【9/10コミカライズ】ナナイロ雷術師の英雄譚―すべてを失った俺、雷魔術を極めて最強へと至るー

 十五年前、リンテンス誕生。
 の、さらに二年前、最初の神童が生を受けた。

「凄いぞ。この子は時間魔術に適性があるようだ」
「ええ、奇跡だわ。きっと世界に選ばれた人間なのよ」

 両親は生まれてきた赤子に、アクトという名前をつけた。
 魔術師の名門に生まれた彼は、その名に恥じない才能を持っていた。
 数百年間生まれてこなかった時間魔術の適性持ちにして、それを操るセンスを併せ持つ逸材。
 神童だと言われるまで、時間はかからなかった。
 
 しかし、彼には欠点があった。
 それは魔力量だ。
 貴族の多くは、平民の倍以上の潜在魔力を有している。
 対して彼の場合は、一般人と同レベルの魔力量しか保有していなかった。
 ただ、両親や周囲もそこまで大きく問題にはしていなかったのだ。
 魔力量は修練によって増加する。
 無論限度はあるが、その欠点を差し引いても、時間魔術の適性だけでおつりがくると。

 が、そう簡単な話でもなかった。
 二年経っても、彼の魔力量はほとんど増えなかった。
 単に彼の魔力上昇が遅いのだ。
 これでは時間魔術の奥義に至るまで、十年以上の月日が必要になる。
 それ以前に他の強力な魔術すら、扱えても使いこなせない可能性が浮上する。
 両親の頭には漠然とした不安が過っていた。

 そこへ、新たな命が誕生する。
 リンテンスという更なる神童が、この世に生を受けたのだ。
 彼らは歓喜した。
 十一種と言う規格外の属性適性を持ち、貴族に相応しい潜在魔力を秘めた子供だ。
 期待は膨れ上がり、注目されるのも必然。
 そして同時に、もう一人の神童への期待は、徐々に薄れていく。

 そんなこととは知らず、二人の兄弟は成長していく。

「リンテンス、こっちだ!」
「おにーちゃんまってよー」

 アクト五歳、リンテンス三歳。
 二人は仲の良い兄弟だった。
 リンテンスは優しくて強い兄を慕っていたし、アクトも自分を慕ってくれる弟が大好きだった。
 もしも、普通の家に生まれていたのなら、ずっと仲の良い兄弟でいられたかもしれない。
 だが、二人が背負ってしまった宿命は、絆を簡単に踏みにじる。

「アクト、今日からお前には別荘で暮らしてもらう」
「え、なぜですか? 父上」

 彼らの父であるグイゴ・エメロードは、アクトが七歳にった頃にそう告げた。

「これから数年、リンテンスの教育に専念する。悪いがお前は一人で頑張ってくれ」

 それは冷たい言葉だった。
 視線も……親が子に向けるような目ではない。
 幼いながらアクトは悟った。
 父や母の期待は、すでに弟のリンテンスに全て移ってしまったのだと。
 自分はもう、用済みなのだということを。

 そうしてアクトは、一人で遠く離れた別荘へと居を移した。

「父上!」
「ん? 何だ?」
「兄さんはどこにいるのでしょうか?」
「ああ、今は修行のために外へ出ているんだ」
「修行ですか!」
「そうだとも!」

 父の言葉が嘘だとリンテンスが気付いたのは、彼自身が別荘に追いやられて後のことだった。
 それまでずっと、彼はこう思っていた。
 今もどこかで、兄は魔術を極める修行をしているのだと。
 日頃から努力する姿を見ていたリンテンスは、今までとは異なる意味で兄を尊敬していた。
 そして、自分も置いて行かれないように頑張らねばと張り切った。

 月日は流れ、運命の日に至る。
 激しい雷雨の中、一筋の雷が神童を貫いた。
 この日、全てはひっくり返る。
 
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「父上?」
「久しぶりだな、アクト」

 何の前触れもなく、アクトの元へ父が訪れた。
 別荘へ追いやって五年間、一度も顔を見せることがなかった父が、今さら何の用だと彼は思っただろう。

「今まですまなかったな。屋敷に戻ってきなさい」
「え……ど、どうしてでしょう?」
「お前の力が必要なのだ。私たちの……いや、エメロード家のために」

 アクトは後に、リンテンスの身に起こった悲劇を知る。
 まさに手のひら返し。
 一度は見捨てた子を、父は拾い上げようとしていた。
 嘘のように優しく微笑みかけ、温かい言葉を贈られる。

「さぁ、戻ろう」

 アクトはその手をとった。
 嬉しかったから――ではない。
 
 気持ち悪い。

 彼が最初に感じたのは、喜びとは程遠い感情だった。
 それは恐怖に近い。
 今日までの日々が真実で、目の前にあるものが嘘だと思える。
 彼の頭はグチャグチャになっていた。
 冷静に、落ち着いて考えて、一つだけ理解する。

 貴族の世界は……歪んでいる。

 彼は今まで以上に努力を重ねた。
 また、同じように見捨てられるかもしれないという恐怖にかられ、来る日も来る日も修行に明け暮れた。
 いなくなった弟のことすら考えられなくなるほど自分を追い込み、そうして彼は、再び名門貴族の名に恥じない魔術師へと成長した。
 今では誰もが彼を誉め称える。

 さすがはエメロード家の長男だ!
 聖域者にもっとも近いのは君だぞ。
 お前は私たちの誇りだ、アクト。

 だが、多くの人々が知らない。
 彼の心の奥底には、耐えがたい苦痛が刻まれていること。
 それに耐えて、耐えて、耐え続けて、今の彼がいるということを。
 彼がもつ心の強さを知っているのは、同じ苦しみを味わった者だけ。

 そう、リンテンスだけだ。
 激闘が続く。
 色とりどりの雷が走り、光となって戦場をかける。
 片や時を操り、変幻自在の魔術で攻め立てる。

 くそっ、やっぱり攻撃が当たらない。
 不意打ちも通じないし、赤雷と緑雷もパターンを見切られてきている。
 魔術の手数ではあちらが上。
 普段なら接近戦に持ち込みたいところだが、不用意に近づけば時の加速で追い打ちをかけられる。
 思うように攻めきれない。
 だけど、それは向こうも同じはずだ。

「よく避ける」

 兄さんは呆れたようにぼそりと呟く。
 絶え間なく降り注ぐ雷の嵐を躱しながらでは、初手のように大きく攻められない。
 つかず離れず、長期戦に持ち込めば、勝算は俺にあるだろう。
 兄さんは潜在魔力が少ないから、持久戦には弱い。
 長年の修行で魔力量も上がっているようだが、確実に俺のほうが多い。
 このまま戦えば勝つのは俺だ。

 しかし、兄さんが黙っているわけもない。

「ここまで追いすがるとは……良いだろう」

 兄さんは立ち止まり、結界障壁を展開する。
 この場面で守りに入る?
 いや、違う!

