませてエレベーターを待つ。夕方のこの時間はやっぱり混んでるなあ、人集りがすごい。
買った物はすべて領が持ってくれた。こういうところ、男の子は優しいなあと思う。
チン、という音がしてエレベーターがやってきた。扉が開いてびっくりする。中が人でいっぱいだからだ。
「わ、混んでるね……」
数人降りたので乗れる隙間があるけれど、私たちの後ろに並んでいた人が半ば強引に詰め寄ったのでエレベーター内は人で溢れかえって身動きがとれない。
「綾乃ここおいで」
どうしよう、と固まっていると。ふっと肩を引き寄せられて、私はエレベーターの角にストンと収まる。領が私の肩を引いてくれたんだ。
ふと顔を見上げると。
私より幾分か背の高い領が、壁に両手をついて身体を支えていた。つまり、領の腕の中にいる体制だ。私のためにスペースをとってくれたんだろう。
やさしい、やさしいけど……すぐそこに領がいると気づいた途端、鼓動が信じられないくらい早く音を立てる。
だって、こんなに近くにいたこと、ない。
「さすがにこんなに混んでるとは思わなかった」
小声でそう言った領の吐息は、私の前髪に直接あたった。それくらい近いってこと。もちろん、顔を上げられるわけない。
至近距離すぎる。心臓が爆発しそう。なんでかなんて、わからないけれど。
頬が熱い。なんだろうこれ、おかしいよ。胸の音が領に聞こえたらどうしようって、そんなバカなことを考えてしまうくらい。
「ん? 綾乃どーしたの?」
そんな私に気づいたのか、領が小声でそう問いかけながら、左手で私の髪を耳にかけた。「顔真っ赤だけど、大丈夫?」なんて、気の抜けたことを聞いてくる。
領の周りに本気で彼に恋をしている女の子が多い理由がよくわかる。無自覚たらしなのかもしれない。
「いや、なんでもない、早く着かないかなって、」
「……そーだね」
「あの、ありがとう、スペース作ってくれて」
「綾乃、押しつぶされそうになってたもん」
「人混みに慣れてないのかも……」
「うん、ていうか、知らない人と接近されるの、俺がいやなんだよねー」
「え、?」
「こっちの話だけどね」
あと、綾乃の髪の毛いつも綺麗だよね、と。なにやら褒める言葉を並べていたけれどあまり耳には入ってこない。
ふわふわした気持ちになる。感じたことのない感情だ。胸の奥がぎゅっと締め付けられて、頬や手指が熱い。なんだろう、これ。
全神経が、領がいる側に集まっているみたい、わたし変だ。
そう思った瞬間、エレベーターが目的の階に着く。たくさんの人が降りていったので、私はやっと領の腕の中から解放された。ほっと息をついて、さっきまで上手く息が吸えていなかったことに気づかされる。
「じゃ、かえろっか」
いたって普通の様子の領に、ぎこちなく笑い返した。領にはこんなこと、日常茶飯事、なんだろうな。
◇
買い物を終えて領宅に戻る途中。行きはバスに乗ったのだけれど、領が「ちょっと歩かない?」と提案してきたので徒歩で帰ることになった。
夕暮れ、オレンジ色の道、夏の終わり。
友だちと買い物に行くとか、一緒に登下校するとか、そういう当たり前のことを今までしてこなかったおかげで、今この一瞬一瞬がすごく貴重な物に思えてくる。
「綾乃はさー」
「うん?」
「……b-station のことどう思ってる?」
「え、」
二人の陰が並んでいるのに視線を落とす。長い影、ふたりぶん。
珍しく真剣な領の声に、少しだけ驚く。
「いや、ちょっと気になっててさ」
「気になる、っていうのは?」
「俺が無理矢理バンドに誘ったようなものだし、テレビに出たら少なくとも今よりは有名になって、ファン、とかももっと出来はじめると思う」
有名になって、応援してくれる人が増えていく。嬉しい反面、その分責任感もプレッシャーも増えていく。積もっていく。
「俺はね、綾乃。父さんも母さんも学生時代に軽音部で、音楽にちゃんと理解があって、例えば今回のことは、俺にとっても家族にとってもむしろ喜ばしいことなんだよ」
