【9/10コミカライズ】ナナイロ雷術師の英雄譚―すべてを失った俺、雷魔術を極めて最強へと至るー

 セイルキメラ、グレータークロコダイル。
 二体の強力なモンスターを討伐し、俺とシトネは帰路につく。
 倒したモンスターの死体は、ギルドから提供される保管用魔道具に収納し、そのまま持ち帰る。

「便利だね、このボール」
「でも収納できるのは一体だけだし、半日しかもたないけどね」
「そうなの? じゃあもっとたくさん倒した時はどうするの?」
「貴重な素材だけ取るか、ギルドに後から依頼して回収してもらったりかな」

 ウルフとかゴブリンみたいに数の多いモンスターは、倒しても適当な部位だけ持ち帰ることがほとんどだ。
 大した金額にならないし、倒した証明にさえなれば良い。
 そもそもこの魔道具、ギルドから貰うために結構な金額がいるからな。

「今回の二体はどっちも貴重だし、部位によっては高値が付く。あと放置しておくとよくないことに繋がる可能性もある」
「よくないことって?」
「他のモンスターが死体を食べたり、取り込んで凶暴化したり」
「そんなこともあるんだ!」
「モンスターの中には、他の種族を食らって力をつけた種類もいるってことだよ」

 そしてそういう種類のモンスターほど、狡猾で恐ろしい。
 冒険者の仕事をしていると、モンスターの罠にはまって無残な最期を迎える者も少なくないと聞く。
 実際に俺も、似たような現場に出くわしたことがあるから、おとぎ話みたいな話でもない。
 今でも思う。
 あの時もっと力があれば、助けられた命もあるのに……

「リン君?」
「何でもない。あとは戻るだけだな」
「うん! 今夜はアルフォース様も帰って来るんだよね?」
「一応はそうなってるな」

 師匠のことだから、やっぱり帰れなかったとか普通にあり得る。
 今は本当に忙しそうにしているし、文句も言えないのが複雑な気分だよ。

 それから俺とシトネはまっすぐギルド会館へ戻った。
 建物に着くころにはすっかり夕日も沈み、帰還した冒険者でにぎわっている。

「わぁ~ すっごい人だね!」
「朝はもっと多いぞ」
「そうなの!? これより多いと困っちゃいそうだよぉ」

 ギルド会館の中には飲食店が併設されている。
 情報交換の場として用意されたテーブルと椅子には、この時間になると酒を飲み楽しんでいる者たちでごった返す。
 こういう風景こそ、冒険者らしいと思えなくもない。
 依頼から無事に帰還して、生き残ったことを喜びながら、仲間と一緒に飲み食いする。
 一人で活動していた俺には縁遠い話だ。

「帰ろっか!」
「そうだな」

 ただ、今の俺はそれを虚しいとは思わない。
 一緒に帰る人がいて、共に競い合う仲間もいる。
 充実していないなんて、思うはずないだろ?

「あ、そうだ。うーん……いないか」
「どうしたの?」
「いや、エルがいたら挨拶だけしておこうかと思ったんだけど」
「……」

 発言してから気付く。
 さっきまで機嫌がよかったシトネが、あからさまに不機嫌になっている。
 エルのことは迂闊に話すべきじゃなかった。
 シトネが徐に俺へ手を伸ばしている。
 またつねられるのかと思って身構えた俺だったが、彼女はちょこっとだけ服をつまんで引っ張るだけだった。
 
「ねぇ、リン君」
「な、何だ?」
「私にはくれないの? あの腕輪」
「えっ、腕輪?」

 ああ、エルに渡した緊急事態用の魔道具か。
 
「エルちゃんにはあげたのに、私は貰ってない」
「それはまぁ、シトネは強いし。エルは情報屋で戦えるわけじゃないから、何かあったら困るだろ?」
「……そうだけどさぁ」

 むくっと膨れるシトネは続けて言う。

「私だって、また悪魔に襲われるかもしれないよ?」
「それは大丈夫だろ? 俺が傍にいて守れば良い」
「……へっ?」

 キョトンとするシトネに、俺は言い切る。

「どうせこの先もずっと一緒にいるんだし、あんなのなくてもシトネが呼べばすぐに駆け付けるよ」
「……リン君」

 あれ?
 今なんか俺……凄いこと言った気がするけど……

「そっかぁ~ じゃあ仕方がないねぇ~」

 急に表情がとろけだすシトネを見て、余計なことは気にしないことに決めた。

「ま、まぁほしいなら後で渡すけど?」
「ううん! リン君が一緒にいるからいらないよ!」
「そ、そうか」
 
 上機嫌になったシトネにホッとしながら、俺は夜空を見上げてため息を漏らす。
「やぁリンテンス! シトネちゃんもおかえりなさい」
「遅かったすねぇ~ 待ちくたびれたっすよ!」
「「……」」

 依頼を終えて屋敷に帰ると、師匠が帰ってきていた。
 ちゃんと帰ってきていることにも驚いたが、エルが一緒にいるのは予想外過ぎて、一瞬俺たちはポケ―ッと呆けた。

「ねぇ、リンテンス君?」
「はい」

 さっきまで上機嫌だったシトネから、バチバチと電流みたいなものが流れている……気がする。

「アルフォース様はともかく……何でこの子もいるのかなぁ?」
「し、知りません……」
「本当かなぁ~」

 シトネにグリグリと背中を抓られている。
 痛いし怖いし、反応に困る。
 全くもう、今日は初めて見るシトネで胸がいっぱいだよ。

「で、師匠はともかく、エルはどうしてここに?」
「いや~ エルも来る予定はなかったんすけどね~」
「僕が誘ったのだよ。さっき街で偶然会ってね? 久しぶりだし、せっかくなら夕食でもと」
「そうなんすよ~ アルフォース様にナンパされたらエルも断れないっすからね~」
「アルフォース様が……」

 それを聞いてシトネは、ギロっと師匠を睨むように見つめた。
 ビクリと反応した師匠は、誤魔化す様に笑いながら俺に近づき、ひそひそ声で尋ねる。

「はっはっはっ……シトネちゃんの目が怖いのだけど」
「後で謝っておいてください」
「よくわからないが了解だ」

 今のシトネは師匠にも噛みつくのか。
 あと夕食誘うのは良いけど、作るのは結局俺なんですよね。

「みんな少し待っててくれるかな? 今から準備するよ」
「じゃあ私が手伝うよ」
「お、おう。よろしくシトネ」

 シトネと二人きりになることに若干の抵抗感を覚えたのは、このときが初めてだった。
 その後は四人分の夕食を用意して、お腹いっぱいになるまで食べた。
 賑やかに、ワイワイ話しながらの食事は良い。
 行儀は良くないけど、食べる楽しさが倍増する感じだ。

