視界が真黒く染まった。
いや、一瞬だけは真っ白で、気づけば真っ暗だった。
夜空に光る星のように、小さな光がぽつりぽつりと見える。
「リンテンス! おい聞こえるか!」
俺の名前を呼ぶ声が、かすかに聞こえたような気がする。
だけど今は眠くて、そっと目を閉じた。
パキッ――
何かにひびが入る音がした。
胸が痛い。
全身はもっと痛い。
その音と痛みで目覚めたとき、俺は屋敷のベッドで寝ていた。
「ここは……」
ガタンと扉が開く。
入って来たのは屋敷の使用人。
お盆に何か乗っていたが、確認する前にボトリと落とした。
「坊ちゃま……お目覚めになられたのですね!」
「あ、ああ」
「すぐに旦那様と奥様をお呼びします!」
落とした物など気にせず、使用人は部屋を出て行った。
ひどい慌てようには驚かされる。
というのも、目覚めてすぐの俺は、自分がどうして寝ていたのかわからなかった。
おぼろげに覚えていることを思い出してみる。
「……そうか」
確か任務の途中で、雷に打たれたんだ。
ゴロゴロと音が鳴っていたし、直前までそんな話をしていた記憶がある。
まさか落ちるとは……というより、よく無事だったな。
任務の途中だったし、魔力で肉体を強化していたのが功を奏したのだろう。
そうでなければ今ごろ豚の丸焼きよりこんがり焼かれている。
それにしても、何だろうかこの違和感は……
手や足はよく動く。
肉体的な異常は感じられない。
部屋にある鏡を見て確認しても、ぽっと見では異常は見当たらない。
「髪の色……目も」
いや、見た目の変化はあったようだ。
暗くて見落としていたが、髪と目の色が変わっている。
赤黒かった髪が真っ白になり、ルビーのような赤い瞳も、サファイアのごとく蒼に変化していた。
そして、身体に残った違和感。
あるのは胸の内……いや、右胸の奥。
魔力を生成する起点であり、起源と呼ばれる核がある場所。
「まさか……」
嫌な予感が脳裏をよぎる。
雷撃が俺の身体に与えた影響が、もしもそこに至っているのなら。
漠然とした不安が押し寄せてきて、試さずにはいられない。
俺は右手のひらを広げ、術式を形成し魔力を流す。
いつも通り、当たり前にやってきた動作を反復する。
「リンテンス! 目覚めたのか!」
「良かったわ。一時はどうなることかと……リンテンス?」
「はっ……はははは」
笑ってしまう。
おかしいわけじゃなくて、笑うしかないんだ。
だってそうだろ?
「どうしたんだ? 身体に異常があるのか?」
「異常……しかないよ」
魔力の循環、術式の構築、発動後のコントロール。
何度も練習して、考えなくても出来るようになっていた。
今さら間違えるはずもない。
「使えないんだ」
「え?」
「魔術が……使えない」
「なっ……」
その時に感じた絶望は、俺一人で収まるものではなかった。
異変に気付いた俺は、両親に連れられ王都にある高名な医者を尋ねた。
深夜だったがそこは魔術師家系の名門。
権力とコネを駆使して、誰にも見られないように診断を依頼。
特別な水晶を使った目に見えない異常を確かめてもらった。
「う~ん……」
「どうなんですか? リンテンスの身体に何が!」
「……大変申し上げにくいのですが……」
医者は言葉を詰まらせる。
余程のことなのだろうと、俺を含む全員がごくりと息をのんだ。
それを見た医者は、大きく息を吐いてから言う。
「ふぅ……結論だけ先に申し上げますと、リンテンス君の起源が変化してしまっています」
「なっ、起源が?」
起源とは、魔術師にとっての心臓に近い。
場所は明確にされておらず、形あるものでないが、もっとも重要な器官とされる。
なぜなら起源には、その人が使用できる術式の属性が刻まれているからだ。
魔術師が多彩な属性を使用できるのは、多くの属性が起源に刻まれているから。
一つしか刻まれていない者は、どうあがいても一種しか使えない。
そもそも術式を構築することすら出来ない。
唖然とする両親二人。
医者は眉をひそめて俺に尋ねてくる。
「雷に打たれたと聞きましたが?」
「はい」
「おそらくそれによって、起源が雷属性一種に変質してしまったようですね」
「そ、そんなことがあるんですか?」
信じられないという表情の父上が尋ねた。
医者は悩みながら答える。
「正直私も初めて見ます。ですが、お話を伺う限りそれしか考えられません。現に彼の起源は変わってしまっています」
「じゃ、じゃあ……息子は、雷属性しか使えないということですか?」
「……はい」
十一属性から一属性。
その大きな変化が、俺にとってだけでなく、エメロード家にとってどういう意味を持つのか。
考える必要もないくらい重大な問題だとわかる。
「治す方法はないのですか!」
「……申し訳ありませんが、現在の技術では人の起源に干渉できません。そもそも原理もわからない変化ですので……」
「そ、そんな……」
絶望の音が聞こえた。
音……そう、音だ。
あの時も音が聞こえた。
何かにひびが入ったような音。
あれはたぶん、起源に傷がついたからだ。
いいや、それだけじゃないのだろう。
砕けかけている。
これまで培ってきた自信や自負、両親から向けられる期待。
ガラス細工のように脆くて、ギリギリのバランスで立っていた透明な塔が、バラバラに崩壊していく。
右胸に手を当てて感じられる違和感を、俺は生涯忘れられないだろう。
絶望の味を知っている。
それは苦くて、痛くて、泥水を啜っているような嫌気が残る。
今まで積み上げてきたものが一瞬で崩れ去ったとき、俺の心は絶望で支配された。
その後に医者を何件か回り、高名な魔術師にも協力してもらった。
しかし、はじき出される結論は全て同じ。
「こんな状態は見たことがない。残念ですが手の施しようがありません」
「命があったことを喜ぶべきではありませんか?」
「まずは落ち着いてください。一時的なものかもしれませんよ」
違う、そうじゃない。
俺がほしい言葉は、そんなペラペラな慰めやはぐらかしじゃないんだ。
未来は明るいのだと言ってほしい。
これはただの夢で、明日になれば覚めると何度妄想したことか。
一日、二日、一週間と過ぎていく。
必死になって解決法を探してくれていた両親も、次第に表情が険しくなっていった。
俺に対する態度も、徐々に冷たくなっている。
「父上、明日は師団に行く日ですが……」
「そんなものはなしだ。今の状態で行って何が出来る? これ以上私たちに恥をかかせないでくれ」
「す、すみません」
ついこの間までは褒められるばかりだった。
冷たい言葉と視線は、俺の心にぐさりと突き刺さる。
でも、辛いのは俺だけじゃない。
どこかで情報が漏れてしまったのだろう。
俺の起源が変質したという噂が広がり、各方面から説明を求める声が挙がっていた。
それらに対応する父上の心労は、俺が考えられる範疇を超えている。
母上もあの一件以降、急激に体調を崩されている。
元々体力的に弱い人だったが、精神を強く揺さぶられ、今は一日の大半をベッドで過ごしていた。
お前の所為だ。
言葉にはされなくても、言われている気がしてならない。
俺は不安と後悔を拭い去りたくて、寝る間も惜しんで修行に明け暮れた。
それでも……
