夢幻結界。
 師匠がもつ権能をベースに、特殊な術式を組み込んで生成した空間。
 その中に入った者は、己の起源を基にした自分自身と戦うことになる。
 一度始めると、決着がつくまで出られない。
 外と中との時間にはずれがあり、空間内での一日は、現実世界での三時間に相当する。
 また、中に入っている間は睡眠や食事を必要としない。

「説明は以上だ。そろそろ始めるよ」
「はい」

 師匠は杖を両手で握り、地面をコンコンと二回たたく。
 すると、水面に広がる波紋のように、白い光が周囲へ広がっていく。
 闘技場の範囲の手前で止まり、綺麗な正円を描いている。

「準備はこれでよし。あとは僕が領域内から出れば、その瞬間から修行スタートだ」
「わかりました」

 俺がそう言うと、師匠は頷いて円の外へと歩いていく。

「悪魔の侵攻まで時間がない。なるべく早めに終わらせて戻ってくることを期待するよ」
「はい。頑張ります」
「うん。じゃあ――」

 三、二、一歩。
 師匠の足が円から離れた。
 その瞬間、円を囲っていた白い線が光を放ち、ドーム状にぐるっと覆う。
 最後に見えた師匠の口が、頑張れと言っていた。

 真っ白な空間。
 自分以外には何もない。
 ただ白くて、果てしなくて、どこが前か後ろなのかもわからなくなりそうだ。
 以前から修行で使っている空間は、大空の上にいくつもの島が浮かんでいた。
 あそこも異質だったけど、今回はもっとだ。
 確かに違う。

「ん?」

 胸がざわつき、視線を下げる。
 すると、起源があるという右胸が淡く光を放っていた。
 その光は胸から溢れて、まっすぐ前を照らす。
 光は壁のような何かにぶつかって広がり、黒く染まっていく。
 人……いや、俺だ。
 黒く染まったそれは、まるで俺の影のように形を成していく。
 そうして出来上がった黒い人が、未来の自分であると――

「っ!?」

 気付くのに時間はかからなかった。
 
 刹那、黒人影が視界から消えた。
 次に見つけた時、黒い影は自分の目の前にいて、左手が俺の身体に触れていた。
 放たれる赤い稲妻。
 俺は既の所で蒼雷を発動させ、辛うじて回避する。

「ぐっ……」

 すでに触れられていたし、完全には躱せなかった。
 左脇腹からタラタラと血が流れる。
 致命傷ではないが、肌と肉を一部抉られてしまったようだ。
 このまま放置すると出血死する危険性がある。
 俺は傷口を押さえるように触れる。

橙雷(とうらい)

 オレンジ色の雷が、傷口にびりっと走る。
 色源雷術橙雷は、俺がもつ唯一の回復手段だ。
 細胞を強制的に活性化させ、自己治癒能力を向上させる。
 外傷であればすぐに治るが、その代償として負った傷の倍以上の痛みを感じる。

「っ……今のは……」

 あれが使ったのは赤雷だった。
 威力も攻撃範囲も桁違いだぞ。
 ほんの僅かでも対応が遅れていたら、今の一撃だけで死んでいた。
 これからはもっと集中して……

「何だ?」

 黒い影が右腕を上にあげている。
 視線の誘導、ではない。
 術式の発動を告げるモーションだと気づき、素早く上を向く。

「藍雷か!」

 天井に生成された無数の剣にぞっとする。
 その数はもはや数えることすら馬鹿だと思えるほど。
 黒い影が挙げた右腕をおろす。
 空中に留まっていた無数の剣が、雨のように降り注ぐ。

「赤雷!」

 俺は赤雷で迎撃を試みた。
 通常であれば、貫通力で勝る赤雷で弾き飛ばせる。
 しかし、相手の藍雷は真に迫った未来の攻撃。
 今の俺が繰り出す赤雷を、いともたやすく凌駕して、剣の雨は無慈悲に襲い掛かる。

「くっそ……」

 降り注ぐ雨は留まらない。
 俺は後方へ跳び避けようと試みる。
 それは油断ではなく、意識の隙間だ。
 逃げるようと重心が後ろへ傾いた瞬間をついて、黒影が懐に迫る。
 その右手には藍雷の一刀が握られていた。

「しまっ――」

 藍色の刃が俺の胸を斬り裂く。

「ぐふっ」

 蒼雷――反!

 青い稲妻を身体から放ち、黒い影を懐の外へ追いやる。
 二撃目を構えていたが、何とか一撃ですんだ。
 いや、これをすんだと捉えていいものか。
 
「はぁ……はぁ……強いなチクショウ」

 思わず笑えてくる。
 たった数十秒戦っただけでこの疲労感。
 正直に言えば、勝てるイメージが……全くわかなかった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 夢幻結界の発動後、誰も中へは立ち入れない。
 発動者であるアルフォースですら、出入りはもちろん、結界を解除することは出来ない。
 そういう契機をかすことで、奇跡に等しい現象を発生させているからだ。

「後は君次第だよ。リンテンス」

 故にアルフォースは見守ることしかできない。
 リンテンスが試練を乗り越えられるかどうかは、彼がもつ才能と努力にかかっている。
 
「さて、次の準備を始めようかな」

 リンテンスに関してはこれ以上何もできない。
 そこでアルフォースは、悪魔襲撃に備えた準備を始める。
 闘技場を出て向かったのは、グレンたちが待っているリンテンスの屋敷だった。

 ガチャリと扉を開け、リビングへ入る。
 三人の顔が一斉に向く。

「ただいまみんな。待たせてすまないね」
「アルフォース様! リンテンス君は?」
「心配いらないよシトネちゃん。彼ならちゃんと試練を乗り越える。僕たちはそれを信じていれば良い」
「そう……ですよね。信じます」

 言いたいことをぐっとこらえ、シトネは力強く返事をした。
 それを見てアルフォースはニコリと微笑み、うんうんと頷く。

 グレンが尋ねる。

「アルフォース様、僕たちに出来ることはないのですか?」

 リンテンスが大変な修行をしている。
 そんな中で、何もせずにただ待っているだけなんて嫌だ。
 と、グレンは考えていた。

 アルフォースが答える。