「いや~ お腹いっぱいっすよ! 相変わらずお兄さんの料理は絶品っすね」
「お粗末さまでした」

 三人とも綺麗に食べてくれている。
 空になった皿を見て嬉しいと思えるのは、作った側の特権だろう。
 俺は小さく微笑み皿を重ねていく。

「片付け手伝うよ」
「いいよこれくらい。シトネは料理手伝ってくれたし休んでてくれ」
「そうだとも。シトネちゃんも上手く甘えることを覚えたまえ」
「師匠も偶には手伝ってください」

 うっと小さな声で言う師匠。
 重い腰をあげながら、俺に視線を送る。

「やれやれ、弟子の頼みは断れないね。よーし! 偶には僕も手伝ってあげようじゃないか! 女性陣はしばし歓談を楽しみたまえ」
「じゃあこれ運んでください」

 重ねた食器をどさっと師匠に渡す。

「うん。最初から容赦ないね」
「師匠の弟子ですから」

 他愛もない話をしながら、俺と師匠はキッチンへ向かう。
 洗い場へ皿を置き、おほんと咳ばらいをする師匠。
 そして――

「ようやく二人きりになれたね」

 師匠は決め顔でそう言った。
 それに対する俺の反応は、当然何言ってるのこの人、という顔だ。

「その顔で言わないでくださいよ」

 普通にぞっとする。

「はっはっはっ、ノリが悪くなってしまったね~ 会ったばかりの君なら、もっと大げさに反応してくれたというのに」
「成長したと言ってください。それで話って何です?」

 俺が尋ねると、師匠の表情は一変して真剣さを増す。
 さっきの目配せは、俺にだけ伝えたいことがあるという合図だ。
 それに気づいたから、俺は師匠を連れて二人から離れた。
 多少強引だったし、勘の良い二人は気付いているかもしれないけどね。

「良い話……ではないですよね」
「そう身構えなくて良いよ。ただの情報交換だから」
「嘘つかないでくださいよ。それなら二人を避ける必要はないでしょ」
「シトネちゃん一人だったらそうだね」
「エルの方ですか?」

 師匠はこくりと頷く。
 何となく理由はわかるけど、俺はあえて否定的に言う。

「彼女は信用できると思いますけど」
「うん、僕もそう思うよ」
「じゃあ何で?」
「彼女が情報屋だからだよ」

 師匠は水を流し、皿を洗いながら言う。

「まぁ彼女が情報を漏らすとは思っていない。ただ問題なのは、彼女が所属している組織のほうだ」
「……情報会」
「そう。全情報屋が所属する大組織。元締めは、四世代前の聖域者の血族だね。情報を得るためなら手段は選ばない。買ってくれるなら相手が誰でも構わない。基本的にはそういう思考の集まりだ」

 師匠が何を言いたいのかわかった。
 つまり、情報屋が悪魔と通じている可能性も、ゼロではないということ。
 不用意に情報を伝えることにリスクがあると言っている。
 師匠は皿を洗い終え、水を止めて布を取り出す。

「それに彼女は素直過ぎる。情報屋とは思えない程……ね。そこに付け込まれると弱い」
「確かに……そうかもしれませんね」
「まぁでも、彼女に協力を依頼するという判断は間違っていないさ。やはり情報収集のプロであることに違いはない。僕らが調べるより何倍も早いし正確だ」
「知ってたんですか?」
「彼女が教えてくれたよ。僕のことを信用しているからこそだけど、その素直さが仇とならなければいいいね」

 この師匠の発言は、後に予言となる。
「そろそろ始めませんか?」
「ん? 皿洗いなら今終わったところだよ?」
「そうじゃなくて情報交換ですよ。師匠が言いだしたんじゃないですか」
「あぁーそっちか」

 まさか今の一瞬で忘れていたわけじゃないよな。
 師匠ならあり得そうだから困る。
 俺はふぅーと小さくため息をこぼし、師匠にあらかじめ伝える。

「先に言っておきますけど、俺のほうはまだ何もわかってませんよ? エルに協力を依頼したのも、ついさっきの話ですから」
「そのようだね。まぁ彼女に依頼したのなら間違いない。いずれ何かしらの情報は持ってきてくれると思うよ」
「俺も期待してます」

 人探しは俺も苦手だ。
 エルの情報網にかける以外、今のところ出来ることがない。

「師匠のほうは?」
「うん。僕のほうはかなり候補を絞れたよ」

 師匠が捜しているのは、現存する聖域者で唯一の女性エルマ・ヘルメイス。
 鍛冶の神たるヘファイストスの加護を受け、錬成魔術に長けた彼女は、あらゆる武具を生み出し鍛え上げる。
 剣を生み出せば魔剣や聖剣に。
 鎧を生み出せば、ドラゴンの一撃すら通さない強靭さを得るという。
 日常的に使うような道具ですら、彼女が手掛けた物はこの世に二つとない名品となるだろう。
 故に多くの権力者たちが、彼女の力を欲して金を積む。
 それを嫌ったのか、彼女は一所に留まらず、世界中を巡る旅人となった。
 何者にもとらわれず自由に浮かび漂う雲のような人。
 そんな彼女を人々は、風来の女鍛冶師と呼んだ。

「相変わらず転々としていてね~ もうほんと探すのが面倒だったよ。優柔不断というか、もっとビシッとしてほしいよね」
「会ったことないですけど、たぶん師匠にだけは言われたくないと思いますよ」
「うんうん。君も最近大概だね」

 誰の所為なんでしょうね?
 という目で師匠を見る。
 師匠はわざとらしく咳ばらいをして話を続ける。

「おほん。まっ、とにかく候補はしぼれた。後はもう直接行って確かめたいところなのだが……」
「師匠?」

 師匠は言葉を詰まらせる。
 珍しく苦い表情をしながら、続けて言う。

「実は少々問題が出てしまってね」
「問題ですか?」
「うん。どうやら僕が彼女の居場所を探っていることが、向こうにもバレてしまったようなんだ」
「えっ、じゃあ一から探しなおしに?」

 師匠は首を横に振る。

「ううん。さすがの彼女も、数日で仕事場を変えられない。まだいることは確かだ」
「なら大丈夫じゃないですか」
「いやーそれがねぇ~ これを見てほしいのだけど」

 そう言って、師匠は懐から一通の手紙を取り出す。
 師匠の名前が書かれている封筒だ。
 裏面には探している聖域者エルマ・ヘルメイスの名前もある。
 彼女から師匠に宛てて送られてきた手紙のようだ。
 中には一枚の紙が入っている。
 真っ白な紙にはたった一言だけ書かれていた。

 来たら斬るぞ。

 シンプルに脅迫文!