「リンテンス、お前の強さに敬意を表し、俺も見せるとしよう」

 見慣れぬ術式が展開される。
 だが、俺にはそれが何の術式であるかすぐにわかった。

 あれが来る。
 かつての兄さんが至れなかった時間魔術の極致。
 最強にして全能の奥義が――

「時間魔術奥義――時計の針は動かない(クロノスタシス)

 【時計の針は動かない】。
 時間魔術の奥義であり、世界そのものに干渉出来る魔術。
 その効果は、自分以外の時間を完全停止させる。
 人も、自然も、何もかもが静止した世界。
 ただ一人動くことを許されたのは、術者のみである。

「使うつもりはなかったのだがな」

 アクトにとって、クロノスタシスは最終手段と言える。
 彼は十数年にわたる修行の末、幼少期の三倍近い魔力を得ている。
 だが、元々が少なかった分、それでも足りない。
 奥義に至った今ですら、一日一度きりが限度だった。

「俺が止めていられる時間は、最大で十秒だけだ。ここまで伸ばすのに、十年以上かかったぞ」

 アクトは動かない相手へと近づく。
 十秒という限られた時間とは言え、この間の絶対的支配者は彼だ。
 何者も、時の止まった世界では、彼に抗うことは出来ない。
 認識すら出来ぬまま、彼はその身体に触れる。

「悪いな、リンテンス」

 そして、時は動き出す――

「っ――!?」

 兄さんが触れた身体から、蒼い稲妻が走る。
 電撃は触れた手から伝わり、兄さんへダメージを与えた。

「くっ……」

 兄さんは咄嗟に後方へ跳び避ける。
 顔を上げ、見据える先の俺は、息を切らしながら笑っていた。

「はぁ……ギリギリだったな」
「何をした?」
「カウンターだよ。兄さんが触れたのは俺の身体じゃない。その表面を覆っていた蒼雷だ」

 兄さんが奥義を使うと悟った瞬間、俺は全神経を蒼雷に注いだ。
 時を止められては何も出来ない。
 ただし、時が止まった世界では、兄さんも止まっている相手を攻撃することは出来ない。
 それを知っていたから、攻撃の際は術式を解くとわかっていた。
 だから図った。
 兄さんが俺の身体に触れ、回避不可能な距離で攻撃を仕掛けてくると。

「蒼雷は強化術式だけど、これも立派な雷だ。触れられた瞬間、最大出力で全方位に放出すれば、確実に当たるしダメージも入るだろ?」

 これこそ色源雷術蒼雷――(はん)
 兄さんのクロノスタシスに対抗するために考案した技だ。
 そして……

「時を止める術式は膨大な魔力を消費する。もう兄さんは、時を止めることは出来ないよね?」
「っ……それがどうした? 完全に魔力が尽きたわけではない。もう戦えないと思っているなら、お前の目は節穴だ」
「戦えないなんて思ってないよ。でも、今の兄さんに、この技は防げない」

 空を見上げれば曇天。
 開始時点では晴れていた空に、ゴロゴロと雷雲が満ちている。

「これは……天雷か? いくら雷魔術の奥義とはいえ、俺に躱せないとでも思ったか?」
「ああ、確かに普通の天雷なら、躱せるかもしれないね」
「何?」

 今から発動するのは、通常の天雷ではない。
 色源雷術と天雷の応用だ。
 通常、術式を発動させる際には様々な工程がある。
 例えば赤雷の場合、雷を発生させる第一段階から、そこに術式効果の付与、発動までの最低三工程が必要だ。
 仮にこれを二工程に縮めることが出来れば、残された工程に集中することができ、術式の精度は向上するだろう。

 天雷は、自然の雷雲を利用し、雷を落とす。
 雷を生成するという工程がない時点で、まず一工程は省かれる。
 さらにこの技は、色源雷術の雷を受けている対象に引き寄せられる。
 故に狙うという必要がなく、発動後はただ落とせばいい。
 どれだけ速くとも、確実に当たる。
 残る工程は一つ、術式効果の付与に全神経を注ぎ込み、この技は完成する。

「いくぞ兄さん、色源雷術――奥義!」
「くっ!」

 兄さんは咄嗟に結界障壁を展開した。
 躱せないと本能が悟ったのか、防御に集中するつもりだ。
 それも一や二重ではない。
 十の結界障壁を折り重ね、強度を増している。
 天雷とはいえ、あの障壁を貫くことは難しい。
 
 が、この技は魔術によって防御は出来ない。
 天然の雷に付与された術式……その効果は魔力のみを霧散させること。
 人や物は破壊できない。
 代わりに魔力だけを貫き穿つ。

 その雷の名は――

白雷(はくらい)

 純白の雷が多重結界を貫き、兄さんへ降り注ぐ。
 
 色源雷術奥義――白雷。
 その効果は、魔力のみを貫き霧散させる。
 白雷を受けた魔術師は、内に宿る魔力を全て貫かれ消費してしまう。
 故に、完全な魔力欠乏を起こし、行動不能となる。

「ぐっ……」

 兄さんは片膝をつき、同じ側の手を地面につける。
 白雷によって魔力が消失し、もはや立っていることすら出来ない。
 いや、意識を保っているだけでも凄い。
 肉体へのダメージはなくとも、雷を受けた衝撃はあるから、気絶してしまうかと思ったが……

「はぁ、はぁ……さすが兄さん」

 こっちもすでに限界が近い。
 魔術師にとっての天敵といえる白雷は、保有魔力の半分を消費する。
 満タンな状態であっても、一日二発が限度の大技だ。
 仮に二発使えば、こちらも魔力切れを起こし、魔術師としての戦闘は困難となる。
 激戦の後の一発で、残された魔力は一割以下と言ったところか。

 だが、これで――

「俺の勝ちだよ、兄さん」

 俺は動けない兄さんに近づき、勝利を宣言した。
 魔力がある者とない者、その差が埋まらないことは誰もが知っている。
 会場の全員が、勝敗は決したと思っているだろう。