「くそっ……くそ! 何で出来ないんだよ!」
今まで当たり前にやれていたことが出来ない。
簡単だった魔術すら、うんともすんとも言ってくれない。
動作、感覚に狂いはなくとも、元の起源がおかしくなってしまっている。
唯一扱えるのは、雷属性の魔術のみ。
たった一属性しか使えないなんて、名門とは名ばかりの落ちこぼれだ。
それも五大属性は、一つくらい使えて当たり前の領域。
「まだ……まだだ!」
俺は諦めずに修行を続けた。
誰に言われたか忘れたけど、一時的なものかもしれない。
ただの運任せに、天へ縋るなんて恥ずかしいことだけど、今はそれしかないと思った。
来る日も来る日も修行して、ボロボロになるまで頑張った。
努力すれば必ず結果が出ていたこれまでとは違う。
どんなに自分を追い込んでも、身体に残るのは疲労と痛みだけだった。
そして……
「やはりもう限界だ。こうなればアクトを連れ戻したほうがマシだろう」
「ええ」
「まったく一からやり直しではないか!」
夜な夜な聞こえてくる会話にも、耳を傾けないようにする。
聞いてしまえば、確定してしまうから。
いいや、すでに決まっていたことなのだろう。
俺の起源が変質し、力を失ってしまった時点で、運命は反転したんだ。
「リンテンス、お前は明日から別宅で移り生活しなさい」
「そ、それは……どうしてですか?」
「わからないのか!」
父上は声を荒げて怒鳴った。
わかっているさ。
それでも、信じたくないと思ってしまう。
「お前に一体どれだけの時間と金をかけたと思っている? 我が一族の悲願……あと少しだったというのに、お前のミスで全て台無しだ!」
「……」
本当なら家を追放したいと思っているのだろう。
俺がまだ十歳と幼くなければ、この時点で追い出されていたはずだ。
父上の目は、今までにないほど怒りに満ちていた。
同時にゴミを見るような冷たい目で、俺のことを見つめている。
怖い。
俺はもう逆らえない。
「わかりました」
翌日には屋敷を出て、王都の外れにある小さめの別荘へ居を移した。
普段は使われない別荘で、手入れこそされているが完全じゃない。
本宅のように使用人もいないから、全て自分でこなさなくてはならないという点も違う。
十歳で一人暮らしなんて、捨てられるのと大差ないだろう。
「ぅ……」
俺は毎晩のようにベッドを濡らした。
自分以外誰もいない家。
やさしい言葉なんて、ここ数週間は聞いていない。
最後に見た人の顔は、俺を人だと思っていない冷たいものだったし。
何よりそれが、実の父親だったから余計につらい。
孤独だ。
一人ぼっちで泣いている。
虹みたいに輝いていた世界が、白黒になってしまったような感覚。
上下も、左右も逆さまで、何もかもが違う世界。
俺はこれからも、この孤独と仲良く暮らしていかなくてはならないのだろうか。
そう思うとやるせなくて、今すぐ消えてしまいたいとさえ思ったんだ。
「ふっふふっふ~ん」
陽気なステップで街を歩く魔術師の男性。
白いローブと薄紫色の髪は、見かける人すべての目をひく。
いや、容姿だけが理由ではない。
彼が持つ称号と名誉、その伝説を知っているからこそ、皆が足を止めて魅入る。
そうして向かったのは、エメロード家本宅。
彼は躊躇なく敷地内に足を踏み入れ、無造作に扉を叩く。
「こんにちはー」
「どちら様で――あ、あなたは!」
「どうもどうも。突然の訪問をお許しください。この屋敷の主はお見えになられますか?」
「は、はい!」
対応した使用人は慌てふためいている。
ニコニコと冷静に待つ魔術師。
「お待たせいたしました」
その後、急ぎ足で姿を現したのは、エメロード家の現当主ガーベルト・エメロード。
由緒正しき魔術師の名門、エメロード家の当主である彼ですら、その魔術師の来訪には驚き慌てていた。
「なぜ貴方様がここへ? 何か重要な要件が?」
「いえいえ、単なる興味の範疇ですよ。神童がいるという噂を耳にしまして」
ガーベルトがピクリと反応する。
表情に出ないギリギリの躊躇を、眉を引くつかせることで見せる。
「一目見ておきたいと思ったのですが、その子はどちらに?」
「いえ……その……リンテンスは……」
「おや? 何やら事情がありそうですね」
ガーベルトは魔術師に事情を話した。
すでに知れ渡っている情報であり、隠すだけ無駄である。
羞恥に耐えながら、偉大なる者に伝え聞かせる。
「なるほど、そういう事情があったのですか」
「……申し訳ありません」
「何を謝る必要があるのです。それで、当の本人はここにはいないのですか?」
「はい。今は別宅に」
「ほうほう。差し支えなければ、別宅の場所を教えて頂けませんか?」
「え、はい。構いませんが……まさかお会いになられるつもりで?」
「ええ、俄然興味が湧いたので」
魔術師は面白がって笑う。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
魔術師なら誰もが目指す頂き――聖域者。
父上はそこに手をかけ、あと一歩のところで届かなかった。
その無念は後悔となって、今でも残っている。
一人になってようやくわかった。
父上は俺を愛していたわけじゃない。
あの人が愛していたのは、俺が持っていた才能だ。
自分では成しえなかった場所に手が届くかもしれない才能。
それをもって生まれ、あの人は期待して、かつての自分を重ねたんだ。
今度こそ、頂きに届かせるために。
金を使った。
時間をさいた。
あらゆる手段を尽くして、俺を成長させようとした。
そうして俺は、全てを失った。
今の俺は、中身のなくなった器に過ぎない。
空っぽの人形なんて、父上にとっては人ですらない。
ぞんざいに扱われ、別荘へ追いやられるのも、今の俺には何の価値もないからだ。
俺はベッドで横になりながら、無気力に呟く。
「このまま……消えちゃいたいなぁ」
「それは残念だな~ 消えた所で何も起こらないよ?」
「へ……なっ!」
ベッドの横に見知らぬ男性が立っている。
ニコッと微笑み俺を見つめている。
突然のことで驚き、飛び上がった俺は距離を取る。
「おぉ~ 速いね」
「あ、あんたは誰だ? どうやって入って来た?」
「おっと失敬、何度も呼んだのだが返答がなくてね? 扉が開いていたし、もう入っちゃえと……不法侵入と言わないでくれよ? 鍵をかけていない君も悪いんだから」
男はニコニコと笑いながら語る。
軽薄で、フラフラとしていて、つかみどころのない話し方。
今まで会ったことのないタイプの人だ。
「結局あんたは誰なんだよ!」
「そうだね、自己紹介がまだだった」
男性はどこからともなく杖を生み出し、トンと床をたたく。
真っ暗だった部屋に明かりがともり、彼の薄紫色の髪と瞳がキラッと輝く。
「初めまして、僕はアルフォース・ギフトレン。見ての通り魔術師のお兄さんだよ」
「アルフォースって……聖域者の!?」
「そうだとも! さすがに知れ渡っているね」
アルフォース・ギフトレン。
現時点で存在する五人の聖域者の内の一人にして、世界最高の魔術師と評される人。
歴代聖域者で唯一、神の試練を経て、その権能の一端を授かった魔術師。
数々の伝説を残す英雄的存在が、どうして俺の前にいる?