「ちょっ、師匠何したんですか!?」
「失礼だな! 僕だってまだ何もしていないさ!」
「今じゃなくて昔ですよ! この文どう考えても師匠に恨みもってるじゃないですか! 絶対過去に何かしたんでしょ!」
「決めつけは良くないと思うな~ いくら僕だからって……とにかく決めつけは良くないと思うよ!」
「言い訳出来てないじゃないですか……」

 どう考えても師匠が過去に何かやらかした案件だな。
 それもかなり大きな失礼を働いたに違いない。
 そうでもなければこんな一文……普通は送ってこないだろう。

「はぁ……俺が捜してる一人といい、同僚に嫌われ過ぎですよ師匠」
「はっはっはっ、僕もそう思うよ」
「笑い事じゃないって」

 たぶん師匠は昔からこういう人なのだろう。
 周囲を振り回し、自分勝手に振舞っては去っていく。
 その内に秘めた優しさも、長く付き合った者しかわからない。
 いや、人によっては最後まで相いれないか漏れいないという個性の持ち主だ。
 改めてそう思う。
 俺は特大のため息を漏らして尋ねる。

「どうするんですか?」
「困ったよね~ これ僕一人で行っても確実に話を聞いてくれないと思うんだよ」
「でしょうね」

 問答無用に斬りかかってくる未来が見えるようだ。

「そこでだ! 君に頼みがある!」
「一緒にこいと?」
「うん!」
 
 やっぱりそうか……

「あーでも、ほしいの君じゃなくてシトネちゃんの方なんだ」
「えっ、シトネ?」
「そう。実は彼女、可愛いものに目がないんだよ~」
「可愛いものですか」
「そうそう! シトネちゃんは可愛いし、一緒に来てくれたら話も聞いてくれると思うんだよね~ 君だって可愛いと思うだろ?」
「それはまぁ……可愛いと思います」

 何の話をしてるんだ?
 恥ずかしさを隠すように俺は目を逸らす。

「だから貸してほしんだ。ついでに君も来ていいよ」
「ついで……」
「嫌ならシトネちゃんだけ貸してほしいな。というか君が行くと言えば、彼女も一緒に来ると思うんだよ」
「シトネを付録みたいに言わないでくださいよ。まぁでもそうですね。俺も師匠以外の聖域者には、一度会ってみたいと思います」

 そしてちゃんと謝っておこう。
 師匠の代わりに。

「よーし! じゃあシトネちゃんには君から説明しておいてね」
「わかりましたよ。あと師匠」
「ん?」
「皿、汚れてるので洗いなおしてください」
「……了解」
 俺の監視のもと、師匠に皿洗いをさせシトネたちの元へ戻る。
 後から心配になって、少し大股で彼女たちの様子を見に行くことに。

「そんなに焦らなくても大丈夫だと思うよ」
「師匠の大丈夫は当てになりませんから」
「酷いな~ 僕は君の師匠なのに」
「だからでしょうね」

 皮肉交じりに言いつつも、内心では師匠と同意見だった。
 席を外したのはたった数分。
 その僅かな時間で起こる事件などないだろうと。
 だから、正直かなり驚かされた。
 
 お待たせと、言いながら食堂に入ろうとした直前だ。
 ただならぬ雰囲気を感じ、脳裏に嫌な予感が過る。
 俺は咄嗟に立ち止まり、師匠もそれに合わせて立ち止まった。
 恐る恐るこっそり中を覗くと……

「……」
「……」

 無言で向かい合う二人。
 静まり返った部屋。
 明らかに何か起こった後の光景が飛び込んできた。

「えぇ……」
「何だか嫌な雰囲気だね~」

 小声で師匠と話しながら、彼女たちを見守る。
 この空気の女子二人に割って入れる精神力はさすがの俺にもない。
 師匠は行けちゃいそうだから、そっと前に立ち出れないようガードする。

「シトネさん」

 すると、静寂を破ったのはエルだった。
 彼女は続けて、シトネに問いかける。

「もう一度聞くっすよ? シトネさんはお兄さんのこと……好きなんすか?」
「ん?」
「おやおや」

 どういう状況なのでしょうか?

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 リンテンスとアルフォースが去った後、残された二人は互いに顔を合わせる。

「行っちゃったっすね」
「そうだね」
「ついて行きたいっすけど、あれはダメな感じっすね~」
「うん。二人だけで話したいことがあるみたいだね」

 二人とも、アルフォースの真意を読み取っていた。
 本当は手伝いたいと思いながら、空気を読んで残ってくれていたのだ。
 そして、今日が初対面の二人で残されれば、会話に困る。

「シトネさんはお兄さんとどこで会ったんすか?」
「え、私?」
「そうっすよ。エルは教えたのに自分だけ知らないのは不公平っす」
「そ、そうかな? えーっとねぇ」

 というわけでもなく、意外にも会話は弾んでいた。
 元々コミュ力の高い二人だったこともあり、リンテンスという共通の友人がいたことも大きいだろう。
 性格的にも両者は近いものがあり、決して相性は悪くない。
 むしろ良いほうだと言える。
 ただ一点、似ているからこそ相容れないものを除けば……

「それからずっと一緒に暮らしてるんだよ」
「へぇ~ でもエルはそれよりもーっと前からお兄さんと知り合ってたっすからね~」
「べ、別に時間が長いほうが良いってわけじゃないよ! 重要なのは中身だからね!」
「エルはお兄さんの仕事をサポートしたりしてたっすよ? お兄さんにとってもエルは大事なパートナーだったに違いないっすからね~」

 そこからの攻防は激しかった。
 互いにマウントを取りきれず、次から次へと攻撃ならぬ口撃を続ける。
 しかし不毛な戦いであることに気付き、一時的に攻防の波が止まる。

