俺たちは吹雪の中を進んでいく。
 常人ならこの環境に負け、足元をとられ命を落とすだろう。
 幸いなことに俺たちは、これよりも厳しい環境を知っている。
 師匠に扱かれていた時のほうが、何百倍もきつかったと。

「あと少しで雲を抜けるな」
「うん!」

 シトネもちゃんとついてきている。
 迷いや戸惑いを残しながらも、俺の後ろにピタリと張り付くように。
 この程度の環境でどうこうなるほど、シトネは弱くない。
 たぶん、試されるのはここからだ。

「抜けた!」

 雲一つない青空が広がる。
 後ろを見れば、一面に広がる雲のじゅうたん。
 雲より上へと足を進める体験なんて、早々出来ないだろう。
 
「凄い……凄いよリン君!」
「ああ」

 シトネは楽しそうにその光景を眺めていた。
 俺は懐かしさを感じる。
 この場所ではなく、師匠が作り出した天上の世界と似ているから。

「先を急ごうか」
「うん!」

 山頂へ近づくにつれ、違和感が身体を襲う。
 空気が薄いのではなく、空気が重い。
 物理的な重さとは違う。
 言葉では表現しずらい感覚だが、俺には覚えがあった。

「初めて本気の師匠を前にした感じか」

 そして、山頂にたどり着き理解した。
 広く窪んだ地面と、その中心に聳え立つ藍色の結晶から感じられるのは魔力だ。

「あれが――」
「ヤタハガネ!」

 ヤタハガネは魔力を持つ特殊な鉱石。
 その濃度は大きさに比例して濃くなり、大きいものでは聖域者にも匹敵する。
 目に前にあるそれは、十メートルはユウに超えている。
 違和感の正体は魔力濃度の濃さだ。
 この一帯だけ明らかに、尋常ではない魔力が満ちている。
 全てあの結晶から漏れだした魔力だろう。
 人間の魔力とも異なり、異質なそれに身体がギシギシとダメージを負っている。
 並みの魔術師であれば、ここにたどり着いた時点で動けなくなる。
 俺は大丈夫だが、シトネはかなり影響を受けているようだ。

「はぁ……っ、ふぅ……」
「うん! 採ってくるだけだし何とかなるよ」
「いいや」

 俺は視線で彼女に教える。
 結晶の周囲には不自然な岩が転がっていた。
 明らかに地面と色が合っていない。
 俺たちが近づいたことで、それは形を変え起き上がった。

「ロックエレメンタルだ」

 岩に擬態する鉱物の巨人。
 こういった山岳地帯に生息するモンスターで、通りかかった人やモンスターを襲う。
 鉱物で出来た身体は非常に硬く手強い相手だ。
 とは言え、俺やシトネの敵じゃない。
 もちろん、この状況下でなければの話だが……

「いけるか? シトネ」
「う、うん」

 俺は師匠の指示で戦えない。
 戦う資格を持っているのは、この場でシトネただ一人。
 ヤタハガネを採るには、まずロックエレメンタルを倒してく必要がある。
 シトネは刀を抜き、ロックエレメンタルに向う。
 刀の間合いより離れた場所で術式を発動。
 旋光で斬り裂くつもりのようだ。

「っ――」

 しかし術式は発動しない。
 魔力濃度の濃いこの場所では、複雑な術式は機能しない。
 特に閃光のように攻撃を放つタイプのものは、下手をすれば暴発するだろう。
 シトネもそれを理解し、強化魔術と斬撃による戦闘へ切り替える。

 刀で斬りかかるも、ガキンッと阻まれ斬れない。

「硬い……」

 懐に入れば攻撃が来る。
 シトネは躱しているが、それも長くもたないだろう。
 決して速度は速くないが、この環境で影響を受けていないロックエレメンタルと違い、シトネの体力は徐々に削られている。
 長引くほど不利。
 その考えは焦りとなり、太刀筋を鈍らせた。

 パリン――

「シトネ!」
「くっ……」

 刀身が折られ、ロックエレメンタルの拳を受けたシトネが吹き飛ぶ。
 上手く受け身をとって無事ではあるようだ。
 だが、今ので刀は折られてしまった。
 目の前にはロックエレメンタルが五体いる。
 環境の影響で徐々に体力は削られ、動きも鈍くなってきた自覚もあるだろう。
 加えて術式は正しく機能しない。

 怖い――

 自分の命に刃が届く感覚。
 彼女の脳裏には、悪魔に突き付けられた死の恐怖が蘇っていた。
 それでも彼女は刀を握る。

 怖い……でも、身体はちゃんと動く。
 私はまだ戦える。

「うん、それで良い。あとは一歩――」

 俺は大きく息を吸って、彼女を呼ぶ。

「シトネ!」

 そして振り向いた彼女に、優しく微笑みながら伝える。

「ちゃんと見てるからな」
「――うん!」

 良い表情になった。
 これならもう大丈夫だ。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「おいアルフォース、そんなに落ち着いてて大丈夫なのか?」
「ん? 何かな?」

 工房に残ったアルフォースは、のんびりと温かいお茶を啜っていた。
 そんな彼に呆れながらエルマが尋ねる。

「とぼけんなよ。シトネちゃんのことだ」
「大丈夫だと言ったはずだよ。珍しいね~ 君は他人の心配なんて」
「当たり前だバカ。あんなかわいい子に何かあったらどうする?」
「はっはっはっ、そこは本当に変わらないなぁ~」

 ずずっつとお茶を啜り、アルフォースは口を開く。

「彼女はもう恐怖を知っている。己の命に届く怖さ……それを知ることが、強くなるためのスタートラインだ。人は恐怖を知ってようやく、強くなるための道を見つける。彼女にはもう見えているのさ。強くなるための道が……」

 アルフォースはお茶の入ったカップを置き、話を続ける。

「足りないのは覚悟だ。その道へ一歩踏み出すための覚悟が彼女には足りない」

 ここでリンテンスを例に挙げる。
 彼には多くの道があり、そのほぼ全てが消え去った。
 それも一つの恐怖だ。
 残された道はたった一つだけ。
 その道は細く、脆く、険しいものだった。

「追い込まれないと踏み出せない一歩もある。リンテンスもそうだった。もちろん僕だって同じさ。リンテンスはそれを知っている。だから一緒に行くって言いだしたのもあるんだろうね」

 アルフォースは嬉しそうに笑った。

「足りない覚悟は、あと一押しで踏み出せる。そこを乗り越えれば――彼女はもっと強くなれる」