敵として剣を交えた相手に、無防備に手を差し伸べる。
 愚かな行為だ。
 しかし笑うことは出来ない。
 かつて俺も、同じことをした記憶がある。

 なぁスピカ。
 君の目に、あの時の俺はどう映っていたんだ?
 希望の光が差し込んだように見えていたのか?
 ちょうど今、目の前にいる彼のように。

「物好きだな、君も」
「そこは師匠譲りだと思いますよ」
「……わかった。敗者は勝者に従うのみ。君は俺に勝ったんだ。君が手伝えというのなら、俺はそれに従うよ」

 そう言って手を取る。
 夜空の星々が、よけいに眩しく見える。

 そこへ――

「いやー実に良い見世物だったよ」

 闇すら呑み込んでしまいそうなどす黒い声が聞こえる。
 振り向いた先には一人の男が立っていた。
 年は師匠と同じくらいだろう。
 外見はただの人間だが……

 悪魔だ。
 一目見なくても、声を聞いただけで悟った。
 今までに感じたことのない寒気が襲う。
 学校を襲った悪魔とは明らかに別格の魔力を持っている。
 下手をすれば師匠より……

「無様な姿だね。アリスト」
「アガリアレプト……」
「こいつが?」

 地獄の六柱、第三の柱――【司令官】アガリアレプト。
 師匠が前に話していた幹部の一人か。

「俺を殺しに来たんだな」
「その通りだよ。話が早くて助かるね。もっとも負けてしまうとは思わなかったけどね」
「……」
「まぁいいさ。二人ともたくさん暴れて疲れただろう? 今、楽にしてあげる」

 最初から悪魔の狙いは、ここで俺とアリストを殺すことだったか。
 悪魔と手を組んでいる時点で、そういう可能性も考えていたけど……

「リンテンス、まだ戦えるか?」
「少しなら。でも……」

 正直かなり厳しい。
 もう一度憑依装着を発動させても、もって数十秒が限界だ。
 幹部クラス相手に、今の状態では勝算が低い。

「考えても無駄だよ。今の君たちに、俺と戦える手はない。どちらも手は持っていたようだけど、さっきまでの茶番で使い切っただろう?」

 無間の女王のことを思い出す。
 あれはおそらく、悪魔と戦うために用意していたアリストの奥の手だったんだ。
 使いたくないと口にしていたのは、卑怯だからではなくて、この戦いを見越してか。
 かくいう俺も、憑依装着は使わないつもりでいた。

「リンテンス、逃げる体力くらいは残っているだろう?」
「何言ってるんです?」
「これは俺が招いた結果だ」
「だから一人で残るって言うつもりですか? 先に言っておきますけど却下です。そんなことしたら、俺は自分を許せなくなる」
「そんなに深く考える必要はない。どうせ二人とも死ぬ」

 アガリアレプトが迫る。

「安心したまえ。誰も死ぬことないからね」
「――この声は」
「師匠!?」
「アルフォース?」
 
 声は空から聞こえた。
 見たことのない所為物に乗った師匠は、空から華麗に登場して、俺たちの前に降り立つ。

「ほっと、どうやら間に合ったようだね」
「遅いですよ、師匠」
「いやーすまない。こんなに遠くで戦っているとは思わなかったんだ。文句はそこの黒い騎士に言ってくれ」
「アルフォース……」
「やぁアリスト。随分ボロボロだけど元気そうだね。もう吹っ切れたかい?」
「……お陰様でな」

 もしかして師匠は、彼の事情を知っていたのかな。
 まるで、こうなることがわかっていたような言い方だった。

「そうか。君がアルフォース・ギフトレンか」
「初めましてだね。隠し事を見破るのが得意な大悪魔さん。いかに君でも、僕の登場は予想外だったかな?」
「……いいや、だけど十分だ。もう準備終わった」
「準備?」
「ああ、世界をひっくり返す準備だ」

 アガリアレプトはニヤリと笑う。
 悪魔らしく、不気味で気持ち悪い笑みだ。

「何を企んでいる!」
「そう声を荒げないでくれ、リンテンス・エメロード。今すぐ何かが起こったりはしないよ。ただ遠くない未来で、この世界はひっくり返る。楽しみにしていると良い」

 そう言い残し、アガリアレプトの姿は消える。

「追っちゃだめだよ」
「追えませんよ」

 世界がひっくり返る……
 よくない何かが、また起ころうとしているのか。

「考えるのは後にしよう。今は無事だったことを喜ぼうじゃないか」
「そうですね。一旦戻りますか。シトネも心配して……あっ!」
「どうしたんだい?」
「そうだ忘れるところだった。アリストさん」
「何だ?」
「ちゃんとエルに謝ってくださいね。そこは許してませんから」
「ぅ……ああ、わかった」

 激闘を終え、悪魔との邂逅を経た。
 彼が残した言葉は、いずれ起こる災厄の予言だと……今はまだ知らない。