「まだ……俺は動けるぞ」
「兄さん……」
「勝敗は決していない。戦う意思を残している時点で……終わらせたいなら、あと一撃だ」
「何を言ってるんだ。もう、兄さんは戦えないだろ」

 魔力も尽き、体力も限界だ。
 そんな自分に止めを刺せと、兄さんは言っている。
 もしかすると、会場の観客たちも、早く終わらせろと思っているかもしれないな。

 兄さんは弱々しい声で続ける。

「戦いに甘さは命取りだ。聖域者になりたいのなら、その甘さは捨てておけ。敗者に情けは不要だ」
「……違う。違うよ兄さん」
「リンテンス?」

 無意識だった。
 感情の高ぶりで、勝手にあふれ出たんだ。
 ポタポタと瞳から、頬をつたって落ちる。
 戦いの最中、涙を流すことがどれほど情けないのか、わかっていたつもりだった。
 でも、止まらなかったんだ。
 兄さんと戦えて、奥にある心に触れた気がする。
 冷たくて、寂しくて、消えてしまいそうな弱々しい光。
 師匠と出会う前の俺と同じみたいに。

「無理だよ。兄さんを傷つけるなんて、俺には出来ない」
「お前……」

 それが、俺の本心だった。
 両親のことは許せない。
 貴族の家も、背負った宿命も呪ったことすらある。
 だけど、兄さんのことを嫌いだと思ったことは、今まで一度もないんだ。
 ずっと見てきたから。
 期待に応えようと必死に努力して、辛くても俺の前では優しく笑ってくれる。
 そんな兄さんこそ、俺の憧れで目標だったんだよ。

「ふっ、相変わらず……」

 兄さんは小さくため息をこぼし、笑いながら俺に言う。

「優しいな、お前は」

 その笑顔は、幼き日に見せてくれたものと同じ。
 優しくて、温かい笑顔だった。
 直後、兄さんは限界を迎え、意識が沈み倒れ込む。
 地に身体がぶつかるより早く、俺は兄さんの身体を受け止めていた。

 親善試合勝者――新入生代表リンテンス・エメロード!

 勝利のアナウンスが響き、会場中が歓声で沸き上がる。
 そんな中、俺は兄さんを背負ってフィールドを出る。
 救護班がスタンバイしていて、こちらへ駆け寄ってきたのが見えた。
 俺はそれを無視して、兄さんを運ぶ。
 
 歓声は聞こえない。
 賞賛だろうと罵声だろうと、今はどうでもいい。
 この人は……俺が背負うべきだ。
 今はただ、それしか考えられなかった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 試合が終わり、控室に戻った。
 兄さんは魔力を消費した疲労で眠ったまま、医療室で横になっている。
 しばらくすれば目覚めるだろう。

「リンテンス君!」
「シトネ」

 唐突に扉が勢いよく開いて、シトネが飛び入ってきた。
 そのまま胸に飛び込んできて、キラキラと目を輝かせながら言う。

「凄かった! 凄くてすごかったよ!」
「ははっ、何だそれ」

 興奮し過ぎて語彙が乏しくなっているな。
 これはこれで可愛らしいし、何より感動しているのが伝わって、心の底から嬉しかった。
 後からグレンとセリカも顔を出す。

「お疲れさまでした」
「見事な試合だったな、二人とも」
「ああ」

 俺だけじゃない。
 兄さんも賞賛される戦いをしたと、一体どれだけの人に伝わっただろうか。
 一番伝わってほしい人たちは、どう思っているのだろうか?
 その答えは、すぐに向こうからやってきた。

「失礼するよ」
「父上……」

 控室にやってきたのは父上と母上だった。
 二人とも、あからさまにニコニコしていて気持ち悪い。
 この時点で俺は、全てを察した。

「素晴らしい戦いだったな! リンテンス」
「ええ、まさか貴方がここまで強くなっているなんて、本当に驚いたわ」

 二人は悠々と語り出す。
 俺もみんなも、その言葉に耳を傾ける。

「よくここまで頑張ったな。お前ならもしかすると、本当に聖域者になれるかもしれない」
「ええ、今まで一人にしてごめんなさい」

 よく頑張った……だって?
 まるで見てきたような言い方じゃないか。
 一人にしてごめんなさい?
 本当にそう思っているなら、なぜ突き放すようなことをしたんだよ。

「本当に今日まで頑張ったね。これからまた一緒に暮らそうじゃないか。どうかな? 友人たちも一緒に食事でも」
「そうね。せっかくだし――」
「ふざけるなよ」

 言葉は感情の高ぶりで勝手に出ていた。
 場がシーンと静まり返り、二人とも困ったような顔をする。
 対して俺は、怒りを隠しきれないでいた。

「あんたらの言葉はうわっつらだけだ。俺のことを見てるんじゃなくて、家柄とか地位のことしか考えてない。今も昔も、何一つ変わってない」
「リ、リンテンス?」
「兄さんのところには行ったのか?」
「あ、いや……」
「どうして行かない? 兄さんの所へ先に顔を出すのが普通じゃないのか? 兄さんが一体、誰の期待に応えるため戦ったと思ってるんだ?」

 ああ、駄目だ。
 これ以上は言ってはいけないと、理性がささやいている。
 ただ、残念ながらそんな囁きは聞けない。

「戻って来い? そう言って、今度はまた兄さんをのけ者にするのか?」
「……」
「図星か」

 虫唾が走るよ。

「ハッキリ言おう! 俺も兄さんも、あんたらが見栄を張るための道具じゃない! そっちの都合を、俺たちに押し付けるな!」
「なっ……リンテンス、親に向ってなんてことを」
「親だというのなら、なぜ一緒に暮らさなかったのですか?」

 そう言ってくれたのはグレンだった。
 他の二人も、厳しい表情で俺の両親を見ている。
 何か言いたげだが、相手がグレンだからか、言い淀んでいる。

「……くっ、行こうか」

 父上は唇を噛みしめ、悔しそうに背を向ける。
 別れの挨拶はしない。
 もう二度と、直接会うことはないだろう。  

「ふぅ」

 言いたいことを全部言えて、スッキリした気分だ。
 本当の意味で、ようやく俺は解放されたのかもしれない。

「ありがとう、みんな」

 こうして、激闘は終結した。


 この十日後。
 東西の大陸の果てにて未知の敵が出現。
 現聖域者二名が対処にあたった。
 うち一人は重傷を負い、もう一人の聖域者は……死亡した。
 とある日の昼下がり。
 俺は師匠と一緒に、山奥へピクニックへ来ていた。
 わけではなく、迷惑のかからない場所で修行をしていた。
 初めは軽く済ませようという話だったが、当然そんな簡単に終わることはなく、みっちり扱かれてヘトヘトになりながら、地面に寝そべっている。