「大体何なんすか! シトネさんはお兄さんのこと好きなんすか?」
「へっ……」

 そこへエルの確信をつく一撃。
 思わずシトネも赤面して、言葉を詰まらせる。
 
「エルは大好きっすよ! お兄さんと恋人になりたいし、結婚してゆくゆくは子供もほしいっす!」
「こ、子供!?」

 畳みかけるような連続口撃。
 たまらずシトネもたじろぎ慌てる。

「どうなんすか? シトネさんは!」
「……」

 この時、シトネの頭の中はリンテンスとの思い出で溢れていた。
 無意識に、それでも間違いなく彼への好意を持っている。
 だが真っ向からその好意に彼女は気付いていなかった。
 家族や周囲から見放された彼女にとって、好意は遠く理解しがたい感情の一つだったからだ。
 それを彼女は思い出しつつあった。
 リンテンスと出会い、彼と触れ合い助けられて、彼に惹かれる自分に気付く。
 
 そして渦中の男は――

「何この状況……」

 すぐ近くにいた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 戻ってきたら予想以上の修羅場を迎えていた。
 俺と師匠は出入り口に隠れて様子をうかがっている。

「いや~ 面白いことになってるねぇ~」
「ワクワクしないでくださいよ!」

 小声でのやり取りにも限界はあるが、幸いなことに二人とも互いに集中していて気付いていない。
 ことの経緯を知らない俺には、なぜこうなったのか理解できない。
 何となく察する程度はできるけど、気恥ずかしくて考えたくないというのが正しい。
 そんな俺にも届く確かな声で、シトネが言う。

「好きだよ」

 その言葉が、俺の胸にドクンと衝撃を与える。

「私もリン君が好き。大好き! エルちゃんに負けないくらい、私だってリンテンス君が大好きだよ」

 シトネ……

 彼女の頬が赤くなっている。
 たぶん、俺の頬も同じくらい赤くなっているのだろう。
 彼女の好意を感じながら、ハッキリと言われたのは初めてだった。

 誰かに好意を抱かれるって、こんなにもドキドキするものなのか。

 胸の高鳴りが治まらない。
 シトネの顔を見るのが恥ずかしいのに、彼女から目が離せない。

「君はどうしたい?」
 
 そんな俺に師匠が問いかける。
 俺は……俺はどうしたい?
 彼女の……いや、彼女たちの好意になんて答える?
 浮かび上がる思い出と、自分自身の思い。
 
「……まだわからないです」
「そうか。じゃあわかったら、ちゃんと伝えなさい」
「はい」

 今はまだ、自分の気持ちがわからない。
 わかっているのかもしれないけど、上手く掴めない。
 もう少し、あと少しで届きそうなのに。
 彼女たちと一緒にいれば、この気持ちに届くのかもしれないな。
 王都北部には山脈がある。
 最も高い山は雲を軽々超え、空気の薄さで意識が遠のくほど。
 常に凍てつくほど寒く、雪化粧に覆われている。
 北を目指す際の目印として重宝しているが、過酷な環境故にほとんど誰も近づかない。
 ただ豊富な資源が眠っているらしく、時間をかけて採掘と調査が進められているらしい。
 なぜ急にそんな雪山の話をしているのかって?

「くしゅんっ!」

 ちょうど今、そこを登っているからだよ。
 俺とシトネ、それから師匠でね。
 ちなみに可愛らしいくしゃみをしたのはシトネだ。
 
「大丈夫か?」
「う~ん……大丈夫じゃないかも」
「シトネは寒いの苦手なんだな。狐って寒さに強いイメージがあるけど」
「先祖返りなだけで一緒じゃないんだよ~」

 ブルブル震えながら弱々しく言うシトネ。
 まだ登山開始から一時間も経過していない。
 それでも辺りは雪景色の白一色で、若干吹雪いてきている。
 吹き抜ける風と雪の冷たさが、こんなにもキツイとは思わなかった。
 
「だらしないな~ 僕のようにもっと堂々としていないと!」
「……そんなモフモフの格好で言われても説得力ありませんからね」

 師匠は権能で生み出した防寒機能付きモフモフの生物を全身に纏っている。
 見た目は太ったクマみたいだが、間違いなく温かそうだ。
 俺より寒さに弱い師匠が、平気な顔して歩いているのが何よりの証拠。
 何よりムカつくのは、それを自分だけ身に纏っていることだが……

「師匠、俺たちにもそれかしてくださいよ」
「ダメダメ! これは僕の命令しか聞かないから」

 絶対嘘だろ……
 見た目は毛玉みたいなのに、一応モンスターと戦えるらしい。
 信じられないというか、信じるのが馬鹿らしいというか。

「もういいですよ」

 これ以上言っても無駄だとあきらめる。
 さて、どうして俺たちがこの山をせっせと登っているのか。
 理由は師匠からのお願いだ。
 師匠が捜している聖域者エルマ・ヘルメイスは、各地を転々とする旅人。
 その先々で自らの工房を築き、武具や道具を作っているそうだ。
 この数日で師匠が調べ上げ、四つの候補まで絞った滞在場所の内一つが、このグレートバレー山脈だ。

「懐かしいかい?」
「……そうですね。あれから四年ですか」

 師匠の弟子になって一年後、俺はこの地でドラゴンと戦った。
 あの時は今登っている山とは別で、こんなに寒くもなかったけど。

「時の経つのは早いものだよ。気が付けばあっという間さ」
「何だか師匠が言うと説得力ありますね」
「そうだろう? 若く見られがちだがこれでも年長者だからね!」
「たぶんそういう態度の所為で若く見られるんですよ」

 キョトンとする師匠。
 どうやら無自覚らしい。
 
「しかし、本当にこんな場所にいるんですか?」
「いると思うんだよね~」
「根拠は師匠の勘ですよね」
「そうだよ?」

 何を今さら、と言わんばかりの表情を見せる師匠。
 確かに、それを知った上で着いてきたのは俺とシトネだ。
 探している聖域者について知ってるのは師匠だけだからな。
 勘でも何でも、師匠の感覚に従うしかない。
 とは言え……

「この寒さは厄介だな」

 徐々に増してきている。
 吹雪も強まってきて、視界も悪くなっているようだ。
 まだ中腹にも達してないというのに、この悪天候は負担が大きい。
 
「ぅう~ 指先の感覚なくなってきたよぉ」
「俺もだ」
「そんなに寒いなら二人でくっついて歩いたらどうだい?」
「「えっ」」
「ほらほら~ 人の体温って結構あったかいんだぞぉ?」

 わざとらしくニヤつく師匠に、若干の苛立ちを感じる。
 あきらかに面白がっている。
 この間の一件以来、時々からかってくるんだよな。
 
「ど、どうする?」
「え……と、どっちでも」
「わ、私もどっちでも良いよ」
「……じゃあ」

 じゃあって何だ?
 俺は無意識にシトネに手を伸ばしていた。
 寒さで判断能力も落ちているのだろうか。
 そういうことにしてほしい。
 シトネも照れながら、俺の手を握ろうと――

 ドゴンッ!

