【9/10コミカライズ】ナナイロ雷術師の英雄譚―すべてを失った俺、雷魔術を極めて最強へと至るー

 視界が真黒く染まった。
 いや、一瞬だけは真っ白で、気づけば真っ暗だった。
 夜空に光る星のように、小さな光がぽつりぽつりと見える。
 
「リンテンス! おい聞こえるか!」

 俺の名前を呼ぶ声が、かすかに聞こえたような気がする。
 だけど今は眠くて、そっと目を閉じた。

 パキッ――

 何かにひびが入る音がした。
 胸が痛い。
 全身はもっと痛い。
 その音と痛みで目覚めたとき、俺は屋敷のベッドで寝ていた。

「ここは……」

 ガタンと扉が開く。
 入って来たのは屋敷の使用人。
 お盆に何か乗っていたが、確認する前にボトリと落とした。

「坊ちゃま……お目覚めになられたのですね!」
「あ、ああ」
「すぐに旦那様と奥様をお呼びします!」

 落とした物など気にせず、使用人は部屋を出て行った。
 ひどい慌てようには驚かされる。
 というのも、目覚めてすぐの俺は、自分がどうして寝ていたのかわからなかった。
 おぼろげに覚えていることを思い出してみる。

「……そうか」

 確か任務の途中で、雷に打たれたんだ。
 ゴロゴロと音が鳴っていたし、直前までそんな話をしていた記憶がある。
 まさか落ちるとは……というより、よく無事だったな。
 任務の途中だったし、魔力で肉体を強化していたのが功を奏したのだろう。
 そうでなければ今ごろ豚の丸焼きよりこんがり焼かれている。

 それにしても、何だろうかこの違和感は……
 手や足はよく動く。
 肉体的な異常は感じられない。
 部屋にある鏡を見て確認しても、ぽっと見では異常は見当たらない。

「髪の色……目も」

 いや、見た目の変化はあったようだ。
 暗くて見落としていたが、髪と目の色が変わっている。
 赤黒かった髪が真っ白になり、ルビーのような赤い瞳も、サファイアのごとく蒼に変化していた。
 
 そして、身体に残った違和感。
 あるのは胸の内……いや、右胸の奥。
 魔力を生成する起点であり、起源と呼ばれる核がある場所。

「まさか……」

 嫌な予感が脳裏をよぎる。
 雷撃が俺の身体に与えた影響が、もしもそこに至っているのなら。
 漠然とした不安が押し寄せてきて、試さずにはいられない。
 俺は右手のひらを広げ、術式を形成し魔力を流す。
 いつも通り、当たり前にやってきた動作を反復する。

「リンテンス! 目覚めたのか!」
「良かったわ。一時はどうなることかと……リンテンス?」
「はっ……はははは」

 笑ってしまう。
 おかしいわけじゃなくて、笑うしかないんだ。
 だってそうだろ?

「どうしたんだ? 身体に異常があるのか?」
「異常……しかないよ」

 魔力の循環、術式の構築、発動後のコントロール。
 何度も練習して、考えなくても出来るようになっていた。
 今さら間違えるはずもない。

「使えないんだ」
「え?」
「魔術が……使えない」
「なっ……」

 その時に感じた絶望は、俺一人で収まるものではなかった。

 異変に気付いた俺は、両親に連れられ王都にある高名な医者を尋ねた。
 深夜だったがそこは魔術師家系の名門。
 権力とコネを駆使して、誰にも見られないように診断を依頼。
 特別な水晶を使った目に見えない異常を確かめてもらった。

「う~ん……」
「どうなんですか? リンテンスの身体に何が!」
「……大変申し上げにくいのですが……」

 医者は言葉を詰まらせる。
 余程のことなのだろうと、俺を含む全員がごくりと息をのんだ。
 それを見た医者は、大きく息を吐いてから言う。

「ふぅ……結論だけ先に申し上げますと、リンテンス君の起源が変化してしまっています」
「なっ、起源が?」

 起源とは、魔術師にとっての心臓に近い。
 場所は明確にされておらず、形あるものでないが、もっとも重要な器官とされる。
 なぜなら起源には、その人が使用できる術式の属性が刻まれているからだ。
 魔術師が多彩な属性を使用できるのは、多くの属性が起源に刻まれているから。
 一つしか刻まれていない者は、どうあがいても一種しか使えない。
 そもそも術式を構築することすら出来ない。

 唖然とする両親二人。
 医者は眉をひそめて俺に尋ねてくる。

「雷に打たれたと聞きましたが?」
「はい」
「おそらくそれによって、起源が雷属性一種に変質してしまったようですね」
「そ、そんなことがあるんですか?」

 信じられないという表情の父上が尋ねた。
 医者は悩みながら答える。

「正直私も初めて見ます。ですが、お話を伺う限りそれしか考えられません。現に彼の起源は変わってしまっています」
「じゃ、じゃあ……息子は、雷属性しか使えないということですか?」
「……はい」

 十一属性から一属性。
 その大きな変化が、俺にとってだけでなく、エメロード家にとってどういう意味を持つのか。
 考える必要もないくらい重大な問題だとわかる。

「治す方法はないのですか!」
「……申し訳ありませんが、現在の技術では人の起源に干渉できません。そもそも原理もわからない変化ですので……」
「そ、そんな……」

 絶望の音が聞こえた。
 音……そう、音だ。
 あの時も音が聞こえた。
 何かにひびが入ったような音。
 あれはたぶん、起源に傷がついたからだ。
 いいや、それだけじゃないのだろう。
 砕けかけている。
 これまで培ってきた自信や自負、両親から向けられる期待。
 ガラス細工のように脆くて、ギリギリのバランスで立っていた透明な塔が、バラバラに崩壊していく。
 右胸に手を当てて感じられる違和感を、俺は生涯忘れられないだろう。
 絶望の味を知っている。
 それは苦くて、痛くて、泥水を啜っているような嫌気が残る。
 今まで積み上げてきたものが一瞬で崩れ去ったとき、俺の心は絶望で支配された。

 その後に医者を何件か回り、高名な魔術師にも協力してもらった。
 しかし、はじき出される結論は全て同じ。

「こんな状態は見たことがない。残念ですが手の施しようがありません」
「命があったことを喜ぶべきではありませんか?」
「まずは落ち着いてください。一時的なものかもしれませんよ」

 違う、そうじゃない。
 俺がほしい言葉は、そんなペラペラな慰めやはぐらかしじゃないんだ。
 未来は明るいのだと言ってほしい。
 これはただの夢で、明日になれば覚めると何度妄想したことか。
 
