「な、何?」
「これは――」

 グレゴアの周囲を風が舞う。
 膨大な魔力が溢れ出て、視覚化できるほどに膨れ上がっている。
 
「物凄いパワーアップだね。一体何をしたのかな?」
「かっ! 別に強くなったわけじゃーねーんだよ。オレたち悪魔は、こっちの世界じゃ力の一部を制限されちまうんでなぁ~ さっきの腕輪は、その制限を一時的に引っぺがすもんなんだよ」

 人間が住まう現世と、悪魔たちが住まう地獄。
 両界には出入りを拒む蓋が設けられており、容易に世界を跨ぐことは出来ない。
 力が弱まった現在では、数人が通る程度は可能となっている者の、ノーリスクではなかった。
 世界を跨ぐ際、大幅に能力を制限されてしまう。
 上位の悪魔でなければ、その制限によって人間以下になってしまうほど。
 かといって膨大な力をもつ支配者クラスでは、そもそも両界を渡ることすらできないが。

「つっても、一度使ったら一日で効果が切れちまうがな」
「なるほど。君たちの奥の手というわけかい?」
「ああ、お前は強いからなぁ~ こっちもガチでやらせてもらうぜぇ!」

 刹那。
 グレゴアの姿が眼前より消える。
 魔力感知を掻い潜り、アルフォースの背後へと。

「くっ……」
「よく反応したな! だがこっからだぜ本番はよぉ!」

 怒涛の嵐。
 先ほどまでが制限されていたと、誰もが納得する実力を発揮する。
 豪快に大剣を振るう姿は、まさに嵐そのものであるかのよう。

「おらおらどうしたぁ!」
「っ……」

 まずいな。
 術式を発動させる隙がない。

 速すぎる攻撃に押され、アルフォースは防戦を強いられることになる。
 フリーになったエクトールが見据えるのは、校舎を守る結界だった。

「さて、この隙に私はこちらを破壊しましょう」

 展開される無数の方陣術式。
 放たれた魔力エネルギーが、校舎を守る結界を襲う。

「ほう。中々強力な結界のようですね」
「させないよ!」

 グレゴアの攻撃を受けながら、アルフォースがエクトールを攻撃する。
 ひらりと躱したエクトールに追撃を放とうとするアルフォースだが、グレゴアが黙っていない。

「よそ見してんじゃねーよ!」
「失礼だな! ちゃんと君も見ているよ!」

 言い合いをする程度の余裕はあるようだが、明らかにギリギリの戦いを強いられていた。
 とてもじゃないが、二人同時に相手をする余裕はなさそうである。

「グレゴア、任せますよ」
「おう! てめぇーはさっさとうざったい結界を破壊しやがれ」
「ええ」

 エクトールを止めたいアルフォース。
 それを阻むように、グレゴアの攻撃が加速していく。
 
「さて、この手の結界には起点があるはずですが――」

 エクトールの視線が、シトネに向けられる。

「なるほど。貴方たちが起点となっているのですね」

 ぞわっとした寒気がシトネを襲う。
 ただ目が合っただけで、死を予感するほどの殺気に、シトネの脚は震えていた。

「リンテンス君……」

 早く来てくれ。
 そう誰もが願う男は――

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 白い世界に七色の雷が交錯する。
 互いに同じ術式を扱い、同じ色の雷撃をぶつけ合う。
 否、同じでは決してない。
 起源から生み出されたそれは、俺が目指すべき頂にたどり着いた自分自身。
 一撃一撃が重く、速く、鋭く迫る。

「ぐっ……」

 視界を覆うほどの赤雷を、間一髪のところで躱し、藍雷の槍を投擲する。
 槍は届く前に赤雷で弾かれ、続く攻撃を受ける。

 修行開始から相当な時間が経過しただろう。
 時計なんてないから、正確な時間はわからない。
 一秒でも早く終わらせて、師匠のところへ行きたいという気持ちはあれど、そんなことを考える余裕は当の昔になくなっていた。

 強い……強すぎる。
 わかっていたことか?
 いや、ここまでとは予想できなかった。
 全てにおいて完璧で、隙の一つもない術式の発動。
 まるで雷そのものと対峙しているような感覚にさえ襲われる。

 これが未来の俺?