「さぁ、僕の自己紹介は終わったよ。次は君の番だ」
「……リンテンス・エメロードです」
「うん、リンテンス君だね。よろしく!」
「よ、よろしくお願いします」
何なのだろう。
偉大な人だとわかっても、なぜだか気が抜ける。
この話し方と飄々とした態度……苦手だ。
アルフォースはじーっと俺を見つめる。
「うんうん、なるほど~ 聞いていた通りだね」
「はい?」
「起源が雷を帯びているよ。こんなのは初めて見るな」
「えっ、見えるんですか?」
「ああ、見えるとも。僕の眼は特別製でね? 本来は見えない起源とかいろんなものがハッキリと見える」
そう言いながら、彼は俺の右胸を指さし触れる。
「な、治す方法はないのですか!」
「うん、ないよ」
キッパリと彼は言った。
縋るような俺の気持ちを、ずばっと斬り裂くように。
「起源は見えても触れられない。それは形あるものではなく、心に近いものだからね。過去未来含めて、人の技術ではたどり着けない」
「そ、そんな……じゃあ俺はこのまま……」
「おや、何だいその顔は? まるで全てを諦めてしまっているような絶望っぷりじゃないか」
「だ、だって……一種類しか使えない魔術師なんて」
「未来がないと? 馬鹿だねぇ君は。そうやって自分の可能性まで殺してしまうのかい?」
「えっ?」
可能性と言ったのか?
この人は一体、何が見えているんだ。
聖域者とは、神へ挑戦しその恩恵を授かった魔術師のこと。
神への挑戦権を得られるのは、一年でたった一人。
試練を受けられたとしても、乗り越えなければ聖域者にはなれない。
過去数百年の間に、聖域者となれた魔術師は、いまだ二桁に留まっている。
その中でも、神の権能を授かった魔術師はアルフォースだけだ。
「リンテンス君、魔術師とは何かな?」
「えっ……それは――」
「魔術を行使する者、と考えるなら間違いだよ」
先に間違いだと否定され、途端に言葉を詰まらせる。
だったら何なのだと、俺は視線で訴えた。
「何だい? もう降参かな? 仕方がない、君はまだ子供だからね。特別に答えを教えてあげようじゃないか」
「……何なんですか? 魔術師って」
「開拓者だよ」
「開拓……者?」
「そう。未知を暴き、文明を発展させ、未来を切り開く者のことだ」
難しい言葉が並んで、俺は半分も理解できない。
ただ伝わるのは、俺が思っている魔術師と言う概念が、大きくずれているということ。
アルフォースは続けて言う。
「歴史を振り返ってごらん? 文明の発展には、必ず魔術師がついているだろう? 今の生活の大半だって、魔術師が造り上げた物の一端。その恩恵にあずかっているだけだ」
「それは……そうですね」
「うん。まぁもっと簡単に言うとね? 魔術師って新しいものをずっと生み出してきたんだ」
新しいもの……
魔術の発展に伴って進化した文明。
俺たちが生活している基盤を作ったのも、昔の偉大な魔術師たちだと、彼は言っている。
「そこに常識はない。囚われていては何も生み出せない。今の君はまさしくそれだ」
「えっ?」
「囚われているじゃないか。才能を失って、何もできなくなってしまったのだと」
「っ……」
現実に引き戻される一言だ。
俺の心に刺さったナイフが、ぐりっと抉られた気がする。
「そうやって限界だと決めつけるから、少し先の未来を掴めなくなるんだよ」
「でも……」
「確かに君は十種の属性を失った。それはハンデだけど、君がこれまでしてきた努力まで消えたわけじゃないだろ?」
彼はそう言いながら、ニコリと微笑んで指をさす。
起源があるとされる右胸から、心臓が鼓動をうつ左胸へ。
「魔力量、コントロールと術式を構築するセンス。それから知識とか、そういうものは消えていない。君はこれまで自分がしてきた努力まで否定するのかい?」
その言葉に、心が動く。
心臓じゃない。
止まっていたのは俺の心で、消えてしまいたいという弱さだ。
そうだ……思い出した。
俺は別に、父上や母上のためだけに魔術を習っていたわけじゃないんだ。
ただ、楽しかったんだ。
新しいことが出来て、いろんな体験に繋がることが、何にも代えがたい幸福だったんだ。
「俺は……まだ、魔術師になれますか?」
「すでになっているよ。君がそうだと心に強く思っているなら、誰が何と言おうと魔術師だ。そして、面白い才能を持っているね」
「えっ……才能?」
「うん。どうかな? 僕の弟子になる気はないかい?」
「で、弟子に!?」
思わず驚いて、流れそうになっていた涙が吹き飛んだ。
目を擦り、耳を叩いて聞きなおす。
「どうして?」
「う~ん、何となくかな? 君が気に入った……ていうのでどうだろう?」
そう言った彼の笑顔は、底抜けに明るくて、無色透明だった。
真意はまったく読み取れない。
だけど、俺の答えなら決まっている。
やりたいことは、ずっと前から変わらない。
「俺も……聖域者になれますか?」
「それは君次第だ。少なくとも僕は、その可能性があると踏んでいる」
「だったら、俺を弟子にしてください!」
「いいとも! ただし僕は厳しいよ? 途中で音を上げたって、止めてあげないからね」
「はい!」
大丈夫だ。
俺はもう、絶望の味を知っている。
深くて暗い海底に沈みこんでしまうような冷たさ。
孤独がどれだけ寂しいのかを、身をもって体験した。
「よーし! じゃあさっそく修行を始めよう」
「今からですか?」
「もちろんさ。善は急げって、どこかの偉い人が残した言葉に従おう」
師匠は俺を屋敷の外へと連れ出した。
敷地内には小さい庭があって、簡単な訓練なら出来る。
向かい合った師匠は、杖をトンと地面に当てた。
次の瞬間――
世界が真っ白な壁に包まれて、一瞬だけ宙に浮く。
浮遊感が終わると、視界一面を覆うような花畑が映し出される。
他にも島が浮いている。
青い空の真ん中で、俺たちは浮遊する大地の上に立っている。
「な、何ですかこれ!」
「僕の夢を具現化した空間だよ。ここなら邪魔も入らないし、どれだけ派手に動いても迷惑もかからないからね」
夢を具現化?
