「今日は校舎の案内をする。皆、私の後についてきなさい」

 先生が教壇でそう言う。
 黒板には長々と注意事項と説明が書かれていた。
 学外研修一回目は特に変わったこともなく終わり、翌日から普通の授業が始まる。
 不穏な気配はあったが……二回目に期待といった所か。
 そして今日は、今更かと思えるオリエンテーションの続きで、校舎の紹介がされることになった。
 俺たちは席を立ち、先生の後に続いていった。
 
 一階から順番にみていく。
 特別教室や職員室、食堂なんかはすべて一階だ。
 続く二階は一年生の教室で、さっと流してみていく。
 三階も二年生の教室で、造りや風景はさほど変わらない。
 四階も同様なのだが、俺はちょっと憂鬱だった。
 この階層には、あの人がいる。

「そういえば、君のお兄さんが三年にいるのではなかったかい?」
「……ああ」
「え、リンテンス君ってお兄さんがいたの?」
「おや? シトネさんは知らなかったのか。アクト・エメロード三年首席。この学校で今、最も聖域者に近い人だよ」
「そ、そうだったんだ」

 そう言いながら、シトネは俺に目を向ける。
 俺が浮かない顔をしていることに気付いたのか、シトネが声をかけてくる。

「リンテンス君?」
「ん? ああ、そうだな。兄さんは凄いよ」

 無論、それだけじゃないけど。
 と、思った直後だった。

「久しぶりだな、リンテンス」

 その声は―― 

「兄さん」

 青黒い髪に、サファイアより濃い瞳。
 立ち姿、その風格は強者そのものであり、どことなく似ている。
 雷に打たれる前の自分と、姿が重なる。

 アクト・エメロード。
 俺の兄で、魔術学校三年首の座についている。
 いることは知っていた。
 この階層にくれば、出くわす可能性が高いことも。
 そして、会えば必ず、不穏な雰囲気になることも、容易に想像できた。
 今まさに、ピリピリと肌に刺さる緊張感が立ち込める。
 それを感じ取ったのか、三人を除く生徒たちは、目を背けながら先に進んでいった。

「お久しぶりです。兄さん」
「……ああ、十年ぶりか」
「……はい」

 淡々とした会話だ。
 仲の良い兄弟ではないと、誰もが思うだろう。
 冷たいその視線は、身内に向けられるような目ではない。
 まるで、親の仇を睨むように、兄さんは俺から眼を離さない。
 俺も……目は背けない。
 互いに無言のまま、気持ちの悪い静寂が続く。

「父上から」

 兄さんがぽつりと口を開く。

「入学したとは聞いていた。それも次席で……正直驚いたぞ。お前のような落ちこぼれが、ここへ入学出来ただけでも奇跡に等しいというのに」
「……そうでしょうね。特に、父上にとっては予想外だったでしょう」
「ああ。だが、それまでだ。お前ではこれより先に進めない」
「どういう意味です?」
「お前では聖域者にはなれないと言っているんだ」

 兄さんはそう断言して、俺にもっと冷たい視線を向ける。
 もはや殺意と言っても過言ではないレベルだ。
 常人なら震えあがってしまうかもしれない。
 でも、俺は引くことなく言う。

「それは、やってみないとわかりませんよ?」
「ほう、言うようになったな」

 バチバチと視線が火花を散らすようだ。
 途中、後ろ隣に立つシトネが、僅かに震えていることに気付く。
 俺に向けられたそれを、一番近くにいる彼女が感じ取ってしまっているようだ。

 兄さんは他の生徒たちに視線を向ける。
 小さく短く息をはき、俺の横を通り過ぎながら――

「いずれ思い知るぞ」

 そう言って、兄さんは去っていった。
 後姿が見えなくなるまで、俺はじっと兄さんを見つめ続ける。
 しばらくして、置いて行かれないようクラスメイトの元へ駆け寄った。

「大丈夫だったか? シトネ」
「う、うん……私よりリンテンス君は?」
「俺は平気だ。会えばこうなるってわかってたし」
「そ、そうなんだね」

 シトネは不安そうな表情で、俺をチラチラ見ては目を逸らす。
 兄さんのことが気になるけど、聞いてもいいのかわからない、という感じか。
 そういえば、兄さんのことは全く話していなかったな。
 機会もなかったし、話す理由もなかったからか。
 なら、今がちょうど良い機会なのだろう。

「シトネ」
「な、何?」
「帰ったら話すよ」
「……うん」

 シトネは優しく微笑み頷いた。
 こうして、午前のオリエンテーションは終わり、午後から授業が開始される。
 初めての授業は、魔術の基礎と歴史について。
 知っていることの反復でつまらない内容だった……と思う。
 正直、あまり集中できなかった。
 久しぶりに会った兄さんの顔が、言葉が頭に浮かんで離れないから。
  
 悶々としたまま時間は過ぎ、放課後となる。
 グレンとセリカと別れ、俺とシトネは屋敷に帰った。

「ただいま戻りました」
「おかえり。おや? 今日は随分としょぼくれているね」
「ええ……まぁ」
「うんうん、大体予想はつく。兄に会ったんだね?」

 師匠はずばり言い当てた。
 たぶん、千里眼で見ていたのだろう。 
 俺は頷き、ため息をつく。

「まぁまぁ、一先ず夕食にしようじゃないか」
「そうですね」

 作るのは俺なんだけど。

 それから普段通りに夕食をとって、片付けて。
 シャワーを浴びてから、俺は一人でベランダに顔を出した。
 すると、後ろから近づく足音に気付く。

「シトネか?」
「正解! よくわかったね」
「何となくだよ」

 師匠はもっと変な登場の仕方をするし、騒がしいからな。
 消去法でシトネしかいない。
 という分析は置いておいて、俺はシトネに話すことがあったんだ。
 シトネは俺の隣にくる。

「兄さんのことだけど……今でもいい?」
「うん、聞きたいな」
「わかった。俺が神童って呼ばれていたのは教えたよな?」
「うん」
「兄さんも最初は、同じように呼ばれてたんだよ」

 エメロード家に神童が生まれた。
 そうもてはやされ、周囲からも期待されていた。
 だが、それも長くは続かなかった。
 
 そう、俺と言う弟の誕生で、兄さんの人生は大きく狂ったんだ。

「簡単に言うとさ。俺のほうが才能を秘めていたんだよ。それで両親は喜んで、俺を鍛えることに全霊を注ぐことにした」
「じゃあお兄さんは?」
「放置された。この屋敷も元々は、兄さんが十二歳の頃まで暮らしていたんだよ」
「そうだったの?」
「ああ」

 そのことを知ったのは、師匠と出会ってしばらく後のことだった。
 古くて放置されていたはずの建物だったのに、なぜか最低限の手入れがされていたから、疑問には感じていたんだ。
 その後の経緯は簡単だ。
 俺が落ちぶれたことで、両親は兄さんを呼び戻し、代わりに俺をここへ放り込んだ。

「兄さんにとっては散々だろうね。俺の所為で振り回されたんだ。恨まれてても不思議じゃないよ」
「……」

 シトネは何も言わなかった。
 何を言っても、この時の俺には響かないと思ったのだろうか。