「だらしないね~ まだ準備運動のつもりだったんだけどな~」
「嘘つかないでくださいよ。明らかに全力ダッシュしてたじゃないですか」
「いやいや、僕の全力はもっとすごいからね」
「そういう意味じゃなくて……もう良いです」

 師匠の基準は常人とずれている。
 普通なら根を上げるギリギリをゴールに設定するところを、師匠の場合はそこが準備段階だからな。
 慣れてきたとはいえ、キツイことには変わりない。
 さらには苦しんでいる俺をみて、楽しそうに笑ってくれるから。
 質が悪いよ。

「師匠の前世って悪魔なんじゃないですか?」

 と、冗談のつもりで口にした。
 いつもみたいにおちゃらけたような返答が来ると思ったら、師匠はしばらく黙って考えている様子。
 そして、俺の横に腰をおろし、改まって質問してくる。

「リンテンスは、悪魔を知っているかい?」
「え、まぁ本で読んだことがあるくらいですね」

 かつて多くの種族が存在し、互いの領地をかけて争いが起こっていた時代があったという。
 今から何千年も昔の話で、現代では予測を混ぜ合わせた歴史として伝わっている。
 その時代に生きていた種族の中で、最も邪悪で、最も魔力に愛されていた種族の名を悪魔という……らしい。
 本にそう書いてあったことを思いだす。

「見た目は人に近い。でも思考や力はまったくの別物……いいや、別次元と言っていい。上位の悪魔は、聖域者を上回る力をもっていたそうだ」
「って書いてましたね。でもあれって空想じゃないんですか?」

 悪魔に関する書物はいくつかある。
 ただ、どれも理屈だった説明がなく、根拠が示されていない。
 勉強の一環として記憶しているが、誰かの作り話じゃないかと思っているくらいだ。
 でも、師匠は首を横に振って言う。

「空想じゃない。あれは事実だよ」
「え、そうなんですか?」
「ああ」
「師匠は……悪魔に会ったことがあるってことですか?」
「半分正解かな」
「半分?」

 どう意味なのか尋ねても、師匠はニッコリと微笑んで躱す。
 そのまま空を見上げて、思い出にふけるようにため息をつき、俺に向けて呟く。

「君もいずれわかるさ。その時までにせめて、悪魔と戦えるくらいにはなっててほしいね」
「師匠?」
「と、いうわけで! 休憩は終わりだよ」

 その後、前半が準備運動だったと思えるくらい扱かれて、帰り道は半分寝たまま帰った。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 懐かしい夢を見た。
 扱かれて、疲れたまま帰って、夢の中にベッドに倒れ込んだ。
 次に目が覚めると、現実のベッドで横になっていたことに気付く。
 外は真っ暗で日の出には早い。
 いや、そもそも時計を見ると、針は午後七時半を指示している。

「ああ……そうか」

 おぼろげな記憶を辿り、徐々に思い出す。
 兄さんとの戦いが終わった後、長い長い学校長の話があって、眠そうに聞いていたら後で説教されて、その後も観戦していた貴族たちに声をかけられて……
 戦った後で疲れているのに、勘弁してほしかったな。
 それで全部が終わってから、トボトボと屋敷に戻って、仮眠をとるつもりで横になったんだ。

「しまったな。六時には起きるつもりだったのに」

 夕食の準備が終わっていないことを思い出し、ベッドから起き上がる。
 寝たとはいっても短時間だ。
 そんなに疲れがとれたわけじゃない。
 白雷を使った影響で、未だに魔力が半分以下なのも不安だな。
 
 ガチャ、と部屋の扉を開ける。

「ん?」
 
 ほのかに良い匂いが感じられる。
 その匂いにつられれて一階の台所まで行くと……

「シトネ?」
「あ、リンテンス君! 起きたんだね!」

 エプロン姿のシトネが台所に立ち、料理をしていた。
 ぐつぐつと煮込んだ鍋と、すでに何品かはテーブルに並んでいる。

「これ、シトネが作ってくれたのか?」
「そうだよ! リンテンス君疲れてるだろうなーって思ったから、偶には私が料理も頑張っちゃおうと思ったの」
「そうか。ありがとう、シトネ」
「いいのいいの! いつもリンテンス君には助けられてるからね。もうすぐ出来るから、座って待ってて」
「ああ、そうするよ」

 いつもの席に座って、彼女が料理を運んでくるのを待つ。
 全部の料理がずらっと並んで、シトネも自分の席に着いたら、手を合わせて言う。

「「いただきます」」

 どれも美味しそうだ。
 まずは手前にあるスープを一口。

「どうかな?」
「うん、美味しいよ」
「本当? よかった~ リンテンス君ほど上手じゃないから、あんまり自信なかったんだよ」
「いやいや、これだけ一人で作れたら十分だよ」
「そうかな? じゃあ今度から代わりばんこに料理しようよ! そうすればリンテンス君の負担も減るでしょ?」
「ああ。そうしてくれるとありがたい」

 二人で話しながら、食卓を囲む。
 ここに師匠がいないことが、少し寂しいな。
 今頃ちゃんと仕事しているのだろうか。
 それにしても、誰かの手料理を食べるなんて、本当に久しぶりだ。

「温かいな」
「作りたてだからね!」
「はっはは、そうだな」

 そういう意味じゃないけど、とかツッコミをいれるのは無粋だな。
 親善試合の翌日も、通常通り授業が行われる。
 一夜明けて魔力も回復した俺は、シトネと一緒に登校していた。

「次の日くらい休みにしてくれればいいのにな」
「あはははっ、そう思ってるのリンテンス君だけだと思うよ?」
「えっ」
「だって頑張ったのも疲れたのも、リンテンス君だけだもん」
「ああ……そういえばそうか」

 いや、兄さんも当てはまると思うけど。
 そういえばあれから、兄さんはどうなったのかな?
 父上は相変わらずだったし、屋敷で責められたりしたのだろうか。
 だとしたら申し訳ないし、父上には腹が立つ。