そんなことが可能なのか。
ありえない光景に理解が追いつかない。
それでも確信をもって言える。
これが……世界最高の魔術師か。
浮遊する複数の島。
木が一本だけ生えている島もあれば、池があったり草原となっていたり。
世界各地にある島々を具現化して、空のキャンバスを彩っているようだ。
これを一人の魔術師が具現化しているなんて、体験している俺でも信じがたい。
「なっ……なんて膨大な魔力なんだ」
魔力量には自信があったけど、俺なんか足元にも及ばない。
大自然を相手にしているような壮大さと、包み込むような包容力を感じる。
ごくりと息を飲み、師匠をじっと見つめて思う。
これだけの魔力を正確にコントロールしていて、本人はいっさい疲労を感じさせない。
余裕そうに微笑んでいる。
「さてと、ステージは整ったことだし、始めようか?」
「何をするんです?」
「戦うんだよ。僕と君が」
「……え?」
「あれ? 聞こえなかったかな~ これから僕と本気で戦ってもらうから」
「い……いやいやいや! ちょっと待ってください!」
俺と師匠が本気で戦う?
そんなの絶対無理だ。
これだけの力を見せつけられて、戦いになるレベルじゃないぞ。
「冗談ではないよ。手っ取り早く君の実力を見るには、戦うのが一番なんだ」
「戦うと言っても……今の俺が使えるのは……」
「雷属性一種だろう? わかっているから来なさい。まぁもって一秒耐えられたら上々かな?」
そう言われて、ムッとする。
いくら何でも舐めすぎだと思った。
その苛立ちが表情に出てしまったらしく、師匠はニヤリと笑う。
「うん、良い顔になったね」
「……戦えばいいんですね?」
「ああ、じゃあ始めるよ? よーい……」
こうなったら全力で戦ってやるぞ。
もしかしたら、この戦いで何か掴めるかもしれない。
世界最高の魔術師、その実力を体感できるなら、願ったり叶ったりじゃないか。
「――ドン!」
と、粋がって挑んだものの……
「……」
「いやー、驚いたね~ まさか三秒も耐えるなんて」
草原に大の字で横たわる俺は、まっすぐ空を見ている。
その横に師匠がいて、朗らかに笑いながら腰を下ろした。
嘘だろ?
あり得ない。
俺は一体……何をされたんだ?
まったく認識できなかった。
俺は魔法を使えたのか、師匠も使ったのかすらわからない。
見えたのは一瞬だけ。
とてつもなく速くて、重くて、鋭くて、白い何か。
その何かが視界を覆って、俺の全てをかき消してしまった。
「どうだった?」
「……何もわかりませんでした」
「そうかそうか。まっ、最初だから仕方がないけど、君はやっぱり優秀だ」
どこが?
疑問に思ったことの答えを、師匠はすぐに口に出す。
「一秒以上耐えたこともそうだが、何より君は意識がある。さっきのを受けて意識を保っていられるのは、相当な魔術センスを持つ者だけさ」
「そう……なんですか?」
「うん。今のは最終確認でもあったんだ。僕の見立てに間違いはないのか。まぁ基本的に僕が間違えるとかありえないんだけどね。文句なしに合格だよ」
師匠は立ち上がり、俺に手を伸ばした。
その手を握ると、ぐっと力強く引っ張り上げらえる。
「君のセンスがあれば、これまで誰も到達できなかった術師の極致へ行けるかもしれない」
「本当ですか?」
「僕は間違えない。君が信じてくれるなら、その通りになると約束しよう」
「信じます! 師匠」
「う~ん、いいねその師匠って響き。ずっと弟子が欲しかったんだ~」
師匠と俺は向かい合う。
俺が見上げて、師匠が見下ろす。
こうして、俺の修行の日々はスタートした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さーて、今日は痛い修行内容だぞ~」
「痛い?」
不穏なワードが師匠の口から飛び出す。
場所は師匠の作り出した空間。
浮遊する島の一つで、距離をとって向かい合っている。
「君はこれから雷属性の魔術を極めなくてはならない。それ以外の選択肢は残されていない」
「はい」
「新しい術式を生み出すって作業をしてもらうけど、その前に大前提として力に慣れるという工程が大事なんだ」
「慣れるですか? つまりどんどん使えと?」
「いいや」
師匠は大げさに首を横に振る。
続けて師匠は、惜しみないほど満面の笑みで、とんでもないことを口にする。
「今から君には、僕の雷撃を受け続けてもらうから」
「……は、はい?」
「もぉ~ 君はそうやって肝心なことを聞き返すね。言っておくけど聞き間違いじゃないよ」
「い、いや……だとしたら無茶ですよ。師匠の雷撃なんて受けたら最悪し――」
「だーい丈夫! 君は落雷にも耐えられたようだし、魔力による強化はオーケーだからさ」
そ、そういう問題ではない気が……
「じゃあいっくぞ~」
師匠の身体から雷撃がビリビリ起こっている。
この時点で察した。
冗談ではなく、師匠は本気なのだと。
「レッツびりびり~」
「ぎゃああああああああああああああああああ」
俺はこの日、生まれて初めて発狂した。
師匠の修行はスパルタで、休む暇も甘えも許されない。
やれと言ったらやる。
師匠が無理じゃないと言えば、どれだけ無茶でも完遂できる。
とにかく信じろ、諦めるなの根性論。
正直かなりしんどくて、何度も意識が飛びそうになった。
「はーい寝ない! まだ半分だぞ~」
「は、はい!」
魔術における基礎的な部分はマスターしている。
これから必要になるのは基礎の応用。
新たな術式開発に必要なノウハウをたたき込まれ、それと並行して実践訓練も行われた。
「冒険者ですか?」
「うん。手っ取り早く実戦経験を積むなら、冒険者になって依頼を受ける方が良い。僕も偽名でこっそり登録してるんだよ」
「そ、そうだったんですね」
それは言っても大丈夫なことなのか?