 一日、二日、一週間と過ぎていく。
 必死になって解決法を探してくれていた両親も、次第に表情が険しくなっていった。
 俺に対する態度も、徐々に冷たくなっている。

「父上、明日は師団に行く日ですが……」
「そんなものはなしだ。今の状態で行って何が出来る? これ以上私たちに恥をかかせないでくれ」
「す、すみません」

 ついこの間までは褒められるばかりだった。
 冷たい言葉と視線は、俺の心にぐさりと突き刺さる。
 でも、辛いのは俺だけじゃない。
 どこかで情報が漏れてしまったのだろう。
 俺の起源が変質したという噂が広がり、各方面から説明を求める声が挙がっていた。
 それらに対応する父上の心労は、俺が考えられる範疇を超えている。
 母上もあの一件以降、急激に体調を崩されている。
 元々体力的に弱い人だったが、精神を強く揺さぶられ、今は一日の大半をベッドで過ごしていた。

 お前の所為だ。

 言葉にはされなくても、言われている気がしてならない。
 俺は不安と後悔を拭い去りたくて、寝る間も惜しんで修行に明け暮れた。
 それでも……

「くそっ……くそ! 何で出来ないんだよ!」

 今まで当たり前にやれていたことが出来ない。
 簡単だった魔術すら、うんともすんとも言ってくれない。
 動作、感覚に狂いはなくとも、元の起源がおかしくなってしまっている。
 唯一扱えるのは、雷属性の魔術のみ。
 たった一属性しか使えないなんて、名門とは名ばかりの落ちこぼれだ。
 それも五大属性は、一つくらい使えて当たり前の領域。
 
「まだ……まだだ!」

 俺は諦めずに修行を続けた。
 誰に言われたか忘れたけど、一時的なものかもしれない。
 ただの運任せに、天へ縋るなんて恥ずかしいことだけど、今はそれしかないと思った。
 来る日も来る日も修行して、ボロボロになるまで頑張った。
 努力すれば必ず結果が出ていたこれまでとは違う。
 どんなに自分を追い込んでも、身体に残るのは疲労と痛みだけだった。
 そして……

「やはりもう限界だ。こうなればアクトを連れ戻したほうがマシだろう」
「ええ」
「まったく一からやり直しではないか!」

 夜な夜な聞こえてくる会話にも、耳を傾けないようにする。
 聞いてしまえば、確定してしまうから。
 いいや、すでに決まっていたことなのだろう。
 俺の起源が変質し、力を失ってしまった時点で、運命は反転したんだ。

「リンテンス、お前は明日から別宅で移り生活しなさい」
「そ、それは……どうしてですか?」
「わからないのか!」

 父上は声を荒げて怒鳴った。
 わかっているさ。
 それでも、信じたくないと思ってしまう。

「お前に一体どれだけの時間と金をかけたと思っている? 我が一族の悲願……あと少しだったというのに、お前のミスで全て台無しだ!」
「……」

 本当なら家を追放したいと思っているのだろう。
 俺がまだ十歳と幼くなければ、この時点で追い出されていたはずだ。
 父上の目は、今までにないほど怒りに満ちていた。
 同時にゴミを見るような冷たい目で、俺のことを見つめている。
 
 怖い。
 
 俺はもう逆らえない。

「わかりました」

 翌日には屋敷を出て、王都の外れにある小さめの別荘へ居を移した。
 普段は使われない別荘で、手入れこそされているが完全じゃない。
 本宅のように使用人もいないから、全て自分でこなさなくてはならないという点も違う。
 十歳で一人暮らしなんて、捨てられるのと大差ないだろう。

「ぅ……」

 俺は毎晩のようにベッドを濡らした。
 自分以外誰もいない家。
 やさしい言葉なんて、ここ数週間は聞いていない。
 最後に見た人の顔は、俺を人だと思っていない冷たいものだったし。
 何よりそれが、実の父親だったから余計につらい。

 孤独だ。
 一人ぼっちで泣いている。
 虹みたいに輝いていた世界が、白黒になってしまったような感覚。
 上下も、左右も逆さまで、何もかもが違う世界。
 俺はこれからも、この孤独と仲良く暮らしていかなくてはならないのだろうか。
 そう思うとやるせなくて、今すぐ消えてしまいたいとさえ思ったんだ。
「ふっふふっふ~ん」

 陽気なステップで街を歩く魔術師の男性。
 白いローブと薄紫色の髪は、見かける人すべての目をひく。
 いや、容姿だけが理由ではない。
 彼が持つ称号と名誉、その伝説を知っているからこそ、皆が足を止めて魅入る。

 そうして向かったのは、エメロード家本宅。
 彼は躊躇なく敷地内に足を踏み入れ、無造作に扉を叩く。

「こんにちはー」
「どちら様で――あ、あなたは!」
「どうもどうも。突然の訪問をお許しください。この屋敷の主はお見えになられますか?」
「は、はい!」

 対応した使用人は慌てふためいている。
 ニコニコと冷静に待つ魔術師。

「お待たせいたしました」

 その後、急ぎ足で姿を現したのは、エメロード家の現当主ガーベルト・エメロード。
 由緒正しき魔術師の名門、エメロード家の当主である彼ですら、その魔術師の来訪には驚き慌てていた。

「なぜ貴方様がここへ? 何か重要な要件が?」
「いえいえ、単なる興味の範疇ですよ。神童がいるという噂を耳にしまして」

 ガーベルトがピクリと反応する。
 表情に出ないギリギリの躊躇を、眉を引くつかせることで見せる。

「一目見ておきたいと思ったのですが、その子はどちらに?」
「いえ……その……リンテンスは……」
「おや? 何やら事情がありそうですね」

 ガーベルトは魔術師に事情を話した。
 すでに知れ渡っている情報であり、隠すだけ無駄である。
 羞恥に耐えながら、偉大なる者に伝え聞かせる。

「なるほど、そういう事情があったのですか」
「……申し訳ありません」
「何を謝る必要があるのです。それで、当の本人はここにはいないのですか?」
「はい。今は別宅に」
「ほうほう。差し支えなければ、別宅の場所を教えて頂けませんか?」
「え、はい。構いませんが……まさかお会いになられるつもりで?」
「ええ、俄然興味が湧いたので」

 魔術師は面白がって笑う。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 魔術師なら誰もが目指す頂き――聖域者。
 父上はそこに手をかけ、あと一歩のところで届かなかった。
 その無念は後悔となって、今でも残っている。

 一人になってようやくわかった。
 父上は俺を愛していたわけじゃない。
 あの人が愛していたのは、俺が持っていた才能だ。
 自分では成しえなかった場所に手が届くかもしれない才能。
 それをもって生まれ、あの人は期待して、かつての自分を重ねたんだ。
 今度こそ、頂きに届かせるために。
 金を使った。
 時間をさいた。
 あらゆる手段を尽くして、俺を成長させようとした。