 というタイミングで、近くの大岩が砕けた。

「おっと、敵襲だね」

 なんというタイミングで!
 しかも現れたのは、雪山では御なじみと言われている大男のモンスターイエティ。
 見た目は大猿で、白い毛並みが特徴的な雪が降る寒い地域に生息する凶暴で賢いモンスターだ。

「かなり大物だね~」

 冷静な師匠とは裏腹に、俺とシトネは若干焦っていた。
 良い雰囲気を中断されたというのもあるが、寒さで身体の動きが鈍っている。
 急に動いて上手く戦えるかという不安。
 その不安を師匠は感じ取り、俺たちの前へ出る。

「いいよ。ここは僕に任せて」

 そう言って、何も持っていない腕を前にかざす。
 師匠が着ていたモフモフの一部がツルのように伸び、八本に枝分かれしてイエティに絡みつく。
 そのまま縛り上げて持ち上げ、破壊された大岩に叩きつけた。

「ほらね? ちゃんと戦えるだろ?」

 この時の師匠は、とても清々しいドヤ顔をしていた。
 
 師匠のモフモフでイエティを難なく倒した。
 正直納得はいかないが、戦えるという点は本当らしい。
 
「不服そうな顔だね~」
「別にそんなんじゃ……」
「文句はこの雪男に言っておくれよ。君たちのイチャつきを邪魔したのは僕じゃないんだからさ」
「イチャ――師匠!」

 怒った俺に対して、師匠は大笑いしていた。
 こんな場所まで来てからかうとか、師匠は変わらず性格が悪い。

「付いてこなければ良かったですよ」
「今さらもう遅いね」

 本当にその通りだ。
 ここでふと、シトネの姿がないことに気付く。
 心配が過るが、すぐにシトネの声が聞こえてくる。

「リン君!」

 彼女は倒れたイエティの横で手を振っていた。
 何ともなかったようで安堵する。
 俺と師匠が歩み寄ると、シトネは下を指さして言う。

「これ見て! 大きな穴があるよ」
「穴?」

 覗き込むと、イエティが壊した岩の下に、大きな空洞が広がっていた。
 
「本当だ」
「おやおや~ しかもこれは人が手を加えた後があるね」
「そうなんですか?」
「うん。ちょこっとだけど道が整備されているよ」

 師匠の言う通り、洞窟に見えるそれは、天然ものにしては道が綺麗すぎる。
 ほんの些細な差だけど、見る人が見ればわかるだろう。
 俺は師匠に尋ねる。

「探鉱用ですか?」
「いいや、この辺りはエリア外だよ」
「ならもしかして……」
「うん。この先に彼女の工房があるかもしれない」

 不意の発見に期待が高まる。
 俺たちはさっそく中へ降りていく。
 風が届かない分、外よりも温かく感じる。
 暗さはシトネの明かりで何とかなるし、吹雪の中を歩くより数倍マシだ。
 そして、道なりにまっすぐ進むこと十五分。
 目の前に鉄の扉と、人工的に作られた壁が現れた。

「何かあるよ!」
「どうやら大当たりのようだね」

 扉の上には赤い炎のような文様が描かれている。
 
「あれは彼女の家紋だよ」
「ってことはここが?」
「うん。シトネちゃんの大手柄だね」
「えへへ~」

 嬉しそうなシトネにほっこりしつつ、俺は扉に目を向ける。
 鋼鉄の扉に壁は赤く塗られている。

「熱気が……」
「工房だからね。たぶん中で作業しているんじゃないかな?」

 そう言って無造作に、師匠は扉へ近づく。

「ちょ師匠! 大丈夫なんですか?」
「大丈夫さ。こうして話していても反応がないということは、留守か仕事中ってことだからね。どうせ呼びかけても答えないよ」
「そうじゃなくて……」

 あの脅迫文のこと、忘れているんじゃないだろうな。
 師匠はそのまま何の躊躇もなく扉を開けた。
 ギィギィと音をたてながら、普通に開いたことも驚きだ。
 これだけ硬そうなのに鍵もかかってないのかと。

 中は広々としていて、鍛冶場で見かける道具や設備が整っている。
 入り口近くには製作途中の武器が並んでいるし、変わった形の鉱石が床に転がっていたり。
 そして奥には、カンカンと鉄を打ち付けている赤髪の女性がいた。
 雪山とは思えない半袖半ズボン、ゴーグルもかけている。
 
「あの人が……」
「聖域者エルマ・ヘルメイス」

 後姿だけで伝わる職人として凄さに、俺とシトネは息をのむ。
 俺たちが立ち尽くしている中、師匠はいつも通りの軽いあいさつを口にする。
 
「やぁエルマ! 久しぶりだねー」

 ピタリと止まった手。
 しばらく無言のまま、彼女から口を開く。

「その声……アルフォースか?」
「そうだよ~ 遠路遥々君に会いに来たのさ」
「……そうか」

 彼女はハンマーを置き、徐に横へ歩いていく。
 その先に並んでいたのは、一目で強力な魔剣だとわかる一振りだった。
 魔剣を手に取り、見事な刃を抜いて見せる。

「エルマ?」
「言ったはずだよなぁ?」
「はい?」

 刹那。
 彼女は魔剣を振り抜き、師匠へ斬りかかる。

「来たら斬るって!」
「うおっと! 忘れていたよ!」
「待てゴラアアアアアァァァァ!」

 突然始まる聖域者同士の戦い?
 いや、彼女が一方的に斬りかかり、師匠は逃げ回っている。
 辺りの物を破壊しながら……

「ちょっと待ってくれエルマ! 僕は君に話をしに来たんだよ!」
「うるさいクソ男! お前と話すことなんてないんだよ!」

 問答無用というか容赦なし。
 師匠に対して明らかな殺意を向けている。

「師匠ー、とりあえず謝りましょう」
「どうして? 僕は何も悪いことはしてないよ? だから謝らない!」

 それは堂々と言うセリフじゃないです。
 仕方ないな。
 
「エルマさん! 俺はアルフォース師匠の弟子のリンテンスです!」
「は? こいつの弟子だと?」
「はい。そのロクデナシは一先ず放っておいて、俺の話を聞いてもらえませんか?」
「ロクデナシとは心外だな! 僕は何もしてないよ!」
「この期に及んで嘘つかないでくださいよ! こんなに怒ってる時点で絶対何かしでかしたでしょ!」

