あの日以来、領は家に帰る途中まで送ってくれるようになった。本当は家まで送っていきたい、って領は言ったけど、それはさすがに悪いから途中までってお願いしたんだ。

それから一週間、毎日練習があった。お母さんには、部活と、その帰りに図書館に寄ってくる、と言っておいた。

嘘ばっかりだけど、今まで私が周りについてきた優等生というウソに比べたらこれくらい、どうってことないよね。

図書館にいく、と付け加えたおかげで勉強についても何も言われなかった。それ以外には、興味もないのかもしれない。


そんなの、わかってたこと、だけどね。


それから、この1週間で、3人の音楽に対する熱い想いを何度も見た。

楽器ができるなんてそれだけでもすごいと思うのに、3人とも努力を惜しまない。


もっといいものを。
もっといい音楽を。


人気バンドのコピーだけじゃなくて、領を中心に作った自分たちの曲も。三人とも、全部を真剣に奏でるんだ。

私は、そんな彼らの音楽を、一番近くで聴いている。

なんて幸せ者なんだろうと思う。ここに混ざれていること自体、夢みたいでまだ信じられないでいるんだ。




「いらっしゃーいっ!お泊りセットは持ってきたー?!」


二カッといつものように白い歯を見せて笑う領が、元気にそう言い放ちながら玄関の扉を開けた。


夏休みの日々はあっという間に過ぎた。練習と、家に帰ってからの勉強。3人はそれに加えてバイトも。休みとはいえど、慌ただしい休日だ。


そしてやってきた、強化合宿の日。

今日から一泊2日、4人で領の家に泊る。目的は長時間練習を可能にすることと、親睦を深めること。両親が旅行に行っている間を狙って開催されるんだとか。



「てか、綾乃よく許してもらえたねー。大丈夫だった?」

「あ、うん。特に気にしてなかったから」

「そーなんだ」



浩平が意外そうにしているのも無理はないと思う。私の家の詳しい事情は、領しか知らない。多少は勘付いている部分もあるかもしれないけれど。

普通の"優等生"の親だったら、異性もいる合宿───外泊なんて、学校行事や申請があるもの以外許さないかもしれない。


でも、うちは違う。


そもそも、私なんかに興味なんてない。お父さんは私の事をもう気に留めもしないし、お母さんは勉強のことさえちゃんとしていれば何も言わない。

そんな、家族の形をした何か。もうずっと前から形を失いつつある、何か。




「じゃー午前中は2グループに別れよっか!」




領が、気を利かせたみたいにそう声を張り上げたから、私を含めた他の3人ともビクッと肩を震わせた。





「うるさいなー領。ビックリするじゃん」

「なんだよいつも通りだろー!」

「……じゃ、俺今日はあや…」

「今日もおれが綾乃と合わせねー!」



浩平の言葉に領の言葉がかぶる。最近、よくあるな、こういうこと。

こうなると、絶対決まって浩平は、「ん、じゃあそれで」と薄く笑う。


その作り笑いが、私はなんだか苦手だ。


浩平は、いつも言いたい事我慢してるんじゃないかな。自分がそうだからこそ、他人のそういう部分には敏感になってるのかもしれない。

学校や家の中で、作り笑いをしたり、敵を作らないように振る舞うことは生きていく上でどれほど大切なことなのか、嫌と言うほど学んできた。




「じゃ、おまえら下の防音室なー! 俺と綾乃はここでやるからー」

「はいはい」

「領、綾乃にヘンなことすんなよ?」

「なにそれ! 信用ないな! しないから!」