「ちなみにもう登録だけは済ませておいたから」
「えっ!」
師匠は一枚の用紙を見せてくれた。
冒険者登録証と書かれ、左上には冒険者カードと書かれたものがくっつけてある。
「名前とか住所は適当に書いておいたから、君だってバレると困るだろう?」
「ありがとうござい……ます?」
登録者名:リンリン
「何ですかリンリンって!」
「可愛いだろ?」
「おかしいでしょ! 偽名にしたってもっと他の名前があったんじゃないですか!」
「えーいいじゃないかリンリン。響きは最高に良いでしょ」
「いやいや、女の子の名前みたいじゃないですか」
「ちなみにこれ一度登録すると変更できないから」
尚更何してくれてるんですか!
薄々感じてはいたけど、師匠は適当過ぎる。
というか、軽薄で何を考えているのかわからない。
掴みどころのない人、という表現は、まさに師匠にためにあるような言葉だ。
「あ、そうそう! バレないようにこれつけてね」
「仮面……ですか?」
師匠が手渡してきたのは、白い仮面だった。
赤い目が二つ、耳みたいなトンガリが二つある。
というかこれ……
「ウサギのお面じゃ……」
「正解! 道具屋で可愛かったから買って加工したんだ。これを付けて!」
師匠がむりやり俺の顔に仮面をつける。
目の部分は赤いけど、仮面を通して見ても視界は赤くならない。
ちょっと息苦しいくらいか。
さらに師匠は懐のカバンから赤い服を取り出す。
「この赤いフード付きローブを着れば~ はい完成!」
ベベーン、と変な効果音が流れたような気がする。
師匠は小さな鏡を取り出し、俺にも見えるように顔の前へ出す。
「どうだい? これで完璧に誰かわからないだろ?」
「……そうですね」
わからないですよ。
どういう趣味趣向の持ち主なのかも……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
師匠のスパルタ修行は続く。
それは魔術に関すること以外もだった。
「剣術?」
「そうだよ。剣だけじゃなくて、弓と槍も習得してもらうから」
「……はい」
「おやおや、なぜ魔術師が剣なんて覚えないといけないんだ? って顔をしているね」
見事に言い当てられてギクッとする。
師匠が口にした通り、俺はまさにそう思っていた。
優れた魔術師であるほど、それに特化しているべきではないのかと。
「わかってないな~ 優れた魔術師である者こそ、様々な技術や分野に精通している者なのさ」
「そういうものですか?」
「うん。魔術、薬学、医学……色々な分野があるけど、一つの分野に固執していては新しい物は生まれない。魔術の勉強だけしていれば良いと思っていたら大間違いさ」
そう言いながら、師匠はどこからともなく剣を取り出し地面に突き刺す。
「さぁ始めようか。言っておくけど、僕はその辺の騎士より強いからね」
「よ、よろしくお願いします」
結論、言葉通り強かった。
本当にこの人は魔術師なのか?
と疑問すら浮かぶほどの剣技に驚かされ、転ばされ泣かされ……踏んだり蹴ったりだ。
それでも俺は、強くなるために必死だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
修行開始から一か月。
少しずつ慣れ始めてきた日常の合間で、師匠が俺に問う。
「動機ですか?」
「そうだよ。魔術師にとって、ではなくすべての人において、努力するためには理由がいる。君は何のために強さを求める? 何のために聖域者を目指す?」
「それは……」
言われてみればどうしてだろう?
あまり深く考えたことはなかったな。
「考えがまとまっていないのなら、口に出してみるといいよ」
「はい……えっと、たぶん最初は父上や母上に言われたから、だと思います」
「うんうん、よくある話だね」
これまでを振り返る。
あの日、雷に打たれてしまった瞬間までの自分は、二人の期待に応えたい一心だった。
父上と母上は俺を大切にしてくれて、褒められるのが嬉しかったんだ。
でも……
「二人がほしかったのは俺じゃなくて、俺の才能だけだったんです。それが……雷に打たれてわかりました」
当初はひどく落ち込んだ。
今となっては目が覚めた気分だけど、師匠と出会わなかったら、自殺も考えていたかもしれない。
そして、冷静になった今だから思えること。
胸の内に残る感情の名前を、ようやく口にすることが出来る。
「……腹が立ちます。自分を見ていなかった二人に……簡単に切り捨てて、俺は息子なのに」
理不尽な怒りかもしれない。
自分のことを棚上げして、よく言うと思われても仕方がない。
だけど、腹が立ってしまったんだ。
俺を一人にして、この何もない広いだけの屋敷に追いやったことが。
「俺は……あの人たちを見返したい。聖域者になって、俺が誰よりも優れているということを証明したいです。不誠実でしょうか?」
「いいや、実に真っすぐで良いと思うよ」
「ありがとう……ございます」
「じゃあ君は、聖域者になって二人と元通りになりたいのかな?」
「それは……たぶん違います。一度でも見捨てられたら、もうあの人たちを信じられない。もし友好的に戻っても、俺が素直に笑えないので」
たとえ両親だとしても、捨てられたも同然なんだ。
今さら元通りにしたいなんて思わない。
「そうか……うん、自分のことをよくわかっている。自分を見つめるということは、強くなる上で大切なことだ。これからもよく考え、見つめ続けるように」
「……はい」
修行開始から一年。
たったの一年が、俺には何十年分くらい濃く感じられた。
毎日続く師匠の扱きに耐え、俺も着実に成長していると実感する。
「ふむふむ、魔力量は一年前の三倍かな? コントロールも格段に向上しているね」
「ありがとうございます。術式の方はまだまだ途中ですけどね」
「まぁ仕方がないさ。君が取り掛かっている術式は、これまで作られてきた術式とは毛色が違う。僕でも最初は思いつかなかったことだからね」
俺の開発途中の術式。
まだ名前すら決めていないけど、完成すれば唯一無二の武器になる。
師匠にも協力してもらって、何とか達成率は半分といったところか。
「さてさて、君もだいぶ成長したことだし、そろそろ僕も自分の仕事をしようかな」