 それも相当怒らせるような何かを。
 彼女の怒り様は、そうでなければ説明がつかない域だ。

「いや、そいつは何もしてない……」
「えっ?」
「ほらね!」

 ドヤ顔の師匠は無視しつつ、エルマさんに目を向ける。
 立ち止まり、落ち着きを取り戻したように見えるが……

「そうよ。何もしなかった……何もしなかったのよ!」
「何で!?」

 突如激高して、今後は俺に斬りかかってきた。
 それも割と本気の太刀筋で。
 俺は蒼雷を発動して何とか躱す。

「あれだけのことをしておいて! 何で何もしないのよ!」
「どっちなんですか!」

 情緒が不安定すぎるだろこの人!

「リン君!」
「よし今しかない! シトネちゃん君の出番だよ!」
「え、私?」
「そうだとも! 彼女を鎮められるのは君だけだ! さぁ早く!」

 師匠とシトネのやり取りは微かに聞こえる。
 ただそっちに集中できる状況ではなかった。

「くっそっ!」

 この人普通に強い。
 怒りで太刀筋はめちゃくちゃだけど、それでも強い。
 さすが聖域者だ。
 このままだと俺も本気にならないと――

「ま、待ってください!」

 そこへ響くシトネの声。
 ピタリと動きを止めた乱心エルマさんは、シトネに目を向ける。
 
「り、リン君は大事な人なので……イジメないで……ください」

 シトネは精一杯、モジモジしながらそう言った。
 控えめに言って可愛い。
 こんな状況だけど、俺も思わずきゅんとなる。

「か、かか……」

 その影響を一番受けていた人物が隣に一人。

「可愛い!」

 ブシャーっと鼻血の噴水が飛び出る。
 そのまま彼女はバタリと地面に倒れ込んだ。
 静まり返る工房。
 床は血に染まり、一人の女性が倒れている。
 ぱっと見は明らかに事件現場。
 倒れている女性がなぜか幸せそうな表情な部分を除き、見かけたら即通報ものの光景である。
 たぶん死んでないけど、彼女はピクリとも動かない。
 俺とシトネはごくりと息を飲み、師匠は徐に倒れた彼女に近づく。

「いやー驚いたなぁ~ まさかこれ程の破壊力を秘めていようとは」
「し、師匠これって……」
「うん。シトネちゃんの可愛さが聖域者を倒したね」

 師匠はニコっと満面の笑みでそう答えた。
 何だかスカッとした感じで笑っているように見えるのは気のせいだろうか。
 すると、視界の端でシトネがあわあわし始める。

「ど、どどどど――」
「シトネ?」
「どうしようリン君! 私がやっちゃったの? 私ついに人殺しになっちゃったのかな!?」
「だ、大丈夫だ心配しなくて良い!」
「で、でも……」
「シトネは何も悪くない。仮にやっちゃってたとしても指示したのは師匠だから。悪いのは大体師匠だから問題ない!」
「君たち本当に仲が良いよね~」

 冷静な師匠を見て、俺も今さら平静を取り戻す。
 普段なら慌てないであろう場面なのに、シトネが焦っている姿を見ると変に自分も合わせてしまうな。
 そんな俺の心情を悟って、師匠はため息交じりに言う。

「僕がとぼけた時も、そのくらいノリが良いと嬉しいのだけどね~」

 そう言いながら師匠はしゃがみ込み、倒れている彼女の頬をツンツンとつつく。
 しかし残念ながら反応はないようだ。

「やれやれ、完全に落ちているね」
「大丈夫なんですか?」
「心配ないさ。シトネちゃんの可愛さに気絶しただけだから」
「……大丈夫なんですか?」

 さっきとは別の意味で……

「まぁ放っておけばいつか目を覚ますよ」
「いつかって、そんな悠長に構えていられるほど俺たちも暇じゃないですよ」
「そうだね~ といっても、こうなった彼女は攻撃されようと起きないしな~」

 それは本当に大丈夫じゃないと思う。

「仕方がない。ここは同じ手でいくか」
「同じ手? まさか、またシトネに何かさせるつもりじゃないでしょうね?」

 俺がそう言うと、シトネが横でビクッと反応する。
 さっきのことが若干のトラウマになっているようだ。
 尚更やらせられないぞ。

「心配はいらないよ。ただちょっと不快になるかもしれないけど」
「不快って……何するつもりですか?」

 師匠はニコっと微笑み、彼女の耳元に顔を近づける。
 コソコソ話をするように手を当て、小さな声で囁く。

「おーい、目の前で可愛い女の子があられもない姿で、君を待っているよぉ~」
「何だと! こちらの返答はもちろんオーケーだ! というわけで今すぐにベッドに行こう!」
「「……」」

 起きた。
 元気いっぱいに立ち上がった。
 物凄く最低な目覚め方に、俺とシトネは思わず絶句する。

「やぁお目覚めだね? エルマ」
「アルフォース!」
「うわっと! 起き抜けに物騒な物を振り回さないでおくれよ!」

 視界に師匠が入った途端、唐突に彼女は乱心した。

「また始まった……」
「ちょっと二人とも! 落ち着いてないで助けてくれたまえ! シトネちゃんすまないがまたさっきのやつを頼むよ!」
「……シトネ、放っておこう」
「うん」
「薄情者!」
 
 この後しばらくの間、追い回される師匠を傍観して過ごした。
 それから三十分後――

「いや~ようやく落ち着いてくれて助かったよ、エルマ」
「ちっ、不愉快だからしゃべりかけないでもらえるか?」
「これだけ暴れたんだから鬱憤も晴れただろう?」

 師匠は見るからにボロボロだ。
 こんなにやられている師匠は初めて見る。 
 出来ればこんな形で見たくなかった師匠の姿に、さすがの俺もガッカリしていた。
 何より、問題はこの人だ。

「晴れるわけないだろ! お前に対する鬱憤なんてな! お前を百回くらいぶっ殺しても晴れないんだよ!」
「あっはははは……さすがに勘弁してほしいな」
「あの師匠、そろそろ本題に」
「おっとそうだったね! ただその前にお互いの自己紹介は大切だと思うんだ」

 今さらという気もするが、確かに俺とシトネは初対面だ。

「僕から紹介しよう。彼女がエルマ・ヘルメイス。言わずと知れた聖域者の一人で、僕の魔術学校時代の同期だよ」
「え、同期?」
「そう。元々は同じ学年だったのだけど、彼女は一度留年してるんだ」
「「留年!?」」

 学園では成績が不良だったり、問題がある生徒は留年させられる。
 それは知っていたけど、聖域者になる人が留年なんてするのか?
 