「うん……」
「でも、全員がそういうわけじゃない」
それは、私や浩平のことを言っているんだろう。
「怜はさ、ああ見えておばあちゃんっ子で、結構フリーな家庭だからやりたいことやってるって感じなんだ、でも多分本気でバンドやりたいと思ってる」
「うん、わかるよ」
「浩平の事情は知ってると思うけど、多分あいつも、俺らと同じ夢を見てるって、見たいって言ってくれると思う。まだちゃんと聞いたわけじゃないけど、きっと」
───俺らと同じ夢
「……綾乃は、どう思ってる?」
ふと、横を見上げると。
いつも楽しそうに笑っている領が、いつになく真剣な目をしてこちらを見ていた。
向き合ってくれているんだ。私はこれに、きちんと返事をしなきゃいけないんだ。
「私、は、」
「もし、テレビに出て、デビューが決まったら? デビューまでとは言わなくても、事務所に入ることになったら? 想像以上にファンがついたら? って、そんな夢物語のようなこと、あるかわかんないけど、」
「うん、」
「おれは、おれらはね、綾乃、……はるとうたたねは、綾乃がいないと成り立たないって、そう思ってる」
「……うん、」
「でも、それは、強制じゃないんだ、綾乃の意思があって、綾乃の将来があって、……進むべき場所は、綾乃が決めるべきで、」
わかってるんだけど、と領が続ける。どうしよう、泣いてしまいそうだ。
自分のこと、こんなにも必要としてくれる場所があったこと、わたしきっとどんな選択をしたって一生忘れることなんてできないだろう。
「すぐにじゃなくてもいいんだ、もし、そのときがきたら、でもいい。……少しだけ考えておいて欲しい、俺らとバンド、続けるかどうか」
うん、そうだね。
文化祭がゴールじゃない。それは私も思っていたことだ。できればずっとこのまま、3人とバンドを続けていきたい。もっと歌が上手くなりたい。ステージに何度だって立ちたい。みんなの夢、一緒にかなえたい。
───だけどそれは、また、家族の期待を壊すことになる。
何度も期待を裏切ってきた。今度こそは、今回こそは、そう言って何度も、本番で躓いて、上手くいかなくて、なんの期待もかけられなくなった。
いい成績をとることが当たり前、いい大学に行くのが当たり前、いい会社に入っていい人と出会って結婚して、そんな理想像、成功者の"あたりまえ"を形成されているこの国で、レールを外れて人と違う道を選ぶことは至極勇気がいることだ。
今だって、自分は出来損ないで、人より多くの努力をしなきゃ、親が思う"あたりまえ"のレールには乗れやしない。
何度も失敗したからこそ、1番の成績をキープして、いい大学に入りたい。今度こそ、お母さんに失望されたくない。───あの頃みたいに、笑って欲しい。
根本的にある自分の想い。気づかないふりをしていたけれど、きっとそう。
本当は私、ずっと、認められたかった。
ずっと、お母さんにまた笑って欲しいと思っていた。
「……返事、ちゃんとするから、ちょっと考えてもいいかな、」
「うん、もちろん、ごめんねいきなり」
しょぼん、と肩を落としたように口をつぐんだ領はもうすっかりいつもの領だ。
「ううん、私も考えてたから」
「そっか、」
「でもね、わたし、今ひとつだけ言えることは、ね」
「うん?」
「……領に出会えて良かった。あのとき声をかけてくれて、本当にありがとう」
世界がかわった、きみが手を引いてくれたから。
あの日から突然、私の世界は廻りだしたんだよ。
「うん、おれも、綾乃に出会えて良かったって、心から思ってるよ」
はるとうたたねで見せて貰ったこの夏の思い出は、きっと勉強だけしていたら絶対に経験できなかったことなんだ。
今までの私だったら、誰かの気持ちにふれあえること、こんな風に涙がでそうになること、うれしいの最大級を、知ることなんてきっとできなかったよ。
はるとうたたね に出会えて、本当に良かった。