 そうして俺は、全てを失った。
 今の俺は、中身のなくなった器に過ぎない。
 空っぽの人形なんて、父上にとっては人ですらない。
 ぞんざいに扱われ、別荘へ追いやられるのも、今の俺には何の価値もないからだ。

 俺はベッドで横になりながら、無気力に呟く。

「このまま……消えちゃいたいなぁ」
「それは残念だな~ 消えた所で何も起こらないよ?」
「へ……なっ!」

 ベッドの横に見知らぬ男性が立っている。
 ニコッと微笑み俺を見つめている。
 突然のことで驚き、飛び上がった俺は距離を取る。

「おぉ~ 速いね」
「あ、あんたは誰だ? どうやって入って来た?」
「おっと失敬、何度も呼んだのだが返答がなくてね? 扉が開いていたし、もう入っちゃえと……不法侵入と言わないでくれよ? 鍵をかけていない君も悪いんだから」

 男はニコニコと笑いながら語る。
 軽薄で、フラフラとしていて、つかみどころのない話し方。
 今まで会ったことのないタイプの人だ。

「結局あんたは誰なんだよ!」
「そうだね、自己紹介がまだだった」

 男性はどこからともなく杖を生み出し、トンと床をたたく。
 真っ暗だった部屋に明かりがともり、彼の薄紫色の髪と瞳がキラッと輝く。

「初めまして、僕はアルフォース・ギフトレン。見ての通り魔術師のお兄さんだよ」
「アルフォースって……聖域者の!?」
「そうだとも! さすがに知れ渡っているね」

 アルフォース・ギフトレン。
 現時点で存在する五人の聖域者の内の一人にして、世界最高の魔術師と評される人。
 歴代聖域者で唯一、神の試練を経て、その権能の一端を授かった魔術師。
 数々の伝説を残す英雄的存在が、どうして俺の前にいる?

「さぁ、僕の自己紹介は終わったよ。次は君の番だ」
「……リンテンス・エメロードです」
「うん、リンテンス君だね。よろしく!」
「よ、よろしくお願いします」

 何なのだろう。
 偉大な人だとわかっても、なぜだか気が抜ける。
 この話し方と飄々とした態度……苦手だ。

 アルフォースはじーっと俺を見つめる。

「うんうん、なるほど~ 聞いていた通りだね」
「はい?」
「起源が雷を帯びているよ。こんなのは初めて見るな」
「えっ、見えるんですか?」
「ああ、見えるとも。僕の眼は特別製でね? 本来は見えない起源とかいろんなものがハッキリと見える」

 そう言いながら、彼は俺の右胸を指さし触れる。

「な、治す方法はないのですか!」
「うん、ないよ」

 キッパリと彼は言った。
 縋るような俺の気持ちを、ずばっと斬り裂くように。

「起源は見えても触れられない。それは形あるものではなく、心に近いものだからね。過去未来含めて、人の技術ではたどり着けない」
「そ、そんな……じゃあ俺はこのまま……」
「おや、何だいその顔は? まるで全てを諦めてしまっているような絶望っぷりじゃないか」
「だ、だって……一種類しか使えない魔術師なんて」
「未来がないと? 馬鹿だねぇ君は。そうやって自分の可能性まで殺してしまうのかい?」
「えっ?」

 可能性と言ったのか?
 この人は一体、何が見えているんだ。
 聖域者とは、神へ挑戦しその恩恵を授かった魔術師のこと。
 神への挑戦権を得られるのは、一年でたった一人。
 試練を受けられたとしても、乗り越えなければ聖域者にはなれない。
 過去数百年の間に、聖域者となれた魔術師は、いまだ二桁に留まっている。
 その中でも、神の権能を授かった魔術師はアルフォースだけだ。

「リンテンス君、魔術師とは何かな?」
「えっ……それは――」
「魔術を行使する者、と考えるなら間違いだよ」

 先に間違いだと否定され、途端に言葉を詰まらせる。
 だったら何なのだと、俺は視線で訴えた。

「何だい? もう降参かな? 仕方がない、君はまだ子供だからね。特別に答えを教えてあげようじゃないか」
「……何なんですか? 魔術師って」
「開拓者だよ」
「開拓……者?」
「そう。未知を暴き、文明を発展させ、未来を切り開く者のことだ」

 難しい言葉が並んで、俺は半分も理解できない。
 ただ伝わるのは、俺が思っている魔術師と言う概念が、大きくずれているということ。
 アルフォースは続けて言う。

「歴史を振り返ってごらん? 文明の発展には、必ず魔術師がついているだろう? 今の生活の大半だって、魔術師が造り上げた物の一端。その恩恵にあずかっているだけだ」
「それは……そうですね」
「うん。まぁもっと簡単に言うとね? 魔術師って新しいものをずっと生み出してきたんだ」

 新しいもの……
 魔術の発展に伴って進化した文明。
 俺たちが生活している基盤を作ったのも、昔の偉大な魔術師たちだと、彼は言っている。

「そこに常識はない。囚われていては何も生み出せない。今の君はまさしくそれだ」
「えっ?」
「囚われているじゃないか。才能を失って、何もできなくなってしまったのだと」
「っ……」

 現実に引き戻される一言だ。
 俺の心に刺さったナイフが、ぐりっと抉られた気がする。

「そうやって限界だと決めつけるから、少し先の未来を掴めなくなるんだよ」
「でも……」
「確かに君は十種の属性を失った。それはハンデだけど、君がこれまでしてきた努力まで消えたわけじゃないだろ?」

 彼はそう言いながら、ニコリと微笑んで指をさす。
 起源があるとされる右胸から、心臓が鼓動をうつ左胸へ。
 
「魔力量、コントロールと術式を構築するセンス。それから知識とか、そういうものは消えていない。君はこれまで自分がしてきた努力まで否定するのかい?」

 その言葉に、心が動く。
 心臓じゃない。
 止まっていたのは俺の心で、消えてしまいたいという弱さだ。
 そうだ……思い出した。
 俺は別に、父上や母上のためだけに魔術を習っていたわけじゃないんだ。
 ただ、楽しかったんだ。
 新しいことが出来て、いろんな体験に繋がることが、何にも代えがたい幸福だったんだ。

「俺は……まだ、魔術師になれますか?」
「すでになっているよ。君がそうだと心に強く思っているなら、誰が何と言おうと魔術師だ。そして、面白い才能を持っているね」
「えっ……才能?」
「うん。どうかな? 僕の弟子になる気はないかい?」
「で、弟子に!?」

 思わず驚いて、流れそうになっていた涙が吹き飛んだ。
 目を擦り、耳を叩いて聞きなおす。

「どうして?」
「う~ん、何となくかな? 君が気に入った……ていうのでどうだろう?」

 そう言った彼の笑顔は、底抜けに明るくて、無色透明だった。
 真意はまったく読み取れない。
 だけど、俺の答えなら決まっている。
 やりたいことは、ずっと前から変わらない。