「えっ、それってどういうことですか?」
「う~ん、基礎に応用それ以外。色々と教えてきたけど、もう僕が君に教えることはあんまりないんだよ。だから、僕との修行は一旦終わりにしようと思ってね」
「そ、そんな! 俺はまだ師匠から学びたいことが――」
焦って声をあげる俺の口を、優しく人差し指で止める。
師匠はニコリと微笑んで言う。
「今の君なら一人でも先へ進める。僕が教えたことを忘れさえしなければ……ね」
「……忘れませんよ。師匠に教わった何一つ、取りこぼさないように頭へたたき込んだんですから」
「はっはっはっ、それは嬉しいね。だったら尚更大丈夫だ」
師匠は安心したようにほっと息をもらす。
こういう時の師匠は切なげで、どこか別のものを見ているように感じる。
「それにこの一年で、僕への依頼がたーんまり溜まっているんだよ。全部すっぽかしていたからね」
「えぇ……そうだったんですか?」
「うん、面倒だったし」
俺のためじゃないんだ……
ちょっとガッカリしたな。
「さすがに誤魔化せない量になってね。一度ぜーんぶ終わらせてこようと思うんだ」
「どれくらいかかるんですか?」
「さぁ? 最低でも二、三年はかかると思うよ」
「そんなに……」
三年も一人で修行しなくちゃいけないのか。
この広いだけで何もない屋敷で……
不安が身を包みそうになった俺の頭に、師匠はポンと手を乗せる。
「大丈夫。君はもう一人ではない。離れていても、僕が師匠であることは揺るがぬ事実だ」
「師匠……」
「君はまだ子供だ。寂しさもあるのはわかっている。でも、子供であると同時に、君は魔術師でもあるんだ」
師匠の瞳が力強く、俺を見つめて言う。
「魔術師ならば、己の目的に一番近い道を進みなさい。とことんどん欲に、効率よく進んでいく。早く追いついてくれると、僕も嬉しい」
「……はい!」
このとき俺は、師匠が俺を弟子にしてくれた本当の理由に触れた気がした。
俺が力強く返事をすると、師匠は微笑んで手を離した。
「まぁでも、旅立つ前に試験だけは受けてもらうからね?」
「試験?」
「そうさ。この一年間で君がどれだけ成長したのか。雰囲気ではなく形で証明してもらおう」
師匠は悪戯をしかける子供のような笑顔を見せる。
この笑顔をするときは大抵、何か相当きつい内容をふっかけてくる時だ。
俺は覚悟して、ごくりと息を飲む。
「着いてきなさい」
師匠に連れられ移動した先は、王都からも百キロ以上離れた山脈のふもとだった。
転移魔術を使ってひとっ飛びとは言え、この距離の移動は初めてだ。
「師匠、ここは?」
「グレートバレー山脈だよ。君も名前くらい聞いたことあるんじゃないかな?」
「グレートバレー……確か王国最大級の山々が連なる山脈で」
「そして!」
何かが空を舞った。
黒くて大きい翼を広げ、空を覆い隠す。
獰猛な牙を見せ、鋭い眼光で睨まれれば、怯んで足が震える。
圧倒的な存在感と強さは、全生物上の頂点の一つに君臨する。
その名は――
「ドラゴン!?」
黒き竜が吠える。
思い出したが、この山脈はドラゴンが生息する一級危険区域だ。
普通なら絶対に近寄らない。
「最終、いや中間試験かな? このドラゴンを一人で倒しなさい」
「ちょっ、正気ですか師匠!」
「もちろん! 僕が無茶ぶりで嘘を言ったことがあったかい?」
ないですよ。
だから焦っているんじゃないですか。
「さぁ、この程度の相手に勝てないようじゃ、聖域者にはなれないよ」
「くっ……」
吠えただけで空気が軋む。
呼吸も普段より荒っぽくなって、簡単に息切れを起こしそうだ。
数十メートルを超える巨大さ。
そもそも飛行しているから、地上で戦うことは圧倒的に不利。
でも、師匠がやれといえばやる。
倒せるというのなら、それに間違いはない。
「やってやる!」
俺は全身に雷を纏う。
まだまだ試作段階の術式は使えない。
既存の術式でどこまでやれるか。
拳を握り、思いっきり前を殴る。
その衝撃と一緒に雷撃を飛ばし、ドラゴンを攻撃した。
「うん、いいね! 無詠唱かつ術式展開も省略できている。でも残念ながら、その程度じゃ倒せない」
ドラゴンは怒り、尻尾を高速で打ち付けてくる。
雷を纏った俺は横に跳び避け、続けて雷撃を放っていく。
悲鳴のような叫び声をあげるドラゴン。
ダメージはあると考えていいのだろうか。
「いや! これじゃダメだ!」
文献で読んだドラゴンの記述。
それによると、ドラゴンの鱗は鋼鉄の何倍も硬く、熱や電撃も通しにくい。
ダメージは大してないと考えるべきだ。
おそらく俺の魔術だけでは、大ダメージは与えられない。
加えて――
「気を付けなさい! ブレスだよ」
師匠の声が聞こえた。
その直後、ドラゴンは大きく口を開けて炎を吐き出す。
「っ……なんて広範囲なんだ」
消耗すればこちらが不利。
いずれ俺の動きも捉えられて、燃やされる未来が予想できる。
そうなる前に倒すなら、方法は一つ。
「やるしかないか」
俺は距離をとり、右腕を天に掲げる。
ドラゴンには俺の雷撃を何発か食らわせた。
しばらく電撃の痕が残る。
それを目印にして、大自然の力を使おう。
「雷魔術の中で最大の威力――これでも食らえ!」
集まった雷雨。
ゴロゴロと鳴り響くそれを、魔術の力で制御する。
自分の力で足りないのなら、自然の雷撃をお見舞いするまで。
「雷魔術奥義――天雷」
雷一閃。
ドラゴンの頭上に雷撃が降り注ぐ。
悲鳴を上げるドラゴン。
いかに高度な鱗と言えど、天然の雷撃に俺の魔力を上乗せした一撃なら、鱗を超えて内部へダメージを与えられる。
「はぁ……はぁ……」
「うん、お見事! さすが僕の弟子だね」
「本当に行くんですね」
「そう話しただろう?」
「はい……」
ドラゴンを討伐した翌日。
師匠は荷物をまとめて屋敷を出て行くところだ。
寂しいけど、師匠には師匠の仕事がある。
それに師匠は、俺のことを信じてくれている。
「師匠……俺、頑張りますから」
「うん。魔術学校の入学試験までにはもどるよ。その時が最終試験だと思って覚悟しておいてね」
「はい!」
「良い返事だ。これを渡しておこう」
師匠は丸くて赤い宝石のついたイヤリングを一つ渡してきた。
「これは?」
「僕を呼び出す魔道具だよ。本当にピンチのときはこれを使いなさい」