怜が睨みをきかせると、ホントホント!って領がグイグイと2人を外に追いやった。浩平は珍しく声を出して笑っていたけど。




領のギターにあわせて、歌を歌う。

これが最近の日課だ。







領のギターが止まって、私はカラカラになった喉をペットボトルのお茶で癒した。

あれから、もうすでに2時間が経過していた。

歌うことはキライじゃないけど、さすがに長時間の声出しはまだ慣れない。領は何度も休憩を入れてくれるけど、私の喉はちゃんと休まないと潰れてしまいそになる。


世の中のボーカルって凄いと思う今日この頃。


領もたまに私にあわせて歌うけど、音程感覚も発生もカンペキなところを見ると、私よりは確実に歌がうまいと思う。長年ギターの弾き語りをしていたと言っていただけある。

正直なところ、なんでボーカルを探していたんだろうと思うほど。

私は、1人で歌うより2人で歌う方のが好きだ。ギターに声が重なって、またそこに誰かの声が重なるのが最高に気持ちいい。

はるとうたたねを結成した高1の時からギターを弾きながら歌っていたと言っていた。つまりギター兼ボーカルだ。

毎日嫌と言うほど見ていればわかる。領がギターも歌も大好きなこと。



「はーつかれたー! 今からちょっと休憩なー」



そう言って領は、どこからかクッキー缶を取り出して、いつものように二カッと笑った。銀色の丸いレトロな箱。休憩、の言葉に心が躍る。




缶の蓋をあけると、マーブル模様の形違いのクッキーが顔を覗かせた。ちょうど小腹がすいたところだ。



「綾乃はさー、好きな奴とかいる?」



2枚目のクッキーを手に取ったとき、領がいきなりそんなことを言い放った。

ビックリして顔をあげると、意外にも真剣な顔をしている領がいる。今までその手の類いの話をしたこと、なかった気がする。この間怜に訳のわからない話をふられた時以来だ。



「……好きな奴、って?」

「好きな男、とか」



え、って驚いてから、目線をぐるりと一周回した。なんでそんなこと、聞くんだろう。

本当は考える必要なんて無いけれど、ちょっとだけ考えたフリをする。

だってこの間、怜にこの手の話をされた時。好きな人も出来たことのない私のことを怜は笑ってきたし。

周りの人たちが当たり前にしていることが、私には当たり前じゃない。それが、なんとなく、恥ずかしいと思ってしまう。世の中の"普通"に、私だけ適応出来ていない気がして。




「……いないよ。好き、とかよくわかんないし」




自然と共にぐるりと一周した思考でそんなことをポツリと呟く。

ふうん、と領は私から視線を外した。

領なら、「そっか」と笑ってくれると思ったのに。なんだか、この空気が好きじゃないな。いつもの領じゃないみたいだ。重たい雰囲気。家での息が詰まる空間を思い出しそうになる。



「……領は? いるの? 」

「どーだと思う?」



思わぬ方向に返ってきた返事に、戸惑って言葉を詰まらせる。そらした視線を再び私へと向けた。視線が絡み合って、目がそらせない。




「わ、わかんないよ、そんなの」






「……どーだと思う?」

「だから、わかんないってば、」

「俺、好きな奴いそう?」



───高城領という人間。

いつも人に囲まれて、みんなを明るく照らす太陽みたいな存在。おまけに、背が低いことを除けばかなり整ったルックスをしている。低身長も、彼の親しみやすさのひとつの要因ではあると思うけれど。