「また……ちゃんと話したいな」
「誰とだ?」

 後ろからポンと肩を叩かれ、振り向く。

「グレン」
「おはよう二人とも」
「おはよう! セリカちゃんも一緒だね」
「はい。おはようございます」

 グレンとセリカが合流して、一緒に学校へ向かうことに。
 道中、普段より視線を感じて、周囲が気になる。
 前のように嫌な視線ではないようだが……

「注目されているな」
「みたいだね。でも前からだし」
「いいや、今は良い意味で注目されているだろ?」
「良い意味って?」

 俺が聞き返すと、グレンは呆れ顔をする。
 気付いていないのかと言わんばかりにため息をついて、やれやれとジェスチャーした。

「何だよ」
「君はあれだけの戦いを見せたんだ。もう君のことを、落ちこぼれだと思う者は誰もいない。こうして注目を浴びているのも、君の強さを知ったからさ」
「俺の……強さ」

 なるほど、そういう良い意味か。
 ハッキリ言うと、本当に察していなかったよ。
 というより、どうでも良いと思っていた。
 変な話だな。
 最初は周りを見返したくて努力していたのに、いざ認められたと思うと、何だか素直に喜べない。

「あまり嬉しそうじゃない顔だね」
「ははっ、そうみたいだ」

 自分自身に呆れて笑う俺を、キョトンとした顔で見ている。
 グレンを見て、彼との戦いを思い出しながら、シトネとの出会いも振り返る。
 それよりもっと前の、師匠と過ごした厳しい日々。
 全部を通して、今の俺がいる。
 そうか……

「昔の俺だったら、素直に喜んだと思うよ。周りを見返したくて、修行も頑張ったからな~ でも今は、他にも理由があるから」

 師匠の期待に応えたい。
 師匠と同じ場所にたどり着いて、一緒に肩を並べて戦いたい。
 俺を鍛えてくれた恩を返したい。
 俺の中にある強さの理由は、あの時よりも増えている。

「俺はまだ何も成し遂げてない。全部これからだ」
「なるほど。さすが、先を見据えている」
「すぐ近くに目標がずっといたからね。まだまだ足りないってことも実感しているよ」

 修行して、鍛えられて、強くなっても届かない。
 師匠は俺なんかより遥か高みにいる。
 いつかそこへ行くために、今で満足していられない。
 そう思えるのも、心が成長してくれたお陰なのだろうか。

「それに、途中から態度を変えられたって、やっぱりスッキリしないな。これから何人理解者が増えようと、お前たちみたいに、最初から普通に接してくれた人のほうが大事だよ」
「リンテンス……」
「なんてなっ」

 言った後で恥ずかしくなって、誤魔化す様にわらってみた。
 我ながらキザなセリフを口にしたものだ。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「えぇ~ 明日から学外研修後半が始まる。前回同様、おのおのしっかり準備するように」

 先生が教壇の上で話した内容が耳に入ってきて、俺は思わずぼそりと呟く。

「え? 後半?」
「……リンテンス」

 すると、隣でグレンがとても怖い顔をしていた。
 言わなくてもわかる。
 また聞いていなかったのか、と言いたいのだろう。

「違う違う! 今回は聞いてなかったとかじゃない!」

 慌てて否定して続ける。

「た、確か後半ってもっと後じゃなかったっけ?」
「今年は天候が調子良く保っているらしいんだ。前回が終わってから一時的に荒れたそうだが、すぐに回復したそうだよ」
「えぇ~ 荒れたら長いって話だったのに」
「そう。だから予想外に早く回復したから、後半も早めたのだろうね」
「そういうことか」

 前回も思ったけど、学校生活って意外と大変なんだな。
 もう少し落ち着いた感じを想像していた俺としては、異様な慌ただしさに驚いていた。

「あっ、そういえば……」

 ふと思い出した。
 研修の前半、渓谷で見つけたドラゴンの痕跡のことを。
 あれから騒ぎにもなっていないし、ドラゴンはいなかったということなのだろうか。

「どうしたんだ?」
「……いや、何でもない」

 もしもいるなら、練習相手になってほしいと思った。
 学外研修後半初日。
 準備運動でぐるっと森を一周させられた後、俺たちは建物の中に集められていた。
 全員が注目しているのは一点。
 説明している先生、ではなく、その横に侍るモンスターだ。

「これは魔道具によって生成された疑似モンスターだ。能力は元となったモンスターを模しているが、攻撃力はほとんどない。あくまで訓練用に開発されたものだ」
「へぇ~ 便利な魔道具もあるんだな」
「ああ、僕も初めて見るよ」

 話に聞く限り、最近になって新しく開発されたものらしい。
 最先端の魔道技術を用いられるのも、魔術学校の生徒に与えられた特権だ。
 
 先生が続けて内容を説明する。

「今からチームに分かれ、森に入ってもらう! 森には百の疑似モンスターが放たれているから、それを全て討伐してほしい」

 一年生では全部で四十二チームある。
 今回はチームごと、さらに六つのグループに分かれて行う。
 モンスターにはそれぞれポイントが割り振られており、模したモンスターの強さでポイントも異なる。
 百体全てが討伐されるまで続け、最終的にチームごとに撃破数、ポイント数を競いあう。
 大体のルールはこんな感じか。
 ちなみに、各人には専用の腕輪が配布される。
 ポイントの換算の役割とは別に、モンスターから一定以上攻撃を受けると光り、リタイアとなる仕組みだ。

「最初の七チームは前へ!」
「俺たちだな」
「ああ。今回は競争……というわけにはいかないな。残念だが」

 ガッカリそうにするグレン。
 相変わらず負けず嫌いな奴だと笑ってしまう。

「待機者はここで戦闘の様子が中継される! 見ることも大切な訓練の一つだ。自分たちの番に活かせるよう、しっかり観察するように」

 待機室には巨大な四角い版がある。
 森には使い魔が飛んでいて、視界をここに映し出せる。
 それを聞くと、シトネが不服そうな顔を見せてぼそりと呟く。

「み、見られるのかぁ」
「今さらだろ? 特に俺たちにとってはさ」
「あー確かにそうかも。じゃあいっぱい倒して目立っちゃおうよ」
「ははっ、そうだな」

 俺もシトネも、悪い意味で注目を浴びてきた。
 この間の親善試合で、俺に対する周囲の視線は緩和されたが、シトネに対してはまだまだ微妙だ。
 特にシトネにとっては良い機会だろう。
 俺だけじゃなくて、彼女も魔術師として優秀などだと、周囲に教えるために。