「わかりました」
イヤリングをぐっと握りしめ、俺は出来るだけ笑顔で堂々とした態度を見せる。
「ねぇリンテンス。僕がどうして君を弟子にしたのかわかるかい?」
「え? それは確か……面白そうだったから?」
師匠と出会った日に、彼はそう言って俺を弟子にしてくれた。
俺が答えると、師匠は笑いながら当時のことを思い返す。
「はっはははは、そうだったね。確かにそう言った。でも、あの言葉に意味なんかない。テキトーに言った言葉だからね」
「じゃあ……何で?」
笑っていた師匠は落ち着いて、改まったように俺を見つめる。
「僕はね? こんなんだけど凄く強いんだ。世界で一番強いかもしれない」
「はい。知ってます」
「はははっ、そうだね。大抵のことは一人で出来たしまう。だからこそ、僕はずっと一人だ。今まではそれでよかった。だけど……この先に待っている未来では、僕一人じゃ駄目なんだ」
「師匠?」
「僕はね? 自分と同じ場所に立って、一緒に戦ってくれる仲間がほしかったんだよ。そして君なら、そうなれると思ったんだ」
師匠の話は所々抽象的で、何かを悟っているようにも思えた。
だけど、俺はそんなことどうでも良くて……
「では行くよ。また会おう」
「はい! 次は師匠を驚かせてみせます!」
俺がそう言うと、師匠は清々しい笑顔で――
「期待しているよ」
と言い、ふわっと風に舞う花弁のように消えていった。
二、三年か。
これから一人で過ごす時間は長いけど、孤独なんて思わない。
師匠が帰って来た時、ガッカリさせないように頑張ろう。
この時、俺は今さら気づく。
いつしか聖域者を目指す動機の一つに、師匠の期待に応えたいという想いが加わっていたことを。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
王都郊外にある平たい木造建築。
荒っぽい雰囲気の男たちが行き交う道と、看板に大きく書かれたギルド会館と言う文字。
ここは冒険者たちが集う場所。
依頼を受けたり、情報交換をするために用意された建物だ。
カランカラン――
扉を開けるとベルが鳴って、中の人たちの視線が向く。
受付カウンターへ向かう途中にも、ジロジロみられていた。
「依頼完了しました」
「お疲れ様です! 確認いたしますので、そのままお待ちください」
受付前で待つ間も、周囲ではヒソヒソ話が聞こえてくる。
「おい見ろよ」
「ん? あの仮面の奴がどうかしたか?」
「あいつだよ! ドラゴンの群れを一人で撃退したっていう冒険者」
「えっ、そうなの? じゃああれが噂の……【七色の雷術師】か」
二人の男冒険者がごくりと息を飲む。
他の冒険者たちも、こぞって同じ話題を繰り返していた。
「すげぇよな~ 一人でドラゴンだぜ?」
「ああ。体格じゃ強そうに見えないのにな」
「だよな。というか、あのへんな仮面は何なんだ?」
「さぁ? 男なのにリンリンって名前も変だし、二つ名と全然合ってないし」
全員が口を揃えて言う。
「「「色々と変だな」」」
ほら、思った通りじゃないですか師匠!
貴方が変な偽名と格好にするから、周りからずっと変な目で見られてるんですよ?
俺は羞恥に耐えられず、依頼の報酬だけ受け取ったら、そそくさとギルド会館を後にした。
バレないようにひっそり路地に隠れて、仮面とローブを脱ぎ捨てる。
「ふぅ……辛い」
師匠が去って三年と半年。
俺も今年で十五になり、世の中で言う成人を迎えた。
日々の修行も習慣化していて、実践訓練のために冒険者としての活動も続けている。
それにしても、あれ以来師匠からの連絡は一切ない。
どこで何をしているのかもわからない。
もうそろそろ入学試験だというのに、帰ってくる気配もないんだが……
「まさか忘れてないよな」
屋敷に戻ってから荷物を下ろしてベッドに寝転がる。
音沙汰なしと言えば、俺の両親もここ数年の間、一度も会いにこなかった。
俺から会いに行くこともないし、四年以上あっていないな。
それで寂しいとかは感じない。
むしろバネにして、この野郎という気持ちで頑張れた。
師匠ならきっと、不誠実とは言わないはずだ。
「師匠……どっかでサボってたりして」
「失敬だな~ 君は師匠を何だと思っているんだい?」
不意に声が聞こえた。
心臓の鼓動が高鳴り、勢いよく振り向く。
部屋の窓を見ると、そこに彼はいた。
ずっと会いたいと思っていた人が、ようやく戻ってきてくれた。
「久しぶりだね、リンテンス。背も大きくなって、見違えたんじゃないか?」
「お帰りなさい……師匠!」
師匠の見た目は変わらない。
たった三年半じゃ、変化には感じられないのか。
懐かしさで涙がこみ上げてきそうになる。
「さっそくだけど、君がどれだけ成長したか見せてもらえるかな?」
「いきなりですね」
「はははっ、最初からそのつもりだったからね」
パチンと師匠は指を鳴らす。
懐かしき天空の世界へ降り立ち、俺たちは向かい合う。
「最初は三秒だったね」
「はい」
「じゃあ今度は十分くらいもつかな?」
「余裕ですよ」
「言うようになったね~ じゃあ見せてもらおうかな? 成長したのは見た目だけじゃないってこと」
師匠が杖を、俺は拳を構える。
そういえばあの時、師匠は杖すら持っていなかったな。
たぶん四年半前より強いはずだ。
でも、俺だって以前とは違うぞ。
「行きますよ――師匠!」
「ああ、来なさい」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
激化する戦い。
崩れ落ち、震えあがり、嘆き憂う。
いくつもあった浮遊島が綺麗に消え、残された一つに横たわる。
「はぁ……どうですか?」
「うん、いいね」
寝ているのは俺だが、その隣に師匠もいる。
お互いボロボロになって、笑いながら師匠が言う。
「今の君なら、僕以外に負けることはありえないかな?」
「当然……ですよ。何たって師匠の弟子なんですから」
「そうか。文句なしの合格だ!」
苦節四年半。
師匠の元で修行し、一人になって続けた末。
俺はようやく、師匠に認められるくらい強くなれたみたいだ。
涙が出そうになるけど、俺はそれを我慢する。
だってこれは、ただのスタートラインでしかないのだから。
「一週間後に入学試験だったかな?」