「俺も……聖域者になれますか?」
「それは君次第だ。少なくとも僕は、その可能性があると踏んでいる」
「だったら、俺を弟子にしてください!」
「いいとも! ただし僕は厳しいよ? 途中で音を上げたって、止めてあげないからね」
「はい!」

 大丈夫だ。
 俺はもう、絶望の味を知っている。
 深くて暗い海底に沈みこんでしまうような冷たさ。
 孤独がどれだけ寂しいのかを、身をもって体験した。
 
「よーし! じゃあさっそく修行を始めよう」
「今からですか?」
「もちろんさ。善は急げって、どこかの偉い人が残した言葉に従おう」

 師匠は俺を屋敷の外へと連れ出した。
 敷地内には小さい庭があって、簡単な訓練なら出来る。
 向かい合った師匠は、杖をトンと地面に当てた。

 次の瞬間――

 世界が真っ白な壁に包まれて、一瞬だけ宙に浮く。
 浮遊感が終わると、視界一面を覆うような花畑が映し出される。
 他にも島が浮いている。
 青い空の真ん中で、俺たちは浮遊する大地の上に立っている。

「な、何ですかこれ!」
「僕の夢を具現化した空間だよ。ここなら邪魔も入らないし、どれだけ派手に動いても迷惑もかからないからね」

 夢を具現化?
 そんなことが可能なのか。
 ありえない光景に理解が追いつかない。
 それでも確信をもって言える。
 
 これが……世界最高の魔術師か。
 浮遊する複数の島。
 木が一本だけ生えている島もあれば、池があったり草原となっていたり。
 世界各地にある島々を具現化して、空のキャンバスを彩っているようだ。
 これを一人の魔術師が具現化しているなんて、体験している俺でも信じがたい。

「なっ……なんて膨大な魔力なんだ」

 魔力量には自信があったけど、俺なんか足元にも及ばない。
 大自然を相手にしているような壮大さと、包み込むような包容力を感じる。
 ごくりと息を飲み、師匠をじっと見つめて思う。
 これだけの魔力を正確にコントロールしていて、本人はいっさい疲労を感じさせない。
 余裕そうに微笑んでいる。

「さてと、ステージは整ったことだし、始めようか?」
「何をするんです?」
「戦うんだよ。僕と君が」
「……え?」
「あれ? 聞こえなかったかな~ これから僕と本気で戦ってもらうから」
「い……いやいやいや! ちょっと待ってください!」

 俺と師匠が本気で戦う?
 そんなの絶対無理だ。
 これだけの力を見せつけられて、戦いになるレベルじゃないぞ。

「冗談ではないよ。手っ取り早く君の実力を見るには、戦うのが一番なんだ」
「戦うと言っても……今の俺が使えるのは……」
「雷属性一種だろう? わかっているから来なさい。まぁもって一秒耐えられたら上々かな?」

 そう言われて、ムッとする。
 いくら何でも舐めすぎだと思った。
 その苛立ちが表情に出てしまったらしく、師匠はニヤリと笑う。

「うん、良い顔になったね」
「……戦えばいいんですね?」
「ああ、じゃあ始めるよ? よーい……」

 こうなったら全力で戦ってやるぞ。
 もしかしたら、この戦いで何か掴めるかもしれない。
 世界最高の魔術師、その実力を体感できるなら、願ったり叶ったりじゃないか。

「――ドン!」

 と、粋がって挑んだものの……

「……」
「いやー、驚いたね~ まさか三秒も耐えるなんて」

 草原に大の字で横たわる俺は、まっすぐ空を見ている。
 その横に師匠がいて、朗らかに笑いながら腰を下ろした。

 嘘だろ?
 あり得ない。
 俺は一体……何をされたんだ?
 まったく認識できなかった。
 俺は魔法を使えたのか、師匠も使ったのかすらわからない。
 見えたのは一瞬だけ。
 とてつもなく速くて、重くて、鋭くて、白い何か。
 その何かが視界を覆って、俺の全てをかき消してしまった。

「どうだった?」
「……何もわかりませんでした」
「そうかそうか。まっ、最初だから仕方がないけど、君はやっぱり優秀だ」

 どこが?
 疑問に思ったことの答えを、師匠はすぐに口に出す。

「一秒以上耐えたこともそうだが、何より君は意識がある。さっきのを受けて意識を保っていられるのは、相当な魔術センスを持つ者だけさ」
「そう……なんですか?」
「うん。今のは最終確認でもあったんだ。僕の見立てに間違いはないのか。まぁ基本的に僕が間違えるとかありえないんだけどね。文句なしに合格だよ」

 師匠は立ち上がり、俺に手を伸ばした。
 その手を握ると、ぐっと力強く引っ張り上げらえる。

「君のセンスがあれば、これまで誰も到達できなかった術師の極致へ行けるかもしれない」
「本当ですか?」
「僕は間違えない。君が信じてくれるなら、その通りになると約束しよう」
「信じます! 師匠」
「う~ん、いいねその師匠って響き。ずっと弟子が欲しかったんだ~」

 師匠と俺は向かい合う。
 俺が見上げて、師匠が見下ろす。
 こうして、俺の修行の日々はスタートした。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「さーて、今日は痛い修行内容だぞ~」
「痛い?」

 不穏なワードが師匠の口から飛び出す。
 場所は師匠の作り出した空間。
 浮遊する島の一つで、距離をとって向かい合っている。

「君はこれから雷属性の魔術を極めなくてはならない。それ以外の選択肢は残されていない」
「はい」
「新しい術式を生み出すって作業をしてもらうけど、その前に大前提として力に慣れるという工程が大事なんだ」
「慣れるですか? つまりどんどん使えと?」
「いいや」

 師匠は大げさに首を横に振る。
 続けて師匠は、惜しみないほど満面の笑みで、とんでもないことを口にする。

「今から君には、僕の雷撃を受け続けてもらうから」
「……は、はい?」
「もぉ~ 君はそうやって肝心なことを聞き返すね。言っておくけど聞き間違いじゃないよ」
「い、いや……だとしたら無茶ですよ。師匠の雷撃なんて受けたら最悪し――」
「だーい丈夫! 君は落雷にも耐えられたようだし、魔力による強化はオーケーだからさ」

 そ、そういう問題ではない気が……

「じゃあいっくぞ~」

 師匠の身体から雷撃がビリビリ起こっている。
 この時点で察した。
 冗談ではなく、師匠は本気なのだと。

「レッツびりびり~」
「ぎゃああああああああああああああああああ」

 俺はこの日、生まれて初めて発狂した。
 師匠の修行はスパルタで、休む暇も甘えも許されない。
 やれと言ったらやる。
 師匠が無理じゃないと言えば、どれだけ無茶でも完遂できる。
 とにかく信じろ、諦めるなの根性論。
 正直かなりしんどくて、何度も意識が飛びそうになった。

「はーい寝ない! まだ半分だぞ~」
「は、はい!」

 魔術における基礎的な部分はマスターしている。
 これから必要になるのは基礎の応用。
 新たな術式開発に必要なノウハウをたたき込まれ、それと並行して実践訓練も行われた。

「冒険者ですか?」
「うん。手っ取り早く実戦経験を積むなら、冒険者になって依頼を受ける方が良い。僕も偽名でこっそり登録してるんだよ」
「そ、そうだったんですね」

 それは言っても大丈夫なことなのか?