「まぁそういう反応になるよね。彼女は成績こそ優秀だったし、僕と並んで他と比較しても頭一つ抜けていたよ。ただ自分の研究に没頭すると周りが見えなくなる癖があってね。よく授業をさぼっていたのさ」
「はっ! あんな授業受けるくらいなら、自分の時間にあてたほうがマシだからな」
「という感じで、三年生の半分を欠席した結果、めでたく留年したのさ。でもそのお陰で、彼女は聖域者になれたともいえるから、ある意味では成功なんだろうね」

 師匠はそう言って笑っていた。
 言っている意味はわかるけど、何て馬鹿らしい理由なんだろう。
 聖域者っていうのは性格に問題がないとなれないのか?
「次は君たちの番だよ」

 師匠が俺とシトネに自己紹介するよう促す。
 俺は頷き口を開く。

「じゃあ俺から。リンテンス・エメロードです。さっきも伝えましたが、アルフォース師匠の弟子です」
「リンテンス、リンテンス……ああ! この間の学園襲撃で大活躍したっつうガキか」
「ガキ……というか学園の件は知ってるんですね」
「まぁな。一応情報は入るようにしてるんだよ」

 こんな秘境に隠れ住んでいて、どうやって情報を仕入れているのだろう。
 エルみたいな情報屋が専属でいるのか?
 だとしたら気の毒で仕方がないな。

「今失礼なこと考えただろ?」
「いえ別に」
「はっ、にしてもお前……」

 エルマさんは俺のことをじーっと見つめてくる。
 何も言わず無言でただ見つめてくるから、俺もどう反応して良いのか困る。

「な、何ですか?」
「まともそうな奴だな。本当にこのロクデナシの弟子か?」
「そうですよ。師匠と一緒にしないでください」
「そうだな。こいつと一緒にするとか失礼だったな」
「僕に対する礼はないのかな?」
「ないですね」
「ねぇな」

 返答が被ったところをで、俺とエルマさんは顔を見合う。

「お前とは気が合いそうだな」
「奇遇ですね。俺もそう思いましたよ」

 師匠に対して思っている不満はお互い多いようだ。
 その点に関しては共感できると心底思う。
 ただ……さっきの変態ぶりを知っているから、全部が合うとは言いたくない。

 そして俺に続き、問題のシトネの自己紹介になる。

「私は――」
「シトネちゃんでしょ?」
「え、あ、はいそうです!」

 シトネが名前を言うより早く、エルマさんがシトネを呼ぶ。
 驚きと緊張を見せるシトネに、エルマさんは優しく微笑みかけて言う。

「さっき話してるのを聞いたから覚えたわ。見た目と一緒で可愛らしい名前ね」
「あ、ありがとうございます」

 おや?
 思ったよりも落ち着いている。
 俺の予想だと、もっとこう変質者みたいに呼吸を荒げて、シトネに迫ろうとするかと思ったのに……
 一応カウンターを決める準備をしていたが無駄だったようだ。

「う~ん、本当に可愛いなぁ」

 と思っていたのだが、徐々に様子が変わっていく。

「耳と尻尾もそうだけど、何よりそれにマッチする顔が良い。体格も小っちゃくてフレームに収まるし、あぁもう……」

 エルマはうっとりとながら、嘗め回す様にシトネを眺める。
 さすがのシトネも視線に気づいて、怯えているように見えた。
 そして極めつけはこの一言。

「食べちゃいたい」

 シトネがブルっと震えた。
 恐怖で鳥肌が立っているのがわかる。

「り、リン君! この人やっぱり怖いよ!」

 しまいには恐怖で俺の腕に抱き着いてきた。
 ブルブル震え、鳥肌も立っている。
 悪魔と接敵した時より、今のほうが怯えている気がするのだが……

「安心して。さすがにあたしも、彼氏持ちの女を襲ったりしないわよ」
「か、彼氏?」

 状況的にどう考えても俺のことを言っている。
 シトネは俺を見上げ、カーっと顔を赤く染めた。
 俺も顔が熱くなる。
 エルと彼女が話していた場面を思い返して、急に恥ずかしさが増す。
 事実ではないし、否定したほうが良い気もするけど、この人相手には黙っていたほうが得策な気がして……とりあえず俺は無反応を貫いた。
 すると――

「彼氏じゃ……ない、です」

 シトネが消え入りそうな声でそう言った。
 恥ずかしそうに、申し訳なさそうに否定した。

「ん? 何だ違ったの? だったら食べても――」
「ダメに決まってるでしょ!」
「何だよケチだな~ 別に付き合ってないならお前のものでも……」

 エルマさんは俺たちを見つめる。

「まぁいいや。そんで何しに来たんだ? あたしは今ちょー絶忙しいんだぞ」
「忙しいって……そうは見えませんけど」
「見ればわかるだろ?」
「いや、だから見えませんって」

 今のところ見えているのは、この人が変態だということだけだから。

「相変わらず研究かい?」

 そう尋ねたのは師匠だった。
 エルマさんは一瞬不満そうな表情をしつつも答える。

「当たり前だよ。あたしの目的は今も昔も変わらない」
「目的? それって何ですか?」
「そりゃーもちろん! 最上最強最高の魔剣を作り出すことに決まってるだろ!」

 俺の問いに対して答えた彼女は、今までで一番良い表情を見せた。
 このとき俺、彼女の二つ名を思い出す。
 風来の女鍛冶師……またの名を、魔剣の鍛冶師。
 様々な武器や装備を生み出せる彼女が、唯一拘り続けていること。
 それこそが魔剣づくりだった。
 今までも生み出した魔剣は百を超え、そのどれもが強大な力を有し、各国や権力者たちが大金をはたいて買い占めようと躍起になっている。
 それらすべての魔剣を、彼女は失敗作と呼んでいた。