「はい!」
「今の君なら、頑張れという言葉も不要な気もするが……敢えて言わせてもらおう」
師匠が先に起き上がり、俺と向かい合うように立つ。
伸ばされた手を掴み、俺も立ち上がってから――
「頑張れ!」
「頑張ります!」
いわゆるプロローグだ。
ここから始まる物語で、俺は聖域者への階段を駆け上がる。
全てを失った所から、今度は全てを手に入れるんだ。
サンドラン王国。
総人口二億二千万人を誇る世界最大の人類国家であり、魔術大国とも呼ばれている。
王都レムナンには、優秀な魔術師を育てるために用意された教育機関がある。
その名も、サルマーニュ魔術学校。
毎年入学の半年前になると、入学試験が執り行われる。
受験者は二千を優に超えるが、合格できるのは百五十人だけ。
魔術師の名門から平民まで、その年で十五歳となる全ての国民に受験資格があり、家柄も関係なく審査される。
純粋に優秀な魔術師のみを選出するための試験だ。
そして、聖域者となるには、アルマーニュ魔術学校を首席で卒業しなくてはならない。
在学中の三年間で実績を残し、首席となった者だけが、神への挑戦権を得られる。
挑戦権を得られるのは一年に一人だけ。
神おろしと呼ばれるそれは、特別かつ大掛かりな儀式のため、一年に一度しか行いえないからだ。
チャンスは人生で一度。
故に多くの魔術師が、たった一つの席をかけてしのぎを削る。
当然、神へ挑戦し結果を残さなければ聖域者にはなれないが、まず大前提として権利を得られないと話にならない。
「まずは入学試験を突破しないとね。まぁ君の実力なら問題ないと思うけどさ」
「師匠が言うなら間違いないですね」
「そうだとも。ただ十分に気を付けたまえよ。あそこは魔術学校独自の法で管理されているとは言え、このサンドラン王国の一部ではある」
「どういう意味です?」
「家柄を重視する傾向が色濃いということさ。君もエメロード家の一人なら、そういう場面に出くわしたことがあるんじゃないかな?」
屋敷で夕食をとりながら、師匠との話に耳を傾ける。
俺はフォークで刺した肉を口の手前で止めて、一旦下ろして思い出す。
魔術大国であるこの国では、優秀な魔術師こそが財産。
故に元々は貴族でなくとも、功績によっては国から貴族の位が与えられることが多い。
エメロード家は最初から貴族の家系だが、魔術師家系の名門と呼ばれる家柄の中には、そうやって功績を残して成り上がった者たちがいる。
そして……
「逆に成り下がった家もある。実績が残らなければ認められない。貴族の位をはく奪された家もチラホラあって、そういう所はひどく惨めな思いをするよ」
「……はい。知っています」
俺も何度か見せられた。
父上が焦っていたのは、エメロード家の実績に関わることだ。
長年名門として振舞ってきた俺たち一族も、ここ数十年ではロクな成果をあげていない。
直接聞いたわけじゃないけど、そろそろ危ないと警告されていたのかもしれない。
しかしまぁ、今の俺には関係のない話だ。
魔術学校入学が叶った時点で、俺はエメロード家との関係を解消される。
俺が魔術学校入学を希望していることを手紙で伝えたら、そういう旨が書かれた手紙が帰って来た。
もし合格したら費用は出す。
ただし、合格しなかったとしても、エメロード家との関係は解消する。
という感じで、もうじき無印のリンテンスに変身するわけだ。
ちなみにこの屋敷はくれるらしい。
元々使っていないボロ屋敷だから、なくなっても痛くないのだろう。
「この屋敷が使えるのは僕も助かるな~ こうして寛げるのってここくらいだからね」
「だからってさぼりの隠れ家にしないでくださいよ」
「おっと手厳しいな僕の弟子は」
「というか今さらですけど、父上には話してないんですね。ここで俺に修行をつけてくれていたこと」
「うん。別に言う必要はないだろう?」
確かにそうだなと納得する。
逆にそれで変に意識されても困るしな。
そうして夜は過ぎ、時間はあっという間に流れる。
入学試験当日の朝。
まだ太陽が昇りかけてすらいない時間だ。
「もう出発するのかい?」
「はい。ちょっと身体を動かしたいので、森に寄ろうかなって思ってます」
「なるほどなるほど、準備運動は大切だね。それなら僕が相手をしようか?」
「師匠が相手だと、準備運動にならないでしょ」
いつでも本気で戦ってくる人だからな。
最悪試験前に潰れてしまう。
「はっはっはっ、それもそうか。では行ってくるといい。そして、僕の弟子として盛大に目立ってきなさい」
「はい! 行ってきます師匠」
俺は師匠に手を振って、屋敷を出発した。
魔術学校は王都の中心部に近い場所にある。
ほとんど王城の目の前で、ここからは距離が離れているが、時間的余裕はかなりある。
俺は魔術学校とは反対側へ進み、郊外の森へと入る。
よく訓練で使っていた森で、所々に訓練の激しさを物語る痕が残っていた。
「さてと、軽く動くか」
試験前だし、本当の本当に軽めでいこう。
まずは魔力を生成し循環させる。
普段からやっている魔術の基礎を反復。
右胸を起点に、全身へと魔力を巡らせていく。
さらにその速度を加速させることで、肉体を強化し、身体能力を底上げする。
これが強化魔術だ。
強化魔術は、あらゆる魔術の基礎であり、術式を介さないもっとも原始的な魔術。
そもそも魔術と呼んでいいのか微妙な立ち位置だが、師匠曰くどっちでもとれるから問題ないとか。
「うん、良い感じ」
左右へ飛び回り、木々を避けて走り抜ける。
身体がちゃんと自分の身体らしく動く。
脚の先から頭のてっぺんまで、自分の指示に応えてくれる感じだ。
調子はすこぶる良い。
と、思っていた俺の耳に、ガサガサと別の音が聞こえる。
「ん? 誰かい――」
「あ、危ない!」
ゴチン!
おでこ同士がぶつかった衝撃で、俺は後ろに倒れ込む。
何だ何だ?
一瞬だけ誰か見えた気が……
太陽が昇って来たといっても、まだ下の方で森は暗い。
ちゃんとは見えなかった。
俺はおでこを押さえながら、身体を起こす。
「ってて、ん?」
「うぅ……痛い」
そこには女の子がいた。
俺と同じように額を押さえている。
いや、注目すべきはそこじゃなくて、本来ないものがついていること。
「尻尾と……耳?」