今まで、考えたことなかったな。

領はきっと、今までも、これからも、恋多き人生を歩むに違いないだろう。それは領自身が歩み寄らなくても、周りから自然の条理のようにやってくるものだ。

人が集まるのには、理由がちゃんとある。


私とは、真逆だ。



「うん。いそう」

「……おれ、そんな風に見える?」

「いるっていうか、恋多き人生だろうなあ、と」

「ふはっ、なにそれおもしろ!」



ケラケラと笑う領。そんなに笑わなくたっていいのに。



「なー、じゃーさ、仮におれに好きな人がいるとして。綾乃は、誰だと思うの?」



笑いながらまっすぐこちらを見つめる領。

……領の、好きな人。

考え始めたけど、なんだかもやもやして、一向に思い浮かばない。というか、あまり考えたくないな、とおかしな感情が浮かぶ。



「……怜とか?」

「えー何それ。なんでー?」



怜ならしっくりくるかな、と思っただけなんだけれど。ほっぺをふくらませてそっぽを向いたその姿はひどくかわいらしい。やはり犬みたいだ。





「……領と怜なら、お似合いかなあ、って」


領と怜が並んで歩いてるのを想像する。

領が、怜と。
怜が、領と。

領の背が低くて、怜の背が高いのは少しちぐはぐだけれど、想像した二人が並んでいる姿は嫌というほど様になる。世間の誰も文句を言わない関係。


怜だから、なんとなく想像したけれど。もし他の女の子だったら。


それって何故か、あまり想像したくない。領に彼女がいるのかいないのか、好きな人がいるのかいないのか、そんなことも知らないくせに。



「……お似合い?」



そうだよ。

いやっていうほど、素敵なカップルだ。怜じゃなくたって、領の隣にはキラキラしたひとが似合う。いつも誰かの中心にいて、人の笑顔を引き出せる素敵な人。

そんな領の横にいていいのは、同じように誰からも好かれて、世界の綺麗な部分しかしらないような、純粋で無垢な女の子だ。そう決まってる。




「わかんないけど、領には、きらきらした女の子が似合うかなって」

「……」



怜がきらきらしているかどうかはさておいて。

領が黙り込む。視線だけ交わしたまま。

私の中にある、意味のわからないモヤモヤした気持ちが伝わってしまいそうで、思わず下を向く。



「……そーいうこと、言うなよ」



やっと口を開いた領の声は、いつもより少し低めだった。




「だって、本当のこと、」



私のモヤモヤが伝わってしまわないように、わざと強めの口調で言葉を紡ぐ。

ちゃんとわかってるって、わかってほしくて。

領に似合うのは、領と同じようなひとたちだってこと。私とは正反対の、光のような人だってこと。ここに自分がいることでさえ、時々ひどく恥ずかしくなる。

たまに勘違いしそうになる自分が、物凄く恥ずかしいよ。




「なに、それ」

「なに、って思ってること、言っただけだよ」

「綾乃はそう思ってるってこと、か」



そう思ってる、って。私そんなに変なこと言った?

今までにないくらい落胆したような声をだした領にビックリして、口を開けたまま私は固まった。つられて上を向いてしまったから、彼の顔がはっきりと見える。

領は腕で顔を隠すようにしてうつむいた。いつもの面影は、ない。


───なんで、そんな態度なの?


カッコよくて、優しくて、完璧な領に似合うのは、キラキラした人だって、私ちゃんとわかってるよ。



「……ごめん、領」

「謝ることじゃないけど、さ」

「……」

「綾乃は、おれのこと、自分とは遠い存在だっておもってるの?」

「だってそれは、生きてきた環境も、感じ方も、違う。それに、領のとなりは、キラキラした人が似合うとおもう、それだけだよ」

「なに、それ」

「だって……」

「キラキラしたとか、よくわかんないけど、」



ガシガシ、と領が頭をかいた。







「好きな奴と、お似合いになれるようにしなきゃだね、おれも」



───"好きな奴″。


領の口から出たその言葉。

領、好きな人、いるんだ。

なんだか急に実感が沸いて、私は再び顔を伏せる。

なんだ。そっか。そりゃあ、そうだよね。

領だってひとりの男の子だ。だいたい、この歳になって人を好きになったこともない私の方がおかしい。この前怜に驚かれたのだって、そういうことだ。



「……誰?」

「え?」

「領の好きな人、誰?」



思い切って顔を上げた。

そこには、目をまん丸にした領がいる。



「……え?」

「だから、領の好きな人」



がくんっとでも効果音が入ったように領は肩を落として頭を抱えた。



「もー綾乃バカー?! もう、俺不憫すぎ……うあっー」

「な、意味わからない! なんで叫ぶの!」

「叫びたい気分なの! ア"ッー!」

「なにそれ……。人が質問してるのに!」



しばらくすると、叫んでいた領がピタッと止まった。顔を覆っていた手のひらの隙間から、チラリと顔をのぞかせる。

私はまた、領の視線につかまる。



「……キョーミある?」



ぐっと、息を飲み込んだ。


絡み合った視線がほどけないのは、領が私から目を逸らしてくれないから。そして、私が領から目を離せないから。



「キョーミ、なんて……」



……ある? ……ない?


領の好きな人を、私は知りたいと思う。

でも、それと同様に、知るのが怖いと思う自分もいた。聞きたくない。領の好きな人。でも、知りたい。

矛盾した気持ち。本を読んでも、現代文や古典、倫理の教科書にだって載っていなかった。自分の気持ちさえまともに言語化することさえ出来ない。

情けない。



「……ある、けど……いい」

「……」



スッと視線が解ける。

領が横を向いたから。私を視界から離したんだ。私はつられて下を向く。見ていられない、と思ったから。



「……まあ、まだまだこれからだし」



領がつぶやくようにそう言って、「ヨイショ」と膝をついて立ち上がった。つられて私も上を向く。



「昼飯にしよ」



顔を上げるとそこには、いつもみたいに屈託なく笑う領の姿があった。