「ちなみにもう登録だけは済ませておいたから」
「えっ!」

 師匠は一枚の用紙を見せてくれた。
 冒険者登録証と書かれ、左上には冒険者カードと書かれたものがくっつけてある。

「名前とか住所は適当に書いておいたから、君だってバレると困るだろう?」
「ありがとうござい……ます?」

 登録者名:リンリン

「何ですかリンリンって!」
「可愛いだろ?」
「おかしいでしょ! 偽名にしたってもっと他の名前があったんじゃないですか!」
「えーいいじゃないかリンリン。響きは最高に良いでしょ」
「いやいや、女の子の名前みたいじゃないですか」
「ちなみにこれ一度登録すると変更できないから」

 尚更何してくれてるんですか!
 薄々感じてはいたけど、師匠は適当過ぎる。
 というか、軽薄で何を考えているのかわからない。
 掴みどころのない人、という表現は、まさに師匠にためにあるような言葉だ。

「あ、そうそう! バレないようにこれつけてね」
「仮面……ですか?」

 師匠が手渡してきたのは、白い仮面だった。
 赤い目が二つ、耳みたいなトンガリが二つある。
 というかこれ……

「ウサギのお面じゃ……」
「正解! 道具屋で可愛かったから買って加工したんだ。これを付けて!」

 師匠がむりやり俺の顔に仮面をつける。
 目の部分は赤いけど、仮面を通して見ても視界は赤くならない。
 ちょっと息苦しいくらいか。
 さらに師匠は懐のカバンから赤い服を取り出す。

「この赤いフード付きローブを着れば~ はい完成!」

 ベベーン、と変な効果音が流れたような気がする。
 師匠は小さな鏡を取り出し、俺にも見えるように顔の前へ出す。

「どうだい? これで完璧に誰かわからないだろ?」
「……そうですね」

 わからないですよ。
 どういう趣味趣向の持ち主なのかも……

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 師匠のスパルタ修行は続く。
 それは魔術に関すること以外もだった。

「剣術?」
「そうだよ。剣だけじゃなくて、弓と槍も習得してもらうから」
「……はい」
「おやおや、なぜ魔術師が剣なんて覚えないといけないんだ? って顔をしているね」

 見事に言い当てられてギクッとする。
 師匠が口にした通り、俺はまさにそう思っていた。
 優れた魔術師であるほど、それに特化しているべきではないのかと。

「わかってないな~ 優れた魔術師である者こそ、様々な技術や分野に精通している者なのさ」
「そういうものですか?」
「うん。魔術、薬学、医学……色々な分野があるけど、一つの分野に固執していては新しい物は生まれない。魔術の勉強だけしていれば良いと思っていたら大間違いさ」

 そう言いながら、師匠はどこからともなく剣を取り出し地面に突き刺す。
 
「さぁ始めようか。言っておくけど、僕はその辺の騎士より強いからね」
「よ、よろしくお願いします」

 結論、言葉通り強かった。
 本当にこの人は魔術師なのか?
 と疑問すら浮かぶほどの剣技に驚かされ、転ばされ泣かされ……踏んだり蹴ったりだ。
 それでも俺は、強くなるために必死だった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 修行開始から一か月。
 少しずつ慣れ始めてきた日常の合間で、師匠が俺に問う。

「動機ですか?」
「そうだよ。魔術師にとって、ではなくすべての人において、努力するためには理由がいる。君は何のために強さを求める? 何のために聖域者を目指す?」
「それは……」

 言われてみればどうしてだろう?
 あまり深く考えたことはなかったな。

「考えがまとまっていないのなら、口に出してみるといいよ」
「はい……えっと、たぶん最初は父上や母上に言われたから、だと思います」
「うんうん、よくある話だね」

 これまでを振り返る。
 あの日、雷に打たれてしまった瞬間までの自分は、二人の期待に応えたい一心だった。
 父上と母上は俺を大切にしてくれて、褒められるのが嬉しかったんだ。
 でも……

「二人がほしかったのは俺じゃなくて、俺の才能だけだったんです。それが……雷に打たれてわかりました」

 当初はひどく落ち込んだ。
 今となっては目が覚めた気分だけど、師匠と出会わなかったら、自殺も考えていたかもしれない。
 そして、冷静になった今だから思えること。
 胸の内に残る感情の名前を、ようやく口にすることが出来る。

「……腹が立ちます。自分を見ていなかった二人に……簡単に切り捨てて、俺は息子なのに」

 理不尽な怒りかもしれない。
 自分のことを棚上げして、よく言うと思われても仕方がない。
 だけど、腹が立ってしまったんだ。
 俺を一人にして、この何もない広いだけの屋敷に追いやったことが。

「俺は……あの人たちを見返したい。聖域者になって、俺が誰よりも優れているということを証明したいです。不誠実でしょうか?」
「いいや、実に真っすぐで良いと思うよ」
「ありがとう……ございます」
「じゃあ君は、聖域者になって二人と元通りになりたいのかな?」
「それは……たぶん違います。一度でも見捨てられたら、もうあの人たちを信じられない。もし友好的に戻っても、俺が素直に笑えないので」

 たとえ両親だとしても、捨てられたも同然なんだ。
 今さら元通りにしたいなんて思わない。

「そうか……うん、自分のことをよくわかっている。自分を見つめるということは、強くなる上で大切なことだ。これからもよく考え、見つめ続けるように」
「……はい」
 修行開始から一年。
 たったの一年が、俺には何十年分くらい濃く感じられた。
 毎日続く師匠の扱きに耐え、俺も着実に成長していると実感する。

「ふむふむ、魔力量は一年前の三倍かな? コントロールも格段に向上しているね」
「ありがとうございます。術式の方はまだまだ途中ですけどね」
「まぁ仕方がないさ。君が取り掛かっている術式は、これまで作られてきた術式とは毛色が違う。僕でも最初は思いつかなかったことだからね」

