地に落ちた黒きドラゴン。
 空から地上を見下ろし、そのまま視線をあげる。
 広がっているのは雲一つない青空だ。
 ただ、一時的に暗闇が襲ったことを思い出し、眉間にしわを寄せる。

「さっきのあれは一体……」

 おそらく転移系の魔術だろう。
 しかし、あんな術式は見たことがない。
 少なくとも、俺が知っている転移系術式には当てはまらない。
 そもそも、ブラックドラゴンを送り込んできた時点で……

「あれを手懐けていたというのか?」

 その後、言わずもがな研修は中断された。
 ドラゴンが出現してしまったのだから仕方がない。
 明らかに人為的な犯行だったが、敵の正体も目的も不明。
 王国の魔術師団が調査に当たることとなった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 初めて耳にしたのは噂だった。
 単なる噂でしかないと、その時は深く聞かなかった。
 だけど、噂は知らせとなって、俺の耳にも入ってくる。

 聖域者の一人が死亡した。
 もう一人は重傷を負い、現在意識不明の状態。
 
 俺はその情報を、魔術学校の教室で聞いた。

「聖域者が?」
「嘘だろ……一体何があったんだ?」

 ざわつくクラスメイトたち。
 シトネも不安そうな表情で、俺に目を向けてくる。

 ことの発端は十日ほど前。
 大陸の東西両端にて、モンスターの大侵攻が起こった。
 魔術師団が現場に急行したが、その後に連絡が途絶えてしまう。
 緊急事態と考えた王国は、それぞれに聖域者を派遣、この対処にあたった。
 聖域者は王国の最大戦力であり、最高の魔術師の称号。
 彼らを派遣した時点で、この問題は解決したと思われていた。

 しかし、最悪の事態となる。
 モンスターの侵攻こそ止まったが、二人の聖域者が犠牲となってしまった。
 噂と真実が混ざり合って、すでに王都中に広まっている。
 聖域者が敗れたのだ。
 それはつまり、聖域者をも凌駕する存在の証明。
 人々の不安は高まっている。

 王国を揺るがす緊急事態。
 昨日のドラゴン襲来と重なって、先生たちも大忙しの様子。
 その日の授業は午前中で終わり、午後は帰宅し待機するよう言い渡された。

 俺とシトネは屋敷へ帰ることにした。
 グレンとセリカも、今日は一緒に来てくれるという。
 二人とも、俺を心配してくれたのだろう。

「屋敷に戻らなくて良いのか?」
「ああ」
「そうか」

 屋敷に戻っても、暗い雰囲気が続く。
 帰り道でも噂を耳にして、どんよりとした気分だ。
 それを拭い去るように、俺は口にする。

「大丈夫だ。師匠は絶対に負けない」
「そ、そうだよね? アルフォース様が負けるなんてぜーったいないよ!」
「ああ。あの方は聖域者でも別格の強さをもっている。正式に誰がという発表がないだけで、アルフォース様ではないよ」
「私もそう思います。おそらく他の聖域者でしょう」

 俺の意見に合わせるように、三人が口に出して言った。
 
 そう、師匠は別格だ。
 あの人が負けるなんてありえない。
 俺の師匠だぞ?
 世界で一番強い人なんだ。
 絶対に大丈夫だと、俺は信じている。

 だけど、そう言い聞かせながら、俺の心には雲がかかっている。
 信じていながら、漠然とした不安は消えない。
 何より王国の対応も不可解だ。
 聖域者の訃報……それが事実なのはもはや間違いないとして、誰がという部分を発表していない。
 それが更なる不安をあおっている。
 
 そういえば、師匠は王国からの依頼で旅立ったのだった。
 時期は今回の話と一致している。

 もしかして……

 駄目だ。
 悪いことばかり想像してしまう。
 師匠を信じているのに、どうしても考えてしまう。
 未だ帰らない師匠の身に、何かが起こったのではないかと。
 俺が感じている不安はきっと、国民たちが抱いているものとは違うのだろう。
 どうか、どうか無事であってほしい。
 
「師匠……」
「おやおや、深刻そうな顔をしているね?」

 不意に、後ろから声をかけられる。
 一人ぼっちで訃報に暮れていたあの日のように、彼はふらっと現れた。
 変わらぬ笑顔を見て、思わず俺は――

「師匠!」

 そう叫んだ。
 瞳からは、涙があふれる寸前だったよ。

「アルフォース様!」
「ただいま、みんな揃っているようだね」

 何事もなかったかのように、師匠は自分の席に腰をおろした。
 よいしょとおじさんくさい一言をそえて。
 さっきまでの暗い雰囲気が、一瞬でいつも通りに引き戻されるようだ。

「師匠……無事だったんですね」
「うん。その様子だと、事情は一部分だけ伝わっているようだね」

 師匠はため息交じりに言う。

「まぁことが重大だし、仕方がないのだろうけどね。それにしても、まさか負けたのが僕だと思われていようとは……」
「ち、違いますよ! 師匠が負けるはずないじゃないですか!」
「う~ん? だってさっき落ち込んでたでしょ?」
「そ、それはそうですけど……」
「はっはっはっ! 冗談だよじょーだん。心配してくれていたのだろう? ありがとう、リンテンス」

 まったくこの人は、とあきれる。
 不安だった心は、もう忘れてしまっていた。
 師匠の声を聞いて、心にかかった雲が晴れたみたいだ。