「はははっ」

 そう思うと、思わず笑ってしまう。
 呆れた笑いだ。
 同時に喜ばしくもある。
 遠い未来とはいえ、いずれ自分がこんな風に強くなっていたのだと思うと、無性に誇らしい。
 そして、何もかも足りない今の自分に腹が立つ。

 力の差は歴然。
 それでも戦えているのは、俺が人間で、相手が作り物だからだ。
 思考、駆け引き、直感といったものは、人間である俺にしかない。
 ギリギリの攻防にも慣れ始め、多少の余裕が出来たことで、勘頼りだった戦いにも思考が入り込む余地が生まれる。
 そうして俺は思考を回らせる。

「どうする?」

 どうすればあいつに勝てるんだ。
 圧倒的な実力差を前に、俺はどう戦えばいい?
 多少の余裕が生まれても、実力差がひっくり返るわけじゃない。
 一瞬でも気を抜けば殺されるという感覚は、始まった時から消えていないんだ。
 そもそもだ。
 勝てるビジョンが全く浮かばない。
 始まってからずっと、これに勝てるイメージをしたくても、敗北の予感が過るだけだ。

「黄雷――竜!」
 
 生成された竜が黒い影に迫る。
 ドラゴンすら抑え込んだ攻撃だが、黒い影に触れた途端、はじけて消えてしまう。

「ちっ、この程度じゃ陽動にもならないな」

 大技を繰り出しても、大した隙は生まれない。
 当然ながら魔力の消耗は感じられず、こちらの体力が一方的に削られている。
 このまま戦っても、殺されるのは時間の問題だ。

 勝つ方法を探れ。
 突破口はどこにある?
 師匠は、俺なら勝てると言ってくれたんだ。
 それなら不可能なはずもない。
 絶対に勝てない試練を、師匠が与えるはずないんだ。

 と、己を鼓舞しながら戦い続ける。
 攻撃は届かず、重い一撃を受け続け、ボロボロになっていく手足。
 
 勝てるのか――

 脳裏に浮かぶ弱気な言葉を、何度振り払って戦ったかわからない。
 師匠のこと、シトネやグレンたちのことを思い出して、勝たなければならないと奮い立たせる。
 それでも……肉体の限界が先に来る。

「しまっ――」

 ギリギリの攻防に出来た綻び。
 着地地点を見誤り、ツルっとドン臭く足を滑らせる。
 普段なら絶対にしないミスを、極限まで追い込まれしてしまった。
 一瞬の隙をついて、最大威力の赤雷が迫る。

 回避不可能。
 防御も間に合わない。
 俺は心の中で敗北を……赤雷を受け入れてしまう。

「ぐはっ……?」

 赤雷をまともに受けた俺は、全身が丸焦げになったと思った。
 しかし、生きていることに驚く。
 明らかに即死レベルの攻撃をモロに食らったはずだった。
 痛みはあるし、ダメージは入っている。
 だけど……

「生きてる?」

 疑問が浮かび、脳がサラッとクリアになる。
 思い出したのは師匠とのやりとり。
 そういえば、師匠は俺に勝てと言った。
 戦って勝て……でも、倒せとは一言も言っていない。
 戦うということを、倒すという風に曲解していたのは俺自身だ。

 ここで一つの仮説が思い浮かぶ。
 もしも成功すれば、俺は生き残ることが出来るだろう。
 しかし、万が一間違っていた場合、その時点で勝敗が決してしまう。
 危険で分の悪い賭けだ。
 それでも、この方法以外に、勝利を掴む手は思いつかない。
 何より相手は――

「俺自身だろう?」

 俺は両腕を広げた。
 何もしない。
 ただ、相手の雷撃を受け入れる準備をする。
 放たれる赤雷は、俺を貫通して抜けていく。
 一歩、一歩とゆっくり近づき、黒い影に歩み寄る。
 
 そして――

 俺は黒い影をギュッと抱き寄せた。

「良かった。思った通りだ」

 痛みはない。
 攻撃もしてこない。
 どうやら、俺の予想は当たっていたらしい。
 
 相手は俺の起源から生まれた存在。
 言い換えれば、俺自身の分身体でもある。
 俺自身の攻撃なら、受け入れてしまえば傷つかない。
 自分の力なのだから、俺が自分の一部だと思えば、なんてことはなかった。
 赤雷を受けた時も、諦めから心は受け入れていた。
 今度は全身で、未来の自分自身を受け入れる。

 流れ込んでくる。
 黒い影から、俺の力の全てが濁流のように。

「ありがとう」

 そんな俺から出た言葉は、意外にも感謝の一言だった。