 今回の訓練ではもちろん魔術が使える。
 ただし、他チームを傷つけたり、妨害してはならない。
 それさえ守れば、あとは好きなように戦って良い。

「リンテンス、目標はどうする?」
「う~ん、とりあえず半分は狩りたいかな」
「半分か。ならば休んでいる暇はなさそうだな」

 そうして訓練が開始される。
 バラバラのスタート地点から森へ入り、出会ったモンスターを狩る。
 モンスターは種類豊富だ。
 ゴブリン、ウルフ、ワーウルフ、ジャイアントマンティス、グレートスネーク。
 森に生息しているモンスターを模していて、基本的に大きい個体のほうが強いから、ポイントもそれに合わせて決められている。
  
「皆様、前方よりウルフとゴブリンの群れが接近しております」
「後ろからマンティスが来てるよ!」

 セリカとシトネが接敵を知らせてくれた。
 前後を挟まれた形になっている。

「僕とセリカで前を」
「じゃあ後ろは俺とシトネで任せてくれ」
「ああ、任せた」

 簡単に割り振りをして、各々の敵に目を向ける。
 ジャイアントマンティスは、その名の通り巨大なカマキリだ。
 見た目も能力も、カマキリを大きくしただけだが、強靭な鎌は岩をも斬り裂く。
 とても強力なモンスターだ。

「藍雷――二刀」
「二匹きてる。私が左と戦うね」
「了解、右は俺だな」

 俺は藍雷で剣を作り、シトネは腰の剣を抜く。

「いくぞ!」
「うん!」

 俺とシトネは同時に突っ込む。
 接近により振り下ろされる鎌を回避し、懐にもぐりこんで鎌の付け根を狙い斬りする。
 鎌は強力だが、これを無力化できれば勝ったも同然。
 あとは逃げられる前に、腹と頭を斬り裂き倒す。

 対してシトネは剣を使っていた。
 入学試験では使わなかった変わった形の剣。
 名前は刀というらしい。
 シトネは刀でマンティスの鎌を受け、流れるように付け根へ刃を届かせる。
 うっすらとだが、刀の刃が光を纏っていた。
 光属性の魔術によって切れ味を高めている。
 さらに――

旋光(せんこう)!」

 斬撃が光をそのまま纏い、マンティスの胴体を斬り裂いた。
 あれこそシトネが独自に編み出した術式。
 光を斬撃として飛ばしたり、鞭のようにしならせて攻撃したりできる。
 彼女自身の剣技と合わせれば、どんな敵にも対応可能という汎用性の高い術式だ。

「倒したよ!」
「こっちも終わった。さすがだな、シトネ」
「えっへへ~」

 俺が褒めると、シトネは嬉しそうに尻尾を振る。
 パチンとハイタッチした様子も、クラスメイトは見ているのだろうか。
 俺とシトネがマンティスを相手にしている間、グレンとセリカも戦闘を開始する。
 二人の相手は、ゴブリンとウルフの群れ。
 ウルフにゴブリンが騎乗して迫ってきていた。
 ゴブリンは時折、ウルフを飼って従えていることがある。
 
 グレンはやる気十分に炎を生成して言う。
 
「一気に片を付けよう」
「お待ちください。森の中で炎を使えば、木々に引火してしまいます。特にここは背の高い草も多いですから、いかにグレン様でも」
「そうだな。少し気がはやっていたよ」

 グレンはそう言って炎を納める。

「任せていいかい?」
「はい」

 代わりにセリカが前へ出る。
 グレンのメイドであるセリカは、普通の魔術師ではない。

「ウィンネ」

 名を呼び、彼女の肩に風が集まる。
 集まった風は黄緑色の光を纏って、一匹の小動物へと変化した。
 狐とイタチの中間のような見た目に、鮮やかな黄緑色の毛並み。
 あれは動物ではない。
 風の精霊だ。

「風よ――」

 セリカが唱えると、肩に乗っていた風の精霊が高らかに鳴く。
 鳴き声に抗するように風が生成され、ゴブリンたちを宙に浮かす。

「巻き上げ、斬り裂け」

 さらに風は強まり、鋭い刃となってゴブリンたちを攻撃した。
 竜巻と風の刃の合わせ技によって群れは全滅する。

「終わりました。グレン様」
「ああ、完璧な手際だったよ」
「ありがとうございます」

 セリカ・ブラント。
 彼女は精霊魔術師だ。
 精霊とは、大自然から生まれた生物とは異なる存在。
 魔力を持っているのは、俺たちのような人間だけに限らない。
 動物、虫、魚類やモンスターはもちろん、植物や木々、大地といった自然にも魔力はこもっている。
 それらが徐々に漏れ出し、意思を持つ魔力の集合体となったものを、精霊と呼んでいた。

 精霊魔術師は、大自然から生まれた精霊と契約し、その力の一端を使役する者。
 セリカの場合は、風の精霊ウィンネと契約し、大気を自在に操ることが出来る。
 何より特異的なのは、精霊魔術の発動には、自身の魔力を消費しないということ。

「凄いよね~ 私精霊って初めて見たよ」
「ああ、俺もだ」

 精霊魔術師はとても希少な存在だ。
 新入生でも、セリカ一人だけらしいし、世界中探しても百人に達しないと聞く。
 秘めた才能という点では、俺やグレンより上だろう。

 精霊と契約している彼女は、独特な気配を持っている。
 まるで自然と一体化しているような。
 そこにいるようで、いないような不思議な気配。
 鬼ごっこの時に、彼女の接近を感知できなかったのは、彼女が精霊魔術師だからだと予想できる。
 
「お二人とも警戒を。次が来ます。それも今度は――」

 セリカが上を見上げる。

「上空です」

 そこには三匹の飛竜がいた。
 灰色の翼を広げ、グルグルと飛び回っている。
 グレンが
 
「ワイバーンか!」
「そのようです」

 グレンとセリカが確認し合う。
 ワイバーンは小型のドラゴンで、山岳地帯や火山などに生息している。
 現存する飛行モンスターでは、上位に位置する強敵だ。
 おそらくこの訓練では、最高のポイント配布だと予想される。