 俺の開発途中の術式。
 まだ名前すら決めていないけど、完成すれば唯一無二の武器になる。
 師匠にも協力してもらって、何とか達成率は半分といったところか。

「さてさて、君もだいぶ成長したことだし、そろそろ僕も自分の仕事をしようかな」
「えっ、それってどういうことですか?」
「う~ん、基礎に応用それ以外。色々と教えてきたけど、もう僕が君に教えることはあんまりないんだよ。だから、僕との修行は一旦終わりにしようと思ってね」
「そ、そんな! 俺はまだ師匠から学びたいことが――」

 焦って声をあげる俺の口を、優しく人差し指で止める。
 師匠はニコリと微笑んで言う。

「今の君なら一人でも先へ進める。僕が教えたことを忘れさえしなければ……ね」
「……忘れませんよ。師匠に教わった何一つ、取りこぼさないように頭へたたき込んだんですから」
「はっはっはっ、それは嬉しいね。だったら尚更大丈夫だ」

 師匠は安心したようにほっと息をもらす。
 こういう時の師匠は切なげで、どこか別のものを見ているように感じる。

「それにこの一年で、僕への依頼がたーんまり溜まっているんだよ。全部すっぽかしていたからね」
「えぇ……そうだったんですか?」
「うん、面倒だったし」

 俺のためじゃないんだ……
 ちょっとガッカリしたな。

「さすがに誤魔化せない量になってね。一度ぜーんぶ終わらせてこようと思うんだ」
「どれくらいかかるんですか?」
「さぁ? 最低でも二、三年はかかると思うよ」
「そんなに……」

 三年も一人で修行しなくちゃいけないのか。
 この広いだけで何もない屋敷で……
 不安が身を包みそうになった俺の頭に、師匠はポンと手を乗せる。

「大丈夫。君はもう一人ではない。離れていても、僕が師匠であることは揺るがぬ事実だ」
「師匠……」
「君はまだ子供だ。寂しさもあるのはわかっている。でも、子供であると同時に、君は魔術師でもあるんだ」

 師匠の瞳が力強く、俺を見つめて言う。

「魔術師ならば、己の目的に一番近い道を進みなさい。とことんどん欲に、効率よく進んでいく。早く追いついてくれると、僕も嬉しい」
「……はい!」

 このとき俺は、師匠が俺を弟子にしてくれた本当の理由に触れた気がした。
 俺が力強く返事をすると、師匠は微笑んで手を離した。

「まぁでも、旅立つ前に試験だけは受けてもらうからね?」
「試験?」
「そうさ。この一年間で君がどれだけ成長したのか。雰囲気ではなく形で証明してもらおう」

 師匠は悪戯をしかける子供のような笑顔を見せる。
 この笑顔をするときは大抵、何か相当きつい内容をふっかけてくる時だ。
 俺は覚悟して、ごくりと息を飲む。
 
「着いてきなさい」

 師匠に連れられ移動した先は、王都からも百キロ以上離れた山脈のふもとだった。
 転移魔術を使ってひとっ飛びとは言え、この距離の移動は初めてだ。
 
「師匠、ここは?」
「グレートバレー山脈だよ。君も名前くらい聞いたことあるんじゃないかな?」
「グレートバレー……確か王国最大級の山々が連なる山脈で」
「そして!」

 何かが空を舞った。
 黒くて大きい翼を広げ、空を覆い隠す。
 獰猛な牙を見せ、鋭い眼光で睨まれれば、怯んで足が震える。
 圧倒的な存在感と強さは、全生物上の頂点の一つに君臨する。

 その名は――

「ドラゴン!?」

 黒き竜が吠える。
 思い出したが、この山脈はドラゴンが生息する一級危険区域だ。
 普通なら絶対に近寄らない。

「最終、いや中間試験かな? このドラゴンを一人で倒しなさい」
「ちょっ、正気ですか師匠!」
「もちろん! 僕が無茶ぶりで嘘を言ったことがあったかい?」

 ないですよ。
 だから焦っているんじゃないですか。

「さぁ、この程度の相手に勝てないようじゃ、聖域者にはなれないよ」
「くっ……」

 吠えただけで空気が軋む。
 呼吸も普段より荒っぽくなって、簡単に息切れを起こしそうだ。
 数十メートルを超える巨大さ。
 そもそも飛行しているから、地上で戦うことは圧倒的に不利。
 でも、師匠がやれといえばやる。
 倒せるというのなら、それに間違いはない。

「やってやる!」

 俺は全身に雷を纏う。
 まだまだ試作段階の術式は使えない。
 既存の術式でどこまでやれるか。
 
 拳を握り、思いっきり前を殴る。
 その衝撃と一緒に雷撃を飛ばし、ドラゴンを攻撃した。

「うん、いいね! 無詠唱かつ術式展開も省略できている。でも残念ながら、その程度じゃ倒せない」

 ドラゴンは怒り、尻尾を高速で打ち付けてくる。
 雷を纏った俺は横に跳び避け、続けて雷撃を放っていく。
 悲鳴のような叫び声をあげるドラゴン。
 ダメージはあると考えていいのだろうか。

「いや! これじゃダメだ!」

 文献で読んだドラゴンの記述。
 それによると、ドラゴンの鱗は鋼鉄の何倍も硬く、熱や電撃も通しにくい。
 ダメージは大してないと考えるべきだ。
 おそらく俺の魔術だけでは、大ダメージは与えられない。
 加えて――

「気を付けなさい! ブレスだよ」

 師匠の声が聞こえた。
 その直後、ドラゴンは大きく口を開けて炎を吐き出す。
 
「っ……なんて広範囲なんだ」

 消耗すればこちらが不利。
 いずれ俺の動きも捉えられて、燃やされる未来が予想できる。
 そうなる前に倒すなら、方法は一つ。

「やるしかないか」

 俺は距離をとり、右腕を天に掲げる。
 ドラゴンには俺の雷撃を何発か食らわせた。
 しばらく電撃の痕が残る。
 それを目印にして、大自然の力を使おう。

「雷魔術の中で最大の威力――これでも食らえ!」

 集まった雷雨。
 ゴロゴロと鳴り響くそれを、魔術の力で制御する。
 自分の力で足りないのなら、自然の雷撃をお見舞いするまで。

「雷魔術奥義――天雷(てんらい)

 雷一閃。
 ドラゴンの頭上に雷撃が降り注ぐ。
 悲鳴を上げるドラゴン。
 いかに高度な鱗と言えど、天然の雷撃に俺の魔力を上乗せした一撃なら、鱗を超えて内部へダメージを与えられる。

「はぁ……はぁ……」
「うん、お見事! さすが僕の弟子だね」
「本当に行くんですね」
「そう話しただろう?」
「はい……」

 ドラゴンを討伐した翌日。
 師匠は荷物をまとめて屋敷を出て行くところだ。
 寂しいけど、師匠には師匠の仕事がある。
 それに師匠は、俺のことを信じてくれている。

「師匠……俺、頑張りますから」
「うん。魔術学校の入学試験までにはもどるよ。その時が最終試験だと思って覚悟しておいてね」
「はい!」
「良い返事だ。これを渡しておこう」