「当面の目標は、まず六魔剣を超えることだな」
「六魔剣って何ですか?」

 シトネの質問に俺が答える。

「数千年以上前、最初に作られた六本の魔剣だよ。今の技術じゃ到底たどり着けない代物らしくて、最高の魔剣って呼ばれてるんだ」
「ちなみにそのうち一本ずつは、僕とリンテンスがもっているよ」
「そうなの?」
「まぁね」

 俺の術式とは相性が悪いから、めったに使わないけど。
 そして師匠が唐突に話を戻す。

「話が逸れたけど、今日は君にお願いがあってきたんだよ」
「何だ?」
「悪魔との戦いに、君も参加してほしいのさ」
「お断りだね」

 即答だった。
 師匠のお願いは、たった一言で返された。

「う~ん、一応もう一回くらい聞いても良いかな?」
「お断りだと言ったんだよ。何度聞いてもあたしの答えは変わらないね」

 師匠とエルマさんは視線を合わせ、無言のまま見つめ合う。
 睨んでいるわけではない。
 師匠もエルマさんも冷静で、落ち着いていた。

「もう少し考えてはくれないかな?」
「嫌だね。どうせ考えたって結果は同じだ。あんな面倒な連中の相手なんてするつもりはない」
「だから、この間も出てこなかったよね?」
「ああ。あたしじゃ戦っても勝ち目は薄かったからな」

 勝ち目の低い戦いには参加しない。
 師匠が以前、エルマさんのことをそう話していたことを思い出す。
 どうやら事実だったらしいことに、少なからずガッカリしている自分がいた。

「大体、アベルのおっさんとシュトレンの爺さんが負けたんだろ? あの二人より戦闘力で劣るあたしが、何の役に立つのさ」
「それも知ってるんですか?」
「当たり前だろ」

 当たり前?
 同じ聖域者が命をかけて戦っているのに、それを知っていて隠れていたのか。
 いいや、わかっていたことだ。
 師匠からもそういう人だとは聞いていたから。
 だとしても、あの戦いを生き延びた俺たちには、怒る権利があると思う。

「へぇ~ あたしに喧嘩を売ろうってか?」
「……別にそんなつもりはありませんよ」
「はっ! 顔と言葉が一致してないわよ? ガキんちょ」

 わかりやすい煽りに感情が高ぶった俺は、思わず手を出しそうになる。
 そんな俺を静止したのは師匠だった。
 師匠は俺の前に腕を出し、小さな声で言う。

「落ち着きなさい」
「すみません」

 冷静さを取り戻した俺はすぐに謝った。
 もちろん彼女にではなく、止めてくれた師匠に対してだ。

「エルマも、あまり彼を虐めないでおくれ」
「はっ! 悪かったわね。アルフォースの弟子だからついって感じ」
「また僕の所為にしないでほしいな。とにかく冷静に話し合おう。僕らは別に戦いに来たわけじゃなしい、そもそも敵じゃない。僕らの敵は悪魔だよ」
「……はい」

 その通りだから反省する。
 あとここは師匠に任せたほうが良さそうだ。
 俺は目配せで、師匠に後は頼みますと伝えた。
 師匠は目をパチッと瞬きさせる。
 任せなさいと言っている。

「エルマ、君はもしかして、悪魔の件は自分と無関係だと思っていないかい?」
「は? 何だよそれ」
「君も無関係じゃないってことさ」
「……どういう意味だ?」
「悪魔の狙いは、この世界への進出と支配。そのためには両界を塞ぐ蓋を排除しなければならない。そしてその蓋を無意識に維持しているのは、僕たち聖域者だ」

 この時点でエルマさんは察したのだろう。
 話を聞いていた彼女の目つきが変わる。

「わかるかい? 彼らの狙いは僕たち聖域者だ。主君たちの妨げとなる僕たちを、最初に殺すため動いているのさ」
「……なるほどな。ならあの二人はまんまとおびき出されたってことか」
「その通りだよ。君は運が良かっただけだ。もしも今回来ていた悪魔が第三の柱なら、君の居場所なんて筒抜けだったはずだよ」

 第三の柱?
 師匠が戦ったていう幹部と同じ悪魔の一人か。
 今の口ぶりからして、探索に長けた能力を持っているらしい。
 
 師匠は続けて彼女に言う。

「僕が殺されれば、確実に次は君の番だよ? 悪魔たちが総力を挙げて君を探し、殺しに来る。いつまでも逃げられない」
「アルフォース、それはあたしを脅しているのか?」
「うん」

 師匠は堂々と答える。

「君だって脅迫文を送ってきただろう? あれの御返しさ」
「ちっ、相変わらず性格悪いな」
「お互い様さ」
 
 二人は呆れたように笑う。
 それからエルマさんが大きくため息をついた。

「仕方ないな。でもあたしが戦っても勝てないと思うぞ?」
「別に戦ってほしいわけじゃないよ。僕らは君に協力してほしいだけさ」
「その協力って言うのは?」
「簡単に言うとサポートをしてほしい。戦うのは僕と、リンテンスが請け負うから」

 師匠の視線に合わせて、エルマさんがこっちを見る。
 俺がこくりと頷くと、エルマさんは小声で「なるほどな」と呟いた。

「で? サポートって?」
「魔剣を作ってほしい。悪魔を斬れるだけの魔剣を」
「へぇ、そいつは面白そうだね」

 魔剣の話になった途端、彼女の表情が良くなった。
 本当に魔剣づくりにしか興味がないらしい。

「つってもお前たち二人は持ってるだろ?」
「僕らじゃないよ。ほしいのは僕ら以外……僕やリンテンス以外にも、悪魔と戦える可能性を持つものがいる。たとえばここにいるシトネちゃんとかね」

 突然、師匠がそんなことを言い出した。
 俺も不意を突かれて驚いたけど、一番驚いていたのは本人だろう。

「え、えぇ!? 私ですか!?」

 飛び上がりそうなほど声をあげるシトネ。
 その反応になるのも無理はない。
 いきなり何を言い出すのかと、師匠に言いたくなった。

「真面目に言ってるのか?」
「僕はいつだって真面目だよ。だから手始めに、彼女の魔剣をうってくれないかな?」
「いいぜ! そういうことなら飛びっきりのを作ってやる」

 当のシトネを放置して、二人で盛り上がっている。
 しばらくの間、シトネはわけもわからずアタフタしていた。