「リンテンス君!」
「ああ」

 シトネが光の弓を、俺が藍雷で弓を生成。
 どちらも通常の二倍の大きさで、ワイバーンのいる上空を狙う。

「一匹は遠い。二匹を俺たちで落とすから、後は任せる」
「わかった」
「よし。もういけるか? シトネ」
「うん! いつでもいいよ!」

 狙いはすでに定めてある。
 後へ射抜くのみ。
 ワイバーンは空中で旋回している。
 俺の弓も、シトネの弓も、それぞれ魔術によって生成されたもの。
 その速度は、どちらもワイバーンを射止めるには十分だった。

 藍雷と光の矢が放たれ、それぞれのワイバーンに命中。
 片翼を射抜かれて、高度を大きく落とす。

「セリカ、僕を打ち上げてくれ」
「かしこまりました」

 剣を構えるグレンを、セリカの風が吹き飛ばす。
 風の力で一匹へと向かい、そのまま炎を纏った剣で斬り裂く。
 さらに斬り裂いたワイバーンを踏み台にして、もう一匹に狙いを定める。
 だが、ワイバーンもただでは死なない。
 顎を大きく開き、炎のブレスを吐き出した。

「真紅」

 その炎を、グレンの炎は呑み込み燃やし尽くす。
 炎すら燃やす炎、それこそ真紅。

「空中であれば、周りを気にする必要もないからね」
「さすが」

 ワイバーン二匹を難なく倒し、グレンが地面に降り立つ。
 グレンは剣をおさめる。

「お疲れグレン。さすが余裕だったな」
「なに、みんなの支援があったからこそだよ」

 謙遜だな。
 と、心の中で呟く。

「あと一匹いたよな?」
「ああ。出来れば僕たちで狩りたいね」
「距離がありますね」
「じゃあ他の倒しながら行こうよ!」

 そのまま四人で次のターゲットを探す。
 目標の半数を達成するため、作戦を練りながら進む。
 
 順調。
 きわめて順調な滑り出しだった。

 次の瞬間。
 空を漆黒が覆うまでは――
 
 俺とグレンが空を見上げる。

「これは……」
「何だ?」

 黒い闇が青空を覆い隠す。
 その場にいた全員が上を見上げていた。
 立ち止まり、訓練も忘れている。

「黒い……雲?」

 シトネはそう言いながら首を傾げる。
 続けてセリカが言う。

「雲ではなさそうです。ウィンネが怯えている」

 風の精霊が震えている。
 突如、それは何の前触れもなく出現した。
 雲ではなく、見た目は沼に近い。
 ドロドロとしているようで、落ちてはこないけど、何だか汚らしい。
 
 そして――

 漆黒のそれは、同じく漆黒の影を呼び出す。
 
 ワイバーンと同じ形状をしている。
 ただし、大きさはワイバーンの十倍を超え、迫力は似て非なるもの。
 黒い翼を羽ばたかせ、ギロっと赤い目で睨まれれば、誰もが死を悟るだろう。

 ほとんどの者たちが初対面。
 俺は……久しぶりだ。

 ドラゴンが声をあげ、翼をばさりと開く。
 その迫力を前に、誰もが動けない。
 森にいた全員が声を忘れ、戦うことも忘れてしまっていた。
 ただ一人を除いて――

「蒼雷」

 青い雷を纏い地面を蹴る。
 そのままドラゴンの頭部を、思いっきり殴り飛ばした。

「リンテンス君!」
「全員下がれ! こいつは俺が倒す!」

 俺が大声で叫ぶ。
 シトネたちはもちろん、他のクラスメイトにも言ったつもりだ。
 ドラゴンが相手では、さすがにみんなを庇いながら戦えない。
 それに今回は、ドラゴンの中でも最強と評されるブラックドラゴンだからな。

 ドラゴンには種類がある。
 簡単な色分けで、黒と白がもっとも強い個体とされ、次が赤、黄、青、灰色の順だ。
 俺が中間試験と言われ戦ったのはレッドドラゴン。
 冒険者として追い払った群れは、青と赤の混合だった。
 
 ドラゴンの尾が、空中の俺を叩き落とす。
 吹き飛ばされた俺は、地面に叩きつけられた。
 蒼雷を纏っているから平気だが、尻尾だけでかなりの破壊力を持っているようだ。

「ちっ、黒は初めてだな」

 今の一撃だけでわかる。
 他の色とは明らかに異なる強さだ。
 本気で戦うべきだと悟り、大きく深呼吸をする。

 ドラゴンも俺を敵として定めたのか、こちらを睨んでいる。

 いつの間にか、さっきの黒い影は消えていた。
 おそらく転移系の魔術で、人為的に送り込まれたのだろう。
 色々と疑問はあるが、今やるべきことは一つだ。
 
「まず、お前を倒す」

 右腕を前に伸ばし、左手で支える。
 
「赤雷!」

 放たれる赤い稲妻。
 言わずもがな、最大威力で放った一撃だ。
 対してドラゴンは顎を開き、黒いブレスを放つ。
 黒い砲撃と赤い稲妻。
 二つがぶつかり合い、中央で爆発する。

「くっ……」

 ブレスも桁違いだな。
 赤雷で競り負けそうになったぞ。
 
 ドラゴンは上空で毅然と待ち構えている。
 まるで、ここまで来いと言っているように見えた。

 上空対地上。
 分があるのは上空だ。
 ならばこちらも、同じフィールドで戦うまで。

 色源雷術黄雷(おうらい)――

(おおとり)

 黄色の稲妻が走り、頭上で一つへと集結する。
 集まった雷は形を変えていき、大きな雷の鷹となった。
 黄雷は意思を持つ雷を生み出す。
 召喚魔術の術式と掛け合わせることで、精霊のような存在を生み出す術式に進化した。
 俺は鳳に飛び乗り空へあがる。

「藍雷――大槍」

 そのまま藍雷で巨大な槍を生成。
 ドラゴンの腹目掛けて投げ飛ばすが、硬い鱗に覆われていて、貫けず弾かれる。

「さすがに硬いか」

 レッドドラゴンなら、今ので貫けたんだがな……
 藍雷の貫通力では、ブラックドラゴンの鱗は貫けない。
 加えて――

 こいつは動きも速い。
 頭も回るのだろう。
 翼と尻尾を巧みに使い、俺を叩き落とそうとしている。
 俺は回避しながら、赤雷と藍雷の弓を駆使して応戦。
 しかし、どちらもブラックドラゴンにダメージは与えられない。
 