 師匠は丸くて赤い宝石のついたイヤリングを一つ渡してきた。

「これは?」
「僕を呼び出す魔道具だよ。本当にピンチのときはこれを使いなさい」
「わかりました」

 イヤリングをぐっと握りしめ、俺は出来るだけ笑顔で堂々とした態度を見せる。

「ねぇリンテンス。僕がどうして君を弟子にしたのかわかるかい?」
「え? それは確か……面白そうだったから?」

 師匠と出会った日に、彼はそう言って俺を弟子にしてくれた。
 俺が答えると、師匠は笑いながら当時のことを思い返す。

「はっはははは、そうだったね。確かにそう言った。でも、あの言葉に意味なんかない。テキトーに言った言葉だからね」
「じゃあ……何で?」

 笑っていた師匠は落ち着いて、改まったように俺を見つめる。

「僕はね? こんなんだけど凄く強いんだ。世界で一番強いかもしれない」
「はい。知ってます」
「はははっ、そうだね。大抵のことは一人で出来たしまう。だからこそ、僕はずっと一人だ。今まではそれでよかった。だけど……この先に待っている未来では、僕一人じゃ駄目なんだ」
「師匠?」
「僕はね? 自分と同じ場所に立って、一緒に戦ってくれる仲間がほしかったんだよ。そして君なら、そうなれると思ったんだ」

 師匠の話は所々抽象的で、何かを悟っているようにも思えた。
 だけど、俺はそんなことどうでも良くて……

「では行くよ。また会おう」
「はい! 次は師匠を驚かせてみせます!」

 俺がそう言うと、師匠は清々しい笑顔で――

「期待しているよ」

 と言い、ふわっと風に舞う花弁のように消えていった。
 二、三年か。
 これから一人で過ごす時間は長いけど、孤独なんて思わない。
 師匠が帰って来た時、ガッカリさせないように頑張ろう。
 
 この時、俺は今さら気づく。
 いつしか聖域者を目指す動機の一つに、師匠の期待に応えたいという想いが加わっていたことを。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 王都郊外にある平たい木造建築。
 荒っぽい雰囲気の男たちが行き交う道と、看板に大きく書かれたギルド会館と言う文字。
 ここは冒険者たちが集う場所。
 依頼を受けたり、情報交換をするために用意された建物だ。
 
 カランカラン――

 扉を開けるとベルが鳴って、中の人たちの視線が向く。
 受付カウンターへ向かう途中にも、ジロジロみられていた。

「依頼完了しました」
「お疲れ様です! 確認いたしますので、そのままお待ちください」

 受付前で待つ間も、周囲ではヒソヒソ話が聞こえてくる。

「おい見ろよ」
「ん? あの仮面の奴がどうかしたか?」
「あいつだよ! ドラゴンの群れを一人で撃退したっていう冒険者」
「えっ、そうなの? じゃああれが噂の……【七色の雷術師】か」

 二人の男冒険者がごくりと息を飲む。
 他の冒険者たちも、こぞって同じ話題を繰り返していた。

「すげぇよな~ 一人でドラゴンだぜ?」
「ああ。体格じゃ強そうに見えないのにな」
「だよな。というか、あのへんな仮面は何なんだ?」
「さぁ? 男なのにリンリンって名前も変だし、二つ名と全然合ってないし」

 全員が口を揃えて言う。

「「「色々と変だな」」」

 ほら、思った通りじゃないですか師匠!
 貴方が変な偽名と格好にするから、周りからずっと変な目で見られてるんですよ?
 俺は羞恥に耐えられず、依頼の報酬だけ受け取ったら、そそくさとギルド会館を後にした。
 バレないようにひっそり路地に隠れて、仮面とローブを脱ぎ捨てる。

「ふぅ……辛い」

 師匠が去って三年と半年。
 俺も今年で十五になり、世の中で言う成人を迎えた。
 日々の修行も習慣化していて、実践訓練のために冒険者としての活動も続けている。
 それにしても、あれ以来師匠からの連絡は一切ない。
 どこで何をしているのかもわからない。
 もうそろそろ入学試験だというのに、帰ってくる気配もないんだが……

「まさか忘れてないよな」

 屋敷に戻ってから荷物を下ろしてベッドに寝転がる。
 音沙汰なしと言えば、俺の両親もここ数年の間、一度も会いにこなかった。
 俺から会いに行くこともないし、四年以上あっていないな。
 それで寂しいとかは感じない。
 むしろバネにして、この野郎という気持ちで頑張れた。
 師匠ならきっと、不誠実とは言わないはずだ。

「師匠……どっかでサボってたりして」
「失敬だな~ 君は師匠を何だと思っているんだい?」

 不意に声が聞こえた。
 心臓の鼓動が高鳴り、勢いよく振り向く。
 部屋の窓を見ると、そこに彼はいた。
 ずっと会いたいと思っていた人が、ようやく戻ってきてくれた。

「久しぶりだね、リンテンス。背も大きくなって、見違えたんじゃないか?」
「お帰りなさい……師匠!」

 師匠の見た目は変わらない。
 たった三年半じゃ、変化には感じられないのか。
 懐かしさで涙がこみ上げてきそうになる。

「さっそくだけど、君がどれだけ成長したか見せてもらえるかな?」
「いきなりですね」
「はははっ、最初からそのつもりだったからね」

 パチンと師匠は指を鳴らす。
 懐かしき天空の世界へ降り立ち、俺たちは向かい合う。

「最初は三秒だったね」
「はい」
「じゃあ今度は十分くらいもつかな?」
「余裕ですよ」
「言うようになったね~ じゃあ見せてもらおうかな? 成長したのは見た目だけじゃないってこと」

 師匠が杖を、俺は拳を構える。
 そういえばあの時、師匠は杖すら持っていなかったな。
 たぶん四年半前より強いはずだ。
 でも、俺だって以前とは違うぞ。

「行きますよ――師匠!」
「ああ、来なさい」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 激化する戦い。
 崩れ落ち、震えあがり、嘆き憂う。
 いくつもあった浮遊島が綺麗に消え、残された一つに横たわる。

「はぁ……どうですか?」
「うん、いいね」

 寝ているのは俺だが、その隣に師匠もいる。
 お互いボロボロになって、笑いながら師匠が言う。

「今の君なら、僕以外に負けることはありえないかな?」
「当然……ですよ。何たって師匠の弟子なんですから」
「そうか。文句なしの合格だ!」

 苦節四年半。
 師匠の元で修行し、一人になって続けた末。
 俺はようやく、師匠に認められるくらい強くなれたみたいだ。
 涙が出そうになるけど、俺はそれを我慢する。
 だってこれは、ただのスタートラインでしかないのだから。