 ノーモーションからのドラゴンブレス。
 今度は赤雷が間に合わず、回避に徹した。
 もし一撃でも受ければ、蒼雷を纏っている状態でも大ダメージを負う。
 
「さて……」

 どうする?
 俺は思考を回らせる。
 ブラックドラゴンの鱗を貫く方法。
 考えられるパターンはあるが、どれも時間がかかってしまう。
 それを悠長に待つほど、ドラゴンものんびり屋じゃない。
 一番可能性の高い手の中で、一番短い時間では使える手段。
 それでも十秒はかかるだろう。
 つまり、十秒の足止めがいるということ。

 ならば――

「ドラゴンの相手は、ドラゴンに任せよう」

 俺は両手を上にかざす。

「色源雷術黄雷――竜」

 発生した膨大な雷撃が、一本の線を引くように伸びる。
 さらにグルグルと雷が巡り、巨大な蛇のような形へ変化した。
 同じドラゴンでも、こっちのはモチーフが違う。
 神話や童話に登場する架空の生物としてのドラゴンであり、神の使いとも呼ばれる。

 名を神竜という。

 とぐろを巻いた竜が、俺と共にブラックドラゴンを睨む。

「さぁ、始めようか」
 バリバリと雷が走る音が鳴り響く。
 そして――

「行け」

 黄雷で生み出した神竜が、黒き邪竜へ突っ込む。
 弧を描くような軌道で、ドラゴンへと迫る。
 ドラゴンは躱そうと翼を羽ばたかせるが、神竜のほうが速い。
 一瞬で間合いを詰め、ぐるりとドラゴンに巻き付いた。
 雷が走り、苦しそうにしているが、それでも致命傷には遠いだろう。
 
「さて、ここからだな」

 俺は左腕を前に突き出す。

「藍雷――大弓」

 藍雷によって弓を生成。
 大きさはこれまでの比ではなく、ドラゴンと同規模のサイズで展開する。
 藍雷の弓は、光魔術の弓とほぼ同じだ。
 威力をあげたいなら、弓そのものを大きくすればいい。
 光魔術の弓の場合は、大きくするほど精度が落ちてしまうが、藍雷はそのデメリットがない。
 しいて言えば、莫大な魔力を消費するだけだ。

 ふと、懐かしい記憶が脳裏によぎる。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「リンテンスはさ。モンスターと戦うより、人と戦う方が弱くなるね」
「は?」

 修行中のことだ。
 何の脈絡もなく、師匠からそんな指摘を受けた。
 突然だったからか、反応も荒っぽくなる。

「おいおい、そう怒らないでおくれよ」
「あ、いやすみません。どういう意味でしょう?」
「言ったまんまだよ。君は人を相手にする方が弱くなる」

 二度同じことを言われたが、俺は意味がわからなくて首を傾げた。
 モンスターのほうが戦いやすいかと言われると、別段そうでもない。
 そんな俺を見て、師匠はやれやれとジェスチャーをする。

「なるほど、自覚なしか」
「……」
「仕方ない、教えてあげよう。リンテンス、君は人が相手だと無意識に手加減しているんだよ」
「手加減……本気でやってないってことですか?」
「うん」

 即答する師匠。
 そんな自覚はない。
 誰が相手だろうと、全力で戦っているつもりだった。
 でも、師匠の目にそう見えているのなら、正しいのだろうとも思う。
 師匠は続けて理由についても話す。

「原因は君の優しさだ。君はとても優しい。裏切られても、蔑まれても、根っこの部分の優しさは消えない。人を相手にすると、その優しさが滲みでてしまう。冒険者の依頼で盗賊退治をやっただろう?あの時も君は、殺さないように力をセーブしていたよ」
「そう……だったんですね」
「落ち込む必要はないさ。別に悪いことじゃないからね。人は殺したら死んでしまう生き物だ。強くなると忘れてしまいがちなことを、君はちゃんと理解しているだけだよ」

 師匠は微笑みながらそう言ってくれた。
 だけど……

「ただ、それは甘さとも言い換えられる。聖域者になるなら、その甘さを制御できるようにならないとね」
「制御ですか?」

 てっきり捨てろと言われるものだと思った。
 師匠はこくりと頷いて言う。

「そう、制御だ。手を下すべきとき、情けをかけるとき。それらを感情ではなく、思考で選択できるようになりなさい」
「悪には容赦するな、という意味ですか?」
「まぁ大体そんな感じかな。匙加減は君次第だけど、ようするにちゃんと考えられるようになれってことだよ」
「考える……難しそうですね」
「うん。捨ててしまうほうが楽かもしれない。でも、その優しさは君らしさでもある。捨ててしまうのは勿体ないし、何よりそれをなくせば、ただの人でなしになる」

 そうして、師匠は最後にこう言った。

「だからリンテンス、君は優しいまま強くなりなさい」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 師匠に言われたことを思い出して、ふいにため息がもれる。
 そういえば、同じことを最近グレンにも言われたっけ。

 すみません師匠。
 俺はまだまだ、自分の感情を制御できていないみたいです。
 
 だから今は、ほっとしている。

「人じゃなくて安心したよ」

 ドラゴンは神竜に巻き付かれ身動きがとれない。
 この隙に、あれを倒せる一撃を構えよう。
 藍雷で生成された巨大弓の威力は、一撃で山を穿つほどに達している。
 ただ、おそらくこれでも足りないだろう。
 ブラックドラゴンの鱗は、赤雷の最大出力でも容易には貫けない硬さだ。
 威力を底上げしても、ダメージ止まりになる。
 もっと貫通力が必要だ。
 ならば――

「赤雷」

 藍雷の矢に赤雷を纏わせる。
 色源雷術最大の貫通力を誇る赤雷。
 単体で倒せないなら、こうして混ぜ合わせれば良い。
 これこそ、術式の応用。

 対する標的は、未だ神竜に阻まれ動けない。
 狙いはまっすぐ。
 矢の先端を、ドラゴンの心臓部に向ける。
 
 色源雷術――(こん)

梔子一射(くちなしいっしゃ)

 赤黄色の一撃が放たれる。
 稲妻は流星のごとく軌道を残し、ドラゴンの心臓を貫いた。
 悲鳴をあげ、黄雷が拡散する。
 ぽっかりと開いた穴から全身へ、雷撃が走った。

「ふぅ」

 ほっと息をはく。
 力尽きたドラゴンは、ゆっくりと地面に落下していった。