「一週間後に入学試験だったかな?」
「はい!」
「今の君なら、頑張れという言葉も不要な気もするが……敢えて言わせてもらおう」
 
 師匠が先に起き上がり、俺と向かい合うように立つ。
 伸ばされた手を掴み、俺も立ち上がってから――

「頑張れ!」
「頑張ります!」

 いわゆるプロローグだ。
 ここから始まる物語で、俺は聖域者への階段を駆け上がる。
 全てを失った所から、今度は全てを手に入れるんだ。
 サンドラン王国。
 総人口二億二千万人を誇る世界最大の人類国家であり、魔術大国とも呼ばれている。
 王都レムナンには、優秀な魔術師を育てるために用意された教育機関がある。
 その名も、サルマーニュ魔術学校。
 毎年入学の半年前になると、入学試験が執り行われる。
 受験者は二千を優に超えるが、合格できるのは百五十人だけ。
 魔術師の名門から平民まで、その年で十五歳となる全ての国民に受験資格があり、家柄も関係なく審査される。
 純粋に優秀な魔術師のみを選出するための試験だ。

 そして、聖域者となるには、アルマーニュ魔術学校を首席で卒業しなくてはならない。
 在学中の三年間で実績を残し、首席となった者だけが、神への挑戦権を得られる。
 挑戦権を得られるのは一年に一人だけ。
 神おろしと呼ばれるそれは、特別かつ大掛かりな儀式のため、一年に一度しか行いえないからだ。

 チャンスは人生で一度。
 故に多くの魔術師が、たった一つの席をかけてしのぎを削る。
 当然、神へ挑戦し結果を残さなければ聖域者にはなれないが、まず大前提として権利を得られないと話にならない。

「まずは入学試験を突破しないとね。まぁ君の実力なら問題ないと思うけどさ」
「師匠が言うなら間違いないですね」
「そうだとも。ただ十分に気を付けたまえよ。あそこは魔術学校独自の法で管理されているとは言え、このサンドラン王国の一部ではある」
「どういう意味です?」
「家柄を重視する傾向が色濃いということさ。君もエメロード家の一人なら、そういう場面に出くわしたことがあるんじゃないかな?」

 屋敷で夕食をとりながら、師匠との話に耳を傾ける。
 俺はフォークで刺した肉を口の手前で止めて、一旦下ろして思い出す。
 魔術大国であるこの国では、優秀な魔術師こそが財産。
 故に元々は貴族でなくとも、功績によっては国から貴族の位が与えられることが多い。
 エメロード家は最初から貴族の家系だが、魔術師家系の名門と呼ばれる家柄の中には、そうやって功績を残して成り上がった者たちがいる。
 そして……

「逆に成り下がった家もある。実績が残らなければ認められない。貴族の位をはく奪された家もチラホラあって、そういう所はひどく惨めな思いをするよ」
「……はい。知っています」

 俺も何度か見せられた。
 父上が焦っていたのは、エメロード家の実績に関わることだ。
 長年名門として振舞ってきた俺たち一族も、ここ数十年ではロクな成果をあげていない。
 直接聞いたわけじゃないけど、そろそろ危ないと警告されていたのかもしれない。
 しかしまぁ、今の俺には関係のない話だ。
 魔術学校入学が叶った時点で、俺はエメロード家との関係を解消される。
 俺が魔術学校入学を希望していることを手紙で伝えたら、そういう旨が書かれた手紙が帰って来た。
 もし合格したら費用は出す。
 ただし、合格しなかったとしても、エメロード家との関係は解消する。
 という感じで、もうじき無印のリンテンスに変身するわけだ。
 ちなみにこの屋敷はくれるらしい。
 元々使っていないボロ屋敷だから、なくなっても痛くないのだろう。

「この屋敷が使えるのは僕も助かるな~ こうして寛げるのってここくらいだからね」
「だからってさぼりの隠れ家にしないでくださいよ」
「おっと手厳しいな僕の弟子は」
「というか今さらですけど、父上には話してないんですね。ここで俺に修行をつけてくれていたこと」
「うん。別に言う必要はないだろう?」

 確かにそうだなと納得する。
 逆にそれで変に意識されても困るしな。
 そうして夜は過ぎ、時間はあっという間に流れる。

 入学試験当日の朝。
 まだ太陽が昇りかけてすらいない時間だ。

「もう出発するのかい?」
「はい。ちょっと身体を動かしたいので、森に寄ろうかなって思ってます」
「なるほどなるほど、準備運動は大切だね。それなら僕が相手をしようか?」
「師匠が相手だと、準備運動にならないでしょ」

 いつでも本気で戦ってくる人だからな。
 最悪試験前に潰れてしまう。

「はっはっはっ、それもそうか。では行ってくるといい。そして、僕の弟子として盛大に目立ってきなさい」
「はい! 行ってきます師匠」

 俺は師匠に手を振って、屋敷を出発した。
 魔術学校は王都の中心部に近い場所にある。
 ほとんど王城の目の前で、ここからは距離が離れているが、時間的余裕はかなりある。
 俺は魔術学校とは反対側へ進み、郊外の森へと入る。
 よく訓練で使っていた森で、所々に訓練の激しさを物語る痕が残っていた。

「さてと、軽く動くか」

 試験前だし、本当の本当に軽めでいこう。
 まずは魔力を生成し循環させる。
 普段からやっている魔術の基礎を反復。
 右胸を起点に、全身へと魔力を巡らせていく。
 さらにその速度を加速させることで、肉体を強化し、身体能力を底上げする。
 これが強化魔術だ。
 強化魔術は、あらゆる魔術の基礎であり、術式を介さないもっとも原始的な魔術。
 そもそも魔術と呼んでいいのか微妙な立ち位置だが、師匠曰くどっちでもとれるから問題ないとか。

「うん、良い感じ」

 左右へ飛び回り、木々を避けて走り抜ける。
 身体がちゃんと自分の身体らしく動く。
 脚の先から頭のてっぺんまで、自分の指示に応えてくれる感じだ。
 調子はすこぶる良い。
 と、思っていた俺の耳に、ガサガサと別の音が聞こえる。

「ん? 誰かい――」
「あ、危ない!」

 ゴチン!
 おでこ同士がぶつかった衝撃で、俺は後ろに倒れ込む。

 何だ何だ?
 一瞬だけ誰か見えた気が……
 
 太陽が昇って来たといっても、まだ下の方で森は暗い。
 ちゃんとは見えなかった。
 俺はおでこを押さえながら、身体を起こす。

「ってて、ん?」
「うぅ……痛い」

 そこには女の子がいた。
 俺と同じように額を押さえている。
 いや、注目すべきはそこじゃなくて、本来ないものがついていること。

「尻尾と……耳?」